第二百三十四話 残された者の使命
空が暗くなる頃、人々は帰路につく。メルディエズ学園では生徒たちが学生寮に戻り、自室で過ごしたり食堂で食事を取ったりしていた。
一方、バウダリーの町でも住民や冒険者たちが自宅や宿屋へ戻っていく。中には帰路につかず、酒場などによって酒を飲んだりする者もいた。
バウダリーの町にある宿屋、虹色亭の食堂では客たちが出された料理を口に運んでいる。虹色亭は町でも最高級と宿と言われており、貴族や金銭の余裕のある者しか止まることができない。
ただ、町には貴族が訪れることは滅多になく、泊まれる者も限られている。そのため、現在虹色亭に泊まっている客は少なく、食堂にも数人しかいなかった。
静かで人の少ない食堂の片隅ではペーヌが食事をしている。五聖英雄でありユーキたちを鍛えるために訪れていた彼女は虹色亭に宿泊しており、虹色亭とメルディエズ学園を行き来しているのだ。
ペーヌが座っているテーブルには料理が乗った皿が大量に置かれている。その内の幾つかは既に食べ終えて空になっており、料理が乗っていない皿はテーブルの隅で積まれていた。
皿の量からペーヌがとんでもない量の料理を食べているのは一目で分かり、ペーヌ以外の客たちはとんでもない食事量に唖然としながらペーヌを見ている。しかもペーヌはメルディエズ学園の制服を着ているため、客たちはペーヌをメルディエズ学園の生徒だと勘違いしており、どうして虹色亭で食事をしているのか疑問に思っていた。
周りの視線を気にしていないのか、ペーヌは無言で目の前に置かれている肉料理を食べていく。音を立てずにナイフとフォークを扱い、料理を食べ終えると近くにあるテーブルナプキンで口を拭いた。
ペーヌは空になった目の前の皿を近くにある山積みにされた皿の上に置く。すると料理を持った虹色亭のウェイトレスがペーヌの机にやって来た。
「お、おまたせしました」
「ありがとう……」
ウェイトレスはペーヌの前に運んできた料理を静かに置く。ペーヌの前に置かれたのは先程彼女が食べていた肉料理と同じ物だった。
ペーヌはナイフとフォークを手に取ると静かに肉料理を切り始める。目を閉じながら小さく切った肉を口へ運ぶペーヌをウェイトレスは困惑したような顔をしながら見ていた。
「あ、あの、お客様……既にかなりの量の料理を食されていますが……」
「そうね……だから?」
食事の手を止めずにペーヌはウェイトレスを見ながら訊き返す。その声は若干低く、ウェイトレスは自分が原因でペーヌが機嫌を悪くしてしまったのではと感じた。
「い、いえ、失礼しました!」
ペーヌの迫力に驚いたウェイトレスは慌ててその場から立ち去る。
離れていくウェイトレスを見るペーヌは小さく鼻を鳴らしながらナイフとフォークを置き、近くのグラスに入った葡萄酒を一口飲んだ。見た目は十代でもペーヌは四十代なので酒を飲んでも問題は無かった。
「今日は一段と食べる量が多いですね?」
男性の声が聞こえ、ペーヌは声がした方へ視線を向ける。そこには同じ五聖英雄のスラヴァとハブールの姿があった。
スラヴァとハブールもペーヌと同じように特訓の期間中は虹色亭に宿泊してパーシュたちを鍛えているのだ。
「スラヴァ、ハブール……」
ペーヌはグラスをテーブルに置いて戦友である二人を見つめる。ただ、その目はどこか恨めしそうなものでスラヴァをジーっと見つめていた。
スラヴァは自分を睨むペーヌを見て何かを察したのか苦笑いを浮かべた。
「ユーキ君とアイカさんから聞きましたよ? 今日は特訓をせずに二人を帰したそうですね?」
「誰のせいだと思ってんのよ」
不機嫌そうに答えるペーヌはナイフとフォークを手に取って食事を続ける。スラヴァはペーヌが不機嫌な理由が自分の予想していたとおりだと知って苦笑いを浮かべたまま肩を竦めた。
ハブールもスラヴァから前もって話を聞いていたため、ペーヌを見ながら呆れたような顔をしている。
スラヴァとハブールはペーヌが使っているテーブルの空いている椅子に腰かけてペーヌを見つめる。ペーヌは勝手に座ったことを気にしていないのか、文句などを言わずに食事を続けた。
「貴女の過去を勝手に話したことは謝ります。ですが、彼らを強くするためにも貴女のことを知ってもらっておいた方がいいと思って話したのです」
「私の過去をあの子たちに話すことが強くなることとどう関係があるのよ?」
肉を口に頬張りながらペーヌは不満そうな口調で尋ねる。スラヴァは一度静かに息を吐いてから真剣な顔でペーヌを見た。
「貴女が過去に辛い体験をし、同じ体験をしないために人から嫌われる言動を取っていたことを知った二人は貴女に対する見方は変えたはずです。きっとこれまで以上に強くなりたいと言う意志を持って貴女の特訓を受けるでしょう」
スラヴァの話を聞いていたペーヌは食事の手を止めてテーブルナプキンで口を拭き、グラスの葡萄酒を一口飲んだ。その表情からはスラヴァの話に興味が無いという意思が感じられた。
「それに貴女の過去をお話ししたのは貴女のためでもあるのです」
「は? 私のため?」
言ってることの意味が理解できないペーヌはスラヴァに訊き返す。するとスラヴァの代わりに黙って話を聞いていたハブールが口を開いた。
「お前は三十年前の戦いで奴が死んだ時から自分を責め続けている。そのために他者から避けられるような言動を取っていた」
「……」
「周囲から嫌われるような行動を取ったのは同じ悲しみを味わわないためだけではなく、アイツを助けられなかった自分に罰を与えるためなのだろう? 愛した男を死なせてしまった、護れなかったから自分には笑って人と触れ合う資格が無い。そう思ってお前は人に嫌われる道を選んだ……違うか?」
ハブールの言葉にペーヌは黙ったまま目を閉じる。否定しないことからハブールは図星だと直感する。そう、ペーヌは自分の想い人である五聖英雄のリーダーが死んでしまったことに対して強い責任を感じていたのだ。
恋人であり、何度も一緒にベーゼと戦った身でありながらベーゼ大帝との決戦で何もできず、想い人を助けることができなかった。ペーヌは五聖英雄の中で最もリーダーと親しく、彼を護らなければならない立場にありながら何もできなかった自分を責めており、人との絆を断つことを選んだのだ。
スラヴァとハブールの話が重要な内容だと感じたのかペーヌは食事をやめて黙り込む。スラヴァとハブールはペーヌが自分たちの話に耳を傾けてくれたと感じて話を続ける。
「ペーヌ、貴女の気持ちは痛いほど分かります。私とハブールも五聖英雄でありながら彼を助けることができませんでした。あの時の力の無かった自分を情けなく思ったこともありました。……ですが途中からいつまでも過去を引きずっていてはいけないと気付いたのです」
「私たちのやるべきことは過去に縛られたり、過去の失敗を後悔することではない。過去やその時の失敗などを全て受けとめ、同じ過ちを起こさないように自分たちにできることやる。それが私たちのやるべきことなのだ」
大きな失敗をしてしまったからこそ、同じ過ちを繰り返さないようにする。スラヴァとハブールは自分たちが何をするべきなのかを真剣な表情を浮かべて語り、ペーヌは二人を見ながら話を聞いていた。
「同じ失敗をしないためにも周りの人たちと手を取り合い、共に苦難を乗り越えて先へ進むことが大切なのだと私たちは思っています」
「……悲しんだり、周りと仲良くすることを避けてる私は間違ってるって言いたいの?」
「いいえ、同じ悲しみを味わいたくないという考えは間違っていません。ですが、それを乗り越え、周りの人たちに同じ思いをさせないように力を貸すことが大切だということです」
難しいことを要求するスラヴァを見ながらペーヌは不機嫌そうな表情を浮かべて腕を組む。簡単に辛い過去を乗り越えられるのなら苦労はしない、ペーヌは心の中でそう思っていた。
「……ペーヌ、お前が担当している生徒、ユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードだったか? 本心ではあの二人をできる限る強くしてやりたいと思っているのだろう?」
「何でそう思うのよ?」
ペーヌが訊き返すとハブールは椅子にもたれ掛かり、軽く上を向いて食堂の天井を見上げる。
「一度だけ遠くからその二人を見たのだが……あの二人は三十年前のお前と奴に似ている」
ハブールの口から出た言葉にペーヌは軽く目を見開く。ユーキとアイカが五聖英雄のリーダーと自分に似ていると言われたため軽い衝撃を受けたようだ。
「あの二人、雰囲気はお前たちと全然違うが、お互いを大切に想う姿は昔のお前たちそっくりだ」
「私もそう思います。ユーキ君とアイカさんを見ているとあの時の貴女たちを思い出して少し懐かしい気持ちになりますから」
隣に座るハブールを見ながらスラヴァも小さく笑う。
ペーヌはスラヴァとハブールが何を言いたのか分からず、黙って二人を見ていた。
「お前はあの二人が自分たちと重なって見えたのではないか? 重なって見えたからこそ自分と同じ目に遭わせてはいけないと思ってあの二人を鍛えようと思っていた。そうだろう?」
ハブールの問いにペーヌは何も言わずに黙り込む。否定もせず、黙っていることからハブールは自分の推測が当たっていると確信する。
「どれだけ人に嫌われようとしても、貴女自身は心の中で人と触れ合うこと、周りに人たちを大切に思うことを望んでいる。だから貴女はユーキ君とアイカさんの特訓を引き受けたのです」
「違うわ。私は愛されることも、誰かを愛することも望んでない。二度と悲しい思いをしたくないから傲慢な態度を取っている。自分のためにやってるのよ」
少し力の入った声を出しながらペーヌはスラヴァの言葉を否定する。その姿は自分の秘密を見抜かれて必死に誤魔化そうとする子供のようだった。
食堂には人が少なく静かだったため、ペーヌの声は他の客たちにも聞こえていた。客たちは何の話をしているのだろうと疑問に思いながらペーヌたちに視線を向けている。
「ペーヌ、誤魔化さないでください。……確かに貴女は同じ悲しみを体験したくないと思っています。ですがそれ以上に自分を許せないという気持ちの方が強い。彼を助けられなかった自分が許せないからこそ、人を大切に思うことも思われることも避けている」
「人と触れ合うことを避けたいと思ってはいるが周りにいる者たちを強くしたい、護りたいという意思もある。だからこそお前は厳しいながらも弟子たちを鍛え、今担当しているユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードのことも強くしようとしている」
まるで自分の意思を見透かすかのように語るスラヴァとハブールを見てペーヌは思わず目を逸らす。二人と目を合わせば更に自分の心を覗かれるような感覚がしていた。
ペーヌは若干居心地の悪そうな表情を浮かべながら小さく俯く。そんなペーヌを見ながらスラヴァはゆっくり口を開いた。
「ペーヌ、もう自分を許してあげたらどうですか? 貴女は今日まで十分傷つき、苦しみました。過去に縛られず、未来に向かって歩いてもいいのではないですか?」
スラヴァの言葉にペーヌは俯いたまま目を見開く。
「ユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードに同じ思いをさせないためにも、あの二人を強くしてやれ。そして、もう一度周りの者たちと絆を築き、笑顔でいられる世界で生きてみろ。奴もそれを望んでいるはずだ」
ペーヌはハブールの言葉を聞いた瞬間、数時間前にユーキとアイカから言われた言葉を思い出す。
五聖英雄のリーダーはペーヌの幸せを望んでいる、亡くなったリーダーと子供のためにも、笑って生きていかなければならない。ユーキとアイカに言われたのを思い出したペーヌは二人が自分の幸せを望んでいるのだと改めて実感する。
スラヴァとハブールに説得されたペーヌは黙り込み、二人も何も言わないペーヌを見つめている。やがてペーヌは席を立ち、上着のポケットから数枚の金貨を出すとテーブルに置いてゆっくり歩き出した。
「ペーヌ?」
「部屋に戻るわ……」
小さな声でそう言うとペーヌは食堂を後にする。スラヴァとハブールは去っていくペーヌの後ろ姿を見つめ、食堂にいた他の客たちも小声で何かを話しながらペーヌを見ていた。
「スラヴァ、どう思う?」
「彼女なら大丈夫です。きっと昔の彼女に戻ってくれるはずです」
ペーヌを信じるスラヴァは小さく笑う。ハブールもスラヴァの答えを聞いて戦友が立ち直ってくれることを心の中で祈った。
「……」
借りている部屋に戻ったペーヌは窓から夜空を見上げる。空には雲一つ無く、小さな星が無数に広がっていた。
ペーヌは星空を見上げながらどこか寂しそうな顔をしている。先程スラヴァとハブールに言われた言葉を思い出しながらこれから自分がどうするべきなのか考えていた。
「自分を許し、笑顔で生きて見ろ……か」
目を閉じるペーヌは俯きながら呟く。
普段ペーヌは笑みを浮かべながら人と接しているが、その笑顔は自分の本心を隠すための偽りの笑顔だ。更に笑顔で罵声を口にしたり、暴力を振るえばその分周りの者は自分を不気味に思って寄り付かなくなる。つまり普段の笑顔は自分を孤独にするための手段でもあった。
笑みを浮かべていた過去の自分を思い出すペーヌは襟から服の中に右手を入れて何かを取り出す。それは小さな銀色の鎖で出来たネックレスで二つの銀色の指輪が通してあった。
二つの指輪は嘗て将来を約束した自分と五聖英雄のリーダーがつけていた婚約指輪でリーダーが亡くなった後、ペーヌは二つの指輪をお守りとして首から下げていたのだ。
手の中のある二つの指輪をペーヌは無言で見つめ、左手を自分の腹部へそっと当てる。ペーヌは自分を残して先立ったリーダーと嘗て身籠っていた子供のことを思い出していた。
「……貴方たちはどう思う? またあの時の私に戻れると思う?」
リーダーと子供に語り掛けているのか、ペーヌは寂しそうな声を出しながら指輪を見つめた。
――――――
日付が変わり、ユーキとアイカはいつもどおりの時間に北西の広場にやって来る。広場に着くとすぐにペーヌの特訓が始まるのだが、今日はまだペーヌが広場に来ていなかった。
常に自分たちよりも早く広場に来ているはずのペーヌの姿が無いことから、昨日の一件で機嫌を損ねてしまい、今日も特訓は無しなのではと二人は不安そうな顔でペーヌを待つ。
「ペーヌさん、来てくれるかしら? 昨日のことが原因で私たちを鍛えるのをやめちゃうなんてことは……」
「可能性はゼロじゃないな」
「そんなぁ……」
このまま何もしてもらえずに終わってしまうのではと予想するアイカは昨日の言動を少し後悔する。いくらペーヌを立ち直らせるためとは言え、やり方がいきなり過ぎたのかもと感じていた。
「でも、俺は信じてるよ。ペーヌさんは俺たちを見捨てたりせず、必ず乗り越えてくれるって」
ユーキは小さく笑いながらペーヌを信頼していることを伝える。アイカはユーキの表情を見て、ユーキが信じているのだから自分も信じなくてはいけないと思い、ペーヌを信じて来るのを待つことにした。
静かな広場でペーヌを待つこと数分、ようやくペーヌがやって来た。ただ今回は今までと少し違っている。
いつもは満面の笑みを浮かべているペーヌだが、今日は真剣な表情を浮かべており、手には木剣ではなく柄の長いウォーハンマーが握られている。そして、ペーヌの後ろには複雑そうな顔をしているミスチアがついて来ていた。
昨日と明らかに雰囲気の違うペーヌにユーキとアイカは意外そうな表情を浮かべている。昨日の一件が原因でペーヌの何かが変わったのではと二人は思っていた。
「待たせたわね」
「え? あ、ハイ」
目の前にやって来てペーヌを見ながらユーキは頷く。ユーキはまばたきをしながらペーヌを見ており、ユーキの反応を見たペーヌはウォーハンマーを肩に担ぎながら目を細くする。
「何なのその目は? もしかして私が遅れて来たことに驚いてるの?」
「い、いえ、そう言うわけじゃ……」
「言っておくけど、遅れたのはやる気が無かったからとかじゃないわよ? 昨日飲み過ぎて少し寝坊しただけ」
勘違いさせないようペーヌは理由を話し、ユーキとアイカはペーヌが特訓を続ける気があると知って内心ホッとした。
ペーヌは安心した様子とユーキのアイカに近づいてジッと二人を見つめる。
「貴方たち、昨日私に幸せになるために周りの人たちと笑い合える道を歩むべきだって言ったわよね?」
「ハ、ハイ」
真剣な眼差しを向けるペーヌを見てユーキは緊張しながら頷く。ペーヌはユーキを見ると目を閉じながら静かに息を吐いた。
「……三十年も人との触れ合いを避けてきたのにいきなり周りと笑い合え、なんて無理な話よ」
ペーヌの言葉にユーキとアイカは僅かに表情を曇らせた。
「私はもうあの時のような気持ちにはなりたくない。だから人と触れ合うことも、誰かに好かれることも望むつもりは無いわ」
やはり大切な人を失ったペーヌの心の傷を癒すのは簡単ではない。ユーキとアイカはペーヌを立ち直らせることができなかったことを残念に思う。
「……ただ、貴方たち二人を見ていると、もう一度周りの人たちと一緒に生きていくのもいいんじゃないかって思ってしまうの」
ペーヌの口から出た言葉にユーキとアイカは目を見開く。ミスチアも意外そうな表情を浮かべながらペーヌの話を聞いていた。
「貴方たちは三十年前の私と彼に似ている。お互いを大切に思い、一緒に特訓を受けたり、苦難を乗り越えようとする貴方たちを見ていると昔のことを思い出してしまう……」
「ペーヌさん?」
どこか寂しそうな口調で喋るペーヌを見てアイカは声を掛ける。ユーキも様子の違うペーヌを不思議そうな顔をしながら見ていた。
「思い出す度に三十年前のように人と触れ合う道を歩んでみてもいいんじゃないかと感じてしまう……貴方たちのおかげで人に嫌われる道を歩もうという決意が揺らいじゃってるのよ。どうしてくれるの?」
「ど、どうしてくれるのと言われても……」
寂しそうに話すと思ったら今度は鋭い目つきで睨んでくるペーヌにアイカは困惑する。ペーヌはどうしてしまったのか、何を思っているのか、ユーキとアイカは全く理解できなかった。
「貴方たちに出会ったおかげで少しずつ三十年前の自分の考えが馬鹿らしく思えてきてしまってる。……だから、もう一度人と手を取り合って生きてみるのもいいかもしれないと思っているの」
ペーヌの言葉にユーキとアイカは再び軽く目を見開く。人に愛されること、人を愛することを拒絶していたペーヌが再び人と手を取り合う道を歩むことを知って二人は驚いていた。
「ただ、今の生き方の全てを変えるつもりは無いわ。大切な人を失う悲しみを感じたくないという意思は今も変わってないから」
周りの人たちを大切に思い、大切に思われて生きていく気持ちは変えないというペーヌをユーキとアイカは無言で見つめる。それはペーヌの過去を考えると仕方の無いことだと二人は思っていた。
ペーヌはユーキとアイカを見つめながら肩に掛けていたウォーハンマーの石突部分で地面を強く叩いた。
「私はこれまでどおり貴方たち二人を厳しく鍛えていくわ。私の特訓をやり遂げ、今以上の力を手に入れてベーゼと戦い、今度の戦争を生き残りなさい」
『ハ、ハイ!』
ユーキとアイカは声を揃えて返事をする。二人の返事を聞いたペーヌは俯きながら小さな声を出す。
「……もし、貴方たちが今度のベーゼとの戦いで生き残ることができたら、もう一度誰かを大切に思い、大切に思われる生き方をしてもいいわ」
周りに聞こえないくらい小さな声でペーヌを呟く。
昨日ユーキとアイカ、スラヴァやハブールから自身の幸せを考えてもいいのではと言われたことでペーヌは少しずつだが、もう一度周りから愛される道を歩んでもいいのではないかと思い始めていた。
だが、過去に大切な人と子供を失ったペーヌはすぐに気持ちを切り替えることなどできない。そこでペーヌは自分と五聖英雄のリーダーに似ているユーキとアイカを鍛え、ベーゼとの戦いで生き残れるよう強くしようと考えた。
ベーゼ大戦時、五聖英雄のリーダーと彼との子供を護ることができなかったペーヌは大きな悲しみを味わった。だが、もしもユーキとアイカが生き残ることができれば、自分は二人が生き残れるよう強くした、つまり間接的にユーキとアイカを護ることになるため、過去を乗り越えることができたと判断し、もう一度周囲の人々を大切にし、手を取り合って生きていこうと思ったのだ。
ユーキとアイカはペーヌを見て不思議そうな顔をする。先程小さな声で何かを呟いたような気がした二人はペーヌを見つめた。
「ホラ、すぐに特訓を始めるわよ。準備しなさい」
「ハ、ハイ」
返事をしたユーキは右手に意識を集中させてベーゼ化の訓練を始め、アイカもユーキの隣で同じように右手のベーゼ化の訓練を始める。するとペーヌがユーキとアイカを見ながら再びウォーハンマーの石突部分で地面を叩く。
「待った、今日は違うやり方でベーゼ化の訓練をするわ」
ペーヌの言葉を聞いたユーキとアイカは意外そうな顔でペーヌの方を向く。
「貴方たちの体の中にあるベーゼの力をベーゼ化させたい部分に送り、そこをベーゼ化するよう念じればベーゼ化させることができるとスラヴァは言っていたわ。でも、それだけだと効率よくベーゼ化をコントロールできるようにはならない」
これまでのユーキとアイカの様子からただ念じるだけではダメだと語るペーヌを見て二人は難しい顔をする。
確かに今日まで何度も念じて右手をベーゼ化させようとしたが一度も上手くいっていないため、ペーヌの考えを否定することはできなかった。
「そこでベーゼ化をコントロールできるようになるため、二人には念じる以外にもう一つ別ことをやってもらうわ」
「別のことって何ですか?」
アイカは尋ねるとペーヌは持っているウォーハンマーをアイカに見せる。
「戦闘よ。それも実戦に近い激しいもの」
ベーゼ化をコントロールできるようになるために念じながら戦うと聞いたユーキとアイカは思わず反応する。
「貴方たちにはこれから私と実戦と殆ど変わらない戦闘を行ってもらうわ。通常の訓練よりも激しい戦いの中でベーゼ化するよう念じながら戦えば貴方たちの生存本能が強い力を求め、今までよりもベーゼ化しやすくなるかもしれない」
ペーヌの説明を聞いたユーキとアイカは真剣な表情を浮かべ、やってみる価値はあると感じる。同時にペーヌが木剣ではなくウォーハンマーを持っていたのは本気で戦うためだった知って納得した。
本気の戦闘は戦士たちの生きたい、強くなりたいという意思を刺激する。そんな状況で強いベーゼの力を求めれば、ベーゼの力を使いこなせるようになるかもしれないと二人は思っていた。
ユーキとアイカは少しでも早くベーゼ化をコントロールできるようになるためにも迷わずにペーヌの特訓を受けるべきだと考えた。
「ペーヌさん、お願いします」
「ベーゼの力を使いこなせるようになるなら、どんなに厳しい特訓も受けます」
二人を見ながらペーヌは微笑みを浮かべる。その笑顔は今まで見せていた本心を隠す作り笑顔とは違い、ユーキとアイカに対する愛情のようなものが感じられた。
「一応もう一度言うけど、これからやる特訓は実戦に近いものよ。実戦に近いってことは命に関わる重傷を負う可能性もあるってことだから、それは承知しておいてね?」
笑顔で恐いことを言うペーヌを見てユーキとアイカは思わず固まる。すると二人が驚いていることに気付いたペーヌは笑ったまま後ろで待機しているミスチアを親指で指す。
「大丈夫よ。もし重傷を負ってもミッちゃんが修復で治してくれるから♪」
「だ、だからミスチアが一緒にいたんですね……」
ミスチアが同行していた理由を知ったユーキは納得する。ミスチアはユーキとアイカを見ながら気の毒そうな表情を浮かべていた。
「じゃあ早速始めるから貴方たちも武器を取ってきなさい」
「ハ、ハイ」
ユーキは返事をすると月下と月影を取りに走って男子寮へ向かい、アイカも女子寮へプラジュとスピキュを取りに向かう。
ペーヌは二人を見ながら手を振っており、そんなペーヌの姿を見たミスチアは「以前とあまり変わってない気がする」と心の中で思っていた。
その後、ユーキとアイカはベーゼ化のコツを掴むため、ペーヌから実戦同然の特訓を受けた。




