第二百三十三話 凍りついた心
翌日、ユーキとアイカはペーヌの特訓を受けるため、いつものように北西の広場にやって来た。ユーキとアイカの前には昨日と同じように木剣を握るペーヌが立っており、笑いながら横に並んでいる二人を見ている。
笑みを浮かべるペーヌを見てユーキとアイカは浮かない顔をしている。昨日スラヴァから聞かされたペーヌの過去を思い出し、周囲から嫌われる道を進む今のペーヌを何とか昔のペーヌに戻したいと思っていた。
「さ~て、それじゃあ今日もコントロールする特訓を始めるわよ」
「ハイ……」
昨日と同じ態度を取るペーヌにユーキは低い声で返事をする。満面の笑みを浮かべるペーヌを見て、ユーキはこの笑顔が悲しみを隠す仮面なのだと改めて理解するのだった。
「それじゃあ、昨日と同じように片手をベーゼ化させるところから始めて」
「ハイ……」
返事をしたユーキは右手を顔の前まで持ってきて右手がベーゼ化するように意識を集中させ、アイカも真剣な表情を浮かべて同じように右手だけをベーゼ化させようとする。
ユーキとアイカはペーヌの心の傷を癒す方法を考えながらベーゼ化の練習をする。ただ、別のことを考えながら練習しているため、右手のベーゼ化はまったく進展しなかった。
「ちょっとちょっと、な~にやってるの? 昨日は指先が少し変色するまでいったのに今回は何の変化も無いじゃない」
ペーヌは意外そうな顔をしながらゆっくりと二人に近づき、声を掛けられたユーキとアイカは視線をペーヌに向ける。
意外そうな表情を浮かべてはいるが、ペーヌの声からは上手くいっていないことに対する苛立ちが僅かに感じられた。
「もしかして、訓練を受けながら別のことでも考えてたの?」
ペーヌが小さく笑いながら確認するとユーキとアイカは目元を僅かに動かす。二人の顔の動きを見たペーヌは図星だと察し、持っている木剣でユーキとアイカの脳天を殴打する。
頭部を殴られたユーキとアイカは表情を歪ませながら痛みに耐える。二人の反応を見たペーヌは木剣を下ろし、ニコッと笑いながら二人の顔を覗き込む。
「私の特訓を受けてる最中に別のことを考えるなんていい度胸じゃない。……アンタたち、真面目に強くなる気あんのか?」
笑顔のままペーヌはユーキとアイカに説教をする。ユーキとアイカは頭部の痛みに耐えながら顔を上げてペーヌを見た。
特訓を受けたばかりの頃は満面の笑みで説教をするペーヌに恐怖を感じていたが、今ではそれにもすっかり慣れており、恐怖を感じることは無かった。寧ろペーヌの過去を知ったユーキとアイカは笑顔のペーヌを見て寂しさのようなものを感じている。
「すみません……」
「謝る暇があるんなら特訓に集中して早くベーゼ化を成功させなさい?」
「ハイ」
返事をしたユーキは右手のベーゼ化を再開し、アイカも無言で自分の右手をベーゼ化させようとする。
ペーヌは自分の肩に木剣を掛けながら特訓を再開するユーキとアイカを見守る。この時のペーヌはユーキとアイカが昨日と様子が違うことに気付いていた。
「貴方たち、どうかしたの? 昨日と比べて元気が無いわね?」
ユーキとアイカはペーヌの声を聞いてフッと顔を上げる。ペーヌが短い時間で自分たちの変化に気付いたことに二人が内心驚いていた。
「あっ、もしかして厳しすぎて特訓をやり遂げる自信が無くなった、とか言うんじゃないでしょうね?」
「い、いえ、そんなことは……」
誤解しているペーヌを見ながらユーキは首を横に振る。ペーヌはユーキの反応を見ると木剣を自分の右肩に掛けながら小さく笑う。
「言っておくけど、私はやり方を変える気なんて無いからね? 貴方たちがベーゼに勝てるようにするため、今までどおり徹底的に鍛えるつもりでいるから♪」
特訓の方針を変える気が無いこと伝えたペーヌはユーキとアイカに背を向けて二人から離れていく。
ユーキは今までどおり嫌われてもおかしくないやり方で特訓をしようとするペーヌの後ろ姿を見て表情を曇らせる。ペーヌはもう二度と周囲の人間と友好的な関係を持とうとしないのか、ユーキはそう思い寂しさを感じた。
「……そこまでする必要があるのですか?」
黙り込むユーキの隣に立っていたアイカが離れているペーヌに声を掛け、ユーキはアイカの声を聞いて彼女の方を向く。ユーキの視線の先には真剣な表情を浮かべてペーヌを見ているアイカの顔があった。
ペーヌはアイカの言葉を聞いて足を止め、ゆっくり振り返ると笑顔のままアイカを見つめた。
「は? 今更何を言ってるのよ。貴方たち二人を強くするためなんだから当然でしょう?」
「私は特訓のことを言っているのではありません」
「はあ? じゃあ何よ」
アイカの言葉の意味が理解できないペーヌは小首を傾げる。
「普通では考えられなくらい厳しいやり方で特訓し、教え子たちに嫌われるような行動を取るのに意味があるのかと訊いているんです」
「……別に意味なんて無いわよ? 私はただ厳しく鍛えれば教え子たちが必死になって早く強くなると思ってるから厳しくしてるだけ」
「嘘をつかないでください!」
力の入った声を出してペーヌの言葉を否定するアイカにユーキは一瞬驚いた表情を浮かべる。
ペーヌは「何言ってるんだこの子は」と思っているのかアイカは小馬鹿にしているように笑いながらアイカを見ていた。
アイカは目を閉じ、一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせてからゆっくりと目を開けた。
「ペーヌさん、貴女は自分を大切に思ってくれる人を作らないためにわざと人に嫌われるような言動を取っているのでしょう?」
「!」
ペーヌはアイカの言葉を聞いた一瞬驚いたような反応を見せる。アイカの隣にいるユーキも話を聞いてアイカが何を考えているのか察した。
「……何を言っているのか分からないわね」
「隠さないでください」
そっぽを向きながら白を切るペーヌにアイカが声を掛け、ペーヌは視線だけを動かしてアイカを見つめる。
「……実は昨日、特訓が終わった後にスラヴァさんにお会いしてペーヌさんの過去を聞いたんです」
「チッ! アイツ、余計なことを……」
自分の過去をアイカに話したスラヴァに対してペーヌは不快な気分になる。同じ五聖英雄であるスラヴァはなぜ今の自分があるのか理由を知っているため、知っていながら秘密を他人に話したことにペーヌは苛ついていた。
「因みにその時、俺も一緒にいました」
アイカだけでなくユーキも自分の過去を知っていると聞いたペーヌは軽く目を見開く。だがすぐに不機嫌そうな表情を浮かべ小さく舌打ちをする。
明らかに機嫌を悪くしているペーヌを見てユーキとアイカは小さな不安を感じる。だがペーヌの心を救いたいと思っている二人はこのまま話を終わらせる気など無く、緊張しながら話を続けることにした。
「ベーゼ大戦の時、貴女は婚約者であった五聖英雄のリーダーを失い、更に彼との間にできた赤ちゃんも亡くした聞きました」
アイカはどこか寂しそうな表情を浮かべながらスラヴァから聞いたペーヌの過去を語り、アイカの話を聞いているペーヌは木剣を持っていない方の手を強く握る。理由を聞くためとは言え、やはり思い出したくもない過去の話を聞かされると気分が悪くなるようだ。
「大切な人を二人も失った貴女は二度と同じ悲しみを味わわないため、ご自分から人に嫌われる言動を取るようになったとスラヴァさんから聞きました。嫌われれば自分もその人を大切に思うことは無く、相手が亡くなっても強い悲しみを受けることもない、だから自分から嫌われようとしていると……」
スラヴァから聞かされたことを話し終えたアイカは黙り込むペーヌを見つめる。
ペーヌはしばらく何も言わずに目を逸らしていたが、やがて静かに息を吐きながらユーキとアイカの方を向いた。
「……ええ、そうよ。私は彼と彼の子供を失った。だから自分から人との絆や関わりを断ち切ることにしたの」
小さく俯くペーヌは自分の左手を見つめ、ゆっくりと開いている左手を握った。
「あんな辛い思いはもう二度としたくない。だから私は誰からも好かれず、嫌われ者として生きる道を選んだのよ。そのせいで孤独な人生を歩むことになるとしても構わないわ」
「確かに、大切な人が亡くなったら立ち直れなくなるくらい辛いでしょう。それが家族や恋人だったら尚更です」
ユーキは目を閉じながら俯き、アイカも寂しそうな顔をしたまま黙っている。二人も家族を失う悲しみを知っているため、ペーヌの気持ちが痛いほど分かるのだ。
「分かってるような口を利くのね?」
「ええ、俺もアイカも家族を亡くしてますから」
ペーヌはユーキの言葉に反応して軽く目を見開く。目の前にいる二人も大切な人を亡くしたのだと知って意外に思っていた。
「……ペーヌさん、貴女は大切な人を失う悲しみを二度と感じないために嫌われる言動を取ると言いましたが、本当にそれが貴女の望んでいることなんですか?」
「何ですって?」
ユーキに視線を向けながらペーヌは訊き返した。
「貴女は周りから愛されないため、自分が周りの人たちを愛さないようにするために嫌われる言動を取っていると言いましたが、俺たちには貴女が本当に嫌われることを望んでいるようには見えないんです」
「それは貴方がそう感じてるだけよ。私にとって周囲の人間はどうでもいい存在よ。だから平気で嫌われるような言動が取れるの」
「嘘です!」
突然アイカがペーヌの発言を否定し、ユーキとペーヌは同時にアイカの方を向いた。
「大切に思うつもりが無いのなら、どうして私やユーキ、ミスチアさんたち教え子を強くしようとしてるんですか?」
真剣な表情で話すアイカを見てペーヌは僅かに目を鋭くする。
「スラヴァさんから聞きました。貴女は人に嫌われるような行動を取っているが、教え子たちを強くする気持ちがあるから厳しくても真剣に教えていると。大切に思う気持ちが無いのなら、そんなことはできないはずです」
「……何が言いたいの?」
「貴女は本当は自分の周りにいる人たちや教え子たちを大切に思っているのではないですか?」
アイカの言葉にペーヌは初めて驚きの反応を見せる。自分が行動とまったく真逆の感情を抱いていると言われたことにペーヌは軽い衝撃を受けた。
「大切に思われたくないのなら、嫌われようとする前に周りにいる人たち、近づいて来る人たちに関わらないようにするはずです。ですが、貴女は教えを乞う弟子たちに戦い方を教え、私とユーキの特訓も引き受けてくれました」
自分の胸にそっと手を当てるアイカは母親が子供に言い聞かせるような優しそうな口調で語る。隣ではユーキが黙ってアイカの言葉を聞いていた。
「貴女は孤独になることを望んでなどいない。寧ろ、困っている人がいたら手を差し伸べようと思っているはずです」
「……はっ、何を言い出すかと思えば、見当違いも良いところだわ」
話を聞いていたペーヌは鼻で笑いながらアイカの言葉を否定する。ユーキとアイカは笑っているペーヌは無言で見つめた。
「私が周りを大切に思っている? スラヴァからどんなふうに聞いたか知らないけど、全然違うわ。弟子たちに戦い方を教えたのは自分が戦いの感覚を失わないようにするため。貴方たちの特訓を引く受けたのもベーゼと戦う戦力を増やすためよ。決して孤独を避けたり、周りの人たちを助けるためにやったんじゃないわ」
あくまでも自分のために弟子たちを鍛えたり、ユーキとアイカを強くしているとペーヌは僅かに声に力を入れながら語る。
ユーキとアイカはペーヌの様子から、彼女の言っていることは嘘だと直感する。二人には今のペーヌは自分の本心を誤魔化しているようにしか見えなかった。
「それに大切な人を失う悲しみを二度と味わいたくないというのは事実よ。またあんな思いをするくらいなら、もう大切な人も大切に思ってくれる人もいらない。周りの人を愛したり大切にしたいとも思わないわ」
「ペーヌさん……」
「……今日は気分が悪いから特訓は中止よ。また明日、此処に来なさい」
これ以上二人と一緒にいたくないのか、ペーヌは背を向けて広場を後にしようとする。
ユーキとアイカは立ち去ろうとするペーヌを見て今のままではペーヌの傷ついた心を癒すことはできないと感じる。更に特訓の時間が限られている状態でこのままペーヌを行かせるのは二人にとって都合が悪かった。
ペーヌのため、そして自分たちの特訓のためにもう一度話し合うべきだと考えるユーキとアイカはペーヌを呼び止めようとする。
「情けないですわねぇ?」
何処からかミスチアの声が聞こえ、ユーキとアイカはフッと反応し、ペーヌも足を止める。
三人が声の聞こえた方を向くとそこには訓練用の細長い木棒を肩に掛けたミスチアが立っており、呆れたような顔でペーヌを見ていた。
「辛い思いをしたくないから人との繋がりを断つなんて、貴女それでも英雄と呼ばれた女ですのぉ?」
「ミスチア……」
ペーヌはミスチアを見ながら低い声で呟く。今までミスチアをミッちゃんと呼んでいたペーヌが今は普通に名前で呼んでいる。ユーキはペーヌを見て今までと明らかに雰囲気が違うと感じ取った。
「ミスチアさん、どうして此処に?」
アイカがミスチアに声を掛けるとミスチアはチラッとアイカの方を向いた。
「お二人の様子を見に来たんですの。そのついでに馬鹿師匠にお説教をしてやろうと思いまして」
「お説教?」
言ってることの意味が分からずにアイカは小首を傾げる。ユーキもミスチアの目的が分からずに腕を組みながら難しい顔をしており、ペーヌは自分を説教しようと言うミスチアを軽く睨んでいた。
「実は昨日、お二人がスラヴァさんと話しているのを聞きましたの」
「スラヴァさんとの話を? ……もしかして、ペーヌさんの昔の話をですか?」
アイカの問いにミスチアは無言で頷いた。
「言い訳に聞こえるかもしれませんが、盗み聞きするつもりはありませんでしたわ。ユーキ君と貴女の様子を見に行ったら偶然話を聞いてしまいましたの」
正直に話を聞いたことを白状したミスチアをユーキとアイカは無言で見つめる。
聞かれても都合の悪いことではなかったのでミスチアを責めるつもりは無いが、彼女の師であるペーヌの過去を知ったことでミスチアのペーヌの対する見方が変わったのではと思っていた。
ミスチアは呆れ顔のままユーキたちに近づき、三人の近づくとペーヌを見ながら溜め息をついた。
「前みたいな悲しい思いをしたくないから周りに人から嫌われる行動を取るなんて、単純な考え方としか言えませんわ」
「は? いきなり出てきて何偉そうな口利いてんのよ」
目を僅かに鋭くしながらペーヌはミスチアを睨み、ミスチアもジッとペーヌを見つめる。
「恋人と子供を亡くしたことには同情しますわ。ですが、親しい人を失った悲しみを感じるのを避けるためと言って周りから好意を持たれるのを避けるなんて考え方が幼稚ですわ。寧ろ大切な人を失った悲しみを知ってるからこそ、周りの人たちに優しく接して大切にしようと考えるべきなんじゃないんですの?」
ミスチアは珍しく真剣な様子を見せながらペーヌと話す姿を見てユーキとアイカは軽く目を見開く。ミスチアは自分たちと同じように過去に苦しんでいるペーヌを救おうとしているのだと二人は悟った。
「言いたいこと言ってくれるわね? アンタに私の何が分かるって言うのよ」
「分かりませんわ、私は貴女ではありませんから。……まぁ、私も家族を亡くした身ですので、貴女の悲しみは分からなくはありません。ですが、私は大切な人を亡くしたからと言って過去に縛られたり、悲しみと向き合うことを怖がったりしませんわ」
「はあぁ!?」
ペーヌはミスチアの言葉に力の入った声を出しながら反応する。どんな時も冷静さを保っていたペーヌが感情的になったのを始めて見てユーキとアイカは驚く。
「別に私は怖がってなんかねーし! ただあの時みたいな気持ちになるのが嫌だから大切に思われたり、思ったりしないようにやってるだけだし!」
「それを言い訳って言うんですのよ!? もっともらしいこと言って、結局アンタは悲しみを感じることから逃げてるだけじゃねーですか! 自分は大切な人を二人も亡くしたから逃げてもいいと? 甘ったれたこと言ってんじゃねーですわよ、弱虫馬鹿師匠っ!」
恐れていたペーヌに対して興奮しながら言い返すミスチアにユーキとアイカは目を丸くする。ペーヌと再会した時に怯えた様子を見せていたミスチアとは全く違う今の姿に二人は意外そうな顔をしていた。
師である自分に偉そうな口を利くミスチアを見てペーヌは奥歯を噛みしめ、木剣を握る手に力を入れる。
「テンメェーー! 調子に乗んじゃねぇ!」
叫ぶように声を上げながらペーヌは木剣をミスチアに向かって振り下ろす。
ミスチアは木剣を見ると木棒を素早く両手で持ち、振り下ろされた木剣を止めた。木剣を止めたことでミスチアの腕に衝撃が伝わり、ミスチアは奥歯を噛みしめる。
ユーキとアイカは目の前でぶつかるミスチアとペーヌを見て思わず目を見開く。ペーヌの心の救おうとしていた時にミスチアが現れ、話し合いをしたと思ったらいきなり師弟喧嘩が始まったため、二人は流れを上手く理解できずに少し混乱していた。
「ハッ! 昔と変わってねぇですわね。私がアンタを恐れずに異議を上げたり痛いところをついた時、アンタはブチキレて今みたいにいきなり攻撃してきましたわ。その気の短いところ、昔のまんまですわ!」
「テメェの空気を読まずに言いたいことを言うところも変わってねぇよ。人の触れてほしくねぇところにズカズカと踏み込みやがて、昔からやめろっつてるだろうが、馬鹿弟子!」
「こんな風に育てたのはアンタですわよ、馬鹿師匠!」
ミスチアは両手に力を入れて木棒でペーヌの木剣を押し返そうとする。だがペーヌの力は強く、ミスチアも簡単に押し返すことはできなかった。
何とか木剣を押し返そうとミスチアは両腕に力を入れる。そんなミスチアを見たペーヌは鬱陶しそうな顔をしながら木剣を器用に操ってミスチアの木棒を払い上げた。
木棒はミスチアの手を離れて宙を舞い、ミスチアは木棒を見上げながら目を見開く。だがすぐにミスチアの方を向き、左手で木剣を持っているペーヌの右手の手首を掴む。
手首を掴まれたペーヌも空いている左手でミスチアの右手首を掴んで動きを封じる。
お互いに相手の利き腕を掴んで攻撃できない状態にし、二人の周りにはピリピリとした空気が漂う。そんな中でユーキとアイカは顔に緊張を走らせながらミスチアとペーヌを見ていた。
「いい加減、前を向いたらどうですの!? 過去に縛られて悲しみを感じることを恐れていてはいつまで経っても前に進めねーですわよ!」
「さっきも言っただろうが、私のことを何も知らねぇくせに偉そうな口利くんじゃねぇ! あの時のような悲しみを味わうくらいなら、誰も愛さず、誰からも愛されない人生を私は喜んで受け入れてやらぁ!」
ペーヌは右腕に力を入れて手首を掴んでいたミスチアの手を振りほどく。右手が自由になるとペーヌはミスチアに向けて木剣を右上から斜めに振った。
ミスチアは迫って来る木剣を見て回避が間に合わないと感じ、修復を発動させてペーヌの攻撃に備える。だが次の瞬間、ユーキがミスチアの隣まで移動し、両手でペーヌの木剣を挟んで止めた。
「し、真剣白刃取り……」
突然木剣を止めたユーキを見てペーヌとミスチアは目を見開く。普通なら身体能力の高いペーヌの木剣を素手で止めるのは難しい。だがユーキは強化で腕力と動体視力を強化したため、木剣を止めることができた。
勢いよく振られた木剣を挟んだことでユーキの手には摩擦による熱が僅かに伝わり、熱さを感じたユーキは咄嗟に木剣を放し、両手を振って熱を冷ます。
「二人とも、少し冷静になってください」
ユーキが両手を振りながら宥めると興奮していたペーヌは状況を思い出し、気持ちを落ち着かせながら木剣を下ろす。ミスチアは額の汗を拭いながら発動している修復を解除する。
ペーヌとミスチアが落ち着くとユーキは軽く息を吐いてミスチアの方を向く。
「ミスチア、説教するって言いながら挑発するような言葉をぶつけるなよ。あれじゃあ、ペーヌさんが怒るのは当然だ」
「ハァ……すみませんでしたわ」
失言したという自覚したのかミスチアは溜め息をついてから若干不満そうな顔で謝罪し、それを見たユーキは呆れたような表情を浮かべる。
しばらくミスチアを見た後、ユーキは次にペーヌの方を向いた。
「ペーヌさん、ミスチアには挑発だと言いましたが、俺はミスチアの言っていることも一理あると思います」
「何ですって?」
ペーヌはユーキをジッと睨みながら訊き返す。ユーキは鋭い視線を向けるペーヌを見て一瞬寒気を感じたが、怯まずにペーヌを見続ける。
ミスチアも無言でペーヌを見ており、離れた所にいたアイカもユーキたちに近づいてペーヌの方を向く。
「大切な人を失う悲しみを二度と味わいたくないというペーヌさんの気持ちも分かります。ですが、悲しみを感じたからこそ、ミスチアの言うとおり周りの人を大切にし、愛情を持って接するべきだと思うんです」
ユーキは真面目な表情を浮かべながら語り、ペーヌも表情を変えずに黙ってユーキの話を聞いている。
「自分が大切な人を失った悲しみを知っているからこそ、周りの人たちに同じ思いをさせないためにも優しく手を差し伸べ、お互い手を取って助け合うべきだと俺は思っています」
「悲しい思いをさせないためにも愛情を持って接し、周りの人たちを大切に思い、大切に思われることが重要だと言いたの?」
自分の考えは間違っていると考えるユーキを見てペーヌは低い声で尋ねる。ペーヌの顔を見たアイカはユーキの言葉でまた機嫌を悪くしたと感じて不安そうな表情を浮かべた。
「……二度と悲しい思いをしないために周りから嫌われるような行動を取っても周りの人は幸せにはなりませんし、その人も変わりません。悲しい思いをしたからこそ、幸せになるべきなんじゃないかと思っています」
ユーキはペーヌの顔を見つめながら小さく笑みを浮かべる。
「俺はペーヌさんにも亡くなった恋人や子供の分まで幸せになってもらいたいんです」
「……ッ!」
微笑むユーキの顔を見てペーヌは目を見開く。
ベーゼ大戦が終わった日から今日までペーヌは大勢の人と出会い、その人たちに度を超した暴力を振るい、挑発的な言葉を言い放った。当然、人々はそんなことをするペーヌを避けるようになり、ペーヌ自身もそれを望んでいた。
だが、目の前にいるユーキは暴力を受け、暴言を吐かれても自分を嫌わず、自分が幸せになることを願っていると口にした。今まで出会った人々とは明らかに違うユーキにペーヌは衝撃を受けたのだ。
ペーヌがユーキの発言に驚いているとアイカがユーキの隣にやって来て、どこか寂しそうな目をしながらペーヌを見つめる。
「ペーヌさん、恋人もお子さんも貴女の幸せを願っているはずです。ですから、もう一度人々と手を取り合い、笑い合える道を歩んでください」
死んだ想い人と子供も自分の幸せを望んでいるという言葉にペーヌは僅かに目元を動かす。
もしも五聖英雄のリーダーが同じ状況に立たされていたら自分に何と言うだろう。ユーキやアイカと同じことを言うのだろうかとペーヌは疑問に思っていた。
「……とにかく、今日の特訓は中止よ」
そう言うとペーヌは早足でその場から去っていき、ユーキとアイカはペーヌの背中を黙って見つめる。
最初は特訓の時間が限られている状況なのでペーヌを説得して特訓を続けてもらおうと思っていたが、今のまま特訓をしても何も変わらないと感じたユーキとアイカは説得を止め、一日時間を置くことにした。
ユーキとアイカは自分の言葉がペーヌの心に届いたことを祈りながらペーヌを見送り、ミスチアも複雑そうな顔で自身の後頭部を掻きながらペーヌを見ていた。




