第二百三十二話 ペーヌの悲劇
翌日、ユーキたちは五聖英雄の特訓を受けるため、昨日と同じ場所へ向かう。カムネスとフィランはハブールの待つ闘技場、パーシュとフレードはスラヴァの待つ大訓練場、そしてユーキとアイカはペーヌの待つ北西の広場へ移動した。
全員遅刻することなく決められた時間内に目的地へ到着し、ユーキたちが到着すると五聖英雄たちは早速特訓を開始する。ユーキたちが教えたことを忘れないよう、五聖英雄たちはまず昨日の特訓のおさらいをしてから特訓の続きを始めた。
「では、昨日と同じように魔法であれを破壊してください」
スラヴァはパーシュとフレードを見ながら一点を指差す。指の先、10mほど離れた所には高さ3m、幅1mはある岩の壁があり、パーシュとフレードは岩壁の方を向くと右手を岩壁に向け、手の中に炎と水を作り出した。
「火球!」
「水撃ち!」
それぞれ得意属性の下級魔法を発動させ、岩壁に向かって火球と水球を放つ。
火球は岩壁に当たると弾けるように消滅し、水球も破裂して周囲に水をまき散らす。二つの球が当たった箇所は僅かに凹んでいるが岩壁を壊すほどの傷はついていなかった。
岩壁を破壊できなかったのを見てパーシュは悔しそうな顔をし、フレードは不満そうに舌打ちをする。
岩壁にはパーシュとフレードが先程付けた凹み以外にもあちこちに無数の傷や凹みが付いていた。それらの傷や凹みは岩壁を破壊するために昨日から二人が魔法で付けたものだ。
スラヴァは最初に自分が魔法で作り出した岩壁を魔法で破壊するようパーシュとフレードに指示した。これは魔法を何度も発動させることで使った者の魔力を向上させると同時に魔法の威力を上げるコツを掴ませるための特訓だ。
勿論、混沌術の使用は禁止し、魔法の力のみで破壊することを条件とした。
「昨日も言いましたように火球と水球を作り出す際、できるだけ多くの魔力を使うことが重要です。使用した魔力が多ければ多いほど威力も上がります」
悔しがるパーシュとフレードはスラヴァのアドバイスを聞くと岩壁を見つめながら再び右手の火球と水球を作り出す。今度は先程よりも多くの魔力を使用して魔法を発動させた。
パーシュとフレードは岩壁に向けてもう一度火球と水球を撃つ。火球と水球は岩壁に当たると先程と同じように消滅し、岩壁に凹みを付ける。だが先程よりも凹みは大きく、小さな罅も入っていた。
「クッソォ~! また凹んだだけかよ。あの壁、硬すぎねぇか?」
「貴方たちの魔力を強くするためにできるだけ頑丈な物を作りましたからね」
笑いながら話すスラヴァを見てフレードは「勘弁してくれ」と言いたそうに表情を歪める。
魔力が向上すれば魔法の威力も上がり、魔法の使用回数も増える。スラヴァはパーシュとフレードの魔力を強くするため、岩壁を作る際に多くの魔力を使用した。
強力で多くの魔力が使われた結果、パーシュとフレードが一緒に魔法を撃っても簡単には壊れないほどの強固な岩の壁ができたのだ。
岩壁を壊すために何度も多くの魔力を使って魔法を撃ったフレードは疲れを感じ始めており、パーシュも軽い疲れを感じながら僅かに呼吸を乱している。
「コイツはまだまだ時間が掛かりそうだね……」
汗を拭うパーシュは現状から予想以上に難しいと感じながら再び右手を岩壁に向け、再び魔法を発動しようとする。
「フレード、ボケっとしてないで特訓に集中しな! もっと使う魔力の量を増やすんだ!」
「ああぁ!? テメェに言われなくても分かってらぁ!」
パーシュに言い返しながらフレードは右手を岩壁に向けて再び水撃ちを撃とうとする。スラヴァは口喧嘩をしながらも共に特訓を受ける二人を静かに見守った。
――――――
闘技場ではカムネスとフィランが昨日と同じようにハブールと剣を交えて特訓している。自分たちの動きを読まれないよう交互に攻撃を仕掛けるがハブールは二人の攻撃を全て難なく防いだ。
特訓が始まってから二人は協力し合ってハブールを攻撃しているが二対一にもかかわらずまだ一撃も当てることができず、徐々に疲れが出始めて攻撃に力が入らなくなってきていた。
一方でハブールは二人を相手にまったく疲れを露わにしていない。それどころか呼吸も乱れておらず、汗も掻いていなかった。
しばらくカムネスとフィランの攻撃を防いだハブールは大きく後ろに跳んで距離を取り、右手で刀を握りながら構え直す。
カムネスとフィランは体を休ませるために追撃せずにフウガとコクヨを構える。
「どうした、さっきと比べて軽くなってるぞ?」
刀を握るハブールはカムネスとフィランを見ながら低い声を出し、二人も得物を構えたままハブールを見ている。体力に余裕があるハブールを見てカムネスは流石は五聖英雄と感じ、フィランも無表情ではあるがハブールの姿を見て感心していた。
「この調子では昨日と同じように一撃も私に入れられずに終わってしまうぞ? これでは何時まで経っても次の特訓に移れないな」
ハブールは少しガッカリしたような口調で呟き、そんなハブールをカムネスは鋭い目で見つめながらフウガを握る手に力を入れる。
「ドールスト、このままでは埒が明かない。僕がバヨネット殿の気を引く。君は隙をついて彼に一撃を入れるんだ」
「……ん」
小声で作戦を伝えたカムネスはフウガを鞘に納め、ハブールに向かって走り出す。フィランはその場を動かずに走るカムネスの後ろ姿を黙って見つめていた。
全速力で走るカムネスはあっという間にハブールとの距離を縮め、ハブールが間合いに入った瞬間にフウガを抜いて居合切りを放つ。
ハブールはカムネスの攻撃に対して顔色を一切変えず、冷静に刀で居合切りを止める。常人では防御できないと言われているカムネスの居合切りをハブールは難なく防いだ。
居合切りを防がれたカムネスはフウガを両手で握り、素早く上段構えを取ってそのままフウガをハブールに向けて振り下ろす。
頭上から迫って来るフウガを見たハブールは慌てずに刀で振り下ろしを防いだ。
「二人で戦っても攻撃を当てられないのに一人で挑むとは……何を考えているんだ?」
「一人で戦ってはいません。僕らは協力して戦っています」
カムネスは静かに返事をするとフウガを引いて袈裟切りを放ち、ハブールはその袈裟切りも刀で払って防ぐ。
防御に成功したハブールは逆袈裟切りをカムネスに放って反撃し、カムネスもフウガでハブールの攻撃を防御する。
ハブールはカムネスに反撃の隙を与えまいと逆袈裟切りが防がれた直後に刀を連続で振ってカムネスを攻撃した。
カムネスは眉間に僅かにシワを寄せながらハブールの速い連撃をフウガで防いでいく。
ハブールの攻撃は速いだけでなく一撃一撃が重いため、防御するだけで体力が削られてしまう。カムネスは腕に徐々に疲れが溜まっていくのを感じながらゆっくりと後ろに下がる。その間、体力が削られているのをハブールに悟られないよう鋭い表情を浮かべ続けた。
後退するカムネスを見たハブールはここで重い一撃を打ち込もうと考え、連撃を中断して右から刀を勢いよく振って攻撃した。
カムネスは左から迫って来る刀を見て今までの攻撃とは違うと感じ取り、咄嗟に反応を発動させた。反応を発動したことでカムネスの体は彼の意思よりも早く動き、上半身を後ろに倒してハブールの横切りをかわす。
回避したカムネスはすぐに体勢を直して反撃しようとする。しかしハブールは攻撃をかわされた直後、右手に持っている刀を素早く左手に持ち替え、そのまま左から刀を横に振ってカムネスの右脇腹に峰打ちを打ち込んだ。
「グッ!」
脇腹の痛みにカムネスは奥歯を噛みしめながら声を漏らす。反応を発動しているにもかかわらずハブールの攻撃をまともに受けたことにカムネスは小さな衝撃を受けた。
「お前の反応は確かに強力な混沌術だ。……だが、反応できるのはお前が認識している攻撃や動きのみ。今の私の攻撃は回避した直後に放ったお前の認識できていなかった攻撃だ」
反応の弱点を語りながらハブールはゆっくりと刀を引く。カムネスは脇腹の痛みに耐えながら体勢を整え、フウガを両手で握りながら中段構えを取る。
ハブールも構えるカムネスを見つめながら刀を構え直した。その時、ハブールの背後にフィランが回り込み、コクヨを振り上げながら暗闇を発動させる。
暗闇が発動したことでフィランを中心に黒い闇がドーム状に広がってハブールを呑み込む。
ハブールを呑み込んだ直後に闇の膨張は止まった。そのためカムネスは闇に呑まれずに済んだ。
暗く光の無い空間内でハブールは視線を動かして周囲を確認する。だが暗闇の闇の中では視覚が完全に無力化されるため、ハブールには黒一色しか見えなかった。
ハブールの背後では唯一目が見えるフィランが上段構えを取っており、隙だらけのハブールに向かってコクヨを振り落として攻撃する。闇の中ならいくら五聖英雄でも回避はできないだろうとフィランは感じていた。
だが次の瞬間、ハブールはフィランに背を向けたままの状態で左に移動して振り下ろしをかわし、その後も舞うように体を回してフィランの方を向く。
フィランは目が見えないのに攻撃をかわしたハブールに衝撃を受けたのか目を軽く見開いて驚きの表情を浮かべる。その直後、ハブールは持っている刀を右から斜めに振って驚いているフィランの左肩に峰打ちを打ち込んだ。
「……ッ!」
肩の痛みで僅かに声を漏らしながらフィランなふらつく。攻撃を受けたせいか暗闇は強制的に解除され、広がっていた闇は見る見る収縮して消滅する。
闇から出てきたフィランとハブールを見たカムネスはハブールが闇の中でフィランの正確な居場所を感知したと知って軽く目を見開いた。
「敵の視覚を封じたからと言って油断するな。世の中には目が見えなくても普通に戦ったり日常生活を送れる者もいるのだぞ?」
ハブールは刀を軽く振りながら目の前のフィランに語り掛ける。フィランは左手で峰打ちを受けた箇所を押さえながらハブールを見つめ、カムネスも一切隙を見せないハブールを無言で見つめていた。
――――――
ユーキとアイカは北西の広場で昨日と同じようにペーヌと模擬戦闘を行っている。今回はミスチアの姿は無く、広場にはユーキたち三人しかいなかった。
ペーヌは昨日に引き続き、ユーキとアイカが怒りを感じてもベーゼ化を抑えられるようにするために激しく攻撃し、二人も攻撃に耐えながら反撃する。
だが二人の攻撃は一撃もペーヌに当たらず、ユーキとアイカは若干悔しそうな表情を浮かべていた。
「ホラホラどうしたの? もっと真面目に攻撃しないと私には勝てないわよぉ?」
ペーヌは右手で持っている木剣でユーキとアイカの攻撃を全て防ぎ、笑いながら二人を挑発する。
全力で攻撃しているのに余裕を見せながら防御するペーヌの姿を見てユーキとアイカは少し腹を立てていた。
何とかペーヌに一泡吹かせてやりたいと考えるユーキは軽く後ろに跳んで距離を取り、強化を発動させて自身の腕力と脚力を強化する。そして地面を強く蹴るとペーヌに向かって跳び、彼女の目の前まで近づいた。
「おっ?」
一瞬で距離を詰めたユーキを見てペーヌは意外そうな顔をする。そんなペーヌにユーキは月下で袈裟切りを放つ。勿論、ペーヌを誤って傷つけないよう峰打ちで攻撃した。
半ベーゼ化した状態で腕力を強化した今の攻撃ならペーヌも流石に防げないだろうとユーキは感じていた。
ところがペーヌは強化で腕力を強化したユーキの攻撃を木剣で難なく止めてしまった。
「なっ!?」
自分の攻撃を簡単に止めたペーヌにユーキは驚きの反応を見せる。ペーヌはユーキの反応を見ると再び満面の笑みを浮かべた。
「その反応、やっぱり強化を使って身体能力を高めてたのね」
「……ッ! 気付いてたんですか」
「気付いてたって言うか、最初から分かってたの。普通に戦っても私に攻撃を当てられないなら必ず混沌術を使ってくるってね」
自分の行動を読んでいたペーヌにユーキは再び悔しさを感じて奥歯を噛みしめた。
何とかペーヌの体勢を崩せないかと月下を持っている右手に力を入れてペーヌを押そうとするがペーヌはピクリとも動かず、木剣で簡単に月下を止め続ける。
ペーヌは笑ったまま必死な様子のユーキを見つめ、木剣で素早く月下を払い上げる。月下を払われたことでユーキは態勢を崩してしまう。
「必死になるのはいいけど、何も考えずに戦っても意味ないわよ? ……少しは考えて戦え、青二才が」
笑顔で罵声を口にするペーヌは右足でユーキの左脇腹を蹴り、そのまま大きく蹴り飛ばした。
「うあああぁっ!」
脇腹の痛みにユーキは思わず声を上げるが、蹴り飛ばされている最中に体勢を整えて両足を地面に付ける。足を地面に擦り付けながら下半身に力を入れ、数m移動してから何とか停止した。
ユーキはペーヌの追撃に備えて体勢を整えようとする。だが前を向いた瞬間、目の前まで近づいていたペーヌが視界に入った。
一瞬で距離を詰めてきたペーヌにユーキは驚きの表情を浮かべ、そんなユーキにペーヌは笑いながら木剣で袈裟切りを放ち、ユーキの胴体を斬るように殴った。
「ぐううぅ!」
「ユーキ!」
まともに木剣を受けたユーキを見てアイカは叫び、助けようとユーキに向かって走る。
走るアイカに気付いたペーヌはチラッとアイカを見た後に小さく笑い、怯んでいるユーキを再び木剣で殴打した。
左上腕部を木剣で殴られたユーキは奥歯を噛みしめて痛みに耐える。そんなユーキにペーヌは容赦なく連続攻撃を打ち込んだ。
木剣で腕や足、腹部、側頭部などを殴打されるユーキは何とか態勢を整えようとするがペーヌは逃がさんと言わんばかりに攻撃を続けており、なかなか態勢を整えることができない。
防御も回避もできない状態でユーキは一方的にペーヌの攻撃を受けてしまう。最早虐めとも言えるユーキとペーヌのやり取りを見てアイカは愕然とする。だが同時にペーヌに対する怒りが沸々と湧き上がって来ていた。
「やめなさいっ!」
アイカはペーヌを睨みながら声を上げ、走りながらプラジュとスピキュを構える。この時、アイカの左手は指先から紅色に変色しており、ベーゼ化が進んでいた。
ペーヌはアイカの声を聞くとユーキへの攻撃をやめ、アイカの方を向いて笑みを消す。真剣な表情を浮かべて自分を睨むアイカを見たペーヌはアイカに向かって走り出した。
全速力で走り、アイカとペーヌは徐々に相手との距離を縮めていく。そしてお互いに相手が間合いに入った瞬間、アイカはプラジュで、ペーヌは木剣で相手に袈裟切りを放った。
プラジュと木剣がぶつかるとアイカとペーヌの右手に衝撃が伝わった。アイカは衝撃に耐えながらプラジュを強く握って木剣を押し戻そうとする。だがペーヌは衝撃が気にならないのか表情を変えず、真剣な眼差しをアイカに向けていた。
「好きな男の子を傷つけられて怒った? まあ、一人の女としては当然の反応よね。……だけど、だからと言ってベーゼ化していることに気付かずにいるのは問題よ?」
「!」
ペーヌの言葉を聞いたアイカはフッと反応して自身の手や足を確認する。そして指先から徐々に紅く変色している自分の左手を見て目を見開いた。
アイカが体の変化に驚いている隙にペーヌはプラジュを払い、アイカに右回し蹴りを打ち込む。
ペーヌの攻撃に気付いたアイカは蹴られる直前に反対方向へ跳んで回し蹴りの威力を削ったが、それでもペーヌの蹴りは強烈でそのまま蹴り飛ばされてしまう。
蹴り飛ばされたアイカは飛ばされながらも体勢を立て直し、地面が足に付くと倒れないよう踏ん張って停止する。止まるとペーヌの追撃を警戒して素早くプラジュとスピキュを構え直した。
(落ち着いて、感情的になってはダメ。平常心を保ってベーゼ化を抑えるのよ!)
心の中で自分に言い聞かせながらアイカは何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。落ち着きを取り戻すと変色していたアイカの手はゆっくりと戻り始め、色が戻るのを確認したアイカは静かに息を吐く。
離れた所でアイカを見ていたペーヌはアイカのベーゼ化が治まったのを確認すると小さく笑いながらアイカに向かって走り出し、アイカの前まで移動すると木剣を勢いよく振り下ろす。
目の前まで近づいたペーヌを見てアイカは咄嗟にプラジュとスピキュを交差させて振り下ろしを防いだ。防御に成功すると強い衝撃がアイカに襲い掛かる。
「うううぅっ!」
「昨日と比べたら体を戻す時間が少しだけ短くなったわね。そこは良いけど、怒りですぐにベーゼ化しちゃうところは変わってない。……まだまだね」
笑いながらアイカの欠点を口にするペーヌは木剣を握る手に力を入れた。
重くなったペーヌの振り下ろしにアイカは表情を歪めながらどう対処するか考える。そんな時、ペーヌの背後から双月の構えを取るユーキが走って来るのが目に入った。
ユーキは自分に背を向けているペーヌに近づくと月影を右上から斜めに振ってペーヌに峰打ちを打ち込む。だがペーヌはユーキの接近に気付いていたらしく、左足でアイカを蹴って倒すと素早く振り返り、木剣で月影を防ぐ。
月影の攻撃が防がれるとユーキはすぐに月下を右から横に振って攻撃する。しかしペーヌは視線だけを動かして月下を見ると素早く木剣を動かして月下の一撃も簡単に止めた。
双月の構えによる連続攻撃を殆ど動かずに防いだペーヌにユーキは思わず驚きの反応を見せる。
「なかなか面白い攻撃ね? だけど、私には通用しないわよ」
ペーヌはそう言って月下と月影を木剣で素早く払い上げ、がら空きになったユーキの脇腹を木剣で右から殴打する。
痛みに表情を歪ませながらユーキは後ろに下がって距離を取った。アイカもペーヌの意識がユーキに向けられている間に移動してユーキと合流する。
ユーキとアイカは横に並びながら得物を構えてペーヌを警戒する。ペーヌは小さく笑いながら木剣の切っ先をユーキとアイカに向けた。
「昨日よりはマシになったけど全然ダメ。怒りを感じてもベーゼ化しなくなるまでビシバシ行くわよ?」
このまま同じ特訓を続けることを伝えた直後、ペーヌはユーキとアイカに向かって走り出す。二人もペーヌを迎え撃つために同時に地面を蹴った。
それからユーキたちは五聖英雄の厳しいと特訓を連続で受け続けた。その結果、特訓を始めてから四日後にユーキたちは今受けている特訓を終えることができた。
――――――
新たな段階に入ってから特訓は激しさを増すことになった。しかしユーキたちは怖気づいたり逃げ出したりせずに特訓を受け続ける。
カムネスとフィランはハブールに実力を認められて身体能力を鍛えながら剣術を教わることになり、パーシュとフレードも魔力が向上したことでスラヴァから新しい魔法を教わることになった。そして、ユーキとアイカも怒りを感じてもベーゼ化を制御できるようになり、今度は自分の意思でベーゼ化できるようになる特訓を受けることになったのだ。
以前とは違う特訓内容にユーキたちも最初は苦労していたが徐々に慣れていき、今では問題無く五聖英雄から指導を受けることができるようになった。
「もっと集中しなさい。怒りで体がベーゼ化した時の感覚を思い出しながら、その時みたいに今の体を変えればいいのよ」
青い空の下でユーキとアイカはペーヌから自由にベーゼ化するための特訓を受けている。今回はベーゼ化するための特訓であるため、ユーキとアイカは愛刀と愛剣は持っていない。ただ、二人の前に立っているペーヌは前の特訓と同じように木剣を握っていた。
ユーキとアイカは真剣な表情を浮かべながら自分の右手を見つめていた。二人は今、右手だけをベーゼ化させるために頭の中でベーゼ化するよう強く念じているのだ。
ペーヌの話によると怒りでベーゼ化することが無くなった今のユーキとアイカなら念じれば体をベーゼ化させることができるらしい。
ただ、念じてもいきなりベーゼ化することはできず、体の中にあるベーゼの力のようなものを全身に広げ、人間の体がベーゼの体に変わるよう意識しながら念じないといけないようだ。もっともこれはペーヌがスラヴァから聞いた話であるため、ペーヌ自身もよく理解できていない。
「体をベーゼの体に変えるよう意識するって、どうすればいいの?」
「サッパリ分からん。とにかく手が変わるよう念じていればいいんじゃないか?」
「そんなぁ……」
感覚やコツが全く掴めずにいる状況にアイカは呆れたような表情を浮かべる。ユーキもやり方がよく分からない状況に困っており、とにかくペーヌに言われたとおり念じ続けることにした。
ユーキとアイカがやり方について話しているとペーヌが二人に近づき、木剣で二人の頭を軽く殴った。
『痛っ!』
「ブツブツ言わずに集中しろ」
ニコニコしながら注意するペーヌを見てユーキとアイカは表情を曇らせ、言われたとおり右手がベーゼ化するよう念じ続ける。しかし、それからも念じ続けたが右手はベーゼ化することは無かった。
数十分が経過して空がオレンジ色に染まる頃、学園内にいる生徒たちは次々と学生寮に戻っていく。既に大半の生徒は学生寮に戻っているのか学園内はとても静かだった。そんな中、ユーキとアイカはペーヌと共に北西の広場で特訓を続けている。
「……今日はここまでね」
空を見上げるペーヌは特訓の終わりを告げる。疲れ果てたユーキとアイカは深く息を吐きながらその場に座り込んだ。結局右手がベーゼ化することは無く、二人はただペーヌにしごかれるだけで終わってしまった。
座り込んで疲れを露わにするユーキとアイカを見るペーヌは二人を情けなく思ったのか呆れたような顔をしていた。
「いつまでもそんな所に座ってないで寮に戻りなさい。明日も同じ時間に此処に集合だからね?」
「ハ、ハ~イ……」
ユーキが疲れた声で返事をするとペーヌは小さく溜め息をついてから去っていく。離れていくペーヌの後ろ姿を見るユーキは深く溜め息をつき、アイカも疲れた顔をしながら俯いた。
「相変わらず厳しい人だなぁ……」
「確かに、笑ってるけど少しミスをしたりするとすぐに木剣で叩いてくるものね……」
「ああ、ミスチアが嫌っているのも分かる気がする」
改めてペーヌが厳しい人物だと実感したユーキとアイカは明日もまた同じようにしごかれるのかと想像して少し顔色を悪くする。
「大分お疲れのようですね?」
何処からか男性の声が聞こえ、ユーキとアイカはフッと声が聞こえた方を向く。そこには苦笑いを浮かべながら自分たちの方へ歩いて来るスラヴァの姿があった。
「スラヴァさん」
パーシュとフレードの特訓をしているスラヴァが自分たちに会いに来たことを意外に思いながらアイカは立ち上がり、ユーキもゆっくり立ち上がってスラガを見た。
「その様子だと、彼女に相当しごかれたようですね?」
「え、ええ、まぁ……」
図星を突かれたユーキはスラヴァから目を逸らして苦笑いを浮かべた。アイカも数分前の出来事を思い出して複雑そうな顔をしている。
ユーキとアイカの反応を見たスラヴァは同情し、再び苦笑いを浮かべて自分の頬を指で掻く。
「まあ、ペーヌには私からベーゼ化をコントロールできるようになる方法を細かく教えておきましたから、彼女が教えたとおりにやれば必ずできるようになりますよ」
「それは分かっています。……ただ、もう少し優しくしてくれてもいいじゃないかな~って思っちゃうんですよ……」
ペーヌの教え方に対して小さな不満を口にするユーキを見てスラヴァは苦笑いを消し、若干暗い表情を浮かべてユーキとアイカを見た。
「……そのことなのですが、お二人には話しておいた方がいいかもしれませんね」
スラヴァの言葉を聞いたユーキとアイカはフッとスラヴァの方を向く。二人が見つめる中、スラヴァは空を見上げながら口を開いた。
「ペーヌは今は無茶苦茶な性格をしていますが、ベーゼ大戦の時は今ほど酷くは無かったんです……」
寂しそうな口調で語るスラヴァを見たユーキとアイカはペーヌがあんな性格になったのには理由があるのではと感じ、無言でスラヴァの話を聞いた。
ユーキとアイカが見つめていることに気付いていないのか、スラヴァは空を見上げたまま昔のことを話し始めた。
三十年前のベーゼ大戦時、ベーゼに対抗するための組織としてメルディエズが設立され、ベーゼと戦うために大勢の少年少女が集められた。その中にはペーヌとスラヴァ、そしてハブールもおり、彼らはベーゼと戦う力を得るために共に訓練を受けことになった。
メルディエズに入ったばかりのペーヌはとにかく性格に問題があり、自分は強いだのベーゼに余裕で勝てるだの傲慢な態度を取っていた。
当然周囲の少年少女たちはそんなペーヌから距離を置いたり、文句を言ったりすることがあったが、身体能力の高いペーヌに喧嘩を売ってきた者たちを返り討ちにしていき、結果少年少女たちを誰もペーヌに文句を言わなくなった。
当時のスラヴァとハブールもペーヌに関わらないようにしようと持って彼女に近づかなかった。だがそんな時、一人の少年がペーヌと接触し、それがきっかけで二人もペーヌとの距離を縮めていくことになる。
ペーヌに接触した少年はスラヴァとハブールの友人で後に五聖英雄のリーダーとなる少年だった。少年は傲慢な態度を取るペーヌにも普通に接し、スラヴァとハブールも友人がペーヌと接したのを見て、自分たちも少しずつだがペーヌとの距離を縮めていこうと考えるようになったのだ。
ペーヌは最初、少年を鬱陶しく思って相手にしていなかったが、時間が経つにつれて少年が自分のことを心配しており、友人になろうとしていることに気付いて少しずつ少年やその友人であるスラヴァとハブールに心を開いて行った。
それからペーヌたちは新たに一人の少年と出会い、共にベーゼと戦うようになる。この時に集まった五人こそが後にベーゼ大戦で人類を勝利に導いた五聖英雄と呼ばれるようになるのだった。
ベーゼ大戦の最中、少しずつ仲を深めていった少年とペーヌはお互いに惹かれ合って将来を誓い、ベーゼとの戦いが終わったら結婚する約束をした。その直後、ベーゼとの決戦が行われ、少年たちはベーゼの帝王であるベーゼ大帝と直接対決をすることとなった。
五人は力を合わせて戦い、戦況は少しずつ優勢になっていった。だがベーゼ大帝も意地を見せ、持てる全ての力を使って五人を追い詰める。そんな時、リーダーの少年はペーヌたちを護るために一人でベーゼ大帝に突撃し、ベーゼ大帝に渾身の一撃を叩き込むことに成功した。だが同時に少年もベーゼ大帝の反撃を受けてしまう。
瀕死のベーゼ大帝はベギアーデの力を借りて退却したが、少年はとても危険な状態でいつ命を落としてもおかしくない状態だった。
ペーヌは少年を助けるために回復魔法を使ったが、結局少年は助からずペーヌたちに囲まれる中、静かに息を引き取った。
その後ベーゼ大戦は人類の勝利で終わり、人々は亡くなった少年と生き残ったペーヌたち四人は世界を救った英雄として讃えるようになる。だがペーヌにとって英雄と呼ばれることなど、どうでもよかった。
大切な人が死んでしまったことの方がペーヌにとっては重要で五聖英雄と呼ばれることに喜びなど感じられなかった。
昔のことを話したスラヴァは目を閉じながらゆっくりと俯き、話を聞いていたユーキとアイカも暗い顔をしていた。
「例えベーゼ大戦で勝利できても、ペーヌは勝利以上に大切な人を失ってしまったのです」
「ペーヌさんにそんな過去が……」
ペーヌの昔話を聞いたアイカは呟き、ユーキも無言で俯く。
今まで無茶苦茶な特訓をしてきたペーヌに不満を抱いていた二人だったが、ペーヌの過去を聞かされて少しずつ不満な気持ちが消えていった。
「ですが、彼女を襲った悲劇はそれだけではありませんでした」
まだとんでもない出来事があると聞かされたユーキとアイカはスラヴァに視線を向けた。
「決戦の時、ペーヌは妊娠していたんです」
「妊娠? ……もしかして、リーダーの子供を?」
「ハイ……ですが、彼が死んだことで精神的に大きなショックを受けていたペーヌは当時三ヶ月だった子供を流してしまったのです」
ペーヌが愛する人だけでなく、その人との間にできた子供まで流産してしまったと聞いたユーキとアイカは驚愕の表情を浮かべた。
「つまり彼女はベーゼとの戦いに勝利するのと引き換えに愛する男性とその子供を失ってしまったのです」
「酷い話ですね……」
アイカは自分のことのように悲しい気持ちになり、俯きながら目をうるわせる。家族のことを人一倍大切に思っているユーキもペーヌの経験を知って表情を曇らせていた。
「それ以降、ペーヌは彼と出会う以前のように戻ってしまい、自分から人との接することは無くなってしまいました。更にメルディエズで仲間や後輩に戦いの技術を教える時も度を超した体罰などをするようになったのです」
「どうしてペーヌさんはそんなことを?」
いくら大切な人を失った悲しみがあるとは言え、人との関りを捨てて必要以上の暴力を振るう理由が分からないアイカはスラヴァに尋ねる。するとスラヴァは寂しそうな顔をしながらユーキとアイカを見た。
「彼女は自分を愛してくれる人、大切に思ってくれる人を失う悲しみを二度と味わわないために自分から人に嫌われる道を選んだのです」
スラヴァの口から出た言葉にユーキとアイカは軽く目を見開く。
「傲慢な態度で接し、戦闘の技術を教える際に暴力を振るえば教え子や仲間たちは自分を嫌い、自分を愛したり慕ったりすることも無い。そうすれば自分もその人たちを愛することも無い。……それなら例え教え子や仲間たちが亡くなっても悲しい思いをすることも無いと彼女は思ったのでしょう」
「……随分無茶苦茶な考え方ですね」
悲しみを感じたくないからわざと嫌われるような接し方をすると聞いてユーキは驚きながらスラヴァを見つめる。
「しかし、愛されないようにしているペーヌも教え子たちを強くしてあげたいという気持ちはあるらしく、度を超したやり方をしながらも真剣に鍛えているようなのです」
ペーヌをフォローするようなスラヴァの言葉を聞いたユーキとアイカはこれまでの特訓の内容を思い出す。
確かにペーヌのやり方は無茶苦茶だが、怒りでベーゼ化した時には注意するべき点を真面目に教えてくれた。そしてミスチアと再会した時も彼女を本当の弟子だと認めている。
ペーヌは周りの人たちを何とも思ってないような言動を取ってはいるが、本当は強い戦士に育てたいと思っているのだとユーキとアイカは感じていた。
「ユーキ君、アイカさん、どうかペーヌを憎まないであげてください」
軽く頭を下げながら頼むスラヴァをユーキとアイカは無言で見つける。
スラヴァから昔の話を聞いたことでユーキとアイカの中からペーヌに対する不満などは消えていた。今の二人はペーヌの特訓をやり遂げようと言う気持ちとペーヌの傷ついた心を癒してあげたいと言う意志があった。
「……」
三人から少し離れた所になる木の陰にはミスチアが隠れていた。ユーキとアイカの様子を見に来て偶然二人とスラヴァが話しているのを見つけ、隠れて会話を聞いていたのだ。
「……馬鹿師匠」
木に寄り掛かっていたミスチアは不満そうな顔をしながら寂しそうな声で呟き、ユーキたちに気付かれないようその場を後にした。




