第二百九話 狂人の襲撃
トムリアたちは深夜の街、それもベーゼが現れて緊迫している状態の中で笑いながら広場に現れたマドネーを見て驚いており、同時にいつの間に広場に入ったのだと疑問に思う。ただ、態度から普通の一般人ではないと悟り、更に武装などもしていないことから冒険者でもないと確信していた。
広場にいるトムリアたちはマドネーがベーゼと繋がりを持つ存在であることを知らない。そのため、今の段階では目の前にいる少女が自分たちの敵だと分かっていなかった。
「貴女、こんな所で何をしているの? 今はベーゼが襲撃している最中よ。危ないから早く自宅に戻って」
マドネーを不審に思いながらトムリアは帰宅するよう促す。
近くにいるジェリックや他の者たちもどうして広場にいるのか気になっていたが今はレンツイを護ることが重要なため、目的を訊かずに帰らせようと思っていた。
「危険なことは知ってるわよぉ~」
「知ってるなら早く帰れよ」
ジェリックは呑気な態度を取るマドネーを鬱陶しそうな顔で見ながら急かす。マドネーは小さく笑いながらジェリックの方を見た。
「帰る必要なんて無いわよぉ。……だって、私は貴方たちに用があるんだからぁ~」
「はあ? 用って何だよ?」
マドネーの言葉の意味が理解できないジェリックは小首を傾げ、トムリアたちも不思議そうに表情を浮かべながら見ている。
「えっ、もしかして分からないのぉ? この状況ならすぐに理解できると思うんだけどなぁ~」
若干小馬鹿にしたような口調で話すマドネーを見たジェリックや一部の冒険者は若干不機嫌そうな顔をする。
状況を理解できていないのはお前だろう、一同は心の中でそう思いながらマドネーを見つめた。
「悪いが俺たちはベーゼと戦っている最中で忙しいんだ。アンタと遊んでる暇は無いんだよ。さぁ、帰った帰った」
いい加減マドネーが邪魔になってきたのか、近くにいた冒険者の一人が少し力の入った声を出しながらマドネーに近づく。トムリアたちも自分から帰宅しようとしないのなら、強引に帰ってもらうしかないと思っていた。
マドネーは近づいて来た冒険者を笑ったまま見つめると周りにいる者たちに気付かれないようにコポックのハンドルを右手で握る。
「本当に分からないのぉ? ……じゃあ、特別に教えてあげる」
そう言った瞬間、マドネーは不敵な笑みを浮かべてハンドルを勢いよく引いてコポックに仕込まれている細剣を抜く。そして、自分に近づいて来た冒険者を素早く斬った。
「がはぁっ!?」
冒険者は一瞬何が起きたのか理解できなかったが、自分の斬られた体と噴き出た血を見て目の前の少女に襲われたことを知る。トムリアたちも冒険者が斬られた光景を見て驚愕していた。
斬られた冒険者は警戒もせずに近づいたことを後悔しながら仰向けに倒れ、そのまま息絶える。
冒険者が倒れると近くにいたトムリアたちは咄嗟に後ろに下がったマドネーから距離を取った。
マドネーは不気味に笑いながら距離を取ったトムリアたちを見て血が付着した細剣をトムリアたちに見せる。
「これで私の目的が分かったでしょう? 私は貴女たちを皆殺しにするために此処に来たのよぉ~」
「皆殺し……貴女、もしかしてベーゼの協力者!?」
トムリアは杖を構えながらマドネーに問い掛け、ジェリックもトムリアの隣で剣を構えながらマドネーを睨む。
広場にいた他のメルディエズ学園の生徒や冒険者たちもマドネーが冒険者を殺害したことに気付くと一斉に集まって持っている武器を構えた。
「ベーゼの協力者? ウフフフフ、半分正解ってところかしらねぇ~」
質問に答えたマドネーは自分の周りに集まった生徒と冒険者を見ながら楽しそうな顔をする。これから目の前にいる者たちと殺し合いができると思うと興奮してしまい、笑わずにはいられなかった。
トムリアたちはマドネーの発言を聞いて警戒心をより強くする。同時に大勢の敵を前にして楽しそうにするマドネーを異常な存在だと思った。
「貴女、いったい何者なの?」
「私? ああぁ、そう言えば自己紹介してなかったわねぇ。……私はマドネー、すぐにお別れすると思うけど、よろしくね?」
「マドネー?」
何処かで聞いたことがあるような名前にトムリアは小さく俯いて考える。すると、何かに気付いたトムリアは目を大きく見開きながらフッと顔を上げた。
「もしかして、パーシュさんが遭遇したベーゼに協力している混沌士の?」
「あら、貴女パーシュの知り合いなのぉ~?」
マドネーは目の前で驚いているトムリアを見ながら意外そうな表情を浮かべる。だが、すぐにまた楽しそうな笑みを浮かべると細剣の切っ先をトムリアに向けた。
「それじゃあ、パーシュが今何処にいるか教えて? 貴女たちを皆殺しにした後にあの子を殺しに行くから」
「なっ! そ、そんなことを言われて教えるわけがないでしょう!?」
ふざけたこと言うマドネーにトムリアは思わず声を上げる。自分の仲間を殺そうとしている人物に仲間のことを話す者はいない、トムリアだけでなく周りにいるジェリックたちもマドネーを見ながらそう思っていた。
マドネーはパーシュの情報を教えないトムリアを見ながら軽く頬を膨らませる。既に冒険者を一人殺害して相手に自分の力を見せつけたマドネーは素直に教えてもらえると思っていたため、何も教えないトムリアを見ながら少し不機嫌そうな顔をしていた。
「素直に話した方がいいと思うよぉ? 隠さずに教えてくれれば少しだけ痛めつけてから殺してあげるけど、隠し続けるなら早く死なせてほしいって思いたくなるくらい痛めつけられてから死ぬことになるよぉ~」
「はあ? 何馬鹿なこと言ってやがるんだ! 話そうが話すまいが結局甚振ってから殺すんじゃねぇか。そんなこと言われて話すと思ってるなら、お前、相当頭おかしいぞ」
どちらを選んでも相手を甚振る気でいるマドネーを異常と考えるジェリックは挑発しながら言い返す。
この時のジェリックはマドネーがトムリアに言った言葉にどういうわけか腹を立てており、マドネーを挑発してやりたいと思っていた。
「……あぁ? 今なんつった?」
マドネーはジェリックの方を見ると殺意の籠った目で睨み、睨まれたジェリックは寒気を感じて表情を歪ませる。周りにいる者たちも突然マドネーが態度を変えたことに驚いていた。
「この私が頭がおかしいだぁ? たかが虫けら風情が調子に乗ってんじゃねぇぞ」
「……ッ、調子に乗ってるのはお前だろうが! 何でも自分の思いどおりになると思ってるおめでたい女がふざけたこと言ってんじゃねぇよ」
一瞬マドネーに怯むジェリックだったが、ここで押し負けてはいけないと思いながら言い返した。
マドネーは再び自分を馬鹿にしたジェリックを睨みながら奥歯を噛みしめ、細剣を強く握りながら大きく振る。
細剣が振られたことで剣身に付着していた冒険者の血が飛び散り、近くにいた生徒や冒険者は足元に飛んだ血を見て表情を歪ませた。
「そうかそうか、テメェはそんなに痛めつけられてから死にてぇのか……だったら望みどおり、泣きながら殺してくれって懇願するくらい甚振ってやらぁ」
「……やめた方がいいと思うわよ? いくら混沌士である貴女でも、一人でこの数は相手にして勝つのは無理だわ」
トムリアは視線を動かして自分の周りでマドネーを睨んでいるメルディエズ学園の生徒、冒険者たちを見る。既に広場にいる生徒と冒険者の殆どがマドネーの取り囲むように集まっており、武器を構えていつでも攻撃できる体勢と取っていた。
普通ならトムリアの言うとおり、一人で自分を取り囲む大勢の敵に勝つのは無理だ。しかし、マドネーは焦る様子を見せず、生徒や冒険者たちを鬱陶しそうな顔で見ている。
「ハッ、カスどもが。この程度の数で私に勝てると思ってんのかよ」
マドネーの言葉を聞いて周りにいる生徒や冒険者たちは目を鋭くする。
先程のマドネーの発言は一人でも自分たちを倒すことができる、と言っているのと同じなので生徒や冒険者たちは一人でも勝てると思っているマドネーに腹を立てていた。
「だが、私はお前らを殺して北門と東門を奇襲しないといけねぇんだ。ちゃっちゃと終わらせるためにこっちも数を増やさせてもらうぞ」
周囲を見回したマドネーは細剣を逆手に持つと切っ先を勢いよく足元に突き刺す。トムリアたちはマドネーの行動と言葉の意味が分からずにいたが、マドネーが何か仕掛けてくると予想して警戒心を強くする。
トムリアたちが警戒していると、マドネーの足の下から濃紫色の闇が発生して円形に広がり始める。闇を見たトムリアたちは慌ててマドネーから距離を取った。
マドネーの下から出た闇は半径4mほどの大きさになると止まり、トムリアたちは水たまりのような闇を警戒しながら見つめる。
「な、何だよこりゃ……」
「この紫色のやつ、まるでベーゼの転移門みたいだわ」
トムリアが濃紫色の闇がベーゼの転移門に似ていると話すとジェリックは目を見開きながらトムリアを見た。
「……召喚の扉」
マドネーはトムリアたちを見た後、不敵な笑みを浮かべながら呟く。その直後、闇から十六体のベーゼがせり上がるようにマドネーの周りに現れる。ベーゼたちが現れると足元の闇は静かに消滅した。
現れた十六体の内、六体は黒い両刃の大剣を持った中位ベーゼのフェグッター。残りは下位ベーゼのインファとモイルダーが五体ずつとなっており、マドネーを護るように周りにいる生徒と冒険者たちの方を向いた。
突然現れたベーゼたちにトムリアたちは驚きを隠せずにいる。襲撃してきたベーゼたちは現在、北門と東門を襲撃しているはずなのにレンツイの中に突然現れたのだから無理も無い。しかもベーゼを出現させたのか人間であるマドネーなのだから全員が衝撃を受けていた。
「テメェら、コイツらを殺せ」
マドネーが低い声で命じた瞬間、ベーゼたちは一斉に生徒や冒険者たちに襲い掛かる。メルディエズ学園の生徒たちは向かって来るベーゼを見て武器を構え、冒険者たちも驚きながらも武器を構えた。
広場の中で生徒と冒険者たちは襲ってきたベーゼたちを迎え撃つ。下位ベーゼであるインファとモイルダーは問題無く相手できるが、中位ベーゼであるフェグッターは手強く、大剣による重い攻撃と飛ばされる斬撃に苦戦を強いられていた。
しかし手強いからと言って逃げるわけにはいかず、レンツイを護るために生徒と冒険者たちは全力でベーゼと戦う。
「畜生、まさかこんなことになっちまうなんて!」
「マズイわ、早く何とかしないと」
周りで戦っている仲間の生徒や冒険者たちをトムリアとジェリックは緊迫した表情を浮かべながら見ている。
もし自分たちがやられてしまったらレンツイの人々を危険にさらすだけでなく、北門と東門で戦う仲間たちも背後から襲撃を受けることになる。最悪の事態を避けるためにもトムリアとジェリックは早くベーゼを倒さなくてはいけないと思っていた。
「とにかく、厄介な中位ベーゼを先に片付けねぇとな。……トムリア、お前確か伝言の腕輪を持ってるよな?」
「え? ええ、持ってるわよ」
「ならソイツで会長かクリディック先輩に連絡を入れろ。あと、敵の中に混沌士がいるんだ。救援を送ってもらえないか訊けよ?」
「わ、分かったわ」
トムリアは自分の左腕に嵌められている伝言の腕輪を顔に近づけて救援の連絡を入れようとする。ジェリックはトムリアが連絡を入れられるよう、剣を構えて彼女の護衛に就いた。
(あのマドネーが現れたとなると、一度彼女と接触しているパーシュさんに連絡を入れた方がいいわね。あの人ならあの女の混沌術を知ってるはずだから!)
パーシュがマドネーと戦ったことがあると知っているトムリアは東門にいるパーシュに連絡を入れようとする。連絡を入れてもしも救援を送ってもらうことが可能なら、パーシュか別の混沌士の誰かを派遣してもらいたいとトムリアは思っていた。
ジェリックは構えを崩さずに伝言の腕輪を起動させようとするトムリアを見ている。するとそこへ細剣とコポックを持ったマドネーがゆっくりと近づいて来た。
「何こそこそやってんだよ。周りの連中が必死に戦ってんだ、テメェらも真面目に戦えよな」
『!』
トムリアとジェリックは目を見開きながらマドネーを見つめる。マドネーは歩きながら中段構えを取り、細剣をトムリアとジェリックに向ける。
「テメェらは私がたっぷり甚振ってやるよ。特にそっちのブ男、テメェは楽には殺さねぇから覚悟しろよ?」
「だ、誰がブ男だ!」
マドネーを睨みながらジェリックはトムリアの前に移動してトムリアを護ろうとする。
「アイツは俺が相手をするから、お前はさっさと連絡を入れろ」
「えっ……でも、襲ってこようとしてるんだから、二人で戦った方が……」
「いいから早くやれ!」
剣を両手で強く握りながらジェリックはトムリアの方を向いて声を上げる。声に驚いたトムリアは肩をビクッと動かしてジェリックを見つめた。
ジェリックは自分が連絡を入れられるよう一人で混沌士と戦おうとしている。ジェリックの覚悟と勇気を無駄にしないためにも、自分は急いでパーシュに連絡を入れなくてはいけないと感じた。
「……分かったわ。私が連絡を入れ終わるまで、持ち堪えてよ?」
「へっ、誰に言ってんだよ」
余裕の笑みを浮かべて返事をしたジェリックはマドネーの方を向く。マドネーはジェリックの笑う姿を見て自分に勝てると思っていると感じたのか、小さく舌打ちをする。
「たった一人で私と戦うってぇのか? どこまでも自惚れたガキだなぁ?」
「お前だってガキだろうが」
「ハッ、口の減らねぇクズが。すぐにその余裕を絶望に変えてやらぁ!」
マドネーは地面を強く蹴るとジェリックに向かって走り出し、ジェリックも迎え撃つためにマドネーに向かって行く。
走る速度を落とさず、一気に距離を詰めたジェリックはマドネーに袈裟切りを放って先制攻撃を仕掛ける。だがマドネーは左手に持っている開いたコポックでジェリックの袈裟切りを難なく防いだ。
ジェリックは日傘で自分の攻撃を防いだマドネーを見て思わず目を見開く。マドネーが持つ天子傘コポックは防御魔法が付与されているため、日傘でありながら剣による攻撃を防ぐことができた。
マドネーが持つ日傘が魔法武器であることを知らなかったジェリックは目の前の出来事に衝撃を受け、防御に成功したマドネーは細剣を右から横に振ってジェリックに反撃した。
ジェリックは迫ってきた細剣を見ると後ろの跳んで回避し、右手で剣を握りながら空いた左手をマドネーに向ける。
「石の弾丸!」
魔法を発動させて左手の中に拳ほどの大きさの石を作り出したジェリックはマドネーに向かって石を放つ。石は勢いよくマドネーに向かって行くが、マドネーは先程の袈裟切りと同じようにコポックで石を簡単に防いだ。
剣だけでなく、魔法までも防いだ日傘を見てジェリックはようやくマドネーが持つ日傘が魔法武器だと知る。傘に部分が高い防御力を持っているのなら、仕込まれていた細剣に方は切れ味が良いのではと予想するジェリックは細剣を警戒しながら何とか攻撃を当てなくてはと思った。
ジェリックは剣を構え直すと再びマドネーに向かって走り出し、逆袈裟切りを放って攻撃する。しかしその攻撃もコポックによって難なく防がれてしまう。
攻撃に失敗したジェリックは何とか一撃でもマドネーに攻撃を当てようと連続で剣を振って攻撃するが、全てコポックで防がれた。
「バァカ! そんな攻撃、私のコポックの前じゃ何の意味もねぇんだよ」
必死に攻撃するジェリックをマドネーは笑いながら挑発し、ジェリックは攻撃を続けながらマドネーを睨む。
戦い始めてから一度も攻撃を当てられずにいるため、ジェリックの表情には徐々に焦りが見え始めていた。
後方でジェリックとマドネーの戦いを見ていたトムリアはジェリックが不利な状態にあると知り、伝言の腕輪を使って急いでパーシュに連絡を入れた。
「パーシュさん、聞こえますか!?」
「トムリア? いきなりどうしたんだい?」
伝言の腕輪の向こう側からパーシュの意外そうな声が聞こえてくる。自分と違って後方で待機しているトムリアから突然連絡が入ったのだから意外に思うのも無理はなかった。
「突然ベーゼたちが現れ、現在そのベーゼたちと交戦しています!」
「なっ! どういうことだい!? アンタたちは今、街の中にある広場で待機してるはずだろう。どうしてベーゼと戦ってるんだい!」
予想外の報告を受けたパーシュは驚きの声を上げながら確認する。トムリアは伝言の腕輪を顔に近づけたまま周囲を見回した。
「私たちは指定された広場でずっと待機していました。そしたら、そこに例のベーゼに協力する混沌士、マドネーが現れたんです」
「何ぃ!?」
再び伝言の腕輪からパーシュの驚きの声が聞こえてくる。以前マドネーと遭遇し、戦ったことあるパーシュはマドネーが今レンツイにいると知って驚愕していた。
「そのマドネーが魔法みたいなのを使ってベーゼを召喚しました。数は十六体でその内の六体は中位ベーゼです」
「何てことだ……それで、今はどんな状況なんだい?」
「皆、必死に戦っていますが、奇襲されたせいか半分近くの人は上手く戦えてない状態です」
表情を曇らせながらトムリアは周りで戦っている生徒や冒険者たちを見る。
数はトムリアたちの方が上だが奇襲されたことで殆どの生徒と冒険者が動揺しており、全力で戦えない状態だった。既に数人の生徒と冒険者が負傷している。
「それで、マドネーは今どうしてるんだい?」
「今、ジェリックが相手をしています」
「まさか、一人で相手してるのかい!? ならすぐに下がらせな。アイツはあたしがユーキやフレードと一緒に戦っても苦戦する相手なんだ!」
「えっ!?」
メルディエズ学園の上位の実力を持つパーシュたちが数人で挑んでも手こずる相手だと知ったトムリアは驚く。そんな相手に自分たちが勝てるはずないと考えるトムリアは一気に不安と恐怖に呑まれる。
自分たちが危機的状況に立たされていると知ってトムリアは小さく震えながら黙り込む。伝言の腕輪の向こう側ではパーシュがトムリアの状況を察したのか、力の入った声で語り掛けた。
「アンタたちは護りに専念しな! あたしも何人か連れてそっちに行くから」
「わ、分かりました……」
不安に思うトムリアは小さな声で返事をする。
「しっかりしな! 弱気になったらすぐにやられるよ」
声を聞いてトムリアの士気が低下していることを知ったパーシュは力の入った声を活を入れる。
パーシュの声を聞いたトムリアはフッと反応し、戦場で戦意を失えば最悪の結果になることを思い出すと気を引き締めるために自分の頬を左手で叩いた。
「とにかく、すぐにそっちへ向かう。あたしらが行くまで持ち堪えるんだよ!」
「ハ、ハイ!」
トムリアが返事をすると伝言の腕輪の水晶の光が消えた。パーシュとの通話が終わるとトムリアは言われたとおり、パーシュが来るまでなんとか時間を稼ごうとする。
「ぐあああぁっ!」
突如ジェリックの叫び声が聞こえ、トムリアはジェリックの方を向く。そこには片膝をつき、左手で右上腕部を押さえているジェリックと笑いながらジェリックを見下ろすマドネーの姿があった。
ジェリックの右上腕部には小さな切傷が付いており、トムリアはジェリックがマドネーに斬られたのだと知った。ただ切傷は小さく殆ど出血もしていない。
重傷とは思えない傷にもかかわらず深い傷を負ったように声を上げたジェリックを見てトムリアは不思議に思っていた。
「アハハハハッ! どうしたぁ、そんな小さな傷で情けない声を上げるなんて見っともねぇなぁ~?」
「クウゥッ!」
痛みで表情を歪ませながらジェリックは目の前で大笑いするマドネーを睨む。
確かにマドネーの言うとおり小さな傷で声を上げるのはおかしいことだと言える。しかし、ジェリックは実際に腕の傷からは想像もできない激痛を感じていた。
「お、お前……いったい何しやがったんだ?」
「ああぁ? んなこと訊かれ、答えると思ってんのかよっ!」
マドネーは力の入った声を出しながらジェリックの胸部に向かって蹴りを入れた。蹴りを受けたジェリックは後ろに飛ばされて仰向けに倒れる。
「がああああぁっ!?」
胸部から伝わる痛みにジェリックは再び声を上げて蹴られた箇所を押させる。この時、ジェリックは胸部を大きめのハンマーで殴られたような痛みを感じていた。
苦しむジェリックを見たトムリアは驚愕しながらジェリックに駆け寄る。倒れるジェリックを心配しながらトムリアは何が起きたのか考えた。
マドネーは体が細く、ただの蹴りで相手に大ダメージを与えるほどの筋力を持っているとは思えない。筋力が原因でないのなら、他に理由があると推測したトムリアはマドネーの方を向いて変化が無いか確認する。
するとマドネーの右手の甲と細剣が薄っすらと紫色の光っているのが目に入り、トムリアはジェリックの痛みの原因はマドネーの混沌術にあるのではと考えた。
「貴女、混沌術でジェリックに何かしたの?」
トムリアはマドネーを警戒しながら問い掛ける。マドネーはジェリックの隣で立っているトムリアを見ながら小さく鼻で笑った。
「その様子だと、私の混沌術の能力は知らねぇみてぇだな。パーシュから詳しく聞いてねぇのかよ、馬鹿な奴らだなぁ?」
傲慢な態度を取るマドネーに苛立ちを感じながらもトムリアは冷静に情報を集めようとする。
マドネーの情報はパーシュからメルディエズ学園の教師や生徒会に伝わり、そこから生徒たちの伝わった。
しかし、生徒全員がマドネーの情報の全てを知っているわけではないため、生徒の中にはマドネーの混沌術の能力を知らない者もいる。トムリアとジェリックもマドネーの存在は聞かされていたが、混沌術の情報は知らなかったのだ。
「本来なら教えてやる義理はねぇんだが、そのブ男の苦しむ面が見れて気分がいいから、特別に教えてやらぁ」
不敵な笑みを浮かべるマドネーはトムリアを見ながら自分の右手の甲に入っている混沌紋を見せた。
「私の混沌術は苦痛、ありとあらゆる痛みを操ることができる能力だ。混沌術を発動すれば、かすり傷で感じる軽い痛みも猛獣の爪で引き裂かれたような激痛になる。そこのブ男も苦痛の力で激痛を感じてたんだよ」
マドネーの説明を聞いたトムリアはジェリックが腕を斬られた時や胸部を蹴られた時に強い痛みを感じていたのは苦痛で痛みを増幅していたのだと知って固まる。
苦痛を発動していれば、とにかく攻撃を当てるだけで相手を苦しめることができるため、トムリアはマドネーが予想していた以上に厄介な相手だと分かり、同時にパーシュが苦戦したことに納得した。
とんでもない混沌術を持つマドネーとどのように戦えばいいのだ、トムリアが焦りを感じながら対抗策を考える。だがその時、マドネーが地面を強く蹴ってマドネーの目の前まで跳んだ。
いきなり目の前まで近づいたマドネーにトムリアは目を大きく見開く。
「さぁて、テメェはどんな風に泣き喚いてくれんだ?」
不気味な笑みを浮かべるマドネーは細剣の切っ先を驚いているトムリアに向けて勢いよく突きを放った。




