第百九十六話 東国を荒らす者
ローフェン東国の北部にある平原、夕日によって空と平原は薄っすらとオレンジ色に染まり、夜が近づいて来ていることを物語っている。そんな平原の中で無数のテントがあり、その周りには二十数人の武装した男たちの姿があった。
武装した男たちはローフェン東国軍の兵士たちで青銅色のスケイルアーマーと同じ色の兜、槍や剣を装備していた。東国兵たちは荷馬車に積まれている荷物を下ろしたり、もうすぐ食べることになる夕食の準備などを進めている。彼らはとある任務で平原に来ており、今は野営の準備をしている最中だった。
東国兵の半分は野営地の中で作業をしており、残りの半分はモンスターなどが近づいて来ていないか野営地の周りを見張っている。
野営地がある平原は広くて近くに森や林も無いため見通しが良く、もしモンスターが近づいて来たらすぐに気付ける場所だった。だが東国兵たちは見通しが良いからと言って気を抜いたりせず、真面目に周囲を見張っている。
「もうすぐ夜になる。あと少ししたら篝火の用意をした方がいいな」
「ああ、そうだな」
野営地の東側で見張りをしている中年の東国兵と若い東国兵は槍を握りながら辺りを見回す。彼らの言うとおり周囲は少しずつ暗くなっており、あと一時間もすれば暗闇に包まれる状況だった。
「できることなら暗くなる直前に見張りの交代をしたいんだけどなぁ」
「同感だ。誰だって暗い中、見張りをしたり夜襲の警戒をするのは嫌だからな」
若い東国兵に同意する中年の東国兵は笑い、それを見て若い東国兵も楽しそうに笑う。
「お前たち、何を笑っている」
東国兵たちが笑っていると背後から男の声が聞こえ、声を聞いた二人は驚きながら振り返る。そこには短髪で顎髭を生やし、東国兵たちと同じ青銅色のスケイルアーマーを装備して青いマントを羽織った騎士が立っていた。
騎士は東国兵たちを見つめながら仁王立ちしており、騎士の顔を見た東国兵たちは僅かに表情を歪ませる。
「まだ野営の準備は終わっておらず、警備に回せる人員も少ない状態なんだ。ふざけていないで真面目に見張れ」
「す、すみません」
注意された中年の東国兵は頭を下げて謝罪し、若い東国兵も遅れて頭を下げる。東国兵たちの様子から、注意した騎士が平原にいる東国兵たちの隊長のようだ。
頭を下げる東国兵たちを見た騎士は軽い溜め息をつきながら「やれやれ」と言いたそうに首を横に振る。東国兵たちは顔を上げて騎士の反応を見ると複雑そうな表情を浮かべた。
「と、ところで、我々はどうしてこんな遠くまでやって来たのですか?」
重苦しい空気をどうにかしようと思ったのか、若い東国兵は騎士に自分たちの任務について尋ねる。騎士は東国兵の質問を聞くと軽く目を見開いて東国兵の方を向いた。
「お前、説明をちゃんと聞いていなかったのか?」
任務の内容を理解していない東国兵に騎士は低い声で尋ねる。東国兵は騎士が低い声を出したことで機嫌を悪くしてしまったのではと感じ、焦ったような表情を浮かべた。
「じ、実は説明を聞いている時に腹の調子が悪くなって便所へ行ったんです。それで、途中までしか話を聞いていなかったもので……」
「他の兵士に訊けばよかっただろう?」
「す、すみません」
更に場の空気を悪くしてしまったと感じた若い東国兵は暗い顔で俯き、隣にいる中年の東国兵も呆れたような顔で若い東国兵を見つめている。どうして自分と見張りをしている時に任務の内容を訊かなかったのだ、中年の東国兵は心の中でそう思っていた。
騎士は若い東国兵をしばらく見つめると疲れたような顔をしながら再び溜め息をついた。
「……まぁいい。確認も兼ねて説明してやろう」
効率よく任務を熟すためにも理解していない東国兵に自分たちのやるべきことを話そうと考えた騎士は東の方を見ながら静かに口を動かす。
「最近、この辺りで幾つもの村が襲撃を受けて壊滅しているという知らせが入った。その原因の調査と襲撃した犯人を捕縛、もしくは討伐をするのが我々の任務だ」
騎士の話を聞いて中年の東国兵は真剣な表情を浮かべ、暗い顔をしていた若い東国兵も真面目に騎士の話に耳を傾けた。
ことの発端は今から十日前、ローフェン東国の北部にある小さな村が何者かの襲撃を受け、その村に住む村人が皆殺しにされた。その後も最初に襲撃された村の近くにある別の村が立て続けに襲われ、既に多くの犠牲者が出ている。
襲撃された村は全て町から遠く離れた所にあったため、東国軍は村が襲撃されたことにすぐに知ることができなかった。
短い間に幾つもの村が襲撃されたことで流石に只事ではないと多くの国民が感じるようになり、ローフェン東国の貴族たちもこのまま放っておくわけにはいかないと考え、襲撃された村から最も近くにある“レンツイ”と言う都市に駐留する東国軍は村を襲った犯人の調査と捕縛を命じた。
レンツイの東国軍は指令を受けるとすぐに部隊を東国の北部に派遣した。現在、野営の準備をしている東国兵たちがその派遣された部隊だ。
「この十日の間で既に四つの村が襲撃され、多くの村人が殺されている。運よく生き残った者もいたそうだが、その殆どが重傷を負っており、会話をすることもできない状態らしい」
「改めて聞くと恐ろしいですね。たった十日で四つの村を壊滅させ、村人の殆どを手に掛けたのですから……」
騎士の話を聞いていた中年の東国兵は軽く俯き、村を襲った犯人が非常に冷酷な存在だと感じる。若い東国兵も詳しい話を聞いて僅かに表情を歪ませていた。
「それで、村を襲った犯人はどんな奴なのですか? 短時間で四つの村を襲撃したんですから、やっぱり大規模な盗賊団か何かでしょうか?」
若い東国兵が村を襲撃した犯人について騎士に尋ねると、騎士は難しい顔をしながら首を横に振った。
「いや、襲撃された村を調べた部隊によると犯人は人間でない可能性が高いらしい」
「人間じゃない?」
「ああ、村人の遺体や民家に人間では付けられない傷が幾つもあったそうだ。遺体には刃物で付けられた切傷以外に噛み傷や引っ掻き傷があり、民家にも人の力では付けられない大きな凹みなどがあったようだ」
「それでは、盗賊ではなくモンスターの仕業ですか?」
人間の仕業でないのなら、ゴブリンのような武器を扱えるだけの知能を持ったモンスターやオーガのような力のあるモンスターの群れが村を襲ったのではと東国兵たちは考える。すると騎士は東国兵たちを見ながら再び首を横に振った。
「いや、モンスターの群れと言う可能性も低い」
騎士が東国兵の予想を否定すると東国兵たちは意外そうな顔で騎士を見る。
「確かにモンスターは人間と比べて力はあるが、その分頭が悪い。犯人は村を襲撃した後、すぐに別の村を見つけてそこを襲撃している。頭の悪いモンスターたちが村を襲撃した直後に別の村を襲撃しようと考えるとは思えない」
「言われてみればそうですね」
中年の東国兵は騎士の推理を聞いて納得する。若い東国兵も知能の低いモンスターが短い間に複数の村を連続で襲撃できるとは思えず、難しい顔で犯人はどんな存在なのか考えた。
「……いったい、どんな奴が村を襲撃したんだ?」
「盗賊団でもモンスターの群れでもない……となると、あと考えれるのは……」
深刻な表情を浮かべながら呟く中年の東国兵を若い東国兵と騎士が見つめる。二人は中年の東国兵の様子から彼が犯人の正体について何か気付いたのではと感じていた。
若い東国兵と騎士は中年の東国兵から犯人の正体について尋ねようとした。だがその時、遠くから別の東国兵の声が響く。
「おーい! 北東の方から何かの集団が近づいて来るぞぉ!」
仲間の声を聞いて騎士と東国兵たちは反応して一斉の北東を見る。夕食の準備や他の場所を見張っていた東国兵たちも一斉に緊迫した表情を浮かべて北東を向いた。
今部隊がいる平原は襲撃された村の近くであるため、東国兵たちは近づいて来ている集団が村を襲った犯人かもしれないと思っていた。もし犯人だったら間違い無く戦闘になると感じている東国兵たちは持っている槍や剣を握り、走って野営地の北東へ向かう。
「お前たちも北東へ向かって迎撃の準備をしろ。現状から近づいて来ているのは村を襲撃した犯人である可能性が高い。気を抜くな?」
『ハイ!』
騎士に命じられた中年の東国兵と若い東国兵は返事をすると北東に向かって走り、騎士も他の東国兵たちの指示を出すために野営地の中へ入っていった。
野営地の北東では十人以上の東国兵が槍を構えながら真剣な表情で北東を見つめていた。剣を持っている東国兵たちは槍を持つ仲間の後ろで剣を構えながら待機している。構える東国兵の中には騎士と話をしていた中年の東国兵と若い東国兵の姿もあった。
辺りは少しずつ暗くなり始めており、遠くにいる集団の姿はハッキリと確認することができなくなっている。だが、東国兵たちは不安を一切見せず、近づいてきている集団を迎え撃つために武器を持つ手に力を入れた。
薄暗い中、東国兵たちは構えを崩さずに謎の集団が近づいて来るのを待つ。やがて集団が薄暗い中でも確認できる所まで近づき、東国兵たちは集団の正体を確認する。だが、正体を確認した瞬間、東国兵たちは驚きの表情を浮かべた。東国兵たちが目にしたのはベーゼの集団だったのだ。
ベーゼの群れは平原の中を走って野営地へ向かってきていた。ベーゼの大半は下位ベーゼのインファとモイルダー。蝕ベーゼのベーゼゴブリン、ベーゼオーガ、村人の姿をしたベーゼヒューマンとなっている。群れの上空にはルフリフが飛んでおり、全てのベーゼは威嚇するかのように鳴き声を上げていた。
「あ、あれはベーゼ! どうしてこんな所に!?」
「やはり、村を襲っていたのはベーゼだったか」
驚く若い東国兵の隣で中年の東国兵は表情を険しくしながらベーゼを睨みつける。
中年の東国兵は騎士の話を聞いて犯人はモンスターと同等の力を持ち、人間のように連携の取れた行動ができる存在だと考え、そのどちらも持っているベーゼが犯人ではないかと予想していたのだ。そして、予想していたとおりベーゼが現れたことで村を襲っていたのはベーゼだと確信した。
「なんて数なんだ。飛んでいる奴らを含めても三十体はいるぞ!」
「マズいぞ、こっちは奴らよりも数が少ない。戦えば確実に不利になるぞ」
戦力の違いを知った東国兵たちはベーゼの群れを見ながらざわつき出す。だが、中には冷静さを保っている者もおり、そんな東国兵たちはベーゼの群れを睨みながら武器を構え続けた。
東国兵たちがベーゼの群れを見て驚いていると隊長である騎士が剣を持って合流する。騎士は東国兵たちが驚いているのを見て一瞬不思議そうな顔をするが、遠くから迫って来るベーゼを見てすぐに表情を鋭くした。
「ベーゼの群れ! ……まさか、村を襲っていたのは奴らだったのか」
「隊長、どうしましょう!? あっちはこちらよりも数が多いですよ!?」
東国兵の一人が少し取り乱した様子で騎士に尋ねる。周りにいる他の東国兵たちも騎士を見ながら不安を露わにしていた。
騎士は不安を露わにする東国兵たちを見ると静かに深呼吸をしてから東国兵たちを見る。
「落ち着け! 数ではこちらが劣っているが、決して勝てない数ではない。バラバラにならず、数人で班を作って戦うんだ」
隊長である自分まで冷静さを失っては部隊は崩壊してしまう。そう思った騎士は落ち着いて東国兵たちを見ながら指示を出した。
騎士の指示を聞いたざわついていた東国兵たちは少しずつ冷静さを取り戻して現状を確認する。確かに数はベーゼたちの方が若干多いが勝てる可能性は十分あった。東国兵たちは自分たちなら勝てると心の中で呟きながら武器を構え直す。
東国兵たちの士気が回復したのを見た騎士はもう一度ベーゼの群れの方を見る。地上を走るベーゼたちと空を飛ぶルフリフたちの数を素早く確認した騎士は再び視線を東国兵たちに向けた。
「槍を持つ者は前に出て近づいて来たベーゼたちを迎え撃て。剣を持つ者は槍を持つ者を援護。弓を使う者は奴らに狙いを定め、合図をしたら一斉に放て!」
騎士が命令すると東国兵たちはベーゼを迎撃するため、すぐに行動を開始した。
槍を持つ者たちは前に出ると横一列に並んで槍を構え、剣を持つ者たちはその後ろで剣を構えて待機する。更にその後ろでは弓矢を持つ者たちが空に向かって弓矢を構えた。
二十人以上の東国兵が陣形を組み、迎撃する準備が整うと騎士は少しずつ距離を詰めて来るベーゼを見つめる。陣形が組んだのならすぐに攻撃するよう命令するべきだが、いきなり攻撃を仕掛けるのは得策とは言えない。まずは敵の位置を確認し、慌てずに少しずつ数を減らして自分たちが有利に戦える状況を作るべきだと騎士は思っていた。
騎士は鳴き声を上げながら近づいて来るベーゼを無言で見つめ、東国兵たちは微量の汗を掻きながら騎士の命令を待つ。やがてベーゼの群れが一定の距離まで近づき、それを見た騎士は大きく目を見開いた。
「放てぇっ!」
全ての東国兵に聞こえるような声で騎士が大きな声で叫ぶと弓矢を持つ東国兵たちは一斉に矢を放った。
矢は全て一直線にベーゼに向かって飛んで行き、前の方にいるインファやベーゼゴブリン、ベーゼヒューマンの頭部や胴体、手足に命中する。
胴体と手足に矢を受けたベーゼたちは怯みはしたが、動きを止めることなく野営地に向かって走り続ける。頭部に矢を受けたベーゼは崩れるように倒れて黒い靄と化して消滅した。
空を飛んでいるルフリフの何体かにも命中したが、全て足や胴体に命中したため、倒すことはできていない。最初に放った矢で倒せたベーゼは僅か五体だった。
「弓兵は矢を放ち続けろ。残りは近づいて来たベーゼたちを迎え撃て。先程も言ったように一人で戦うな、数人で協力して戦うんだ!」
騎士の指示を聞いた東国兵たちは武器を強く握りながらベーゼを睨みつけた。その直後、ベーゼたちは東国兵たちに近づき、剣や爪、手斧などで東国兵たちに襲い掛かろうとする。だが、槍を持つ東国兵たちはベーゼたちが攻撃する前に一斉に槍を突き出して先に攻撃を仕掛けた。
槍はインファ、モイルダー、ベーゼヒューマンの体を貫いてダメージを与えた。しかしベーゼたちは槍に貫かれても何事も無かったかのように東国兵を見て反撃しようとする。すると、槍を持つ東国兵の後ろで待機していた剣を持つ東国兵たちが一斉に槍を受けたベーゼたちを斬った。
剣はベーゼの首を刎ねたり、胴体に深く斬ったりなどして致命傷を与え、斬られたベーゼたちは黒い靄と化して消滅する。
仲間たちと連携してベーゼを倒すことに成功した東国兵たちは少しだけ余裕の笑みを浮かべる。この調子で一体ずつ確実にベーゼたちを倒していこうと東国兵たちは思っていた。
だがその時、前に出ているインファたちの後ろから体の大きなベーゼオーガが前に出て東国兵たちを見下ろす。そして、持っている丸太の棍棒を振り下ろして攻撃してきた。
ベーゼオーガの棍棒を見た東国兵たちは慌てて回避行動を取る。殆どの東国兵は回避できたが、槍を持っていた東国兵が二人、丸太の棍棒で叩き潰されてしまった。
潰された東国兵の体からは血が飛び散り、近くにいた東国兵やベーゼたちの体に掛かる。東国兵たちは味方の血が掛ったことで表情を歪ませるが、ベーゼたちは気にせずに東国兵たちに向かって行く。
ベーゼオーガの攻撃で東国兵たちの陣形は崩れてしまい、その隙をついてベーゼたちは東国兵たちに襲い掛かる。
東国兵たちは騎士に言われたとおり、二人以上で班を作って応戦するがベーゼの猛攻に押されて態勢を立て直すことができない。しかも陣形が崩れたことと、目の前で仲間が殺されたことで士気も低下し、東国兵は押し返すことができないまま野営地の中へ後退していく。
野営地の中で東国兵たちはベーゼたちと激しい攻防を繰り広げていた。押されながらも東国兵たちはベーゼを倒していくがベーゼの勢いは弱まらず、東国兵側にも少しずつ被害が出始める。
インファの剣で斬られる者やモイルダーの爪で切り裂かれる者、飛んでいるルフリフに気を取られ、その隙に別のベーゼの攻撃を受けてしまう者など、一人また一人東国兵たちは命を落としていく。
「クソォ、こんなことになるとは……」
剣を構える騎士は部下である東国兵たちがやられる光景を見て表情を歪ませる。最初は互角の戦いを繰り広げていたのに今は自分たちが押され、仲間が一人ずつ殺されている現実に騎士は驚きを隠せなかった。
なぜこんな状況になってしまったのか、騎士は俯きながら奥歯を噛みしめる。そんな騎士に一体のモイルダーが正面から跳びかかり、右手の爪で襲い掛かって来た。
モイルダーに気付いた騎士はフッと顔を上げ、剣でモイルダーの爪を払うと素早く逆袈裟切りを放って反撃する。
体を斬られたモイルダーはよろめき、騎士は隙を見せたモイルダーに向かって剣を振り下ろした。顔と胴体を斬られたモイルダーは後ろに倒れ、仰向けになると消滅する。
「クッ! このままでは全滅だ。何とかしなくては……」
戦いを続ければ確実に全滅すると感じた騎士は剣を構え直し、何とか撤退しようと思っていた。だが、近くにベーゼがいる状況で撤退してもすぐに追いつかれて背後から攻撃を受けることになる。そうなれば東国兵たちは全員殺されてしまう。
「今の状態では撤退は難しい。無事に撤退するためにもなんとかベーゼたちに隙を作らせなくては……」
周りにいるベーゼたちを見ながら騎士はどうするか考える。すると、左の方から東国兵たちの叫ぶ声が聞こえてきた。
「どうした!?」
騎士が声の聞こえた方を向くと、十数m先で数人の東国兵が驚きの表情を浮かべながら四体の獣のモンスターと向かい合っている姿が目に入る。獣のモンスターは狼のような姿をしており、麹塵色の体毛を生やして口からヨダレを垂らしながら唸り声を上げている。
東国兵たちは狼に似たモンスターを見ながら槍を構えてゆっくりと後退する。モンスターの唸り声と姿に小さな恐怖を感じているようだ。
「何だ、まさかベーゼ化した狼か?」
「いいえ、あれはデイゴストです」
狼に似たモンスターを見ていた騎士に近くにいた剣を持つ東国兵たちが声を掛け、騎士は東国兵の方を向く。
「分かるのか?」
「ええ、狼よりも体が大きく、耳の形とかも若干違いますので。恐らくゴブリンたちと同じようにベーゼに変えられたのでしょう」
騎士は知能の高いデイゴストがベーゼ化していることに内心驚き、同時に新たに蝕ベーゼが現れたことで自分たちが更に危機的状況に立たされてしまったと知って奥歯を噛みしめた。だがベーゼたちはそんな騎士たちの都合など気にもせず、東国兵たちに襲い掛かる。
新たに現れたベーゼデイゴストは目の前にいる東国兵たちに近づくと唸り声を出しながら近くにいる東国兵が持っている槍に噛みつく。
東国兵は槍を振ってベーゼデイゴストを振り払おうとするが、嚙む力が強くて離れない。一向に放れないベーゼデイゴストに東国兵は表情を歪ませる。その時、別のベーゼデイゴストが東国兵の左前腕部に噛みついた。
「ぐあああぁっ! は、放せぇ!」
腕の痛みに声を上げる東国兵は左腕を振ってベーゼデイゴストを振り払おうとするが、槍に噛みついている個体と同じように噛む力が強いため、放れようとしなかった。それどころかベーゼデイゴストは少しずつ噛む力を強くしていく。
「お、おい! コイツを何とかしてくれ!」
東国兵は近くにいる仲間に助けを求めようとする。だが仲間の東国兵たちが助ける前に残っている二体のベーゼデイゴストが東国兵に跳びついて押し倒し、倒れた東国兵の足や喉に噛みついた。
「ぎゃあああああああぁっ!!」
倒れる東国兵は痛みと恐怖で断末魔を上げるが、ベーゼデイゴストはそんな東国兵の体を容赦なく噛み千切っていく。近くにいる他の東国兵たちは仲間が餌食になる姿を見て青ざめていた。
通常、蝕ベーゼとなった生物は力が増すのと引き換えに知能が低下し、本能だけで行動するようになる。そのため、蝕ベーゼが他のベーゼと連携を取って戦うのは難しい。しかしデイゴストは元々知能が高く、仲間と連携を取って狩りをするモンスターであるため、ベーゼ化しても仲間と連携を取れるだけの知能が残っているのだ。
東国兵が息絶えるとベーゼデイゴストたちは怯えている東国兵たちの方を向いて目を光らせる。ベーゼデイゴストと目が合った東国兵たちは怯えながら武器を構えた。
だがそこへ数体のインファとベーゼヒューマンが近づき、怯えて隙だらけになっている東国兵たちを剣や手斧で攻撃してきた。
隙を付かれた東国兵たちは防御も回避もできず、まともに攻撃を受けてその場で崩れるように倒れてしまう。
「クソォ!」
騎士は東国兵が無惨に殺される姿を見ながら悔しさを感じる。だがそれ以上に隊長でありながら部下たちを死なせてしまった自分を情けなく思っていた。
最初はベーゼたちの隙を見て撤退しようと思っていたが、隙ができるまで待っていたら全滅してしまうと騎士は確信する。これ以上、仲間を死なせないためにもすぐに撤退するべきだと考える騎士は生き残っている東国兵たちに今すぐ撤退するよう指示を出そうと思っていた。
ただ、騎士は撤退することを考えると同時に北部で村を襲っていたのがベーゼであることをレンツイに報告しなくてはいけないと思っていた。もし撤退に失敗し、部隊が全滅してしまえば今後も起きるかもしれない村の襲撃の対処ができなくなる。
何よりもベーゼたちがレンツイに攻めてくる可能性もあるため、騎士は何としてもベーゼの情報をレンツイにいる仲間たちに知らせなくてはいけないと考えていた。
騎士はベーゼの情報をレンツイに届ける方法を考えながら周囲を見回す。すると、野営地の外に自分が移動で使っていた馬がいるを見つける。馬を見た騎士は再び周囲を見回し、近くで弓矢を構える東国兵を見つけて近づいた。
「おい、私の馬を使ってレンツイに戻り、村を襲撃していたのがベーゼだったこと、奴らがレンツイを攻める可能性があることを知らせに行くんだ」
「えっ、自分がですか?」
「そうだ。軽装のお前が乗れば馬も速く走れるはずだ。急いでレンツイへ行け」
「そ、それなら自分よりも隊長の方が……」
東国兵は隊長である騎士がレンツイに向かうべきだと不安そうな顔で語る。すると騎士は遠くで東国兵たちと戦うベーゼの方を向いた。
「私は残って兵士たちに指示を出してから撤退する。隊長である私が仲間を残して戦場を離れるわけにはいかん」
「で、ですが……」
「命令だ、早く行け!」
騎士は東国兵に背を向け、ベーゼたちを睨みながら剣を構える。東国兵はしばらく無言で騎士の背中を見つめていたが、騎士の覚悟を無駄にしないためにも行かなくてはいけないと思い、持っている弓矢を捨て、騎士に背を向けて走った。
東国兵は馬に乗るともう一度騎士を見てからレンツイに向かって馬を走らせる。騎士は東国兵が乗る馬が小さくなったのを確認すると周囲を確認した。
野営地には大量のベーゼが侵入しており、既に東国兵たちにも多くの戦死者が出ていた。
「全員、撤退しろ! レンツイを目指して全力で走れ。ベーゼたちを振り切るまで休まずに走り続けるんだ!」
騎士の言葉を聞いた東国兵たちはベーゼたちを警戒しながら言われたとおり撤退を始めた。
いきなり背を向けて走れば背後から斬られる可能性があったため、後退して距離を取り、ある程度距離を取ってから全速力で走り出す。勿論、野営地にある物資などには目もくれず、走ることだけ考えた。
しかしベーゼたちもみすみす敵を逃がすつもりなど無く、撤退する東国兵たちの後を追っていく。
撤退する東国兵とそれを追うベーゼたちを見た騎士は舌打ちをした後、目の前にいるベーゼたちの方を向いた。
「お前たちの相手は私だ! かかって来い!」
騎士はベーゼたちに向かって大きな声を出し、近くにいるベーゼたちは騎士に視線を向ける。騎士はこの時、自分はすぐに撤退せず、ギリギリまで戦い続けてベーゼたちを引きつければ東国兵たちが逃げ切る確率が少しは上がるだろうと思っていた。
(既に後を追っているベーゼどもは無理だが、まだ野営地に残っている奴らだけでも足止めする!)
隊長として部下である東国兵たちを護ろうと決意する騎士は剣を構えながら周りにいるベーゼたちを睨む。ベーゼたちは騎士を見つめながら威嚇するように鳴き声を上げ、じわじわと距離を縮めていく。
騎士は素早くベーゼたちの立ち位置を確認すると一番近くにいるインファに向かって踏み込み、勢いよく剣を振り下ろした。
剣はインファの左肩を切り、斬られたインファは鳴き声を上げながら怯む。その隙をついて騎士は右から剣を横に振り、インファの首を刎ねた。頭部を失ったインファは首から血を吹く出しながら倒れ、黒い靄と化す。
インファを倒した騎士は次のベーゼを攻撃しようと構え直す。しかしその直後、ベーゼデイゴストが騎士の左足首に噛みつく。
足の痛みに騎士は奥歯を噛みしめるが、痛みに耐えながら剣を逆手で持ち、ベーゼデイゴストの頭部を刺した。
頭部を刺されたベーゼデイゴストは即死して黒い靄となり、騎士の左足も解放される。
ベーゼデイゴストが消滅したことで痛みは和らいだが痛みは消えておらず、騎士は痛みに耐えながら剣を順手に持ち替えて体勢を整えようとする。その時、今度は騎士の右側から短剣を持ったベーゼヒューマンが近づき、短剣で騎士を攻撃してきた。
騎士はベーゼヒューマンに気付くと慌てずに剣で短剣を防いで反撃しようとした。だが短剣を防いだ直後、背後から二体のインファが槍で騎士の右腕と腰を貫く。
「がああぁっ!」
不意を突かれた騎士は痛みで声を上げながらよろけてしまう。そんな騎士に一体のベーゼオーガが近づき、持っていた丸太の棍棒で騎士を攻撃する。
棍棒の直撃を受けた騎士は大きく飛ばされ、停められていた荷車に叩きつけられる。粉々にされた荷車の中で騎士は仰向けになっており、額や鼻から血を流していた。
「がぁ……なんて、攻撃だ……」
ベーゼオーガの強烈な一撃に驚く騎士は掠れた声を出す。重い攻撃を受けたせいで体中に痛みが走り、手足もまったく動かない。騎士は自分の体の状態からもう戦えないと感じていた。
騎士は仰向けのまま、自分が相手をしていたベーゼたちを見る。ベーゼたちは倒れている騎士に近づいて来ており、その中には騎士を背後から攻撃した二体のインファの姿もあった。
二体のインファは騎士の前までやって来ると槍を逆手に持って槍先を騎士に向ける。騎士は自分に止めを刺そうとしているインファを見るとどこか悔しそうな表情を浮かべた。
「……ここまでか。できることなら……私も逃げ切り……たかったのだが、な……」
インファたちを睨みながら騎士は呟く。この時の騎士は殺されることに対して恐怖を感じておらず、逃げた東国兵たちが無事にレンツイに戻ってくれることだけを祈っていた。
騎士が東国兵たちの無事を願う中、インファたちは槍を勢いよく振り下ろして騎士に止めを刺した。
ベーゼたちは騎士が戦死した後、東国軍の野営地の中を調べたり、生き残った東国兵がいないか確認する。他にも撤退した東国兵たちを追うベーゼもおり、その姿はごく普通の軍隊と同じだった。
「ウフフフフ♪ さっすが優秀な家来たちねぇ~」
東国軍の野営地から少し離れた所で野営地の中にいるベーゼたちを見ている人影があった。
赤い目を持ち、濃い橙色のショートボブヘアの後頭部に赤い大きなリボンをつけ、白、橙、黄色の三色が入った肩出しドレスを着て薄い黄色の日傘を差している少女。ベーゼの幹部である五凶将の一体、マドネー・アマリアナことヴァーズィンだった。
「此処までは順調に人間たちの村を滅ぼせてるわねぇ~。このまま人間たちの拠点を襲ってそこにいる奴らを皆殺しにすれば、蝕ベーゼの素材や家来たちの餌を沢山確保できるわ~。こんなに都合よくことが運ぶなんて、なんかコワァ~い♪」
マドネーは満面の笑顔を浮かべながら持っている日傘、天子傘コポックを回して楽しそうに喋る。彼女の発言から、ローフェン東国北部の村を襲っていたベーゼの群れはマドネーが指揮していたようだ。
「フフフフ、このままこの辺りにある人間どもの村や町をぜ~んぶ滅茶苦茶にしちゃおっと……虫けらどもがどんな声で泣き叫ぶのか、とぉ~っても楽しみぃ~♪」
東国軍の野営地を見つめながらマドネーは不気味な笑みを浮かべた。
本日から第十二章の投稿を始めます。
前回と違って長めになると思います。これまでと同じように一定の間隔を空けて投稿するつもりです。
面白い内容にしていこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。




