第百八十一話 邪悪教祖との死闘
大広間の空気が張り詰める中、ユーキとヴェラリアはイェーナを睨む。一方でイェーナは両腕を下ろし、二本の触手を揺らしながら二人を見つめている。
身構えていないイェーナは傍から見れば無防備だと思われるが、触手があるため構えなくても迎撃できる状態だった。
ユーキとヴェラリアは触手が危険だと分かっているため、構えていなくても隙が無いと感じており、イェーナがどのように動くか予想しながら様子を窺っている。
(今のイェーナで最も警戒するべきなのは背中の触手だな。イェーナ自身は戦闘経験がゼロのはずだから例えベーゼ化して力が強くなったとしても脅威とは言えない。それならあの二本の触手を切り落とすか、触手を避けながらイェーナに近づいて攻撃すればいい)
イェーナ自身よりも触手の方を警戒するべきだと考えたユーキは月下と月影を強く握る。隣にいるヴェラリアもユーキと同じようにイェーナより触手の方が危険だと感じており、イェーナだけでなく触手の動きにも注意した。
「どうしました? 掛かって来ないのですか?」
少し前に自分を倒すと言っておきながらなかなか攻めてこないユーキとヴェラリアを見ながらイェーナは瞬きをしながら二人に声を掛ける。
通常、戦いに慣れていない者が戦い慣れている者と対峙すれば焦るものだが、ベーゼとなったイェーナはユーキとヴェラリアを前にしても焦りを見せなかった。
「そちらが来ないのなら、私から行かせていただきますよ」
そう言ったイェーナは背中から生えている二本の触手の先端をユーキとヴェラリアに向け、一本ずつ勢いよく二人に向けて伸ばした。
前から迫って来る触手を見たユーキとヴェラリアは目を鋭くし、それぞれ右と左に跳んで触手を回避した。
触手をかわしたユーキは自身の左にある伸びた触手を見ると月影を振り下ろして触手を切ろうとし、ヴェラリアも触手を切り落とすためにサーベルで袈裟切りを放つ。だが、月影とサーベルは触手に触れた瞬間に高い音を響かせながら弾かれてしまった。
「は、弾かれた!?」
ヴェラリアは得物を弾いた触手を見て思わず驚きの声を出す。ユーキも最も警戒すべき触手の防御力が高いことを知り、厄介に思いながら僅かに表情を歪めた。
イェーナは自分の触手がユーキとヴェラリアの攻撃を弾いたのを見て一瞬意外そうな反応を見せるがすぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。自分の体の一部である触手が敵の攻撃を弾くのを見てイェーナは強い快感を得ていた。
「素晴らしい! これがベーゼと化した私の力なのですね。……ああぁ、これほどの肉体を得ることができるとは……偉大なるベーゼよ、心から感謝します!」
快感に頬を染めるイェーナは神に祈るかのように軽く上を向いて両手を組む。ヴェラリアはイェーナの姿を見ながら「クッ」と悔しそうな顔をする。
イェーナは伸ばしていた触手を縮めて自分の下に戻し、再びユーキとヴェラリアに触手を伸ばして攻撃しようとする。だがユーキとヴェラリアは攻撃される前に自分たちが先に仕掛けようと考えており、イェーナが触手を戻すと同時に彼女に向かって走り出した。
ユーキとヴェラリアは全速力で走ってイェーナとの距離を縮め、あっという間にイェーナの2mほど手前まで近づいた。イェーナは次の攻撃をする前に距離を詰めた二人を見て少し驚いたような顔をする。
「悪いがもう触手で攻撃はさせない!」
力の入った声を出すユーキはイェーナが間合いに入ると月下で袈裟切りを放って攻撃する。戦闘経験の無いイェーナはこの攻撃を避けることはできないはずだとユーキは思っていた。
しかしイェーナは後ろに下がってユーキの攻撃をかわし、かわした直後に前に踏み込んで爪の伸びが左手を左から勢いよく振ってユーキに反撃する。
ユーキは迫って来る左手に気付くと咄嗟に上半身を後ろに反らして左手の攻撃を回避する。だがかわした直後、今度は頭上から二本の触手が先端を向けながら同時に迫り、触手を見たユーキは後ろに跳んで触手をかわす。かわされた触手は床に当たり、大きな音を立てながら穴を開けた。
(あっぶねぇ、ギリギリだったな)
回避が成功したことにユーキはもう一度後ろに跳んでイェーナから距離を取って構え直す。イェーナは攻撃を凌いだユーキを見ながら左手を顔の前に持ってきて爪をを光らせた。
不敵な笑みを浮かべるイェーナを見ながらユーキは目を鋭くする。戦闘経験の無いイェーナが自分の攻撃をかわしたのを見た時は驚いたが、よくよく考えればイェーナはベーゼ化したことで人間だった時よりも身体能力や感覚が強化されているはずだ。
いくら戦闘経験ゼロだとしても人間だった時よりも優れた力と感覚があれば回避することは難しいことではない。そのことに気付いたユーキは自分の考え方が甘かったと反省し、改めてイェーナを警戒した。
イェーナは身構えるユーキを見ながら触手を操り、再びユーキに攻撃を仕掛けようとする。だがその時、ヴェラリアがイェーナの右側面に回り込み、サーベルを素早く何度も振って連続攻撃を仕掛けてきた。
ヴェラリアに気付いたイェーナはヴェラリアの方を向くと両手を素早く動かし、伸びた爪でサーベルを全て防いだ。爪は鉄のように硬く、サーベルを防いでも傷一つ付かなかった。
イェーナが爪で攻撃を防いだのを見たヴェラリアは驚きの反応を見せる。イェーナは驚いているヴェラリアを見ると小さく笑いながら右手で抜き手を放って反撃した。
ヴェラリアは咄嗟に右に移動してイェーナの抜き手をかわそうとするが、回避し切れずに爪で左腕の上腕部を切られてしまう。
「ぐうぅ!」
腕の痛みにヴェラリアは思わず声を漏らし、ヴェラリアが怯んだのを見たイェーナは続けて左手で抜き手を打とうとする。イェーナが再び攻撃しようとしているのに気付いたヴェラリアは痛みに耐えながら後ろに二回跳んでイェーナから離れた。
距離を取ったヴェラリアはサーベルを構え直してイェーナを睨む。イェーナはヴェラリアを見た後、自分の両手を見ながら笑みを浮かべた。
「凄いです。私は今まで戦ったことが無かったのですが、今はなぜかどのように戦えばいいのか分かります。きっとベーゼになったことで私の体が戦い方を本能で理解しているのでしょう」
嬉しそうに、そしてユーキとヴェラリアに自慢するかのようにイェーナは語る。ユーキとヴェラリアはイェーナの言葉を聞いてイェーナは思っていた以上に面倒な敵なのかもしれないと感じ始めた。
「この力があれば私もメルディエズ学園の生徒にも冒険者にも負けません。偉大なるベーゼの邪魔をする者は私自身の手で排除できます」
蝕ベーゼになりながらもベーゼを崇拝し続けるイェーナは両手をユーキとヴェラリアに向けて伸ばし、手から紫色の光球を二人に向けて放った。
正面から飛んでくる光球を見たユーキは右へ跳んで避け、ヴェラリアも左に走って光球を回避した。
光球をかわすとユーキとヴェラリアはイェーナに向かって走ろうとする。だがイェーナは二人が近づくことを許そうとせず、触手を二人に向けて伸ばした。
先端の棘を光らせながら迫って来る触手を見たヴェラリアは右へ跳んで触手をかわす。ユーキは触手に意識を集中させてギリギリまで引きつけ、1m手前まで近づいた瞬間に左へ移動して触手を回避した。
回避に成功したユーキは強化を発動させて月下の切れ味を強化し、真横にある触手を月下で攻撃する。切れ味を強化した月下は弾かれることなく触手に切傷を付けた。
「あああぁっ!」
触手から伝わる痛みにイェーナは声を上げ、同時に先程まで攻撃を弾いていた触手が切られたことに驚いた。
強化を使えば問題無く触手を切れると知ったユーキは触手が襲ってきたら月下と月影の切れ味を強化して迎撃することにした。
痛みに耐えるイェーナは顔を上げ、自分の触手を切ったユーキを睨みつけた。
「よくも偉大なるベーゼに与えられた肉体を傷つけてくれましたね。子供だから少しは情けを掛けようと思っていましたが、もう許しませんよ」
「よく言うよ。さっきまで容赦しないとか言ってたくせに」
「お黙りなさい。まずは貴方から始末させていただきます!」
鋭い目でユーキを睨みつけるイェーナは触手を縮めると両手をユーキに向けて伸ばし、光球を両手から同時に放って攻撃する。
ユーキは右へ跳んで光球をかわすと強化で愛刀の切れ味だけでなく、両足の脚力を強化した。脚力が強くなるとユーキは地面を蹴ってイェーナに向かって走り出す。脚力が強化されているため、今までと比べて速く走ることができた。
もの凄い速さで迫って来るユーキを見たイェーナは軽く目を見開き、再び両手をユーキに向けて光球を放った。
二発の光球は正面からユーキに向かって飛んで行き、ユーキは走りながら右に移動して難なく光球をかわした。
光球がかわされたのを見たイェーナは悔しそうな表情を浮かべ、今度は触手でユーキを攻撃しようとする。だが触手で攻撃しようとした時、イェーナの右側面にヴェラリアが回り込み、サーベルを振り下ろして攻撃してきた。
ヴェラリアに気付いたイェーナは右手の爪でサーベルを防ぎ、鬱陶しそうな顔でヴェラリアを睨みつける。ヴェラリアはイェーナの睨みつけに怯むことなくサーベルを引き、今度は右から横に振って攻撃した。
だがイェーナは再び右手の爪でサーベルを防ぎ、右足でヴェラリアの腹部に蹴りを入れる。
蹴りを受けたヴェラリアは軽く後ろに蹴り飛ばされ、仰向けの状態で倒れた。
ヴェラリアが倒れるとイェーナは追撃しようとせず、すぐにユーキの方を向いて触手を操る。今のイェーナはヴェラリアよりも自分に傷を負わせたユーキを倒すことを優先していた。
イェーナは二本の触手を操り、ユーキから見て正面、左斜め上から勢いよく触手を伸ばして走るユーキに攻撃した。
ユーキは走りながら軽く右へ動いて正面から迫ってきた触手をかわす。そこへもう一本の触手が迫り、ユーキは急停止して左斜め上から迫ってきた触手を月影で払い上げて防いだ。
触手の攻撃を凌いだユーキは目の前にある最初に避けた触手に目をやり、月下と月影を強く握った。
「ルナパレス新陰流、上弦!」
ユーキは月下と月影を連続で八回振って触手を攻撃する。どちらも切れ味が強化されているため、弾かれることなく触手に無数の切傷を付けた。
「ああああああぁっ!!」
今まで感じたことの無い痛みにイェーナは声を上げる。触手から伝わる激痛にイェーナは奥歯を噛みしめながら涙目になり、自分を切り刻んだユーキを殺意の籠った目で睨みつけた。
「い、一度ならず二度までも私の体を傷つけるとは……貴方だけは絶対に許しません!」
イェーナは払い上げられた触手をユーキの左から勢いよく横に振って攻撃した。
ユーキは迫って来る触手を見ると強化で両腕の腕力を強化し、素早く月下と月影を交差させて触手を防ぐ。腕力と脚力の両方を強化していたため、ユーキは触手の薙ぎ払いを止めても吹き飛ばされずに済んだ。
触手を止めるユーキを見たイェーナは左手をユーキに向けて光球を放つ。光球に気付いたユーキは月下と月影で触手を払い、右に跳んで飛んできた光球を回避する。だが回避した直後に触手が再び勢いよく横から迫り、ユーキの左脇腹を殴打した。
「ぐうぅっ!」
脇腹の痛みにユーキは声を上げ、そのまま殴り飛ばされる。飛ばされるユーキは痛みに耐えながら体をバク転させて体勢を直し、足が床に付くと倒れないように踏ん張った。
足を床に擦り付けながら後ろに押され、しばらくするとユーキの体は停止する。
ユーキは素早く体勢を整えてイェーナに視線を向ける。イェーナは触手を縮めており、ユーキをジッと見つめていた。
「まさか偉大なるベーゼの力を得た私の攻撃を受けて倒れないとは……幼いとは言え、貴方もメルディエズ学園の生徒と言うわけですか」
「だから言っただろう? ガキだからってナメるなって」
「……そうですね、私の触手も傷つけましたし、不服ですが只者でないことは認めます。ですが、油断しなければ問題はありません。それに貴方が何者であろうと一人でベーゼの力を得た私に勝つことは不可能です」
「本当にそう思ってるのか?」
「ええ、断言します」
自分は絶対に負けない、そう確信するイェーナは触手の先端をユーキに向けて攻撃する態勢を取る。ユーキは目を細くしながらイェーナを見つめ、自分の力を過信するイェーナを哀れに思った。
ユーキは月下と月影を構えると両足を曲げ、再び強化を発動させて両足の脚力を強化し、強く地面を蹴ってイェーナに向かって走り出す。
脚力を強化したユーキは勢いよくイェーナに向かって行き、走って来るユーキを見たイェーナは両手をユーキに向けて光球を撃つ。二つの光球はユーキに向かって行き、ユーキは左右に移動して二つの光球を避けた。
光球が避けられるとイェーナを次に触手で攻撃を仕掛ける。片方の触手はユーキの攻撃で傷だらけになっているが攻撃するのに問題は無かった。
ユーキは真正面から迫って来る触手を見ると走りながら避けたり、刀で払ったりして少しずつイェーナに近づいていく。
イェーナは怯むことなく、鋭い目で自分を見ながら近づいて来るユーキを見て不気味さを感じたのか僅かに表情を歪ませた。
イェーナが驚く中、ユーキは徐々に距離を詰めていき、遂にイェーナの目の前まで近づいた。真正面まで来るとユーキは月下で袈裟切りを放ってイェーナを攻撃する。イェーナはユーキが攻撃するのを見ると咄嗟に左手の爪で月下を止めた。
袈裟切りを防がれたユーキは次に月影で逆袈裟切りを放つ。だがイェーナは月影の攻撃も右手の爪で防ぎ、月下と月影を止めた状態でユーキと向かい合った。
「残念でした。距離を詰めれば私に勝てると思っていたようですが、考え方が甘いですよ」
全ての攻撃を防いだイェーナは余裕の表情を浮かべており、そんなイェーナをユーキは無言で睨みつけていた。
「さぁ、次はどんな攻撃をなさるのです? 遠慮せずに攻撃してきてください。もっとも、どんな攻撃をしようとベーゼと化した私には通用しませんけどね」
笑いながらユーキを挑発するイェーナは月下と月影を爪で払い、右手を横から振って爪でユーキを切り裂こうとする。
ユーキは咄嗟に後ろに跳んでイェーナの攻撃をかわし、素早く月下と月影を構え直した。
イェーナはユーキを追撃するため、両手の爪を光らせながらユーキに近づこうとする。だが次の瞬間、イェーナの体を細長い剣身が貫いた。
突然の出来事にイェーナは驚愕し、ユーキも目を見開いて驚きの反応を見せる。すると、イェーナの背後から声が聞こえてきた。
「どんな攻撃も通用しないなんて、いくら何でも油断しすぎだ」
イェーナは痛みで体を小さく震わせながらゆっくりと後ろを向く。そこにはサーベルを両手で握って自分を背後から刺すヴェラリアの姿があった。
ヴェラリアがイェーナを貫いたことから、イェーナ自身は触手と比べて防御力が低く、ヴェラリアのサーベルでも貫けたようだ。
イェーナはヴェラリアに貫かれたことを知って目を大きく見開く。少し前にヴェラリアを倒し、その後はユーキを倒すことだけ考えていたため、ヴェラリアの存在を完全に忘れていた。
ベーゼ化し、本能で理解できるのは戦い方だけで知識や戦術までは得ることはできない。イェーナは敵を倒した後も警戒し続ける、敵が死んだかどうか確認すると言った基本的な戦闘知識を持っていなかったため、ヴェラリアを倒した後に油断し切っていたのだ。
「貴女はさっき、油断しなければ問題は無いと言った。だが、貴方はルナパレスだけを警戒し、私を警戒することを怠った。その結果、貴女は私に背後に回り込む隙を与えた」
「ヴェ、ヴェラリア……貴女、実の母に……」
「何度も言わせるな。……貴女はもう私の母ではない」
そう言ってヴェラリアはサーベルを勢いよく引き抜いて後ろに下がった。
サーベルを引き抜かれたことで傷口からは血が溢れ、イェーナは痛みで表情を歪ませながら右手で傷口を押さえる。イェーナの状態を見たユーキはもうまともに戦うことはできないだろうと思っていた。
「勝負あったな。いくらベーゼ化して治癒力が高まっても、その傷じゃあ助からない」
ユーキはイェーナを見つめながら現実を語り、ヴェラリアも無言でイェーナを見つめる。
イェーナはユーキとヴェラリアが見つめる中、傷口を押さえながら俯いており、しばらくするとクスクスと笑い出した。
「……フフフフ、そうですね。戦いに無知な私でも、これは助からないと言うことぐらい分かります」
負けるというのになぜか笑い出すイェーナを見てユーキは反応し、イェーナは顔を上げるとユーキを見ながら不敵な笑みを浮かべた。
「ですが、私は偉大なるベーゼを崇拝する者。ベーゼが築く世界のため、ベーゼの障害となる存在を排除するのが使命です。……このまま何もせずに死ぬ気はありません」
イェーナはユーキと向かい合いながら誇らしげに語る。その間、イェーナはユーキやヴェラリアに気付かれないように伸ばしていた触手をゆっくりと動かし、先端をユーキの背中に向けた。
鋭く光る棘の先端がユーキを狙い、それを見たイェーナはユーキを見ながらニッと笑う。
「メルディエズ学園の生徒である貴方はベーゼにとって危険な存在……貴方にも消えてもらいます」
「……!」
ユーキはイェーナの意味深な言葉を聞いて何かに気付き、イェーナを見ながら大きく目を見開く。その直後、二本の触手が勢いよくユーキの背中に迫る。
触手は真っすぐユーキの背中に向かって行き、触手に気付いたヴェラリアは驚愕し、イェーナはユーキを仕留めたと確信する。
ユーキはイェーナとヴェラリアが見ている中、高くジャンプして背後から迫って来た触手を避けた。
イェーナの言葉を聞いた後、彼女が奇襲を仕掛けてくると予想したユーキは神経を研ぎ澄まして警戒し、背後から何かが近づいて来ることに気付いてジャンプしたのだ。
避けられた触手は勢いを弱めることなくまっすぐ進み、向かった先に立っていたイェーナの体を刺し貫く。
「うあああああぁっ!!」
自らの触手に体を貫かれたイェーナは断末魔を上げ、その光景を目にしたヴェラリアは固まり、着地したユーキも驚く。
ヴェラリアから受けた傷に加え、触手で体を貫かれたことで決定的な致命傷なダメージを受けたイェーナはその場で膝をつく。
「……ああぁ、何と言うことでしょう……ベーゼの天敵と言えるメルディエズ学園の生徒を、道連れにできなかった……とは……本当、に……残念……です……」
苦痛の表情を浮かべていたイェーナは最後に苦笑いを浮かべながら俯せに倒れ、そのまま黒い靄となって消滅した。
イェーナが消滅した後、静まりかえった大広間の中でユーキとヴェラリアはイェーナが倒れていた場所を見つめていた。
「最後に自分の手で命を絶つことになるとは……哀れな結末だな」
ユーキはイェーナの最後に複雑な気分になったのか目を細くしながら低い声で呟く。
(……さようなら、母上)
ヴェラリアは目を閉じ、心の中でイェーナに別れの言葉を告げる。口ではベーゼ化したイェーナは母親ではないと言っていたが、心の中では最後までイェーナを母親と思っていたようだ。
冒険者が二名犠牲になってしまったが、ユーキとヴェラリアはエリザートリ教団の教祖であるイェーナに勝利することができた。
――――――
ボロボロになっているエントランスではフィランとアローガが向かい合っていた。
フィランは傷だらけになりながら無表情で中段構えを取っており、アローガは無傷で余裕の笑みを浮かべながらフィランを見つめていた。
アローガの混沌術、反射((リフレクト)の能力が明らかになってからフィランは全力でアローガと戦ったが、反射の力が付与された魔法に翻弄され、アローガに傷を負わせることは愚か、近づくことすら難しくなっていた。
フィランは僅かに呼吸を乱しながらアローガにどう攻撃するか考える。アローガは疲れを露わにしているフィランを見るとニヤニヤと笑った。
「なんだか顔色が悪いわよ? そろそろ限界が来てるかしら?」
笑いながら挑発するように尋ねるアローガを見るフィランは眉一つ動かさずにコクヨを握る手に力を入れる。
「……勘違いしてるようだけど、私はまだ戦える。貴女をどうやって倒すか考えていただけ」
「あらそう、それは悪かったわね。……それで、あたしの反射と魔法への対抗策は思いついたのかしら?」
アローガが問いかけるとフィランは答えずに黙り込む。フィランの反応を見たアローガは対抗策は思いついていないと察してクスクスと笑い出す。
「やっぱり思いついてないみたいね。まぁ、あたしの反射に対抗できる方法なんて存在するわけがないんだけどねぇ」
「……そうやって自分の力を過信するのはよくない。そんなことをしていたら何時か足元を掬われる」
「あら、この状況で挑発する余裕があるの? だったらもう少し派手に攻めても、いいわよねっ!」
力の入った声を出すアローガは右手をフィランに向けて突き出し、風刃を発動させて手の中から風の刃を放つ。風の刃は薄っすらと紫色に光っており、反射が付与されていることが一目で分かった。
フィランは迫って来る風の刃を右に逸れて回避し、アローガに向かって走り出す。アローガは向かって来るフィランを見ると不敵な笑みを浮かべた。
フィランが避けた風の刃は飛んで行った先にある壁に当たると跳ね返り、走るフィランの右側に向かって飛んで行く。
跳ね返った風の刃は飛んで行く先にある柱に当たると再び跳ね返り、フィランの右側面から迫ってきた。風の刃に気付いたフィランは走りながらコクヨを左手に持ち、風の刃に向けて右手を伸ばす。
「……石の弾丸」
右手の中に拳ほどの大きさの石を作り、風の刃に向けて放つ。石と風の刃がぶつかると石は粉々に砕け、風の刃は消滅する。
ここまでの戦闘で反射を付与された魔法は攻撃すれば消滅することが分かり、フィランは反射してきた魔法を防御することができるようになっていた。
風の刃が消滅するとフィランは再びコクヨを両手で持ち、アローガに向かって行く。アローガは風の刃を凌いだフィランを見ると小さく舌打ちをして両手を横に伸ばした。
「風刃! 水撃ち!」
アローガは下級魔法を二つ同時に発動させ、右手から風の刃、左手から水球を放つ。勿論、どちらの魔法にも反射の力が付与されていた。
二つの魔法はフィランがいる方角とは全く違う方へ飛んで行き、飛んで行った先の壁に当たると跳ね返ってフィランに向かって行く。
フィランは右斜め前から迫ってくる水球、左斜め前から飛んでくる風の刃を視線を動かして見ると右手にコクヨを持ち、空いた左手を風の刃へ向かる。
風の刃と水球が1mほど前まで近づいた瞬間、フィランは再び石の弾丸を発動させる。左手から石を放って風の刃に命中させ、水球はコクヨで切った。
フィランの攻撃によって風の刃と水球は消滅し、フィランは再びアローガに視線を向けた。だがアローガの方を向いた瞬間、前から風の刃が飛んで来るのが目に入る。
風の刃を見たフィランは回避するため、咄嗟に右に逸れた。だが回避が間に合わなかったため、風の刃はフィランの左腕を掠め、上腕部に切傷を負ってしまう。
腕の痛みにフィランは僅かに目元を動かすが表情は殆ど変えずにアローガへ向かって走る。走るのをやめないフィランを見たアローガは小さく鼻を鳴らしながら姿勢を低くし、両手を地面に付けた。
「大地の騎士槍!」
魔法が発動すると手を付けた場所を中心に黄色い魔法陣が展開され、アローガの前の床から六本の太く先端の鋭い岩柱が走って来るフィランに向かって勢いよく飛び出す。
突然飛び出した岩柱を見てフィランは急停止し、後ろに二回跳んでアローガから距離を取る。フィランが離れるとアローガは体勢を直してフィランを見つめ、同時に飛び出した岩柱も崩れて石の山となった。
「もうアンタはあたしに近づくことすらできないわ。距離を取って魔法で攻撃してもあたしの防御魔法の前では無力。アンタは何もできずにあたしから一方的に攻撃されるしかないのよ」
自分に勝つことはできないと語りながらアローガはフィランを指差す。フィランはアローガの発言に対して焦りや不快感を感じたりすることなく、コクヨをそっと下ろした。
魔導士であるアローガを相手に有利に戦うのなら接近戦に持ち込むのが一番だが、アローガはフィランを近づかせないよう魔法で対処してくる。近づけないのなら距離を取って魔法で攻撃するしかないが、使える魔法の種類や魔力ではアローガの方が勝っているため勝ち目は無い。
近づくこともできず、魔法も通用しない状況なら誰もがフィランが不利だと考えるだろう。しかし、いくら不利な戦況であったとしてもフィランは諦めようと思わなかった。
フィランは無表情でアローガを見つめながら暗闇を発動させ、自分を中心に闇が広げた。
アローガはドーム状に広がる闇を見ると呑まれないように距離を取ろうとするが、闇がもの凄い速さで広がったため、逃れられずに吞み込まれた。
闇に呑まれて視覚が封じられたアローガは舌打ちをしながら視線を動かして周囲を見回す。目を凝らしたりなどして見えるようにしようとしていたが、やはり視界は変わらず黒一色だった。
アローガが闇の中を見回している間、フィランは床に落ちている小石や砂をコクヨの刀身に纏わせる。ある程度小石と砂が集まるとフィランはアローガの方を向いた。
(……確かに近づくことも、魔法を当てるのも難しい。だけど、それはこっちの動きや攻撃が見えているから。……暗闇で視覚を封じている間に距離を取って攻撃すれば攻撃を当てられる)
フィランは心の中で戦法を呟くと小石と砂を纏ったコクヨを強く握りながら大きく右へ跳んだ。
暗闇を発動した時、フィランはアローガに立ち位置を見られていたため、視覚を封じた直後でも居場所がバレている。アローガに居場所を知られないためにも発動した後に居場所を特定されないよう移動する必要があった。
ただ、歩いたり走ったりすれば足音でどっちへ移動したかバレてしまうため、フィランは足音を立てないために跳んで移動した。
視覚を封じ、自分の居場所がアローガにバレていないと確信するフィランは跳んでいる間に攻撃するため、コクヨを静かに振り上げる。そんな中、アローガは前を向いたまま右手で指を二回鳴らした。
フィランはアローガの行動を見て何をやっているのが疑問に思う。ただ、アローガの性格から何か仕掛けてくると感じたフィランはアローガが動く前に仕掛けようと考えた。
アローガから見て左斜め前、4mほど離れた所に移動したフィランは跳んだままコクヨを振り下ろして砂石嵐襲を使い、刀身に纏われている小石や固められた砂を全てアローガに向けて飛ばす。跳んでいる最中に大きな音を立てずに攻撃したため、フィランは避けられることは無いと考えていた。
小石や砂は音を立てず、勢いよくアローガに向かって飛んで行く。そんな中、アローガは前を向いたまま指を鳴らし続けていた。すると指を鳴らしていたアローガは突然不敵な笑みを浮かべ、飛んでくる小石と砂の方に左手を伸ばす。
「岩壁!」
アローガは自分の左斜め前に岩の壁を作り、飛んできた小石と砂を全て防いだ。
フィランはアローガが視界が封じられている状態で自分の攻撃を防いだことに内心驚き、僅かに目元を動かす。
(……暗闇で目は見えなくなっているはず。なのにどうして砂石嵐襲を放った方角が分かった?)
アローガがどんな方法で攻撃された方角を知ったのか分からずフィランは考える。
音も立てず、視覚も封じた状態で攻撃したため、勘で方角を特定したと言うのは考え難い。そのため、アローガは何かしらの手を使って方角を知ったに違いないとフィランは予想した。
どんな手を使って防御に成功したのか、フィランは跳んだまま考え続けた。そんな時、アローガはフィランがいる方を向いて伸ばしていた左手をフィランの方へ向け、手の中から石をフィランに向けて放つ。
アローガが自分に向かって石を放ったのを見てフィランは小さく反応する。なんとか対処しようと思っていたが、予想外のアローガの反撃を目にして隙ができていたため、石を回避することも防御することもできず、腹部にまともに受けてしまう。
石を受けたフィランは小さく声を漏らしながら床に倒れ込み、石が当たった箇所を押さえる。攻撃を受けたことでフィランの集中力が途切れて暗闇は強制的に解除され、広がっていた闇は一気に収縮し始めた。
闇から解放されて視界が戻ったアローガは倒れているフィランを見て不敵に笑いながら彼女に近づく。
「直撃したようね? でも、あたしの魔法をまともに受けて意識があるのには驚いたわ。やっぱりメルディエズ学園の生徒が着ている制服はそこらの服と違って防御力があるみたいね」
「……」
腹部を押さえながらフィランはゆっくりと起き上がる。痛みはまだ残っているがフィランは表情を変えずにアローガを見ていた。
フィランの前までやって来たアローガは両手を腰に当て、上半身を前に倒して顔をフィランに近づけた。
「どうして目が見えないあたしが攻撃された方角やアンタの居場所が分かったのか不思議そうね?」
アローガはフィランが疑問に思っていることを指摘し、フィランは僅かに目元を動かす。アローガの発言から、やはり暗闇の中で情報を得られたのは彼女が何かしたからだとフィランは確信した。
「アンタに一つ言ってなかったことがあるの。あたしの反射は跳ね返る力の無い物を跳ね返えるようにするだけの能力じゃない。元々跳ね返るものに付与すれば跳ね返る力を強化することができるの。そして、音に付与すれば音の跳ね返りを感じ取って周囲の状況を把握することができるようになるのよ」
隠していた反射の能力を自慢げに話すアローガを見てフィランは僅かに声を漏らす。それと同時にどうやって自分の居場所や攻撃した方角を知ったのかも理解する。
アローガは闇に呑まれていた時に指を鳴らして音を響かせていた。あの時、アローガは反射を指を鳴らした時の音に付与し、音の反響で周囲の細かい状況を把握できるようにしていたのだ。それは暗闇で蝙蝠が超音波を使って獲物を見つけるのと同じだった。
状況を把握できるようになった結果、アローガはフィランがどの方角から砂石嵐襲を放ち、どの方角へ移動したのかも理解して防御と攻撃を成功させた。
フィランは反射の能力を聞かされて心の中で厄介に思い、そんな強力な混沌術使うアローガが予想以上に手強い敵だと理解した。
「言ったでしょう? アンタの混沌術はあたしの混沌術の前じゃ無に等しいってね?」
前に倒していた上半身を戻しながらアローガはフィランを見下し、フィランは倒れたままアローガを見上げる。顔は無表情のままだが、フィランは心の中ではアローガに対して小さな悔しさを懐いていた。
「さて、お喋りはこれぐらいにして、そろそろケリを付けようかしらね」
アローガは右手をフィランの頭部に向け、手の中に風を集め始める。ダメージを負って動けなくなっているフィランに止めを刺すつもりのようだ。
フィランは倒れたままどうアローガの攻撃を凌ぐか考えた。暗闇は先程使ったばかりで再び使えるようになるにはまだ時間が掛かる。コクヨで攻撃すると言う手もあるが、アローガが目の前におり、狙いを付けられた今の状態では攻撃しようとした瞬間に魔法を撃たれてしまう。フィランは絶体絶命の状態だった。
「それなりに面白い戦いだったわ。でも、所詮は人間、あたしの敵じゃなかったってことね」
アローガは見下した笑みを浮かべながら言うとフィランに風刃を撃とうとする。フィランは無表情のままアローガを見つめた。
「光の矢!」
エントランスの中に二人とは別の声が響き、玄関の方から白い光の矢がアローガに向かって放たれる。光の矢に気付いたアローガは咄嗟に後ろに跳んで光の矢をかわした。
回避に成功したアローガと倒れているフィランが光の矢が跳んで来た方を見ると、そこには両手に剣を握りながら左手を前に伸ばすアイカの姿があり、その周りにはパーシュやリタたち冒険者が立っていた。
アイカたちを見たフィランとアローガは状況から光の矢はアイカが撃ったのだと知る。そして、アイカたちが屋敷に入って来たことから、外にいたエリザートリ教団の信者は全て倒されたのだと悟った。
「フィラン、大丈夫!?」
倒れているフィランにアイカは声を掛け、フィランはアイカを見ながら無言で頷く。
アイカはボロボロのフィランに驚いていたが、意識があるのを見て安心したのか静かに息を吐く。だが、すぐにアローガの方を向いて鋭い目でアローガを睨んだ。
「ここからは、私たちが相手をします!」
フィランを傷つけられたことに対して怒りを感じながらアイカはプラジュとスピキュを構え、パーシュたちも一斉に身構えた。




