第百七十九話 広場とエントランスの激闘
屋敷前の広場ではアイカたちがベーゼと化した信者たちと激闘を繰り広げていた。声を上げながら襲って来る信者たちの攻撃を防ぎながらアイカたちは隙を窺って反撃する。
アイカは三人の剣を持った信者と向かい合ってプラジュとスピキュを構えている。信者たちは唸り声を上げながら横一列に並んでアイカを睨みつけ、アイカは信者たちに怯むことなく睨み返していた。
「力を得るのと引き換えに自我と理性までも失ってしまうとは……貴方がたもそんなことは望んでいなかったはずです」
信者たちを見つめながらアイカは哀れむように語り掛ける。
ベーゼの力を得ることを望んでいた信者たちは自らの意思でベーゼの血を飲んだ。しかし結果的に自我を失い、自分たちと戦うための駒として利用されることとなってしまったため、アイカは少しだけ信者たちに同情していた。
アイカは戦うための戦力として使われる信者たちを解放するためにも倒さなくてはならない、そう思いながらプラジュとスピキュを握る手に力を入れる。
瘴ベーゼ化したのなら、メルディエズ学園が開発した瘴気喰いを使って元に戻せるよいのだが、今アイカの手元に瘴気喰いは無い。
仮に持っていたとしても瘴気喰いはまだ未完成で、使えば使用した生徒が瘴気に侵されてしまうため使えない。
アイカの浄化の能力を使えば未完成でも使うことは可能だが、アイカは過去に瘴気を取り込んでベーゼ化している。そのことを知っているメルディエズ学園が未完成の瘴気喰いの使用を固く禁じているため、使用することは勿論、学園の外に持ち出すことすらできなくなっているのだ。
瘴気喰いが無い以上、蝕ベーゼと化した人間と遭遇したら倒すしかない。アイカは蝕ベーゼとなってしまった人々を倒さずに救うためにも早く瘴気喰いが完成する日が来ることを願った。
アイカが難しい顔をしていると三人の信者が一斉にアイカに向かって走り出した。迫って来る信者たちを見たアイカは足の位置を少し変えて動きやすい体勢を取る。
信者たちは剣を振り上げながらアイカに迫っていき、間合いに入るとアイカから見て左側にいる信者が剣を振り下ろして攻撃した。
アイカは咄嗟にスピキュで振り下ろしを防ぎ、プラジュで反撃しようとする。だが、アイカが反撃するよりも早く真ん中の信者が剣を振り下ろしたためプラジュで防御した。
剣を防ぎながらアイカは奥歯を噛みしめる。ベーゼ化して身体能力が強化された信者たちの力は下位ベーゼよりも重く感じられ、アイカは腕や足に力を入れて耐えていた。
アイカが信者たちの攻撃を止めているともう一人の信者がアイカの右斜め前から剣で攻撃して来る。
信者の攻撃に気付いたアイカは咄嗟に後ろに跳んで攻撃を回避し、信者たちから離れるとプラジュを持ったまま右手を右側の信者に向けた。
「光の矢!」
アイカは右手から白い光の矢を放ち、右側の信者に命中させる。光の矢を受けた信者は声を上げながら苦しみ出して後ろによろめく。
ベーゼは光属性の魔法に弱いため、ベーゼとなった信者たちにも光の矢は効果があったようだ。
信者は光の矢を受けて苦しんでいたが、しばらくすると痛みが引いたのか険しい顔でアイカを睨む。倒れない信者を見たアイカはやはり下級魔法一発では倒せないと思いながら構え直す。
アイカが構え直した直後、別の信者がアイカに走って近づき、剣で袈裟切りを放ってきた。しかしアイカは慌てずに剣をスピキュで防ぎ、プラジュを右から横に振って信者に反撃する。
プラジュは信者の腹部を切り裂き、斬られた信者は怯んで後ろに下がる。その隙をついてアイカはプラジュで逆袈裟切りを放って信者を斬った。斬られた信者は鳴き声を上げながら仰向けに倒れ、そのまま黒い靄と化して消える。
一人目の信者を倒したアイカは残っている信者たちの方を向く。すると信者たちは再び剣を振り上げながらアイカに向かって走り出し、アイカは信者たちを鋭い目で見つめながら構え直した。
アイカから見て左側にいる信者が剣を振り下ろしてアイカを攻撃する。アイカは素早く左へ移動して攻撃をかわし、信者の右側面に回り込んだ。
「サンロード二刀流、斜陽剣!」
回り込んで直後、アイカはプラジュとスピキュで同時に逆袈裟切りを放って目の前の信者を攻撃する。プラジュとスピキュは信者の首と右腕を深く切り裂き、致命傷を負った信者は鳴き声を上げる間もなく絶命して倒れ、そのまま靄となって消えた。
アイカは二人目の信者を倒すと今度は自分が先に攻撃を仕掛けようと最後の信者に向かって走る。信者は走って来るアイカに気付いて攻撃しようとするが、それよりも先にアイカが動いた。
「仄日斬!」
間合いに入るとアイカはプラジュで袈裟切りを放ち、続けてスピキュで逆袈裟切りを放って信者を二度斬る。斬られた信者は崩れるように倒れて消滅した。
相手をしていた信者全てを倒したアイカはプラジュとスピキュを軽く振りながら静かに息を吐いて気持ちを落ち着かせる。そんな時、右手にヴォルカニック、左手に三つの小石を持ったパーシュが駆け寄って来た。
「アイカ、大丈夫かい?」
「ええ、問題ありません」
アイカの無事を確認したパーシュは安心したのか微笑みを浮かべた。だがすぐに真剣な顔になって周囲を見回し、冒険者たちと信者たちの戦いを確認する。
ベーゼとの戦いに慣れていない冒険者たちは若干苦戦していたが、仲間と連携を取りながら一人ずつ信者たちを倒している。だが信者たちも声を上げて威嚇し、冒険者たちが怯むと攻撃して負傷させた。
負傷した冒険者は仲間の手を借りて後退し、後方で待機しているレーランたち神官の手当てを受けている。
「負傷した冒険者の数が増えてきている。このままだとこっちが不利になっちまうかもしれないね」
「ですが、信者の数も減ってきています。混沌士である私たちが前に出て信者を倒していけば冒険者たちへの負担も減るはずです」
アイカはプラジュとスピキュを握りながら語り、パーシュはアイカを見ながら小さく頷く。そんな時、向かい合っているアイカとパーシュに二人の信者が突撃してきた。
信者たちはアイカから見て左の方から槍を構えながら走って来ており、信者に気付いたアイカは迎え撃とうと素早く構える。しかしパーシュは構えることなくアイカの方を向きながら鬱陶しそう顔をしていた。
「……人が話している時に襲ってくるなんて、ホントに空気の読めない連中だね」
パーシュはブツブツと文句を言い、それを聞いたアイカはパーシュの方を向いてまばたきをする。パーシュは左手の小石を強く握りながら混沌紋を光らせて爆破を発動し、三つの小石に爆破の力を付与した。そして、アイカの方を向いたまま数m先の信者たちに向けて小石を放り投げる。
「爆裂石」
三つの小石が信者たちの目の前まで飛んでいくとパーシュは全ての小石を爆発させる。至近距離で爆発に巻き込まれた信者たちの体は消し飛び、アイカは信者たちが倒された光景を見て目を見開いていた。
「さて、それじゃあ残りの信者たちも倒しちまおうかね」
「ハ、ハイ」
パーシュは右肩を軽く回しながらアイカに声を掛け、アイカはパーシュを見ながら返事をする。敵の方を向かず、冷静に対処したパーシュを見てアイカは少し驚いていた。
次の信者を倒すため、アイカとパーシュは周囲を見回す。すると遠くから叫ぶような声が聞こえ、二人は声が聞こえた方を向く。視線の先にはカピロテを被った信者がイプシロンアックスを持って数人の冒険者と戦っている姿があった。
カピロテを被った信者は太い腕でイプシロンアックスを何度も振り回しながら冒険者たちを攻撃し、冒険者たちは後ろに下がったりしながら攻撃を回避する。中には攻撃を受けて倒れている冒険者も数人いた。
イプシロンアックスのような重量のある武器は剣や盾で止めるのは難しいため、優れた筋力を持つ者以外は攻撃されたら避けるしか無い。
今回イプシロンアックスを使っているカピロテを被った信者はベーゼ化して身体能力が強化されているため、冒険者たちは絶対に防ぎ切れないと感じて回避に専念していた。
「他の信者と比べて手強そうだね」
パーシュはカピロテを被った信者を見つめながら強敵だと感じる。その隣ではアイカがジッと信者を見つめていた。
「あの信者、私とユーキが屋敷から脱出する時に遭遇した信者と同じだと思います。ベーゼになる前もあの大きな斧を普通に扱っていましたから、ベーゼ化したことでより強くなったはずです」
「だとすれば、B級とC級の冒険者にはちょっと荷が重いかもね」
呟いたパーシュはヴォルカニックを強く握ってカピロテを被った信者に向かって走り出す。アイカは走るパーシュを見てすぐに冒険者たちを助けに向かったのだと知り、パーシュなら問題無く信者を倒せると感じていた。
カピロテを被った信者の周りにいる冒険者たちは剣や斧を構えながら信者を見つめていた。イプシロンアックスを軽々と振り回し、大きな声を上げて威嚇する信者を見ながら冒険者たちは微量の汗を掻いている。
「お、おい、コイツどうするんだ? あんなデカい斧を振り回されてちゃまともに近づけないぞ」
「分かってる。だから何とか隙を見つけて倒そうとしてるんじゃねぇか」
「隙を見つけるっつっても、あの斧を何とかしねぇとどうすることもできねぇだろう」
「じゃあ、どうするんだよ!?」
冒険者たちはカピロテを被った信者への対抗策が思い浮かばず言い合いを始める。言い合う二人を見ていた他の冒険者たちも信者たちを倒せないのではと感じ始めていた。
カピロテを被った信者と戦う冒険者の中には魔導士が一人おり、少し前に下級魔法で攻撃して怯ませようとしていた。
だが、信者は魔法を受けても怯まず、冒険者たちは魔法が効かないことを知って衝撃を受ける。どうやって戦えばいいのか分からず全員が頭を悩ませていた。
冒険者たちがどのように戦えば勝てるか考えているとカピロテを被った信者がイプシロンアックスを振り上げて冒険者たちに襲い掛かろうとした。
緊迫した表情を浮かべる冒険者たちはカピロテを被った信者の攻撃をかわそうとする。だがその時、冒険者たちの後方から火球が飛んで来て信者に命中した。
火球はカピロテを被った信者に当たると爆発し、信者は爆発の衝撃を受けて思わず膝をつく。だが、他の信者より体力があるからか消滅はしなかった。
突然の火球に冒険者たちは驚いて火球が飛んで来た方を向く。そこには左手をカピロテを被った信者に向けて伸ばすパーシュの姿があった。
「あ、あれってメルディエズ学園の生徒だよな?」
「今の火球って、あの子が撃ったの?」
自分たちが苦戦を強いられていたカピロテを被った信者に膝を付かせたパーシュを見ながら冒険者たちは驚く。しかも下級魔法である火球で信者を怯ませたため、全員が衝撃を受けていた。
冒険者たちがパーシュを見つめている中、カピロテを被った信者は痛みが引いたのか体勢を直してイプシロンアックスを構え直す。爆発によって信者のローブは破れ、火傷を負った強靭な上半身が露わになった。
カピロテを被った信者に気付いた冒険者たちは一斉に信者の方を向き、パーシュは意外そうな表情を浮かべてる。
「へぇ~、爆破を付与した火球を受けて立てるなんて、確かに他の信者たちよりは強いみたいだね」
カピロテを被った信者の体力に感心しながらパーシュは信者に向かって歩いて行く。冒険者たちは自分たちの横を通過して信者に近づくパーシュを見ながら何をするのか疑問に思っている。
パーシュが近づいて来るのを見たカピロテを被った信者は声を上げ、イプシロンアックスを振り回しながらパーシュに向かって走り出す。迫って来る信者を見た冒険者たちは危険だと感じて一斉に走って距離を取る。だがパーシュだけは後退せず、立ち止まって迫って来る信者を見つめていた。
「何も考えず、ただ武器を振り回してるだけじゃあ、あたしには勝てないよ」
そう言ってパーシュはヴォルカニックを脇構えに持ち、剣身から炎を発生させる。
剣身に纏われた炎は勢いよく燃え上がり、ヴォルカニックを見たパーシュは小さく笑いながら爆破を発動させ、カピロテを被った信者の方を向いた。
「突き出す爆炎!」
パーシュはヴォルカニックを勢いよく左斜め上に向けて振り上げ、剣身に纏われている炎を真っすぐカピロテを被った信者に向けて放つ。
炎はカピロテを被った信者の上半身を呑み込み、呑み込んだ直後に炎は大きく爆発する。その爆発は先程の火球の爆発よりも大きかった。
爆発が治まるとそこにはカピロテを被った信者の下半身だけがあり、足元には粉々になったイプシロンアックスがある。腹部から上を失った下半身はゆっくりと前に倒れると黒い靄と化した。
冒険者たちは強力な攻撃と下半身を失った信者を見て驚きのあまり言葉を失う。パーシュは振り返ると驚いている冒険者たちを見た。
「さあ、まだ信者はたくさんいるんだ。協力して一気に片付けるよ」
パーシュが声を掛けると冒険者たちはハッと我に返り、まだ戦闘が終わっていないことを思い出した。
冒険者たちの反応を見たパーシュは別の信者を倒すために走り出し、冒険者たちもメルディエズ学園の生徒に負けていられないと考えながら信者を倒しに向かう。
「流石はパーシュ先輩ね」
遠くでパーシュがカピロテを被った信者を倒す光景を見ていたアイカは小さく笑ってパーシュのことを頼もしく思う。パーシュが全力で信者たちと戦っているのなら、自分ももっとやる気を出さなくてはと感じたアイカは気合を入れた。
アイカは周囲を見回し、遠くで信者たちに苦戦しているリタたちを見つけると援護をするためにリタたちの下へ走った。
――――――
屋敷のエントランスではフィランがアローガと一対一で戦っていた。既にエントランスの壁や床には無数の傷が付いており、二人が激しい攻防を繰り広げていたことを物語っている。
フィランとアローガはエントランスの中央で数mの間隔を空けて向かい合っている。フィランは無表情のままコクヨを脇構えに持ち、アローガは右手の中に水球を作りながらフィランを睨みつけていた。
「水撃ち!」
アローガは右手をフィランに向けて水球を放つ。水球は勢いよくフィランに向かって行き、フィランは表情を変えずに左へ移動して水球をかわした。回避した直後、フィランはアローガに向かって走り出す。
水球をかわしたフィランを見てアローガは舌打ちをし、右手だけでなく左手もフィランに向ける。右手の中には今度は闇、左手に拳ほどの大きさに石が出現した。次の瞬間、アローガは右手から弾丸状の闇、左手から石を勢いよく放つ。下級魔法の闇の射撃と石の弾丸を同時に発動したのだ。
フィランは飛んでくる闇の弾丸と石を走りながら左右に移動して回避し、かわされた闇の弾丸は壁に当たって消滅し、石は壁にめり込んだ。
回避に成功したフィランは一気にアローガとの距離を縮め、アローガが間合いに入るとコクヨを左斜め上に振り上げて攻撃した。
だが、アローガは再び舌打ちをして後ろの跳び、フィランの反撃を簡単に回避する。回避に成功するとアローガは右手を床につけ、自分が触れている箇所に手より少し大きな緑色の魔法陣を展開させた。
「這う真空波!」
アローガが中級魔法を発動させると手を付けている箇所から風の刃が発生し、床を這うように走りながらフィランに向かって放たれる。不思議なことに風の刃が走った箇所に傷はついていなかった。
フィランは迫って来る風の刃を左に跳んでかわすとコクヨの刀身に床に落ちている小石や砂を纏わせ、その状態のまま上段構えを取る。
「……砂石嵐襲」
刀身に小石と砂を纏ったコクヨを振り下ろし、纏われていた無数の小石と固められた砂をアローガに向かって放つ。放たれた小石と固めた砂は速く、床に手を付けている体勢のアローガには回避は難しいとフィランは思っていた。
アローガは迫って来る小石や固められた砂を見ると慌てる様子を見せず、不敵な笑みを浮かべながら体勢を直して右手を飛んでくる小石に向け、手の中に黄色の魔法陣を展開させる。
「岩壁!」
魔法が発動すると床から幅2m、高さ3mの岩の壁がアローガの前に出現する。フィランが放った小石と固められた砂は岩の壁によって防がれた。
自分の攻撃が防がれたのをフィランは表情を変えずに見つめおり、中段構えを取ると動かずに岩の壁を見つめた。
アローガは岩の壁の陰に隠れて姿が見えない。相手の姿が見えず、どんな行動を取るか分からない以上、下手に近づくのは危険なため、フィランはアローガが動くのを待つことにした。
相手の姿が見えない点はアローガも同じだが、アローガは魔法で距離を取って攻撃できるため、その分フィランより有利と言える。
(……次はどう動く?)
フィランは視線だけを動かして岩の壁の両端を交互に見ながらアローガがどちらから姿を見せるか予想する。
魔法で空を飛び、壁の後ろから空中に移動すると言う可能性もあるが、ここまでの戦いでアローガは一度も魔法で空を飛んでいなかったため、上に移動する可能性は低いとフィランは考えている。だが、ゼロとは言えないため、念のために頭上の警戒もすることにした。
フィランがアローガの気配を探りながら警戒しているとフィランから見て岩の壁の左側からアローガが飛び出し、フィランはアローガに向かって走り出す。
向かって来るフィランを見たアローガは走りながら左手をフィランに向け、手の中に青い魔法陣を展開させる。
「氷柱の檻!」
アローガは魔法を発動すると走るフィランの周りに冷気が集まり出し、それに気付いたフィランは嫌な予感がして急停止した。するとフィランは向かう先に無数の小さな氷柱が出現して鋭い先端をフィランに向ける。
もし走り続けていたらフィランは現れた氷柱に顔や体を刺されていたため、それを考えるとフィランの急停止は良い判断だったと言えるだろう。
フィランが止まった後も彼女の周囲には沢山の氷柱が現れてフィランを取り囲む。しかも全ての氷柱が先端をフィランに向けており、フィランは完全に動きを封じられてしまった。
氷柱がフィランを取り囲むのを見たアローガは左手をフィランに向けたまま立ち止まる。
「これでアンタは動けない。そこにある氷柱は全部あたしの思いどおりに動くの。あたしが念じればアンタは一瞬で体中を氷柱に貫かれるわ。フフフフ」
アローガは身動きの取れないフィランを見ながら馬鹿にするかのような笑みを浮かべる。そんなアローガをフィランはコクヨを構えたまま無言で見つめていた。
「言ったでしょう、あたしに一人で挑んだことを後悔させてあげるって。……どう? 傷一つ付けられず、殺されそうになっている気分は?」
「……別に何も感じない」
静かに答えるフィランを見たアローガは笑みを消し、鋭い目でフィランを睨む。
いつ氷柱に体を貫かれてもおかしくないのに焦りや恐怖を一切見せず、無表情のままでいるフィランを見てアローガは気分を悪くした。
「気に入らないわね。逃げ場を失い、いつ死んでもおかしくない状況なのにどうしてそんなに冷静でいられるの? ……もっと怖がりなさいよ。助けてほしいって命乞いをしなさいよ!」
「……私は恐怖を感じていない。だから怖がれと言われてもどうすることもできない。……それにこの状況を打開する手はある」
「はあ?」
氷柱に囲まれている状態で切り抜ける方法があると語るフィランを見てアローガは低い声を出す。自分が有利な立場なのにフィランが余裕を見せたことでアローガは更に機嫌を悪くした。
「……そんな状態でまだ勝てると思ってんの? どうやら感情だけじゃなくって知性も無いみたいね、アンタ」
「……」
険しい顔をするアローガをフィランは眉一つ動かさずに見つめている。例え敵に怒りや殺意をぶつけられてもフィランは何も感じないようだ。
「できもしないくせに軽々しく打開できるなんて言うんじゃないわよ、人形娘がぁ!」
アローガは氷柱をフィランに放つため、左手の魔法陣を消そうとする。それを見たフィランは自身の混沌紋を光らせて暗闇を発動させた。
暗闇が発動したことでフィランを中心にドーム状の闇が広がり、周りにある氷柱やアローガを呑み込む。
「これはさっきの……」
突然視界が黒くなったことにアローガは驚いて周囲を見回す。少し前に信者たちが闇に呑まれたのを見ていたため、視界の変化が混沌術によるもだとすぐに理解した。だが視界の変化以外は情報が何も無いため、アローガは鬱陶しそうな顔をしながら警戒する。
フィランは闇の中でアローガが辺りを見回している姿を見た後、周りにある氷柱を確認する。氷柱は切っ先をフィランに向けたままピクリとも動かず宙に浮いていた。
氷柱の檻は発動した魔導士の意思で氷柱を相手に飛ばして攻撃する魔法である。攻撃する際、氷柱が飛ぶよう念じなければ氷柱は相手を包囲したまま動かない。
フィランは氷柱の檻の効力を知っていたため、暗闇でアローガの視界を封じると同時に氷柱からアローガの意識を外させて攻撃を阻止したのだ。
アローガの意識が闇に向けられて氷柱が襲ってこない間にフィランは素早くコクヨで正面にある氷柱を全て切る。切られた氷柱は粉々に砕け散って床に落ち、フィランは氷柱が無くなった場所から氷柱の檻を抜け出し、そのままアローガに向かって走る。
フィランはアローガに近づくと正面からコクヨで攻撃しようとする。フィランは闇の中で唯一視覚が生きているため、真正面からでも敵に攻撃を当てられると思っていた。
アローガは周囲が黒一色になったことに驚きながら何が起きたのか考えている。そんな時、正面から何かが近づく気配を感じてアローガは目を大きく見開いた。
「闇の波動!」
嫌な予感がしたアローガは咄嗟に下級魔法を発動し、自分を中心に紫色の衝撃波をドーム状に広げる。衝撃波が発生したことでアローガの前にいたフィランは大きく後ろに吹き飛ばされた。
暗闇の闇の中ではフィラン以外の生物は視覚を封じられてしまうがそれ以外の感覚は生きているため、アローガは視覚以外の感覚を使ってフィランの接近に気付いたのだ。
衝撃波を受けたフィランは数m後ろに飛ばされてから空中でバク転をし、体勢を直して両足を床につけた。
床に足が付いた後も足を擦りながら少し後退したが、フィランは倒れることなく体勢を保ったまま停止した。アローガが放った衝撃波の威力も小さかったため、問題無く動くことができた。
態勢を整えるフィランはアローガを無表情で見つめているが、心の中では目が見えない状態で自分を魔法で吹き飛ばしたアローガに少し驚いていた。
フィランが見つめている中、アローガは表情を鋭くしなたら周囲を見回している。するとフィランの混沌紋の光が弱まり、広がっていた闇が収縮し始めた。
「……時間切れ」
暗闇の発動限界時間が来たことを知ったフィランは呟く。闇は徐々に小さくなり、闇に呑まれていたアローガも闇の外に出た。
闇から出たことでアローガの視覚は戻り、視界に屋敷のエントランスが映る。視界が変わるとアローガは驚いた表情を浮かべるが、すぐにフィランの姿を見つけて目を鋭くした。
「今のがアンタの混沌術ね? 最初、信者たちが黒いのに呑まれた時はどんな能力か分からなかったけど、まさか相手の目を見えなくさせる能力だったとはね」
「……なぜ、目を見えなくさせる能力だと思うの?」
「目が見えなくなったからそう言う能力だと思った。ただそれだけよ」
「……そう」
小さくな声で呟きながらフィランはコクヨを構える。
アローガの推測は間違い無いと断言するには情報が少なすぎる。だが実際、アローガの読みは当たっているため、推測を聞いたフィランはこれ以上アローガに情報を与えないために黙り込むことにした。
フィランはアローガの動きを警戒し、再び暗闇が発動できるようになるのを待つ。アローガは何も言わずに構えるフィランを見ると小さく不敵な笑みを浮かべた。
「こっちの推測を否定しないってことは、目が見えなくなる能力で間違ってないみたいね」
「……そう思うのならそう思ってくれていい」
「何それ、誤魔化してるつもり? 残念だけど、今の反応を見てアンタの混沌術が目を見えなくさせる能力だって確信したわ」
アローガが勝ち誇ったような口調で語るとフィランはよく見ないと分からないくらい目元を小さく動かす。
奥の手とも言える暗闇の能力を短時間で見抜かれたことと、アローガの見抜く能力に内心驚いていた。
「なかなか面白い能力だけど、分かっちゃえば何の脅威にもならないわ。それに、あたしの混沌術の前じゃ、アンタの混沌術なんて無に等しい」
「……?」
言っていることの意味が分からず、フィランは無言でアローガを見つめる。アローガはフィランの顔を見て彼女が何を考えているのか悟ると再び笑みを浮かべた。
「理解できてないみたいね? ……いいわ、アンタの混沌術が分かって少し気分がいいから、アンタにもちょっとだけあたしの混沌術を見せてあげる」
そう言うとアローガは自身の混沌紋を光らせ、それを見たフィランはアローガが混沌術を使ってくると知って咄嗟に後ろに跳んで距離を取る。
フィランが離れるのを見たアローガは笑いながら右手をフィランに向け、手の中に石を作り出した。
「石の弾丸!」
混沌紋を光らせたままアローガは右手から石をフィランに向けて放つ。よく見るとアローガが放った石は薄っすらと紫色に光っており、石を見たフィランは混沌術が付与されていると気付く。
アローガの混沌術がどんな能力か分からない以上、能力が付与された石に触れたり近づくのは危険だと考えたフィランは右へ跳んで迫ってきた石をかわす。この時、アローガは回避行動を取ったフィランを見てニッと笑みを浮かべていた。
かわされた石は真っすぐエントランスの壁の方へ飛んで行く。少し前にフィランがかわした石は壁にめり込んだため、今度も壁に当たればめり込むと思われた。
ところが石は壁に当たってもめり込まず、跳ね返って違う方向へ飛んで行く。飛んで行った先には柱があり、柱に当たると再び跳ね返ってフィランの方へ飛んで行き、フィランの右上腕部を掠めた。
「……ッ!?」
突然右腕から伝わる痛みにフィランは思わず声を漏らす。幸い痛みはそれほど酷いものではなかったため、体勢を崩すことは無かった。
フィランは痛みに耐えながら無表情で自分の腕の傷を確認する。この時のフィランは跳ね返ってきた石が当たって傷を負ったことに気付いておらず、どうして傷を負ったのか理解できずにいた。
「フフフフ、痛そうね?」
アローガは両手を腰に当てながら楽しそうに笑っており、アローガの顔を見たフィランはここまでの流れから腕の傷がアローガの仕業で彼女の混沌術が関わっていると感じていた。
フィランはコクヨを構え直すとアローガに向かって走り出す。アローガの混沌術の能力は分からないが、右腕の傷に混沌術が関わっている可能性が高いと考えているフィランは再び混沌術を使われる前にアローガを倒してしまおうと考えたのだ。
走って来るフィランを見たアローガは鼻で笑いながら左腕を横に伸ばし、手の中に風を集めると風刃を放つ。この時、アローガは混沌術を発動し続けており、風の刃にも混沌術の力が付与されていた。
フィランは自分がいない方へ放たれた風の刃を見て意外に思う。アローガのここまでの行動を考えると無駄な攻撃をするとは思えないとフィランは考え、何かあると感じながら風の刃を見る。
風の刃が飛んで行く先には柱があり、当たれば柱が切れるか風の刃が消滅するとフィランは思っていた。だが風の刃は柱に当たると跳ね返ってフィランの方へ飛んで行く。
自分に向かって飛んでくる風の刃を見たフィランは足に力を入れて急停止し、咄嗟に後ろへ跳んで風の刃の射線上から移動した。
風の刃は右から飛んできてフィランの目の前を通過し、フィランはギリギリで回避に成功した。ところが風の刃が飛んで行った先には二階へ続く階段があり、風の刃は階段の手すりに当たると再び跳ね返ってフィランの方へ飛んで行き、フィランの背中を切り裂いた。
「……ンンッ!」
背中の激痛にフィランは無表情で奥歯を噛みしめる。右腕と比べて背中の痛みは酷く、フィランは僅かによろめいてしまう。痛みは酷いが背中の切傷は運よく浅かったため重傷ではなかった。
フィランは俯きながら痛みに耐え、先程の出来事とこれまでの情報から魔法が跳ね返って来たことを知り、跳ね返りがアローガの混沌術によるものだと理解した。
「流石に気付いたかしら?」
アローガに声を掛けられ、フィランは顔を上げるとアローガがフィランを見ながら左手の中に風を集め、右手の甲に入っている混沌紋を見せる姿があった。
「魔法や無機物に跳ね返る力を加え、相手の死角から攻撃することを可能にする。それが私の“反射”の力よ!」
自身の混沌術をアローガは自慢げに語り、フィランは無表情でアローガを見つめながら脇構えを取った。
フィランが構えた瞬間、アローガは左手をフィランに向けて風の刃を放つ。薄っすらと紫色に光る風の刃を見たフィランはコクヨを強く握りながら刃に向かって走り出す。




