第百七十話 捕らわれた月と太陽
「ど、どうしたのかしら?」
アイカは遠くで揉めているパーシュとフレードを見ながらまばたきをしており、隣に立つユーキは口喧嘩の原因が何となく想像できたのか小さく苦笑いを浮かべる。
パーシュとフレードを見た後、ユーキはチラッと簡単に周囲を確認した。既に森から出てきたベーゼは全て倒され、ユーキたちの近くには誰もいない。ベーゼがいないのを確かめたユーキは軽く息を吐いて少しだけ気を楽にする。
「とりあえず、他にベーゼの気配は無いみたいだな」
「ええ」
ユーキが月下と月影を鞘に納めながらアイカに声を掛けると、アイカもユーキの方を見ながらプラジュとスピキュを納める。
「それにしても、いきなり森からベーゼが飛び出してきたから驚いたわ」
「そうだな。……だけど、これで今回の失踪事件がベーゼの仕業だと言うことがハッキリした」
ユーキは森の方を向きながら呟き、アイカも同じように森を見つめる。するとそこへ二人から距離を取っていたリタがやって来た。
「大丈夫かい、アンタたち?」
「ハイ、俺たちは大丈夫です」
「そうかい。……それにしても、あんなにアッサリとベーゼどもを倒しちまうなんて、アンタら、思っていた以上にやるじゃないか。ちょっと見直したよ」
「ハハハッ」
ニッと笑みを浮かべるリタを見てユーキも小さく笑い返す。アイカも冒険者であるリタが自分たちを少しは認めてくれたことが嬉しいのか微笑みながらリタを見つめている。
「とりあえず。一旦町へ戻ってイェーナ夫人に今回のことを知らせる必要があるね」
「ええ、ベーゼが関わっているとなると、調べなきゃいけないこともありますし……」
僅かに低い声でユーキは呟き、アイカとリタもユーキを見ながら難しい顔をした。
「……とりあえず、ヴェラリアたちの所へ行こう。アイツらやアンタたちの仲間も無事かどうか確認しないといけないしね」
リタはそう言うと駆け足で一番近くにいるフィランたちの下へ向かう。ユーキとアイカもパーシュたちと合流するため、リタの後を追って歩き出す。だがその時、森の中から枯草色の丸い何かが勢いよく飛んで来てユーキとアイカの足元に落ちる。
落ちた丸い物は陶器が割れたような音を響かせ、その中から薄い水色の煙が出てきてユーキとアイカを包み込んだ。
「うわぁっ!?」
「キャアア!?」
突然の煙にユーキとアイカは思わず声を上げ、二人の声を聞いてリタや喧嘩をしていたパーシュとフレード、フィランたちも一斉にユーキとアイカの方を向いた。
「エホッ、ケホッ! な、何だこの煙は?」
煙に包まれるユーキは咳き込みながら辺りを見回す。現状と先程ベーゼと戦ったことから、ユーキは目の前の煙がベーゼの仕業である可能性が高いと推測した。
「アイカ、この煙、ベーゼの新しい瘴気か何かかもしれない。急いで離れ……」
ユーキはアイカがいる方を見ながら声を掛ける。だがユーキの目に入ったのは俯せに倒れて意識を失っているアイカの姿だった。
驚くユーキはアイカに駆け寄ろうとする。だが動いた直後、ユーキはとてつもない眠気に襲われてふらついてしまう。
「な、何だ? ……ま、まさかこれ……催眠ガス?」
周りの煙の正体に勘付いたユーキは顔に左手を当てながら片膝をつく。意識を失わないように強化で精神力などを強化しようとするが、既に煙を吸い込んでしまっていたユーキは強化する前に意識を失い、アイカと同じように倒れてしまった。
煙から離れた所ではパーシュとフレードが目を見開きながら煙を見ている。この時の二人もユーキと同じように煙がベーゼの仕業だと考えていた。
パーシュとフレードはユーキとアイカを助けるために煙に向かって走り出し、フィランやヴェラリアたちも走って煙に近づこうとする。すると森の中から再び枯草色の球体が飛んできてパーシュたちの数m前に落ち、パーシュたちの向かう先に煙を広げた。
新たに発生した煙を見てパーシュたちは急停止し、一斉に森の方を向く。森の中には一体の怪物がおり、パーシュたちをジッと見つめていた。
怪物は体長2mほどで枯葉色の楕円形の体からは先端の尖った蟹のような足が四本生え、体の半分くらいの大きさの頭部を持っている。頭部には青く鋭い二つ目と短い砲身のような口が付いていた。
「アイツは、シューラフトか」
「シューラフト、相手を眠らせることができる中位ベーゼだったね……」
パーシュとフレードは枯葉色のベーゼ、シューラフトを鋭い目で見つめ、水色の煙がシューラフトが作り出した敵を眠らせる煙だと知った。
シューラフトを睨むパーシュは左腕を上げ、火球をシューラフトに撃ち込もうとする。そんな時、最初に広げられた煙が消えて俯せに倒れるユーキとアイカが姿を見せた。
ユーキとアイカが倒れているのを見たパーシュとフレードは一瞬驚きの反応を見せるが、シューラフトの煙に包まれていたことから、二人が煙を吸って眠らされているだけだと知って安心する。
パーシュたちはユーキとアイカを助けるため、二人に駆け寄ろうとするが、森の中から新たに鳥の足と蝙蝠の翼を持った飛行ベーゼ、ルフリフが四体現れて倒れているユーキとアイカに近づく。そして二体ずつに分かれて倒れているユーキとアイカを足で掴みながら上昇し始めた。
「アイツら、連れ去る気か!」
ルフリフたちがユーキとアイカを掴む姿を見たフレードは表情を険しくし、パーシュも最悪の状況になろうとしていると知って目を見開く。
パーシュはルフリフたちに向けて左腕を伸ばし、火球で撃ち落とそうとする。だが、フレードがパーシュの左腕を下ろさせて火球を撃つの止めた。
「やめろ! ルナパレスとサンロードに当たっちまう」
「じゃあ、どうするんだい! このまま連れ去られるのを黙って見てるってのかい!?」
興奮しながらパーシュはフレードを睨み、フレードもジッとパーシュを見つめる。すると、フィランがコクヨを脇構えに持ちながら静かに前に出た。
「……私の暗闇でルフリフたちの視覚を奪う。その隙にルフリフたちを斬って二人を救出する」
フィランの提案を聞いたパーシュとフレードはフィランの方を見る。現状から自分たちよりもフィランの力と混沌術の方が安全にユーキとアイカを助け出せると二人は感じ、この場はフィランに任せることにした。
パーシュたちが見守る中、フィランはユーキとアイカを助けるため、二人を運ぶルフリフたちに向かって走ろうとする。ところがフィランが動こうとした時に森の中にいたシューラフトが砲身のような口から枯葉色の球体をパーシュたちに向かって勢いよく飛ばした。
球体はパーシュたちの近くに落ちると割れて水色の煙を広げる。煙は一瞬にしてパーシュたちを包み込んだ。
「マズイ、息を止めな!」
煙を吸えば瞬時に眠気に襲われ、意識を失ってしまうことを知っていたパーシュはフレードたちに指示した。
シューラフトのことを知っているフレードとフィランはすぐに息を止める。ヴェラリアたちティアドロップのメンバーも煙を見て、吸ってはいけないと冒険者の勘が働いたのか咄嗟に息を止めて煙を吸わないようにした。
パーシュたちは濃い煙で視界を奪われて動くことができない。その間にルフリフたちは眠っているユーキとアイカを森の奥へと運んで行く。
シューラフトの煙の睡眠効果は強いのか、体が大きく揺れても二人は目を覚まさない。その結果、ユーキとアイカはルフリフたちによって薄暗い森の奥へ連れていかれてしまった。
ユーキとアイカが森の奥へ運ばれるとシューラフトも煙に包まれるパーシュたちを見ながらゆっくりと後退し、森の奥へと姿を消す。それからしばらくして煙が消え、パーシュたちはベーゼたちの奇襲を警戒しながら周囲を見回した。
「ユーキ、アイカ、何処だい!?」
パーシュは大きな声で呼びかけるがユーキとアイカからの返事は無く、ベーゼたちの姿も無い。現状から既にユーキとアイカがベーゼによって森の中へ連れ去られたのだとパーシュは知った。
「クゥッ、やられた……!」
フレードはリヴァイクスを握る手に力を入れ、険しい顔をしながら奥歯を噛みしめる。フィランは無表情のままシューラフトがいた場所を無言で見つめていた。
「グウゥッ!!」
パーシュは悔しさと怒りの籠った声を出しながらヴォルカニックで地面を力一杯叩く。ヴェラリアたちは仲間を攫われたパーシュたちを気の毒そうに見つめていた。
「……これからどうする?」
ユーキとアイカが連れて行かれ、最悪の空気になっている中、ヴェラリアはパーシュたちに声を掛ける。しばらくの沈黙の後、フレードが振り返ってヴェラリアの方を見た。
「……一度町へ戻って態勢を整える」
「何?」
フレードの言葉にパーシュは耳を疑い、ヴェラリアたちも意外そうな反応を見せる。たった今、目の前でユーキとアイカがベーゼに連れ去られたのにアルガントの町へ戻るというフレードの判断にパーシュは驚きを隠せなかった。
「ちょっと待ちな! ユーキとアイカが攫われたっていうのに、このまま帰る気かい?」
「仕方ねぇだろう。既にベーゼどもは森の奥へ消えちまってどっちへ行ったのかもわからねぇ。今から奴らを追っても見つけることはできねぇ」
「だからって、このままあの子たちを放っておくのかい?」
「誰も放っておくなんて言ってねぇ。町に戻って夫人にこのことを伝え、冒険者や必要な道具を準備してもらってから森に入るんだ。このまま俺らだけで森に入っても迷って出られなくなるだけだ」
若干興奮するパーシュにフレードは落ち着いた様子で語り掛け、フレードの言葉が正論だと感じたのかパーシュは納得できないような顔をしながら小さく俯く。
普段は短気ですぐに感情的になるフレードをパーシュが落ち着かせるのだが、今回は立場が逆転しており、フレードがパーシュを落ち着かせる状況になっていた。
フレードはよくいい加減で単純な考え方をすることがあるが、イザという時は冷静に物事を判断するため、メルディエズ学園でもカムネスや教師たちから一目置かれている。勿論、パーシュもそのことを理解しているため、普段喧嘩ばかりしていても学園の実力者として認めていた。
「……だがこのまま町に帰って、その間にユーキとアイカがベーゼたちに殺されちまったらどうするんだ。それこそ取り返しのつかないことになっちまうよ?」
「確かに町に戻って準備を整える間にあの二人が殺される可能性もある。準備のために町に戻るのもありだが、一か八か森に入り、二人の捜索に向かうのもありかもしれないぞ?」
話を聞いていたヴェラリアが森の捜索を提案し、パーシュはヴェラリアが自分の考えに賛同したのを見て意外そうな反応を見せた。
フレードの言うとおり、準備もせずに迷いやすい森に入るのは危険すぎる。だが、ユーキとアイカがどうなるか分からない状況でアルガントの町へ戻り、時間を掛けて準備をするのも危険な賭けと言えた。
ユーキとアイカが大丈夫だと保証されていない以上、多少危険でも森に入ってユーキとアイカを探した方がいいのではとヴェラリアは考え、二人を助けに行った方がいいのではと進言したのだ。
「……高確率で、二人は殺されないと思う」
無言で森を見ていたフィランがパーシュたちに声を掛け、その場にいた全員が一斉にフィランの方を向いた。
「二人が殺されないって、どうしてそう言い切れるんだい?」
「……もしも殺すつもりなら、ベーゼたちは二人が眠っていた時に止めを刺していたはず。だけど、ベーゼたちは殺さずにユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードを連れ去った。……殺さずに生け捕りにする理由があったと言うことになる」
フィランは無表情のまま語り、パーシュたちは黙ってフィランの話を聞く。同時にフィランをよく知るパーシュとフレードは珍しく長く喋るフィランを見て少し驚いていた。
「……あの場にいたベーゼはシューラフト以外は全て知能の低い下位ベーゼ。下位ベーゼが自分の意思で敵を生け捕りにするという複雑な行動を取るとは思えない」
「つまり、ベーゼたちは誰かに指示されてユーキとアイカを捕まえた。そして、何かしらの理由で生け捕りにされたユーキとアイカはすぐには殺されることはないと言いたいのかい?」
パーシュはフィランが伝えたいことを予想して尋ねるとフィランはパーシュの方を向くと無言で小さく頷く。フィランが頷くのを見たパーシュたちは難しい表情を浮かべる。
ベーゼの生態や先程の状況を考えれば確かにユーキとアイカがすぐに殺される可能性は低い。殺される可能性が低いのなら、森に入る準備をする余裕も少しはあるのではとパーシュたちは思った。
「ベーゼたちが何のために生け捕りを指示したのかは分からないが、ユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードがすぐに殺される可能性が低いなら、焦る必要は無さそうだな」
「ああ……ただ下位ベーゼどもに生け捕りにしろって命令を出せる奴がいるとなると、ソイツはより知能の高いベーゼ、最悪上位ベーゼってことになる。迷いやすい森に入る上に上位ベーゼが指揮するベーゼの集団と戦うことになるかもしれねぇとなると、町に戻ってしっかり準備をする必要があるな」
現状からフレードはやはりアルガントの町へ戻るべきだと判断し、先程までユーキとアイカを探しに行こうと考えていたヴェラリアも町に戻った方がいいかもと考える。
リタたちティアドロップのメンバーはヴェラリアが町に戻ろうと思っているのならそれに従うつもりのようで、不満そうな様子は見せずにフレードとヴェラリアを見ている。
フィランも最初から町へ戻るつもりでいたため、表情を変えずに無言でフレードたちを見つめていた。
「ルナパレスとサンロードがすぐに殺せれる可能性が低いなら、一旦町に戻って準備を整えてから森を調べた方がアイツらを見つけやすいと思いが、どうすんだ?」
フレードはパーシュの方を見てどう動くか尋ねる。声を掛けられたパーシュは僅かに表情を歪ませながら俯き、しばらく考えた後に顔を上げた。
「……分かったよ。一旦町へ戻ろう」
「まっ、それが賢明な判断だな」
アルガントの町へ戻る決意をしたパーシュを見ながらフレードは小馬鹿にするように笑い、フレードの反応を見たパーシュはムッとする。
普段なら一言文句を言うのだが、今回は感情的になっていたことやフレードに正論を言われたことから、文句を言える立場じゃないと感じたパーシュは何も言わなかった。
しかし、殺される可能性が低いとは言え、ユーキとアイカの命が保証されているわけではない。二人が危険な状態にある以上、パーシュたちは急いでアルガントの町へ戻ってユーキとアイカを助ける準備をしなくてはならなかった。
パーシュたちはアルガントの町へ戻るために走って荷馬車まで走り、全員が乗ると御者席のヴェラリアは荷馬車を走らせて町へ向かう。荷台ではパーシュたちが徐々に小さくなる森を見ていた。
(ユーキ、アイカ、すぐに戻って必ず助けるから、それまで死ぬんじゃないよ!)
ユーキとアイカの無事を祈りながらパーシュは心の中で二人に語りかけた。
――――――
水音が響く石造りの地下、数少ない壁掛け松明で照らされており、薄暗く不気味さが感じられた。そこには無数の牢屋があり、中では若い男女が数人に分けられた閉じ込められている。
閉じ込められている者の殆どは放心状態と言えるような状態で床に座り込んでいた。中には目に光が宿っている者もいるが数えるくらいしかおらず、全員大人しくしている。
幾つもある牢屋の内の一つにユーキが閉じ込められていた。仰向けの状態で倒れており、月下と月影、ポーチなどは無く、メルディエズ学園の制服も着ていない。上半身裸で下着だけ穿いている状態で眠っていた。
「ん、う~ん……」
小さい声を出しながらユーキはゆっくりと目を開ける。若干ぼやける視界の中、目だけを動かして周囲を確認し、起き上がるとゆっくり目を擦った。
「うう~、此処は何処だ?』
視界が良くなるとユーキは座ったまま改めて現状を確認した。畳六畳ほどの広さの部屋に自分一人だけがおり、裸足で下着姿のまま座っている。前と右には石造りの壁、左側に鉄格子があり、ユーキは自分が牢屋の中にいるとすぐに気付いた。
牢屋に閉じ込められていることを知ったユーキは次にどうして自分が閉じ込められているのか記憶を辿っていく。そして、ベーゼとの戦いに勝利した後に水色の煙を吸ってしまい、その直後に強い眠気に襲われて意識を失ってしまったことを思い出した。
「ベーゼと戦った直後に煙に包まれて、その煙を吸った後に眠っちまったんだったな。……となると、やっぱりあの煙はベーゼの仕業だったんだな」
胡坐を組むユーキは呟きながら情報を整理し、自分はアイカと共にベーゼに眠らされた後、何処かに連れ去られて牢屋に閉じ込められたのだと推測する。何処にいるかは分からないが、少なくともベーゼの隠れ家のような場所にいるのは間違い無いとユーキは考えた。
「ベーゼたちは何のために俺とアイカを生け捕りにしたんだ? ……いや、それよりもアイカは何処なんだ?」
一緒に捕まったはずのアイカが近くにいないことから、別の牢屋に閉じ込められているのではと思ったユーキは鉄格子に近づいて牢屋の外を確認すると。外には他にも牢屋が幾つもあり、その中に数人の若い男女が閉じ込められているのが見えた。
ユーキは他にも捕まっている者がいると知って意外に思いながらアイカを探す。しかし見える場所にある牢屋の中にアイカの姿は無かった。
「アイカはいないか。……それにしてもこんなに沢山の人が捕まってたのか」
「どうかした?」
突然静かな地下牢に女性の声が響き、ユーキは鉄格子の間から僅かに顔を出しながら声が聞こえた左側を確認する。すると、ユーキが閉じ込められている牢屋の左隣の牢屋から一人の少女が僅かに顔を出すのが見えた。
ハッキリとは見えないが、少女は十代半ばくらいで濃い黄色の目を持ち、濃い茶色のショートボブヘアをしている。体は確認できないがユーキや他の牢屋に閉じ込められている者たちが下着姿であることから、その少女も下着以外は何も身につけていないのは間違い無い。
「君、大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。さっき目が覚めたばかりで此処が何処か確認してたんです」
「そう、君みたいな小さい子が連れて来たのを見た時は驚いたわ。牢屋に入れられてからもずっと眠ったままだったし、大丈夫なのか心配だったのよ?」
「アハハ、すみません」
自分を心配してくれている少女にユーキは苦笑いを浮かべながら謝り、ユーキの声を聞いた少女は体に異常は無いと知ったのか小さく笑う。
「あの、此処って何処なんですか? 俺、連れて来られた時に眠っていたんで何処なのかよく分からないんですけど……」
簡単なコミュニケーションを取るとユーキは真剣な表情を浮かべて少女に尋ねる。他の牢屋に閉じ込められている者たちは殆どが放心状態でまともな会話ができるかどうか分からないため、普通に会話ができる少女から情報を得ようと思ったのだ。
ユーキに問い掛けられた少女は笑みを消し、数秒黙り込んでから静かに口を開いた。
「……此処はエリザートリ教団の隠れ家よ」
「エリザートリ教団!? やっぱり蘇っていたのか……」
予想していたとおり、エリザートリ教団が復活していたことを知ったユーキは僅かに目を鋭くする。
自分がエリザートリ教団の隠れ家の牢屋に閉じ込められていること、ベーゼが自分とアイカを連れ去ったことから教団は蘇っただけでなく、以前と違って崇拝しているベーゼと手を組んでいるのだと知った。
ベーゼを崇拝する宗教団体がベーゼと直接繋がっていることを知ったユーキは自分が思っていた以上に厄介な状況になっていると表情を曇らせる。しかし今は情報を集めることが重要なため、気持ちを切り替えて情報を集めることに集中した。
「教団は信者が欲しがっているものを持つ人の血を飲んでその欲しがっているものを手に入れようとする集団でしたよね?」
「君、詳しいのね。……そうよ、この地下牢にいる人たちは皆、教団の慣習のための生贄として攫われた人たちなの」
「生贄、ですか……」
人間を生贄とするエリザートリ教団の狂気的な活動にユーキは気分を悪くする。
欲のために人の命を平気で奪い、ベーゼに加担する教団は絶対に壊滅させなくてはならない。ユーキは改めて教団を壊滅させる意思を強くした。
「四ヶ月前からアルガントや周辺の村に住む若い人たちが次々に姿を消すようになっていたの。私たちはその消えた人たちを探すために町の周辺を調べていたんだけど、私たちも教団に捕まってしまってこの様よ……」
「調べてたってことは、貴女は冒険者なんですか?」
「ええ、少し前に町の近くにある村を調査してたんだけど、モンスターとは違う不気味な怪物たちに捕まって此処に連れて来られたのよ」
「貴方もベーゼに捕まったんですね……」
「ベーゼ? あの怪物たちが?」
少女はベーゼを見たことが無かったのか、ユーキの話を聞いて意外そうな反応をする。
「君、まだ十歳くらいの子供のはずなのにベーゼのことを知ってるの?」
「ええ、一応メルディエズ学園の生徒ですから」
「えっ、メルディエズ学園の生徒だったの?」
ユーキの正体を知った少女は驚きの反応を見せ、鉄格子を掴みながらユーキが閉じ込められている牢屋の方を見た。
「ええ、イェーナ夫人から依頼を受けて消えてしまった人たちの探索をするために帝国に来たんです」
「イェーナ夫人、ヴェラリアさんのお母様から……」
「……! 貴女、ヴェラリアさんを知ってるんですか?」
少女がヴェラリアの知り合いだと知ったユーキは意外に思いながら尋ねる。少女はユーキが入れられている牢屋を見つめながら小さく頷いた。
「ええ、ヴェラリアさんは私の先輩で冒険者に必要なことを色々教えてくれた人なの」
「ヴェラリアさんが先輩……それじゃあ、貴女がヴェラリアさんが探していた後輩の冒険者……」
「……ッ! ヴェラリアさん、私を探しているの?」
「ハイ、自分がアルガントの町にいない時に貴女が行方不明になったと知って、貴女を見つけるためにクロフェ家の跡継ぎにならず、冒険者を続けていると聞きました」
ユーキがヴェラリアのことを話すと、少女は目を見開いて信じられないような表情を浮かべる。後輩である自分のためにクロフェ家の跡を継がずに冒険者を続けていると知った少女は驚くと同時に嬉しさを感じていた。
ヴェラリアの行動に少女はしばらく感動していたが、気持ちが落ち着くと再び真剣な表情を浮かべてユーキの牢屋の方を見る。
「それで、ヴェラリアさんは今どうしてるの?」
少女がヴェラリアのことを尋ねるとユーキは僅かに眉を寄せて難しい表情を浮かべる。
「分かりません。此処に連れて来られる前にヴェラリアさんたちと一緒に町の北東にある森に行ったんですけど、そこでベーゼに襲われて此処に連れて来られたんです。……ただ、その時のヴェラリアたちは俺の仲間と一緒にいたので、ベーゼにやられたりはしていないはずです」
「そう……」
ヴェラリアの現状を聞いて少女は安心する。ただ、商売敵であるメルディエズ学園の生徒と共に失踪事件の調査をしていると聞いて若干複雑な気分にもなっていた。
「冒険者は貴女だけなんですか?」
「いいえ、まだ何人か捕まってるわ。最初は何人か、此処から脱出するために計画を立てていたのだけど、信者たちにバレて酷い暴行を受けたの。そのせいなのか、今では脱出する意思を失い、他の人たちと同じように抜け殻みたいになってるわ」
そう言って少女は他の牢屋に入っている若い男女たちを見る。ユーキは冒険者が脱出する意思を失ってしまうほどの暴行を受けたと聞き、拷問のような仕打ちを受けたに違いないと表情を鋭くした。
「貴女はまだ諦めてないんですか?」
「勿論。殺される前に必ず脱出してアルガントに戻り、仲間たちと一緒に捕まっている人たちを助けるつもりよ」
少女が他の者たちと違って脱出することを諦めていないと知ったユーキは少女が強い精神力を持っていると知って感心する。ヴェラリアも強い意志を持っていたため、少女とヴェラリアは似ているとユーキは感じていた。
「ところで、俺と一緒にメルディエズ学園の女子生徒が連れて来られたと思うんですけど、彼女が何処にいるか知りませんか?」
ユーキは少女からある程度話を聞くとアイカについて尋ねた。少女は小首を傾げながらユーキが連れて来られた時のことを思い出す。
「……いいえ、君が来た時には他に誰もいなかったわ」
「そうですか」
アイカを見ていないと聞いてユーキは残念そうな表情を浮かべ、アイカは今何処にいるのか、無事でいるのかと不安になる。
ユーキが俯きながらアイカのことを考えていると、少女は何かを思い出してフッと顔を上げた。
「そう言えば、君を連れて来た教団の信者たちが女の子のことを話していたわ」
「女の子?」
「ええ、金髪で混沌士の女の子で、洗礼を受けさせると言ってたわ」
少女の話を聞いてユーキは大きく目を見開く。今の状況で金髪の混沌士の少女と言ったら絶対にアイカだとユーキは確信した。
「その洗礼って何をするんです?」
「教団の連中は清らかな生贄の血を飲むことで強い力や美しさを得られると信じてるみたい。清らかな生贄にするためと言って熱いお湯を頭から何度もかけるの。特に女に子は連れて来られた直後、必ず洗礼を受けさせられるわ」
「必ず?」
「ええ、間違い無いわ。何しろ私も洗礼を受けたから」
嫌なことを思い出した少女は低い声を出す。ユーキはアイカを同じ目に遭わせるわけにはいかないと考え、目を鋭くする。
「その女の子、今何処にいるか分かりますか?」
「洗礼を行うって言ってたから、きっと洗礼室だと思うわ」
「洗礼室は何処です?」
「此処と同じ地下一階よ」
地下牢と同じ階にあると聞いたユーキは廊下を見回し、地下牢の見張りがいないことを確認すると鉄格子を両手で掴んで混沌紋を光らせて強化を発動する。
強化で両腕の腕力を強化するとユーキは力一杯両手を横に動かす。すると鉄棒は飴細工のようにグニャリと曲がり、ユーキが通れるくらいに広がった。
通れるようになるとユーキは音を立てないように静かに廊下の外に出て、隣の牢屋に入っている少女は外に出たユーキを見て目を見開く。
「えっ? ちょ、ちょっと君、何をしたの?」
「何って鉄格子を曲げて外に出たんですよ」
「はあ? どういうこと?」
意味が分からない少女は混乱しながら鉄格子を掴んでユーキを見つめる。他の牢屋でも意識がハッキリしている者は驚いた様子でユーキに注目している。
外に出たユーキは強化を発動させたまま先程曲げた鉄棒を掴んで元の形に戻す。曲げたままだと信者が地下牢に来た時に脱走したことがすぐバレるため、少しでも時間を稼げるよう元に戻したのだ。
鉄棒を戻したユーキは強化を解除し、情報を教えてくれた少女を見る。少女はアイカと同じくらいの身長で下着姿のまま床に座っていた。
「俺はこれからアイカ、仲間を助けるために洗礼室へ行ってきます。彼女を助けたら戻って来るので待っててください」
そう言うとユーキは下着姿のまま走って奥へ走っていった。
「な、何なのあの子……もしかして、あの子も混沌士?」
少女はキョトンとしながらユーキが走っていった方を見つめる。すると、ユーキが戻って来て少女の牢屋の前で止まった。
「……ところで、洗礼室ってどっちですか?」
苦笑いを浮かべながら尋ねるユーキを見て少女は目を点にする。目的地の場所も分からずに走っていたのだと知った少女は呆れたように溜め息をついた。
「……あっち」
少女はユーキが走っていった方角と正反対の方角を指差し、方角を教えてもらったユーキは苦笑いを浮かべたまま「ありがとうございます」と軽く頭を下げて走り出した。
走っていくユーキを見て少女や他の牢屋に閉じ込められている者たちは「大丈夫なのか」と小さな不安を感じるのだった。




