第十四話 邪悪との邂逅
ホブゴブリンが倒された光景を見てアイカやアーロリア、村人たちは驚きの反応を見せる。特に村人たちは自分たちが手も足も出せなかったホブゴブリンを児童が倒したことにとても驚いていた。アーロリアも目を丸くしながら固まっている。
一方でアイカはユーキならホブゴブリンに勝てるかもしれないと思っていたため、アーロリアや村人たちほど驚いてはいないが、それでも無傷でホブゴブリンを倒したことには驚いて目を見開いていた。
「……凄い。混沌術を使っていたのだろうけど、あの小さな体でホブゴブリンを簡単に倒してしまった。もしかすると、私より強いかもしれないわ」
ユーキの戦いを目にし、自分よりも実力が上なのではとアイカは感じる。児童であるユーキが自分よりも強いということに対し、小さな嫉妬心を感じていたが、それ以上に同じメルディエズ学園の生徒として、そして剣士としてユーキのことが頼もしく思えた。
どうして小さな体でそれだけの強さを得られたのか、アイカはユーキの剣術であるルナパレス新陰流についてますます興味が湧き、より詳しく知りたいと考える。
アイカがユーキの姿を見ていると、ホブゴブリンの攻撃で負傷した村人たちが苦痛の声を漏らす。それを聞いたアイカは周囲を見回し、少し離れた所で呆然とユーキを見ているアーロリアと村人を見つける。
「アーロリアさん! 早くこっちへ!」
急いで負傷した村人を運ばなくてはならないため、アイカは大声でアーロリアを呼ぶ。アーロリアはアイカの声を聞くと我に返り、声を掛けた村人を連れてアイカの下へ向かう。
アーロリアは四人の村人と共にアイカと合流し、村人たちは負傷した仲間を安全な場所へ運ぶ。アイカとアーロリアは村人たちの護衛に就き、安全な場所へ負傷者を連れて行く。
前線から少し離れた所にある小屋まで負傷者を運ぶと、アイカたちは負傷者の状態を確認する。外傷はホブゴブリンの棍棒を受けて付けられた打撲の傷しか見られないが、力の強いホブゴブリンの攻撃を受けたため、内臓までやられている可能性があった。
アイカは持っていた支給品のポーションを負傷者に渡し、アーロリアも自分の持っているポーションを手渡す。ポーションを受け取った負傷者たちは自分たちが飲んでもいいのか、と驚いたような顔でアイカとアーロリアを見るが、アイカが笑顔を浮かべるのを見て負傷者たちはポーションを一気に飲み干す。
ポーションを飲んだ直後、今まで感じていた鈍い痛みと傷が綺麗に消え、負傷していた村人たちは驚きの表情を浮かべる。他の村人たちもポーションの効き目を見て驚いていた。
「これでもう大丈夫です。ですが、傷は治っても疲労が無くなった訳ではないので、しばらく此処で休んでいてください」
「わ、分かりました」
負傷していた村人の一人が頷くとアイカは真剣な表情を浮かべてアーロリアと彼女が連れてきた村人たちの方を向く。アイカと目が合うとアーロリアと村人たちは緊張したような表情を浮かべる。
「ホブゴブリンを倒したとはいえ、まだゴブリンたちが残っています。彼らを倒すまで安心はできません。すぐに前線に戻って戦っている人たちに加勢しましょう」
「ハ、ハイ」
アーロリアは力の入った声を出して返事をする。戦いが始まる前と違って少しだけ戦いに慣れて自信が付いたようだ。
「貴方がたは念のためにこちらに残って負傷していた方々の護衛に就いてください。残りのお二人は私たちともに前線に戻ります」
アイカは視線をアーロリアが連れてきた四人の村人に向け、二人に負傷していた村人たちの護衛を任せ、残り二人には自分たちと戻るよう指示を出す。指示を受けた村人たちは無言で頷き、それを見たアイカは小屋を出て前線に向かう。アーロリアと二人の村人もそれに続いた。
前線である村の南西に戻ったアイカたちは前線の様子を見て目を見開く。村に侵入してきたゴブリンは殆どが倒され、残っているのは傷だらけになっている数体のゴブリンだけで村人たちと交戦している。
「ゴブリンたちが殆ど倒されている。私たちが離れている間に何が……」
「負傷した人は運び終わったか?」
アイカが驚いているとユーキが呑気そうな顔をしながら近づいて来る。その後ろにはアーロリアを置いて逃げたバドバンの姿もあり、アイカやアーロリアと目を合わせたくないのかそっぽ向いていた。
「ユーキ、ゴブリンがかなり倒されているけど、もしかして全部貴方が倒したの?」
「まさか、村の人たちと協力して倒したのさ。ホブゴブリンが死んでゴブリンたちの士気は低下し、逆に村の人たちの士気は高まってたからな。チャンスだと思って全員で仕掛けたんだ」
「そうだったの。ところで……」
アイカはチラッとユーキの後ろにいるバドバンに視線を向け、アーロリアと村人たちもバドバンの方を見る。
「ああぁ、村人たちの後方でコソコソしてたから連れてきたんだよ」
ユーキは後ろを向いてなぜバドバンが一緒にいるのか説明し、アイカたちは村人たちが戦っているのに自分だけ後ろに下がっていたバドバンを呆れたような顔で見つめた。特にアーロリアはバドバンに一度見捨てられているため、軽蔑するような目で見ている。
バドバンはアーロリアの視線に気付くと小さく舌打ちをし、それを見たアーロリアは反省していないと感じてバドバンを軽く睨み付ける。そんなアーロリアをユーキは黙って見つめていた。
ユーキがアーロリアを助ける時、バドバンがアーロリアを見捨てて逃げた光景を見ていたため、ユーキはアーロリアがバドバンを睨むのも仕方がないと感じていた。
「……村の人たちが必死にゴブリンと戦っているのに、貴方はいったい何をしているのですか?」
居心地の悪そうな顔をしているバドバンにアイカが低い声で尋ねる。バドバンはアイカの質問に反応し、苛立っているような顔でアイカを見た。
「勘違いしてほしくないっスね。俺は確実にゴブリンを倒せるようタイミングを計ってただけっスよ」
「村人がゴブリンに殺されるかもしれない状況なのにタイミングを計っていたと言うのですか?」
「そうっスよ? 確実に敵を倒すためにタイミングを計って動く、それが確実に勝利を得るための手段なんスよ」
自分はゴブリンに怯えていたわけではなく、ゴブリンを倒す隙を窺っていたと言い張るバドバンをアイカは鋭い目で見つめ、村人たちは険しい表情を浮かべていた。
村をゴブリンから護るためにやって来たメルディエズ学園の生徒がゴブリンと戦っている村人に助力せず、ゴブリンを倒す隙を窺っていた、などと言えば村人たちが怒りを感じるのも当然だ。アーロリアもバドバンを睨み続けており、ユーキは呆れ顔で肩を竦めていた。
「本当はホブゴブリンを倒したかったんスけど、ルナパレスに横取りされちゃいましたからね。仕方なく、ゴブリンの相手をすることにしたんスよ」
「いい加減にしてください。ゴブリンとすらまともに戦えない人がホブゴブリンと戦って勝てるはずがないじゃないですか。貴方では間違い無く返り討ちに遭ってましたよ」
アイカが少し力の入った声でホブゴブリンに勝てないと語ると、それを聞いたバドバンは顔を険しくしてアイカを睨み付けた。
「サンロードさん、いくら中級生でも言っていいことと悪いことがあるっスよ? 俺が戦っているところをちゃんと見てないのに勝手なことを言ってほしくないっスね」
「戦っているところを見ていなくても、貴方の性格や戦いが始まってからの行動を考えれば、貴方がまともに戦えないことぐらいは分かります。それにさっきまでの会話から、貴方は一体もゴブリンを倒していないのでしょう?」
目を細くしながらアイカが尋ねると、バドバンは無言で目を見開く。どうやら図星のようだ。バドバンの反応を見たアイカは呆れ顔で深いため息をつく。
「ユーキはゴブリンとホブゴブリンを倒し、アーロリアさんも一体だけですがゴブリンを倒しました。一体も倒していないのに余裕を見せたり、偉そうなことを言うのは男性としてどうかと思いますよ?」
哀れむような声で口調で語るアイカを見て、バドバンは悔しさと恥ずかしさから顔を赤くする。バドバンの反応を見たユーキはニッと笑い、アーロリアも少しだけスッとしたのか険しくしていた表情を和らげた。
恥をかかされたバドバンは俯きながら両手を強く握って震わせる。どうにかして周りにいる連中を見返してやりたい、そう考えていたバドバンは顔を上げると目を鋭くしてユーキやアイカたちを見た。
「……分かったよ! ゴブリンを倒しゃいいんだろう? だったらやってやるよ!」
バドバンは半分やけくそになったような口調で声を上げながら佩してあるレイピアを抜く。ゴブリンを倒して自分が口だけの存在ではないことを証明しようとしているのだろう。
ユーキたちはバドバンの態度に目を細くする。何が重要なのか分かっておらず、ただ敵を倒して力を示せばいいと考えるバドバンに呆れ果てていた。そんな中、ゴブリンと交戦していた村人たちが声を上げ、ゴブリンたちに突撃する。
険しい表情を浮かべながら武器を振り上げる村人たちを見て、生き残っているゴブリンたちは勝ち目が無いと感じたのか、一斉に村の外に向かって走り出し、次々と村から逃げ出していく。逃げて行くゴブリンたちを見て、村人たちは初めてゴブリンに勝利したことに喜んで声を上げた。
村人たちが喜び中、メルディエズ学園の生徒であるユーキとアイカは表情を鋭くしている。ユーキたちの目的はゴブリンがカメジン村を二度と襲わないようにすることなので、ゴブリンたちをこのまま逃がすつもりはなかった。
逃亡するゴブリンを見ていたアイカはプラジュとスピキュを強く握りながら近くにいる村人の方を向いた。
「私たちはこれからゴブリンたちを追撃します。皆さんは村に残って負傷者の手当てをしてください。あと、念のために周囲の警戒もしておいてください」
「わ、分かりました」
指示を受けた村人は少し緊張した様子で頷く。ゴブリンを撃退して喜んでいたが、ゴブリンがまだ生き残っているため、安心できないと気付いた。
村人の指示を出したアイカは続いてユーキたちの方を向く。
「皆さん、ゴブリンたちを見失わないよう、急いで後を追いましょう。敵は傷だらけで負傷していますが、決して油断せずに……」
アイカがユーキとアーロリアに追撃することを話していると、バドバンがゴブリンたちの後を追って一人で走り出す。それに気付いたアイカは目を見開いてバドバンを見た。
「バドバンさん、待ってください。一人で突っ込むのは危険です!」
「うっせぇ! アンタがごちゃごちゃ言うからゴブリンを倒してやろうってんだ。俺一人で残りを倒してやっから、そこで大人しく待ってろ!」
バドバンはアイカの忠告も聞かず、全速力でゴブリンの後を追う。バドバンは頭に血が上って完全に冷静さを失っており、今の状態でゴブリンたちに追いついてもまともに戦えず、返り討ちに遭うかもしれないとアイカは思っていた。
「……仕方がありません。ユーキ、アーロリアさん、私たちも行きましょう!」
アイカの指示を聞いたユーキとアーロリアは無言で頷く。二人は傲慢なバドバンのことが好きではなかったが、だからと言って放っておくわけにもいかず、ゴブリンもこのまま逃がすわけにはいかない。ユーキたちも村を飛び出し、逃げるゴブリンの追撃に向かった。
村から逃げ出したゴブリンは住処がある南西の林に向かって平原の中を走っていた。生き残っているゴブリンの数は五体で体中の痛みに耐えながら走り続けている。林に逃げ込めば生き残れると考えているのか、ゴブリンたちは振り返ることなく遠くにある林を見つめていた。
ゴブリンの後方数十m離れた所ではレイピアを握ったバドバンが走ってゴブリンの後を追っている。ゴブリンを逃がすつもりのないバドバンは全速力で走っており、徐々に距離を縮めていった。
「待ちやがれ! 大人しく俺に倒されろぉ!」
静かな夜の平原にバドバンの声が響く。声を聞いたゴブリンたちは追手が来ていることを知り、更に走る速度を上げる。諦めずに逃げているゴブリンを見て不愉快になったバドバンは表情を険しくした。
「たかがゴブリンの分際で生意気なんだよ。テメェらは俺が出世するために踏み台になってろ!」
大声を出しながらバドバンはゴブリンに罵声を浴びせる。ゴブリンはバドバンの言っていることを無視し、止まらずに逃げ続けた。そして、林に辿り着いたゴブリンたちは茂みの中に飛び込んで姿を消す。
ゴブリンが林の中に逃げ込んだのを見たバドバンは林の入口まで立ち止まり、舌打ちをしながら周囲を見回した。
「クソ、ゴブリンどもめ、姑息なマネしやがって。……林に逃げ込んだぐらいで俺から逃げられると思うなよ」
このままゴブリンを逃がすわけにはいかないバドバンはレイピアで茂みや草を切りながら林の中に入っていく。
今回のように敵が林や森の中に逃げ込んだ場合は一人で追撃せずに仲間と合流し、作戦を練ってから追撃するのが普通だ。しかし、ゴブリンを倒すことしか考えていない今のバドバンはユーキたちを待たずに一人で奥へと進んでいき、そのまま暗い林の中に消えてしまった。
バドバンの後を追って来たユーキたちは林に到着すると、入口前で立ち止まって周囲を見回し、バドバンとゴブリンたちを探す。だが、何処にもバドバンたちの姿は無く、ユーキたちはゴブリンが林の中に逃げ込み、バドバンはそれを追って林に入ってしまったと確信する。
「一足遅かったわ。バドバンさんは一人で林に入ってしまったみたい……」
「どうする、アイカ?」
ユーキはアイカにこの後どうするか尋ね、アイカは難しい顔で考え込む。
真夜中の林、それもゴブリンたちが棲みついている場所にたった三人で入るなど危険な行為だが、林に入ったバドバンをこのまま放っておくわけにもいかない。何より、このままだとバドバンがゴブリンや林にいる狼のような肉食の動物に襲われて命を落としてしまう可能性があった。
考え込んでいたアイカは顔を上げ、ユーキとアーロリアの方を向いた。
「仕方がないわ。行ける所まで行ってバドバンさんを探しましょう。見つけることができたら彼を連れて帰り、もし見つからなかった一度村に戻って、夜が明けてから捜索とゴブリンの討伐を再開しましょう」
「……それしかないよな」
賢明な判断だと感じたユーキは目を閉じて呟き、アーロリアも杖を両手で握りながら「それがいい」と言いたそうに頷く。
ユーキとアーロリアが賛成するのを見たアイカは林の方を向いてプラジュとスピキュを構える。ユーキも月下と月影をしっかりと握り、アーロリアは緊張するような顔で暗い林の奥を見た。
「それじゃあ、行きましょう。私が先頭につきますから、二人は後をついて来てください。アーロリアさん、林の中は暗いですから、魔法で灯りをお願いします」
「わ、分かりました」
大切な役目を与えられたアーロリアは緊張しながら頷く。そして、言われたとおり魔法で杖の先に小さな火球を作り、松明のようにして灯りを確保する。ユーキはアーロリアが魔法を使う姿を見て、魔法には意外な使い方もあるのだと知った。
準備が整うとユーキたちはバドバンを探すために静かで不気味さが感じられる林の中へと入っていった。
――――――
林に入ってからしばらく経ち、ユーキたちは周囲を警戒しながら慎重に奥へと進んでいく。先頭のアイカの後をアーロリアが続き、殿にはユーキがついて移動する。
ユーキたちが入って来た入口は小さくなっているが、まだ目視することができるので、ユーキたちはそのまま奥へと進んだ。かなり奥へ進んで来たのだが、バドバンは見つからず、ゴブリンの姿も確認できずにいた。
「……アイツ、何処まで行ったんだ?」
「此処まで来て見つからないとなると、かなり奥へ行ってしまったかもしれないわ」
今いる場所よりも更に奥へ行ってしまったのではと考えるアイカは少し低めの声で語り、ユーキは厄介そうな顔でアイカの方を見る。アーロリアも杖を握って困ったような表情を浮かべていた。
これ以上奥へ進むと逃げ込んだゴブリンや肉食動物たちに襲われてしまう可能性があり、林から出るのも難しくなってしまう。先頭のアイカはこれ以上は危険だと感じ、ゆっくりと立ち止まる。ユーキとアーロリアもつられるように止まった。
「……残念ですが、これ以上先へ進むのは危険です。一度村に戻り、夜が明けたら村の人たちに協力してもらってバドバンさんの捜索とゴブリンの討伐を行いましょう」
危険を感じ取ったアイカはバドバンの捜索を中断することを決意する。ユーキとアーロリアもそれがいいと感じており、アイカの判断に異議を上げたりしなかった。
ユーキたちは林を出るために来た道を戻ろうとする。すると、ユーキたちがいる場所から左に数十mほど離れた所にある茂みが動き、それに気付いたユーキは立ち止まり、目を見開いて左を見た。
「ユーキ、どうしたの?」
「今、あそこの茂みが動いた」
「え?」
アイカは驚きながらユーキが見ている方角を向く。しかし、茂みは動いておらず、林の中もとても静かだった。
「……何も気配は感じないけど、気のせいじゃないの?」
「いいや、確かに動いた。……俺、ちょっと見てくる。二人は先に林から出といてくれ」
「ええぇ? 一人では危険よ」
「大丈夫だって」
そう言ってユーキは動いた茂みに向かって走り出し、アイカとアーロリアは勝手に行動するユーキを見て驚く。冷静で大人のような性格をしているユーキの意外な行動に二人は目を丸くしていた。
ユーキは暗い林の中を転んだり、つまづいたりするこなく走っていき、動いた茂みの近くにやって来た。立ち止まったユーキは改めて周囲を見回す。しかし、周りにある茂みはどれも動かず、とても静かだった。
「……動く気配がない。アイカの言うとおり、気のせいだったのか?」
自分の見間違いだったかとユーキが感じていると、右斜め前にある茂みが動き、驚いたユーキは茂みの方を向いて月下と月影を構えた。ユーキが茂みを睨んでいると、茂みの中から何かが飛び出してユーキの前に落ちる。それは何と、全身傷だらけで苦悶の表情を浮かべながら息絶えたバドバンだった。
バドバンの死体を見たユーキは驚愕した。だが、バドバンが飛び出した後も茂みは動いていたため、ユーキは茂みの中にバドバンを襲った何かがいると確信し、構えを解かずに落ち着いて警戒する。その直後、茂みの中から新たに何かが現れた。
現れたのは二体の鼠色の肌をしたミイラのような人型の生き物だった。ボロボロで短い茶色の腰巻と同じようにボロボロの黒緑のフード付きマントを身に着けており、右手には両刃の剣が握られている。剣身には僅かに血が付着しており、それを見たユーキはバドバンは目の前にいる二体の生き物に襲われたのだと直感した。
ユーキは現れた二体の生き物をゴブリンと同じ異世界のモンスターか何かだと思いながら睨み付ける。二体の生き物はユーキを見ると威嚇するかのように高い鳴き声を上げ、それを見たユーキは襲って来たらすぐに迎撃できるよう体勢を変えた。
「何だ、まだ何かいるのか?」
茂みの奥から四十代くらいの男の声が聞こえ、ユーキは目を見開く。自分以外に林の中に誰が人間がいるのかと思いながら茂みを見つめていると、茂みから人間ではない生き物が現れた。
新たに現れた生き物は前後に伸びる黄土色の長い頭部を持ち、両手は四本指で人間と比べて若干長くて太かった。赤茶色の目を持ち、頭部の後ろの部分には無数の短い棘がある。身長は180cmほどで深緑の装飾が入った黒いローブのような服を着ており、魔導士のような雰囲気を出していた。
魔導士のような生き物が現れるとユーキを威嚇していた剣を持つ二体は大人しくなって魔導士のような生き物の方を見る。どうやら魔導士のような生き物は剣を持つ生き物たちを支配する立場のようだ。
ユーキは構えを変えずに現れた魔導士のような生き物を見つめる。そんな中、魔導士のような生き物はユーキを見て目を細くした。
「ほぉ? また人間の子供を見つけたのか」
魔導士のような生き物が先程聞いた四十代くらいの男の声を出し、ユーキは声の主が目の前の生き物だと確信する。
「……誰だ、お前たちは? 人間じゃないみたいだけど、亜人か?」
ユーキは情報を得るために喋れる魔導士のような生き物に語り掛ける。すると、魔導士のような生き物はユーキを見ながら鼻で笑い出した。
「何と浅はかな考え方だ、ベーゼであるこの私を亜人と間違えるとはなぁ」
「ベーゼ?」
魔導士のような生き物の口から出た言葉にユーキは目を見開く。目の前にいるのが三十年前に異世界を侵略しようとし、今も異世界の人々を脅かしているベーゼだと知って驚いていた。
「……ベーゼ、お前が三十年前にこの世界を現れた侵略者の一人なのか?」
「フン、随分と生意気な口を利くな? お前のような威勢のいい人間に会うのは五聖英雄以来だ」
「五聖英雄、三十年前にベーゼの王様を倒したっていう五人……」
ガロデスに教えてもらった三十年前の知識を思い出すようにユーキは呟き、目の前にいるベーゼが三十年前のベーゼ大戦に関わっていた存在だと知る。魔導士のようなベーゼは幼いのにベーゼやベーゼ大戦のことを知っているユーキを見て興味が湧いたのか楽しそうに笑い出す。
「よく知っているな? 人間の中にも少しは賢い連中もいるということか。……そんなお前に面白いことを教えてやろう。三十年前の戦争で五聖英雄と戦い、瀕死の重傷を負った我らベーゼの大帝をお救いしたのはこの私だ」
「何?」
目の前にいるベーゼがベーゼ大帝を救った存在だと知ったユーキは驚く。魔導士のようなベーゼは驚くユーキを気にもせず、自慢するかのように話を続けた。
「生き延びた大帝陛下は再びこの世界をベーゼのものにするとご決意された。私は大帝陛下の命令でいずれ訪れるであろう戦いの準備を進めているのだ」
「戦いの準備……もしかして、三十年前から今日まで大陸中で開いているベーゼが出現する穴はお前が開けているのか?」
「フッ、残念だが話はこれでお終いだ。そもそもこれ以上我々のことを知る必要は無い。なぜなら、お前はこれから死ぬのだからな」
そう言って魔導士のようなベーゼが右手を軽く上げると、大人しくしていた剣を持つベーゼたちがユーキに近づいて来る。ユーキは剣を持つベーゼたちを鋭い目で睨み付けた。
「お前には此処でソイツらの餌になってもらう。もう少し体が大きければ、そこで倒れている奴のように私の実験材料にしてやると思っていたが、使えないのなら餌にするしかないな」
魔導士のようなベーゼは腕を組みながらユーキに死を宣告する。どうやら三十年前の話は冥土の土産としてユーキに聞かせたようだ。
ユーキは構えを変えずにジッと近づいて来る剣を持つベーゼたちを睨み続ける。剣を持つベーゼたちはユーキを見つめながら少しずつ距離を縮めていき、ユーキが間合いに入った瞬間、二体は同時に剣を振り上げてユーキに向かって踏み込んだ。
襲い掛かって来る剣を持つベーゼたちを見たユーキは軽く膝を曲げて姿勢を低くし、同時に混沌紋を光らせて混沌術を発動させた。
「ルナパレス新陰流、眉月!」
剣を持つベーゼたちが剣を振り下ろすよりも先にユーキは懐に入り込み、月下と月影をほぼ同時に振ってベーゼたちの胴体を二回ずつ斬る。斬られたベーゼたちは持っていた剣を落とし、胴体から真っ二つにされて崩れるように倒れた。斬られたベーゼたちの体は黒い靄のような物となって消滅する。
ユーキが剣を持つベーゼたちを倒した光景を見た魔導士のようなベーゼは意外そうな表情を浮かべた。児童が二体のベーゼを倒しただけでなく、混沌士であったことを知って少し驚いたようだ。そんな驚いているベーゼにユーキは月下の突きつける。
「次はお前が相手か?」
児童とは思えない鋭い目で睨みつけてくるユーキを魔導士のようなベーゼはしばらく見つめる。すると、再び楽しそうに笑い出した。
「下位のベーゼとは言え、お前のような子供が倒すとはな。面白い小僧だ……名前は?」
ユーキに興味が湧いた魔導士のようなベーゼは名前を尋ねる。ユーキは答えるか悩んだが、名乗ることで新たに情報を聞き出せるかもしれないと感じていた。
「……ユーキ・ルナパレスだ」
「ユーキ・ルナパレスか、覚えておこう」
「それで、お前の名前は? 人に名乗らせたんだ、当然お前も名乗ってくれるんだよな?」
「ハハハハッ、本当に生意気な小僧だ。……私はベギアーデ、誇り高き上位ベーゼだ。覚えておけ」
自らをベギアーデと名乗る魔導士のようなベーゼは笑いながら両手を広げ、ユーキはベギアーデを鋭い目で見つめる。
楽しそうに笑っているのは自分を油断させるためなのか、それとも本当に楽しんでいるだけなのか、ユーキにはどちらか分からないが、襲ってきた時にすぐに対応できるよう警戒心を強くしながら新たに情報を聞き出そうとする。
「ユーキ!」
後ろからアイカの叫ぶ声が聞こえ、声を聞いたユーキはアイカが自分の後を追って来たのだと知って軽く目を見開きながら声が聞こえた方を向いた。
「何だ、他にも人間がいたのか……他にも実験材料となる人間がいるのなら手に入れておきたいところだが、部下がいなくなって大量の荷物を運ぶことができなくなってしまったからな。今回はこの小僧だけで我慢するとしよう」
そう言うとベギアーデは転がっているバドバンの死体を拾い上げて脇に抱える。その直後、ベギアーデの足元に紫色の魔法陣が展開され、それに気付いたユーキはベギアーデの方を向く。
「お前のような小僧など簡単に捻り潰せるが、私の部下を倒した褒美に今回は見逃してやろう。ありがたく思うのだな」
「ちょ、待て! バドバンを返せ」
「私はこう見えて多忙な身でな、これで失礼させてもらう。小僧、我が同胞やモンスターに殺されないよう、せいぜい強くなるのだな」
ベギアーデは笑いながら魔法陣の光に包まれ、そのまま消えてしまった。一瞬で姿を消したベギアーデにユーキは目を見開く。
「消えた……もしかして、転移魔法って言うやつか?」
ユーキはベギアーデが使って技のことを考えながら月下と月影を下ろす。今回の戦いでユーキはベーゼに関する情報をいろいろと手に入れることができた。しかし、バドバンが殺され、その死体を持ち去られてしまったため、素直に喜ぶことができずにいた。
難しい表情を浮かべながら俯いていると、後ろからアイカとアーロリアが近づいて来た。俯いているユーキを見てアイカは不機嫌そうな表情を浮かべる。
「もう! 勝手な行動はしないでって言ったでしょう?」
「悪い……」
低い声で謝るユーキを見てアイカは不思議そうな顔をする。先程比べて明らかにユーキの様子がおかしいことに気付いた。
「どうしたの? 私たちが来るまでの間、何かあったの?」
「ああ、実は……」
ユーキはアイカとアーロリアの方を向いて何があったの説明する。ベーゼと接触し、そのベーゼにバドバンが殺されたこと、バドバンの死体を上位ベーゼのベギアーデに持ち去れたこと、その全てを隠さずに話した。
バドバンが死んだことを聞かされたアイカとアーロリアは驚愕したが、依頼中に生徒が命を落とすのは珍しくないため、アイカは取り乱したりなどせずに現実を受け入れる。勿論、下級生の指揮を執る立場でありながら下級生を死なせてしまったことに対しては罪悪感を感じており、死んだバドバンに申し訳なく思っていた。
アーロリアも一度は自分を見捨てた存在とは言え、同じ依頼を受けた仲間が死んだと聞かされて多少のショックを受けている。ユーキもバドバンの死に対して複雑な気持ちを抱いていた。
バドバンの死にも驚かされたが、ベーゼがカメジン村の近くに現れたことにも驚かされ、アイカはメルディエズ学園に戻ったらしっかりと報告しておこうと考える。そして、現状からこれ以上林にいるのは危険だと感じ、仕方なくユーキたちは村へ戻った。
夜が明けると、ユーキたちは村人たちと協力して南西の林に逃げ込んだゴブリンの生き残りを全て倒し、無事に依頼を完遂させた。




