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児童剣士の混沌士(カオティッカー)  作者: 黒沢 竜
第九章~学園の新戦士~
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第百四十六話  兆し


 ラステクト王国の西部に小さな廃村がある。数年前にベーゼの襲撃を受けて村人は全員犠牲となり、建物の殆どは半壊状態となって今では誰もいない。

 夜になると人間が呻くような声が聞こえるという噂もあり、廃村のことを知る者は不気味がって誰も近寄ろうとしなかった。

 月が雲に隠れて月明かりすらない深夜、廃村では静かに風が吹いており、草の揺れる音だけが聞こえていた。

 廃村にある無数の半壊した建物の中に他の建物よりも一回り大きな教会がある。教会の中には壊れた木製の椅子や机が散乱しており、窓ガラスも割れていた。

 教会の奥にある教卓の裏には地下へ続く階段があり、階段の先は暗くて何も見えず不気味さだけが感じられる。階段を下りた先には一本道があり、壁には一定の間隔を開けて松明がつけられており暗い廊下を照らしていた。

 薄暗い廊下を進んでいくと広い部屋があり、その部屋の壁にも無数の松明が付けられている。ただ、部屋は廊下以上に明るく、部屋の中で作業をすることも可能な状況だ。そんな部屋の奥には大きな台があり、誰かが廊下に背を向けながら台の前に立っていた。


「フフフフ、実に面白い。コイツを利用すれば強力な戦力を作り出すことができる」


 台の前に立つ男は何かに陶酔しているように声を出しながら手を動かす。台の前に立っていたのは最上位ベーゼの一人、ベギアーデだった。

 ベギアーデの前にある台には人間の死体が仰向けの状態で置かれてあり、腹部や首、手足には大小様々な大きさの穴が開けられている。ベギアーデは今、解剖するかのように死体を弄っていたのだ。

 ベーゼの中でも特に高い知能を持っているベギアーデは仲間のベーゼたちに様々な指示を出して大陸を支配しようとしていた。だが、それ以外にもその知能を使って人間や亜人、動物、モンスターをベーゼに改造しなりなどしている。今も目の前の死体を蝕ベーゼに作り変えている最中だった。

 ある程度死体を弄ったベギアーデは台の隅に置かれてあるメスのような刃物を手に取り、死体の腹部に切れ目を入れる。腹部を切った瞬間、ベギアーデは楽しそうな笑みを浮かべた。今のベギアーデは死体を玩具にするマッドサイエンティストと言っても過言ではない。

 ベギアーデが作業をしていると何者かが静かに部屋に入り、足音が部屋の中に響く。足音を聞いたベギアーデは死体を見ながら笑みを消す。しかし、手は一切止めずに死体の改造を続けた。


「……ようやく来たか」


 作業をしながらベギアーデは部屋に入ってきた存在に声を掛ける。ベギアーデの後ろには赤いチャイナドレスを着たローフェン東国の女軍師、チェン・チャオフーが立っていた。


「できるだけ早く此処に来るよう言ったはずだが、随分遅かったな?」

「こちらにも都合があるんだ。人間どもに正体を勘付かれないよう軍師としての職務を熟し、人間どもをこちらの都合のいいように動かさなくてはならない。それらが一通り片付いてようやく来ることができたんだ」

「フッ、相変わらず真面目な奴だな。まぁ、虫けらどもを思いどおりに動かすためにもお前にはローフェンの軍師で居続けてもらわなくてはならない。いい加減な仕事をして軍師の任を解かれるのは色々と都合が悪いからな」


 死体を切り終えたベギアーデはメスを台の上に置き、ゆっくりと振り向いてチャオフーと向かい合う。


「役割を熟すのは構わないが、重要な任務を与えられた場合はそちらを優先しろ?」

「言われなくても分かっている」


 チャオフーは鉄扇を顔の前で開き、口を隠しながら最上位ベーゼとしての使命を忘れていないことを伝える。

 ベギアーデはチャオフーの反応を見ると小さく笑いながら台の方を向いて死体の改造を再開した。


「それで、私を呼び出した理由は何なんだ?」


 鉄扇を開閉させながらチャオフーはベギアーデに問い掛ける。ベギアーデはチャオフーの方を向かず、作業を続けながら口を開いた。


「理由は二つある。一つは新しい蝕ベーゼが完成したので実戦で使えるかどうか観察してもらいたいのだ」

「戦闘能力の確認か? そんなことなら私ではなくヴァーズィンかユバプリートに任せればいいだろう。アイツらは私と違って暇なのだからな」


 常に自由に行動できる存在でなく、多忙な自分に仕事を頼むことを不服に思うチャオフーは僅かに目を鋭くしてベギアーデを見る。

 仕事の内容が重要なものならまだ我慢できるが、蝕ベーゼの戦闘能力を確認すると言う大して重要性の無い仕事を頼まれたため、チャオフーは余計に納得ができなかった。

 チャオフーが鋭い視線を向けている中、ベギアーデは表情を一切変えずにメスを手に取って死体に切れ目を入れた。


「お前を呼び出した理由はもう片方にあり、そっちの方が重要だ。蝕ベーゼの能力確認は呼び出したついでに任せるようなものだ」

「ついで、か」


 最上位ベーゼの自分についでに仕事を任せようとするベギアーデにチャオフーは更に不満を感じて小さく目くじらを立てる。しかし、もう一つの呼びされた理由が気になるため、文句を言うのを我慢してベギアーデの話に耳を傾けた。


「リスティーヒ、お前は以前、堕落の呪印を使ってメルディエズ学園の生徒を蝕ベーゼに変えようとしただろう?」

「ん? ああ、アイカ・サンロードと言う小娘とお前が注目していたユーキ・ルナパレスだ。と言ってもユーキ・ルナパレスの方はアイカ・サンロードを助けようとして瘴気に体を蝕まれたのだがな」

「そしてその二人は瘴気の侵蝕に耐え、精神と自我を失うことなく完全なベーゼ化を逃れた」

「ああ、正直あれには驚かされた」


 ナトラ村での一件を思い出したチャオフーはその時に感じていたことを話す。

 堕落の呪印から発生する瘴気は濃度が高いため、人間やモンスターなどが耐えられるはずがないとチャオフーは思っていた。

 ナトラ村にいた時、チャオフーはユーキとアイカの前で意外そうな素振りを見せていたが、二人が高濃度の瘴気に耐えたことには内心驚いていた。

 ベギアーデもチャオフーからユーキとアイカが瘴気に侵されても自我と理性を保ったと聞かされた時は驚いていたが、同時に高濃度の瘴気に耐えたユーキにますます興味を持つようになったのだ。


「お前の混沌術カオスペルによって発動した堕落の呪印の瘴気に体を侵されたユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードは怒りや感情の高ぶりが引き金となって体がベーゼ化し、それを繰り返せばいつかは完全なベーゼとなる。そうだったな?」

「ああ、混沌術カオスペルの発動条件とあの時の奴らの状態を考えれば間違い無いだろう。……しかし、なぜ今その話をする?」


 チャオフーが不思議そうな顔をするとベギアーデは手を止めてチャオフーの方を向いた。


「ラステクトで活動している部下から連絡があった。……ユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードは元の体に戻り、ベーゼ化することは無くなったそうだ」

「何だと?」


 ベギアーデの言葉に驚いたチャオフーは思わず訊き返した。


「その話、本当なのか?」

「ああ、人間が調合した薬を使ってベーゼ化しない状態になったそうだ。しかもその薬を調合したのが、あの憎き五聖英雄の一人、スラヴァ・ギクサーランだそうだ」

「五聖英雄が……チッ、余計なことを」


 嘗てベーゼ大帝を倒し、ベーゼを敗北へ追いやった存在がユーキとアイカを助けたと知ったチャオフーは腹を立てる。

 ベギアーデも五聖英雄がユーキとアイカに手を貸したことが気に入らず鬱陶しそうな表情を浮かべていた。


「未確認だが、スラヴァ・ギクサーランは我々ベーゼを倒すため、他の五聖英雄と共にメルディエズ学園の虫けらどもに力を貸そうとしているそうだ」

「もし本当に奴らがメルディエズ学園に協力したら面倒なことになるな」


 閉じた鉄扇で自分の手を叩くチャオフーはベーゼ大戦の時のように自分たちが不利になるかもしれないと感じた。


「五聖英雄が手を貸す前にメルディエズ学園の虫けらどもを何とかする必要がある」

「どうするつもりだ?」

「戦力を強化しながら奴らの情報を集め、遭遇したメルディエズ学園の虫けらどもを始末していく」


 今までとやることは変わらないと知ってチャオフーは若干つまらなそうな顔をする。そんな中、ベギアーデはチャオフーの方を見て不敵な笑みを浮かべた。


「そして情報が集まり、戦力が整った暁には、奴らの本拠地である学園とバウダリーを襲撃する」


 ベギアーデの発言を聞いたチャオフーは軽く目を見開く。だが、すぐに呆れたような表情を浮かべて腕を組んだ。


「忘れたのか? メルディエズ学園や隣接するバウダリーの町には結界のようなものが張られていて我々ベーゼは近づくことすらできない。それでどうやって襲撃すると言うんだ?」


 以前ベーゼ大帝に状況報告をした時にメルディエズ学園とバウダリーの町にはベーゼが接近できないよう何かしらの仕掛けが施されていることを話した。そのため、ベーゼはその二つの拠点を攻撃するどころが近づくことすらできない。

 近づけない以上、襲撃することは不可能だと考えるチャオフーはベギアーデの考えが浅はかだと感じていた。


「その点は問題無い。既にメルディエズ学園を護る仕掛けを解除するための作戦は始まっている」

「何?」


 ベギアーデの言葉を聞いたチャオフーは反応する。メルディエズ学園を襲撃する準備が進められているなど、五凶将の自分はまったく聞かされていないため、ベギアーデの話を聞いて驚いていた。


「どういうことだ? そんな話、私は聞いていないぞ」

「当然だな、この作戦は数日前に実行された。お前や他の五凶将が知らないのも無理はない」

「数日前から……その作戦と言うのはいったいどんなものなのだ?」


 チャオフーが計画の詳しい内容を聞こうとするとベギアーデはニッと笑みを浮かべた。


「まだ教えることはできん。大帝陛下から時が来るまで口外するなと言われているのでな」

「大帝陛下?」


 襲撃準備が始まっていると聞かされた後にベーゼ大帝の話が始まり、チャオフーは意外そうな反応を見せる。


「そうだ。今回の作戦は大帝陛下がお考えになられたのだ。そして、この作戦には大帝陛下ご自身も参加される」

「何だと、本当か?」

「ああ、三十年前に五聖英雄から受けた傷は既に癒えているからな。ただ、お前たちのように目立った行動は取られないだろう」


 ベーゼ大帝が動くと聞かされたチャオフーは軽く目を見開く。だが、ベーゼ大帝が作戦に参加することで成功する確率が上がると感じたのか小さく笑みを浮かべた。

 これまで宿敵であるメルディエズ学園の拠点や隣接するバウダリーの町には近づけなかったため、一度も襲撃することができたかった。

 だが、ベーゼ大帝とベギアーデの計画が上手くいけば長年手が出せなかったメルディエズ学園とバウダリーの町にいる人間たちを惨殺し、恐怖を味あわせることができる。チャオフーは計画実行の時が来るのが楽しみになっていた。


「時が来るまではお前たち五凶将はこれまでどおり活動していろ」

「ああ、分かった」


 チャオフーは笑みを浮かべながら鉄扇を開き、返事を聞いたベギアーデは小さく鼻で笑うと台の方を向いて再び死体を弄り始めた。

 ベギアーデが作業を再開するのを見たチャオフーはもう話すことは無いと感じ、ベギアーデに背を向けて部屋から出て行こうとする。


「例の新しい蝕ベーゼは地上の廃村に待機させてあるから勝手に連れて行け。ソイツに適当な村を襲撃させて力を確認し、後日報告しろ」

「承知した。ただ、こちらも忙しい。報告は何時になるか分からんぞ?」


 そう言うとチャオフーは振り返ることなく退室し、部屋にはベギアーデだけが残った。

 ベギアーデはチャオフーが去った後も手を止めず、血で赤く染まった死体を弄り続けている。


「メルディエズ学園を護る仕掛けが解かれた時、学園は文字どおり地獄と化す。その時まで何も知らずに楽しく生きるといい、虫けらども。……フハハハハッ!」


 薄暗く不気味な部屋の中にベギアーデの笑い声が響いた。


――――――


 昼下がりのメルディエズ学園では生徒たちが学園内で静かに過ごしていた。昼食を済ませた後に友人と会話をする生徒もいれば、次の授業に備えて予習をする生徒や訓練場で訓練をする生徒もいる。依頼を受けずに過ごしている生徒たちの顔はとても活き活きとしていた。

 生徒たちが笑ったりはしゃいだりしながら過ごす中、校舎の一室にはユーキの姿があった。部屋には大量の本が散乱し、あちこちにビッシリと文字が書かれた羊皮紙が落ちている。

 今ユーキがいるのはスローネが管理する魔導具開発研究室で、ユーキは木製の丸椅子に座りながら疲れたような表情を浮かべていている。そして、ユーキの前には笑みを浮かべるスローネがおり、同じように丸椅子に座ってユーキと向かい合っていた。


「成る程ぉ、アンタが以前いた世界にはデンワと言う物があって遠くにいる人間と会話ができるんだね?」

「ハイ……」

「う~む、そのデンワの技術を再現できれば伝言の腕輪メッセージリングの使用可能な範囲を伸ばすことができるかもしれないねぇ」


 スローネは持っている羊皮紙にユーキから聞いた話の内容を書き記していく。既に彼女が座っている椅子の下には同じような羊皮紙が数枚落ちていた。

 ユーキは現在、スローネに頼まれて転生前に住んでいた世界の話をさせられている。半ベーゼ化の一件が片付いた直後、スローネに別世界からの転生者であることを知られ、ユーキは全てをスローネに明かした。

 真実を聞かされたスローネはユーキや彼が転生する前に住んでいた世界に興味を持ち、更に詳しく聞かせてほしいと頼み、ユーキも話せる範囲の情報をスローネに話すことにした。それからスローネはアイカと同じユーキの正体を知る一人となり、ユーキに協力するようになったのだ。

 ユーキとしてもアイカ以外に自分の正体を知る者が増えて気持ちに余裕が持てるようになった。だが、それからユーキはスローネに振り回されることになる。

 正体を明かした日からスローネは学園内でユーキを見かけ、彼に暇なことを確認すると自分の研究室に連れ込んで転生前の世界について訊いて来るようになり、その度にユーキは転生前の世界や自分のことを話させられることになったのだ。

 スローネの好奇心と話を聞こうとする時の勢いは凄く、ユーキは毎回断ることができずに話す羽目になった。


「いやぁ~、ルナパレスの世界は本当に面白いものが沢山あるんだねぇ。全然飽きないよ」


 少し興奮した様子で羽ペンを走らせるスローネ、それを見るユーキは深く溜め息をついて疲れを露わにする。無理もない、ユーキは既に二時間近く転生前の世界の話をさせられているのだから。


「……スローネ先生、今日はこれぐらいで勘弁してくれませんか?」

「何言ってるんだい。まだ聞きたいことが沢山あるんだ、もう少し付き合っておくれよ」

「もう結構話したじゃないですか。正体を話した日からもう一週間近く経ってますけど、ほぼ毎日話をさせられてるんですよ? 流石に精神的に疲れてきました」

「何だよ、だらしない子だねぇ」


 スローネは呆れたような顔をしながら腕を組み、ユーキはそんなスローネを見ながら再び溜め息をついた。

 ユーキは祖父から剣術を教えられた時、同じ弟子たちと共に様々な修業を受けさせられた。そのおかげで精神力はそれなりに強くなっていた。

 だが、精神力を鍛えられたユーキでも長時間一つの部屋で相手と向かい合い、休憩も挟まずに会話をさせられるのは辛い。それに気付かずに話をさせるスローネにユーキは困っていた。

 スローネは俯きながら疲れた顔をするユーキを見つめ、足元に落ちている沢山の羊皮紙に視線を向ける。確かにユーキの言うとおり、この数日何度もユーキを呼んで話を聞かせてもらっており、スローネも付き合わせ過ぎたかもしれないと感じていた。


「……まぁ色々話を聞けたし、今日はここまでにしようかね」


 そう言ってスローネは落ちている羊皮紙を拾い、ユーキはスローネの言葉を聞いて軽く目を見開く。

 スローネの性格を考えるとこのまま続けると思っていたため、ユーキはスローネの反応を少し意外に思っていた。

 しかし疲れているユーキにとっては都合のいいことであるため、ユーキは余計なことを言わずにこのまま終わらせることにした。

 長い時間座っていたユーキは立ち上がったゆっくりと肩や首を軽く回す。ようやく解放されると思うと気が楽だった。


「この数日でアンタがいた世界の情報を沢山得ることができた。この情報を基に新しいマジックアイテムを開発させてもらうよ。それに上手くいけば未完成の瘴気喰いミアズムイートも予定より早く完成させることができるかもしれないしね」

「そうですか。……じゃあ、しばらくの間は前の世界の話をする必要もなさそうですね」

「ああ、しばらくはね」


 全ての羊皮紙を拾ったスローネはユーキの方を向いてニッと笑う。

 ユーキはスローネの言葉を聞いて、少し経てばまた呼び出されて話をさせられると悟り、小さく俯きながら息を吐いた。

 スローネとの話が終わり、ユーキは床に落ちている本や羊皮紙を踏まないように気を付けながら出入口の方へ移動し、扉の前まで来るともう一度スローネの方を向いた。


「それじゃあ、俺はこれで失礼しますね」

「ああ、お疲れさん。……あっ、そうだ。一つアンタに訊きたいことがあるんだ」

「ん?」


 ユーキが不思議そうな顔をすると、スローネは先程まで見せていた笑みを消して真剣な表情でユーキを見つめる。


「アンタが転生する前にいた世界はこの世界と比べて遥かに文明が進んでいて住みやすい世界だ。前にいた世界では楽にできた作業もこっちの世界ではそれなりに苦労する。……アンタは文明が劣っている世界に転生したこと、後悔してるかい?」


 スローネの質問を聞いてユーキは小さく反応する。ユーキはスローネが何を言いたいのか察し、真面目そうな表情を浮かべた。

 以前は自動車や電話、テレビなど便利な道具や面白い道具がある世界に暮らしていたのに転生した後はそれらが存在しない世界で暮らすことになった。今まで楽に生活していたのに生活するのが大変な世界に飛ばされれば、もうこんな世界は嫌だ、前の世界に戻りたいと思う者がいても不思議ではない。

 スローネはユーキが転生する前の生活に戻りたいと思っているのではと疑問に思い、ユーキの本心を確認しておこうと思っていたのだ。

 ユーキはしばらく無言でスローネを見つめていたが、やがて微笑みを浮かべながら口を開いた。


「全然。……俺はこっちの世界の暮らしが気に入っていますし、今の生活を楽しんでいます。普段ベーゼやモンスターと戦い、いつ命を落とすか分からない生活を楽しむって言うのはちょっと変かもしれませんけど、剣の才能を活かせますし、前の世界よりも自分は生きているんだって実感できるんです。だから、転生したことを後悔なんてしていません」

「……そうかい、強い子だねぇ」


 十歳児の体なのに大人の考え方をするユーキを見てスローネは小さく笑い、改めてユーキはしっかりしていると感心した。


「それにこっちの世界に来たおかげで魔法とか前の世界には無かったものに触れることができますし……アイカにも、会えましたから」

「ほおぉ?」


 軽く俯いて恥ずかしそうに語るユーキを見たスローネは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 大人の考え方をするとしてもまだ十八歳の少年であるため、異性を意識しても当然かとスローネはユーキを見ながら思った。

 顔を上げたユーキは笑っているスローネを見てピクッと反応し、このまま此処に居続けるとアイカのことでからかわれるかもしれないと感じた。


「じゃ、じゃあ、失礼します」


 ユーキは慌てて研究室から出て行き、残ったスローネはニヤニヤと笑いながら自分の眼鏡を直す。


「いやぁ~、若いってのはいいねぇ~」


 出入口の扉を見つめながらスローネは楽しそうな口調で語った。


――――――


 魔導具開発研究室を出たユーキは一階へ移動し、校舎の入口前までやって来た。移動中、ユーキはスローネが悪戯っぽく笑っていたのを思い出し、もしあのまま研究室にいたら転生前の世界ではなく、アイカとの関係について色々訊かれていたかもしれないと考えていた。


「まったく、長いこと話をさせられて疲れてるって言うのに、続けてアイカの話をさせられたら本当にどうなってたか。スローネ先生には困ったもんだよ」

「ユーキ?」


 背後から呼びかけられ、ユーキは振り返って声の主を確認する。そこには不思議そうな顔で自分を見ているアイカが立っていた。

 アイカの顔を見たユーキはスローネに言ったことを思い出して僅かに頬を赤く染める。アイカは突然頬を染めたユーキを見ながらまばたきをした。


「どうしたの?」

「あ、いやぁ……ちょっと疲れてるだけだよ。さっきまでスローネ先生の部屋で前の世界の話をさせられてたからな」

「ああぁ、成る程ね」


 ユーキに何があったのか察したアイカは納得したような表情を浮かべる。

 アイカはスローネがユーキの転生前の世界に興味を持っていることやこの数日の間にユーキがスローネに呼び出されて転生前の世界の話をさせられていたことを知っているため、ユーキの様子から今回も大変だったのだろうと想像した。


「大丈夫?」

「正直ちょっと辛い。色んなことをズバズバ訊いてくるモンだから本当にまいっちまうよ」


 疲れ顔で苦労したことを話すユーキを見てアイカは思わず苦笑いを浮かべた。


「ねぇ、これから中央館でお茶しない? この後、依頼や授業は無いんでしょう?」

「ん? ああ、いいよ。俺も何か飲みたいと思ってたし」


 ユーキの返事を聞いたアイカは微笑みながら中央館に向かって歩き出し、ユーキもアイカに続いて中央館へと移動した。

 中央館にやって来たユーキとアイカは食堂に向かい、飲み物を用意してから空いている席につく。昼下がりだが遅れて昼食を食べている生徒も何人かおり、食堂は少しだけ騒がしかった。


「……それでスローネ先生ったら、前に言ったことを確認するために何度も同じことを質問してくるからしんどかったよ」

「アハハハ……」


 ユーキの話を聞いたアイカは苦笑いを浮かべながらリップルティーを静かに飲み、ユーキも呆れ顔になりながらコキ茶を一口飲んだ。

 二人は転生前の世界が関係する話をするため、食堂の中でも目立たない隅の席に座りながら会話をしている。幸いユーキとアイカの周りには生徒がいないため、周囲を気にせずに話すことができた。


「とりあえず、しばらくは前の世界の情報を使って色んなマジックアイテムを作るって言ってたから、呼び出されたり、話を聞かされることは当分無いと思うよ」

「それじゃあ、スローネ先生のことを気にせずに新しい生徒たちを迎えることができるのね」

「ん? 新しい生徒?」


 ユーキは持っているティーカップをテーブルに置きながら不思議そうな反応をする。


「ほら、もうすぐ今年二回目の入学試験が行われるでしょう?」

「……ああぁ、そう言えば俺たちがベーゼ化する前に先生からそんな話を聞かされたな」


 思い出したユーキは納得したような表情を浮かべる。この数日、スローネに転生前の世界のことを話すので忙しかったためスッカリ忘れていた。


「本当はもっと早く行われる予定だったんだけど、俺たちが半分ベーゼ化したことで試験が延期になっちまったんだよな?」

「ええ、入学試験を受ける予定だった子たちも突然延期になったって聞かされてかなり驚いていたみたいよ」

「受験者たちには申し訳ないことをしちゃったな。俺たちがベーゼ化したせいで延期になっちまったわけだし……」

「そうね……」


 好きでベーゼ化したわけではないためユーキとアイカに責任は無く、誰も延期のことで二人を責めようとは思っていない。だが、それでもユーキとアイカは自分たちにも延期の原因があると感じて複雑な気分になっていた。

 

「と、ところで、今度の入学試験は王国だけじゃなくって、帝国や東国の人たちも沢山受けるみたいよ?」


 暗くなっていてはいけないと感じたアイカは気持ちを切り替え、笑顔で受験者の話を始める。

 ユーキはアイカを見ると彼女が何を考えているのか察し、過ぎたことをいつまでも考えても意味は無いと感じてアイカと同じように気持ちを切り替えることにした。


「そう言えば、前の入学試験ではラステクトの人間が多かったよな。今度はガルゼムとローフェンの人間も来るのか……他にはどんな人が来るんだろうな」

「私も先輩たちが話しているのを聞いただけだから詳しくは分からないけど、亜人や三大国家以外の国の人も来るみたいよ」


 アイカの話を聞いてユーキは「ほうほう」と頷く。メルディエズ学園に通っている生徒の大半は三大国家の人間でそれ以外の国の人間は少ない。そのため、ユーキはどの国の人間や亜人が試験を受けに来るのか興味があった。


「あと、これは本当かどうかまだ分からないことなんだけど……」


 突然声を小さくするアイカにユーキは小首を傾げる。


「……ラステクト王国の王女様が今度の入学試験を受けるかもしれないの」


 アイカの口から出た言葉にユーキは驚いて目を見開いた。


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