第百三十二話 朝の騒動
夜が明け、メルディエズ学園では生徒たちが登校し、授業や依頼を受けたり、訓練をしたりしていつもどおり過ごしている。だが、この日はいつもと少し違っており、学園内はどこか騒がしかった。
教師や一部の生徒たちは学園内を早足で移動しており、建物の中や外を調べて何かを探している。そんな姿を見た他の生徒たちは不思議そうな顔をしながら見ていた。
本校舎の中にある一室、部屋の中には幾つもの机が置かれ、隅には棚などが置いてある。そこはメルディエズ学園の職員室で教師たちが授業以外で仕事をしたり休憩をする場所だ。
教師たちは普段授業を行っているため、職員室にいることは少ない。この時も職員室には五人の教師しかいなかった。
「いったい何処にいるのだ!」
職員室にいる教師たちの中に険しい表情を浮かべるロブロスの姿があり、近くにある誰かの机を強く叩いた。周りにいる四人の教師は興奮するロブロスを見て僅かに不安そうな顔をしている。
「げ、現在生徒会の生徒たちが学園内をくまなく探しています。もう少し待ってください」
「さっきからそればかりではないか。何時になったらルナパレスを見つけられるのだ!?」
宥める男性教師を八つ当たりするかのようにロブロスは怒鳴り、男性教師はロブロスの声を驚いてビクッと小さく肩を動かした。
現在、教師たちは生徒会の生徒を使ってユーキを捜索している。メルディエズ学園の中や外で何かを探している生徒たちは生徒会のメンバーでユーキを探している者たちだったのだ。
数時間前、生徒たちがまだ登校していない時間にユーキを軍に引き渡すことに賛成した教師が男子寮にあるユーキの部屋を訪れた。バウダリーの町から軍の兵士が来て、引き渡しの手続きなどが済むまでユーキが何処にも行かないよう監禁するためだ。
教師は部屋の前でユーキに呼びかけるが返事は無く、不思議に思った教師は部屋を覗いた。そこにユーキの姿は無く、驚いた教師は男子寮にいる生徒たちに訊きながらユーキを探す。だがユーキは何処にもおらず、迎えに来た教師は慌てて本校舎へ行き、既に出勤していた教師たちにユーキがいないことを伝えた。
報告を受けた教師たち、特に軍へ引き渡すことに賛成していた教師たちは驚いて学園内を探し回る。その後、登校してきた生徒会の生徒たちにも手伝わせ、ユーキの大捜索を開始したのだ。
しかし、いくら探してもユーキは見つからず、教師たちは徐々に焦りを見せ始める。そんな時にロブロスが出勤し、学園内が騒がしいことを不思議に思う。
教師たちはユーキが姿を消したことを話してロブロスが機嫌を悪くする姿を想像しながら現状を報告した。すると教師たちが予想したとおり、ロブロスは鬼の形相で声を上げながら教師たちに叱責する。教師たちは予想どおりの状況なったことで表情を曇らせながら溜め息を付く。
ロブロスは何がなんでもユーキを見つけるよう教師たちに命じ、教師たちも生徒会や手の空いている教師を動かして学園内を探す。メルディエズ学園の外に出ていることも予想して数人の生徒をバウダリーの町へ向かわせた。
本校舎の中にいる生徒会の生徒たちは部屋を一つずつ調べながらユーキを探す。生徒会は昨日の内に教師たちからユーキをベーゼとして軍に引き渡すことを聞かされていたため、ユーキを捜索することを不思議に思ったりはしなかった。
生徒会の中にはユーキを軍に引き渡すことに不満を懐く生徒も何人かいたが、教師の命令には逆らえないため、不満を懐く生徒は渋々ユーキの捜索を行う。そして、捜索しながらユーキが見つからず、時間だけが過ぎてくれればいいのにと思っていた。
「くぬぅ~! 何処へ行ったのだ、あの小僧は!?」
ロブロスは腕を組みながら右足のつま先で床をコンコンと叩いて不満を口にし、周りの教師たちは居心地の悪そうな顔でロブロスを見ている。
捜索が始まってから既に三時間ほどが経過しているのに未だにユーキが見つかったという報告は無い。そのせいでロブロスも徐々に苛立ちを露わにするようになり、教師たちは自分たちに八つ当たりされるのではと不安を感じていた。因みにロブロスと共に職員室にいる四人の教師は全員ユーキを軍に引き渡すことに賛成した教師だ。
ロブロスの怒りが爆発する前に生徒会がユーキを見つけてくれることを祈りながら教師たちは報告を待つ。そんな時、職員室の扉が開く音が聞こえてきた。
ロブロスたちはユーキが見つかったのかと期待を懐きながら扉の方を向く。だが、そこにいたのは遅れて出勤してきたガロデスとオースト、二人の教師だった。
生徒会の生徒や捜索に参加した教師でないことを知ったロブロスは小さく舌打ちをし、他の教師たちもガッカリしたような反応を見せた。
「随分校内が騒がしいですが、何かあったのですか?」
オーストが職員室にいる教師たちに状況を尋ねると教師たちは話し辛いと思っているのか小さく俯きながら黙り込む。
暗い顔をする教師たちを見てオーストは小首を傾げ、ガロデスは無言で教師たちを見ていた。
「ユーキ・ルナパレスが姿を消したのだ」
「何ですって?」
ロブロスの話を聞いてオーストは意外そうな反応を見せ、オーストの後ろにいた二人の教師も驚いた反応を見せる。だが、ガロデスだけは僅かに目元を動かしただけで驚いたりはしなかった。
「生徒たちが登校する前から捜索しているが未だに見つかっていない」
「そうですか……」
僅かに力の入った声で報告するロブロスを見ながらガロデスは静かに答え、ガロデスの反応を見たロブロスは目を僅かに細くした。
「随分冷静ですな、学園長? 貴方が庇っていた小僧が姿を消したと言うのに……」
「……」
ガロデスは返事をせずに目を閉じて黙り込む。ロブロスは何も答えないガロデスの反応が気に入らないのか再び舌打ちをした。
ロブロスの機嫌が更に悪くなったと感じた教師たちは不安そうな顔でロブロスを見ている。すると再び職員室の扉が開いて生徒会の男子生徒が入ってきた。扉が開く音を聞いたガロデスたちは一斉に男子生徒に視線を向ける。
「失礼します。バウダリーの町で情報を集めていたところ、気になる情報を得ました」
「何だ?」
今度は情報が入ってきたことを知ったロブロスは少しだけ表情を和らげて尋ねる。男子生徒は真剣な顔を浮かべながら口を開いた。
「町の正門を警備していた兵士から得た情報なんですが、午前零時頃、幼い少年が正門を通って町の外に出るのを見たそうです」
「何だとっ!?」
男子生徒の話を聞いたロブロスは声を上げ、オーストや他の教師たちも目を見開いて驚きの反応を見せていた。ガロデスだけは驚かずに目元をピクッと軽く動かして男子生徒を見ている。
「その少年というのはどんな奴だった?」
ロブロスは警備兵が目撃した少年が誰なのか予想できていたが、念のために詳しい情報を訊く。
男子生徒は上着にポケットから小さな羊皮紙を取り出し、そこに書いてある少年の情報を確認した。
「警備兵から聞いた話では、その子は十歳ぐらいの銀髪の男の子で腰に二本の剣を差していたそうです」
情報を聞かされたロブロスはやはり、と言いたそうな反応をする。
ユーキがメルディエズ学園から姿を消した時に銀髪で二本の剣を所持している児童がバウダリーの町から出たという情報が入った。状況からロブロスやオーストたちは警備兵が目撃した児童がユーキだと確認する。だが、それ以外にも気になることがあった。
「だが、どうなっている? 特別な事情が無い限り、夜中に町の外に出ることは不可能なはずだぞ。どうしてあ奴はバウダリーから出られたのだ?」
夜に町の外には出られないという規則を知っているロブロスはユーキが深夜にバウダリーの町から出られたことに納得できず男子生徒に尋ねた。
「話を聞いたところ、少年はこの学園の特別通行書を所持していたらしいです」
「何? 間違い無いのか?」
「ハイ、警備兵もよく覚えていると言っていました。……それから」
男子生徒は突然口を閉じて小さく俯く。その表情は暗く、何か言いたいことがあるが言って良いのか迷っているように見えた。
「どうした、他に何かあるのなら早く言え」
ロブロスが男子生徒に声をかけると、男子生徒は顔を上げてガロデスに視線を向ける。
「……その特別通行書に、学園長の名前が書かれてあったそうです」
「はあぁっ!?」
声を上げるロブロスはガロデスの方を向き、オーストも少し驚いた様子でガロデスに視線を向ける。ロブロスたちが見つめる中、ガロデスは目を閉じながら黙っており、否定する素振りは見せなかった。
「学園長、どういうことです!?」
ロブロスは険しい表情を浮かべながらガロデスを問い詰める。ガロデスはゆっくり目を開けると視線だけを動かしたロブロスを見た。
「……昨日、ユーキ君に軍へ引き渡すことを伝え、その時に特別通行書を渡したのです。彼が軍へ引き渡される前にバウダリーから出られるようにするために」
ガロデスは誤魔化すことなく自分がユーキに特別通行書を渡したことを認め、教師たちはガロデスがユーキを逃がしたことを知って驚愕する。ユーキを逃がしたことがすぐにバレるとガロデスは分かっていたのか、慌てることなく冷静な態度を取っていた。
「どういうことですか、学園長! あ奴を軍へ引き渡すことは昨日の会議で決まりましたし、貴方も納得されたはずです!」
教師たちが驚く中、ロブロスだけは険しい表情を浮かべたままガロデスに食い付く。昨日の会議でユーキを軍へ引き渡すことが正式に決定したのに学園長であるガロデスがユーキを逃がしたのだから腹を立てるのも無理はなかった。
ロブロスと同じように引き渡しに賛成した教師たちも納得できない様子でガロデスを見ており、オーストや彼の後ろにいる二人の教師や男子生徒もガロデスが何を考えてユーキを逃がすようなことしたのか気になり、黙ってガロデスを見ている。
「確かに会議ではユーキ君を軍に引き渡すことを決定し、私も受け入れました。……ですが、あれはメルディエズ学園の学園長として判断しただけであって、私個人は納得したわけではありません」
「はあぁ?」
ガロデスの言葉の意味が分からないロブロスは訊き返す。ガロデスはロブロスと向かい合うと真剣な表情で話し続ける。
「多数決で正式に決定したこととは言え、命の恩人であるユーキ君をあのまま軍に引き渡すことはやはりできません。……私にはメルディエズ学園の学園長として先生がたや多くの生徒たちの手本になる義務があります。ですが、それ以上に一人の人間としてユーキ君を救うことの方が大切なんです」
「な、何を勝手なことを。……民主主義によって決定することは学園長がお決めになられたことです。それなのに学園長ご自身が私情を挟んで決定を無視し、ルナパレスを逃がすなど許されることではありませんぞ!?」
「分かっています。どんな理由であれ、私が決定を無視し、規則を破ったのは事実。しっかり責任は取るつもりです」
言い訳もせず、処分を受ける覚悟があることを訴えるガロデスを見てロブロスは気に入らなそうな顔をする。一方でオーストや一緒に職員室に入って来た教師たち、生徒会の男子生徒は無言でガロデスを見ていた。
ユーキを助けるために立場を顧みず規則を破り、それが明るみになっても責任を取ると話すガロデスを見てオーストたちは心の中で感心する。メルディエズ学園の代表としては許されない行動だが、一人の人間としては素晴らしい覚悟を見せたと思っていた。
ロブロスはガロデスの目を見て彼が後悔していないと悟ると奥歯を噛みしめる。この時のロブロスはガロデスが学園長としての立場を利用して好き勝手に行動したと思っており、ガロデスの行動に苛立ちを感じていた。
「責任を取ると仰るのなら、学園長を辞任していただきましょう」
ガロデスに学園長を辞めるよう要求するロブロスにオーストは反応し、他の教師たちもロブロスに視線を向ける。
「民主主義によって決定するとご自身で決めたにもかかわらず、貴方はルナパレスを軍に引き渡さずに逃がした。学園長としてあるまじき行為を取っただけでなく、ベーゼ化するかもしれない小僧を町の外に逃がしたと言うとんでもないことを仕出かしたのです。文句はありませんよね?」
ロブロスは髭を指で整えながら語り、ガロデスは無言でロブロスを見つめている。
現学園長であるガロデスが辞任すれば次の学園長に選ばれるのはメルディエズ学園のナンバー2である教頭の自分だとこの時のロブロスは思っており、これを機に新しい学園長になってやろうと考えていた。
「待ってください、ハージャック教頭」
突如、黙って会話を聞いていたオーストがロブロスに声をかけ、ガロデスとロブロスはオーストの方を向いた。
「確かに学園長は会議の決定に背いてルナパレスを逃がしました。ですが、それだけで学園長に辞任を要求するのは酷ではないでしょうか?」
「何だと!? マルコシス先生、さっき私が言ったことを聞いていたのか? 学園長はメルディエズ学園の代表として許されないことをやったのだぞ。それなのに私の判断が酷だと言うのか?」
「学園長が責任を取らなくてはならない状況だとしても、我々教師に学園長に辞任を要求する権利はありません。先程のは明らかに越権行為です」
「越権だと? 私はこの学園の教頭だぞ。責任者である学園長が失態を犯したのであれば、教頭である私には学園長に辞任を要求する資格があるはずだ!」
「それは違います。メルディエズ学園の学園長はそんな簡単に就任や退任を決められる役職ではありません」
若干興奮した様子のロブロスにオーストは冷静に説明する。周りにいる教師たちの中には学園長が訳ありの役職だと知らない者もおり、オーストの話を聞いて意外そうな反応を見せていた。
気に入らなそうな表情を浮かべるロブロスを見るオーストはメルディエズ学園の学園長について説明し始めた。
メルディエズ学園は三十年前のベーゼ大戦の時にベーゼと戦う戦士を養成する機関、メルディエズとして設立された。世界を支配しようとするベーゼと戦い、人々を護る重要な機関であることから、メルディエズの責任者はとても重要な役職と見られている。そのため、メルディエズの責任者はラステクト王国の国王によって任命されることになっているのだ。
ラステクト王国の国王が責任者を決定するという決まりはメルディエズがメルディエズ学園に変わった後も続いており、メルディエズ学園の責任者、つまり学園長は国王に認められた者だけが任されることになっている。
誰もがメルディエズ学園の学園長になれるわけではなく、着任や退任も他人が簡単に決めてよいことではない。着任だけでなく、辞任する際も国王に報告して許可を得る必要があるのだ。
更に学園長になる際には幾つか条件が必要になる。一つは前述したようにラステクト王国の国王に学園長に相応しいと認められて任命されること。
二つ目は身分が貴族で、爵位が伯爵以上であること。
そして三つ目は前任者が正式に学園長の任を解かれている。もしくは死亡、怪我や病気なので学園長を続けることができなくなっていること。
全ての条件を満たした者が学園長としてメルディエズ学園の任されることになるのだ。
オーストはメルディエズ学園の学園長として必要なものを細かく説明する。
説明を聞いていた教師たちは納得したような反応を見せているが、ロブロスはどこか不服そうな顔をしていた。ロブロスの様子から彼は学園長に就任するための条件を知らなかったようだ。
「国王陛下のお許しが無い限り、学園長を辞めることも新しい学園長になることも許されません。勿論、ハージャック教頭、貴方も例外ではありません」
チラッとロブロスを見ながらオーストは低い声で語る。どうやらオーストはロブロスがガロデスを学園長の座から引きずり下ろし、その後釜に納まろうとしていることを見抜いていたようだ。
「……しかし、学園長が会議の決定に背き、ルナパレスを逃がしたのは事実だ。辞任していただくには十分な理由だと思うが?」
学園長になるチャンスを捨てられないロブロスは何とかガロデスは辞任させようと彼の過ちを指摘する。オーストは引き下がろうとしないロブロスを目を細くしながら睨む。
「学園長が何も考えずにルナパレスを逃がしたとは思えません。何か理由があって彼を外に出したのだと私は思っています」
「何だと?」
ロブロスは険しい顔をながら目を細くしてオーストを見つめる。オーストはロブロスの視線を無視するかのようにガロデスの方を向く。
ガロデスはオーストと目が合うと、オーストが目で「本当のことを話してください」と訴えていることに気付く。しかしここで本当のことを話せばユーキが何処へ向かったのかロブロスたちに知られることになる。
ユーキの居場所や目的を知ればロブロスや彼と同じ考えを持つ教師たちは必ず追手を差し向けてユーキを捕縛しようとする。最悪ベーゼとして殺されるかもしれないため、ガロデスは絶対にユーキの居場所を教えるわけにはいかなかった。
「学園長、なぜルナパレスを町の外に出したのです? あ奴の行き先を知っているんですか?」
ロブロスがガロデスに尋ねると、ガロデスは目を閉じてゆっくりと俯いた。
「……申し訳ありませんが、お答えできません」
「学園長、貴方はベーゼ化するかもしれない小僧を町の外に解き放ってしまった。もしあ奴が完全なベーゼになったらメルディエズ学園はベーゼ化する生徒を野放しにしたと見られ、人々からの信頼を失ってしまう。貴方にはあ奴の居場所を教える責任があります!」
ガロデスはロブロスの発言からユーキがベーゼ化すると決めつけていると感じて若干不満そうな顔をする。しかもユーキがベーゼ化してしまった際に真っ先に心配していたのが人々の身の安全ではなく、メルディエズ学園の信用だったため不快に思っていた。
しかしガロデス自身も信じているとはいえ、ベーゼ化する可能性があるユーキをバウダリーの町から出したため、ロブロスの考えを非難することはできなかった。
「お答えてください、ユーキ・ルナパレスをなぜ逃がしたのか。……お答えにならないのなら、貴方をベーゼを解き放った犯罪者として軍に引き渡すことになります」
脅迫のような発言をするロブロスをオーストは鋭い目で見つめ、他の教師たち男子生徒も緊迫した表情を浮かべる。
ガロデスはロブロスの言葉に眉一つ動かさず無言で見つめていた。例え軍に引き渡すと言われてもガロデスはユーキが何処にいるのか言うつもりはないようだ。
「ルナパレスなら帝国に行きましたよぉ」
突如職員室に声が響き、声を聞いたガロデスたちは職員室の出入口の方を向く。そこには開いてる扉の前で腕を組みながらガロデスたちを見ているスローネの姿があった。
「いやぁ~、朝から色々と忙しそうだねぇ」
スローネは髪を指で捩じりながら笑ってガロデスたちの方へ歩いて行く。いきなりやって来たスローネにガロデスたちは驚いていたが、それ以上に気になることがあった。
「スローネ先生、先程仰ったのはどういう意味ですか?」
「言ったとおりだよぉ。ルナパレスはガルゼム帝国へ向かった」
オーストの問いにスローネは素直に答え、オーストたちはスローネがユーキの居場所を知っていることに改めて驚いた。
「スローネ先生、どうしてユーキ君がガルゼムへ向かったことを知っているのですか?」
周りが驚く中、ガロデスは自分しか知らない情報をなぜスローネが知っているのか気になって尋ねる。スローネはガロデスの方を見ると軽く苦笑いを浮かべた。
「実は昨日、学園長がルナパレスにバウダリーを出て帝国へ向かおうよう言っているのを聞いたんですよ」
「……ッ! あの会話を聞いていたのですか?」
「ええ、盗み聞きなんて悪いと思ってましたが、気になってしまって」
重要な密会をするため、誰にも見られないよう計算して動いていたはずなのに目撃されていたことを知ったガロデスはもっと慎重に動いた方が良かったと感じた。
「エンジーア、お前は学園長とルナパレスが会話をしているのを聞いたと言っていたな? ならどうしてすぐにそのことを私や他の教師たちに伝えなかったのだ?」
ロブロスはスローネが今までユーキとガロデスの接触を秘密にしていたことを不服に思い問い詰める。ユーキを軍に引き渡すことが決まっているにもかかわらず、ユーキがバウダリーの町から出ることを知っていて黙っていたのだから当然だった。
「だって、ハージャック教頭や他の先生たちに教えればルナパレスが町から出られないように拘束していたでしょう?」
「当たり前だ」
「だから内緒にしてたんですよぉ。ルナパレスが学園から出られるようにするためにね」
「な、何だとぉ?」
スローネの話を聞いたロブロスは耳を疑い、ロブロスと同じようにユーキの引き渡しに賛成する教師たちも信じられないような表情を浮かべてスローネを見ていた。
「私もねぇ、片手がベーゼ化した程度でルナパレスをベーゼと見なして軍に引き渡すことに納得できないんですよ。だから学園長がルナパレスを学園から逃がそうとしていた話を聞いてもずっと黙っていたんです」
「ふ、ふざけるな! 学園長にも言ったが、ルナパレスを引き渡すことは昨日の会議で決定したはずだぞ?」
「ええ、だから私も学園長と同じように一人の人間として行動させてもらいました」
後悔していない様子でスローネはユーキを助けようとしていたことを話す。彼女の発言からガロデスがロブロスたちに話していたことを職員室の外でずっと聞いていたようだ。
ガロデスはスローネの意思を聞くとフッと反応する。最初はスローネにユーキとの会話を聞かれて失敗したと感じていたガロデスだったが、よく考えればスローネは自分と同じようにユーキを軍に引き渡すことに反対しているため、聞かれても問題は無いことに気付く。それを考えると、話を聞いていたのがスローネで良かったと思った。
しかしユーキに味方をしているはずのスローネがどうしてロブロスたちにユーキの行き先を教えたのかガロデスには分からなかった。
「スローネ先生、どうしてユーキ君の行き先を喋ったのですか?」
ガロデスが尋ねるとスローネはチラッとガロデスの方を見た。
「あのままだと学園長は絶対にルナパレスの居場所を喋らなかったでしょう? そうなったら学園長は犯罪者として軍に引き渡されちゃいますから」
「ユーキ君は私の命を救ってくれた恩人です。その恩人を助けるために私も人生を懸けて彼を護ると決めたのです。軍に引き渡されることになっても私は構いません」
「それは素晴らしい覚悟だと思います。……だけど、ルナパレスがそれを望んでいるんでしょうかねぇ?」
意味深な言葉を口にするスローネを見てガロデスは軽く目を見開く。スローネは再び髪を指で捩じり、ガロデスを見ながら口を動かす。
「自分を逃がすために学園長が軍に捕まった、もしアイツがそれを知ったらきっと自分のせいで学園長が酷い目に遭ってしまったとショックを受けると思いますよ。貴方はそれでも構わないって言うんですかぁ?」
「ぬぅ……」
スローネの言葉を聞いてガロデスは言葉に詰まる。ユーキを護るためなら軍に引き渡されても構わないと思っていたが、それが原因でユーキが落ち込んだり、罪悪感を感じることになるのは避けたかった。
俯きながらガロデスは黙り込む。そんなガロデスを見たスローネはニッと笑みを浮かべた。
「全てが片付いた後にお互いが笑えるよう、学園長はもう少しご自分を大切にした方がいいと思いますよ」
優しい口調で語るスローネを見たガロデスは小さく笑みを浮かべる。ユーキのために自分の人生を懸ける意志も大切だが、自分の身も大切にしなくてはならないことをガロデスはスローネから教えられた。
「おい、エンジーア。ルナパレスはガルゼムの何処へ向かった? 何をしにガルゼムへ向かったのだ!?」
ガロデスとスローネが話をしているとロブロスが不機嫌そうな様子でスローネに声をかけてくる。スローネは空気を読まないロブロスの態度に小さな不満を感じながら鬱陶しそうな顔をした。
現状とロブロスの様子からスローネはユーキの居場所を聞いたロブロスはユーキを捕縛するために追手を差し向けると確信していた。ユーキの身の安全を考えるのなら教えずに黙っておくべきだが、ガロデスに自分を大切にしろと言った手前、自分が黙秘することはできない。
仮に黙秘をしてもロブロスは再び軍に引き渡すと脅迫してくる可能性が高いため、素直に教えた方がいいとスローネは考える。
スローネはガロデスの方を向き、「教えてますがいいですか?」と目で伝える。ガロデスはスローネの目を見て彼女の意思を感じ取ると小さく頷き、伝えることを許可した。
「スラヴァ・ギクサーラン殿に会いに行ったんですよ」
「ギクサーラン? 五聖英雄のか?」
「ええ、彼は優れた魔導士であると同時に優秀な薬師のご子息です。噂では祖国である帝国に戻り、帝国北西部の何処かで薬師として生活しているそうですよぉ」
ユーキがガルゼム帝国へ向かった理由を聞いてロブロスや周りの教師たちは目を見開く。嘗てベーゼからこの世界を救った英雄の一人に会いに向かったと聞かされたため驚いていた。
「スラヴァ殿ならユーキ君を元の体に戻す薬を調合してくれると考え、私は彼にガルゼムへ向かわせました。そして薬を調合してもらい、元の体に戻ることができたら再び学園に戻って来るよう言ったのです」
「成る程、確かに五聖英雄であるギクサーラン殿ならルナパレスを助けることができるかもしれませんな」
ラステクト王国の薬師や調合師よりも期待できると感じたオーストはこのままユーキをガルゼムへ向かわせた方がいいと考え、周りの教師たちも五聖英雄の所へ向かったのなら心配は無いだろうと感じていた。
「ハージャック教頭、ルナパレスがギクサーラン殿に会いに行ったのなら、このまま行かせても良いのではないでしょうか? ルナパレスがギクサーラン殿から薬を受け取り、元の体に戻って学園に帰ってくれば問題ありませんし、学園としても軍に引き渡して貴重な混沌士を失わずに済むのですから」
オーストはユーキがベーゼ化の問題を解決し、メルディエズ学園に戻って来ることを信じて待つことを提案する。他の教師や生徒会の男子生徒も状況からこのままでも大丈夫かもしれないと感じながらロブロスを見つめた。
「……いいや、ルナパレスを捕らえ、学園に連れ戻す」
ロブロスの出した答えを聞いて職員室にいるロブロス以外の全員が耳を疑った。
五聖英雄の下へ薬を調合してもらいに向かったと聞いたのにユーキを捕らえようとするロブロスの考えが理解できず、ガロデスたちは驚きの表情を浮かべる。
「教頭先生、今何と?」
「ルナパレスを捕らえると言ったのです」
「彼はスラヴァ殿の下へ薬を調合してもらいに向かったのですよ? それなのに彼を捕らえるつもりですか?」
「いくら五聖英雄と言えど、確実に薬を調合できるとは断言できないでしょう。もしかすると、ルナパレスは五聖英雄でも救えない状態になっているかもしれません」
「まだそうだと決まったわけではありません。ですから……」
「それに、もしルナパレスがギクサーラン殿に会う前に完全にベーゼ化したらどうするのです? 奴が向かった帝国に大きな被害が出るかもしれない。そうなったら学園の信頼が失われるだけでなく、生徒がベーゼ化し、それを野放しにしていたということが帝国にも知られてしまう。そうなれば学園はお終いですぞ?」
メルディエズ学園の失墜とユーキの秘密が公になることを恐れるロブロスはユーキを捕縛するべきだと語る。
ガロデスはこの期に及んで学園の信頼を優先するロブロスの考えが信じられずに衝撃を受け、スローネやオーストもロブロスを呆れ顔で見ていた。
ロブロスはメルディエズ学園の信頼を護るため、そしてガルゼム帝国に被害が出ることを恐れてユーキを捕らえるべきだと言っているが、実はこの時のロブロスは別の目的があってユーキを捕らえようとしていた。
ユーキという人間としての姿と自我を保ったままベーゼの力を手にした存在をラステクト王国の軍に引き渡せば軍はユーキの体を分析し、今後のベーゼとの戦いを有利に進める情報を得ることができる。
もしユーキを調べて有力な情報を得ることができれば、ロブロスはメルディエズ学園の人間としてラステクト王国に大きく貢献したことになる。そうなれば国王からの信頼と権力のある爵位を得られるロブロスは考え、逆にベーゼ化する可能性があるユーキをバウダリーの町から出したガロデスは信頼を失い、メルディエズ学園の学園長を退任させられると思っていた。
ガロデスが退任すればメルディエズ学園の学園長はいなくなり、信頼と大きな爵位を得たロブロスが次の学園長に選ばれる可能性が出てくる。つまりロブロスは自分がメルディエズ学園の学園長になるためにユーキを捕らえようとしていたのだ。
「ユーキ・ルナパレスが人々にとって危険な存在となる可能性がある以上、このまま野放しにすることはできません。私はあ奴を捕らえるべきだと思っています」
本心を隠したままロブロスは綺麗事を口にし、ユーキを捕縛するべきだと強く進言する。ロブロスの発言を聞いて先程まで大丈夫だと思っていた教師たち、特にユーキを軍に引き渡すことに賛成していた教師たちは不安そうな表情を浮かべていた。
「待ってください。まだユーキ君が危険な存在になると決まったわけではないのに勝手に決めつけて捕らえようとするなど、許されることではありません」
「学園長、貴方もルナパレスなら大丈夫だと勝手に判断なさったではありませんか。そもそも学園の決定に背き、独断であ奴を町から逃がした貴方にそんなことを言う権利はないと思いますが?」
「ぬうぅ……」
立場的にロブロスの考えを否定したり止めることはできないと感じたガロデスは悔しそうな声を出す。
ガロデスが大人しくなるとロブロスはガロデスと向かい合い、鋭い目で彼を見つめる。
「学園長、貴方は民主主義によってルナパレスの引き渡しが決定したにもかかわらず、ベーゼ化する可能性があるルナパレスを町から逃がしました。貴方の行いは決して許されないことです。……よって学園長にはバウダリーのご自宅で謹慎していただきます」
「なっ!? いくら教頭だからと言ってそんなことが許されると思っているのですか!」
オーストは立場を利用して勝手な決断をするロブロスを止めようとする。するとロブロスは視線を動かしてオーストを睨みつけた。
「私は学園長に辞任を要求しているのではなく、処分を下しているのだ。この程度であれば学園長に対しても許されて然るべきであろう。……いや、教頭として当然の判断だと思うがな」
「クッ!」
奥歯を噛みしめながらオーストはロブロスに不満の目を向け、スローネも納得のできないような表情を浮かべていた。
「……分かりました。私が決定に背く、独断で行動したのは事実です。教頭先生の指示に従います」
オーストとスローネが不満を露わにしているとガロデスが謹慎を受け入れ、二人は目を見開いてガロデスを見た。
「流石は学園長、素直に従っていただき助かります。ああぁ、それから……」
ロブロスはガロデスを見ているスローネに視線を向け、視線に気付いたスローネはロブロスの方を向いた。
「学園長とルナパレスの会話を聞いておきながら、エンジーアはそれを報告しなかった。もしも隠さずに報告していれば、このような騒ぎにならなかったと私は思っている」
「つまり、私も学園長と同じように謹慎するべきだ、というわけですか」
「そのとおりだ。……文句は言わせんぞ」
「ハァ……分かりましたよ」
ここで抵抗しても何の得もないと感じたスローネは言い訳をせずにロブロスの言うとおりにすることにした。
ガロデスに続き、スローネまでもが謹慎を受けることとなり、オーストやガロデスたちの味方をする教師たちは表情を歪める。
「学園長とエンジーアにはルナパレスの件が片付くまでの間、自宅と教師寮で大人しくしていただく。念のため、勝手なことをしないよう生徒会の生徒を監視として付けさせてもらいます。更にその間、私が学園長の代行として活動する」
「なっ!」
とんでもないことを言い出すロブロスにオーストは思わず声を漏らす。ロブロスは驚くオーストを見るとニッと笑みを浮かべた。
「現状から教頭である私が代行になるのは当然のことであろう? 納得できないのであれば、また全ての教師を集めて民主主義で決定するかね?」
余裕を見せるロブロスをオーストは奥歯を噛みしめながらジッと睨む。ガロデスは現状からロブロスを止めることはできないと感じているのか何も言わずに黙っていた。
通常なら多数決などでロブロスに学園長代行を任せてよいか決めるべきだが、現在メルディエズ学園の教師はユーキのベーゼ化の一件でガロデスに味方をする者とロブロスに味方をする者に分かれている。
今の時点ではオーストのようにガロデスの味方をする教師はロブロスの味方をする教師より少ない。多数決を行ってもオーストたちが負けるのは火を見るよりも明らかだった。
結果が分かっている状態で多数決をしても仕方がない、そう感じたオーストは悔しく思いながら俯く。ロブロスはオーストが大人しくなるのを見ると笑いながら周りにいる味方の教師たちを見た。
「よし、早速ルナパレスを捕縛するための部隊を結成する。学園内にいる優秀な生徒たちを集めろ」
「ハ、ハイ。……因みにこのことはガルゼム帝国に報告しますか?」
男性教師が不安そうな様子で尋ねると、ロブロスは僅かに表情を険しくして男性教師の方を見た。
「馬鹿者! そんなことをすれば我が学園は信頼を失ってしまう。下手をすれば商売敵である冒険者ギルドの耳にも入り、連中に見下されるかもしれん。今回の件は口外無用だ、我々だけで片付ける。いいな?」
「ハ、ハイ!」
ロブロスの迫力に驚いた男性教師は首を縦に振り、他の教師たちも緊張した様子でロブロスを見ている。
(サンロードもルナパレスと一緒に学園を出たって言おうと思ってたけど、今の状況で話すのはマズいかもしれないねぇ……訊かれてもいないし、教頭たちが気付くまで黙っとこ。まぁ、すぐにバレちまうかもしれないけど)
アイカのことを喋らなくてよかったと思いながらスローネはロブロスたちの会話を聞いていた。
その後、ガロデスとスローネは生徒会の生徒たちに連れられて職員室を後にし、オーストも静かに職員室を出て行く。
ガロデスたちが去った後もロブロスは味方の教師たちとユーキを捕縛するための作戦を練ったり、部隊の編成などを行った。




