第百二十八話 異変
昼過ぎのバウダリーの町、住民たちは買い物や友人と会話をしたりして普段と変わらない生活を送っている。ただ、昼を過ぎているからなのか外に出ている住民は少なく静かだった。
静かな街道にグラトンを連れて歩くユーキの姿がある。既にユーキがグラトンを連れて街の中を歩くことは珍しいことではなくなっているため、住民たちはユーキとグラトンを見たり、横を通り過ぎても驚いたり目で追ったりすることはしなかった。
街道の真ん中をユーキはゆっくりと歩き、グラトンはユーキの後ろをついて行く。ただ、この時は普段違っており、ユーキの左隣には腰に剣を佩した男子生徒が一人ついて来ていた。
ユーキは自分の歩く速度に合わせてついて来る男子生徒に視線を向け、男子生徒を見ると疲れたような表情を浮かべながら小さく溜め息を付く。
「どうかしたか、ルナパレス?」
男子生徒はユーキが溜め息を付いたことに気付くと歩きながら声をかける。話しかけられたユーキは男子生徒の方を向くと苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「いえ、何でもないです」
「そうか……」
返事をした男子生徒は不思議そうな顔をしながら再び前を向く。ユーキも男子生徒の反応を見ると前を見て疲れたような表情を浮かべた。実はユーキについて来ている男子生徒は生徒会の生徒でユーキを見張るためについて来ているのだ。
ナトラ村の討伐依頼でユーキとアイカは瘴気に体を侵されて一度ベーゼ化しており、それを知った教師たちはユーキとアイカが再びベーゼ化する可能性があると考えた。
ユーキとアイカの体に何かしらの変化が出ていると予想した教師たちは二人を瘴気に侵される前の状態に戻す薬を薬師に作らせることを決め、薬ができるまでの間、ユーキとアイカの体を検査しながら様子を見ることにした。
二人が学園内にいる間は教師や生徒会の生徒たちが遠くから見守ることができる。だが、バウダリーの町など教師たちの目の届かない場所に行く際は生徒会の生徒がユーキとアイカに同行することになっているため、男子生徒はユーキと共に町に来ていたのだ。
(生徒会が同行することは会長から聞かされていたけど、こんなに近づかれて見張られると落ち着かないんだよなぁ……)
ゆっくり歩きながらユーキは小さく俯き、男子生徒が同行することを迷惑に思う。男子生徒はそんなユーキの気持ちに気付くことなく歩いており、グラトンは元気の無いユーキの背中を小首を傾げながら見ていた。
ユーキが今日、買い物など用事があって街へ来たわけではなく、グラトンを散歩させるために町を訪れていた。そのついでに自分も気分転換をしようと考え、目的もなく街の中を歩いているのだ。
ナトラ村の依頼から今日で二日が経過しており、ユーキはこの二日間、バウダリーの町から出ずに生活していた。依頼を受けることは学園側から禁じられているため、今のユーキにできることと言えば学園内で過ごすか、今のように街へ外出することぐらいだ。
ユーキは昨日、授業を受けたり訓練などをして時間を潰していたのだが、今日も同じことをして時間を潰すのはつまらないと思い、グラトンを散歩させるために町に出た。
(さてと、これからどうしようかなぁ。……これと言ってやることも無いし、とりあえず人が多く集まる場所へ行ってみるか)
行き先を決めたユーキは顔を上げ、歩く速度を少しだけ上げる。グラトンと男子生徒もユーキに合わせるように速度を上げ、ユーキたちは街道を賑やかな街道を移動した。
ユーキたちは出店などが多くある商業区、町の住民たちが住んでいる住宅区、鍛冶屋や家具などを作る店がある工業区など様々な場所へ向かって時間を潰す。移動している時にユーキのことを知っている住民たちが声をかけてきたり、グラトンに懐いている子供たちが近寄ってきたりなどしたため、ユーキは軽い世間話をし、グラトンも子供たちと遊んだりなどした。
その後もユーキはグラトンと散歩を続けるが生徒会の男子生徒が近くで自分を見ているため、ユーキは気持ちを楽にして散歩することができなかった。
町の中を見て回ったユーキたちはメルディエズ学園へ続く西門近くの街道にやって来た。男子生徒のせいで殆ど気分転換ができなかったユーキは歩きながら溜め息を付く。そんなユーキを見たグラトンは歩きながら顔を近づけて暗い顔をするユーキを見つめた。
視線に気付いたユーキはグラトンの方を向き、苦笑いを浮かべながら鼻の部分をそっと撫でる。
「何だ、心配してくれてるのか? ……大丈夫だよ、ちょっと疲れただけだ」
「ブォ~」
グラトンはユーキを見ながら小さく低めの声を出す。通常のヒポラングよりも知能が高いグラトンはユーキが何を言っているのか何となく理解できるため、ユーキの顔を少し気にかけているようだ。
「ルナパレス、疲れているのか?」
ユーキの左隣にいた男子生徒は立ち止まってユーキに話しかける。ユーキは男子生徒の声を聞くとつられるように止まって男子生徒の方を向き、グラトンも続けて止まった。
「何か体に異常が起きるようなことでもあったのか? それとも瘴気を取り込んだ後遺症でも出たか?」
「い、いえ、そう言うわけじゃありません」
「じゃあ、どうした? 何か疲れを感じるようなことでもあったんか?」
両手を腰に当てながら男子生徒は小首を傾げて尋ねる。ユーキはしばらく男子生徒を見た後、顔を見られないように男子生徒が立っている方角とは逆の方を向いて呆れたような表情を浮かべた。
(アンタだよ! アンタがずっと見ているから気分転換もできず、どっと疲れたんだよ!)
疲労の原因が自分だと自覚していない男子生徒にユーキは心の中でツッコミを入れる。もしも男子生徒がいなければ疲れを感じることも無く気分転嫁できただろうとユーキは思っていた。
男子生徒は難しそうな顔をしながら顔を隠すユーキを見つめる。そんな時、男子生徒はふと何かに気付いたような反応を見せて自分の制服のポケットに手を入れた。そして、ポケットから懐中時計を取り出すと蓋を開いて時間を確認する。
「ルナパレス、そろそろ時間だ。学園に戻るぞ」
「! ……分かりました」
ユーキは真剣な表情を浮かべると男子生徒の方を向いて返事をした。実はユーキがバウダリーの町に外出するには幾つか条件があり、そのうちの一つは生徒会の生徒を同行させること。そしてもう一つは外出に一時間の制限時間を付けると言うものだ。
時間制限が付いている理由はユーキを外に出し、もしも町でベーゼ化すれば大騒ぎになると教師たちが考えたからである。外出できる時間を一時間にすれば必ず決められた時間にユーキはメルディエズ学園に戻るため、町でベーゼ化する可能性は低いと思ったのだ。
バウダリーの町に出かけるのにも制限時間があることにユーキは少し不満を感じている。しかし、自分がベーゼ化する可能性がある以上、周囲に迷惑をかけないために教師たちの決定に従うしかないと自分を言い聞かせていた。
ユーキたちはメルディエズ学園に戻るため、西門に向かって歩き出す。この時、ユーキは移動しながら早く制限の無い暮らしに戻りたいと思っていた。
しばらく街道を歩き、ユーキたちは西門前の広場に辿り着く。広場には大勢の人がおり、その中にはメルディエズ学園の生徒の姿もある。
広場にいる生徒の中にはユーキたちと同じように学園へ戻って行く生徒もいれば、これから街へ出かけようとする生徒もいた。
「さてと、学園に戻ったらどうしようかねぇ。この時間じゃあ俺が受けられる授業はやってないだろうし、どうするかなぁ……」
「ユーキ!」
考え込んでいると自分の名を呼ぶ声が聞こえ、ユーキは声が聞こえた方を向く。そこには軽く手を振りながら笑っているアイカの姿があった。
ユーキはアイカもバウダリーの町に出かけていたと知って少し意外そうな反応をする。アイカの後ろには腰にレイピアを差した女子生徒が立っており、女子生徒を見たユーキはアイカも自分と同じように見張られているのだと心の中で同情した。
アイカは笑いながら歩いてユーキの前までやって来る。女子生徒もアイカの後に続くように歩き、アイカの左斜め後ろで立ち止まった。
「貴方も町に来ていたのね」
「ああ、グラトンと一緒にちょっと散歩をね」
「ブォ~~」
ユーキはグラトンを見ながら喋り、グラトンもアイカに挨拶するかのように鳴く。アイカはグラトンを見ながら優しい微笑みを浮かべる。
「アイカはどうして町に?」
「買い物よ。授業で使う羽ペンのインクと羊皮紙が無くなってきたから新しいのを買ってきたの」
「そっか。今の俺たちが学園でできることと言えば授業を受けるか、訓練するかのどっちかだからな」
「そうね。でも、それは仕方のないこと。依頼が受けられるようになるまでは頑張りましょう」
制限が無くなるまでは我慢して生活するしかないと語るアイカを見ながらユーキは無言で頷く。グラトンは若干深刻そうな顔をするユーキとアイカをまばたきしながら見つめていた。
ユーキを見守っていた男子生徒はアイカを見守っていた女子生徒と合流し、ユーキとアイカに聞こえないよう小さな声で情報交換をする。二人がバウダリーの町に出ている間、何か問題を起こさなかったか、体に変化はなかったかなど自分が持っている情報を相手に小声で伝えた。
男子生徒と女子生徒が話し合っている姿をユーキとアイカは視線だけを動かして見ていた。自分たちを見張るためについて来ているのは知っているが、本人の前でコソコソと話す姿を見ると少し気分が悪くなる。
「……ところで、今日まで体に何か変化はなかったか?」
ユーキはアイカに体に異常が無いか少し声を小さくして尋ねる。一昨日、医務室で別れた後からアイカとは会っていなかったため、ユーキはアイカの体に何かしらの異変が起きていないか心配していた。
「大丈夫、ナトラ村にいた時みたいに大きな変化はまだ出ていないわ。……ユーキの方はどう?」
「俺も体に大きな変化はない」
自分と同じで問題は無いことを聞かされたアイカは安心する。だが、ユーキは難しい表情を浮かべた。
「……ただ、ちょっと気になることがあるんだ」
「気になること?」
アイカが不思議そうにしながら訊き返すとユーキはチラッと自分の右手を見る。
「昨日、訓練場で素振りをやってたんだけど、刀を全力で振った時に一瞬だけど風が起きたんだ」
「風が?」
「ああ、最初は気のせいかと思ったんだけど、何度か振っている内に本当に風が起きてることに気付いた」
話を聞いていたアイカはまばたきしながらユーキを見ている。ユーキはアイカの表情に気付いていないのかそのまま話を続けた。
「人間が武器を振って風を起こすには相当の筋力が必要だ。それこそ、常人では得られないくらいの筋力がな」
「ユーキはその時、強化の能力を使っていたの?」
「いいや、使ってない。素の筋力だけで刀を振ってた」
「つまり、貴方の筋力が以前よりも強くなってるってこと?」
「多分、な。本当に変わったのか分からないからまだ先生たちには言ってないけど……」
確信が持てないユーキは自身の無さそうな声で答える。アイカはユーキの話の意味を理解すると軽く目を見開く。
もし風を巻き上げられるほど筋肉を得ているのなら腕はもっと太くなっているはず。しかし、ユーキの腕はいつもと変わっておらず、制服の上からでも太くなっていないことが一目で分かる。更に言えばユーキは体が小さく、強化も使用していない元の筋力だけで刀を振っていた。
ユーキの体形と素振りをしていた時の状況から考えると、筋力が以前より強くなったと言われても普通の生徒なら信じないはずだ。だが、アイカはユーキの言っていることを信じていた。
「……ユーキ、実は私もなの」
「え?」
「私も、前と違って力が強くなっているみたい」
アイカの口から出た言葉にユーキは驚きの反応を見せる。自分だけでなく、アイカまでも筋力が強くなっていると聞かされたため驚きを隠せなかった。
「今日の午前中、訓練場で木人形に打ち込みをしていたのだけど、プラジュで木人形を力一杯攻撃した時、木人形の胴体が砕けたの」
「木人形が? 確か訓練場の木人形って本物の武器で攻撃しても壊れにくいように作られてたんじゃなかったか?」
「ええ、だから私も最初、木人形が古くて壊れちゃったんじゃないかって思ったわ。だけど、訓練場の管理人さんに聞いたら、私が使っていた木人形は新しい物だって言ってたの」
自分が経験したことをアイカは静かに語る。自分がユーキと似た体験をしていたため、アイカはユーキの言ったことが本当だと信じていたのだ。
アイカの話を聞いたユーキは僅かに表情を鋭くした。自分もアイカもナトラ村で高濃度の瘴気に侵され、ベーゼ化してから体に異変が出て常人とは思えない筋力を得ている。最初は確信を持てなかったユーキもアイカの話を聞いて間違い無く力が強くなっていると考え、体の異変にベーゼ化が関係していると確信していた。
ユーキは小声で話し合っている生徒会の生徒たちをチラッと見て、自分たちの話を聞いていないことを確認するとアイカに小声で話しかける。
「……アイカ、どうやら俺たちの体、ほんの少しだけどベーゼに近づいてるみたいだ」
「貴方もそう思う?」
「ああ、面倒なことになっちまった。……学園に戻ったらスローネ先生かナチルン先生に相談した方がいい」
「そうね。それじゃあ、戻ったら一緒に先生たちのところへ――」
「キャアアアァッ!」
突如広場に若い女の叫び声が響き、ユーキとアイカは同時に声が聞こえた方を向く。二人から数m離れた所では二人の少女がおり、一人は三十代ぐらいの男に腕を掴まれながら座り込んでいた。
男に腕を掴まれている少女は十四歳ぐらいで、もう一人は腕を掴まれている少女よりも幼く、目元に涙を溜めながら怯えた様子で少女と男を見ている。二人は髪型や髪の色は違うが顔は似ている。どうやら少女たちは姉妹のようだ。
「テメェ、謝るだけで済ませる気か? ああぁ?」
「す、すみません……」
姉である少女は震えた声で男に謝罪するが、男は少女の腕を放そうとせず、表情を険しくして少女を睨んでいた。
座り込む少女の近くには大量の花が入った籠が落ちている。状況から姉妹は西門前の広場で花を売っている時に男とぶつかり、それに腹を立てた男が絡んできたようだ。
男の暴行を受けたのか姉の顔は僅かに赤く腫れている。妹はどうすればいいのか分からず、ただ男に絡まれている姉を見ていた。
「……何か以前にも見たような光景だな」
姉妹と男を見ていたユーキは呆れたような顔で呟く。過去に何度か似たような光景を見たことがあるユーキはどうして力の弱い者に平気で暴力を振えるのだろうと男を見つめながら疑問に思った。
ユーキの隣で少女に絡む男を見ていたアイカは気に入らなそうな表情を浮かべている。姉妹と男の周りにいる住民たちは助けようとせず、距離を取って関わらないようにしていた。それを見たアイカは呆れ、姉妹を助けようと一歩前に出る。
だが、アイカが動こうとした時、ユーキが無言で姉妹たちの方へ歩き出した。グラトンもユーキについて行こうとしたが、自分だけで十分だと感じたユーキは腕を横に伸ばしてグラトンに残るよう指示する。
アイカはユーキを見て姉妹を助けようとしていることを知って小さく笑い、グラトンはその場に残ってユーキを見つめる。
「おい、アンタ」
ユーキは男の前まで来ると腕を組みながら声をかける。男はユーキに気付くと鋭い視線をユーキに向け、姉妹は涙目でユーキを見た。
「何だ、テメェは?」
「その子が何をしたか知らないけど、ちょっとやり過ぎじゃないか?」
「はあ? テメェには関係ねぇんだ。引っ込んでろ、ガキィ!」
少女の腕を掴んだまま男は力の入った声を出す。ユーキは男の態度を見ると呆れたように深く溜め息を付いた。
「あのねぇ、関係無いからって見て見ぬふりをするなんて、できるはずないだろう」
「ほぉ? だったらテメェがコイツの代わりに償いをしてくれるってことだな?」
男は捕まえていた少女を解放するとユーキと向かい合う。ユーキは男の無茶苦茶な発言に内心呆れながら腕を組むのを止めて男を見た。
解放された姉は強く腕を掴んでいたのか、掴まれていた箇所を抑えながら痛そうな顔をする。そんな姉の下に怖がっていた妹が半泣き状態で駆け寄った。
ユーキと向かい合う男は右手の拳を鳴らす。ユーキは目を細くしながら自分よりも背の高い男を見上げている。
「テメェらメルディエズ学園の生徒は大人の世界の厳しさを知らねぇガキどもだからな。今から俺がそれを教えてやるよ」
「気に入らない奴を力で黙らせるのが大人の世界の厳しさだって言うのか? だったら俺は知りたくないな。何よりもアンタみたいな最低な大人にはなりたくない」
「テメェ、調子に乗るんじゃねぇ!」
ユーキの態度に我慢ができなくなった男は右手で正面からユーキに殴りかかる。姉妹や周りの住民たちは殴られそうになるユーキを見て驚きや緊迫した表情を浮かべていた。だが、アイカや一緒にいた生徒会の生徒たちは落ち着いた様子でユーキを見ている。
迫って来る男の拳を見たユーキは素早く左手を動かして男の拳を止めた。男はパンチを防がれたことに一瞬驚きの反応を見せるがすぐに表情を険しくして右手を引き、今度は左手でユーキに攻撃する。だが、左手のパンチもユーキは難なく左手で止めた。
一度ならずに度までも自分のパンチを防いだユーキを見て男は目を見開き、周りにいる姉妹や住民たちも驚いたような反応を見せている。だが、男たちだけでなくパンチを防いだユーキ自身も驚いていた。この時、ユーキの目には男の動きがいつもよりもゆっくりと動いているように見えたのだ。
ユーキはこれまで自身の動体視力を活かして戦ってきた。ユーキの動体視力は鋭く、弱い敵の動きなら強化の能力に頼らなくても見切ることができる。だが、今のユーキには強化を使ってもいないのに強化で動体視力を強化した時のように男の動きが緩慢に見えていた。
なぜ男の動きが遅く見えるのか、ユーキは男の攻撃を防ぎながら疑問に思う。しかし、今は男を何とかすることが重要なため、男と戦うことだけに集中した。
「こ、このガキィ、いい気になるんじゃねぇぞ!」
攻撃が当たらないことに苛ついた男は右腕を振り上げ、ユーキの脳天に拳を振り下ろそうとする。男が大きな隙を見せるとユーキは素早く男に左側面に回り込み、男の足を後ろから払った。
足払いを受けた男はバランスを崩した男は仰向けに倒れ、背中を叩きつけられた痛みで表情を歪める。男が倒れるとユーキも体勢を直して男を見下ろし、アイカたちもユーキに合流して男を見下ろした。
「もうやめろ、これ以上続けてもアンタは俺には勝てない」
「テ、テメェ……」
「彼女たちに謝ってこのまま帰るのなら見逃してやる」
ユーキはチラッと姉妹を見ながら男に立ち去ることを勧めると、男は姉妹を見た後にユーキを睨み付けてゆっくりと起き上がる。ユーキやアイカたちは起き上がる男を見て、喧嘩をやめて帰ると思った。
だが次の瞬間、男は素早く立ち上がると姉妹に駆け寄り、姉を突き飛ばして妹の背後に回り込む。そして左手で妹の肩を掴み、右手を腰に回すとナイフを取り出して妹の首に突きつけた。
ユーキたちは男の行動に驚いて目を見開き、姉も妹が人質に取られたのを見て驚愕する。
「ふざけるんじゃねぇ! 俺の攻撃を防いだくらいで勝った気になりやがって!」
「貴方、自分が何をしているのか分かっているのですか!?」
アイカが男に声をかけると男はアイカを睨みながらナイフの刃を少女の首元に付けた。
「うるせぇ! 少しでも俺に近づいてみろ、このガキをぶっ殺すぞ!?」
完全に冷静さを失っている男にアイカは表情を歪ませ、生徒会の生徒たちも鋭い表情を浮かべていた。
人質となった妹もナイフが首に触れていることに恐怖して涙を流しながら体を震わせており、姉も妹が殺されるかもしれないと言う状況に不安を隠せずに泣いていた。
「このガキを死なせたくなかったら武器を捨てろ! そして俺がいいって言うまで下がるんだ!」
男はユーキたちに武装解除と距離を取ることを要求する。興奮する男の声は西門前の広場に響き、広場にいる住民たちは男を見つめながら緊迫した表情を浮かべていた。
アイカたちはこのままでは少女の命が危ないと感じ、男の要求に従おうとする。するとユーキが一歩前に出て男を鋭い目で睨みつけた。
「……その子を放せ」
「テメェ、聞こえなかったのか!? さっさと武器を捨てろっつてんだよ!」
「そっちこそ聞こえなかったのか? その子を解放しろ」
「黙れぇ! 俺に命令すんじゃねぇ!」
男は話を聞こうとせず、ユーキを睨みながら声を上げる。アイカたちはユーキの言葉で更に興奮した男を見て僅かに焦りを見せていた。
説得に応じない男を見たユーキは溜め息を付き、男を睨みながら右手を上着の右ポケットに入れて何かを取り出す。ユーキの手の中には1cmほどの鉄球が二つ入っていた。
ユーキは鉄球を取ると右腕を男に向けて伸ばし、同時に強化を発動して右手の指の力を僅かに強化する。そして、指の力を強化したまま鉄球の一つを親指で弾き飛ばし、男に指弾を放った。
以前、ローフェン東国で指弾を使ってからユーキは常に少量の鉄球を持ち歩くようにしていた。刀や魔法が使えない状況になった時や敵が油断している時に攻撃するためだ。
飛ばされた鉄球は男の右手に命中し、男は右手の痛みに思わずナイフを落とす。ナイフが落ちるのを見たユーキは続けて二つ目の鉄球を弾き、男の額に命中させる。
額に鉄球を受けた男は怯んでその場に尻餅をつき、ユーキは男が怯んだ隙に近づいて右手で男の頭部を掴み、左手で右手を掴んで男の動きを封じた。
「今の内だ、逃げろ」
ユーキは少し低めの声を出して少女に指示を出し、少女は驚きながら姉の下へ走っていく。少女が逃げたのを確認するとユーキは男の方を向き、両手に力を入れて男を押し倒して仰向けにした。
「ぐうぅっ! ク、クソォーッ」
男は何とか起き上がろうとするが頭部を強く押さえつけられているため、起き上がることができない。ユーキは必死に体を動かす男を目を細くしながら見つめている。
「……アンタ、無抵抗な女の子を一方的に傷つけて、更にあんな小さな子を人質にして心が痛まないのか?」
「ハッ、何が心が痛まないのか、だ! 最初に俺にぶつかって来たのはあのガキどもだろうが!」
姉妹を傷つけたことに罪悪感を感じていない男を見てユーキは僅かに眉間にしわを寄せた。離れた所で男の言葉を聞いていたアイカも僅かに表情を鋭くして男を睨んでいる。
「あのガキどもは俺にぶっつかって不快な思いをさせた加害者なんだよ。そして俺は被害者、被害者が加害者にやり返して何が悪いんだ!」
反省するどころか自分が被害に遭ったと言い張る男を見てユーキは奥歯を噛みしめる。どんな世界にも自分の間違いを正当化する人間はいるのだとこの時のユーキは感じていた。
ユーキは右手を男の顔から離すと険しい表情を浮かべて男を睨みつける。男は子供とは思えないほど怒りの籠った表情を浮かべるユーキを見て思わず目を見開いた。
「……アンタの本心はよく分かった。なら、俺からも言わせてもらうぞ」
低い声を出しながらユーキは右手で拳を作り、混沌紋を光らせて強化を発動させ、右手と右腕の筋力を強化した。
「俺はな、アンタみたいな人を傷つけても何も感じない奴が嫌いなんだよっ!」
叫ぶように言い放ちながらユーキは男の顔に向けてパンチを放つ。男は驚きの表情を浮かべており、迫って来るユーキの拳を見つめている。しかし、この時のユーキは本気で男を殴るつもりはなく、倒れている男の下にある石レンガの地面を殴ろうとしていた。
殴られると男に思い込ませ、腕力を強化した状態で頭部の真横を殴れば地面は凹ませて男に恐怖させることができる。罪悪感を感じない男を懲らしめ、二度と同じようなことをさせないためには効果的だとユーキは思っていた。
ユーキはパンチを放ち、男の頭部の左側にある地面を殴る。殴ったことで地面を軽く凹ませ、男を脅かすことができるとユーキは考えていた。ところが、ユーキの拳が地面に当たった瞬間、凹むと同時に殴った箇所を中心に蜘蛛の巣のような大きな罅割れが入り、広場に轟音を響かせる。
「なっ!?」
アイカは罅割れを見て驚愕し、グラトンや生徒会の生徒たちも驚きの反応を見せた。姉妹や広場にいた他の住民たちも驚きながらユーキの方を見ている。しかしこの時、アイカたち以上にユーキが驚いていたのだ。
(……ど、どうなってるんだよ!? 強化で腕力を強化したけど、こんなデカい罅が入るほど強化したつもりはないぞ!?)
ユーキは自分の力が予想以上に大きくなっていたことに驚いて目を大きく見開く。自分では地面が凹んで終わるくらいに力を強化したつもりなのに、それ以上に強化されていたためユーキは衝撃を受けていた。
自分の身に何が起きているのか分からないユーキは地面を殴った自分の拳を見つめながら困惑する。




