第百二十五話 突きつけられた無力さ
アイカが優しくユーキを抱きしめているとスローネが二人の下に駆け寄り、気付いたアイカはスローネの方を向いた。
「大丈夫かい?」
「ハイ……でも、ユーキが」
自分を助けるために無理をしたユーキを心配するアイカは暗い顔をしながら自分の腕の中で眠るユーキを見る。ベーゼになりかかっていた自分を助けるために大量の瘴気を体内に流し込み、更に自分の攻撃を受けてボロボロになったユーキを見ながらアイカは不安を感じていた。
スローネはアイカの隣で意識を無くしているユーキの状態を確認する。ユーキは普通に寝息を立てており、呼吸も安定してるためスローネは問題はないと感じていた。
「……普通に眠っているだけのようだ。問題無いと思うよ」
「そう、ですか……」
ユーキが大丈夫なことを聞かされたアイカは安心して微笑みを浮かべる。スローネも自分が開発した瘴気喰いが原因でユーキが危険な状態になったことに責任を感じていたため、ユーキが無事なことにホッとしていた。
アイカとスローネが眠るユーキを見つめていると何処からが拍手の音が聞こえ、二人は拍手が聞こえた方を向く。そこには鉄扇を消し、強く両手を叩いて拍手をするリスティーヒの姿があった。
「お見事だ。まさか本当に堕落の呪印に打ち勝つとはな」
「リスティーヒ……」
不敵な笑みを浮かべながら拍手をするリスティーヒをアイカは鋭い目で睨む。ユーキが意識を失ったことや自分がベーゼになりかかったことなどでまだ頭の中は整理できていないが、自分の家族や村の仇を目にしたことでアイカの頭の中に再びリスティーヒに対する怒りが蘇った。
アイカはユーキを左手で抱きかかえながら右手をゆっくりと下ろし、足元に落ちているプラジュとスピキュのどちらかを拾えるようにする。
だが先程まで瘴気に侵されていたアイカの体には僅かに倦怠感が残っており、素早く落ちている剣を拾うことはできない。しかも今はユーキを抱きかかえているため、ユーキのことを考えると大きく体を動かすこともできなかった。
その上、リスティーヒはアイカたちに視線を向けているため、剣を取る隙が無い。アイカは怒りを抑え込み、リスティーヒの動きを警戒しながら反撃する隙を窺った。
「正直、堕落の呪印の瘴気を取り込んで無事で済むとは思っていなかった。だが、お前たちは瘴気の毒素に耐え、自我と理性と残して元の姿に戻った。褒めてやるぞ」
「貴女に褒められても不快になるだけです」
「フッ、瘴気を侵された直後だと言うのに威勢がいい小娘だ。……そんなお前に面白いことを教えてやろう。堕落の呪印に打ち勝った褒美だ」
「面白いこと?」
アイカはリスティーヒを睨みながら訊き返し、スローネも目を細くしながらリスティーヒを見つめる。
リスティーヒは笑いながら自分の右手の甲をアイカとスローネに見せる。そこには混沌士の証である混沌紋が刻まれていた。
「こ、混沌紋!?」
アイカはベーゼであるリスティーヒの手の甲に混沌紋が入っていることに驚愕し、スローネも目を大きく見開く。今までリスティーヒの強さと存在感にばかり意識が行っていたため、混沌紋のことに気付かずにいた。
二人は予想もしていなかった状況に驚きを隠せずにいる。しかし、アイカとスローネが驚くのも無理はなかった。
混沌術は三十年前のベーゼ大戦の時に人々が開花させた能力。これまでに得た情報からベーゼが混沌術を開花させることは出来ないということが分かっている。理由はベーゼがユーキたちがいる世界とはまったく違く世界から来た存在だからだ。
しかし、どういうわけかベーゼであるリスティーヒの右手の甲には混沌紋が入っている。混沌紋が入っているということはリスティーヒは混沌術を使えるということを意味しており、アイカとスローネは人類の切り札とも言える混沌術をベーゼが使えることに大きな衝撃を受けていた。
アイカはリスティーヒの混沌紋を見て小さく震えており、アイカの反応を見たリスティーヒは楽しそうに笑っていた。
「ス、スローネ先生、いったいどういうことなのですか? どうしてベーゼであるリスティーヒの手に混沌紋が?」
「それはこっちが聞きたいくらいさ。ベーゼが混沌術を使えるなんて今まで聞いたことが無いし、そんな情報は一度も学園に入ってきていない」
教師であるスローネにも理解できない状況にアイカは汗を流す。強大な力を持つ最上位ベーゼが自分たちの切り札である混沌術まで使えるという現状からアイカは自分たちが非常に危険な立場にあると感じる。
アイカは焦りを見せ、スローネは表情を僅か歪ませながらリスティーヒを見つめる。リスティーヒは二人の反応を見ながら小さく笑みを浮かべていた。
「よく覚えておけ? 今や混沌術はお前たち人間や亜人だけが使える力ではないのだ」
「……いったいどういうことなのですか? どうして貴女が混沌術を使えるのですか?」
「フッ、そう訊かれて私が素直に教えると思っているのか?」
重要な情報を教える気など無いリスティーヒはアイカの問いには答えずに見下すような口調で問い返す。アイカは傲慢な態度を取るリスティーヒを睨みつけ、スローネはベーゼが混沌術を使える理由を聞きだせなかったことを残念に思いながら若干不満そうな表情を浮かべた。
アイカとスローネの顔を見たリスティーヒは小さく鼻を鳴らしながら両手を開いて上に向ける。両手の中に紫色の靄が出現して形に変わっていき、靄が消滅するとリスティーヒの手の中には先程まで使っていた黒い鉄扇と同じ物があった。
「さて、見る物も見たことだし、そろそろお前たちの始末することにしよう」
リスティーヒがアイカたちの抹殺を宣言するとアイカとスローネは目を見開いて警戒心を強くする。
堕落の呪印が発動する前もリスティーヒのことを強く警戒していたが、今はリスティーヒが混沌術を使えることも分かっているため、今まで以上に警戒していた。
「本来ながらもう一度お前たちに瘴気を流し込んでベーゼに作り変えるべきなのだが、一度高濃度の瘴気に耐えた存在に再び瘴気を流し込んでもベーゼに作り変えることはできん。寧ろ瘴気に耐えられるほどの精神力を持つお前たちは目障りだ、此処で消しておいた方がいい」
「クッ!」
アイカにリスティーヒを警戒しながら姿勢を低くし、右手で落ちているプラジュを拾う。プラジュを拾うと中段構えを取り、左手でユーキをしっかり抱き寄せた。
ユーキは未だに意識が戻っておらず、アイカはユーキを護りながら戦うことを少し厳しく思っていた。だが、ユーキは自分を助けるために今の状態になってしまったため、アイカは今度は自分がユーキを護る番だと考えながらスピキュを強く握る。
アイカがリスティーヒを睨んでいると隣にいたスローネが一歩前に出る。アイカは魔導士であるスローネが前に出たことを意外に思いながら彼女の背中に視線を向けた。
「サンロード、コイツの相手は私がする。アンタは下がってルナパレスを護りな」
「えっ? で、ですが先生……」
「今のアンタは瘴気を体に取り込んだことで肉体的にも精神的にもギリギリの状態だ。そんなアンタが戦ってもアイツには勝てない」
リスティーヒの方を見ながらスローネは静かに語り、アイカはスローネの言葉を聞いて口を閉じる。
スローネの言うとおり、今のアイカではまともに戦うことはできない。しかも意識を失っているユーキが傍にいるため、前に出れば自分だけでなくユーキのことも護りながら戦わなくてはいけない状況だった。
ユーキを護りながら戦うのが大変なら、ユーキを安全な所に運んで戦えばいいと思われそうだが、ユーキはアイカを助けたことで戦えなくなってしまい、いつ意識が戻るかも分からない。そのことを理解しているアイカはユーキの傍を離れてリスティーヒと戦おうとは思っていなかった。何よりもユーキを護ると決めたため、ユーキの傍にいようと思っている。
自分の状態とやるべきことを確認したアイカは黙り込み、しばらくするとリスティーヒを鋭い目で見つめながら口を開く。
「……分かりました。先生、お気を付けて」
「へっ、生徒が教師の心配をするもんじゃないよ」
スローネは笑いながら杖の先をリスティーヒに向けて戦闘態勢に入る。アイカはスローネが構えるのを見るとユーキを抱きかかえながらゆっくりと後ろに下がった。
「何だ? お前一人で私と戦う気か?」
リスティーヒは後退するアイカとその場に残るスローネを見ると意外そうな表情を浮かべながらスローネに尋ねる。スローネは杖を構えたままニッと笑いながらリスティーヒを見つめた。
「何度も戦場に出ているとはいえ、サンロードたちは子供だ。大人が子供を護るのは当たり前のことだろう? まぁ、化け物であるアンタには理解できないことだろうけどね」
「フン、くだらない。所詮この世界は強い者だけが生き残れる世界だ。自分を護ることのできない者、力の無い者は消えるのが定めだ。そして、お前たちも此処で私に消される運命にある」
「ハッ、小悪党みたいなことを言うんだね。なら、その運命とやらに抗うだけだよ」
スローネは鼻で笑うと杖の先に水球を作り出した。
「水撃ち!」
魔法が発動した瞬間、杖の先の水球が勢いよくリスティーヒに放たれ、速度を落とすことなくリスティーヒに向かって飛んで行く。
リスティーヒは真正面から迫って来る水球を見ると興味の無さそうな反応をし、右手に持っている鉄扇を振り下ろして飛んできた水球を叩き落とす。水球を防いだ直後、リスティーヒは地面を張ってスローネに向かって移動し始めた。
迫ってくるリスティーヒを見たスローネは面倒そうな表情を浮かべるとリスティーヒに杖を向け、水球を二発連続で放って応戦する。
水球は勢いよく飛んで行くがリスティーヒは両手の鉄扇を交互に振って飛んできた二発の水球を叩き落し、一気にスローネとの距離を縮めた。
スローネの目の前まで近づいたリスティーヒは右手の鉄扇を右上から斜めに振ってスローネに攻撃しようとする。スローネはリスティーヒを見ると舌打ちをしながら後ろに下がる。
「聖光の盾!」
後退しながら杖を横に構え、スローネは新たに魔法を発動させる。横にした杖の前に六角形の白い光の板が作られ、リスティーヒの鉄扇を防いだ。鉄扇と光の板がぶつかったことで広場に金属音のような音が響く。
「ほぉ、咄嗟に防御魔法を発動して私の攻撃を防いだか。……だが、中級の防御魔法ごときで防ぎ切れると思うな!」
リスティーヒは力の入った声を出しながら右腕に力を入れる。すると右手の鉄扇は光の板に小さな罅を入れ、それを見たスローネは目を見開いて驚く。
罅は見る見る大きくなっていき、遂にはガラス板が割れるように音を立てて砕け散る。砕けた光の板は白い粒子となって静かに消滅した。
防御魔法が簡単に突破されたことにスローネは驚いて僅かに表情を歪ませる。リスティーヒは驚いているスローネを見ると不敵に笑い、左手の鉄扇を左から横に振って反撃した。
スローネは咄嗟に後ろに跳んで回避しようとするが間に合わず、鉄扇はスローネの胴体を掠ると刃物で切ったかのように大きな切傷を付けた。
「ぐううぅっ!」
体に強い痛みが走り、スローネは奥歯を噛みしめる。傷は大きいがそれほど深くはなく出血も少なかった。スローネは痛みに耐えながら後ろに下がってリスティーヒから距離を取る。
スローネは痛みが和らぐと杖を構え直してリスティーヒを見つめ、そんなスローネを見てリスティーヒは鼻を鳴らす。
「フン、メルディエズ学園の教師を名乗っているだけのことはあるな。……だが所詮は虫けらの悪あがき、どう足掻いても私には勝てん」
「へっ、へへへ、言ってくれるじゃないか」
微量の汗を流すスローネは笑いながら自分の眼鏡を軽く指で押し上げる。不利な状態であることをリスティーヒに悟られないよう笑顔を作って誤魔化そうとしていた。
「もう少し派手に抵抗してくれると思っていたのだが、これが限界か」
笑っていたリスティーヒは興味の無さそうな表情を浮かべると鼻を鳴らし、チラッとアイカの方を向く。
リスティーヒと目が合ったアイカは思わずプラジュを構え直し、眠っているユーキを強く抱き寄せる。
「これ以上お前たちに時間をかけても良いことなど何もない。さっさと終わらせるとしよう」
「クッ!」
アイカはリスティーヒが全力で自分に襲い掛かって来ると感じ、プラジュを握る手に力を入れる。ユーキを抱きかかえている状態で本気のリスティーヒの攻撃にどこまで耐えられるか、アイカは小さな不安を感じながらリスティーヒを睨む。
リスティーヒは鉄扇を持つ両腕と青龍刀を持つ両肩の腕、計四本の腕を横に伸ばして構え、身構えているアイカに攻撃を仕掛けようとする。だがその時、右の方から一つの火球が飛んで来てリスティーヒの目の前を横切り、飛んで行った先にある小屋に命中して爆発した。
突然飛んできた火球にアイカとスローネは驚きながら破壊された小屋を見つめ、リスティーヒも意外そうな表情を浮かべながら小屋に視線を向けた。
「そこまでだよ!」
アイカたちが小屋を見つめていると火球が飛んで来た方角から若い女の声が聞こえてきた。アイカたちが一斉に声が聞こえた方を向くと、10mほど離れた所から右手にヴォルカニックを握り、左手をリスティーヒの方に向けて立っているパーシュが視界に入る。
パーシュが広場に戻って来たのを見てアイカは驚いたような反応を見せる。だが同時に神刀剣の使い手であるパーシュが救援に来てくれたのだと知って内心喜んでいた。スローネも一人とは言え、強者と呼べる生徒が来てくれたことに安心して小さく笑っている。
広場に来たパーシュは素早く広場を見回し、広場で何が起きたのか確認した。広場の中央付近で傷だらけになりながら立っているアイカ、意識を無くしてアイカに抱きかかえられているユーキ、胴体を切られているスローネ、そして救出したはずなのに倒れている神父たち、パーシュは何が起きたのか察すると鋭い目でリスティーヒを睨んだ。
「フッ、また虫けらが増えたか」
リスティーヒはパーシュを見ながら鼻で笑う。人間が一人来たところで自分が有利であることに変わりはない、そう考えながらパーシュを見ていた。
「……随分、派手にやってくれたみたいだね?」
「だからどうした?」
パーシュはリスティーヒを見つめながらヴォルカニックを両手で握って中段構えを取る。同時にヴォルカニックの能力を使って剣身に炎を纏わせた。
「これ以上、可愛い後輩たちや恩師を傷つけるつもりなら、あたしが相手になるよ!」
「お前が? フッ、そこの三人よりはできそうだが、所詮は虫けらだ。最上位ベーゼである私の敵ではない」
「あまり虫けら虫けらって下に見ていると酷い目に遭うよ」
傲慢な態度を取るリスティーヒに苛立ちを感じながらパーシュは挑発し返す。リスティーヒは自分が最上位ベーゼと分かっても怯まずに挑発してくるパーシュに興味を持ったのかニヤニヤと笑いながらパーシュを見ていた。
「パーシュ先輩、気を付けてください! 彼女は混沌士です!」
「何だって?」
アイカの言葉を聞いたパーシュは耳を疑い、リスティーヒに視線を向ける。パーシュもベーゼが混沌術を開花させたという話を聞いたことが無かったため、驚きを隠せなかったようだ。
パーシュはリスティーヒの右手を確認し、鉄扇を持つ右手の甲に混沌紋が入っているのを目にすると驚きの反応を見せる。だが、すぐに表情を鋭くしてリスティーヒを見つめた。
「……アンタ、ソイツはどうしたんだい? どうやって混沌術を開花させたんだ?」
「フッ、訊いてどうする? お前たちは此処で全員死ぬんだ、訊いても意味など無いだろう」
リスティーヒの返事を聞いてパーシュは小さく舌打ちをする。素直に教えてくれることはないだろうと思ってはいたが、やはり教えずに見下した態度を取られると腹が立ってしまう。
「アイカ、コイツはどんな混沌術を使うんだい?」
「それが、どんな能力は分からないんです。ここまでの戦いで一度も使ったところを見たことが無いんで……」
アイカは小さく首を横に振りながら語り、パーシュはリスティーヒの混沌術の情報が無いことを知って少し厄介に思う。
ユーキたちの状態からパーシュは最初、リスティーヒの力と混沌術によって圧倒されていたのだと思っていた。だが、リスティーヒが混沌術を使っていないことから、ベーゼの力だけでユーキたちを追い込んでいたのだと知り、パーシュはリスティーヒが予想以上に手強い相手だと理解する。
強大な力を持つ上に混沌術まで開花させている最上位ベーゼを相手に一人で戦うのは流石に危険だとパーシュは感じ、何とか別行動を取っているカムネスたちが来るまで時間を稼げないかと考える。
「フフフフッ、仮に私の混沌術の能力を知ったとしてもお前に勝つ目は無い。私自身の力と混沌術を使えば、貴様ら虫けらなどゴミに等しい」
「チッ、言いたい放題言いやがって」
人間を見下すリスティーヒにパーシュは目を鋭くする。アイカとスローネもリスティーヒの態度が気に入らず、ジッとリスティーヒを睨んでいた。
「さあ、お喋りはお終いだ。そろそろ全員、地獄へ旅立ってもらおう」
アイカたちが睨む中、リスティーヒはパーシュを見ながら両手に持つ鉄扇と両肩の腕が持つ青龍刀を構え、アイカたちも一斉に構えて警戒した。だがその時、リスティーヒの上空から一体のルフリフが降下してリスティーヒの右隣に着地する。
突然現れたルフリフにアイカたちは目を見開く。リスティーヒは邪魔が入ったことで少し気分を悪くしたのか不機嫌そうな顔でルフリフの方を向いた。
「……何だ?」
リスティーヒが低めの声でルフリフに声をかけると、ルフリフは言葉を喋るかのように鳴き声を出してリスティーヒに何かを伝え始める。
下位ベーゼであるルフリフは人の言葉を喋れないため、アイカたちはルフリフが何を言っているのか理解できない。しかしリスティーヒには理解できたため、ルフリフの鳴き声を聞いて小さく反応する。
「……そうか、ベーゼヒューマンたちの引き渡しは完了したか。そして、襲撃する際に連れて来ていたゴブリンやオーガどもは大半がメルディエズ学園の生徒たちに倒されてしまった……」
ルフリフの報告を聞いたリスティーヒはチラッとパーシュの方を向いた。
「これ以上此処にいるとゴブリンどもをメルディエズ学園の連中に倒されてしまう可能性がある。ベギアーデから戦力を増やして来いと言われているのに、このまま数を減らされるのはマズいな……仕方がない、引き上げるとしよう」
ナトラ村にいる理由が無くなったリスティーヒは構えていた鉄扇と青龍刀を下ろす。突然構えを解いたリスティーヒを見たアイカたちは意外そうな顔をしながら驚いた。
リスティーヒは報告に来たルフリフに目で何かの合図を送る。ルフリフは軽く鳴き声を上げてから翼を広げて跳び上がり、ナトラ村の東の方へ飛んで行く。残ったリスティーヒはパーシュを見ながら鉄扇と青龍刀を紫色の靄に変えて消滅させた。
「残念だが、今回はここまでだ。私はこれで失礼させてもらう」
「何だと? 逃げるつもりかい?」
「勘違いするな。私が逃げるのではない、お前たちが逃がしてもらうのだ」
呆れたような口調で語るリスティーヒはパーシュを見つめ、パーシュは眉間にしわを寄せながらリスティーヒを睨み続ける。
「私の目的はベーゼの数を増やすこと、そのためにこの村を襲撃したのだ。だが、これ以上此処にいれば貴重な蝕ベーゼたちがお前たちに倒されてしまう可能性がある。こちらの戦力を増強させるために村を襲撃したのに戦力を削がれてしまっては意味が無い。これ以上貴重な戦力を失わないために私たちは引き上げるのだ」
あくまでも自分たちの都合で引き上げることをリスティーヒは伝え、パーシュは悔しく思ったのか奥歯を噛みしめながらリスティーヒを見つめる。
リスティーヒの実力や混沌術の能力が分からない状態で戦っても負ける可能性が高い。リスティーヒがアイカたちを始末することよりも目的を優先してくれたことはアイカたちにとって良い結果と言える。
パーシュは此処で下手に意地を張ったり強がったりすれば逆に危険な状況になると感じたのか、構えているヴォルカニックを下ろして剣身に纏われている炎を消す。リスティーヒはパーシュが戦闘態勢を解くのを見た小さく笑った。
「今回運良く生き残れたことを神に感謝することだな。そして二度と私に出くわさないことを祈りながら生きていけ」
「チッ!」
握る左手を震わせながらパーシュは舌打ちをする。この時のパーシュはまともに戦っていないのに勝てる可能性が低いと思い知らされたことを悔しく思い、同時に救援に駆け付けたのに何もできなかったことに腹を立てていた。
リスティーヒはパーシュの顔を見るとゆっくりとアイカの方を向き、アイカはリスティーヒと目が合うと思わず身構える。
「命拾いしたな、小娘? このまま戦いが続いていれば、お前も両親のように無駄死にしていたぞ?」
「クッ! 貴女はまたお父さんたちのことを!」
再び両親を侮辱するリスティーヒをアイカは睨みつける。リスティーヒはアイカの反応を面白く思っているのか楽しそうに笑っていた。
「お前では私には勝てん。親の敵討ちなど諦め、虫けらどもが滅ぼすまでメルディエズ学園で怯えながら生きていろ。その方がお前にはお似合いだ」
リスティーヒの言葉にアイカは奥歯を強く噛みしめる。アイカにとってリスティーヒは自分の両親を手に掛けた仇であるため、決して許せない存在だ。だが、それ以外にも人間の命や人生を弄び、そのことに罪悪感を感じていないリスティーヒにアイカは怒りを感じている。
このままリスティーヒを野放しにすれば多くの人が傷つけられ、大切な人や家族を失う人が増えてしまう。アイカは大陸中の人々に自分と同じ思いをさせないためにも必ずリスティーヒを倒そうと思っていた。
「私は、絶対に諦めません! 両親の仇を討つため、私のような人を増やさないために必ず貴女を倒します!」
リスティーヒとの力の差に絶望することなく、アイカは改めてリスティーヒに宣戦布告した。
パーシュは真剣な表情を浮かべてリスティーヒと向かい合うアイカを見て少し驚いたような表情を浮かべ、スローネは無言でアイカを見つめていた。
アイカの目を見たリスティーヒは小さく鼻で笑う。敵討ちを続けようとするアイカをリスティーヒは愚かに思っていたが、自分を恐れず、敵討ちも諦めないアイカに再び興味が湧いてきた。
「小娘、名を何と言った?」
「……アイカ、アイカ・サンロードです」
「アイカか。……フッ、せいぜい頑張ることだな」
そう言うとリスティーヒは足元に紫色の魔法陣を展開させ、そのまま転移して何処かへ消えた。リスティーヒが消えると同時に魔法陣も消滅し、西門前の広場から緊迫して空気が消える。
リスティーヒがいなくなった直後、スローネは緊張が解けたのか深く溜め息を付く。アイカもユーキを抱きかかえながらその場に座り込んだ。
スローネは腕と胴体の痛みに表情を僅かに歪ませ、自分のポーチからポーションを取り出して中身を飲む。ポーションを飲んだことで腕と胴体の傷は綺麗に消え、痛みも感じなくなる。スローネは空になった小瓶を捨て、座り込んでいるアイカへ近づく。
「大丈夫かい?」
「ハイ……」
力の無い声で返事をしたアイカはユーキを見つめる。ユーキはまだ眠り続けており、アイカはいつ目を覚ましてくれるのだろうと考えながらユーキを見ていた。
アイカとスローネがユーキを見ているとパーシュが二人に元に駆け寄って来る。パーシュはアイカの腕の中で眠っているユーキを見ながら心配そうな表情を浮かべた。
「ユーキ、大丈夫なのかい?」
「ああ、心配ないよ。疲れて眠っているだけさ」
「そうか……」
ユーキが大丈夫なことを聞かされてパーシュは安心する。アイカも傷だらけだが問題無いことを確認し、パーシュは小さく笑みを浮かべる。
二人の無事を確認したパーシュは続いて倒れている神父たちの方を見る。神父たちは倒れたまま動く気配がなく、パーシュは笑みを消して僅かに表情を曇らせた。
スローネはパーシュが神父たちを見ていることに気付くと神父たちの方を向いた。
「……残念だけど、彼らはもう亡くなってるよ。リスティーヒが現れた直後に奴の攻撃をまともに受けてしまってね」
「クソッ!」
パーシュは軽く俯きながら村人たちを助けられなかったことを悔しがる。
数十分前に自分たちに感謝していた神父たちが今は息を引き取って倒れている、パーシュは神父たちの命を奪ったリスティーヒに強い怒りを感じた。
スローネは悔しがるパーシュを見ながら目を僅かに細くする。スローネもパーシュと同じで神父を助けられなかったことを悔しく思っており、俯くパーシュに同情していた。
「……アンタ以外の生徒たちは何処にいるんだい?」
何時までも悔しがっていても何も変わらないと感じたスローネは気持ちを切り替え、同行していた他の生徒はどうしたかパーシュに尋ねる。
パーシュは顔を上げると真剣な顔でスローネの方を向く。パーシュも悔しがっている暇はないことを理解しているため、悔しさを抑えて今やるべきことをやろうと思っているようだ。
「トムズたちはカムネスたちに此処へ向かうよう伝えに行ってるよ。と言っても、もう最上位ベーゼはいないから意味ないことだけどね」
「そうかい。……しかし、意味が無いことは無いと思うよ。今回の依頼で色んなことが分かったからね。一度全員を集めて報告しておく必要がある」
「それって、さっきの最上位ベーゼやアイツが混沌術を使えるってことかい?」
「ああ。でも、それだけじゃない。二人の身に起きたことも話しておかないといけないんだ」
スローネはそう言ってユーキとアイカの方を見る。ユーキはアイカに膝枕をされながら眠っており、アイカはユーキの頭を優しく撫でながらユーキを見つめていた。
パーシュはユーキとアイカがベーゼの瘴気に侵されたことを知らないため、不思議そうな顔をしながら二人を見ていた。
それから十分ほど経過した後にナトラ村の東側にいたカムネスたちが数人の村人を連れて広場に戻って来た。そのすぐ後に南側へ向かっていたフレードとフィランたち、カムネスたちにリスティーヒのことを報告に向かっていたトムズたちが戻って来る。
全員が戻るとスローネはリスティーヒやベーゼが混沌術を開花させたこと、ユーキとアイカが高濃度の瘴気に侵されたことなど、今いる広場で起きたことをパーシュたちに伝えた。
パーシュやフレード、一部の生徒はスローネの話を聞いて驚いていたが、カムネスとフィランは静かに話を聞いている。
スローネは今後の戦いでリスティーヒのような強大な力を持ったベーゼが現れる可能性が高いこと、対策をするためにメルディエズ学園に報告することをパーシュたちに話す。パーシュたちはスローネの話を聞き、今後の戦いはより激しさを増すかもしれないと自分自身に言い聞かせた。
話が済むとパーシュたちは再び分かれて村人の捜索と救出を再開する。しかし、多くの村人はリスティーヒの手によってベーゼヒューマンに変えられ、ナトラ村から姿を消していた。
ナトラ村の中に無事な村人は殆ど残っておらず、結果、八十人ほどいた村人の内、救出できたのは僅か十数人という残念な結果となってしまった。
アイカたちは村人たちを助けられなかったことを悔しく思いながらも救出した村人たちを連れてバウダリーの町へ戻ることにした。




