第百二十四話 呪い
アイカの身に何が起きたのか理解できないユーキは驚きの表情を浮かべ、離れた所にいるスローネも目を大きく見開いてアイカを見ている。一方でリスティーヒはアイカが苦しむ顔を見ながら楽しそうにいた。
「さて、どのよう変化が起きるのかとても楽しみだ」
リスティーヒは右手の鉄扇を開いて口を隠しながら呟き、それを聞いたユーキはフッと反応してリスティーヒの方を向く。この時点でユーキはアイカの異変にリスティーヒが関わっていると確信していた。
「お前、アイカに何かしたのか!?」
ユーキは鋭い目でリスティーヒを睨みつけながら力の入った声を出す。リスティーヒはチラッとユーキの方を見ると不敵な笑みを浮かべながら鉄扇を閉じ、苦しんでいるアイカを鉄扇で差した。
「その小娘には昔、呪いをかけた。それがたった今発動したのだ」
「呪い?」
アイカがベーゼの呪いを受けていると聞かされたユーキは耳を疑い、大量の汗を流しながら俯いて苦しんでいるアイカの方を見た。
よく見るとアイカの胸元に入っている蝙蝠の羽が付いた宝玉の紋章が紫色の光っており、ユーキは光っている紋章が呪いなのではと考える。
ユーキがアイカと胸元の紋章を見て固まっているとリスティーヒはアイカを見ながらゆっくりと口を開いた。
「その小娘の胸の紋章は“堕落の呪印”、私の能力の一つでベーゼ以外の生物に入れることでその生物の体内に高濃度の瘴気を直接流し込み、ベーゼに変えることができるのだ」
リスティーヒが紋章のことを説明するとユーキは驚きの反応を見せるが、すぐに表情を険しくしてリスティーヒを睨む。リスティーヒはそんなユーキの表情を気にすること無く説明を続けた。
「八年前、私はその小娘の村を襲撃し、その時に小娘以外の村人を全て始末した。だが、その小娘は幼かったにもかかわらず怯えずに私に敵意の籠った目を向けてきた。それを見て私はソイツに興味が出てな、殺さずに堕落の呪印を入れてベーゼに作り変えてやろうと思ったのだ」
過去にアイカにしたことを楽しそう語るリスティーヒを見てユーキは軽く奥歯を噛みしめる。
リスティーヒはアイカと会話している時にアイカを利用するために生かしておいたと話していた。その話を思い出したユーキはリスティーヒがアイカをベーゼにするために生かしておいたのだと理解する。
本来ならリスティーヒを無視してすぐにアイカを助けるべきなのだが、アイカの状態や堕落の呪印の情報が分からないまま手を出すと逆にアイカが危険な状態になる可能性がある。
ユーキは早くアイカを早く助けたいという気持ちを必死に押さえながらリスティーヒの話を聞いて情報を集めることにした。
「だが、ただベーゼに作り変えるだけでは面白くない。そこで私は発動する条件を加えて小娘に呪印を入れたのだ」
「条件だと?」
「そう……小娘が“強い怒りを感じた時に発動し、五分の間、解呪されることなく瘴気を流し込み続ける”という条件を加えてな」
リスティーヒから堕落の呪印が発動する条件を聞かされたユーキは反応し、先程までのアイカの言動を思い出す。
アイカは仇であるリスティーヒと再会したことで怒りを感じており、その状態で父親を侮辱されたことでリスティーヒに対する怒りを更に強くした。
ユーキはリスティーヒの挑発が堕落の呪印を発動させるための引き金だったと気付き、悔しそうな表情を浮かべる。
「堕落の呪印は通常、対象に入れた直後に瘴気を流し込んでしまう。だが、この条件を加えたことで堕落の呪印は八年間発動すること無く、小娘も人間として生き続けることができたのだ」
「何のためにそんなことを……」
そこまでしてアイカをすぐにベーゼ化させなかった理由が分からないユーキは月下を握る手に力を入れながらリスティーヒを睨む。アイカの両親の命を奪っただけでなく、アイカの人生を弄ぶリスティーヒにユーキは他人事とは思えないくらいの怒りを感じていた。
なぜアイカを傷つけたリスティーヒにここまで怒りを感じているのかユーキ自身も分かっていない。ただ、リスティーヒが許されない罪を犯したのは事実であるため、ユーキはそれが原因で自分は腹を立てているのだと思っていた。
ユーキが鋭い目でリスティーヒを睨んでいると、リスティーヒはクスクスと笑いながら閉じていた右手の鉄扇を開いた。
「いつまでも私の相手をしていていいのか? そろそろ呪いが本格的に発動する頃だぞ?」
リスティーヒの言葉を聞いたユーキは目を見開きながら振り返ってアイカの状態を確認する。
アイカは両手を胸を押さえたまま苦しみ続けており、苦痛が酷すぎるのか目元には僅かに涙が溜まっていた。
「ううっ! ううううぅ……ぐぅ、うああああああぁっ!!」
苦痛に耐えられなくなったのかアイカは声を上げ、それと同時に堕落の呪印から紫色の瘴気が大量に噴き出してアイカを包み込む。そして、噴き出した瘴気に大半はアイカに吸い込まれるように彼女の体内に入っていく。
体内に流れ込む瘴気は少しずつ体を侵食していき、浸蝕する同時に強い痛みがアイカを襲う。その痛みはベーゼヒューマンと化した女性の体内から瘴気を吸い出した時は比べ物にならないくらい酷く、アイカは断末魔のような声を上げながら体を大きく動かして暴れる。
アイカが苦しむ姿を見てユーキは愕然とし、スローネも目を大きく見開いていた。
「ハハハハッ、堕落の呪印から流れ出る瘴気はとても濃いからな。体が完全に侵食された時、その小娘は上位ベーゼに匹敵する力を持った蝕ベーゼとなるだろう。しかも瘴気に侵された者は例え強い精神を持っていても高確率で自我と理性を失い、私の忠実な下僕となるのだ」
リスティーヒはアイカが完全にベーゼがするのを楽しみにしているのか、鉄扇で自分を扇ぎながら苦しむアイカを見つめている。
ユーキは笑っているリスティーヒは睨みつけた後、アイカに視線を向けた。
「アイカ、瘴壊丸を飲むんだ! 瘴壊丸を飲めば浸蝕を止めることができるはずだ!」
「無駄だ。お前たちの丸薬ごときでは高濃度の瘴気を消すことはできん」
瘴壊丸が効かないことを聞かされたユーキは奥歯を噛みしめながら再びリスティーヒを睨む。
ベーゼであるリスティーヒの言葉など信じるべきではないのだが、ここまでの情報と濃度の高い瘴気が堕落の呪印から出ていることからリスティーヒは嘘をついていない可能性が高いとユーキは感じていた。
仮にリスティーヒの言葉が噓だったとしても瘴気に蝕まれて苦しんでいる今のアイカには瘴壊丸を服用することはできないため、瘴壊丸ではアイカを助けることはできない。
瘴壊丸が飲めないのなら、アイカに浄化を発動させて体内の瘴気を浄化させるのはどうかとユーキは考える。しかし、混沌術を発動する際は集中力を必要とするため、苦しんでいる今のアイカでは浄化を使うこともできない。
「クソォ、どうすればいいんだよ!」
アイカを助ける方法が思い浮かばず、ユーキは表情を歪ませる。ユーキは目の前でアイカが苦しんでいるのに助けられない自分を情けなく思った。
自身の無力さを悔しく思いながらユーキは両手に力を入れる。そんな時、ユーキは自分の左手に嵌められている瘴気喰いのことを思い出して視線を左手に向けた。
「……そうだ、コイツを使えばアイカを助けられるかもしれない!」
ユーキはアイカを助ける方法を思いつき、瘴気喰いを見ながら軽く目を見開いた。
瘴気喰いは一度ベーゼ化した女性の体内から瘴気を吸い出して女性を元の人間に戻すことに成功させた。一度ベーゼ化した存在を元に戻せたのなら、瘴気を流し込まれてベーゼになりかかっているアイカを助けられる可能性は十分あるとユーキは思っていたのだ。
瘴壊丸も浄化も使えず、他にアイカを助ける方法が思いつかない以上、これしか方法はないと感じたユーキは瘴気喰いを使うことを決意した。
「よし、アイカに近づいて、コイツで瘴気を――」
「待ちな、ルナパレス!」
ユーキがアイカに近づこうとした時、遠くにいたスローネが声を上げながら駆け寄って来る。スローネに気付いたユーキは足を止めてスローネの方を向く。
「アンタ、まさか瘴気喰いでサンロードの瘴気を吸い出そうとしてるんじゃないだろうね?」
「……ハイ」
「馬鹿なことを考えるんじゃないよ。忘れたのかい? 瘴気喰いは吸い出した瘴気を使用者の体内に流し込むって言う欠点があるんだよ? 瘴壊丸やサンロードの浄化が使えるのならまだしも、取り除く方法が無い状態で体内に瘴気を取り込んだらただじゃ済まないよ?」
スローネはユーキが無茶なことをしようとしていることに気付き、瘴気喰いを使用するの止めようとする。ユーキは説得しようとするスローネを黙って見つめていた。
ユーキも瘴気喰いで吸い出した瘴気を使っている者の体内に送り込むことは知っている。ベーゼの瘴気、それも最上位ベーゼであるリスティーヒが作り出した堕落の呪印から発生する高濃度の瘴気を体内に流し込めばまず無事では済まないだろう。
しかし、ユーキには瘴気喰いを使う以外にアイカを助ける方法が思いつかないため、アイカを助けるために瘴気喰いを使うことを決めたのだ。
「分かっています。ですが、これを使う以外にアイカを助ける方法はありません」
「それでも目の前で生徒が自ら瘴気を体内に取り込もうとしているのを黙って見ていることはできない。……アンタとサンロードに未完成の瘴気喰いを使わせた私に偉そうなことを言う資格は無いけど、メルディエズ学園の教師として、生徒が危険を冒そうとしているのを見過ごすことはできないんだよ」
スローネは真剣な表情を浮かべながら静かに語り掛ける。ユーキとアイカが了承したとはいえ、スローネも生徒である二人を危険な目に遭わせたことに責任を感じていたらしく、これ以上危険な目に遭わせたくないと言う気持ちからユーキを止めさせようとしていたのだ。
ユーキもスローネの気持ちに気付いており、スローネが自分たちのことを心配してくれていることは分かっている。しかし、ユーキにとってはアイカを助けたいと言う気持ちの方が大きかったため、やめる気は無かった。
「……すみません、先生。俺はやっぱり、アイカを見捨てることはできません!」
スローネに謝罪したユーキは背を向けてアイカの方へ走る。スローネはユーキが従わずにアイカを助けようとすることを読んでいたのか、ユーキの背中を見て僅かに表情を歪めた。
「ほほぉ、その小娘を助け出そうというのか? 面白い、堕落の呪印から出される瘴気は混沌術でも使わない限り浄化することはできない。そんな瘴気に侵されている小娘をどのようにして助けるのか非常に興味がある。私は此処で見物させてもらうぞ」
アイカを助けようとするユーキを馬鹿にするような言い方をするリスティーヒは走るユーキを見つめる。ユーキは楽しそうにしているリスティーヒを見て不快に思うが、今はアイカを助けることの方が重要であるため、それだけを考えて走り続けた。
リスティーヒ自身、堕落の呪印の瘴気に侵されている生物をどのように助け出すのか興味はあるが、それ以上にユーキがアイカと一緒にベーゼ化してくれるかもしれないという期待を懐いていた。そのため、ユーキがアイカを助けようとしても妨害しようとは考えなかったのだ。
(瘴気に近づけばあの小娘だけでなく、ユーキ・ルナパレスも瘴気に侵されてベーゼと化す。上手くいけば強力な蝕ベーゼを二体同時に手に入れることができる。もしベーゼ化に失敗したとしても、メルディエズ学園が高濃度の瘴気に侵された生物を助ける手段を持っているという情報を得ることができる。どちらにしろ、こちらが大きな損をすることは無い)
成功しても失敗しても得られるものがあるため、リスティーヒは慌てることなくのんびりと鉄扇で自分を扇ぐ。まるで騎士の試合を見ている貴族のようだった。
リスティーヒから少し離れた所ではスローネが走るユーキの後ろ姿を見つめている。危険な方法でアイカを助けようとするユーキをこのまま放っておくことはできないスローネはユーキを止めようと思っていた。
スローネは泥の足枷を発動させてユーキを止めようと考え、杖の石突の部分で地面を叩こうとする。だがスローネが杖で地面を叩こうとした瞬間、右から鉄扇が飛んで来てスローネの目の前を通過した。
突然目の前を横切った鉄扇にスローネは驚いて右を向く。視線の先には左手の鉄扇を投げる体勢を取っていたリスティーヒの姿があった。
「これから面白いものが見られるんだ。邪魔をしないで大人しくしていてもらうぞ?」
「チッ……」
妨害してきたリスティーヒを見ながらスローネは小さく舌打ちをする。
邪魔をしてくるのなら最初にリスティーヒを倒してユーキを止めるべきなのだ、リスティーヒの強さを考えるとスローネ一人では倒すことは愚か、足止めをすることもできない。一人ではリスティーヒを止められないと悟ったスローネは悔しそうな顔をしながら大人しくすることにした。
(こうなったら以上、ルナパレスがサンロードを助けてくれるのを祈るしかないね……)
現状から今の自分のできるのはユーキとアイカが助けることを願うしかない、そう考えたスローネは杖を下ろしてユーキとアイカを見守ることにした。
ただ、もしもユーキとアイカがベーゼ化してしまった場合、スローネは教師としてベーゼ化してしまった二人を倒し、その罪を背負って生きていこうと考えている。それがユーキとアイカに瘴気喰いを使わせたこと、傍にいながら二人を助けられなかったことへのせめてもの償いだとスローネは思っていた。
スローネとリスティーヒが見ている中、ユーキは瘴気喰いをしっかり嵌めていることを確認し、持っている月下を鞘に納めながらアイカに近づく。この時、既にアイカの体には大きな変化が出ていた。
アイカの肌は紅色、髪は金色から牡丹色に変色していた。右側のツインテールも解けており、今のアイカは髪を解いた状態となっている。そして、こめかみ部分からは羊のような捻じれた緋色の角が二本生えていた。
頬や足、胸元など目で確認できる体の部分には緋色の装飾のような模様が入っていた。制服を着ているため、体や腕などは見えないが模様の形や入っている箇所から全身に緋色の模様が入っていると思われる。
目は赤一色に染まっており、アイカは低い声を上げながら体を大きく動かして暴れている。もはや今のアイカは冷静さを完全に失っており、既にベーゼ化していると言ってもおかしくないくらい酷い状態だった。
「マズい、かなり危険の状態かもしれない。急がないと!」
少しでもアイカが助かる可能性が残っている内に瘴気をアイカの体から吸い出そうと考えるユーキは目を鋭くする。
ユーキはまず、暴れているアイカの体を押さえられるよう強化で全身の筋力を強化し、更に瘴気を体内に流し込んだ時にベーゼ化が遅くなるよう精神力も強化した。
準備が整うとユーキはアイカの目の前まで近づいてアイカの体を掴もうとする。しかし、アイカは体を激しく動かして暴れているため、アイカの体に触れることはできない。
近づかなければ何もできないため、ユーキは力づくでアイカに触れようとする。するとアイカは右腕を大きく外の向かって横に振り、右腕は距離を詰めたユーキに迫ってきた。
右腕に気付いたユーキは咄嗟に後ろに下がって右腕をかわす。直撃は免れたがアイカの右手は僅かにユーキの制服の胸の部分に触れ、触れた箇所は大きく破れた。
「少し掠っただけで制服が破れるなんて……とんでもない力だな」
破れた制服を見て驚いていたユーキは顔を上げてアイカを見つめる。アイカは先程までと違い、苦しむ素振りを見せてはいないが声を上げながら両腕を振り回し、先程よりも激しく暴れていた。
アイカの状態から瘴気の浸食がかなり進んでいるかもしれないと感じたユーキは小さく悔しそうな声を出す。このままではアイカは本当に蝕ベーゼになってしまう、そう感じたユーキは慎重にやる余裕はないと悟り、少し強引なやり方でアイカを助けることにした。
ユーキは暴れるアイカを走って近づき、姿勢を低くして振り回される両腕を回避する。腕をかわし、アイカの真正面にやって来るとアイカに抱きついて離れないようにした。
「アイカ、聞こえるか!? 今助ける、もう少しだけ頑張ってくれ!」
「ウウウウゥ……ウアアアアアッ!!」
声を上げながらアイカは抱きつくユーキを引き剝がそうとする。だがユーキは両腕をアイカの背中に回し、腕と全身に力を入れて離れないようにした。
ユーキは抱きついた状態のまま左手に嵌めている瘴気喰いの吸収石をアイカの背中に押し付け、アイカの体内の瘴気を吸収し始める。
体から瘴気が吸い出されるとアイカの体に強い痛みが走り、アイカは更に大きな声を上げて暴れ出す。ユーキはアイカから離れないよう強くしがみ付いた。
「アイカ、大人しくしてくれ!」
「ガアアアアアッ! アアアアアアァッ!!」
アイカはユーキの声が聞こえないのか両腕を大きく振り回しながら暴れ続ける。振り回される腕は何度かしがみ付いているユーキの腕や脇腹などに当たった。
ユーキは腕が当たる度に激痛で表情を歪ませる。更にアイカの体から吸い出した高濃度の瘴気が体内に流れ込むことで不快感や頭痛、吐き気などにも襲われた。
(クッ、かなりの痛みに襲われると予想していたけど、まさかここまで酷いなんて!)
体の外側と内側の両方から感じる痛みにユーキは奥歯を噛みしめる。特に瘴気を体内に流し込む際に感じる不快感や痛みは想像以上に酷かった。
しかし、苦痛が酷いからと言ってやめるわけにはいかない。ユーキは必死に痛みと不快感に耐えながら瘴気喰いでアイカの体内の瘴気を吸い出し続ける。それと同時にアイカのベーゼ化を少しでも遅らせるために強化でアイカの精神力を強化した。
「……ほぉ、あの小僧、なかなかやるな」
ユーキとアイカから少し離れた所ではリスティーヒは鉄扇を開閉させながら見物している。
リスティーヒは最初、ユーキは長い時間、瘴気の苦痛に耐えることはできないと思っていたがユーキが耐える姿を見て意外に感じていた。もしかすると本当に瘴気に耐えてアイカを助け出すかもしれない、そう思ったリスティーヒは少しずつユーキに興味を懐き始める。
「堕落の呪印の瘴気を体内に取り込んでもまだ理性を保っていられるとは大したものだ。……もしも瘴気に耐えられずにベーゼ化したら、あの小僧は私の側近として利用してやるか」
ユーキがベーゼ化した後のことを想像し、リスティーヒは楽しそうに小さく笑う。成功と失敗、どんな結果になっても構わないとリスティーヒは思っていたが、ユーキとアイカの両方をベーゼ化させたいと言う気持ちの方が強いようだ。
一方、スローネは杖を握りながらユーキとアイカを見守っている。何もできず、ただ黙って見ていることしかできない自分を情けなく思いながら、スローネはユーキがアイカを助けることを信じていた。
(ルナパレスが瘴気喰いを使い始めてからもうすぐ三分になる。サンロードが使っていた瘴気喰いと比べると吸収石の耐久度は高いみたいだが、全ての瘴気を吸い出すまで耐えられるのか?)
スローネは目を細くしながらユーキの左手に嵌められている瘴気喰いを見ている。スローネはアイカの体内から全ての瘴気を吸い出す前に吸収石が壊れてしまうのではないかと小さな不安を感じながら見守っていた。
ユーキがアイカの体から瘴気を吸い出し始めて三分ほど経過したがアイカの体に変化はなく、今も激しく暴れ続けている。しかし、それはおかしなことではなかった。
アイカは堕落の呪印によって瘴気を体内に流し込まれ続けている。堕落の呪印が消えない限りアイカの体が瘴気が無くなることは無い。つまり、アイカを助けるにはアイカがベーゼ化しないよう強化で精神力を強化しながら堕落の呪印が消えるまで体から瘴気を出し続けなくてはならない。
吸収石の耐久度は一つずつ異なるため、いつ吸収石に限界が来て砕けるかは開発者であるスローネにも分からない。アイカを助けるには堕落の呪印が瘴気を出す五分間の間、吸収石が砕けないことを祈りながら瘴気を吸い出し続けるしかなかった。
強化で吸収石の耐久度を強化するという手もあるが、ユーキは自身とアイカの精神力の強化に強化の能力を全て使っているため、吸収石の強化に能力を回す余裕が無かった。
(一番確実に助けられる方法はサンロードが正気を取り戻し、浄化で自身の体内の瘴気を浄化してくれることなんだけど、今のサンロードは正気を失ってとても浄化を使える状態じゃない。……やっぱり、堕落の呪印が消えるまでルナパレスに瘴気を吸い出してもらうしかないか)
最も安全で助けられる可能性が高い方法が取れない以上、ユーキに任せるしかない。そう感じたスローネは心の中でユーキがアイカを助けてくれることを祈った。
「ぐうぅぅ! アイカ、しっかりしろ!」
ユーキはアイカに話しかけながら瘴気喰いを押し付け、瘴気をアイカの体から自分の体へ流し続けた。
精神力を強化しているため、まだユーキの体に大きな変化は出ていないが痛みと不快感も変わっていない。かなり辛い状態だが、アイカが感じている苦痛に比べれば自分の苦痛は大したことないとユーキは感じ、必死に耐えながら瘴気を吸い出していく。
アイカは未だに声を上げながら暴れ続けている。長いこと瘴気を吸い出しているのにアイカは大人しくなることは無かった。やはり堕落の呪印から瘴気が出ている限り、アイカの体が人間に戻ることは無いようだ。
「このまま、何の変化も無しに瘴気を吸い続けると、流石にマズいかもしれないな……」
力の抜けたような声を出しながらユーキは呟く。とてつもない力で暴れるアイカにしがみ付きながら瘴気を自分に流し込み続けているせいか、ユーキの顔には少しずつ疲れが見え始めてきている。瘴気が体に蓄積され、更に暴れるアイカに何度も傷つけられているのだから無理もなかった。
このまま疲労が溜まり、疲れで意識を保て無くなれば強化の効力も消えて一気に瘴気に浸食され、アイカだけでなくユーキ自身もベーゼになってしまう。ユーキは最悪の結末を想像して奥歯を噛みしめた。
しかし、まだ助けられる可能性はあるため、ユーキは苦痛だけでなく疲労感にも耐えながらアイカの体内の瘴気を吸い出し続けようとする。だが、そんなユーキを更に追い込む出来事が起きてしまう。
ユーキが暴れるアイカを押さえつけようとしている時、ふと破れた制服の下にある自身の胸を見た。驚くべきことにユーキの胸の中心から肌がゆっくりと天色に変色し始めており、変色は腕や足の方へと広がっているのだ。
「な、何ぃ!?」
自分の体の異変に気付いたユーキは驚いて思わず声を上げる。一瞬自分の身に何が起きたのか理解できなかったが、現状を思い出すとすぐに理解できた。
(マジかよ、俺の体もベーゼ化し始めている!)
自分も瘴気に侵されて体がベーゼになりかかっていると知ったユーキは驚くと同時に小さな恐怖を感じる。瘴気を取り込んでいるのだから自分がベーゼ化するのは分かっていた。だが、それでも実際に自分がベーゼに変わっていく目にすると恐怖を感じてしまう。
このままではアイカを助ける前に自分もベーゼとなって理性を失ってしまうかもしれない、そう考えたユーキは焦りを感じる。
「聞こえるかアイカ、戻って来い! このままだと俺も君もベーゼになっちまうぞ!」
時間が無いことを知ったユーキは力の入った声でアイカに話しかける。ここまで何度もアイカに声をかけてきたが、今回は今まで以上に大きく、正気を失っているアイカに届くくらい大きな声で呼びかけた。
リスティーヒはアイカに呼びかけるユーキを見て嘲笑う。呼びかけるだけで瘴気に侵されている者を救うことなどできない、そう思いながらリスティーヒはユーキを小馬鹿にするような目で見ていた。
「このままだと君は自分の村を滅ぼした化け物と同じ存在になるんだぞ。理性を失って罪もない人たちを襲い、傷つけても何も感じない存在になる。君はそれでいいのか!?」
「ガアアアアァッ! アアアアアアアアァッ!!」
ユーキの声が聞こえていないアイカは変わらず声を上げ、アイカを見てユーキは悔しそうな表情を浮かべる。その間もユーキの肌の変色は続き、遂に顔の半分が天色になってしまう。
体が変色すると同時にユーキの意識も遠くなり始め、ユーキは薄れゆく意識の中で必死に瘴気喰いで瘴気を吸い出し続ける。
「うううっ! ……負けるな、アイカ! 君は瘴気なんかに負けるような子じゃないだろう!」
「ガアアアアァッ!!」
アイカは上半身を動かしてユーキを自分から離れさせようとする。振り回される両腕はユーキに当たり、腕が当たる度にユーキは激しい痛みに襲われた。
このままではアイカは身も心もベーゼになってしまう、ユーキは表情を歪ませながらアイカを助ける方法が無いか考える。その時、アイカが体を大きく動かしたことで制服の下からユーキがプレゼントしたペリドットのネックレスが飛び出した。ネックレスはアイカの顔の前に移動し、アイカの目に緑色に輝く大きなペリドットが映る。
「……ッ!」
ネックレスを見てアイカは反応し、体を動かすのを止める。突然大人しくなったアイカにユーキは驚き、アイカを見上げて何が起きたのか確認した。
アイカは前を向いたまま固まっており、その顔はまるで何かを見つめているようだった。この時、アイカの目には過去に見たユーキの顔や彼と共に受けた依頼の映像が映っており、アイカはユーキのことを少しずつ思い出していたのだ。ユーキを思い出したことでアイカの赤一色に染まっていた目は元に戻った。
「ユー、キ……」
「……ッ! アイカ、元に戻ったのか?」
ユーキはアイカが正気を取り戻したことを知って驚くと同時に喜びを感じる。
アイカは下を向いて自分に抱きついているユーキの顔を見た。そこには顔が天色に染まり、髪も肩に届くくらいに伸びているユーキの顔があり、アイカは軽く目を見開いて驚く。
「ユ、ユーキ……貴方、その……顔は……」
「そんなことはいい! 浄化を使えるか!?」
力の入った声で尋ねるとアイカは訳が分からないままとりあえず頷く。浄化が使えることを知ったユーキは苦痛に耐えながらアイカを見つめる。
「俺が瘴気喰いで君の体の瘴気を出す。君も浄化で自分の体の瘴気を浄化してくれ!」
「で、でも……貴方、は……」
「俺はいいから、早くやるんだ!」
ユーキは大きな声を出して浄化を使うよう指示する。アイカは状況を理解できていないが言われたとおり浄化を発動させて自身の体内の瘴気を浄化し始めた。
浄化が発動され、アイカの体が薄っすらと紫色に光り出す。堕落の呪印からアイカの体内に流し込まれた瘴気は一瞬で消滅し、変色していた肌や髪も見る見る元に戻って行く。こめかみ部分から生えている二本の角も消え始め、全身に入っていた模様も薄くなっていった。
アイカの体が元に戻り始めているのを見たユーキは安心する。アイカが暴れることはもう無いと感じたユーキは自身の筋力強化に回している強化の力を自分の精神強化に回してベーゼ化をこれ以上進ませないようにした。
精神を更に強化したことで体の変化も少しだけ遅くなる。ユーキとアイカは今の状態を維持したまま堕落の呪印から瘴気が出なくなるのを待つ。そして五分が経過し、遂に堕落の呪印から光が消えて噴き出ていた瘴気が止まった。
瘴気が止まった直後、アイカの胸元に入っていた堕落の呪印は静かに消滅し、二人を包み込んでいた瘴気も風に吹き消されるように消える。
「ッ! あれは……」
スローネはユーキとアイカを包み込んでいる瘴気が消えるのを見て驚き、リスティーヒも予想外の光景を見て軽く目を見開く。二人の視線の先にはユーキとアイカが立っており、スローネとリスティーヒはユーキとアイカがどうなったのか確認する。
アイカは髪が解け、制服もボロボロの状態だった。呼吸は僅かに乱れているが肌や髪の色は元に戻っており、いつもの姿で立っている。
一方でユーキは傷だらけで全身の肌が天色に染まっており、髪は銀色から青藤色に変わっている。額からは上に反って伸びる紺碧色の鬼のような角が二本生えており、体には同じ色の装飾のような模様が入っていた。今のユーキは体や髪の色こそ違うがベーゼ化していた時のアイカに似た姿をしている。
「ユ、ユーキ……」
アイカは姿の変わったユーキを見て愕然とする。ユーキは辛そうな顔をしながらアイカの方を向き、彼女が元に戻ったのを見ると静かに口を開く。
「アイカ……大丈夫、か?」
「え、ええ」
「そう……か……」
安心したユーキは小さく笑みを浮かべ、同時に緊張が解けたからか強い眠気に襲われてそのまま意識を失い前に倒れる。アイカは倒れるユーキを見て咄嗟に駆け寄ってユーキを抱き止めた。
アイカはユーキを抱きかかえながら急いで浄化を発動させ、ユーキの体の中に残っているであろう瘴気を浄化する。
浄化の力を受けたユーキの体は薄っすらと紫色に光り、変色していた肌と髪の色は元に戻っていく。髪は短くなり、体の模様も小さくなって最初から無かったかのように消える。ユーキもアイカのように元の姿に戻ることができた。
「よかった……」
元の姿に戻ったユーキを見てアイカは静かに息を吐く。アイカの腕の中ではユーキが静かに寝息を立てている。
アイカはベーゼ化し始めてからネックレスを見て正気を取り戻すまでの間の記憶がなく、自分の身に何が起きていたのかよく分かっていなかった。だが、堕落の呪印から瘴気を流し込まれる直前にリスティーヒが言っていた言葉と先程のユーキの姿から、自分がベーゼ化しかかっていたこと、ユーキが必死になって自分を助けようとしてくれていたのだと知る。
「……ユーキ、ありがとう」
アイカは小さな声で礼を言いながら眠っているユーキをそっと抱きしめた。
ユーキの左手に嵌められている瘴気喰いの吸収石は既に限界が来ていたのか砕けており、手の甲の部分に付いている水晶も割れていた。
新年あけましておめでとうございます。
今年最初の投稿をさせていただきました。また一定の間隔を空けて投稿していこうと思っています。
都合で投稿が遅れたり早くなったりする場合もあると思いますが、頑張って投稿していきます。
今年もよろしくお願いいたします。




