第百十一話 もう一人の殺し屋
屋外劇場ではカムメスとディースの激闘が続いていた。二人はステージの上で得物をぶつけ合っており、周囲ではユーキたちが戦いを静かに見守っている。
ユーキはいつディースがナナルを狙って襲って来ても対処できるよう双月の構えを取っており、その後ろではナナルが若干不安そうな顔をしている。
リンツールも私兵部隊に護られながらカムネスとディースの戦いを見ており、警備兵たちはディースが逃げ出せないよう剣や槍を構えながらステージを囲むように立っていた。
既に戦いが始まってから十分ほど経過しているが、カムネスもディースも疲れを見せることなく戦っており、そんな二人を見たユーキは凄いスタミナだと感心する。
ユーキたちが注目する中、カムネスはディースのグレートアックスをかわしながら反撃をする。回避には無駄な動きは一切なく、攻撃も当たりやすそうな箇所を狙っていた。しかし、ディースも負けずとカムネスの攻撃をグレートアックスで防ぎ、防御に成功する素早くグレートアックスを振って反撃する。
「やるじゃねぇか、ボウヤ? あたしとここまでやり合えたのはお前が初めてだ」
グレートアックスを振り回しながらディースは楽しそうに語り、カムネスは無言でディースの言葉を聞きながら攻撃を回避する。返事をしないカムネスを見たディースは自分を恐れて何も言えないのだと考えて小さく鼻で笑った。
カムネスは後ろに跳んでディースから距離を取るとフウガを両手で握り、霞の構えを取る。ディースはカムネスが反撃してくると予想し、反撃される前に仕留めようと距離を詰めた。その直後、カムネスは近づいて来るディースにフウガで突きを放つ。しかしディースは慌てることなく、グレートアックスの大きな刃を盾代わりにして突きを防いだ。
防御に成功するとディースはカムネスに反撃するためにグレートアックスを構え直す。すると、カムネスはディースが構え直している間に彼女の左側面に素早く回り込み袈裟切りを放った。
ディースはカムネスの攻撃に気付くとグレートアックスを器用に扱い、柄の部分で袈裟切りを防ぐ。刀身と柄がぶつかったことで高い金属音がステージの響いた。
攻撃に失敗したカムネスは体勢を整えるためにユーキたちがいる方角へ大きく跳び、ディースから離れると中段構えを取る。
ディースもカムネスの方を向きながら軽く後ろに跳び、しばらくカムネスの動きを警戒した後にグレートアックスを肩に担いで笑みを浮かべた。
「なかなかいい攻撃だったが、このディース様には通用しねぇ。実力が違う上にあたしの使っているグレートアックスは凶竜が前金代わりにくれた業物だ。コイツを使うあたしには誰も敵わねぇよ」
「武器の優劣など戦いには関係ない。全ては戦士の技術と力量で決まる、武器などは戦士の力を少し高めるだけのおまけのようなものだ」
「へっ、確かにな。だがそれでも実力はお前よりもあたしの方が上、グレートアックスを使っていないとしてもお前には勝ち目はねぇよ」
自分の方がカムネスよりも実力が上だと思っているディースは勝ち誇った笑みを浮かべる。戦いを見守っていたリンツールは傲慢な態度を取るディースに腹が立つのか表情を僅かに険しくしながらディースを睨み、警備兵たちも気に入らなそうな目をしていた。
リンツールたちが怒りを感じる一方でユーキはディースを見ながら哀れむような目をしている。ユーキはディースよりもカムネスの方が強いと思っているため、自分の力を過信するディースのことを可哀そうに思っていた。
「僕はこれまでお前のような人間を大勢見てきた。彼らは皆、自分より強い者はいない、自分は誰にも負けないと思い込んでいた傲慢な者たちだった。お前は今まで出会った者たち以上に傲慢で力の弱い存在だ」
カムネスは笑みを浮かべるディースに哀れむように語り掛け、カムネスの言葉を聞いたディースは小さく反応する。
相手を小馬鹿にするような笑みを浮かべるディースだが、実際は自分を弱く見るカムネスに対して怒りを感じていた。
「……ナメた口利くじゃねぇか? 戦いが始まってからまだあたしに掠り傷すら負わせてねぇくせによぉ」
「傷を負わせていないのはお互い様だ」
「チッ、口の減らねぇガキだな。……いいだろう、だったら本気のあたしを見せてやるよ。そして、あたしじゃなくてお前が傲慢で力の弱い奴だってことを教えてやる。もっとも傲慢だって思い知る前に死んだら何の意味もねぇけど」
ディースは両足を軽く曲げ、グレートアックスを両手で持ちながら上段構えを取った。カムネスはディースが真正面から突撃してくると予想し、フウガを強く握りながらディースの動きを警戒する。その直後、ディースはカムネスに向かって走り出し、カムネスが間合いに入るとグレートアックスで袈裟切りを放った。
カムネスは左へ移動して袈裟切りをかわすとディースの反撃しようとする。だがカムネスが動くよりも先にディースは振り上げ、カムネスの頭上からグレートアックスを振り下ろした。
ディースの素早い攻撃にカムネスは慌てずに左へ移動してグレートアックスを回避する。しかし、回避した直後にディースはまたしてもカムネスより先に動き、グレートアックスを左から横に振ってカムネスを攻撃した。カムネスは冷静に右から迫って来るグレートアックスを後ろに跳んでかわす。
周りで戦いを見守っていたユーキたちはディースの素早い連撃に驚いて軽く目を見開いている。大きくて重量のあるグレートアックスを今まで以上に素早く振り回すディースを見て、ユーキたちはディースが本当に全力を出したのだと感じていた。
カムネスもディースが本気を出したのだと理解し、ディースの動きを観察しながら反撃の隙を窺う。
ディースはカムネスに決定的なダメージを与えようとグレートアックスを振り回し続ける。その間、グレートアックスを振る速度が落ちることは無かった。
「オラオラ、どうした? かわすだけで精一杯じゃねぇか。言いたい放題言っておいてその程度かよ! やっぱ、傲慢だったのはあたしじゃなくてお前だったみてぇだな!」
防戦一方のカムネスを見たディースは勝利を確信し、笑みを浮かべながら挑発する。カムネスはディースの攻撃や挑発に対して眉一つ動かすことなく、落ち着いた様子でグレートアックスをかわし続けた。
私兵部隊の兵士や警備兵たちはカムネスが押されている姿を見て徐々に表情が曇り始める。いくらメルディエズ学園の生徒でも貪欲な戦乙女と呼ばれるほどの殺し屋には勝てないのではと感じ始めていた。そんな中、ユーキは真剣な表情を浮かべてカムネスを見ている。
(ディースの攻撃はさっきよりも明らかに速くなっている。普通の戦士なら避けることしかできず、反撃するのは難しいかもしれない。……だけど、会長は追い込まれている様子は見せていない。きっと何か策があるはずだ)
警備兵たちが不安を感じる中、ユーキはカムネスが勝つと信じており、黙ってカムネスを見守っている。そして、リンツールもカムネスは負けないと思っているのかユーキと同じように黙ってカムネスとディースの戦いを見ていた。
「お前じゃあたしは倒せねぇ、無駄な抵抗はやめてさっさとくたばりなぁ!」
ユーキたちが見ている中、ディースはグレートアックスを振り上げ、カムネスに向かって袈裟切りを放つ。その振りは今までの攻撃よりも速く、戦っているカムネスだけでなく、見守っていたユーキたちでも分かるほどだった。
この攻撃は避けられないと思った警備兵たちはカムネスを見つめながら表情を歪ませた。だが次の瞬間、カムネスは姿勢を低くして迫って来るグレートアックスをかわした。
ディースは常人ではかわせるはずのない速さの攻撃を回避したカムネスを見て目を見開く。警備兵たちもカムネスが攻撃を避けるとは思っていなかったのか、カムネスを見ながら驚いていた。
「ば、馬鹿な! あたしの最高の攻撃を避けただと!?」
「あれが最高の攻撃か……」
カムネスは驚くディースを見ながら呟くとフウガを鞘に納め、距離を縮めるためにディースに向かって走り出す。ディースは近づいて来るカムネスにグレートアックスを連続で振って攻撃するがカムネスは走りながらディースの攻撃を全てかわしていく。
先程まで回避ばかりして近づこうとしなかったカムネスが今は攻撃をかわしながら近づいて来る。先程と違う状況と攻撃を恐れないカムネスの顔を見てディースは驚きを隠せずにいた。そんな中、カムネスはディースの目の前まで近づき、鋭い目でディースを驚いている
自分の前まで来たカムネスを見て、ディースは慌てて距離を取ろうとする。だが、ディースが距離を取るよりも先にカムネスが仕掛けた。
「グラディクト抜刀術、三連迅刀!」
意識を集中させ、ディースの右腕、両足を見たカムネスはフウガを抜くともの凄い速さで三度振り、確認した三個所を一度ずつ斬った。
「があああぁっ!」
右腕と両足から伝わる痛みにディースは声を上げ、グレートアックスを放すと仰向けに倒れる。ディースが倒れたのを見たカムネスはフウガを軽く振ってから静かに鞘に納めた。
この時カムネスが放った居合斬りは目にも止まらぬ速さで、あまりの速さにリンツールたちは呆然としていた。過去にカムネスの居合斬りを見たことがあるユーキもその速さに驚いている。
ディースは表情を歪め、奥歯を噛みしめながら痛みに耐える。幸いカムネスに斬られた右腕と両足の傷は深くなく、命にかかわるような傷ではない。だが、それでも戦えないほどのダメージは受けているらしく、落ちているグレートアックスを拾おうことも、起き上がることもできなかった。
ユーキはカムネスがディースを倒した姿を見て軽く息を吐き、驚いていたリンツールも我に返ってディースを見つめる。
ステージを囲んでいた警備兵の内、三人がステージに上がって倒れているディースを起こし、持っている布などを使ってディースの応急処置をする。
「こ、こんなことがあるなんて……」
未だに自分が斬られたことが信じられないディースは警備兵たちに止血と拘束をされながら呟き、カムネスはディースを無言で見つめていた。
「お前、いったい何をした? どうやってあたしの攻撃をあそこまで簡単にかわせるようになったんだ?」
カムネスを睨みながらディースは尋ね、ユーキたちもカムネスに注目する。今まで回避ばかりしていたカムネスが突然距離を詰めてディースに攻撃を命中させたため、ユーキたちもカムネスが何か特別なことしたのではと思って気になっていた。
ユーキたちが注目する中、カムネスは表情を変えずに静かに口を開いた。
「何もしてはいない。ただ、回避しながらお前の攻撃パターンを見極め、攻撃の速さに目が慣らしていただけだ」
「な、何だと?」
特別な能力やマジックアイテムを使ったわけでもなく、ただ観察していただけだと聞いたディースは愕然とする。ユーキも少し意外そうな反応を見せながらカムネスを見つめていた。
「お前との戦闘が始まってから僕はお前がどんな攻撃をするか、どれ程の速さでグレートアックスを振るかを観察した。そして、お前の攻撃や行動を見極めたため攻撃に移った。ただそれだけだ」
「そ、そんな馬鹿なことがあるかよ。あたしらが戦い始めてからまだ三十分も経ってねぇんだぞ? そんな短時間であたしの攻撃パターンや速さを見極めるなんて、できるはずが……」
「それができたから、僕はお前を斬ることができたんだ。因みにこれまでの僕の攻撃はお前がどのように防御、回避するかを確かめるためのものだ」
今までの回避や攻撃が全て動きを見極めるためのものだと知らされたディースは衝撃を受けて目を見開く。
二人の会話を聞いていたユーキは、カムネスは強いだけでなく、短時間で敵の動きを見切るほどの観察眼を持っていると知り、改めてカムネスは凄い存在だと感心した。
リンツールはカムネスがディースを無傷で倒したと言う結果に驚く。だが、同時にカムネスがいてくれてよかったと思っていた。ナナルもカムネスの勇姿を見て感動したような目をしている。
警備兵たちに傷の手当てをされたディースは小さく俯きながら黙り込んでいる。だが、しばらくすると不敵な笑みを浮かべ、それに気付いたユーキとカムネスは反応した。
「あたしを倒したことは褒めてやらぁ。だから、その褒美として一ついいことを教えてやるよ。……あたしはこう見えて用心深い性格なんだ」
突然意味不明なことを言い出すディースにユーキは目を細くする。リンツールたちも「何を言ってるんだ」と言いたそうな顔をしており、カムネスは無言でディースを見ていた。
屋外劇場の外側にある民家、劇場のステージから300mほど離れた所に建っており、屋根の上から見ればステージ上のユーキたちが小さく見える。その屋根の上に茶色いフード付きマントを纏った人物が立っていた。
身長は165cmほどで顔はフードで隠れていて見えないが、体は細く女であることは分かる。一見、屋根の上から屋外劇場を見ているだけに見えるが、その手には銀色の装飾が入った黒い大型のクロスボウが握られていた。
「……まさかこんな展開になるなんとはな。だけど、問題はない」
クロスボウを持つ女はステージの上にいるユーキたちを見ながら呟き、顔を隠しているフードを下ろす。そこにあったのはディースと同じ顔だった。
ディースと同じ顔を持つ女はフード付きマントを脱ぎ棄てて動きやすい格好になる。薄い黄色と黄土色の長袖を着て灰色の半ズボンを穿いており、腰に矢の入った矢筒をつけていた。女は屋根の上で左膝を付き、クロスボウを45度ほど上に傾けてステージの上に狙いを定める。
「あの男が警護を引き離してくれたおかげで随分やりやすくなった。今なら問題無く孫娘を仕留められる」
不敵な笑みを浮かべながらディースと同じ顔をした女はステージの上に立つナナルを見つめる。そう、女はナナルをクロスボウで射貫こうとしていたのだ。
クロスボウは優れた物なら射程は30mから50mと言ったところだが、放物線を描くように撃てば射程は300m以上になる。女は遠くにいるナナルを射貫くため、放物射撃で矢をステージまで飛ばそうと思っていた。
「今、孫娘を殺せば警護の連中も動揺して逃げる隙ができるはず。足をやられたみたいだが、傷の手当てをされたんなら逃げることぐらいはできるだろう」
女はナナルを始末すると同時にディースが逃げる隙を作ろうと考えており、ナナルを仕留めるために彼女の位置とクロスボウの角度などを細かく確認して修正する。
修正が完了すると女はステージの上に立つユーキたちを見つめた。
「残念だったが、ガキども? 警護は失敗だ」
そう言った瞬間、女はクロスボウの引き金を引く。クロスボウの矢は空に向かって勢いよく放たれた。
「……!」
ディースの話を聞いていたユーキは何かに気付いて客席の方を向く。
「何だ? 今、遠くで何かが光ったような気が……」
難しい顔をしながらユーキは屋外劇場を念入りに確認する。ナナルは突然辺りを気にし始めるユーキを見て瞬きをした。
ユーキはゆっくりと視線を動かして周囲を警戒する。そんな中、ユーキはカムネスから屋外劇場の外側を警戒するよう言われたことを思い出して外側を確認した。すると、劇場の外側にある民家の屋根の上に誰かがいることに気付き、ユーキは強化を発動して自身の視力を強化し、屋根の上にいる人物を確認する。
屋根の上にはクロスボウを持ったディースそっくりの女が笑みを浮かべながらこちらを見ており、女の顔とクロスボウを見たユーキは目を見開いて驚く。そして、あることに気付いたユーキは強化を解除すると空を見上げた。
空を見上げた直後、小さい何かがステージに向かって落ちて来るのが見え、ユーキは落ちてくる物の正体に気付くと再び強化を発動させて動体視力を強化する。その僅か三秒後、一本の矢がナナルに向かって飛んでくるのが見えた。
矢がナナルに迫って来ているのを見たユーキは目を鋭くしながらナナルと飛んでくる矢に間に入り、矢が間合いに入ると月下で飛んできた矢を叩き落とす。動体視力を強化したことでユーキには飛んでくる矢がゆっくり動いているように見えていたため、難なく叩き落すことができた。
「……ッ!?」
ナナルは突然ユーキが刀を振ったことに驚いて思わず声を漏らす。カムネスやリンツール、警備兵たちもナナルの声を聞いて一斉に彼女の方を向いた。
「どうしたのだ?」
リンツールが驚きながらユーキに声をかけると、ユーキは矢が飛んできた方角を見ながら月下と月影を構えた。
「もう一人殺し屋がいます。劇場の外からクロスボウでナナルちゃんを狙ってきました!」
「な、何だと!?」
ディースを倒した直後に別の殺し屋が現れ、しかも遠くからナナルを狙っていることを知ってリンツールは思わず声を上げる。殺し屋が二人いると言うことは分かっていたが、遠く離れたところからナナルを狙ってくるとは思っていなかったためかなり驚いていた。
ナナルは自分が別の殺し屋に殺されそうになっていたことを知ると驚愕しながらユーキの後ろの身を隠す。ユーキは背後に隠れたナナルを見ると視線を屋根の上にいるもう一人の殺し屋に向けた。
「やはりな、あの男は殺し屋ではなかったか」
カムネスはユーキが見ている方角を見つめながら呟く。どうやらカムネスは最初に見た中年の男は殺し屋ではないと気付いており、別の殺し屋が隠れていると分かっていたようだ。
「……んな、馬鹿な。シィースの狙撃が失敗しただと?」
ディースはユーキが矢を叩き落したのを見て愕然としている。ステージにいる全員が自分に注目して隙ができていたはずなのに狙撃に気付かれ、しかも矢が刀で叩き落されたため、ディースは驚きを隠せずにいた。
目の前で起きたことが信じられないディースは口を半開きにしながら固まる。そんなディースを見ながらカムネスは口を開いた。
「客席にいた男が殺し屋でないこと、もう一人の殺し屋が狙撃してくることは最初から分かっていた。だからルナパレスにナナルちゃんの警護を任せ、劇場の外も警戒するよう言っておいたんだ」
「最初からだと? すぐにバレる嘘をつくんじゃねぇよ」
「嘘じゃない。最初にステージに刺さった矢で殺し屋の一人が弓矢かボウガンを使う存在だと言うのは分かった。最初は客席にいた男かと思ったが、あの状況では矢を放つことはできない。そして、矢が刺さった直後にあの男は劇場から逃げ出した。まるで僕らをおびき寄せるかのようにね」
カムネスもユーキと同じで客席の男が殺し屋だとは思っていたなかったらしく、殺し屋でない根拠や自身の推理を細かくディースに話していく。
「あの男はお前ともう一人の殺し屋の仲間、もしくはこの都市で雇った存在で僕らを分断させるための囮である可能性が高いと考えた。実際、ドールストとロギュンが男を追いかけた直後にお前が現れてナナルちゃんを襲おうとしたわけだしな」
「クゥゥ……」
話を聞いていたディースは微量の汗を掻きながら悔しそうな声を漏らす。ディースの反応からカムネスの推理は当たっているようだ。
「そして、ステージに刺さった矢。あれは男を動かすための合図であると同時にもう一人の殺し屋がナナルちゃんを正確に狙撃するための試し射ちだったんだろう? 矢が刺さった場所からナナルちゃんまでの距離を計算し、更にクロスボウの射角や向きを修正して確実に命中させるためにな」
男のことだけでなく、矢を射った本当の意味まで見抜かれたことにディースは言葉を失う。目の前にいるメルディエズ学園の生徒は自分を負かすほどの実力を持っただけでなく、優れた洞察力まで兼ね備えていることをディースは知り、ようやくカムネスが強者であることを理解した。
(流石は会長、矢を見ただけであそこまで辿り着くとはなぁ……)
ナナルの前に立つユーキも、もう一人の殺し屋を警戒しながらカムネスの話を聞いていた。矢を放ったのは逃げた男ではないと見抜いただけでなく、放たれた矢の秘密にまで気付いたことにユーキは感心する。
だが、今はカムネスに感心している場合ではないため、ユーキは遠くにいるもう一人の殺し屋に集中する。するとディースと話していたカムネスがユーキの方を向いて声をかけてきた。
「ルナパレス、君はもう一人の殺し屋の捕縛に向かってくれ」
「え? でも、俺は……」
「ナナルちゃんは僕が護る。ディースも既に拘束してある、暴れる心配も無い」
「それなら、俺じゃなくて会長が行った方がいいんじゃないですか?」
「此処からもう一人の殺し屋がいる場所までは300mはある。僕の足では殺し屋がいる場所に辿り着く前に逃げられる可能性がある。だが、君なら強化で身体能力を強化すれば僕よりも早く殺し屋の下へ辿り着ける。逃げられることなく奴を捕まえられるはずだ」
カムネスは状況から自分よりもユーキの方がもう一人の殺し屋を捕まえるのに適任だと考えており、話を聞いたユーキはカムネスが自分を信じて任せようとしているのだと悟った。
「分かりました、行ってきます」
ユーキはカムネスにナナルのことを任せると強化を発動させて自身の脚力を強化し、勢いよく床を蹴って殺し屋がいる方角へ向かって走り出す。
もの凄い速さで走り、つまづくことなく階段を上がっているユーキの姿を見たリンツールや警備兵たちは目を丸くし、ナナルもユーキの速さに驚いてまばたきをしている。ディースも呆然としながらしばらくユーキを見ていたが、すぐに我に返ってカムネスを睨んだ。
「見たところ、あのガキは見た目以上の身体能力を持っているみてぇだが、妹を捕まえることはできねぇよ」
まだ自分たちに勝機があると思っているのか、ディースは焦りを見せずにカムネスに言い放つ。ディースの話を聞いたカムネスはもう一人の殺し屋がディースの妹であることを知ると同時に、ディースが信用するほど腕の立つ殺し屋だと考える。
(どれほどの実力を持っているか知らないが、ルナパレスなら問題無く対処できるだろう)
カムネスはナナルの隣まで移動し、腕を組みながら遠くにいるユーキを見つめた。
――――――
民家の屋根の上ではディースの妹、シィースがナナルの暗殺に失敗したこと驚いている。正確にナナルを狙い、避けられないよう計算して矢を放ったはずなのにそれを防がれたため衝撃を受けていた。
「馬鹿な、こんなことがあるなんて!」
表情を鋭くするシィースはもう一度ナナルを狙うため、急いでクロスボウに矢を再装填する。
クロスボウは弓より強い矢を放つことができるが、連射速度が弓よりも遅く、矢を装填するのに時間が掛かってしまう。シィースはナナルを仕留め損ねたことで警備する者たちに自分の存在と居場所がバレたと考えており、少し焦りながら準備をした。
矢の装填が完了し、シィースはもう一度ナナルに矢を放とうとステージの方を見た。するとステージから自分の方へ何かがもの凄い速さで近づいて来るのが見え、シィースは目を凝らして近づいて来るものを確認する。
シィースの目には月下と月影を握って走って来るユーキが映り、それを見たシィースは目を大きく見開いた。
「アイツはあたしの矢を叩き落したガキ!? こっちに走って来てるってことは、あたしを見つけたってことかよ!」
屋外劇場のステージから300m近く離れているはずなのに自分を見つけ、とてつもない速さで走って来る児童を見てシィースは驚く。
どうやってもの凄い速さで放たれた矢を叩き落し、自分の正確な位置を理解したのかシィースは疑問に思う。だが同時に一流の殺し屋である自分の暗殺を邪魔し、一人で自分を捕まえようとするユーキを見て怒りを感じていた。
「ガキ一人があたしをとっ捕まえようってのか? ナメるんじゃねぇぞ!」
狙いをナナルから走って来るユーキに変更したシィースはクロスボウを上に傾けると引き金を引いて矢を放つ。矢は放物線を描くように放たれ、走っているユーキに向かって落下するように飛んで行く。
これまでクロスボウを使って多くの標的を暗殺してきたシィースにとって近づいて来る敵に向けて放物射撃した矢を飛ばすことは簡単だ。そして、過去の経験からシィースはユーキに必ず矢が当たると確信していた。
屋外劇場の外に出たユーキは殺し屋がいる民家に向かって真っすぐ走る。そこへ一本の矢がユーキに向かって頭上から飛んでくるのが見え、ユーキは目を鋭くして迫って来る矢を睨んだ。
「やっぱり近づいて来る敵がいれば、暗殺の標的よりもこっちを優先するよな」
ユーキは殺し屋が自分を狙って矢を放つのは当然だと思いながら強化で脚力だけでなく動体視力も強化し、月下で飛んできた矢を叩き落とす。矢を防ぐことに成功したユーキは速度を落とさずに殺し屋の下へ走った。
矢を防いでから数秒後、再び殺し屋がいる方角から矢が飛んでくる。今度は頭上から落ちるように飛んでは来ず、正面から真っすぐ飛んできた。距離が縮まったことで放物射撃をしなくても当てられると判断した殺し屋が水平射撃をしてきたようだ。
飛んできた二本目の矢を月影で払い落としたユーキは一気に民家との距離を縮める。民家の15mほど前まで近づくと屋根の上にいる殺し屋の姿がハッキリ見えるようになった。
殺し屋の姿を確認するとユーキは服の色こそ違うが、ディースと同じ顔、髪型をした女の姿を見て目を鋭くする。
「ステージの上から見た時にもしかしてと思ったが……やっぱりアイツら、双子だったのか」
ユーキは屋根の上の殺し屋を睨みながら呟いた。
双子ならお互いに姉妹のことをよく理解しているため、殺しをする際も連携が取りやすく、片割れが何を考えているのか読みやすい。更に二人が同じ顔なら殺しの際も色々便利なことがあるため、ユーキは姉妹で殺し屋をやっているディースたちは自分が思っていた以上に厄介な存在なのかもと感じていた。
厄介な殺し屋をこのまま野放しにするのは危険すぎる、そう感じたユーキはディースたちは必ず捕まえなくてはならないと意思を強くして走り、民家の前までやって来ると地面を強く蹴ってジャンプし、屋根の上まで跳び上がる。
屋根の上に出るとユーキはディースと同じ顔の殺し屋と目を合った。
「クウゥゥ!」
シィースはユーキを見上げながら悔しそうな声を出した。
ユーキはシィースを見ながら屋根の上に着地すると素早くシィースの方を向いて月下と月影を構える。
「もうやめろ、この状況じゃナナルちゃんを暗殺することはできない」
「このガキ、どんな手を使ってあたしの矢を叩き落したり、一気に屋根まで跳び上がったかは知らねぇが、この程度でこのシィース様を追い詰めたと思うんじゃねぇぞ!」
「……成る程、やっぱり姉妹だな。往生際の悪いところまでディースそっくりだ」
「クッ、ふざけんなぁ!!」
挑発されて感情的になったシィースはユーキに向けてクロスボウの矢を放つ。至近距離で射ったため、避けることも防ぐこともできないとシィースは考えていた。
だが、ユーキは強化で動体視力を強化していたため、上半身を右に反らして飛んできた矢を軽々と回避する。
至近距離からの射撃を簡単にかわされたのを見てシィースは驚愕の表情を浮かべる。
ユーキは驚いて隙だらけになっているシィースを見ると走り出し、あっという間にシィースの懐に入り込んだ。
接近を許してしまったシィースは慌ててユーキから距離を取ろうとする。しかし、シィースが動くよりもユーキが先に仕掛けた。
「ルナパレス新陰流、雪月!」
ユーキは月下と月影を横に構え、同時に刃がある方と峰がある方を逆になるよう持ち替える。そして、腰に力を入れて上半身を左に回し、月下と月影でシィースの左脇腹を峰打ちを放った。
脇腹を殴られたシィースは痛みで表情を歪めながらクロスボウを落とし、殴打を受けた箇所を押さえる。必死に痛みに耐えるが予想以上に痛むため、耐えきれずに体勢を崩してしまう。
体勢が崩れたことでシィースはその場に倒れ、そのまま屋根から転がり落ちた。幸い落ちたところには木箱が置いてあったため、それがクッションになったおかげでシィースは落下死せずに済んだ。
ユーキは屋根の上から落下したシィースを見下ろし、月下と月影の持ち方を戻す。ユーキはシィースを生け捕りにするつもりでいたため、雪月を放った時にシィースを斬ってしまわないよう峰打ちをしたのだ。
「テ、テメェ、よくもやりやがったなぁ……」
落下したシィースは体中の痛みに耐えながら屋根の上にいるユーキを睨み、周りにある木箱の残骸を退かしながら立ち上がろうとする。流石に現状では暗殺を続行することは無理だと考え、シィースは逃げようと思っていた。
立ち上がったシィースはユーキの追撃を警戒しながら走り出そうとする。だがその時、宙に浮いた五本のナイフがシィースを取り囲み、ナイフを目にしたシィースは驚きの表情を浮かべながら固まった。
「逃げられると思っているのですか?」
何処からか声が聞こえ、シィースと屋根の上にいたユーキは声が聞こえた方を向く。そこには一本の投げナイフを右手に持つロギュンが立っており、固まっているシィースを睨んでいた。
「副会長!」
「すみません、遅くなりました」
ロギュンは屋根の上にいるユーキを見上げ、ロギュンと目が合ったユーキは小さく笑みを浮かべる。
ユーキにとってシィースが屋根から落ちるのは予想外だったため、落下したシィースがそのまま逃走するのではと少し焦っていた。だが、ロギュンが登場したことでシィースは逃げられなくなり、ユーキはロギュンが来てくれてホッとしていた。
ロギュンはユーキを確認するとシィースに視線を向け、彼女が逃げ出さないよう見張る。シィースはロギュンを睨みながら奥歯を噛みしめた。
「少しでも妙な動きをすれば取り囲んでいるナイフが一斉に襲い掛かります。仮にナイフをかわしたとしても、彼女がいる限り逃げられません」
そう言ってロギュンはシィースの後ろをチラッと見る。意味が分からないシィースが後ろを確認すると、そこにはコクヨの切っ先を向けるフィランが立っていた。
無表情でコクヨを向けるフィランにシィースは恐怖を感じて僅かに表情を曇らせる。二人の敵と五本のナイフに囲まれ、更に刀を突きつけられている状態では流石に逃げるのは無理だと感じたシィースはその場に座り込んだ。
「クソッたれがぁ……」
敗北を悔しがるシィースは拳で地面を強く叩く。悔しさのあまり、シィースはユーキに殴られた脇腹の痛みや落下した時の痛みなど気にならなくなっていた。
ディースに続き、シィースも捕えることに成功したユーキは伝言の腕輪でカムネスに報告する。その後、合流したフィランとロギュンと共にシィースを連れて屋外劇場へと戻った。




