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児童剣士の混沌士(カオティッカー)  作者: 黒沢 竜
第七章~大都市の警護人~
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第百十話  ステージの戦い


 ステージに上がり、マントの下からグレートアックスを出したディースを見て観客たちの中から声を上げる者が現れる。一人が声を上げれば周りにいる他の観客もつられるように声を上げ、客席は少しずつ騒がしくなっていった。

 観客たちが騒ぎ出すのを見たユーキはこのままだと屋外劇場がパニックになって警護に支障ができるかもしれないと面倒そうな顔をする。すると、劇場の外を見張っていた警備兵やリンツールの私兵部隊が観客たちを落ち着かせながら劇場の外へ避難させ始めた。

 警備兵たちもディースが現れたことで戦闘が始まると悟り、観客たちが巻き込まれないよう安全な所に誘導しなくてはと思ったようだ。

 観客たちが警備兵たちに誘導される姿を見たユーキはこれで観客に被害が出ないと安心する。カムネスやリンツールも警備兵たちを見てディースに集中できると感じた。


「チッ、客どもは逃げたか……殺した後に騒ぎに紛れて逃げようと思ってたのによぉ」


 階段を上がって屋外劇場の外へ向かう観客たちを見ながらディースはつまらなそうな顔をする。ユーキとカムネスはディースに視線を戻すと警護に気持ちを切り替えた。

 ディースはカムネスの予想していたとおり、ナナルを暗殺するために一人でユーキたちの前に現れ、暗殺に成功した後に騒ぐ観客に紛れて逃走しよとしていた。ユーキはディースが予想していた以上に優れた技術と知識、一人で動くだけの行動力があると知り、改めて凄腕の殺し屋だと警戒を強くする。

 観客たちを見ていたディースはユーキたちの方を向くと、ユーキとカムネスの後ろに隠れているナナルを見て不敵な笑みを浮かべた。


「そこにいるガキがナナル・リンツールなんだろう? そのガキを渡せ、そうすれば他の奴らは殺さずに見逃してやるよ」

「そう言って僕らが素直に従うと思っているのか?」


 カムネスは体勢を変えず、挑発するような言い方でディースに訊き返す。ディースは視線をナナルからカムネスに変えると問いに答えずニッと笑った。


「お前らが警護を任されてるメルディエズ学園の生徒どもか。凶竜の連中から話は聞いてたが、本当にこんなガキどもが警護をしているとはな。しかもその中に十歳程度のチビがいるんだから驚いたぞ」


 ディースは凶竜から提供された情報を全て信用していなかったのか、ユーキを見て意外そうな顔をする。ユーキは児童である自分が馬鹿にされていることに既に慣れているのか表情を変えずにジッとディースを見ていた。

 ユーキとカムネスを見ながら笑っていたディースは二人の後方に目をやり、私兵部隊も兵士たちに囲まれながら自分を睨みリンツールに気付く。リンツールの顔を見るとディースは意外そうな表情を浮かべた。


「何だ、管理者である伯爵もそこにいたのか。てっきり孫を残して逃げたのかと思ったんだが、まだ此処にいたとはな」

「孫を残して逃げ出すほど私は地に落ちてはおらん」

「そうかいそうかい、立派なお爺ちゃんだなぁ?」


 力の入った声を出すリンツールをディースは挑発し、そんなディースを見ながらリンツールは目を鋭くする。表情を険しくするリンツールを見たディースはニヤリと笑いながら左手でリンツールを指差した。


「凶竜の奴らが憎むお前がガキの近くにいるのなら一緒に始末するべきなんだが、今回あたしはガキの始末だけを依頼されてる。お前を此処で殺すつもりはねぇから邪魔せずにそこで見てろ」


 ディースはリンツールに対して殺意がないことを伝えると怯えるナナルに視線を向ける。ナナルはディースと目が合うと怯えた顔をしながらユーキの背後に隠れた。

 リンツールはディースを睨みながら右隣に立つ兵士の前に右手を出す。リンツールが手を出したことに気付いた兵士は持っている剣をリンツールに渡した。

 剣を受け取ったリンツールは左手で鞘を握り、右手で剣をゆっくりと抜いて中段構えを取る。


「自分の傍で大切な孫を殺すと言われて大人しくしているつもりはない。私も嘗ては騎士だった身、命を懸けてナナルを護る」


 リンツールの言葉を聞いてユーキとカムネスは視線だけを動かしてリンツールの方を向き、ナナルも振り返って自分を護るために戦おうとしているリンツールを見て軽く目を見開いて驚いている。

 ナナルは心の中で自分を護るために戦おうとしているリンツールの気持ちを嬉しく思っている。だが同時に自分を護るために戦い、リンツールが傷ついてしまうのではと不安を感じていたため、ナナルは複雑な気持ちになっていた。

 ディースは剣を構えるリンツールを見ながら目を細くする。この時、ディースは戦意を露わにするリンツールに対して小さな苛立ちを感じていた。


「……あたしは仕事の邪魔をする奴は誰だろうと容赦なくぶっ殺すことにしてるんだ。殺すよう依頼されてなくても、邪魔すんならお前も殺すぞ?」

「こっちは最初から死ぬ覚悟はできている。カムネス君たちに全てを任せ、何もせずに大人しくしている気など無いわ!」


 剣を構えながらリンツールは叫ぶように自分の意思を伝え、周りにいる兵士たちも自分の剣を握りながらディースを睨みつける。

 ディースは自分と戦おうとするリンツールを不快に思い、肩に担いでいるグレートアックスをゆっくりと下ろした。


「見逃してやるって言ってるのに短い老い先を自分から短くしようってのか。とんでもない馬鹿ジジイだな、おま……」


 低い声を出しながらディースはリンツールに覚悟を否定する。すると、ナナルの前にいたカムネスがディースの目の前まで近づき、姿勢を低くしながら鞘に納めてあるフウガを抜いてディースに居合斬りを放つ。

 カムネスの接近に気付いたディースは目を見開き、咄嗟に後ろに跳んで攻撃をかわそうとする。回避はギリギリで間に合い、フウガの切っ先はディースの体の数mm前を通過した。

 居合斬りをかわされたカムネスは体勢を直して中段構えを取る。重量のあるグレートアックスを持っていながら居合斬りを回避するディースを見て、見た目以上の筋力を持っているとカムネスは感じた。

 ユーキはカムネスが攻撃する姿を見て軽く目を見開く。カムネスの性格やこれまでの言動から敵が会話している時にいきなり攻撃するとは思っていなかったため、内心驚いていた。

 距離を取ったディースはグレートアックスを構えてカムネスを睨みつける。自分がリンツールと会話をしている時に攻撃してきたカムネスに腹を立てていた。


「卑怯な戦い方をすんだな? こっちがジジイと喋っている最中に攻撃するなんてよぉ」

「お前は何か勘違いをしているぞ? 僕は騎士や聖職者ではない。時と場合のによっては手段を選ばないし、相手が隙を見せれば容赦な攻撃する」


 カムネスは表情を変えずに冷静に語り、ディースはカムネスを睨みながら舌打ちをする。カムネスの後ろでは二人の会話を聞いていたユーキが意外そうな表情を浮かべていた。

 普段は冷静で優れた実力と知識、洞察力を持ち、生徒たちから慕われているカムネスがどんな手も使うと性格だと知ってユーキは軽い衝撃を受けていた。


「ルナパレス、彼女は僕が相手をする。君はナナルちゃんを護ってくれ」


 カムネスはディースを見つめながらユーキに指示を出し、カムネスの声を聞いたユーキはフッと反応した。

 今はナナルの警護をしている最中で目の前に殺し屋がいることを思い出したユーキは余計なことは考えずにやるべきことに集中しなくてはいけないと自分に言い聞かせる。


「……会長、殺し屋が出てきたんですから、此処でナナルちゃんを護るよりも安全な場所へ避難させた方が良いんじゃないですか?」


 ユーキはナナルの安全を確保するために別の場所へ移動するべきなのではとカムネスに尋ねた。確かに殺し屋であるディースが目の前に現れたのなら、ディースから少しでも離れるのが安全と言える。だが、カムネスは現状でディースから離れるのは得策ではないと思っていた。


「普通なら離れるべきかもしれない。だが、殺し屋はもう一人おり、その殺し屋がどんな存在で、今何処にいるのかも分からない。そんな状況で街中を移動するのは危険だ。それにこちらがナナルちゃんを逃がすことを予想し、凶竜が屋敷や安全な場所で待ち伏せしている可能性もある。それなら、その場を動かずに警護した方が安全だ」

「成る程……」


 カムネスの話を聞いてユーキは真剣な顔をしながら納得する。今日中にナナルを暗殺したいと思っている凶竜はディースが暗殺に失敗した時のことを計算して、リンツールの屋敷やリンツールが所有している場所や建物に見張りや刺客を送り込んでいる可能性があるため、情報が少ない現状で動くのは逆に危険だった。

 動き回るのが危険なら、殺し屋であるディースが目の前におり、私兵部隊や警備兵が多く集まっている屋外劇場に残ってナナルを護った方が安全で、警護しやすいとカムネスは考えていたのだ。

 ユーキはカムネスの話を聞き、屋外劇場でナナルを警護しようと考える。何よりもフィランとロギュンがいない状況で劇場から出るのは得策ではなかった。


「分かりました。こっちは任せてください」

「頼んだよ。……それと念のために劇場の外側も警戒しておいてくれ」

「外側を?」


 小さく小首を傾げながらユーキは不思議に思う。だが、カムネスが意味の無い指示を出すとは思えないため、何かあると感じたユーキはカムネスの指示に従い、屋外劇場の外も警戒することにした。


「リンツール伯爵、ここは我々に任せて貴方は下がってご自身の身を護ってください」


 ユーキに指示を出したカムネスは続けてディースと戦おうとしていたリンツールに声をかける。リンツールは剣を構えたままカムネスに方を向く。


「いや、私も戦おう。殺し屋が現れたのに何もせずにいることなどできん。ナナルの傍にいるのなら尚更だ」

「いいえ、これは我々の仕事です。依頼主である貴方をみすみす危険な目に遭わせることなどできません」

「だが……」


 祖父としてナナルを護るために戦わなくてはならない、そう感じているリンツールはカムネスに説得されても引き下がろうとしない。すると、カムネスはディースを見つめながら低い声でリンツールに語りかける。


「両親を失ったナナルちゃんにとって貴方は唯一の肉親です。その貴方が此処で戦い、もし命を落としたらナナルちゃんは文字どおり孤独になってしまいます。それでも貴方は戦うと仰るのですか?」


 カムネスの言葉を聞いてリンツールは反応する。幼いナナルにとって自分はたった一人の家族、その自分がディースと戦い、運悪く命を落としてしまえばカムネスの言うとおりナナルは一人になり、同時に家族を失う悲しみを再び味わうことになってしまう。

 リンツールはディースがナナルを手に掛けようとしている場面を目にしたことでナナルにとって自分がどれだけ大切な存在であるかを考えられなくなっていた。だが、カムネスの言葉で最も大切なのはナナルの傍にいることであるのを思い出し、後先考えずにディースと戦おうとしていなかったことを反省する。

 ナナルのためにも自分を護ることが大切だと改めて理解したリンツールは軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、ディースと向かい合うカムネスを見た。


「……分かった、君たちに任せる」


 リンツールは静かに返事をすると構えを崩して剣を下ろす。周りにいる私兵部隊は構えを崩さずにディースを警戒していた。

 カムネスはリンツールの返事を聞くと両足を少しだけ開き、ディースがどのように動いても対応できる体勢を取る。ユーキもディースを見つめながら月下と月影を構えた。


「お前ら二人であたしと相手をしようってのか?」


 ディースは自分のことを無視して話を進めるユーキたち見るとグレートアックスを握る両手に力を入れる。

 自分のことを一流の殺し屋と考えているディースはそれなりのプライドを持っていた。そのため、メルディエズ学園の生徒が二人だけで自分と戦うと言う状況に腹を立てていたのだ。


「お前らがメルディエズ学園でどれ程の実力を持ってるかは知らねぇけど、あまり人をナメない方がいいぞ? 二人だけで戦わず、そこにいる兵士たちも一緒に戦わせたらどうだ?」

「その必要は無い、お前程度の相手なら僕とルナパレスだけで充分対処できる」

「このガキ、本気でそう言ってるのか?」

「生憎、僕はあまり冗談が好きではないんでね」


 鋭い表情を変えず、静かに答えるカムネスを見てディースは表情を険しくする。目の前にいる男子生徒は自分に勝てるつもりでいるとディースは感じ、カムネスに対する怒りをより強くした。

 ユーキとカムネスがディースと向かい合っていると、屋外劇場の警備を任されていた大勢の警備兵が客席の階段を駆け下りてステージの周りに集まる。観客たちの避難誘導を終わらせ、ユーキたちの助力に駆けつけたらしい。

 警備兵たちはステージの上に立つディースを睨みながら持っている剣や槍を構えてディースがステージから逃げられないようにした。

 集まってきた警備兵たちを見たディースは鬱陶しそうな顔で舌打ちをした。


「既にステージは包囲した。もうお前に逃げ道は無い、抵抗はやめて投降したらどうだ?」

「ハッ、ナメんじゃねぇぞ、ガキ! 雑魚の警備兵に囲まれたくらいで負けを認めると思ったか? あたしはこれまで何度も似たような状況に立たされたことがある。その度に警備兵や冒険者どもをぶっ殺して生き延びてきたんだ。今回も孫娘とお前、後ろにいるチビをぶっ殺した後に警備兵どもを蹴散らして逃げ延びてやらぁ!」


 ディースは纏っているフード付きマントを脱ぎ捨てて動きやすい格好になるとグレートアックスを上段に構えてユーキとカムネス、ナナルの抹殺を宣言する。

 ユーキはナナルだけでなく、自分とカムネスも抹殺対象にされていることから、ディースは自分たちにかなり腹を立てているのだと感じた。

 カムネスはフウガを握る手に力を入れ、両足を軽く曲げる。ユーキもディースがいつナナルに襲い掛かってきても対処できるように警戒を強くし、ナナルはユーキの後ろで少し怯えたような目をしながらディースを見つめていた。


「さっさとかかって来いよ、ガキ。お前がどれだけ自分の力を過信しているかあたしが教えてやらぁ! それとも、今になって一人で戦うのが怖くなって警備兵たちを一緒に戦わせるか?」

「安心しろ、警備兵たちには手出しさせない。彼らの力を借りなくてもお前には勝てるからな」

「あたしがジジイと話している最中に攻撃してきた奴が言っても説得力がねぇな」

「信じられないのなら信じなくてもいい」


 ディースの発言に対してカムネスが興味の無さそうな口調で呟くと、ディースは不快そうな声を漏らしてから床を蹴り、カムネスに向かって勢いよく走る。そして、カムネスが間合いに入るとグレートアックスを勢いよく振り下ろして攻撃した。

 カムネスは振り下ろされたグレートアックスを左へ移動して回避し、かわした直後にディースに近づいて逆袈裟切りで反撃する。

 ディースは素早く後ろに跳んでカムネスの攻撃をかわし、回避した直後にグレートアックスを右から大きく横に振って攻撃した。だが、カムネスも大きく後ろに跳んでディースの横切りをかわす。

 グレートアックスを回避したカムネスは中段構えを取りながらディースを見つめる。ディースのグレートアックスは重量のある武器であるため、神刀剣であるフウガでもグレートアックスを防ぐことはできない。カムネスがディースの攻撃を凌ぐには避けるしか方法はないが、カムネスにとっては問題の無いことだった。


「成る程、デカい口を叩くだけはあるってわけだ。なら、これならどうだ!?」


 ディースはそう言うと両手でグレートアックスを強く握り、カムネスに向かって踏み込んでから袈裟切りを放つ。

 カムネスは正面からのディースの攻撃を難なくかわし、そのまま反撃に移ろうとする。だが、ディースはグレートアックスを素早く操って今度は逆袈裟切りを放ち、カムネスを攻撃した。

 回避した直後に新たな攻撃が来たことにカムネスは一瞬驚いたような反応を見せるが、その場で素早く姿勢を低くして逆袈裟切りをかわす。そして、姿勢を低くしたままフウガを右から横に振ってディースの足を攻撃した。

 ディースは軽く後ろに下がってカムネスの横切りをかわす。回避に成功した直後、グレートアックスを振り上げて上段構えを取り、姿勢を低くしているカムネスに向けてグレートアックスを振り下ろした。

 カムネスは振り下ろされたグレートアックスを見上げると反応リアクトを発動させ、体勢を変えずに右へ横に跳んで振り下ろしを回避し、そのまま素早く体勢を直してフウガを構える。万全の体勢に入るとカムネスは反応リアクトを解除した。

 ディースはカムネスが姿勢を低くしたまま横に跳んで攻撃をかわすという、普通の人間では出来ない動きをしたのを見て目を大きく見開いて驚く。そして、目の前にいるメルディエズ学園の生徒は口先だけの男ではないと理解する。

 カムネスはフウガを構えながら僅かに目を細くしてディースを見つめる。グレートアックスを素早く振り回し、器用に操ることからディースは自分が予想していたよりも強いと考えて少し警戒を強くした。


「凄いな、会長とあそこまでやり合えるなんて……」


 ユーキはディースが思っていた以上の実力者であることに驚きながら戦いを見守っている。ユーキの後ろにいるナナルや周りにいるリンツール、警備兵たちも激しい戦いを繰り広げるカムネスとディースを目を見開きながら見ていた。

 ステージの上や周りにいる者たちが注目する中、カムネスとディースは自分の得物を握りながら相手の出方を窺う。自分たちの攻撃をかわし、素早く攻撃して来ることから両者は目の前にいる相手を強者だと認めていた。


「このあたしとここまでやり合えたのはお前が初めてだ、褒めてやるよ」

「その言葉、そのままお前に変えそう。正直、これほどとは思っていなかった」

「フッ、そうかい。……だけどね、あたしはまだ本気で戦っちゃいねぇんだ。あたしが本気を出した後もお前は今みたいな余裕を持っていられるのか?」

「さあね? それは戦ってみないと分からない」


 目を閉じながらカムネスは静かに語り、ディースはカムネスの余裕な態度が気に入らないのか小さく舌打ちをする。


「なら、すぐに余裕でいられないくらい追い詰めてやるよ。そして、あたしを本気にさせたことを死んで後悔しな!」


 ディースは声を上げるとグレートアックスを振り上げながらカムネスに向かって走る。カムネスも目を開けて走って来るディースを鋭い目で見つめながらフウガを握る手に力を入れた。


――――――


 人気の少ない広い街道を中年の男が全速力で走っている。屋外劇場のステージに矢が刺さった直後に劇場から逃げ出した男だ。必死な表情を浮かべながら男は劇場がある方角とは正反対の方へ走り続けた。

 大量の汗を掻く男は走りながら後ろを確認する。男の数m後方には無表情のフィランがおり、汗一つ掻かずに男を追いかけていた。


「クッソォ~! 何なんだよ、アイツはぁ!」


 無表情のフィランに不気味さを感じた男は情けない声を出しながら走り続け、フィランも無言で男の後ろを走っている。

 男が屋外劇場から逃げ出してからフィランは男を見失うことなく此処まで追跡してきた。既に劇場を出てから五分近くが経過し、その間走り続けていたにもかかわらず、フィランの顔色に変化はない。それどころか走る速度も落ちておらず、疲れを感じていないようだった。

 一方で男は疲れが出てきたのか呼吸を荒くしながら走っており、速度も徐々に落ちてきている。だが、捕まりたくない男は必死になって逃走を続けた。


「ちくしょう、このままじゃ捕まっちまう。こうなったら入り組んだ所に入って撒くしかねぇ」


 広い街道では逃げ切れないと感じた男は目の前にある民家と民家の間にある脇道へ逃げ込み、フィランも男の後を追って脇道へ入った。そこは狭い路地裏であまり人が入らないのか、足元には壊れた陶器や木箱の一部が転がっている。だが、走る分には問題無く、男は静かな路地裏を全力で走った。

 フィランと男が入った路地は交差点や分かれ道が多い場所で男はできるだけ曲がったり、脇道に入って逃走した。そうすることでフィランの視界から消えることが多くなり、フィランが見失う可能性が高くなると考えたからだ。

 男の予想どおりフィランは男を視界から外すことが多くなり、徐々に男との距離が長くなる。そして遂にフィランは男を見失ってしまい、交差点の前で立ち止まった。

 フィランは前、左右の道を無表情で見回し、男がどっちの方角に逃げたのか考える。そんな時、フィランの左腕にはめられている伝言の腕輪メッセージリングの宝玉が光り出した。


「フィランさん、左に曲がってください。男はそっちに逃げました」


 伝言の腕輪メッセージリングからロギュンの声が聞こえ、声を聞いたフィランは伝言の腕輪メッセージリングを見た後、言われたとおり左に曲がって走った。


「その先に分かれ道がありますから、今度は右へ曲がってください」

「……分かった」


 フィランは伝言の腕輪メッセージリングを口に近づけて返事をし、走る速度を上げる。しばらく走ると左右に曲がる分かれ道が見え、フィランは素早く右へ曲がって走り続けた。

 路地裏の十数m上空ではロギュンが伝言の腕輪メッセージリングを口に近づけた状態で浮いており、真下にある路地裏を見下ろしている。路地裏にはフィランが走る姿があり、ロギュンはフィランを見ながら彼女が次に進みべき道を考えていた。

 ロギュンはフィランと共に男を追跡している時、何かのはずみで男を見失うことになるかもしれないと考えた。そうなった時に男を捕まえられるようロギュンはフィランに男の追跡を任せ、自分は浮遊フローティングの能力で浮かび上がり、上空から男を追跡することにしたのだ。

 上空にいれば男を見失わずに追跡することができ、もし地上のフィランが見失ったとしても伝言の腕輪メッセージリングで位置を教えることができるため、フィランも追跡を続行できる。実際、ロギュンは空から男の位置を確認し、フィランを正確に誘導していた。

 フィランを撒いた男は息を切らしながら走り続け、路地裏から街道に出る。街道に出た直後、一気に疲れが出たのか男は両手を膝に付けて立ち止まった。


「ハァハァ、此処まえ来れば大丈夫だろう……流石に疲れたな、ちょっと休むか」


 男は路地裏へ続く出入口から少し離れた所まで移動し、街道の隅でゆっくりと腰を下ろす。長時間走り続けたため、男の呼吸は未だに乱れている。


「ハァ~。それにしても、あんな小娘があそこまでしつこいとは思わなかった。……まったく、とんでもない仕事を引き受けちまったぜ」


 座りながら男は気の抜けたような声を出して空を見上げた。その時、男が出てきた路地裏の出入口からフィランが飛び出すように現れる。フィランに気付いた男は驚愕の表情を浮かべた。

 街道に出たフィランは素早く周囲を見回し、座り込んでいる男を見つけると腰のコクヨを抜いて男に向かって走り出す。そして男の正面まで近づくと切っ先を男に向けた。

 男はフィランは撒いたと思って完全に油断していたためフィランの接近を許してしまい、逃げることもできずに目の前に立つフィランを怯えた様子で見上げている。フィランは固まる男を無表情で見つめた。


「……もう逃げられない。もし逃げるのなら斬る」

「待ってください、フィランさん」


 フィランが男に警告をしていると上空からロギュンがゆっくりと下りてきてフィランの隣に下り立つ。男はフィランに続き、突然上から下りてきたロギュンを見て驚きのあまり言葉を失う。街道にいる数人の住民たちも少し驚いた様子でフィランたちのやり取りを見ている。

 ロギュンは男の前までやって来ると姿勢を低くして男と目線を合わせる。そして、右大腿部のホルスターから投げナイフを一本抜いた。


「何処へ逃げようと私たちは貴女を見つけ出して捕まえます。無駄な抵抗はやめてください」

「ううぅ……」


 冷静に小さな声で語るロギュンを見て男は僅かに表情を歪めた。

 男が大人しくなるとロギュンは早速情報を聞き出すことにし、持っている投げナイフの切っ先を男に向ける。


「貴方は凶竜に雇われ、貪欲な戦乙女と共に劇場でナナルさんを暗殺しようとしていた。そうですね?」


 ロギュンが屋外劇場での出来事について尋ねた。だが、男は表情を歪めたまま何も答えず黙り込んでいる。ロギュンは質問に答えない男を見ながら僅かに目を鋭くした。


「貪欲な戦乙女は今何処にいるのですか? 貴方たちはどのような方法でナナルさんを暗殺しようとしているのです?」


 僅かに声を低くし、ロギュンはもう一度質問をするが、男は何も答えずに目を逸らす。男の反応を見たロギュンは普通のやり方では男は白状しないと考え、やり方を変えることにした。


「答えないのであれば仕方ありません。こんなやり方は好きではないのですが……」


 そう呟いたロギュンは持っている投げナイフの切っ先を男の左目に近づける。投げナイフを見た男は自分の目を切る、もしくは抉ろうとしていると知って悪寒を走らせた。


「ま、待ってくれ! 分かった、話すからやめてくれぇ!」


 このまま黙っていても良いことなど何も無いと感じた男は慌ててロギュンを止める。男の答えを聞いたロギュンは投げナイフを引いて男の顔から離し、フィランもコクヨを下ろして怯える男を見つめた。

 フィランとロギュンが話を聞く態勢を取ったのを見た男は深く溜め息を付き、ロギュンの方を見ながら口を開いた。


「俺はただお前たちを分断させろって言われただけなんだよ」

「分断?」

「あ、ああ、ステージの上に矢が刺さったら、それが合図だから伯爵の孫を警護している奴らを劇場の外へ誘い出せって……」

「成る程、貴方は私たちと会長たちを引き離すための囮だったというわけですか……」


 殺し屋の狙いを理解したロギュンは姑息な手を使うと感じて低い声を出す。しかもその作戦に自分たちは引っ掛かってしまったため、ロギュンは騙された自分にも怒りを感じていた。

 腹が立っていたが、今は小さなことを気にしている場合ではないため、ロギュンは気持ちを落ち着かせて情報を集めることだけを考える。


「それで? 貪欲な戦乙女は何処にいるのですか?」

「知らねぇよ、お前たちを引き離せとしか姐御たちには言われてねぇんだ」

「そんなはずありません。貴方は貪欲な戦乙女と共にナナルさんを……ん?」


 男を問い詰めていると、ロギュンは何かに気付いて不思議そうな反応を見せる。


「貴方、今何と言いました? “姐御たち”と言いましたか?」

「は? あ、ああ、言ったが……」

「私たちが得た情報では殺し屋は二人のはずです。貪欲な戦乙女と貴方以外にもう一人殺し屋がいるということですか?」


 殺し屋の人数が違うことにロギュンは少し驚きながら男を問い詰める。すると男は不思議そうな顔でまばたきをした。


「な、何言ってるんだよ、俺は殺し屋なんかじゃねぇ。俺は仕事を探してこのクロントニアに来てただけだ」

「何ですって?」


 男の口から出た予想外の言葉にロギュンは目を見開き、隣に立つフィランは無表情のまま男を見つめている。

 自分たちが殺し屋だと思っていた男は実は殺し屋ではなく、ただの一般人だったと知ってロギュンは驚いた。そしてなぜ一般人の男がナナルの暗殺に関わっていたのか疑問に浮上する。


「どういうことですか? 詳しく説明してください」

「あ、姐御たちが声をかけてきたんだよ。自分たちの手伝いをすれば金をやるって……」

「それで貴方は協力することにしたのですか?」


 男が暗殺に関わると知っていて協力したと感じたロギュンは再び声を低くして尋ねる。男はロギュンが機嫌を悪くしていることに気付いたのか僅かに表情を曇らせながら俯いた。


「姐御たちから話を聞いているうちにヤバそうだと思ってはいたんだが、仕事が無くて金にも困ってたから、それで……」


 生活費を稼ぐために仕方なく話に乗ったと男は白状し、ロギュンは男を鋭い目で見つめがらゆっくりと立ち上がる。

 理由はどうあれ、自らの意思で暗殺に協力することは許されることじゃない。ロギュンはナナルの暗殺に加担した男を睨みながらしっかり罰を受けるべきだと思った。

 だが、今は男の処分よりもナナルを狙っている殺し屋たちをなんとかしなくてはならない。ロギュンは貪欲な戦乙女ともう一人の殺し屋の正確な情報を得てユーキとカムネスに知らせることが大切だと考える。


「その姐御たちと言うのは二人組だったのですか?」

「ああ、顔はフードで隠れて見えなかったが二人組だったのは確かだ」

「二人の内、一人は貪欲な戦乙女と名乗りましたか?」

「分からねぇよ、仕事の話しかしなかったんだ」


 殺し屋の異名も詳しい情報も知らないと男は語り、ロギュンは難しい顔をしながら考え込む。

 男を捕らえたことで二つ分かったことがあった。一つはフィランとロギュンが追いかけた男は殺し屋ではなく警護の戦力を分断させるための囮だと言うこと。もう一つは殺し屋たちは頭が良く、標的を倒すためなら一般人も平気で利用する姑息な連中だということだ。

 ロギュンは殺し屋の策にはまってしまったこと、殺し屋たちの都合のいい状況になっていたことを知って悔しそうな顔をする。急いで殺し屋の情報をユーキとカムネスに伝えなくてはと考え、ロギュンは自分の伝言の腕輪メッセージリングを使用した。


「会長、聞こえますか?」


 少し力の入った声を出してロギュンは伝言の腕輪メッセージリングに語りかける。ところだどんなに声をかけてもカムネスは返事をしなかった。


「クッ、伝言の腕輪メッセージリングの会話可能範囲から出てしまったようですね。……フィランさん、急いで劇場に戻りましょう。もしかすると、既に会長とユーキ君は殺し屋たちと交戦しているかもしれません!」

「……ん」


 フィランは返事をするとコクヨを鞘に納め、ロギュンは投げナイフをホルスターにしまう。そして、ロギュンは座り込んでいる男の方を向いた。


「どんな理由であろうと貴方は幼い女の子の暗殺に加担しました。その罪は償わなくてはいけません」


 ロギュンの言葉で自分の罪深いことをしてしまったことを自覚したのか、男は座り込んだまま表情を曇らせて黙り込んだ。

 大人しくなった男を見たロギュンは近くにいた住民たちに警備兵を呼んで男を拘束してもらうよう頼み、それが済むとロギュンはフィランの制服を掴みながら浮遊フローティングを発動させて自分とフィランの制服を浮かせて上昇する。

 5mほど上昇するとフィランとロギュンは屋外劇場がある方角へ飛んで行く。飛んで行った二人を住民たちは呆然としながら見上げていた。


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