第百九話 演奏会
昼が過ぎ、ナナルの演奏会の時間が近づくにつれて屋外劇場に観客が集まって来る。大勢の観客が階段を下りていき、下の客席から順番に座っていく。
屋外劇場の外側やステージ前に立つ警備兵たちは入ってくる観客の中に怪しい者はいないか目を光らせていた。
客席の中ではナナルの演奏会を楽しみにしていた観客たちが隣に座る者とどんな演奏会になるか笑いながら話しており、中には警備兵の数が多いことを不思議に思う者もいる。観客たちは様々な思いを懐きながら演奏会が始まるのを待った。
ステージの端ではユーキとロギュンが観客たちに見つからないよう、積まれてある木箱の陰に隠れながら客席の様子を窺っていた。
凶竜に雇われた殺し屋、貪欲な戦乙女が観客に紛れて忍び込んでいる可能性があるため、普通の観客と雰囲気の違う者がいないか二人は一人ずつ観客を確かめる。特に最前列の客席に座る者たちを念入りに調べた。
「……今のところ、怪しい奴は見当たりませんね」
「油断しないでください? 情報では例の殺し屋はかなりの手練れだそうです。怪しまれないよう周囲に溶け込み、既に客席に入り込んでいるかもしれません」
「分かっています。もう一人の殺し屋の情報も分かっていませんし、ナナルちゃんの傍を離れないようにしながら警戒しましょう」
ロギュンの忠告を聞きながらユーキは客席を見回して殺し屋を探し、ロギュンも客席や野外劇場の外にいる観客の動きなどを確認した。
殺し屋を探すと言っても、ユーキたちは殺し屋がどんな姿をしているのか分かっていないため、見つけ出すのは簡単ではない。情報が無い状態で手っ取り早く見つけるのなら殺し屋が動くのを待つのが一番だが、それだとナナルの身を危険にさらすことになってしまう。
警護であるユーキたちとしてはナナルを危険な目に遭わせるのは避けたいのだが、現状では殺し屋をすぐに見つけるの方法が無いため、最悪の場合は殺し屋に先手を打たせるしかないとユーキとロギュンは考えている。
一番なのは殺し屋が現れずに演奏会が終わってくれることなのだが、これまでの凶竜の動きや彼らの立場を考えるとそれはあり得ないため、ユーキは必ず殺し屋は現れると確信しながら殺し屋らしき人物を探した。
ユーキとロギュンが客席を見張っていると二人の後ろからフィランが近づく、気配に気付いたユーキとロギュンは振り返ってフィランを見つめる。
「……伯爵が最後の確認をするから来てほしいって」
「分かった」
返事をしたユーキはリンツールがいるステージの裏へ移動し、フィランとロギュンもそれに続いて裏へ向かう。
殺し屋が客席に潜んでいる可能性があるため、その場を離れずに客席を見張るべきなのだが、ナナルの警護や警備の流れを確認をしっかりしておかないと後々面倒なことになるため、ユーキたちは見張りよりも最終確認の方を優先してリンツールの下へ向かった。
ユーキたちがステージの裏にやって来ると小さな広場があり、そこには演奏会に使うと思われる道具が幾つも置かれてある。奥には小さなテントが張られており、その前にはカムネスとリンツール、黒の星のメンバーの姿もあった。
神官のセルシオンはユーキたちに気付くと軽く手を振って挨拶をし、ユーキも同じように手を振って挨拶を返す。
「お待たせしました」
「来たか、では演奏会の警備とナナルの警護、凶竜の捜索の最終確認をしよう」
リンツールはユーキたちがやって来ると目を鋭くして周りにいるカムネスたちを見る。カムネスや黒の星のメンバーは真剣な表情を浮かべ、ユーキたちもカムネスの隣までやって来るとリンツールを見つめた。
「……今回の演奏会が終わればナナルは凶竜が壊滅するまで屋敷の外に出ることはない。凶竜もその情報は得ているため、演奏会が開かれている間に必ず凶竜が雇った殺し屋たちは現れるはずだ。しかもこれまでの襲撃が全て失敗しているため凶竜は焦っているに違いない」
低い声を出しながらリンツールは語り、ユーキたちはリンツールの話を黙って聞いている。
今日の演奏会は凶竜にとってもナナルを暗殺する最後のチャンスであるため、殺し屋はなりふり構わぬ行動に出るかもしれないとユーキは考え、どんなことがあってもナナルを護り抜いてみせると改めて意志を強くした。
リンツールはユーキたちに見つめられる中、視線をユーキたちに向ける。リンツールと目が合うとフィラン以外の三人は小さく反応した。
「雇われた殺し屋は姑息な手を使ってナナルを狙ってくるはずだ。頼むぞ?」
「勿論です」
カムネスが静かに返事をし、リンツールはカムネスの顔を見ながら「期待しているぞ」と目で伝えながら小さく頷く。
ユーキたちにナナルのことを任せると、リンツールは続けて黒の星の方を向き、懐から折りたたんである一枚の小さな羊皮紙をルスレクに差し出した。
「ここに昨日捕らえた凶竜のメンバーたちから聞き出した隠れ家の場所が書いてある。君たちはここに書いてある場所を調べて凶竜のボスたちを探してくれ」
「分かりました」
ルスレクは羊皮紙を受け取ると開いて中身を確認する。そこにはクロントニアに存在する建物や倉庫などの名前と住所が書かれてあった。
ルスレク以外の黒の星のメンバーも隠れ家の場所が気になり、ルスレクの後ろや横から羊皮紙を覗き込む。
「警備兵が長時間尋問して聞き出した場所だから偽りの隠れ家ということはないと思うが、罠が仕掛けられている可能性もある。油断せずに調べてくれ」
「任せてくだせぇ、リンツールの旦那。殺し屋が動く前に俺らが雇い主である凶竜のボスどもを見つけ出してとっ捕まえてやりますよ」
ワドはニッと余裕の笑みを浮かべ、ワドの発言を聞いたロギュンは目を細くしながら呆れたような顔をしている。黒の星のメンバーたちも一斉にワドを見つめ、ルスレク以外の三人は困ったような表情を浮かべた。
「ワド、口でいうのは簡単だが、実際にボスを捕まえるのは簡単じゃないぞ?」
「ああ、そもそも此処から隠れ家と思わる場所までかなりの距離がある。殺し屋どもが動く前に隠れ家に辿り着くことは無理だ。軽く考えていると足元をすくわれるぞ?」
現状から短時間で隠れ家を特定し、凶竜のボスたちを捕らえるのは不可能だとゴーズとバドリスは語り、セルシオンも同感なのか腕を組みながら頷く。
ワドはゴーズたちの言葉を聞くと呆れたような顔をしながらゴーズたちを見た。
「軽く考えてなんてねぇよ。俺だってS級冒険者だ、仕事は真面目にやる。それに俺は前向きに考え方をすれば仕事が上手くいくと思って言っただけだ」
「本当かぁ?」
ゴーズは疑うような目でワドを見つめ、ワドは信じてくれない仲間たちを見ながら不満そうな表情を浮かべる。黒の星のやる取りを見ていたユーキは小さく苦笑いを浮かべていた。
ルスレクは仲間たちが話している姿を見ながら小さく笑い、もう一度羊皮紙に書かれてある内容を確認してから真剣な顔でリンツールの方を向いた。
「では、我々はここに書いてある隠れ家を一つずつ調べ、凶竜の残党を発見次第捕縛します。……もし奴らが抵抗してきたら昨日のように始末することになるかもしれませんが、構いませんか?」
「ああ、状況によってはそれも仕方がない。……だが、できるだけ生きたまま捕らえてくれ? 奴らがどんな悪党でも、いきなり処刑などせずに正当な罰を与えるべきだと私は思っているのだ」
「……分かりました」
小さな間を空けた後にルフレクは返事をし、羊皮紙を仕舞うとゴーズたちに声をかけた。
ルスレクが話しかけたことで言い合いをしていたゴーズたちは気持ちを切り替え、捜索の流れや最初に調べる隠れ家の場所、隠れ家についた後にどう動くかなどを話し合った。
ユーキたちとリンツールが黒の星を見つめるとテントの中からナナルが出てきた。髪は綺麗に整えられており、頭には少し大きな赤いのリボンを付けている。服装は白が入ったピンクのドレスで手にはブローリアス楽器工房で受け取ったファイフが握られていた。
「お爺ちゃん、準備できたよ」
「おおぉ、そうか」
目の前まで歩いてきたナナルを見下ろしながらリンツールは笑顔でナナルの頬にそっと手を当てる。ユーキもこれまで以上に綺麗になっているナナルを見て微笑みを浮かべた。
「ナナル、緊張していないか?」
「うん、緊張はしてないよ。でも……」
微笑んでいたナナルが少しだけ表情を曇らせ、それを見たリンツールはナナルが凶竜の襲撃に不安を感じている事に気付く。ユーキたちもナナルが不安になっていることに気付き、無言でナナルを見つめる。
リンツールはしばらくナナルを見つめると姿勢を低くして目線をナナルに合わせた。
「大丈夫だ、カムネス君たちがいれば何も心配することは無い。昨日も襲って来た凶竜の刺客を撃退してお前を護ってくれただろう?」
「う、うん……」
ナナルはリンツールの顔を見ながら返事をするがその声にはまだ不安が感じられ、リンツールは困ったような顔をする。このまま演奏会に出ても襲撃されることを不安に思って上手く演奏できないかもしれないため、何とかナナルを勇気づけることはできないかとリンツールは考えた。
「ナナルちゃん」
不安そうな顔をするナナルにユーキが声をかけ、ナナルはふとユーキの方を向く。ユーキはゆっくりと歩いてナナルに近づき、ニッと笑みを浮かべる。
「俺たちはすぐ近くにいるから、もし怪しい奴が近づいて来てもすぐに対処できる。だから君は安心してファイフを吹くことだけを考えていればいいんだ」
「ホントに近くにいてくれるの?」
「勿論だ。ですよね、会長?」
ユーキが振り返ってカムネスに尋ねると、カムネスは腕を組みながら小さく頷く。
「ああ、近くにいればもしナナルちゃんが襲われそうになった時にすぐ護ることができるからな。リンツール伯爵も許可してくれた」
カムネスの話を聞いたナナルはリンツールの方を向く。ナナルと目が合ったリンツールは小さく笑いながら頷く。
演奏会のステージの上に演奏者以外の人間が立っていると違和感あり、観客たちも不自然に思うだろう。だが、リンツールにとっては演奏会の成功よりもナナルの命の方が大切であるため、多少演奏会の雰囲気などが壊れても構わないと考え、ユーキたちをステージの上に立たせることにしたのだ。
ナナルはユーキたちが近くにいれば例え襲われてもすぐに護ってくれると感じ、襲撃されることに対しての不安が少しだけ和らぐ。ナナルは一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせると真面目な顔でリンツールを見る。
「……私、頑張る。天国にいるパパやママのために、一生懸命ファイフを吹く」
「そうか……ウム、その意気だ」
両親のためにも勇気を出してステージに上がることを決意したナナルを見てリンツールも安心する。
ユーキたちは自分たちを信じてくれるリンツールとナナルのためにも失敗してはいけないと二人を見つめながら思った。
リンツールは姿勢を直すと懐から金色の懐中時計を取り出し、時間を確認するとユーキたちの方を向く。
「そろそろ時間だ。私は演奏会を見に来てくれた人たちに挨拶をしてくる。君たちは時間が来たらナナルと共にステージへ上がってくれ」
「ハイ」
そう言うとリンツールはもう一度ナナルの頬にそっと手を当て、目で「頑張れ」と伝えてからステージの方へ歩いていった。
リンツールがステージに向かった直後、話し合っていた黒の星も凶竜の隠れ家を捜索に向かうために野外劇場の出入口がある客席の方へ歩き出した。
ユーキたちは黒の星が歩いて行く姿を黙って見届ける。すると、最後尾を歩いていたルスレクが立ち止まり、ゆっくりとユーキたちの方を向く。
「お互い、依頼を無事に完遂させられるよう努力しよう」
「ああ……」
カムネスが低い声で返事をするとルスレクはカムネスを見て小さく笑い、手を振りながら歩き出して仲間たちの後を追う。
残されたユーキたちは小さくなるルスレクたちを無言で見つめる。リンツールと黒の星がいなくなり、ステージ裏に残っているのはユーキたちだけとなった。
「さて、僕らもやるべきことをやろう。まずはステージの方へ移動し、ナナルちゃんの演奏が始まるまではステージの隅で待機する。そして、出番が来たらナナルちゃんと共にステージに上がり、そのままナナルちゃんの警護をする」
カムネスが警護の流れを確認するとユーキとロギュンは無言で頷き、フィランもカムネスを見つめる。ナナルは真剣な顔で話すユーキたちを少し驚いたような顔で見上げていた。
「それと、これを付けておけ」
そう言ってカムネスは制服のポケットから何かを取り出してユーキたちに差し出す。カムネスの手の中にあったのはベーゼの転移門の封印依頼で使われる伝言の腕はだった。
ユーキは伝言の腕輪を見て軽く目を見開く。封印依頼以外の仕事で伝言の腕輪を使ったことが無かったためユーキは驚いていた。しかも伝言の腕輪が四つあることからこの場にいる四人全員が使えると知って更に驚く。
「あの、会長。どうして伝言の腕輪を四つも?」
目を見開きながらユーキはカムネスに尋ねる。カムネスはユーキの方を見ると手の中の伝言の腕輪を一つ取ってユーキに見せた。
「今回のような警護依頼では何時何処から刺客が現れて襲って来るか分からない。そのため、離れた所にいる仲間と連携が取れるよう参加する生徒と同じ数だけ伝言の腕輪が支給されるんだ」
(遠くにいる仲間と連携を取って警護するって、完全に前の世界で言うSPだな……)
転生前の世界と全く違う異世界に転生したはずなのに前の世界と似たような状況になっていることにユーキは複雑そうな顔をする。本当に自分は異世界に転生したのか、転生前の世界と似た状況を目にする度にユーキはそう感じていた。
フィランとロギュンはカムネスから伝言の腕輪を一つずつ受け取ると左腕にはめる。ユーキも残っている一つをはめ、最後にカムネスも持っている伝言の腕輪をはめた。
「昨日はナナルちゃんと同じ馬車に乗って移動したため、伝言の腕輪を使うことは無かったが、今日の演奏会では離れて行動する可能性がある。近くに誰もいない時はコイツを使って連絡しろ」
カムネスが自分の伝言の腕輪を見せながら指示を出し、ユーキたちはカムネスを見ながら無言で頷いた。
ユーキたちが警護の流れを確認をしていると客席の方から拍手が聞こえ、ユーキたちは客席がある方を向いた。
「時間だな……行くぞ」
カムネスはステージへ向かうために歩き出し、ユーキたちもそれに続く。ナナルはカムネスのすぐ後ろをついて行き、ユーキ、フィラン、ロギュンはナナルを囲むように移動した。
屋外劇場の客席は既に満席となっており、大勢の観客が演奏会が始まるのを待っている。座ることのできない観客は劇場の外からステージを見下ろしていた。
ステージの中央には椅子が置かれ、その前には楽譜が乗った譜面台が置いてある。そして、ステージの右端には椅子に座ったリンツールの姿があり、観客を見つめながら演奏会が始まるのを待っていた。
集まった観客は若者から老人、幼い子供がおり、笑いながら隣にいる者と会話をして時間を潰している。今回集まった観客の殆どがナナルの母親の演奏を聴いて彼女のファンになった者たちで、娘であるナナルも母親のように最高の演奏を披露してくれると期待していた。
観客たちが騒いでいるとステージに中年の男性が上がって観客たちの方を向く。男性に気付いた観客たちは喋るのを止めてステージの上に注目する。
「皆様、本日はリンツール伯爵のご令孫、ナナル・リンツール様のファイフ演奏会にようこそいらっしゃいました。これよりナナル様がステージに上がられ、ファイフの演奏をなさいます」
観客全員に聞こえるよう男性は大きな声で語り、リンツールや観客たちはそれを黙って聞いている。
男性はナナルがファイフの習うようになった理由やファイフの師であった母親が亡くなってからも練習を続けていたこと、今日が亡くなった母親の誕生日で母親に自分の曲を聴いてもらうために演奏会を開いたことなどを語る。観客たちは母親を亡くした悲しみに耐えながらファイフの練習をしていたナナルを立派だと思いながら話を聞いていた。
「様々な思いを懐きながら、ナナル様はファイフの練習をされました。皆様、ナナル様の素晴らしい演奏を最後までお聴きになってください」
そう言うと男性はステージの左側を見ながら右側へ移動する。男性が移動した直後、ステージの左脇からファイフを持ったナナルと彼女の後をついて行くユーキたちが現れた。
ナナルと一緒にステージに出たユーキたちを見て観客たちは一斉に驚いたような表情を浮かべる。主役であるナナルと一緒に刀や投げナイフを持った若い少年少女が現れたのだから当然だった。
「ねぇ、何かしらあの子たち?」
「ナナル様と一緒に演奏をされるのか?」
「違うんじゃない? だってあの子たち、楽器なんて持ってないわよ? 持ってるのは物騒な武器だけ……」
「でも、あの格好、何処かで見たような……」
「……あっ! あれってメルディエズ学園の制服じゃねぇか?」
観客たちはユーキたちを見ながら小声で話し合い、どうしてメルディエズ学園の生徒がナナルと共にステージに出てきたのか、なぜナナルの傍にいるのか疑問を懐く。
ユーキたちは観客たちが自分たちを見て不思議そうにしていることに気付く。だが、観客たちが気付いたところで何も問題は無いため、黙ってナナルの警護を続ける。
ナナルはステージの中央に置かれてある椅子に座り、譜面台に置かれてある楽譜を開く。ユーキたちはナナルから少しだけ間隔を空け、ナナルを囲むように四角く立つ。
ユーキはナナルから見て右斜め前に立ち、カムネスは右斜め後ろ、フィランは左斜め前、ロギュンは左斜め後ろに立ってステージの周辺や客席を見回す。
リンツールはナナルを護るユーキたちを無言で見つめ、男性はリンツールの隣で軽くまばたきをしながらユーキたちを見ていた。
「……そ、それでは、早速ナナル様にファイフの演奏をしていただきましょう」
苦笑いを浮かべながら男性は司会を続け、男性の言葉を聞いた観客たちもとりあえずナナルの演奏を聴こうと喋るのを止めてナナルを見つめる。
観客やリンツールが見守る中、ナナルはゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そして、ファイフを口に近づけると静かに吹いて演奏を始めた。
ファイフから優しい音色が聞こえ、心を落ち着かせるような曲が屋外劇場に響く。曲を聴いた観客たちはナナルのファイフが上手いことに一瞬驚いたような反応を見せるがすぐに曲に耳を傾ける。
ユーキたちはナナルが屋敷でファイフを練習するのを見ており、その時に曲も聴いていたため観客たちのように驚いたりはせずに警護を続ける。ただ、その音色を聴いていると自分たちがナナルの警護していることを忘れそうになるくらい気持ちが落ち着いた。
ナナルは演奏を間違えたりなどせずにファイフを吹いていく。観客たちは曲を聴いているうちに心地よい気分になり、気付かないうちに微笑みを浮かべていた。中にはナナルの母親の演奏を思い出し、感激して涙を流す観客もいる。
演奏は順調に進み、一曲目の演奏が終わると観客たちは一斉に拍手をする。ナナルは観客たちが笑いながら拍手をする姿を見て、自分の演奏で多くの人が笑顔になるのだと喜びを感じ、同時にもっと練習すれば素晴らしい曲を吹けると自信が付いた。
気分を良くしながらナナルは次の曲を吹き始め、新たな曲を聴いて観客たちは笑顔を浮かべる。リンツールはナナルが立派にファイフを吹き、その姿が義理の娘の姿と重ねて見えたことに感動したのか涙目になっていた。ユーキとロギュンも微笑みを浮かべ、カムネスとフィランは表情こそ変わっていないがしっかり警護をしながらナナルの曲を聴いている。
演奏会が始まってから二十分ほどが経過し、演奏会も終盤を迎えようとしている。観客たちはスッカリとナナルのファイフの虜となり、次の曲を楽しみにしているような表情を浮かべていた。そして、観客たちはナナルが母親のような素晴らしい演奏者になると確信する。
ナナルが次の曲を演奏しようとすると、リンツールの隣で控えていた男性が前に出て観客たちの方を見ながら笑みを浮かべる。
「皆様、ここまでナナル様の演奏をお聴きいただき、ありがとうございます。残念なことに次が今回の演奏会、最後の曲となります」
男性の言葉を聞き、観客たちの中には少し残念そうな反応を見せる者がいる。だが、殆どの観客は何時かまたナナルの演奏を聴ける日が来ると思っており、笑いながら男性の話を聞いていた。
ユーキたちは演奏会がもうすぐ終わると聞いて少しだけ目を鋭くした。演奏会が始まってから凶竜に雇われた殺し屋はまだ姿を現していない。襲撃してくるのならそろそろ動くだろうと考え、ユーキたちは周囲を確認する。
「それでは、名残惜しいですが最後の曲を……」
男性が演奏を続けるためにナナルの方を向いた、その時、男性の足元に一本の矢が刺さった。
「な、何だぁ!?」
突然の矢に男性は驚いて尻餅をつき、ユーキたちも矢を見ると一斉にナナルに近づいて周囲を警戒した。
ナナルは立ち上がってファイフを握りながら少し怯えた顔をしており、リンツールも緊迫した表情を浮かべながら立ち上がる。観客たちは突然の出来事に驚きながらざわつき出した。
先程まで演奏で屋外劇場にいた全員が笑っていたのに飛んできた矢のせいでそんな楽しかった気持ちは消えてしまっていた。
ユーキたちは遂に殺し屋が動いたのだと、自分の得物に手をかけながら殺し屋を探す。すると、前から二列目の客席の中に中腰になりながら階段の方へ移動する中年の男がおり、男を見たユーキは目を鋭くして男を見つめた。
「会長、あの男」
「ああ、間違い無い」
カムネスは男が貪欲な戦乙女の仲間でナナルを暗殺するために観客に紛れ込んでいたのだと考えた。
男を捕まえるため、カムネスはロギュンの方を向いて「捕まえろ」と目で伝える。ロギュンはカムネスの目を見ると瞬時にカムネスの考えを理解し、ステージから跳び下りて男に向かって走り出す。
男はロギュンが自分に向かって走ってくることに気付くと目を見開き、慌てて階段を駆け上がって屋外劇場の外へ逃げようとする。ロギュンは表情を険しくし、走る速度を上げて男を追いかけた。
「ドールスト、念のために君もロギュンと共に行ってくれ。もしかすると、あの男は仲間の場所までロギュンをおびき寄せてから一斉に襲おうとしているのかもしれない。敵の正確な人数が分からないのではロギュンだけでは少々厳しい」
「……分かった」
指示を受けたフィランは無表情で頷くとステージから下りてロギュンの後を追い、ユーキとカムネスは走っていくフィランの後ろ姿を見つめる。
客席の階段を男か駆け上がり、その後をロギュン、遅れてフィランが追いかける。観客たちは何が起きたのか理解できず、呆然としながら階段を上がるフィランたちを見ていた。
階段を上がり切った男は飛び出すように野外劇場の外に出て、そのまま街の方へと走り出す。
劇場の外を見張っていは警備兵たちは走る男を驚きながら見ており、そこへ男を追っていたロギュンがやって来た。
「あの男はナナルさんを暗殺しようとした殺し屋です!」
「な、何ですって!?」
男の正体を知った警備兵たちはロギュンを見ながら驚愕の表情を浮かべた。
「殺し屋はもう一人おり、劇場の何処かに潜んでいるかもしれません。私は彼を追いますから、皆さんは念のために観客の避難させてください!」
「わ、分かりました」
突然のことで状況は上手く把握できていないが、緊迫した状況であることは理解でいたため、警備兵は素直にロギュンの指示に従う。
警備兵の返事を聞いたロギュンは男を追うために再び走り出して街へ入っていく。その少し後にフィランも野外劇場の外に出てロギュンの後を追い、ロギュンとフィランを見ていた警備兵たちは慌てて別の警備兵たちに何が起きたのか報告に向かう。
フィランとロギュンが男を追いかけるのを見届けたユーキとカムネスはナナルの左右に立って貪欲な戦乙女を探す。
男が観客に紛れていたのなら貪欲な戦乙女も客席、もしくはステージの近くに身を隠している可能性が高いと二人は考えていた。
ナナルはユーキたちの間でファイフを強く握っている。リンツールも近くにいた私兵部隊の兵士たちに囲まれるように護られており、離れた所に立つナナルを見つめていた。
「貪欲な戦乙女は必ず近くにいるはずだ。気を抜くな?」
「分かってます」
カムネスの忠告を聞いてユーキは返事をすると腰に差してある月下と月影を握り、カムネスも抜刀の体勢を取る。
(演奏会の終盤に入った時に動き出すとは、俺たちが何も起こらずに安心しきっていると思って終盤を狙ったのかもしれないな……)
動いたタイミングから殺し屋たちはかなり頭の切れる存在だとユーキは予想し、次もとんでもない方法で襲ってくるかもしれないと感じて警戒を強くする。
(それにしても、どうやって矢を射ったんだ? 状況から考えれば男が客席から射ったと思えるけど、客席の中で矢を射とうとすれば周りの客に気付かれて大騒ぎになるはずだ。そもそもあの男は弓もボウガンも持っていなかった。だとすると……)
状況と男の身なりからユーキは矢を放ったのは男ではないかもしれないと考える。男でないとすると、矢を放ったのは貪欲な戦乙女か凶竜のメンバーということになるが、答えを出すには情報が少なく、誰が何処から矢を放ったのかは分からなかった。
ユーキとカムネスは構えを崩さずに視線を動かして周囲を警戒し続ける。すると、客席の階段を茶色いフード付きマントを纏った人物が駆け下り、ステージの前まで走って来ると高くジャンプしてステージに上がってきた。
突然現れたフード付きマントの人物にユーキとカムネスは反応し、咄嗟にナナルとフード付きマントの人物の間に入り、ナナルを自分たちの後ろに隠す。
ナナルはフード付きマントの人物を見て驚きの反応を見せ、リンツールも目を大きく見開く。何が起きていたのか理解できなかった観客たちもステージを見て流石に異変に気付いたのか徐々に騒ぎ始める。
「流石に全員で追いかける、何て間抜けなことはしねぇか」
フード付きマントの人物はつまらなそうな声を出しながらユーキたちの方を向き、顔を隠すフードをゆっくりと下ろす。フードの下からは茶色いショートヘアをした若い女の顔が現れ、ユーキとカムネスは女を鋭い目で見つめる。
「……お前が貪欲な戦乙女か」
「おっ、あたしのこと知ってるのか? ヘヘッ、それなりの情報力を持ってるみてぇだな」
女はカムネスの問いにハッキリと答えずに楽しそうに笑みを浮かべると、マントの下から金色の装飾が入った青銅色の大きな片刃のグレートアックスを出して肩に担いだ。
「いかにも、あたしが貪欲な戦乙女、ディース・カサンドラ様だ」
自慢するような口調で自己紹介をするディースを見てユーキは月下と月影を抜き、カムネスもディースを睨んだまま軽く膝を曲げた。




