第百四話 動き出す者たち
闇夜に包まれるクロントニアの商業区、明るい時間は大勢の住民で賑わっていた場所も今は無人で静かに風が吹いており、僅かに不気味さを漂わせている。そんな静まり返った商業の片隅に古い小屋が建っていた。
窓ガラスは割れ、壁や天井、玄関の扉はボロボロで所々に大小、様々な大きさの穴が開いており、誰が見ても空き家だと分かるほど劣化していた。
中も汚れており、壊れた机や椅子、棚の一部、陶器の破片などが落ちている。しかも数匹のネズミがいて普通なら絶対に入りたくないと思うほど酷い状態だ。
奥にはもう一つ別の部屋があり、その部屋にも壊れた家具の残骸が散らばって床や壁も汚れている。そんな汚い部屋の床の隅には小さな四角い扉があり、その下には地下へ続く階段があった。
階段は少しカビ臭く、そこにもネズミの姿がある。階段を一番下まで下りるとそこには少し広めの地下室があり、天井からは小さなランタンが吊るされていた。僅かな明かりで照らされる部屋には空の酒瓶が乗った古い机や椅子、剣や槍などが入った樽が数個置いてある。
地上の小屋と比べて最低限の生活ができそうな地下室に四人のガラの悪い男たちがいる。その内の一人は四十代半ばくらいで身長175cmほど、茶色い目に黒い短髪、無精ひげを生やし、濃い茶色い長袖に薄い灰色の長ズボン姿で金の首飾りを付けていた。
「それで、リンツールの動きはどうなっている?」
少し険しい表情を浮かべる黒髪の男は椅子に座りながら、目の前にある机を挟んで立っている二十代ぐらいの男に尋ねる。
黒髪の男の後ろにも二人の男が立っており、どちらも三十代後半ぐらいだった。一人は赤茶色の髪に黄色い目を持ち、苔色の長袖に濃い茶色の長ズボン姿をしている。もう一人は紺色の目に肩の辺りまである金髪と顎髭を生やし、薄い灰色の半袖に薄い茶色の長ズボンの姿をした男だ。
「我々を全員捕まえるために首都からS級冒険者のチームを呼び出したようです」
「S級冒険者だと? チッ、あのおいぼれめ、ふざけたことを……」
二十代の男から話を聞いた黒髪の男は机に頬杖を突きながら舌打ちをし、後ろで控えている男たちは少し驚いたような反応を見せていた。
今男たちがいる場所はクロントニアで活動している武器密売組織、凶竜の隠れ家の一つで部屋にいる男たちは凶竜のメンバーだ。そして、座っている黒髪の男こそが凶竜のボス、ゲルガン・ゴーゴルだった。
ゲルガンの後ろに控えている二人は凶竜の幹部、二十代の男は部下の一人であり、ゲルガンと幹部はリンツールの動きを見張っていた部下から報告を受けている最中だった。
「ですが、雇ったのはそのS級冒険者チーム一つだけのようです。前回の捜索で動いていた冒険者どもと比べれば遥かに数は少ないですし、それほど警戒する必要は無いと思います」
部下は冒険者の数が少ないことから余裕の笑みを浮かべる。するとゲルガンは表情をより険しくして部下を睨み、机を強く叩いた。
「甘い考え方してんじゃねぇ! 今まで俺らを捜索していたのはD級とC級の実力の低い冒険者どもだ。奴らと違ってS級冒険者は実力も頭の回転も違う。数が少ないからって油断するんじゃねぇ!」
「す、すみません、ボス」
ゲルガンの迫力に驚いた部下は慌てて謝罪し、部下の反応を見たゲルガンは軽く息を吐きながら溜め息を付く。幹部たちも呆れたような顔で部下を見ている。
S級冒険者は力と知識がとても優れた存在で大陸にも僅かしかいない。それ故にS級冒険者はB級以下の冒険者とは比べ物にならないくらいの強さを持っており、S級冒険者数人でB級以下の冒険者数十人分の実力を持っていると言われているのだ。
ゲルガンはS級冒険者の力を理解していたため、今まで自分たちを捜索していた数十人のC級とD級冒険者よりも今回依頼を受けたS級冒険者の方が厄介だと思っていた。
「それで? そのS級冒険者がどんな連中なのかは分かったのか?」
「い、いえ、そこまではまだ……」
「チッ、使えねぇ奴だ」
機嫌を悪くしたゲルガンは低い声で不満を口にし、幹部たちや部下はこれ以上ゲルガンの機嫌を損ねないよう注意しながら接しようと考えた。
「ボス、S級冒険者が動いたとなると見つかるのは時間の問題でしょう。急いでリンツールの孫娘を始末した方がよろしいのではないでしょうか? 孫娘が死ねばリンツールもショックで塞ぎ込み、我々がクロントニアから脱出する隙ができるはずです」
立場が危うくなったと感じた金髪の幹部がゲルガンに暗殺を急ぐよう勧め、赤茶色の髪をした幹部も同じ気持ちなのかゲルガンを見ながら小さく頷いた。
「んなことたぁ分かってる。……リンツールの孫娘、確かナナルとか言ったな。アイツの方はどうなんだ? この前、アイツを襲った時に警護の私兵部隊を何人か倒したんだったんだよな? なら、今はアイツを殺しやすい状態のはずだろう?」
ゲルガンが部下にナナルの警護状態を尋ねると、部下はどこか複雑そうな表情を浮かべながらゲルガンの顔を見た。
「それが……まだハッキリとは分かっていませんが、リンツールは孫娘を警護するためにメルディエズ学園に依頼を出したそうです」
「メルディエズ学園? 冒険者ギルドと仲が悪いって言われている連中か?」
「ハイ、そこの生徒が今日の夕方頃にこの都市にやって来たそうです」
「何で冒険者ギルドに依頼を出してるのに不仲なメルディエズ学園にまで依頼を出してやがるんだ!?」
「わ、分かりません」
自分にとって都合が悪く、望まない報告ばかりを受けてますます機嫌が悪くなったのか、ゲルガンは声を上げながら部下に尋ね、部下は怯えた顔をしながら首を横に振る。
二人の幹部もメルディエズ学園までクロントニアに来ているとは予想もしていなかったのか面倒そうな顔をしていた。
ゲルガンはリンツールを忌々しく思いながら両手で目の前の机を強く叩く。叩いたことで机は揺れ、上に乗っていた空の酒瓶は倒れて机の上を転がり、そのまま床に落ちて砕け散った。
「おいぼれがぁ、要求を呑まない上にナメたことばかりしやがってぇ……」
「どうしますか、ボス?」
赤茶色の髪の幹部が尋ねるとゲルガンは立ち上がって振り返り、険しい顔をしながら幹部を見た。
「んなの決まってるだろう、さっさと孫娘を殺してこのクロントニアからおさらばするんだ! 奴にたっぷりと教えてやる。俺たちを甘く見ていると大切な物を全て失うってことをな!」
右手を強く握り、拳を震わせながらリンツールへの怒りを露わにするゲルガンを見て恐怖を感じた幹部たちと部下は息を飲む。そんな幹部たちに気付いていないのか、ゲルガンは表情を変えずに部下の方を向いた。
「今、人員はどれだけ残ってる?」
「ハ、ハイ、我々を除いて二十一人が残っています」
「たったそれだけか?」
「ハイ、これまでの冒険者や警備兵たちの捜索で多くの仲間が捕らえられてしまいましたので……」
リンツールによって多くの仲間を失ってしまったことを教えられたゲルガンは部下から目を反らして奥歯を噛みしめる。怒りと悔しさを抑え込みながらゲルガンはどのように動くか考え、しばらく考えるともう一度部下の方を見た。
「なら、明るくなったら七、八人、リンツールの孫娘の見張りに就かせろ。もし見張っている時に殺すチャンスができたら始末しろと伝えておけ」
「ですが、リンツールもこちらが孫娘を狙っていることを知っています。屋敷の外に出さないようにしてるかもしれません」
「その心配はねぇ。調べたところ、リンツールの孫娘は明後日にファイフの演奏会に参加するみてぇだ。その時は必ず屋敷の外に出てくる」
ナナルが外出する情報を前もって掴んでいたゲルガンは部下に説明し、話を聞いていた幹部たちも暗殺するチャンスがあると知って少しだけ表情に余裕を浮かべる。
「孫娘は明後日には必ず屋敷の外に出る。もしも明日、屋敷の外に出るようなことがあれば演奏会に日を待たずに殺っちまえばいい」
「しかし、外に出ることがあったとしてもメルディエズ学園の生徒が警護として付き添っているかもしれなせん」
「なら警護も一緒に始末すればいいだけだ。メルディエズ学園の連中は全員が未成年のガキだと聞いている。私兵部隊のように手間取ることはねぇはずだ」
「メルディエズ学園の生徒の中にはA級冒険者に匹敵する実力を持った生徒もいると聞いています。もしそんな奴らが警護に就いていた普通に挑んでも勝てない可能性が……」
相手の実力が分からない部下は返り討ちにあるかもしれないと考えて不安を露わにしする。ゲルガンは部下の情けない顔を見て小さく舌打ちをし、幹部たちもゲルガンと同じ気持ちなのか呆れたような顔で部下を見ていた。
「相手は冒険者のまねごとをしているだけのガキだろうが、情けねぇこと言ってんじゃねぇ! それにこっちには商品にする予定だった強力な武器があるんだ、それを使えば例えA級に匹敵する力を持つガキだろうが敵じゃねぇ」
見っともない態度を取る部下にゲルガンは声を上げ、そんなゲルガンを見た部下は恐怖を感じ、言い返さすことなく一歩下がった。
「分かったらさっさと他の連中に伝えてこい! どんな手を使ってもリンツールの孫娘を殺せとな!」
「ハ、ハイ!」
部下はゲルガンに背を向けると慌てて階段を駆け上がる。階段を上る音は徐々に小さくなり、やがて音は聞こえなくなった。
地下室にはゲルガンと二人の幹部だけが残り、ゲルガンは部下が去ると不満そうな顔をしながら椅子に腰かける。待機していた幹部たちは何処か不安そうな顔をしながらゲルガンを見ていた。
「残りの奴らはS級冒険者の対応に回せ。どんな奴らかは分からねぇが強者だってことは確かなんだろう?」
「え、ええ、間違い無いと思います」
「なら、奴らにも商品の強力な武器を持たせ、もし奴らと出くわすようなことがあれば殺せと伝えろ」
ゲルガンの言葉を聞いた金髪の幹部は返事をせずに黙り込んだ。いくら強力な武器を与えたとしても五聖英雄に匹敵すると言われている実力者と戦って勝てるとは思えない、幹部は心の中でそう思っていた。
遭遇したらS級冒険者とは戦わず、逃走か投降させるべきではないかと幹部たちは思っていたが、下手に何かを言えばゲルガンの機嫌を損ねるかもしれないため言うことができなかった。
「どうした?」
ゲルガンが黙り込む幹部たちを見て尋ねると、声を掛けらた金髪の幹部はフッと反応してから首を横に振る。
「い、いえ、何でもありません。私の方から伝えておきます」
「ああ。……ところで、例の二人はどうしてる?」
赤茶色の髪の幹部の方を見ながらゲルガンは尋ね、幹部はゲルガンに視線を向けると口を動かす。
「この時間なら、クロントニアでも最高と言われている高級宿でくつろいでいるはずです」
「ケッ、こっちはこんな薄汚れた廃墟の地下で潜伏してるって言うのに連中は高級宿で贅沢してるってか?」
自分たちと立場が正反対なことが気に入らないのかゲルガンは不満そうな顔をする。幹部たちは愚痴をこぼすゲルガンを黙って見つめた。
高級宿にいれば豪華な部屋で休み、食堂で美味い料理を食べることができる。それに引き換え、ゲルガンたちがいる地下室はカビ臭くネズミもいるため、まさに天と地ほどの差があった。幹部たちは今いる場所と高級宿を比べればゲルガンが不満を口にするのも無理は無いと感じる。
「あの二人は暗殺が上手くいかなかなかった時に動いてもらう保険のような存在ですが、どうするんですか?」
赤茶色の髪の幹部がゲルガンに話しかけるとゲルガンは椅子に寄り掛かって腕を組んだ。
「どうするもこうするも、こっちにはまだリンツールの孫を暗殺する手段が残ってるんだ。こっちで動ける間は奴らには待機してもらうさ」
「よろしいのですか? あの二人がクロントニアに滞在している間の宿代も我々が支払うことになっています。更に成功報酬も支払うことになっていますし、下手をすれば我々の今後の活動にも影響が出るかと……」
「報酬については問題ねぇ。ウチが扱っている商品の中でも特に強力で高価な武器をくれてやった。それが奴らへの成功報酬になっている」
「報酬の先渡したのですか。……大丈夫なのですか? 報酬だけを受け取って、依頼も熟さずに逃げ出す可能性もあるのでは?」
「心配ねぇ、奴らは仕事に誇りを持っている。報酬だけもらってトンズラするなんてことはしねぇよ」
雇っている者たちを信用しているゲルガンは笑みを浮かべ、ゲルガンの反応を見た幹部たちはボスであるゲルガンが信用しているのなら大丈夫だろう、と感じたのか安心したような反応を見せる。
「あの二人にも近いうちに出番があるかもしれねぇから、いつでも受けるように万全の状態にしとくよう伝えておけ」
『ハイ!』
薄暗い地下室の中で幹部たちは声を揃えて返事をする。ゲルガンは次こそナナルの暗殺を成功させてやると意思を強くしながら拳を強く握った。
――――――
夜が明け、大都市クロントニアに朝が訪れる。目を覚ました住民たちは朝食を済ませ、市場に出て仕事の準備などを始めていた。冒険者たちも冒険者ギルドに向かい、自分たちが受けられる依頼を探している。
リンツールの屋敷でも使用人やメイドたちがリンツールたちが食べる朝食の用意をしている。それからしばらくしてリンツールも目を覚まし、食堂にやって来ると夜中に何か問題はなかったかホランズや私兵部隊の兵士に尋ねた。
ホランズは何も異常は起きていないことをリンツールに伝え、報告を聞いたリンツールは安心する。そんな中、ナナルがユーキたちと共に食堂にやって来た。ナナルは笑顔でリンツールに挨拶をし、リンツールも笑ってナナルに挨拶を返す。その様子をユーキは微笑みながら見守っていた。
ナナルが眠りについてからユーキたちは交代で寝ずの警護をした。殆ど休まずに警護をしていたため、ユーキは軽い疲れと眠気を感じており、ロギュンも目元を軽く指で摘まむ。
カムネスとフィランは疲れを感じていないのか、眠たそうな顔はせずにリンツールとナナルを見つめていた。
しばらくすると朝食ができあがり、ユーキたちはそのまま食堂で朝食を取る。食事を始めたことで眠気が消えたのか、ユーキは少しだけ気持ちをスッキリさせながら料理を口へ運んだ。
朝食が済むとリンツールは仕事をするために食堂を後にし、ナナルはメイドと共に自室へ戻る。ユーキたちはリンツールから一階の居間で待機するよう言われ、使用人に案内されて居間に移動した。
「フゥ~、とりあえず、昨夜は何も起きなくて良かったですね」
居間のソファーに座りながらユーキは疲れたような声を出す。ユーキたちはテーブルを囲むようにソファーに座っており、テーブルの上には紅茶とコキ茶の入ったティーカップが四人分置いてあった。
ユーキたちは殆ど休まずにナナルの警護をしていたため疲れが溜まっていた。リンツールはユーキたちが少しでも休めるよう休憩する時間を与えてくれたのだ。
ただ、いつ凶竜の刺客がナナルを暗殺するために現れるか分からないので、何か遭ったらすぐに動けるよう最低限の準備はしておくように指示していた。
「屋敷の外を見張っていた兵士の話では昨晩屋敷の周りには怪しい人影などは無かったようです。都市の中でも事件は起きていないと言っていました」
ロギュンは紅茶を飲みながらユーキたちに屋敷の外の情報を伝え、カムネスとフィランも紅茶を飲みながらロギュンの報告を聞いている。ユーキだけは眠気を覚ますため、コキ茶を飲みながらロギュンの話に耳を傾けていた。
「朝食を食べている間はどうだ? 僕らが食堂にいた時に誰かが屋敷を訪ねて来たり、屋敷の周辺をうろついていた者がいたという報告は無いか?」
「いえ、そのようなことは無かったと兵士は言っていました」
カムネスの問いにロギュンは静かに答える。報告を聞いたカムネスは「そうか」と言いたそうな顔をしながら紅茶を一口飲み、ティーカップをテーブルの上に置いた。
「凶竜のこれまでの行動から、奴らはもうリンツール伯爵と取引をしようとは思っていないはずだ。ナナルちゃんを暗殺することだけを考えているだろう」
鋭い目でユーキたちを見つめながらカムネスは語り、ユーキとロギュンは無言でカムネスを見ながら話を聞く。二人は真剣な表情を浮かべているが、フィランは相変わらず無表情でカムネスを見つめている。
「奴らが狙うとすれば屋敷の外に出る今日と明日のファイフの演奏会の時だ。その時に刺客を差し向ける可能性が高い。油断せずに警護をしてくれ」
「ハイ!」
「分かりました」
「……ん」
カムネスの忠告を聞いてロギュン、ユーキ、フィランは返事をする。人が多く明るい時間に暗殺しようとは普通なら考えないだろうが、カムネスは凶竜が明るい時間でも暗殺しようとすると思っていた。
今日の外出と明日の演奏会が終われば、リンツールは凶竜が壊滅するまでナナルを屋敷の外に出さないことにしている。カムネスは凶竜がその情報を既に得ており、暗殺するのが難しくなる前に今日か明日に動きを見せると予想していたのだ。
「確か今日は楽器工房に預けてあるファイフを取りに行くんでしたよね?」
「ああ、昼になる前に工房に向かって受け取ることになっているらしい。ナナルちゃんは今、そのための準備をしているところだ」
ユーキはカムネスの返事を聞くとテーブルの上に置かれてあるコキ茶を静かに飲んだ。
「リンツール伯爵の話ではクロントニアは昼前になると外に出る住民の数が少なくなるらしい。人の数が少なく、馬車が動きやすい時に工房へ向かい、短時間で屋敷に戻って来てほしいとのことだ」
「確かに馬車ならいきなり不意を突かれることは無いから安全ですし、スムーズに移動するためにも人の少ない時間に行った方がいいですね」
「そもそも暗殺されるかもしれないのに徒歩で外を出歩いたりなんてしませんからね」
カムネスの説明を聞いたユーキとロギュンは納得した反応を見せ、リンツールの判断は間違いではないと感じる。
しかし、馬車で移動していても、動きやすい時間を選んでも安全とは言えない。ユーキたちは外出中、一切気を抜いてはならないと自分に言い聞かせた。
ユーキたちが休みながら外出時の話をしていると今の扉が開く音が聞こえ、ユーキたちは扉に視線を向ける。
「お兄ちゃんたち、準備できたよぉー」
満面の笑みを浮かべながらナナルが居間に入り、それに続いてリンツールとメイドも入室した。ナナルは白と黄色が少し入った薄いピンクのドレスを着ており、髪は綺麗に整えられている。朝食の時に食堂で見た姿とは雰囲気の違うナナルを見てユーキは少し驚いたような反応を見せた。
ナナルは座っているユーキたちの下へ駆け寄り、ゆっくりと一回転して自分の姿をユーキたちに見せる。
「似合うかな?」
「ああ、よく似合っているよ」
カムネスが小さく笑いながら答えるとナナルは小さく俯きながら頬を薄っすらと赤く染める。年上の美青年であるカムネスに褒められたことで少し照れているようだ。
ナナルの反応を見たユーキとロギュンは微笑みを浮かべる。フィランだけは無表情のまま紅茶を飲みながら無言でナナルを見ていた。
ユーキたちがナナルを見ているとリンツールがナナルの隣までやって来る。リンツールに気付いたユーキたちはゆっくりと立ち上がり、真剣な表情を浮かべてリンツールに視線を向けた。
「念のためにもう一度確認しておこう。君たちにはナナルと共に楽器工房へ向かい、この子が使うファイフを取りに行ってもらう。その間、ナナルが凶竜の刺客に狙われる可能性があるため、君たちにはナナルの警護を任せる」
「承知しています」
カムネスが返事をするとリンツールの話を聞いたユーキたちも無言で頷き、やるべきことを理解していると伝える。
ナナルを屋敷の外に出すため、不安を感じているリンツールはユーキたちを見ながら心の中で必ずナナルを護ってほしいと願う。ナナルは祖父であるリンツールとユーキたちを黙って見ていた。
「もしも刺客と遭遇し、戦闘になったら可能な限り生け捕りにしてくれ。捕らえた刺客から凶竜のボスの居場所や隠れ家の情報などを聞き出したいからな」
「……もしも、どうしても殺害しなくてはならない状況になった際は殺害しても構いませんか?」
カムネスが僅かに目を鋭くし、低めの声を出しながらリンツールに尋ねる。ユーキはカムネスの顔を見て小さな迫力のようなものを感じて軽く目を見開き、ロギュンもカムネスの言葉を聞いてチラッと彼の方を見ていた。
リンツールも初めて見るカムネスの雰囲気に少し驚いたような反応を見せ、しばらくカムネスを見つめてから頷く。
「ああ、場合の寄っては殺害も致し方ない。優先するべきなのはナナルの命だからな」
「分かりました」
目を閉じながらカムネスは呟き、それと同時に迫力のようなものが消える。ユーキは一瞬雰囲気の変わったカムネスをジッと見つめていた。
「既に馬車は玄関前に待機させてある。君たちはナナルと共に馬車に乗って楽器工房に向かってくれ。御者は屋敷の使用人にやらせる」
「ハイ」
カムネスが返事をするとリンツールはナナルの方を向き、姿勢を低くしてナナルの頭にそっと手を乗せた。
「ナナル、気を付けて行って来るんだぞ?」
「うん」
「いつ襲われるか分からない状況なのにすまないな。……本当なら私が代わりにファイフを取りに行くべきなのだが、お前でなければファイフを受け取ることはできんのだ」
代われるものなら代わってやりたい、そんな気持ちを懐きながらリンツールはナナルに謝罪し、話を聞いていたユーキたちは黙って二人を見つめ、メイドは辛そうな表情を浮かべている。
リンツールが若干暗い顔でナナルを見つめていると、ナナルは小さく笑いながらリンツールを見つめる。
「私、怖くないよ? だってユーキお兄ちゃんたちがついてるもん」
「……そうか、ナナルは強い子だなぁ」
ナナルの言葉を聞いてリンツールはどこか寂しそうな笑みを浮かべてナナルを優しく抱きしめ、ナナルもリンツールを抱き返す。抱き合うリンツールとナナルを見たユーキはこれ以上二人に辛い思いをさせてはならないと思いながら拳を強く握った。
それからユーキたちはナナルと共に居間を出て玄関へ向かい、リンツールもナナルを見送るために玄関へと向かう。
外に出るとリンツールの言ったとおり玄関の前には一台の馬車が停車していた。馬車はユーキたちが乗ってきた荷馬車とは比べ物にならないくらい高級感があり、車輪も大きくと丈夫そうな物だ。
御者席には屋敷の使用人である若者が座っており、屋敷から出てきたユーキたちを見ると頭を下げて挨拶をする。ユーキたちも軽く頭を下げて御者に挨拶を返し、一人ずつ荷馬車に乗り込んだ。
馬車の中は六人まで乗れる広さとなっており、前の席にはフィランとロギュンが座り、ユーキとカムネスは後ろの席に座ってフィラン、ロギュンと向かい合う。そして、警護対象のナナルはユーキとカムネスの間の席に座った。
外から凶竜の刺客から狙われる可能性があるため、ナナルを窓がある端の席に座らせることはできない。狙われ難くするためにもナナルには窓から離れた位置に座ってもらうのが一番だった。
ナナルは窓から外を眺めたいと思っていたのか、真ん中の席に座らされて少し残念そうな顔をしている。
「では、頼むぞ」
リンツールが馬車の中にいるユーキたちに声をかけ、ユーキたちは外にいるリンツールや彼と一緒に見送りに来ていたホランズに視線を向ける。
「大丈夫です。必ずナナルちゃんは護って見せます。ご両親のためにも」
ユーキが真剣な表情で語り、リンツールは馬車の中にいるユーキたちを見つめながら頷いた。
リンツールはユーキたちの返事を聞くと御者席に座る使用人の方を向き、目が合った使用人は前を向いて馬に指示を出す。馬は小さく鳴き声を上げながら歩き出し、ユーキたちが乗る馬車は屋敷の正門の方へと向かっていく。
馬車は中庭の中を移動し、正門の前まで来ると停車する。そして、門番である兵士たちが正門を開けると再び馬車は動き出して屋敷の外へと出ていった。
玄関前に立つリンツールとホランズは無言で小さくなる馬車を見送る。警護が付いているとはいえ、やはりナナルのことが心配な二人は少し不安そうな顔をしていた。
「ナナル、必ず帰って来てくれ」
リンツールは馬車が走っていった方を見ながら呟き、隣に立つホランズはリンツールの方を向いた。
「旦那様、屋敷の中へお戻りください。旦那様もまだ凶竜に狙われているのです。できるだけ早く屋敷の中へ……」
「ああ、分かっている」
返事をしたリンツールは振り返って屋敷の中へ入り、ホランズも玄関を見張る兵士たちを見てからリンツールの後に続いて屋敷へと入った。
屋敷に入ったリンツールはゆっくりと振り返り、真剣な表情を浮かべてホランズを見る。ホランズは先程まで不安そうな顔をしていたリンツールが表情を変えたことに驚いて軽く目を見開く。
「明日の演奏会では私兵部隊だけでなく、都市の警備兵たちもできるだけ多く警備に就かせる。警備兵の詰所に指示を出しておけ」
「ハ、ハイ、分かりました」
リンツールの顔を見ながらホランズは力の入った声で返事をする。リンツールとホランズも何もせずユーキたちに全てを任せようとは思っておらず、自分たちにできる方法でナナルを護ろうと思っていた。
「それから、黒の星から凶竜の情報が入ったらすぐに報告しろ」
「ハイ」
指示を出したリンツールはホランズに背を向けて廊下の奥へ歩いて行く。残ったホランズは近くで待機していた数人の使用人たちに声をかけ、演奏会の警備や冒険者たちの件について指示を出す。




