009話:ウィリディス・ツァボライト・その1
私はアンドラダイト殿下がお休みになられたのを確認してから、夜の王城を歩いていた。昼夜問わず、この城では人がせわしなく動いている。そうした人の流れから外れて、いつもの場所へと向かった。
第二夫人の寝室。私は普段、侍女たちに割り振られた部屋で過ごしているので使われていない部屋だけど、月に2回だけこの部屋を訪れる。
ノックをして、「ウィリディスです」と声をかけて、周囲に誰もいないことを確認してから部屋に入る。
「お久しぶりです、陛下」
そこにいるのはこの国の王である国王陛下。一応、私は第二夫人ということになっているけど、それは名ばかりで陛下と直接謁見するのもこうした月2回の定期的な謁見でのみということになっている。別段、その扱いに不平や不満はない。
「久しいな。どうだね、アンディの様子は」
陛下も暇がない身であらせられるのでほとんど無駄な歓談などはなく、淡々と話を進めることになる。いつものこと。基本的には殿下のご様子について聞かれることが多い。
「最近の殿下はご友人ができたことを大層喜んでおられました」
殿下はベゴニア・ロックハート様と気が合うようで、互いの性格は違うものの中がよろしく、いつもよりも気楽に接せているようでした。
「ああ、ロックハート家の長子、ベゴニア・ロックハートか。彼も優秀だとロックハート家の当主が言っていたよ」
そういう陛下ですが、実際のところロックハート家のご当主はそんな直接的な言い回しはしておらず、もっと遠回しだったのではないかと思う。
「だが、それよりも優秀だというカメリア・ロックハート嬢。彼女とアンディの仲はどうなのだね」
ついにそこに対する言及が来てしまった。正直、私としては、カメリア様、もといカメリアさんに対してどうするべきなのか、非常に悩ましかった。
私の素性を知っていることを陛下にいうべきなのかどうかという惑い。言えば、確実にカメリアさんは口頭での取り調べか監視がつくことは間違いない。でも、それが果たして正しいのか。
彼女は「時が来たら説明します」と言っていた。それに目的のために私とこの宝石が必要だと言っていたし、それを考えれば、誰かに大っぴらに明かすこともないはず。それに、私に明かさない方が宝石は奪いやすかったはずだから、この宝石を使わないというのも事実だと思う。
このことを陛下に伝えるチャンスはいくらでもあるはずだし、それを考えれば様子を見てもいいのかもしれない。
「御二方の仲は……。互いに良い関係だと思います。ただ、そこに恋愛感情のようなものがあるかと問われると答えがたいですが……」
殿下もカメリアさんも8歳。色恋沙汰に目覚めていてもおかしくはない年齢であっても、それが生涯を添い遂げるようなものであるとは限らない。
「子供だから仕方あるまい。互いの婚約に関してどういう意味があるのか、そのあたりについては理解していそうだったか?」
殿下は「国のため」と言っていたし、恐らく理解しておられる。カメリアさんもあれだけ頭が回って、自分たちの立場というものが分かっていないはずもない。
「そのあたりは問題ないかと思います。殿下はもちろんのことながら、カメリア様は殿下と同じか、あるいはそれ以上にその意味をとらえていると思います」
ただ、……ただ1つ気がかりなのは彼女の言っていた「わたくしと殿下はおそらく結婚しませんので」という言葉。このままいくのであれば、どう考えても、殿下、カメリアさんどちらからしても婚約を破棄するメリットはないはず。
それはつまり、カメリアさんの目的に「殿下との婚約破棄」が含まれている可能性がある。でも、そうなら端から婚約しなければよかったはず。殿下と初めて会った日に、彼女は「家のためでもあり、自分の目的のため」という趣旨の発言をしていた。「殿下と婚約して恩恵を受け、それが終わったら婚約を破棄する」という部分まで含めて目的なのだとしても、自ら婚約破棄を申し出れば家の名誉に傷はつく。「家のため」という部分と矛盾が生じてしまう。
そうなると両者合意のもとで婚約破棄できる状況か、あるいは殿下の側から婚約破棄を申し出るような状況になって初めて彼女の言い分が通る。
でも、そんな状況が想像もつかない。三属性の彼女を上回る四属性や五属性のような存在が現れない限りは殿下が婚約を解消なされることはないし、そのような夢物語でも語られるようなことがない特異な存在が都合よく現れるはずもない。
例え特異な性質を持った人が現れて、殿下の心がそちらに傾いたところで、カメリアさんを第一夫人、その人物を第二夫人に置けばいいだけの話。陛下が第二夫人をめとられないことに不満を抱いていた殿下ならば、その理解がないということもないはず。
「カメリア・ロックハート嬢か。一度会ってみたいものだが中々に機会が巡ってこない。しかし、才あるものとして城内で有名になっているのは間違いない」
その話は私も聞いていた。カメリアさんの家庭教師は、魔法も錬金術も礼儀作法も、どの分野の家庭教師手もカメリアさんのことを非常に優秀だと評価している。特に錬金術の家庭教師はカメリアさんを将来の錬金術分野には欠かせない逸材と評している。三属性使えることから、魔法分野と錬金術分野で取り合いになるかもしれない。
まあ、この国なら魔法分野に軍配が上がるだろうけれど。
「そうですね。会えば分かる他の人とは異なる雰囲気を持った方です。才あるものという評価も話してみれば分かるやもしれません」
少なくとも私は彼女と話して、理的で知的な印象を受けた。殿下との会話も8歳同士がするようなものではないし、才があるのは間違いない。
「才ある若者といえば、ファルの……スパーダ公爵の子息も騎士としての才はとても高いようだし、若い世代に才あるものが育つのは嬉しいことだな」
スパーダ公爵の子息といえば、クレイモア・スパーダ様のことだろう。殿下も何度かお会いになられていたが、彼も彼でカメリアさんとは違う年相応ではない様子。スパーダ家が騎士であったのは相当昔だと聞いている。それでも、スパーダ家は代々、騎士としての伝統と騎士道を重んじ生きてきたらしい。
そのためクレイモア様も真面目な騎士として育てられているようで、真面目で、あくまで殿下に尽くすようにしている態度は公爵家の子息には見えない。殿下がもっと気楽でいいといっても、あくまで態度は変えないようだ。そうした意味では、同年代で気軽に話ができるベゴニア様と友人関係になれたのは殿下にとっては本当にいい機会だったのかもしれない。
「トリーの子息は阿呆だと自虐的ではあるもののトリーと比べるのがおかしな話であるし、ユークはプライベートな話はあまりしないからな」
公爵家と言えど、カメリアさんのように三属性を使える逸材などでもない限りは、あまりその優秀さを吹聴しない。なぜなら「力の誇示」にも見えるし、そもそも爵位が高いほど子供たちにより良い環境を与えられるのだから優秀で当たり前だから。
「魔法のような、特に比較しやすいものでもない限り、貴族の方々はそういったことをおっしゃりませんから」
私の言葉に陛下は「うむ」とうなずいた。それから何か思い出したことがあったのか、「ああ」と言葉をつなげた。
「そういえば辺境のブレイン男爵のところで二属性の娘が生まれたという話もあったな。もっとも、本人はあまり大きな声では言っていないようだが」
ブレイン男爵……、申し訳ないが聞いたことがない名前だった。辺境というからには王都からかなり遠いところに領地を持っているのだろう。しかし、なぜ二属性の娘が生まれたことを声高に言わないのだろうか。
「なぜでしょう。喧伝してもおかしくありませよね」
陛下に質問をするのもどうかと思ったけれど、このくらいはあくまで会話の範疇だと自分を納得させた。
「カメリア嬢だよ。彼女の存在が大きな声で言えなくなった原因だ」
なるほど。それで理解ができた。これが娘ではなく息子だったのならば状況も変わったのだろう。
「そういうことでしたか。確かにカメリア様が三属性ではなかったのなら、そのご息女が殿下の婚約者に選ばれていたかもしれませんからね」
カメリアさんが三属性であると公表された後に、二属性だと声高に回ってもあまりいい目では見られないだろう。特に男爵ということは騎士爵を除けば一番低い爵位。殿下との婚約での王族入りで地位が一気に上がる未来が透けて見えるだけに、男爵がどう思っているかに関わらず、殿下とカメリアさんが上手くいかなかったときの代役や第二夫人の座を狙っているように見えてしまうから声高に言えなくなってしまったのだと思う。
「ブレイン男爵本人はあまり野心を持たないのだが、その奥方が野心家でな、奥方をなだめるのに苦労していることだろう」
野心を持つこと自体は否定されるものではない。けれど、時と場合による。少なくとも公爵家と競うことになってしまうのなら、その野心は鎮めた方がいいと私は思う。
「実際、どうなるのでしょう。その件のご息女は殿下やカメリア様たちと同い年、魔法学園ではご学友になられるはず。場合によってはあまりよろしくないことになるかと……」
「魔法学園に入るまでは、まだ8年もある。その頃にはさすがに落ち着いているだろう。まあ、それでも何かあったときは、我が子の器量しだいと言ったところだろう」
8年。その間にどれだけの変化が起こるのかは全く想像がつかない。殿下とカメリアさんの関係性も今とは変わっているのだろうか。
「さて、次の話題だが……」
そうして、私は陛下と数時間話して、陛下が部屋を出て行かれる姿を見送った。結局、カメリアさんが私とツァボライトの国宝について知っていたことは、陛下に伝えることなく終わってしまった。しばらく様子を見る、そう判断した私の考えが正しいのか間違いなのかは分からない。けれど、これが正しい選択だったと信じておこうと思う。