006話:カメリア・ロックハート08歳・その1
前世の記憶を思い出してから1年近く時間が過ぎていた。その間も、家庭教師から様々なことを学び、それぞれの分野での基礎を習得していった。でも、そうして、1年が経つ頃に想定通りとはいえ、1つの問題が浮上する。
王子との婚約の話。まだお父様が直接わたしに持ってきたわけではないから確定はしていないのだと思うけれど、それでもそのような噂はわたしの耳に入ってきていた。
この国の王子、ディアマンデ家の跡取りだ。通常、王族というのは、子供を作ることも仕事と言われるように、国家維持のために複数人の子供がいることが多いらしい。でも、「たちとぶ」の時代においてはディアマンデの子息は1人だけ。
アンドラダイト・ディアマンデ。通称はアンディ。もっとも、作中で彼をアンディと呼んでいたのはルートに入った主人公を除けば、お兄様くらいだったはず。
この王子、性格が面倒くさいことこの上ないのだ。特に、わたしはこの王子のことを「たちとぶ」のキャラクターとして見てもそこまで好きではなかった。
作品の顔役である王子は、当然顔もいい。そして、「オレ様系王子様」という、まあ、テンプレートのようなキャラクターだった。「オレ様系」、乙女ゲームのヒーローには起用されやすくて、そして分かりやすいキャラクター。美少女ゲームにおける一時期のメインヒロインは「ツンデレ」に通ずるものがあるとわたしは思っている。
ビジュアルファンブックによると、王族でありながら兄妹や姉妹がいないことで過保護に扱われて、甘やかされて育ったためにワガママな性格になったらしい。わたしはこの身勝手さが好きになれないところだったけど、「振り回されるのがいい」という層は一定数いるらしくて、メインヒーローだけあって「たちとぶ」の中でもアンドラダイトというキャラクターの人気はすごくあった。
問題は、わたしがこれから、この面倒くさい「オレ様系王子様」であるところのアンドラダイト・ディアマンデの好感度上げをしなくてはならないということ。特に、彼のルートでは、わたしが処刑されているから好感度を上げないといけない。
彼の好感度を上げるにあたって必要なのは、趣味嗜好。中でも使えそうなのは「天体観測」だと思う。まあ、天体観測と言っても、本当に「星を見るだけ」なんだけどね。王子のルート中でも、夜空を見上げるイベントは2回ほどある。特に2回目の主人公がさらわれた事件を解決した後に、夜空を見上げながら星を見上げるシーンはイベントスチルも相まって、かなり評価が高いシーン。
じゃあ、なんで星が好きになったのかって言うのもビジュアルファンブックにはきちんと書いてある。他に兄弟姉妹のいない環境から過保護に育てられた王子は城から出ることを許されなくて、焦がれて外を見るうちに、夜空、星に興味を持つようになったらしい。それが4歳頃からのはずだから、8歳になった今なら、もうすでに星に興味を持っているとは思う。
ただし、ここで1つ重要なのは、わたしは彼を攻略するわけじゃないということ。あくまで、好感度を上昇させていくだけ。なぜなら、彼を攻略するのは主人公の役目だから。わたしが目指すのはあくまで「友人エンド」くらいの関係性。まあ、「たちとぶ」の仕様上、そんなエンディングはないけども。
さて、でも、関係性を築くというのがまた難しい。攻め手としての手札として「天体観測」やプロフィールなどの情報、そして、主人公とどう親密になっていったのかを知っているというのは間違いなく強み。
でも、それをそのまま使うことはできない。なぜなら、主人公は農民の出で学がないけど、カメリアは公爵令嬢、学があってしかるべき存在。
星のイベント1つ取ってみても、主人公が王子に星のことを知らないから教えてくれというのはある意味当たり前のことで、それで好感度が下がるようなことはない。でも、カメリアがそれをすると、「貴族なのに学がない」とか「所詮、魔法だけか」とかそのような印象を抱かれる可能性がある。
けど、星について王子に教える側になると、あの面倒くさい性格から考えれば、確実に印象が悪いだろう。ここで必要なのは、「わたしの方が知っているぞ」というマウントを取ることじゃない。
ここで王子にすべきことなのは「友」であること。外に出ることができず、あまり外部に触れてこなかった王子に、友人と言える友人は、入学前ではお兄様くらいのはず。そこにわたしが並べばいい。
星について語り合い、外に出られない彼のことを慰め、時に外のことを話し、時に共感をする。関係は深めても、あくまで「気さくな友人」というラインを保って、それ以上には絶対にならないように心がける。
これは生き延びるための戦いなのだ……。
「お前が三属性を使えるというカメリア・ロックハートか」
「はい、お初にお目にかかります。ロックハート公爵家次子、カメリア・ロックハートにございます」
うやうやしく頭を下げる。家のことを考えれば無礼は許されない。例え、婚約者になるのだとしても、ね。
「ふん、お前のことは気に食わないが、これも国のためだ。そう、オレはあくまで国のためにお前を選んだことを忘れるなよ」
あらら、何もみんなの前で言うことないじゃない。まあ、王子の年齢を考えれば仕方ないと思う。8歳、そんな幼い年で恋愛がどうとかそんなことも分からない。けど、家のために、国のためにとご両親に言われたのだろう。
そもそも、ほとんど城から……、部屋から出ることができなかった王子は、対人経験も少ない。周りにいたのは家庭教師とか使用人とか、身分が完全に違う人ばかり。多分、同年代の女子に会うのもわたし、もといカメリアが初めてなのだと思う。
「国のため、それはすなわち国民のため。わたくしもその国民の1人ですから殿下がわたくしを選んだのは、ある意味ではわたくしのためでもあるということですね」
ものすごく無茶苦茶な解釈であるし、屁理屈屋に見えるだろう。それに対して、王子はむすっとした顔になった。素直だ。それに、やっぱり顔はいい。「たちとぶ」のメインヒーローだけはある。青みがかった銀髪も、黄金の瞳も、整った顔立ちも、まさにあの「アンドラダイト・ディアマンデ」の要素がある。成長したらああなるんだろうというのがありありと妄想できてしまう。
「理屈をこねるやつは好かない」
「奇遇ですね、わたくしも理屈をこねるような方はあまり好きではありません」
どの口で言っているんだと思われるかもしれないけど、わたし自身、そういった理屈っぽいのはそんなに好きではない。もちろん、感情だけで動かない、論理的な思考を持っている人は嫌いじゃないけど、そういうのとも違う、理屈屋は嫌いだ。
「……面白くないやつだ」
ぼそりとつぶやいたその言葉。まあ、面白くないやつだと思われても仕方がない。けれど、今は公の場だから勘弁してほしい。下手に動くと家の問題になりかねないから、こんな理屈っぽいことを言っているのだし。
そもそも王子の安全が最優先だからと王城に連れてこられたわたしは完全にアウェーな状態。ここで下手に王子に全面的に屈するようでは、家の威信にかかわる。もちろん、公爵家と王家では王家の方が当然序列は上だ。でも、だからといって、絶対的に服従しているわけじゃない。王家に間違いがあったときに正す役目もある。ここでわたしが全面的に屈すると、その形が崩れてしまう。だから少なくとも人前では王子を尊重しながら、王子に屈さないという訳の分からない状況を強いられている。
「人前でウィットに富んだジョークを言えるほど面白い教育は受けておりませんので」
ここで何となく「人前」だからこんなことしか言えないんだよ、ということを匂わせることを言ってみるけど、まあ、それを汲んで人払いをしてくれることは期待できない。まあ、8歳だし、それに、周りも警護のためにいるから、わたしを信用できて、かつ、わたしたちに警護がいらない状況になるまでは2人きりになることは難しいんじゃないかな。
「そういう返しが全くもって面白くない」
わたしもできる事なら面白い返しをしてあげたいところなんだけど、それを期待するなら場を整えてほしいなあ、なんて8歳相手に大人げないことを思った。
「警護は部屋の外に出ろ。侍女もウィリーだけでよい」
しかし、王子は割とその辺を察することができるようで、王家の教育も中々行き届いているものだと感心した。でも、よりによって彼女が残されるとは思っていなかった。いや、「たちとぶ」の展開を考えれば当然なのかもしれない。
わたしは、この場に残された侍女、「ウィリー」と王子が呼んだ女性のことも知っている。というより、明らかに他のモブのような侍女たちからは浮いているから気づかないはずもない。
「し、しかし……」
警護がごねるが、王子が「くどい!」と一蹴してしまった。警護たちはしぶしぶ部屋の外へ出て行ったが、部屋で何かあったら駆け付けられるように部屋の外で待機しているのだろう。
「これで面白いことも言えるか、カメリア・ロックハート」
一々フルネームで呼ぶのが妙におかしくて、笑えては来るものの、さて、何を話すべきか、と部屋を見回した。
「殿下はいつもこの部屋で過ごしていらっしゃるのですよね」
警護と侍女がいなくなったことで、その広さがより分かる。わたしの部屋も前世に比べれば相当に広いけど、この部屋はさらに広い。ベッド、本棚、机、それから、火の神であるメラク様の像。王子は火属性だったので、いつでも信仰を捧げられるように、部屋に像も置いてあるのだと思う。ただ、これとは別に、全ての像が置いてある教会も城の中にはあるので、時々はそちらにも祈りに行っているはず。
「ああ、そうだ。オレの部屋だからな」
「いえ、そういう意味ではないのですが……」
文字通り「いつも」この部屋で過ごしているんだと思う。呼べば人は来るし、頼めば物は運ばれてくるんだろうけど、それでも、ここでずっと過ごすという意味では、この広い部屋さえ、彼にとっては狭いのかもしれない。