27:メイドの手作りクッキー、再び
その後も幾度か東雲の妨害があったものの、無事に昼食をとることができた。
これもすべては珊瑚のおかげである。詳しく言うのであれば、やたら抱き付いて友情の名のもとに邪魔をしてくる東雲に対して、ついに堪忍袋の緒が切れた珊瑚が放った、
「いい加減にしてくれないと困ります。クラスメイトの東雲さん」
という一撃のおかげである。
その冷ややかさと言ったら、俺達にまで無言の圧力がひしひしと伝わってきた程だ。
さすがの東雲もその一言で友情にヒビが入りかけているのを察したのか、珊瑚の言葉を聞くや甲高い悲鳴をあげて慌てて他所のテーブルへと走っていった。
そうして平穏に食事を終え、今は月見と西園が再びデザートを選ぶためメニューを覗き込んでいる。
出された食事は男の俺でも満足できる量だったというのに、平然と、それどころか瞳を輝かせながらデザートを選ぶのは『甘いものは別腹』というやつだろう。
「ねぇ月見ちゃんどれにする? 決まった?」
「んー、全然決まらないよぉ。チーズケーキも良いけど、パンケーキも美味しそうだったし……。でも和菓子も食べたい……」
どれにしよう、とあれこれ挙げながら迷う月見と西園の姿は微笑ましくて可愛らしい。
そのうえ二人とも見目の良さは抜群なのだから、店に居る殆どの男は熱い視線を向け、女は羨望の眼差しを送っている。もっとも二人はそれに一切気付かず、いまだメニューに釘付けだ。
宗佐の鈍感さは言わずもがなだが、月見も自分がモテている事に気付かないほどの鈍感。そして西園に至っては、女子に人気があるのは自覚しているものの男からの人気には気付いていないという、なんとも不思議な鈍感さを見せている。
似たり寄ったりだな、と心の中で考えていると、宗佐が肘で突っついてきた。
「健吾、お前なんにするか決めたか?」
「俺? 俺はコーヒーだけで良いや。宗佐は何か頼むのか?」
「正直に言えば俺も飲み物だけでいいんだけど、珊瑚が色々とすすめてくれたからなぁ……」
どうやら宗佐にも別腹機能はついていないようだが、兄として妹の期待には応えたいらしい。相変わらずシスコンだ。
「どれが一番軽くて甘さ控えめか……」と真剣にメニューに見入る姿に関心さえしてしまう。
そんなやりとりに埒が明かないと考えたのか、西園が「珊瑚ちゃんに聞こう」と提案した。
卓上に置かれた小さなベルをカランと鳴らせば、別テーブルを片付けていた珊瑚が音に気付いてこちらに来る。
「デザート、決まりましたか?」
「あのね、どれにしようか迷ってるんだけど、おススメあるかな?」
メニュー表をテーブルに広げて月見が尋ねる。
つられて覗けば確かにデザートの種類は豊富で、焼き菓子やケーキ、それに和菓子まで揃っている。これは迷うなと言う方が無理な話、とりわけ甘いものが好きならば尚更だ。
それが分かっているのか珊瑚は自信たっぷりに「任せてください」と言い切り、メニューに視線を落とした。
「おススメは、この……ガ、ガトー? ガトーショコラ? です」
「そうか、洋食音痴は洋菓子音痴でもあるのか」
「あと、この……フロランタンっていうのも、クッキーの進化系みたいで美味しかったです」
「なぜそれで得意げに『任せてください』なんて言えたんだ」
「和菓子のおススメは何と言っても羊羹です。駅前にある和菓子屋の人気商品である羊羹を直接買い付けました。まったりとした濃い目の甘さが後を引き、セットの抹茶のほろ苦さと合わさって絶品です!」
「突然饒舌になったな!」
突如生き生きとした様子で和菓子をゴリ押ししてくる珊瑚に、月見と西園が目を丸くする。
一方、宗佐だけはのんびりと「相変わらずだなぁ」と笑っているあたり、珊瑚の和菓子贔屓は今に始まったことではないのだろう。これもまた祖母と暮らしている影響なのか。
女子高校生としてその知識の偏り具合はどうなのかと思えるが、まぁ本人がそれで良いのなら気にするまい。月見はすっかりと珊瑚の力説に心を奪われ「和菓子にしようかなぁ」とウットリとしているし。
「宗にぃと健吾先輩はどうしますか?」
「俺はマフィンにしようかな。それと紅茶で」
「俺はコーヒーだけで良いや」
注文を告げると、どうやら月見と西園も決まったのか俺達に続く。
珊瑚はそれらを聞きながら手早く伝票に記入すると、「かしこまりました、ご主人様」と頭を下げ厨房へと向かっていった。
知識の偏り具合には若干の不安が残るものの、接客の様子を見るに出来たメイドではないか。
愛想も良いし、咄嗟の対応にもメイドらしさを演出できる。混雑する店内をちょこちょこと器用に動き回って給仕に勤めているし、なによりメイド服が似合っている。
黒を基調としたワンピースに白いエプロン。細かなレースをあしらわれたその出で立ちはまさにメイドで、普段の制服とはまた違った可愛らしさを感じさせる。
これぞメイド、まさにメイド。
少なくとも……。
「……珊瑚ちゃんは実稲の一番なんですから、横取りしたら承知しませんよ」
と、横を通るたびに威嚇してくるこのメイドよりかは比べるまでもなくメイドらしい。
誰かなど言うまでもない、東雲である。
「おいなんだよ、文句があるならはっきり言えよ」
「はっきり言ったら実稲が珊瑚ちゃんに怒られるでしょう!」
「おうそうだな、怒られろ」
視線も合わさず東雲をあしらえば、彼女はそれが不満だったのだろう頬を膨らませた。
分かりやすいその表情は子供らしくもあるが彼女の幼い外見に似合っており、確かに同年代にはない魅力がある。……その背後で燃え上がる嫉妬の炎さえ見えなければ可愛いの一言に尽きるだろうに。
「というか、なんで俺だけを敵視するんだよ……」
珊瑚曰く、東雲は友情を拗らせており、独占欲ゆえに嫉妬する対象は性別問わずだという。
珊瑚が仲良くしていれば女友達であっても嫉妬し、自分が一番の友達だと主張しだす始末。
となれば、月見や西園に対しても嫉妬し敵視したって良いのではなかろうか。
なのにどうして俺だけ……と呆れを込めて溜息を吐けば、東雲が鋭く睨みつけてきた。
「珊瑚ちゃんがいつも敷島先輩の話をしてるんです。だから実稲にとって敷島先輩が最大のライバルなんです!」
「……お、俺の話?」
「そうですよ! 良いですか、珊瑚ちゃんの一番の友達は実稲! だから芝浦宗佐先輩と結婚するのは実稲なんです! 敷島先輩じゃありません!」
「あいつやっぱり俺の話を……。って、俺は宗佐なんかと結婚しねぇよ!」
なにをさらっと恐ろしいことを……と指摘してやるも、東雲は俺の話なんか聞く気はないと言いたげに「敷島先輩はライバルですから!」と言い捨てて厨房へと向かってしまった。
残されたのは呆然と東雲を見送る月見と西園、「随分と強気な子だなぁ」といまだ暢気な宗佐。
そして、
「ライバルって……」
と、なんと言って良いのか分からずにいる俺。
今までであれば、俺を巻き込むなと拒否の姿勢を示しただろう。
もしくは馬鹿な事をと肩を竦めるか。
だが珊瑚への気持ちを自覚しつつある今、珊瑚を独占しようとする東雲からの「ライバル」という発言を聞き流すことは出来ない。
ライバルだと思われる程には仲良く見えているのだろうか。
そんな事すら考えてしまう。
……のだが、はたと気付いて顔を上げれば、西園が妙に暖かな視線を俺に向けてきていた。
何か言いたげな表情である。だがもちろん言及など出来るわけがなく、とりあえず東雲のライバル発言については後回しにしようと咳払いをして無理やりに場をリセットさせた。
「えーっと……その、なんだ。そういや、あと少しで上演時間だな」
「そうだね。デザートを食べたら、そのまま体育館に行こうか」
随分と無理矢理に話題を変えると、俺の心情を知ってか知らずか西園が続いてくれた。
時計を見れば確かに良い頃合いである。デザートを食べ終えて体育館に行き、衣装に着替えて最終確認をすればあっという間に幕が上がる時間だ。
「そろそろだって考えると、なんか緊張してきたね……」
「大丈夫だよ月見さん、朝の練習では完璧だったじゃん!」
「そ、そうかな。芝浦君も完璧だったよ。本当に王子様みたいで、……凄くすて」
「はい、おまたせしましたー!!」
ポッと頬を染めた月見が宗佐に何かを言いかけた瞬間、珊瑚が勢いよく割って入ってきた。
なんとも絶妙なタイミングだが、本人が小声で「ふぅ、まったく油断できない」と呟いているあたり故意なのは明らかだ。
いくら月見と宗佐が互いに想いあっていることを知っているとはいえ、さすがに自分の部活が経営している喫茶店で告白まがいは見過ごせないらしい。
ちなみに、当の月見はと言えば珊瑚に邪魔されたことにより僅かに目を丸くしたものの、こういった展開は慣れたものだと苦笑を浮かべている。西園に至っては安堵の溜息をついているほどだ。
なんというか、目の前でこうも複雑なやりとりを繰り広げられると目のやり場に困る。
だからこそ、俺はどうしたものかと溜息を吐いて目の前に置かれたコーヒーに手を伸ばし……ふと、ソーサーの上にクッキーが二枚乗っていることに気付いた。
いわゆるアイシングクッキーというものだ。一枚は少し歪な花が描かれ、もう一枚はハートマークが描かれている。
だがメニューに乗っていたコーヒーの写真にはクッキーなんか無かったはずで、どういうことかと顔を上げれば珊瑚と視線が合った。
「実稲ちゃんが迷惑かけちゃったお詫びです」
「そうか、逆に気を遣わせて悪いな。……あれ、でもメニューにクッキーってあったか?」
「売り物じゃなくて、私が焼いたんです。今回はアイシングにも挑戦してみました!」
得意げに珊瑚が誇る。
それに対して俺はグッと一瞬言葉を詰まらせ……、だいぶ上擦った声で「そうか」とだけ返した。
またも不意打ちの手作りクッキーである。しかもハートマークのアイシングクッキーときた。
もちろん俺宛に描いたわけではないと分かっているし、むしろ俺が食べると決まる前にハートマークを描いていたはず。
つまりそこに他意は一切無く、あるのは詫びの気持ちだけ。そして俺がクッキーから詫び以外のものを見出すとも思っていないのだろう。
現に珊瑚は、花柄や猫の柄はバランスが難しく、ハートマークが一番描きやすかったと平然と語っている。きっと見栄えが良いのを選んだ結果ハートマークになっただけ。
メイド喫茶の名物メニューにハートマークを描いたオムライスがあったが、あれと同じレベルなのだろう。
だがそうと分かっていても動揺してしまうのだから、俺も単純で分かりやすい男だ。
あぁ、西園が楽しそうな笑みを浮かべて俺を見ている……。
それと衝立の奥から東雲が物凄い形相で俺を睨んでくる……。
そんな視線を受けつつ、俺は露骨な動揺をそれでも必死に隠し、クッキーを一枚食べると「うまい」と返した。
その声も上擦っているのは言うまでもない。
◆◆◆
そうしてデザートを食べ終え、店を後にする。
「いってらっしゃいませ、ご主人様!」
というメイドらしい珊瑚の見送りと、
「一名ほど二度とご帰宅なさらないでくださいませ、ご主人様!」
珊瑚の傍らに立つ東雲のメイドらしさの微塵も無い見送りを受けて調理室を後にし、舞台である体育館へと向かう。
――途中、背後からけたたましいサイレンの音が鳴り響いたような気もしたが……まぁ気にしないでおこう。今頃、黒板に新たな星が加わっているはずだ――




