08:おまけのお姫様
俺達に揶揄われたことが不服なのか、珊瑚が不機嫌そうな表情でタッパーを紙袋にしまい込む。むすと閉じた口と膨れっ面が分かりやすすぎて思わず苦笑を漏らせば、「いい加減にしてください」と言いたげに睨みつけられた。
その眼光の鋭さたるや。これ以上揶揄うのはやめておこうと思わず両手を上げて降参の姿勢を示してしまうほどだ。もっとも、この仕草も揶揄われたと思ったのか珊瑚は小さく唸っているのだが。
「そういえば、そのハヤシライス、文化祭のメニューって言ってたよな?」
「そうです。カレーじゃなくてハヤシライスがメニューです。カレーじゃなくて残念でしたね!」
「悪かったよ拗ねるなって。それより、一年は飲食店禁止だったはずだろ」
そう疑問を口にすれば、月見と西園も気付いたのか「そうだった」と言いたげに揃えて珊瑚へと視線をやった。
蒼坂高校の文化祭は自由性が高く、よっぽどの問題が起こらない限り教師が口を出してくることは無い。
これは生徒の自主性を伸ばすという学校の方針に基づいており、そのせいか各出し物はそれぞれの特色を反映し種類も豊富だ。
そんな自主性重視もあってか開催中はまさにお祭り騒ぎで、ゆえに文化祭期間中の内部の盛り上がりはもちろん、噂を聞きつけた外部からの来客も多い。
だがそれでも幾つかの制約はあり、その一つが『一年生の飲食販売は禁止』というものだ。
理由は幾つかあるらしいが、大きな点をあげるなら入学したての一年生に飲食を扱わせる不安があるからだろう。
衛生管理に加え、メニューによっては火を扱うことになる。二年生・三年生でさえ難しいのにそれが初めての文化祭で勝手が分からない一年生となれば、さすがに自主性どうのとは言っていられない。
それに一年生という立場上、どうしても上級生と接する部活や委員会に比率を置きがちである。先輩を相手に『今日はクラスの方に行きます』と断るのは難しく、結果クラスの出し物にかけられる時間が減ってしまう。
ゆえに一年生は、市販品を並べた小規模な出店や展示会――もしくは展示会という名の休憩スペース――になることが多い。
思い返せば、俺達のクラスも去年の出し物は展示会だった。クラスの半分以上が部活や委員会で時間が割けないからと、手軽な手段に逃げたのだ。
班ごとに分かれて蒼坂高校と周辺地域の歴史を調べ、それを模造紙にまとめて教室に展示という、今思い出してもまったくもってつまらない内容である。
俺の班が何を調べたかについてはまったく覚えていないし、見に来る客も少なかったので当番の最中に寝ていた記憶しかない。
だというのに、どうして一年生の珊瑚が料理の試食を頼みに来ているのか……。
それを聞けば、彼女は当然と言いたげに、
「ベルマー部だからです!」
と答えた。
……また出た。
相変わらず、ドヤ!と自信満面で言い切る珊瑚に、俺もまた相変わらずな溜息で返す。
だが今回はさすがに言わんとしていることは分からなくもない。ベルマー部ことベルマーク部は文化祭で飲食店を開き、このハヤシライスはそれのメニューなのだろう。
なるほど、と頷いて返す。
「今回ばかりは雑用じゃないんだな」
「健吾先輩はどうしてベルマー部を雑用扱いしますか!」
「で、でも、とっても美味しいよ。本格的に洋食を作るなんて凄いね」
自分たちの活動を雑用扱いされて怒る珊瑚に、慌てたように月見がフォローを入れた。
確かに彼女の言う通り、試食したハヤシライスは美味しかった。見れば西園も美味しかったと褒め、宗佐に至っては『試食』の言葉の意味が分からないのか未だに食べ続けている。これは放っておけば完食するだろう。
月見と西園から褒められ、珊瑚が得意げに胸を張る。それどころか「当然です!」と言い切った。
「だって調理部の人達が作ったんですから!」
……。
…………。
シンと静まった中で、月見と西園が俺に視線を向けてくる。その表情が「どういうこと?」と訴えているが、なんで俺を見るのだろう。俺にだってさっぱりだ。
チラと横目で宗佐を見れば、そんな俺達にも気付かずまだ食べ続けていた。その態度を見るに宗佐は事情を知っているのだろう。
「つまり、そのハヤシライスは調理部が文化祭で出すメニューなんだな?」
「そうです!」
「で、どうしてそれをベルマーク部のお前が持ってるんだ?」
「ベルマー部だか」
「それは無しで!」
いつも通りの台詞を言い切る前に制してやれば、珊瑚が驚いたように目を丸くした。
定番の台詞を言えず調子が狂ったのか、そうして数度パチパチと瞬きをしたのち、
「ベルマー部と調理部が手を組んだんです」
と告げてきた。
「驚くほど簡単に説明できたな。なるほど納得した」
二十字足らずで説明できるなら、最初から横着しないで説明してくれよ……と思いつつ、珊瑚の説明を聞く。
曰く、ベルマーク部に調理部から提携の依頼が入ったのだという。その組み合わせこそ異色ではあるが―――というかベルマーク部そものもが異色なのだが――、部活同士の提携自体は珍しい話ではない。
「調理部と合同なら本格的な飲食店になりそうだね。珊瑚ちゃんが居るなら食べに行くよ」
「本当ですか? 麗先輩が来てくれるなら、私がメニューとります!」
「私も行っていいかな? そ、それで、芝浦君、もし時間が合えば一緒に……」
頬を赤くさせ、月見が横目で宗佐に視線を送る。
これは遠回しながら文化祭を一緒に回ろうというお誘いなのだろう。それを察した珊瑚と西園が息をのむのが分かった。俺も思わず宗佐の返事を待つように視線を向ける。
そんな俺達の視線を受け、宗佐はと言えば……、
「え、あれ? 何の話してるの?」
と、スプーンを咥えながら間抜けな顔をして聞き返してきた。
見ればタッパーが空になっている。今の今まで話もろくに聞かずに食べ続けていたのだろう。
そりゃ確かに、事情を知っている宗佐にとっては聞き流していい会話だったのかもしれないが……それでもなぁ……。
「べ、別になんでもないの……。みんなで珊瑚ちゃんのお店に行こうね……」
見事に玉砕した月見が、明らかに気落ちし項垂れながらも平和的な提案をする。
珊瑚と西園は胸中複雑なようで、月見への同情と安堵が半々といったところか。
対して俺はと言えば、相変わらずな宗佐に呆れ果てていた。毎度おなじみ鈍感かつ空気をぶち壊す言動である。今に始まったことではないが。
そんなやりとりの中、不穏な空気を漂わせる集団が宗佐の背後に忍び寄った。
ゆらりと漂う影、聞こえてくる呪詛の声。今更言うまでもないだろう。
「月見さんの健気な勇気を無下にするとは……! 芝浦を討ち取れ!」
「王家への反乱だ! 今こそ王子の息の根を止め、囚われの姫君を我らの手に!」
「立ち上がれ市民達! 月桂樹の葉を胸に今こそ王子を討つのだ!」
と、勢いよく宗佐を担ぎ上げ、止める間もなく――止める気も無かったが――攫って行った。
言わずもがな月見を慕う男達である。その憎悪の色濃さは相変わらず。宗佐が王子の仮衣装を着ているからか恨み節も律儀に合わせており、まるで歴史的な反乱を目にしているかのようだ。
そうして宗佐が攫われてしばらく、はたと我に返った月見と西園が慌てて男達を追いかけていった。
宗佐を助けに行ったのだろう。更に火に油を注ぐ事になりそうだが……。
そうして残されたのは、宗佐を助ける気のない俺と、やれやれと言いたげに肩を竦める珊瑚。
「芝浦王家の衰退を目の当たりにしたな」
「まだ芝浦王家には私がいますよ。宗にぃが王子なら、私はお姫様ですからね」
「ほぉ、お前が王位につくのか?」
「政略結婚して相手をメロメロにして地位を奪ってウハウハです!」
胸を張って断言する珊瑚に思わず溜息が漏れた。
頑張れよ、と適当に返せば、むすと不満そうに俺を睨みつけてくる。
「……健吾先輩、宗にぃが立派な王子になれるかは私の協力に掛かってるのをお忘れですか」
「そ、そうだった。悪かったって、拗ねないでくれ。大丈夫だ、お前なら政略結婚で相手を落として地位を強奪出来る!」
「それを断言されるのも複雑なんですが……。まぁ良いですよ、どうせ私は王子のおまけのお姫様ですから」
あっさりと珊瑚が言い切る。『おまけのお姫様』とは、どういう事だろうか。
単純に考えれば、宗佐が王子役を演じることになったから、その妹である珊瑚も王女という事だろう。そもそもが舞台の配役の話でしかないのだ。
仮にここに第三者が居て今の言葉を聞けば、ただ冗談交じりに拗ねていると思って笑い飛ばしたかもしれない。もしくは監視役を担ってくれている彼女を『お姫様より大事な役だ』とでも言っておだてただろうか。
だけど、なぜか俺は冗談とは思えなかった。
ほんの少しだけ見せた表情は切なげで、自分自身を『おまけ』と言い切る声に自虐の色を感じてしまう。
「宗にぃの周りにはとびきりのお姫様がいっぱい居ますからね」
「妹……」
月見や桐生先輩達のことを言っているのだろうか。確かに彼女達は『とびきりのお姫様』と言うに値している。
俺の脳裏に、先日の教室内でのやりとりが蘇った。
誰が一番可愛いか投票する、蒼坂高校に伝わる男子生徒達の馬鹿馬鹿しい行事。
開票係が名前を挙げていく中に『芝浦珊瑚』の名前は無かった。
かといって珊瑚の見た目や性格がどうのというわけではない。珊瑚は小柄で可愛く、生意気な笑顔も魅力的だ。冗談の通じる性格は他のどの女子生徒よりも話しやすい。
だが蒼坂高校には、そして宗佐の周りには、あまりにも見目の優れた女子生徒が集まりすぎている。それこそまさに『とびきり』と言えるくらいの。
それを珊瑚は理解している。……理解してしまっている、とも言えるかもしれない。
そして理解したうえで、『妹』という立場だけで宗佐を慕う女子生徒達と渡り合っているのだ。その自虐が『おまけのお姫様』というのなら、これほど辛い話はない。
「でも、お前だって……」
言いかけた俺の言葉に、珊瑚の「それに」という言葉が被さった。
どうやら俺が何か言おうとしている事には気付かなかったようで、ちらと傍らに置いた紙袋へと視線を向ける。先程タッパーをしまった紙袋だ。
「それに、そもそも私はお姫様じゃなくてメイドですから」
あっさりとした断言に切なさはなく、自虐の色合いも無い。むしろどういうわけか嬉しそうだ。
なんにせよ彼女の気分が晴れたなら良かった……と、そんな事を考えつつ、メイドという単語に疑問を抱いた。
「メイド?」
「はい、メイドです」
「……どういう意味だ?」
自分を『おまけのお姫様』と言ったかと思えば、今度は『メイド』である。
意味が分からないと首を傾げる俺に、珊瑚はタッパーをしまった紙袋を掲げて見せてきた。
「文化祭で、メイド喫茶をやるんです」
そう楽しそうに珊瑚が答える。
なるほど、それでメイドか……。
いやいや、ちょっと待て。




