07:疑惑のカレー
※ハヤシライスやらビーフシチューやらのくだりを一部訂正しました。
(いったい何の報告だろうこれは)
衣装合わせを待ちつつ窓辺で雑談を続けていると、珊瑚が「そうだ」と何かを思い出したように声をあげた。
次いで持っていた紙袋から取り出したのは、花柄のタッパーとプラスチック製の小さなスプーン。スプーンは数本用意しているらしく、一本を抜き取ると俺に差し出してきた。いったいなんだ? と思いつつ、とりあえずそれを受け取る。
「文化祭で出すカレーです。健吾先輩、暇そうに突っ立ってるなら試食してください」
「試食してやってもいいけど、一言余計だな」
「あ、月見先輩と麗先輩もどうぞ。お忙しいとは思いますが、食べてコメントください」
「……おい、妹」
一言余計なのか一言足りないのか、絶妙に態度を変えつつ月見と麗にもプラスチック製のスプーンを差し出す。
文句を言いたいところだが、放課後しばらく経って腹が減っているのも事実なので黙っておく。珊瑚も「どうぞ」と言っているし――俺に対しては言っていない気もするが――遠慮せず頂いて良いのだろう。タッパーを受け取って、スプーンでルーを掬い取る。
そうして一口食べ……。
「……ん?」
ちょっと待て。
「妹、これ本当にカレーか?」
「そうですよ。まろやかなカレーです」
「いや、そうなら良いんだけど……。あれ、でも……もう一口貰っていいか?」
俺の態度に疑問を抱いたのか、珊瑚が怪訝そうな表情を浮かべつつスプーンをもう一本差し出してきた。
月見と西園も不思議そうな表情をしている。だが俺としては彼女らに説明するよりも先に確認しなくてはいけないことがある。
その為にスプーンでタッパーの中のカレーを掬い、再び口に含んだ。今度はさっきよりも味わうように……。
濃厚な味の中にほのかにあるトマトの酸味。かといって強く主張するでもなく味わいにうまく溶け込んでいる。
更に細切れの牛肉とたまねぎも味を引き立てており、試食の一口と言わず皿いっぱい、おかわり含めて食べたくなる美味しさ。
デミグラスソースの濃厚さが美味しい……
ハヤシライスだ。
「妹、言い難いんだがこれは……。カレーというか……」
「普通のカレーじゃなくて濃厚でまろやかなカレーです」
「いや、この違いはまろやかどうののレベルじゃなくてだな……」
「これ、文化祭のメニューに出す予定なんですよ。月見先輩と麗先輩もどうぞ」
どう言っていいものか分からず困惑する俺を他所に、珊瑚が嬉しそうにタッパーを二人に差し出す。
そんなやりとりを見ていた月見と西園は「いったいどうしたのか」と言いたそうな表情を俺に向けつつ、それでも珊瑚に促されるままそっとタッパーへと手を伸ばす。
そうして一口食べ、……固まった。
そりゃそうだ。
その反応はまさに先程の俺の焼き直しである。おかげで、彼女達が今どういった混乱状況にあるのかも手に取る様に分かる。
何の迷いもなくこの料理をカレーだと断言する珊瑚、対して口の中に広がる味は間違いなくハヤシライス。
どういうことなのか、抱いた疑問を口にしていいものか……。
彼女たちの頭の中にはそういった疑問や困惑が渦巻いているのだろう。二人の頭上に特大の疑問符が浮かび上がっている幻覚さえ見えそうだ。
そうして二人はしばらく物言いたげに珊瑚と彼女の手元にあるタッパーを交互に見やり、困惑を露わに表情で今度は俺へと視線を向けてきた。
『敷島、どうして良いか分からないから頼むよ』
『よろしくね……』
と、そんな二人の声が聞こえた気がする。
もっとも彼女達は実際には声には出していない、表情で訴えてきているのだ。
つまり俺に丸投げである。
そんな二人の助けを求めるような視線を受けつつも俺はいったいどうして良いのか分からず、それでもこのままにしておくのはいけないと改めて珊瑚に向き直った。
彼女は問題のタッパーを紙袋に戻し、そうして顔を上げて俺の視線に気付くと「どうしました?」と首を傾げた。
その表情に嘘をついている様子は無く、もちろん俺達を茶化しているような色も無い。
「えーっとだな、妹……。その、これ本当にカレーか?」
思い出してみても確実にハヤシライスなのだが、それでも確認をとってみる。
だが珊瑚は自信たっぷりと「そうですよ!」と頷いて見せた。間違いなくカレーだと、真っ直ぐに俺を見つめて返してくる瞳が語っている。そのうえ「まろやかで美味しかったですよね」と同意を求めてくるあたり、実際に食べてもいるのだろう。
食べたうえで間違えているのだ。
さて、どういうことだろうか……。
というか、何と言えば良いのか、むしろ何がどうしてこうなったのか……。
シン、と妙な静けさが続く。月見と西園に至ってはいまだ露骨に顔をそむけたままだ。
ずるいぞ二人とも、また俺に丸投げするのか。
「妹、非常に言いにくいんだが、これはカレーじゃない」
「……えっ!?」
まさに驚愕といった表情の珊瑚に、俺は事態を理解して盛大に溜息をついた。
「あぁそうだったな、お前ドリアとラザニアとグラタンの区別もついてなかったもんな」
「これはカレーじゃないんですか!? ならこれは何ですか!?」
「それはハヤシライスだ」
「おばぁちゃんいつも『まろやかな方のカレー』って言って作ってくれるんですよ!」
「カレーとハヤシライスの違いを『まろやか』で片付けるのはやめろ」
俺はいったい何の説明をしているのか……。
心の中で己の発言にすら疑問を抱きながら珊瑚に説明をしてやっていると、ようやく納得したのか驚愕の表情を浮かべつつタッパーに視線を向けた。
若干落ち込んでさえいるように見えるのは、本当に今までハヤシライスを『まろやかなカレー』だと思っていたからなのだろう。
確かに十六歳にしてつきつけられる事実としては衝撃的である。気落ちするのも仕方あるまい。
珊瑚は母親亡きあと祖母に預けられ、両親が再婚してからも隣接している旧芝浦邸宅をメインに祖母と生活している。
ゆえに食事の中心は和食で、ゆえに年頃の女子高校生とは思えないほど和食以外の食事に疎いのだ。今回も祖母の話をそのまま鵜呑みにしていたのだろう。
ドリアとラザニアとグラタンの区別が着かなかったり、ケバブ屋を前に怪訝な表情で立ち止まったり……。宗佐曰く『カレーだろうとシチューだろうと味噌汁を飲むし、和食以外に疎くてオムライスをお洒落な洋食って言い切るからな』とのこと。
そんな和食思考なのだから、カレーライスとハヤシライスの区別が着かなくても仕方あるまい。
……多分、仕方ないことなんだと思う。ひとまずそう思っておこう。
そう心の中で結論付け、いまだしょんぼりと落ち込む珊瑚をどう宥めるかと考えていると、衣装合わせが終わったのか宗佐が横から顔を出してきた。
「あれ、珊瑚どうした?」
「……宗にぃ」
「え、なんで落ち込んでるんだ!? おい健吾、お前珊瑚に何をした!」
気落ちした珊瑚を心配してか、勘違いした宗佐が俺に突っかかってくる。
さすがは自他ともに認めるシスコン兄貴、事態が分からないながらも珊瑚を案じて俺に睨みつけてくる表情には迫力すら感じられる。
……が、いかんせん話題はハヤシライスである。いくら宗佐に詰め寄られても重い空気なんて一切感じられない。
ところで月見と西園はまたも顔を背けているのだが、二人は俺に丸投げしすぎではなかろうか。
ずるい、と心の中で文句を訴えながら、それでも宗佐の首根っこを掴んで少しだけ離れた場所へと連れていく。
「……何をしたというか、お前の妹がカレーという名のハヤシライスの試食をさせてくれたんだ」
「健吾お前なに言って……。あぁー理解した……。外でも出たのか『まろやかなカレー』……」
事態を理解して宗佐が項垂れる。
誤解して悪かったと俺の肩を叩いて謝罪してくるが、どちらかと言えば俺の方が肩を叩いて宥めたくなるほどの落ち込みようだ。
「妹は相変わらずなんだな」
「あぁ、相変わらずだ。相変わらずカレーでもシチューでも味噌汁を飲むし、このあいだなんて『美味しいプリン』って言いながらババロア食べてたからな」
その時のことを思い出してか、語る宗佐の口調には虚脱感が漂っている。確かに俺もその光景を目の当たりにしたら肩を落としそうだ。
だが今は宗佐の複雑な胸中を宥めてやっている場合ではない。
ひとまずこの話題は終わりだと軽く宗介の腕を叩いて、再び窓辺へと戻る。先程までハヤシライスに騙されたと落ち込んでいた珊瑚もいつの間にか復活していた。
「よぉ、試食会の調子はどうだ?」
「あ、戻ってきた。宗にぃも食べて感想頂戴」
俺達を見るや、珊瑚が宗佐にタッパーを差し出した。それを受け取った宗佐がチラと横目で「これか?」と訴えてよこすので頷いて返す。
そう、これがカレーという名のハヤシライスだ。といっても、珊瑚が勘違いしていただけで物そのものは何ら普通のハヤシライスなのだが。
それを一口食べ、宗佐がうんうんと頷いた。
「うん、ハヤシライスだ」
「だろ、ハヤシライスだよな」
「やっぱり芝浦も敷島もハヤシライスって思ったよね」
「良かったぁ、ハヤシライスって思ったの私だけかと不安になっちゃった」
四人揃えて、顔を見合わせて頷きあう。
それを見た珊瑚が赤くなった頬を膨らませて、
「もう、その話はしないでください!」
と喚くように声をあげた。
※3章7話目、重複していたため削除しました。




