28:ライトアップ
スピーカーからは日中より幾分落ち着きのある音楽が流れており、それが途切れて女性の声に切り替わった。現在時刻を告げ、あと十分程で特別演出が行われることを告知する。
それを聞いた客達が興味を抱き、行ってみようと口々に話して歩き出す。中には遊んでいた手を止めて向かう者や、食事を急ぎだす者までいる。
「月見さん、私達も行きましょう」
スタッフ用の部屋から出て颯爽と歩き出すのは桐生先輩。
もちろんトップスは脱いでおり、居合わせた男性客は言葉を失い視線で彼女を追いかけ、女性客も羨望を込めて見つめている。
更にそれを追いかけるのが月見なのだから、客達が目を瞬かせて呆然とするのも無理はない。麗しい桐生先輩を、可愛らしい月見が追いかける。その光景に「何かの撮影?」という囁き声が聞こえてくるが、そんな勘違いを起こしてしまう程なのだ。
そんな二人が向かうのは、先程アナウンスで紹介された流れるプール。
◆◆◆
被害に遭うのは、一人で居る女性客か、多くても二人か三人の女性だけのグループだという。
珊瑚が被害に遭った時、俺達は会話が途絶えて沈黙していた。黙ってプールの出口へと向かう姿を見て、この騒動の犯人は俺達が赤の他人だと勘違いし、そして珊瑚を一人客と判断してぶつかりにいったのだろう。
俺が一緒に居ながら、と詫びれば、珊瑚が慌てたようにフォローを入れてきた。宗佐が気遣って俺の背を叩いてくる。これでは先程のやりとりの逆だ。
そんな中、桐生先輩が俺達の役割を言い渡してくる。
一度被害に遭っている珊瑚は離れた場所に居たほうが良いだろうと話し、月見と二人でスタッフと待っているように話し……、
それに対し、月見が待ったをかけた。
「桐生先輩、私も一緒に行きます」
真剣みを帯びた声色。少し強張った表情なのはきっと恐怖を感じているからだろう。月見の性格上、青ざめ震えていたっておかしくない。
だがそれでもと彼女は名乗り出て、大丈夫なのかと尋ねてくる周囲に頷いて返した。その頷きの深さから、臆していても意思は固いのが分かる。
「月見さん、良いの? 危ないかもしれないわよ」
「大丈夫です。それに、女の子二人の方がきっと相手も油断して近付いてくると思います。私の水着は結ぶタイプじゃないから、結局狙われるのは桐生先輩だけですが……」
同行は出来るが囮になる事は出来ない。そう月見が申し訳なさそうに語る。
彼女の水着はホルターネックでもなければ、背中も紐で結ぶタイプではない。留め具をしっかりと嵌めるもので、スタッフ曰く、このタイプの水着は一度も被害に遭っていないという。
そんな月見の肩に、桐生先輩が優しく触れた。
「ありがとう、月見さん。一緒に来てくれるのね」
「はい、なにかあったら私が守ります!」
「心強いわ。それに『水着が紐で結ぶタイプなら自分の方が囮役に適していた。狙われたのは私だった』という貴女の強い気持ちもしっかりと伝わってきたから」
「売ってない喧嘩が買われた……!?」
月見が情けない悲鳴をあげるが、それを聞く桐生先輩の楽しそうな表情と言ったらない。
◆◆◆
そんなやりとりの果て、桐生先輩と月見が流れるプールに入っていった。
誰もがみな楽しそうに演出が始まるのを待ち、中には携帯電話を構えている者もいる。周辺も人が増え、プールには入らないものの観賞しようと待つ客がそこかしこに見える。
俺と宗佐もプールに入り、月見達から少し離れた場所を陣取っていた。
いつでも二人のもとに駆け付けることができ、それでも一緒に来ているとは思われない距離。もちろん声を掛け合ったりなどはしない。不用意に見つめることもせず、適当に他所を眺める。
それでも気になってちらと視線をやれば、一つの浮き輪に身を預け、楽しそうに話す二人の姿が見えた。まさか彼女達が囮になっているとは周囲の誰も思うまい。
そのうえ時折は無関係な男達に声を掛けられているのだが、あれはいわゆるナンパというものだろう。
不安はあるが、そこは桐生先輩が上手くいなしている。一歳差とは思えない余裕と落ち着きのある対応だ。
「さすが桐生先輩だな。……ところで宗佐、妹が被害に遭って荒れてるのはわかるが、そのしかめっ面やめろよ。この場で浮きまくってるぞ」
「……えっ、あ、そうか。そうだな悪い。よし、じゃぁ不審に思われないように周りに合わせてはしゃぐか」
無理やりに作り笑いを浮かべ、宗佐が俺に水を掛けてきた。
これはあれだろうか、互いに水を掛け合って遊ぼうということだろうか。たとえば月見と桐生先輩が同じことをすれば絵になること間違いなしだが、男二人だと暑苦しく悲惨な絵面になるだけだ。
遠慮しておく、と拒否を示し、それでも宗佐がしかめっ面に戻らないよう雑談を続ける。
そうしてしばらく、他愛もない話をし時に月見達の様子を窺っていると、流れていた音楽がゆっくりと小さくなり、次いで別の曲に切り替わった。
いかにもと言った豪華な音楽。周りの明かりも徐々に消え、いよいよだと客達が期待でざわつき始める。
次の瞬間、一瞬にして周囲が明るくなった。
それも真っ青に。水底から照らしてくる明かりも、プールの縁や壁沿いに設置されている明かりも、全てが青。視界一面が青く染められ歓声があがる。
かと思えば今度は瞬くように白に切り替わった。次いでピンク、オレンジ……と色が移り変わる。
それに合わせて、水中を光が駆け抜けはじめた。
といっても仕掛けはたんに水底や壁沿いに設置されたライトを順に灯しているだけだ。だがその速さと水中の揺らめき、そして幻想的な音楽が、駆け抜ける光をまるで魚のように見せている。
「へぇ、結構凄いな」
予想以上に凝った演出を眺め、思わず感嘆の声を漏らす。
もっとも、同意を求めて宗佐を見た瞬間に一瞬にして冷静になったのだが。
華やかな演出に誰もが瞳を輝かせる中、宗佐だけは冷ややかな視線である一点を見つめていた。
「健吾、あれどう思う?」
「あれって……」
宗佐の声はひどく落ち着いて淡々としており、だからこそ誰もがはしゃぐこの場では妙に冷ややかに聞こえる。
その声に当てられたのか俺の中でも緊張感が生まれ、促されるように宗佐の視線を追った。
誰もが光の演出に見惚れている。周囲の明かりを目を細めて眺めたり、水中を駆け抜ける光を見下ろしたり。中には水底を見るために潜ったり、携帯電話を手に写真を撮る者もいる。
そんな中、二人組の男が何やら身を寄せて話し合っていた。年は俺達より少し上、大学生ぐらいだろうか。
「あの二人、さっきからあんまりライトアップを見てないんだ。それに月見さん達の方を見て何か話し合ってる」
「それって、月見と桐生先輩を狙ってるってことか」
「かもしれない。でもここまで来て演出を見ないっておかしいだろ。……俺達みたいに」
明確な言葉こそ濁しているが、何か企んでいるはずだと言いたいのだろう。
だが言われてみれば確かに、件の男二人はこの状況下で浮いている。
周囲を見渡すこともせず、体を擦りぬけていく光にも興味は無さそうだ。色が切り替わっても水面を一瞥すらしない。
周りには他にも男二人組はいるものの、そちらは写真を撮ったり光を追いかけて潜ったりと楽しんでいるから猶更、やたらと落ち着き払った態度が違和感を与える。
「あ、移動するぞ」
追いかけよう、と宗佐に腕を叩かれ、俺も頷いて返して後を追った。
前をいく男達は相変わらずライトアップを見もせず、足早にプールを進んでいく。周囲の客達が演出に見惚れてのんびりと歩いているからか、彼等の歩みは急くようにすら感じられやはり怪しい。
時折こちらを振り返りはするものの、人が多く周囲が暗いため、後を着ける俺達に気付く様子はない。光の演出も良い目眩ましになっているのだろう。
そうして二人組が月見と桐生先輩の間近に迫った。
先程まで足早に進んでいたというのに途端に歩みを緩める。ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて月見達を見ているあたり、やはり何か企んでいるのだろう。今はタイミングを窺っているのか。
「実行した方を捕まえるからな」
まるで己の獲物だと言いたげな宗佐の言葉に、ちらと横目で様子を窺う。
宗佐らしくない険しい表情。この場に似合わず眼光は鋭い。だがこれもまたある意味で宗佐らしいとも言えるのかもしれない。妹の敵を睨む兄の目だ。
ならばここは宗佐に任せるべきだと考え、俺は「任せた」とだけ簡素に返した。こいつの事だ、けして逃がすようなヘマはするまい。
「それなら俺はもう片方を押さえる。いいか、そっちは必ず腕を掴めよ」
「分かってる。珊瑚に手を出したんだ、絶対に、何があろうと、俺が捕まえる」
宗佐の声には決意どころか怒りさえ感じられる。それに対して俺も遅れを取るまいと心の中で気合を入れた。
ライトアップは終盤に迫ったのか音楽は一番の盛り上がりを奏で、周囲も水中も虹色に瞬き、光が魚どころか星のように駆け抜けていく。さながら天地を逆転し、足元の夜空に流星群が降り注いでいるかのようだ。
誰もが感嘆の声をあげ、見れば月見と桐生先輩も楽しそうに水底を覗いている。
そうして音楽の最高潮と共に光が一層強く瞬いたのち、ふつと消えた。
真っ暗闇というわけではないが、それでも先程までの瞬きを見ていた目では暗く感じられる。
演出の終わりだ。アナウンスが特別演出の終わりと次回のイベント時刻を知らせれば、流れるプール内にパラパラと拍手が起こった。
再び音楽が流れだし、特別演出が始まる前の施設の空気に戻っていく。それと同時に一斉に人が動き出した。
そのまま流れるプールに沿って歩き出す者、プールの出口へと向かう者。それどころか出口を無視して上がろうとする者や、離れてしまった友人と合流するために流れに逆らって歩き出す者すらいる。
集まっていた客が各々の行動を取り始めたため、人の流れが悪くなり、一部では人が詰まってしまっている。月見達の周りも同様。
まさかこれを狙っていたのでは……。
そう思った瞬間、見張っていた男の一人がよろけるように桐生先輩にぶつかった。
一見すると、たんなる不注意での衝突と見えるだろう。激しくぶつかったり押し倒すようなものでもない。人込みならば仕方ないと思える程度。
……だが、男の手は不自然に桐生先輩の首元に延び、そこで結ばれていた紐の端を掴んだ。




