22:可愛い後輩
「そ、宗佐……。今の話、聞いてたのか?」
上擦った声で尋ねれば、宗佐が深く一度頷く。
まずい、と俺の心の中で警報が鳴り響く。ここで勘違いをされたら問題だ。……いや、でもどんな勘違いだ?
「宗佐、今のはなんというか……。ただ、その……!」
「確かに珊瑚ほど可愛い後輩は居ない。そしてそんな後輩は俺にとって妹でもある! いやぁ、羨ましがられて皆に恨まれるのも仕方ないな!」
妹溺愛を語る宗佐に恥じらう様子はない。思春期真っ盛りの男子高校生にとって身内の話は多少なりとも恥ずかしいものではなかろうか。むしろもっと褒めろと言わんばかりだ。
挙句、「ほら見てみろ!」と視線を誘導してきた。それに従えば、道の先で珊瑚が一人で佇んでいる。なんとも言えない顔で目の前の店を眺めており、そんな彼女の視線の先には……、
「あのケバブ屋を不思議そうに見つめる姿、可愛いだろ。肉が回る光景を前にどうして良いか分からずにいるんだ」
「……確かに見て分かるほどに硬直してるな」
「珊瑚は昔からおばあちゃんと暮らしてて、今も食事の殆どは旧芝浦邸でおばあちゃんの料理を食べてるんだ。だから我が妹ながら心配になるくらい和食思考でさ。カレーだろうとシチューだろうと味噌汁を飲むし、和食以外に疎くてオムライスをお洒落な洋食って言い切るからな」
「あぁ、そういやあいつグラタンとドリアとラザニアの区別がついてなかったな」
調理実習のメニューに関して『グラタンかラザニアかドリアの、お米が入ってるもの』と言っていたし、ショッピングモールのフードコートに行った時や墓参りにの帰りに寄った喫茶店でもほうじ茶ラテや抹茶ラテを飲んでいた。祖母の影響で食事も飲み物も和風好なのだろう。
なるほど、と頷きながら珊瑚を眺める。――内心では、慌てて取り繕おうとしたことが空回りに終わって安堵したのだが。幸い宗佐は俺の動揺には気付かなかったようだ。……木戸が妙に俺を見てくるのが気になるところだが――
そんな話をしている間も、珊瑚は不思議そうにケバブ屋の前で回る肉を眺めている。
水色の水着や少し濡れた髪といった夏真っ盛りの姿。それでいて顔は神妙で、彼女の目の前では豪快な肉の塊が回りそぎ落とされている。
ギャップを感じさせる光景は面白いと言うほかない。……あと、宗佐の言う通り確かに可愛さもある。
「見ろよあの姿。見知らぬ料理を前にすると、いつもああやって固まるんだ。で、しばらくすると俺の方を見て……」
宗佐が話すのとほぼ同じタイミングで、珊瑚がこちらを向いた。
先程まで怪訝そうだった表情がパッと明るくなり、「宗にぃ!」と宗佐を呼ぶ。
「宗にぃ、今朝ケバブ食べたいって言ってたよね!」
「……と、このように俺に食べさせようとしてくる。ちなみに俺はケバブが食べたいなんて一言も言っていない」
「なるほど、宗佐に買わせて自分は一口貰おうって寸法か。さすが妹だ」
「これが実際の妹かぁ……。俺、妹って存在に夢を見てたな……」
まるで実証するかのような宗佐の話に、俺と木戸が納得がいったと頷く。
それが聞こえたのだろうか、珊瑚が不満そうな表情でこちらに歩いてきた。
「変な風に言わないでよ。私は宗にぃがケバブを食べたいだろうなと思って教えてあげたの!」
「珊瑚、俺は朝から一言も、それどころか数ヵ月単位でケバブを食べたいなんて言ってないからな。あと今はラーメンが食べたい」
「今朝の占い、宗にぃはラッキーアイテムがケバブだったよ」
珊瑚が食い下がる。なんとしても宗佐にケバブを買わせたい――というより自分が食べてみたい――のだろう。
宗佐も負けじとラーメンが食べたいと応戦するが、今度は「宗にぃは気付いてないけど心の底ではケバブが食べたいと思ってるよ。私は妹だから分かるの」と断言した。もはや言い分がスピリチュアルの領域である。
根負けしたのか、それとも強請る珊瑚愛しさか、宗佐が肩を落とし「なんだかケバブが食べたくなってきた」と折れた。それを聞く珊瑚の嬉しそうな顔と言ったらなく、「一口ね!」と強請りながら宗佐の腕を掴んで店へと連れていく。
二人の姿は、生意気な妹と、それに強く出られない甘い兄だ。
普段の世話を焼いて焼かれてが逆転しているが、これもまた兄妹らしいとも言えるのだろう。
なんとも微笑ましい。……のだけど、何故かやはり俺は釈然としない気持ちを抱いていた。
「……熱中症? いやまさか、それは無いな」
「どうした敷島、大丈夫か?」
「いや、なんでもない。宗佐の目の前でラーメンを食べればスッキリすると思う」
「お前、芝浦に何の恨みが……。ありそうだな、恨み。俺もある。よし、俺もラーメンにしよう」
意気投合し、木戸と二人でラーメンを売っている屋台へと向かう。きっと宗佐は恨みがましく俺達を見るだろう。
それを前にすれば、きっとこの胸の靄も消えるはず。……多分。
◆◆◆
昼食を食べ終え、再びプールに戻って遊ぶ。――珊瑚は宗佐からケバブを一口貰って満足そうで、それを見る宗佐も満更では無さそうだった。もっとも、ラーメンは食べたそうだったが――
流れるプールで雑談交じりに遊び、ついに……となった。
そう、ウォータースライダーである。
といっても、急降下するわけでも悲鳴をあげるほどの速度が出るわけでも無い。コースは長く途中で円を描いたり多少の緩急はあるものの、小さい子や泳げない者でも楽しめる造りだ。
現に滑り終えたばかりの小学生達がもう一回滑ろうと楽し気にはしゃいで階段を駆け上がっている。
時折キャーと高い悲鳴が聞こえてくるがそれも楽し気なもので、これに恐怖する者はいないだろう。
……月見以外は。
「だ、大丈夫……。私なら出来る。す、滑るだけだもんね……!」
そう月見が自分に言い聞かせる。
ウォータースライダーの乗り場。あとは水が流れだす部分に腰掛けて水流に身を任せドームに滑り込むだけ。
それを前にする月見は強張った表情をしており、まるで生死の決断を迫られているかのようだ。一人だけ張り詰めた空気を漂わせており、後ろに並んでいた俺と木戸まで心配になってしまう。
「大丈夫……。わ、私もう高校生だから! 高校生だから滑れるよ!」
「月見、その奮い立たせ方は逆に俺達が心配になるから止めてくれ」
「こ、怖くなんかないよ。それにほら、す、すぐ下に着くもん……!」
「無理に滑らなくても良いんだぞ。さっきやっぱり怖くなったって階段降りていった子もいたし。……小学生っぽかったけど」
だから、と辞退を促すも、月見はふると首を横に振った。
次いで手すりから下を覗き込む。そこに居るのは先にウォータースライダーを降りていった珊瑚達だ。桐生先輩がこちらに気付き手を振ってくる。
そこには先陣を切って降りていった宗佐も居る。俺達が必死で月見を宥めているなど知らず、宗佐もまた俺達を見上げて手を振ってきた。
「芝浦君が待ってくれてるから……、私、行かなきゃ!!」
覚悟を決めたと言わんばかりの切羽詰まった声で告げ、月見がウォータースライダーの入り口に向かった。
そうして「行ってくるね!」と一言残してスライダーのドームの中へと姿を消す。次の瞬間、何とも言えない月見の悲鳴がドームの中で木霊しだした。
この際なので、あまりの月見の怯えぶりに係員が笑いを堪えていたのは気にするまい。後ろの小学生達達も何度か「お姉ちゃん頑張って!」「私も滑れたから平気だよ!」と応援をくれていた。
「あれだけ怯えてたのに、宗佐が待ってるから滑るのか。恋心っていうのは偉大だな」
「凄いな、月見さんまだ叫んでるぞ。けっこう肺活量あるのかな」
そんな事を話しつつ、階下に視線をやる。
聞こえてくる月見の悲鳴がじょじょに小さくなり、そして階下にあるスライダーの出口からプールへと月見本人が滑り落ちるのが見えた。
無事だったようで直ぐ立ち上がる。だがなぜか直ぐにしゃがんでしまった。
一瞬腰でも抜かしたのかと心配したが、しばらくすると再び立ち上がるあたり問題は無さそうだ。水から出るとよろよろと宗佐達の元へと向かっていき、こちらを振り返ると弱々しく手を振ってきた。
「無事だよー」と、間延びした彼女の声が聞こえた。思わず俺と木戸が拍手をしてしまう。
そうして次は俺の番となり、スライダーのスタート箇所に腰掛ける。
もちろん先程の月見のように怖がったりなどしない。係員がゴーサインを出すのを待つだけだ。視線をやれば、インカムで話していた係員がこちらに向けて片手を上げた。
それを見て、俺は滑り降りるために手で体を押し……、
「恋心は偉大、か。……敷島、下で『可愛い後輩』が待ってるぞ」
という木戸の声に、「はぁ!?」と声を荒らげて木戸の方へと振り返り……、
そのせいでバランスを崩し、そのまま滑り落ちていった。一瞬、木戸のしてやったりという意地の悪い顔が見えた気がする。
「どういう意味だ!!」
と叫べども、ドームの中で己の声が反響するだけで返事など返ってくるわけがない。
そして動揺している俺は、ものの見事に無様な体勢でプールへと落下していった……。




