10:卒業旅行の温情
宗佐の男らしさと知性が反比例する宣言を切っ掛けに、堂々と胸を張る宗佐、それをうっとりと見つめる月見、眉根を寄せて耳を塞ぐ珊瑚、そして呆れて口を挟む気にもならない俺という、なんとも言えない空気と絵面になった。
仮に今廊下を見回っている先生が部屋に入ってきたとしても、怒るより先に「何があった」と尋ねてくるだろう。それほどまでに何とも言い難い空気なのだ。宗佐と月見、対して俺と珊瑚、前者と後者の温度差が凄い。
そんな温度差と空気の中、月見が話し出した。
「でも、宗佐君達に迷惑が掛かっちゃうよ」
「高校生活最後に怒られるのが卒業旅行ならむしろ箔がつくよ! それに、弥生ちゃんが部屋に遊びに来てくれたのが嬉しいし……」
「宗佐君……」
宗佐の言葉に、月見が頬を染める。
そうして二人が見つめ合い……、
「あーあー、聞こえない聞こえない! さ、月見先輩、さっさと部屋に戻りましょ!」
珊瑚が無理やりに二人の間に割って入った。
「妹、気持ちは分かるが聞こえないふりがちょっと露骨すぎるぞ」
いよいよをもって耐え切れなくなったのろう。
宗佐と月見の間に流れる恋愛じみた空気に。……あと、宗佐の馬鹿らしくも堂々とした発言に。
俺もさすがに再び同じ空気になられては堪らないと宗佐を呼んだ。
「宗佐、妹は俺が送っていくから、お前は月見を部屋まで送ってやれ」
「え、いいのか?」
「四人でぞろぞろ歩いてたら見つかりやすくなるだろ」
そう話せば宗佐も月見も納得したと頷く。
この際なので「私は見つかっても大丈夫です」と訴えている珊瑚は放っておく。
そうして四人で部屋を出るのだが、その際に俺と宗佐は「無事に帰ってこいよ」「お前もな」とわざとらしく誓い合った。
これはお約束というものだ。この友情演出に月見が感動したのかほぅと感嘆の吐息をもらし、珊瑚は「これは片方が死ぬパターン」とシビアに呟いた。
◆◆◆
「だから、私は先生に見つかっても怒られないんですってば」
そう話す珊瑚を宥めながらホテルの廊下を歩く。
宗佐と月見とは部屋を出て早々に別れ、現在は二人きり。この階には蒼坂高校の生徒は居ないのか、廊下はシンと静まって逃げる生徒達の慌ただしさはない。
むしろ卒業旅行生どころか他の宿泊客の姿もなく、それがなんとなく二人きりだと意識させる。
「私の部屋は月見先輩の部屋みたいに離れてないし、すぐ着くし……」
「すぐって言っても、その途中で先生に会ったらどうするんだ」
「挨拶します」
「……そうだな、それが良い」
当然の対応である。
珊瑚の言う通り、卒業旅行生ではない彼女はいくら先生に見つかっても咎められることはない。就寝時間はあくまで蒼坂高校の卒業旅行の規約であり、老人会の旅行では就寝時間は定められていない。
仮にこれが観光地の繁華街であればまた話は別だが、所詮はホテルの中だ。
運悪く先生に遭遇したところで、挨拶をして事情を説明すれば終わり。「早く寝なさい」ぐらいは言われるかもしれないが、それだってわざわざ捕まえて咎めるほどでないだろう。
それは分かっている。
分かっているが送りたい。
正直に言うのなら、せっかく会えたのだから少しでも一緒に居たい。
もっとも、珊瑚もそんな俺の気持ちを薄々と気付いているのだろう。先程から「部屋は近いのに」だの「先生に見つかっても構わないのに」だのと文句を言っているが拒否はしてこない。
それに文句を言いつつも頬が赤くなっているのだ。
なんて分かりやすく、なんて可愛らしい。
だが、下の階から階段を登ってくる斉藤先生の姿を見つけるや、珊瑚を愛でる余裕は一瞬にしてなくなってしまった。
慌てて珊瑚の腕を掴んで自販機コーナーに身を隠す。
幸い、俺の方が先に先生を見つけられたので気付かれていない。……はずだ。
「くそ、巡回か。しかも斉藤先生とは……!」
「だから私は」
「仕方ない、自販機に隠れてやり過ごすぞ」
見つかっても構わないという訴えをあえて聞き流して話を進める。
だが珊瑚が「もう!」と痺れをきらし、スルリと俺の横を抜けるや自販機コーナーを出て行ってしまった。先生の足音と進むスピードから考えるに、きっと目の前に姿を現す形になっただろう。
「何時だと思ってる、いい加減にっ、……あれ?」
咄嗟に怒りはしたものの、それが珊瑚であることに気付いて斉藤先生の声が間の抜けたものに変わった。
だが混乱するのも仕方ない。確かに珊瑚は蒼坂高校の生徒だが、二年生の彼女は卒業旅行のホテルに居るはずがないのだ。
「こんばんは、斉藤先生」
「きみは芝浦の……。どうしてここに?」
「老人会の旅行で、おばぁちゃんの付き添いとしてこのホテルに泊まってるんです」
「あぁ、そういえば老人会が一緒だったな。うちの生徒が遅くまで騒いで申し訳ないと謝っておいてくれ」
自販機に身を隠したままでは姿は見えないが、斉藤先生の声が聞こえてくる。
それに珊瑚も返し、「そうだ」と話を続けた。
「先生、部屋まで送ってくれませんか?」
「部屋に?」
「この階、誰も居ないから妙に静かなんです。それに、なんだか夜のホテルって薄気味悪くて……」
だからと珊瑚が説明する。俺はそれを聞き、自販機に身を隠しつつなるほどと心の中で呟いた。
このまま二人が別れれば、斉藤先生は今俺がいる自販機コーナーを通りがかる。下手すれば俺は見つかりかねない。だからこそ、珊瑚は俺を逃がすために斉藤先生を連れ出そうと考えたのだろう。
この階は逃げる生徒も他の宿泊客の姿も無く、気味悪がって同行を願い出るのもおかしな話ではない。
珊瑚は俺を逃がすために策を考えてくれたのだ。
でも、出来るならば部屋まで送って就寝の挨拶をしたい。
そんなジレンマを感じていると、斉藤先生が「構わないけど……」と妙に歯切れの悪い返答をした。
「けど?」
「そういうことなら、今回は見逃してやろうと思って。……なぁ?」
楽しそうな斉藤先生の言葉にドキリとしてしまう。
それと同時にバレていたのかと己の未熟さを自覚するのは、先生の言葉が珊瑚ではなく俺に向けられているからだ。
自販機コーナーは先生からは死角になっている、俺の姿は見えていないはず。……それでも、声色と話の流れから、俺に声を掛けているのだと分かる。
だからこそ大人しく先生の前に出れば苦笑で迎えられた。
「芝浦が出てくるか敷島が出てくるか、どっちかだとは思ったんだが、敷島だったか」
斉藤先生が笑いながら話す。
兄である宗佐ならばまだしも、俺の可能性を考えたのは何故か……。と疑問が湧くが、さすがに口にする事はしない。
「クラスメイトどころか先生にまでバレてる……?」という困惑も今はひとまず押し隠しておこう。
「すいません。就寝時間に気付かなくて。でも部屋まで送ったらすぐ戻るんで、だから……」
だからちゃんと珊瑚を部屋まで送らせてほしい。
そんな想いを込めて斉藤先生へと視線をやる。
ここは斉藤先生の温情を期待しよう。――あと斉藤先生の妙な理解度にも期待しておく。どうせ俺の胸中なんて察しているのだろうから――
そう考えてじっと見つめていると、先生の笑みが強まった。うんうんと頷く様はわざとらしく、そして楽しそうだ。
「そういう事なら見逃してやろう。この階から敷島達の部屋の階まで、今は俺が見回ることになってる。交代まであと十五分あるからな」
「……良いんですか?」
「卒業旅行だからな」
楽しそうに斉藤先生が告げ、「時間内には部屋に戻れよ」と残して巡回に戻ってしまった。
なんとも適当な見回りではないか。
もっとも、先生達からしてみれば、ホテルや他の宿泊客の迷惑にならなければ多少羽目を外すのは許容範囲内なのだろう。そこには先生達の優しさと、そして三年間見守っていた生徒達への信頼を感じさせる。――後に知るが、騒いでいた者達はしっかり叱られたようだが、卒業前の夜を恋人や友人と静かに過ごしていた者達は見逃されていたのだという――
そうして斉藤先生が去っていくのを見送り、俺達は顔を見合わせると、
「結局、見つかっちゃいましたね」
「先生の温情に感謝だな」
そんな会話を交わして互いに苦笑し、再び静まったホテルの通路を歩き出した。




