01:卒業旅行
日中の暖かさに春の訪れを、夜から明け方にかけての寒さに冬の名残を感じるどちらともいえない季節。
最初こそ自由登校という名の休暇を満喫していたものの、そろそろ退屈を感じ始める頃合いに、蒼坂高校ではとある行事が行われる。
別れを惜しむ一泊二日。
卒業旅行である。
といっても正式な学校行事というわけではなく、参加は各自の自由。
時期が時期なだけにそれどころではないと不参加の者もいれば、友達内だけでの旅行を優先する者も居る。それでも学校がバスを貸切り全クラスが一斉に出発するのだから学校行事と言えるだろう。
「宗佐、お前どうする?」
「せっかくだし行っとくかなぁ。健吾も行くだろ?」
「そうだな、これで最後だもんな」
リビングのソファに仰向けに寝転がり、携帯電話越しにグダグダと会話を交わす。
相手はもちろん宗佐だ。だらけた声で話しているあたり、向こうも脱力していることが分かる。
俺と同じようにリビングのソファに引っ繰り返っているのか、それとも自室のベッドに寝転がっているのか。先日遊びに行った際にはまだ芝浦家は炬燵が出ていたので、そこに居るかもしれない。
なんにせよ、聞こえてくる声は覇気も何も無い脱力さだ。もっとも、俺も似たようなものだが。
「なんか無いと、このまま気が抜けたまま卒業式になりそうだもんな」
「そうそう。それに、なんかどっか有名なとこに行くらしいし、記念に行っとこうぜ」
欠伸交じりに話せば、電話越しからも似たような欠伸交じりの返事が聞こえてきた。
クリスマス、受験、そして合格発表……と、数か月張りつめていた緊張が今では見る影もなく、合格を知って以降は俺も宗佐もこの有様だ。
そんな脱力感あふれる会話の末に、どちらともなく話を終わらせる空気になって通話を切った。「またなぁ」「おぉ」という別れ際の会話すらも間延びしていた。
そうして通話終了画面から数度切り替え、旅行幹事に参加表明を送る。それから僅か数分で詳細が返ってくるのだから流石と言えるだろう。
言わずもがな、うちのクラスの旅行は委員長が取りまとめている。
推薦で首尾よく希望校の合格を掴んだ彼女は、受験に必死になるクラスメイト達を横目に早々に勝ち得た自由を満喫……、はせず、卒業旅行・卒業アルバム作成・卒業式と様々な仕事に名乗り出ていた。
自由登校になっても彼女は学校に通っているらしく、珊瑚曰く「委員長さんはいつも学校に居ます」とのこと。俺達とは大違いで、働き者の彼女には頭が下がる思いだ。
そんなことを考えつつ送られてきた詳細に目を通し、ふわと欠伸を漏らした。
その声までもがリビングに響く。
日々賑やかな動物園と化している敷島家だが、父親と兄が仕事、健弥と双子が学校に行き、母さんが買物、早苗さんが寝室で横になっているとなれば静かなものだ。
普段は掻き消されて聞こえない時計の音や、外を走る車の音まで耳に届き、テレビの音量設定も普段通りのはずが大きく感じられる。
「静かだ……」
そう呟いた俺の声が静かな部屋にはっきりと聞こえる。
もっとも、その静けさも絶妙な均衡の上に成り立っている繊細なものでしかない。
なにせ俺の腹の上では、今この瞬間にも泣き出して静けさを打ち破ってもおかしくない存在が寝ているのだ。爆弾を抱えているようなもの。
「滅多にない静けさだからな。もうちょっと堪能させてくれよ。お前だってたまには静かな中で寝たいだろ」
なぁ、と同意を求めるように腹の上で眠る甥の頬を突けば、幼子特有のプックリとした口をムグムグと動かし……、ダラァと豪快に涎を垂らしてくれた。
生暖かい、と思わず俺の眉間に皺が寄る。しかしどかせば泣かれるのは目に見えて明らかで、今の俺はクッションに徹するしかないのだ。
なんて無力なんだ。そんなことを呟きつつ、涎を垂らして眠る甥の写真を携帯電話で撮って宗佐に送る。
腹の上に乗られていないと撮れない貴重なアングルだ。画面いっぱいに映る寝顔は迫力満点。「可愛く撮れてるな」なんて思ってしまうのは身内贔屓というやつか。
それに対して宗佐から返ってきた写真では、でっぷりとした二匹の猫がアップで眠っていた。
画面いっぱいの猫の寝顔。鼾が聞こえてきそうなほどの臨場感は、腹の上に乗られて撮影したからこそに違いない。――珊瑚曰く、大福のほうが鼾と寝言が五月蝿いらしい。猫が鼾をかいて寝言を言うとは驚きである――
お前もクッションなんだな……と、二匹の猫に伸し掛かられる宗佐の姿を想像する。
向こうは太ましい猫が二匹、比べてこちらは猿が一匹もとい赤子が一人。
重さ的に考えればまだ俺の方がマシだろうか。そんなことを考えながら眠る甥子の背を撫でれば、再び胸元にドロォと暖かな感触が伝った。




