18:冬の装い
「次のお兄ちゃん、ですか?」
不思議そうに珊瑚が尋ねてくる。片手ではふわふわと猫を撫でながら。
それを横並びの椅子に座りながら眺め、俺もと手を伸ばしながら猫の尻尾の感触を楽しみつつ、どう説明したものかと首を傾げた。
現在地は先日も来た猫カフェ。
ショッピングモールにあるレストランで少し早めの時間を狙って昼食を取り、一度モールから離れてここに来たのが一時間ほど前。クリスマスゆえに混んでいるかと思っていたが幸い客入りはそこそこで、珊瑚が得意げに「穴場の猫カフェなんです」と誇っていた。
猫カフェでは相変わらずゆったりとした時間が流れているが、それでも季節柄あちこちにクリスマスの飾りが設けられている。
猫達もサンタ帽子を被っていたり赤いケープを巻いてクリスマス限定の装いをしている。……のだが、当人もとい当猫はクリスマスなど知らぬと相変わらず自由気ままだ。
俺の足元に落ちている手のひらサイズの雪だるま帽子は、きっとどこかの猫が被っていて落としていったものなのだろう。試しにと珊瑚の膝の上で寝ている猫の頭にそっと置いてみるが、一度すんすんと俺の手を嗅ぐだけで再び眠ってしまった。やはり猫は自由だ。
そんな猫を眺め、ふと珊瑚が俺を見ていることに気付き、話の途中だったことを思い出した。
「悪い、何の話だっけ?」
「健吾先輩の家の話ですよ。『次のお兄ちゃん』」
「あぁ、それか」
そうだ、そんな話だった。
といってもたいしたものではない。ただ不思議なことに、敷島家では上が一人家を出ると、下が一人兄としての意識を持ち始めるのだ。
今でこそ俺と協力して家事を手伝ったり双子の世話をしている健弥も、上の兄貴がまだ家にいた時は騒いで迷惑をかけてばかりだった。思い返せば俺だって、兄貴が二人とも家に居たときは買い物についていくのさえ嫌がり、あれこれと我が儘を言っていたように思える。
そうして、上が一人居なくなると、不思議とその穴を自分が埋めなくてはと思い始めるのだ。
「たぶん、次は浩司だな」
「浩司君が?」
「あぁ、今日なんとなく思った」
元々次は誰だとかこうなるべきだとか決まりがあるものでもない。だけど不思議とあの時の浩司の「そっか」という一言で分かった。
次は浩司が敷島家の兄になるのだ。だからか不思議と家を出ることへの不安はない。
その何とも説明しがたい感覚は同じ経験をして『兄』になった敷島家の兄弟にしか分からないだろう。現に珊瑚は今一つピンとこないと不思議そうに首を傾げ、それでも「すごいですね」と返してきた。
「さすがお兄ちゃんって感じですね」
「そうか? 兄としての凄さなら宗佐の方が上だろ」
「今の宗にぃに必要なのは、兄としての意識より受験生としての自覚です。昨日なんて、今日遅刻しないようにって九時に寝たんですよ! 九時に!」
受験生なのに! と怒る珊瑚に、俺も「九時はないな」と笑って返した。
猫カフェで過ごす時間は、表現するならば『まったり』である。暖かい飲み物を片手に、自由気ままに過ごす猫を眺め、時に撫で、他愛もない会話をし、たまの沈黙すらも穏やかな空気を感じさせる。
だがそんな穏やかな時間も一組のカップルが猫のおやつを頼んだことで崩壊した。
おやつの気配を感じた猫達が集まり出し、カップルに群がり、一部は鳴き声をあげる。静かだったカフェ内が一気に活性化したのだ。
といってもあくまで猫カフェ。集まるのも群がるのもふわふわの猫。
賑やかになったとはいえ、その光景もまた微笑ましいと言えるものなのだが。
「凄いな、肩にまで乗られてる」
「おやつは素っ気ない猫すらも引き寄せるアイテムですからね。でも代償として全身に猫の毛がつきます」
「居るだけで猫の毛がつくもんな。……というか、なんでロッカーに入れてた鞄にまで猫の毛が?」
用意されていた粘着ペーパー、所謂『コロコロ』で衣服についた猫の毛を取りながら話す。
膝に乗せていた珊瑚は仕方ないとして、近付いてきた猫を軽く撫でるぐらいの俺まで気付けば猫の毛だらけだ。不思議なことにロッカーに入れておいた鞄にまで猫の毛がついており、いったいなぜと首を傾げれば珊瑚がよくある事だと楽しそうに笑った。
そうして会計を済ませて店を後にする。
外に出て建物を見上げれば窓越しに店内の一角が見え、先程猫用おやつを注文していたカップルがいまだ猫に群がられていた。なかなかに忙しない事になっている。
だが猫カフェにおいてはあの光景こそ至高らしい。
珊瑚も普段は猫のおやつを注文して猫に群がられており、今日は猫の毛が目立つ服だから辞めたのだという。
「それなら今度行った時に頼んでみるか。あの状態は俺も経験してみたい」
「その時は猫に群がられても良い格好で来てくださいね。黒いシャツは白い猫の毛が目立つから駄目ですよ。でも白いシャツでも黒猫の毛が目立ちます」
「正解の服装はあるのか? ところで、猫立ち入り禁止の場所に掛けておいた上着にまで猫の毛がついてるんだが。それも内側。これはどこまでついてくるんだ?」
「どこまでもです。猫カフェマニアにとって、猫の毛はお土産ですよ」
「なんだそれ」
大袈裟な珊瑚の話に思わず笑ってしまう。
やはりあの空間では万物全てひっくるめて猫が優先され、そしてあの空間に足を踏み入れた者は猫の毛さえも有難く思わねばならないらしい。
「これはもう異文化だな。確かに猫師匠の指導が必要だ。次の猫用おやつの時もよろしくな、猫師匠」
「それだとやっぱり私が猫みたいですね」
「なら戻すか。次もよろしくな、妹」
「先輩の妹でもありませんけど、猫師匠よりかはマシですね。良いでしょう、レクチャーしてあげます」
そんな冗談めかした会話を交わしながらショッピンモールへと戻るべく歩く。
さり気無く次の約束を取り付けた事に内心では小さくガッツポーズを取っていたのだが、もちろんそれは表には出さない。冷静を取り繕っておく。
今まさに二人きりで出掛けておいて何をと言われるかもしれないが、俺にとって『次の約束』は大事で、そして期待を抱かせるのだ。
それに……、とチラと横目で珊瑚に視線をやった。
今日の彼女の装いは、オフホワイトカラーのタートルネックニットに赤いチェック柄のスカート。ベージュのコートに手編み風マフラーを巻いて、更には足元にはリボン飾りのついたブーツと、冬らしさを漂わせている。
その格好は女の子らしく、華やかで、鮮やかで、つまり可愛い。
そんな珊瑚の装いに、もしかして俺とクリスマスを過ごすから特別な装いを……と、終始そんな期待を抱いてしまうのだ。
いやいやまさか、流石にそれは自意識過剰だ。
だけどクリスマスという特別な日に可愛い格好……。だがもしかしたら冬服は普段からこんな感じなのかもしれない。でも通学時に着用しているコートやマフラーではなく余所行きっぽいし……と、俺の思考回路はこんな具合である。
更には鞄も普段とは違う洒落たもので、そこに桜色のバッグチャームが着いているのだから、俺の考えが纏まるわけがない。
今日の為なのかという期待と、自意識過剰だと咎める気持ちと、それでもやはりという希望が入り混じる。
可愛いと伝えたいがタイミングが分からない。
それにもしも伝えられたとして、珊瑚にとっては特に意識したわけでもない普段通りの服装だった場合、俺が変に期待を抱いていると思われかねないだろうか。今日の為にという俺のこの考えは驕りかもしれないのだ。
だけど、いや、でも……。
「健吾先輩、健吾先輩……? どうしました?」
「えっ、い、いや。なんでもない」
つい考え込んでいたようで、気付けばショッピングモールに到着していた。
珊瑚が不思議そうに俺の顔を覗き込む。だが俺の上着に猫の毛がついていることに気付くと、それをそっと指で摘まみ「これは白色……」と犯人改め犯猫を探り始めた。――彼女の手がゆっくりと近付いた時、一瞬ドキリとしてしまったのは言うまでもない――
そんな彼女の装いはやはり可愛くて、見惚れるように俺は再び考えを巡らせてしまった。




