22:誰かの味方
どこか悲しげにネクタイを見下ろす珊瑚に対し、俺はどう声を掛けて良いのか分からず立ち尽くすしかない。
「……妹」
「だから健吾先輩の妹じゃありません。でも、もしも健吾先輩の妹だったら、話は違っていたかもしれませんね」
珊瑚が笑う。普段の小生意気な表情とは違い、苦し気な笑みだ。無理して取り繕っているのが分かって余計に痛々しい。
そんな珊瑚を前に、俺は不覚にも言葉を詰まらせてしまった。
彼女の真意が分からない。
俺の妹だったらとはどういうことだ?
なんでそんな苦しそうに、ネクタイに意味はないと言い切るんだ……。
何か言わなくては。だがそう思えども言葉が出てこない。
そんな俺に気付いたのか、珊瑚が俺を見上げ、「そういえば」と話を続けた。
「最近の健吾先輩は月見先輩に対しても様子がおかしかったんですが、それはどういうことですか?」
「……さすが女の勘だな」
「だから勘じゃなくて誰が見ても分かるんですって。月見先輩に何か言おうとして言葉を止めて……もしかして!」
はっと珊瑚が息を飲み、次いで俺をじっと見つめてきた。
藻だらけの池、そこに沈められていたネクタイ。それを見つけた俺が、月見に対しても態度がおかしい。これらの点から、もしかしたら珊瑚も感づいたのかもしれない。
ここはやはり、月見の鍵も沈められていたことを話すべきか。
そう考え、俺は躊躇いつつ「それがな……」と話し出すも、それより先に珊瑚が「そういうことですか!」と言葉を続けた。
「健吾先輩も月見先輩に落ちたんですね。確かに、月見先輩は可愛らしいし優しいし、しかも家庭的だし、仕方ないですよね」
「……月見が鍵を無くしたって言っててな」
「うちのクラスでも月見先輩は人気ありますよ。あとは三年生の桐生先輩とか、私の友達も可愛くて人気のある子がいるんです。男の子はみんな誰の親衛隊に入るのかひそひそ話してますよ。まぁ筒抜けですけど」
「このネクタイと一緒に月見の鍵が池に浮いてたんだ……」
「でも健吾先輩も月見先輩狙いですか。宗にぃのライバルになるけど、そこは仕方ありませんね。恋により友情に亀裂が入る、これもまた悲しいけれど青春です」
「もしかしたら、妹のネクタイと月見の鍵を池に投げたやつは同じかも。……というか妹、いいかげん俺の話を聞いてくれ。あと勘違いするな」
俺は月見には惚れていない。もちろん親衛隊なんぞ入る気もない。
そう宣言して珊瑚を正気に戻せば、彼女はきょとんと目を丸くさせた。
「……月見先輩の親衛隊に入って、宗にぃを池に沈めようと思ってるんじゃないんですか?」
「断じて違う。確かに月見のことは可愛いとは思うけど、あくまで友情だ」
月見弥生は確かに可愛い。見た目はもちろん、おっとりとして健気で優しい内面もまさに完璧。彼女に惚れ込む男達の気持ちもよく分かる。
そして先ほど珊瑚があげた通り、蒼坂高校はやたらと見目のよい女子生徒が多く、そして誰もがみな内面も魅力的ときた。
誰が誰に惚れてもおかしくない状況で、一年生男子は誰の親衛隊に入るかを部活選びよりも悩むと言われているほど。
……だけど、俺は誰にも惚れていない。
その最たる理由が。
「そろってみんな宗佐に惚れてるんだぞ。それを目の前で見せつけられて、親衛隊の嫉妬を目の当たりにして、色恋沙汰はうんざりだ」
「枯れてますねぇ」
「お前の兄貴のせいだからな」
今でさえ日々宗佐絡みの騒動に巻き込まれているのだ。
そこで俺が誰かに惚れたり親衛隊に入ったりなどしてみろ、面倒な騒動に横恋慕が加わり、目も当てられない。
恋なんてしたらひたすら辛いだけだ。
「それなら、健吾先輩は私を応援してくれても良いですよ」
「応援?」
「私が宗にぃと結ばれるための協力です。宗にぃと一緒にいる健吾先輩なら分かっているはずです。可愛く健気で一途、なおかつ血の繋がらない妹、私こそが宗にぃの伴侶になるべき存在だと!」
「はいはい、そうだな。お前が誰よりも芝浦姓を名乗るに値するよ」
「元々芝浦姓ですよ! むしろ宗にぃより芝浦姓歴は長いんですから!」
俺の適当な返しに珊瑚が喚く。
それを笑いながら宥め、俺は「誰の味方もする気はない」と断言した。
確かに月見と宗佐が共に片思いをしているのも知っているし、他の女子生徒が宗佐を慕っているのも分かっている。そして女子生徒達を慕う親衛隊達も。
彼等の気持ちが嘘偽りなく本物で、誰もが第三者の協力を望んでいるのも知っている。
……だからこそ、無関係とはいえそれを目の当たりにしているからこそ、誰か一人に肩入れする気はない。
これは宗佐と、宗佐を慕う女の子達と、そんな彼女達を慕う男達の問題だ。
そう俺が断言すれば、珊瑚が「残念」と肩を竦めた。
といっても惜しんでいる様子はないあたり、彼女も本気で言っていたわけではなさそうだ。
そうして彼女はふと池へと視線を向けると、「そういえば」と話し出した。話を本題に戻すつもりらしい。
俺もつられて池を見る。そもそもは、この池に投げ捨てられた珊瑚のネクタイの話をしていたのだ。
「月見先輩の鍵も捨てられたってことは、宗にぃを好きな女の子の可能性が高くなりますね。それも私にも月見先輩にも嫉妬するぐらい過激……。となると、早めに解決しないと」
「解決って、どうするつもりだ?」
「誰がどうして盗ったのか、考えたって犯人が分かるわけじゃありません。でも私がネクタイを着けてれば、きっとまた盗りにくるはずです」
「そうだな。一回で満足するとは思えない。かといって隠し持つようなものじゃないし、学校生活を送る限りどうしたって着替える時はあるからな」
「盗られて、宗にぃから新しく貰って、盗られて……って繰り返してたら、芝浦家がネクタイで破産しちゃいます。だから、今着けてるネクタイを盗みにきたところを押さえるんです」
「なるほど、そのネクタイを囮にするのか」
「教室に忘れた事にすれば、きっと盗りにくるはずです。そこを捕まえれば……」
言いかけ、珊瑚が俺を見上げてきた。
何かを窺うような、物言いたげな視線だ。挙句に首を傾げてしまうが、どちらかと言えばそれは俺の方がやりたい仕草だ。
いったいここまで話して、どうして言葉を止めてしまうのか。
そう疑問を抱く俺に対して、珊瑚はしばらく悩んだのち、「ネクタイを囮にはしますけど」と話し出した。
「私一人で捕まえられるかどうか……」
「妹一人で?」
「健吾先輩の妹じゃありませんけど、私一人です。今回の件は出来れば宗にぃには話したくないし、でも友達に協力してもらうわけにもいかない。だから私一人で捕まえることになるかなぁ……って」
「馬鹿言うな。ひとのもの盗んで池に捨てるような奴だぞ。一人で捕まえるなんて危ないだろ」
「……それなら、健吾先輩が来てくれますか?」
「当然だろ」
断言すれば、珊瑚がしばらく俺をじっと見つめた後、ぱっと表情を明るくさせた。そのうえ「うまくいったらコーンスープを奢ってあげましょう」となぜか上から目線で言って寄越すのだ。
安堵と嬉しさを露わにしたその顔に、不覚にも一瞬可愛いと思ってしまう。
「報酬がコーンスープなら頑張りがいがあるな。それで、いつネクタイを囮にするんだ?」
「宗にぃが注文した新しいネクタイが届いてからが良いと思うんです。もし失敗してネクタイを盗られちゃったら、宗にぃが本当にリボンを着けかねないし」
「なるほど確かに。あいつの事だから新しいネクタイが手に入ったらこれ見よがしに自慢するだろうし、目立って良いかもな」
宗佐がネクタイを注文したのは数日前。購入に一週間ほど掛かると聞いたが、そろそろ手元に届くだろう。
となれば決行の日はそう先ではない。
近々……と考えれば、珊瑚が「頑張りましょうね」と笑った。




