21:放課後の呼び出し
どう珊瑚に伝えるべきか……。授業中そっちのけで悩み続けたというのに、結局なに一つ良い案は浮かばず放課後を迎えてしまった。
こういう時に上手く言い繕うことができない。日頃宗佐の単純さや不器用さを笑っているが、傍から見れば俺も同レベルだろう。
となれば、すべて包み隠さず話すしかない。
覚悟を決めて鞄を手に立ち上がれば、のんびりと用意をしていた宗佐が「帰るのか?」と声を掛けて来た。
「いや、ちょっと……。行くところがある」
「行くところ? さてはお前!」
宗佐が何かに気付いたのか、息を呑んで俺を見てくる。
もしやバレたのか。と俺の中に焦りが浮かんだ。
「まさか健吾、お前……。お前、ついに呼び出しか!」
「……はぁ?」
「隠さなくて良い、お前も何かしでかしたんだろ。で、何をやらかしたんだ? 提出物遅れか? 宿題忘れか?」
「お前と一緒にするな」
「気にするな、誰しも最初は緊張するもんだ。だが考えてみろ、職員室だって所詮は校内の一室、なにも恐れることはない。さぁ、行ってこい!」
先輩風を吹かしつつ、宗佐が俺を見送ってくる。
いったいどうして先生からの呼び出しでここまで堂々と格好をつけられるのだろうか。というか、この点で先輩風を吹かす事自体が恥である。
思わず「素敵なアドバイスありがとう」とお礼を言ってしまう。もちろん棒読みだ。
だというのに俺の皮肉は一切宗佐に伝わらず、良い笑顔で「初陣いってこい!」と背を押された。
「あいつの呼び出し慣れはどうにかすべきじゃ……。妹にでも話すか。いや、これ以上あいつの心労を増やすのは酷か」
そもそも、これから珊瑚にネクタイの件を話すのだ。
更に宗佐の日頃の呼び出されぶりを知るとなれば、一年生女子には受け入れがたい負担である。俺の脳内で「もうどれを悩めば良いのか……!」と苦し気に唸って頽れる珊瑚の姿が浮かぶ。
うん、やっぱり話すのはネクタイの件だけにしよう。
昇降口を出て校舎裏へと向かう。
日中は人気のない駐輪場も、放課後となれば生徒の姿があちこちに見える。といっても誰も長居はせず、己の自転車に乗ってさっさと帰るだけだ。
それを横目に通りすぎれば、その先にあるのは例の池。相変わらず水面は藻で覆い尽くされ、春風を受けてもびくともしない。
さすがにここまでくる生徒はおらず人気が無くなる。
ゆえに、一人ぽつんと待つ珊瑚の姿は探すことなくすぐに見つけられた。
彼女の姿を見た瞬間、俺の中で焦りが湧く。ちなみにここまでどう話すか考えながら歩いてはいたものの、いまだ名案は浮かんでいない。
明日にすればよかった、と、今更な後悔が浮かぶ。往生際が悪いと言うなかれ。どうせ明日になれば翌日にずらしたくなっただろうけれど。
「よ、よぉ、待たせたか」
「健吾先輩。大丈夫ですよ、今来たところです」
俺が声を掛ければ、珊瑚がパタパタとこちらに駆け寄ってきた。
次いでじっと俺を見上げてくるのは、話を促しているのだろう。わざわざ校舎裏まで呼んでの話となれば、珊瑚が気になり先を急かすのも無理はない。
だがいざとなるとどう切り出していいのか分からず、俺は向けられる視線から逃げるように他所を向いた。往生際が悪いと自分でも思う。
「いやぁ、春とは言えまだ寒いな」
「で、話って何ですか?」
「特に校舎裏は日が当たらないから余計に寒い。しかしここら辺も勿体ないよな、放置してないで何かに使えばいいのに」
「……話って、なん、です、か」
「冷えてないか? 待たせたお詫びにコーンスープでも奢ってやるよ。よし、買いに行こう」
「はなし、って、なん、です、か!!」
どうにか後回しにしようとする俺に、痺れを切らした珊瑚が声をあげて睨みつけてきた。人の少ない場所ゆえ、彼女の声がよく響く。
これはもう誤魔化せないか。そう覚悟を決めて、俺は鞄からあるものを取り出した。
先日の一件で見つけたネクタイ。
あの後、どうして良いのか分からず、結局俺は常に鞄に入れたままにしていた。――もちろん洗いはした。が、汚れはなかなか取れず、そのまま直に鞄に入れるのも躊躇われて袋に入れてある――
それを見た珊瑚は一瞬きょとんと目を丸くさせ、「ネクタイ?」と呟いた。だが次の瞬間にはっと息を呑むのは、俺の言わんとしていることを察したからだろう。
「まさか、これ」
「お前が宗佐から貰ったものかは分からない。でも……イニシャルはS・Sだった」
「そうですか……」
珊瑚の声はらしくなく沈んでおり、池へと視線を向けた。
そこにあったのかと尋ねているのだろう。視線の意図を察し、俺も頷いて返す。
「……落とした、とかじゃないよな」
「どんなに汚くなっても、落としたらちゃんと拾いますよ。……でも、そっか、捨てられちゃったんだ」
俺の手からネクタイを受け取り、珊瑚が溜息交じりに呟く。
まるでネクタイに話しかけるような口調だ。寂しげで弱々しく、聞いているともどかしい気持ちになる。
何か言ってやらなくては。それは分かる。だが何を言うべきかが分からない。
こういう時、宗佐はきっとうまく気分を晴らしてやれるんだろう。
あいつの性格が羨ましい。
「……えっと、妹、その……。気にするな、っていうのは無理なんだろうけど、あんまり気負わずだな。もし何か嫌がらせとかされてるなら言えよ? たとえば校舎裏に呼び出されたりとか」
「今まさに校舎裏に呼び出されてます!」
「俺は別だ! まったく、ひとが心配してやってるのに」
それを無下にしやがって、と睨みつけて返せば、珊瑚がクスクスと楽しそうに笑いながら謝罪をしてきた。相変わらず生意気な態度ではないか。
……まぁ、不安がられたり落ち込まれるよりかは、小生意気に返された方が俺としても有難いのだが。あのまま泣かれでもしたらどうしたらいいかと。
だけど、それにしては落ち着きすぎな気もする。
窺うようにじっと見つめていれば、珊瑚が肩を竦めて「こうなるかもとは思ってましたから」と平然と言いのけた。
「こうなるかもって……。やっぱりお前、いじめられてるのか!? 校舎裏に呼び出されて嫌がらせされてるんだな!!」
「だから違いますって。とにかく落ち着いてください。私が虐められてるんじゃなくて、たんに宗にぃのネクタイだからですよ」
「宗佐の? つまり宗佐への嫌がらせってことか? ……それは仕方ないな」
「驚くほどあっさりと納得しましたね」
「だって宗佐だろ。あれだけモテれば恨みの一つや二つ買いそうだしな。うちのクラスなんて、呪詛は毎日のことで一週間にいっぺんは爆発してるぞ」
宗佐は良い奴だ。馬鹿で神経図太くて呆れはするものの、友人として付き合う分には楽しく、あの図太さも慣れてくるといっそ潔く感じられる。
恋愛絡みの嫉妬憎悪を抜きにすれば、宗佐自身を嫌っている奴はいない。
クラスメイトも、やたらとモテること以外で宗佐を悪く言う者はおらず、呪詛を吐いたり木に吊してはいるものの他の点では友好的に接している。
……だがいかんせん宗佐はモテる。やたらとモテる。
それもなぜか、月見をはじめとする可愛い女子生徒にモテる。
そしてそれを嫉妬せずに見守れるほど、男子高校生というものは穏やかではない。
先日は月見を慕う親衛隊が爆発したが、定期的に他の女子を慕う親衛隊達も爆発している。
「というわけで、宗佐が方々から恨まれるのは仕方ない事だと思う。ネクタイ一本で済んで良かったと思うべきだな。よし、このネクタイは池に沈めておこう。男達の怒りを沈めるお札代わりになるかもしれない」
「学校の裏に禍々しい池を作らないでください。でも、本当に宗にぃが憎くて捨てたんでしょうか。もしかしたらそうじゃないかも」
「宗佐への恨みじゃないのに宗佐のネクタイを捨てたのか? なんだそれ、もうわけが分からん」
降参だと両手を上げて説明を求めれば、珊瑚が楽しそうに笑みを浮かべ「鈍いですねぇ」と俺を揶揄ってきた。
次いでネクタイへと視線を落とす。
「もしかしたら、ネクタイを捨てた人は、宗にぃのネクタイを私が持っているのが嫌だったのかも。だから盗った。でも持っていても意味なんて無いから捨てたのかもしれません」
「妹が持ってるのが嫌って……。だってそのネクタイはたんに兄妹で交換しただけだろ」
それすらも許せなかったというのなら、随分な執着心ではないか。
そう俺が怪訝に問えば、珊瑚がチラと横目でこちらを見てきた。その目が一瞬だけ切なげに細められた気がしたが、それを問うより先に、彼女はあっけらかんと「そうですよねぇ」と言ってのけた。
いつも通りの表情だ。全く呆れてしまうと言いたげに苦笑する、少し生意気な笑み。
だけどどうしてか、今はその笑みが自虐めいて見える。
「馬鹿な話ですよね。私が持っていたって、何本ネクタイを貰ったって、意味なんて無いのに」
言い切る珊瑚の声は淡々としており、まるで言い捨てるかのような声色だ。
手にするネクタイを見つめる視線はどこか憐れみの色さえ見える。
捨てられ汚れたネクタイを憐れんでいるのか。
それとも、意味の宿らないネクタイを憐れんでいるのか。




