77.チートなんて持ってません
軍上層部は和平後からずっとバタバタしている。旧国四家とか、国王とか、シャイニー様とか、とにかく協力を仰がなくてはならない人たちとのやり取りで休む暇もないらしい。
それに付随して、ユタル神殿までの訪問にも調整に時間がかかるらしく、紫音は何だかんだと私の元にいることが多い。私の仕事場――軍師執務室に隣接した部屋――のデスクに、適当な椅子を運んできてお喋り。
会議場でトリップ後の話をザックリと交換したものの、詳しい部分は割愛していたこともあり、色々と話をしている。
これは私の仕事としてもありがたいことで、ゲームのフェイファー関連情報との比較ができるのだ。
ここならそういう踏み込んだ話も出来て、一石二鳥。
ただし、未だに満足な文章の書けない私は、相変わらず泣いている。
「それじゃあ、あたしが美和ちゃんのお手伝いするよ」
一緒に来ていたハーミッドが苦言を呈する前に、私がストップをかける。
「紫音、ここは聖女の仕事を優先すべき所だよ」
「えー? でも、聖女の仕事って言っても……回復が使えるワケでもないし、外で戦えるワケでもないし」
「皇家へ書状を認めるお役目があります」
「あ、そうだった」
本当に忘れていたらしい反応が返ってきて、ハーミッドが頭の痛そうな顔をする。
かと思うと、私をきっと睨み付ける。
「貴女の存在の所為で、聖女様が気移りされて事が捗らぬ」
それは、否定はしないけどさ。
私が返す言葉に困っていると、紫音が横でむくれた。
「ハーミッドさん、そう言うハーミッドさんも、今ここでの振る舞い、ちゃんとできてないじゃないの」
紫音はここに来て、シヴァとハーミッドにある提案をしている。
曰わく、「エマちゃんっていうもう一人の聖女もいるんだから、聖女様って呼び方はナシ」「堅苦しい言い方はフェイファー独特だからここでは浮く、ちゃんと共通語に直すこと」「過度な尊敬はいらない、お忍びなんだから上下意識を減らすこと」。
それを指摘したんだね。
ハーミッドは一つ瞬きをしてから、もう一度頭の痛そうな顔に戻る。
「はい、やり直し」
「……貴女が現れたために、シオン様の気が散っている」
「よろしい」
「紫音、その内容に答えてあげて」
思わずハーミッドに助け船を出してしまった。
「んー……まぁ、手紙書くのが頭から抜けてたのは申し訳ないけどね。
でもさ、邪神に対抗するための情報を集めるのは、大事なことでしょ? で、美和ちゃんは、この中では一番と言ってもいいくらいの情報を持ってる」
ハーミッドの眉間の皺が少しマシになった。
「そんでもって、あたしは読み書き自由じゃない? だいぶ役に立つと思うんだよねー」
「さすが紫音、英語の成績が良ければ慣れるのも早いんだね」
「ううん、違うよ? ここに来た時から、何の障害もなく普通に読み書きできた」
え。
「魔術もそうだけど、あたしと美和ちゃんで違いがあるよね」
「ゲームとは関係ないけど、それも情報として整理しておく必要がありそうだね」
「確かにな」
隣の執務室から、マークが姿を現す。
更に忙しくなった上司は、本人を捕まえるのも一苦労。早いところロイを選んだ私の結論を言いたいんだけど、そのタイミングが掴めない。
「とにかく少しでも多くの情報を集めたい。シオン殿に手伝っていただけるなら非常にありがたいところだ」
「マーカス、それは貴方の都合だろう」
「認める。ただ、常に協力を願うのでもない。実際問題、聖女としての仕事はやってもらわねばならないからな」
そこは皆一致してるね。
「ということで、シヴァが二人を呼んでいる。ユタル神殿ではなく、フェイファー本国関連だろう」
「はーい。じゃあ美和ちゃん、後からまた来るね」
手を振る紫音に、ハーミッドはこめかみを押さえる。頭痛や胃痛が辛いならシヴァについててもいいんだよ? 一を言ったら百が返ってきそうだから何も言わないけど。
「ミワも一旦休憩だ。いや、そうでもないか。ソニア様がお呼びだ。その後俺の所へ来てほしい」
ソニア様か。確実にオイルの話ですね……うん、休憩じゃないね……。
お茶が出ると思うから、そこだけ休憩だと思おう。あの美味しかったカヌレが出てくるといいなぁ。
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奥に呼ばれた私は、研究と製造に関わるプロジェクトメンバー――薬師のトニーさんと、エルフ薬師のサッシュさん――も現状に引き込むことを知らされた。
同じく呼ばれていた二人が、事の重大さに眉を寄せている。
「でも、やることは今までと変わらないわよ? 本格生産を行い、販売実績を積み、そして販路の拡大をする。それは私の管轄。
一方であなたたちが行うのは、オイルについての詳細情報を調べることと新作を検討すること」
マーケティングもこちらがやるから、とソニア様が笑う。
「詳細な情報というと、ティーツリーの『抗菌作用』のような、何らかの効能を調べるってことですか?」
「そうね。それのありなしでどのくらい購買意欲が変わるかは検討するけれど、やっぱりないよりはあった方が使い道が多いわね」
それなら確かに、今まで通りの仕事だ。使われる先の規模が大きくなっているけれど、研究開発としてはそれは二の次、ってね。
納得した私たち三人を眺めながら、ソニア様がカップを持ち上げる。
「ところでミワちゃん、本格的に内政に関わるつもりはない?」
「これっぽっちもありません」
即答させてもらった。
「あらぁ、検討してくれる間もなく振られちゃったわね」
「私は多少世界の知識を持っているだけの一般人ですから、相応しい人を取り立ててください。適材適所です」
内政チートなんて便利なスキルは持っていませんよ?
私にあるのは、ゲームの情報。唯一無二の武器だけど、これだって、パズルのピースを丁寧に拾い上げなきゃ使い物にならない。
軍属になって、軍師補佐官とかいう大仰な肩書きは付いているけれど、中身は単なる社会の歯車ですから。歯車を組み上げる人でもなければ、歯車を動かす人でもないんです。元の世界でも、管理職へのキャリアアップはできれば避けたいと思っていましたよ!
「私には、戦う力がないのと同じように、内政を行える専門知識も経験もありません。本当に一般市民なんです。ここに来て、何もしていないのに、必要な力が身に付くはずもないんです。
教育するところから始めさせてもらえる……のではないんですよね?」
何の研修も受けずにOJTどころか即戦力で働けとか、無理無理無理。
「だったら、前に仕事をしていた関係で少しは使えるもの……つまり研究開発に携わっていた方がよっぽどいいです。
食品とアロマオイルという違いはありますが、それでもいきなり政治をしろと言われるよりも役に立つと思います」
紫音みたいに経理が出来るんじゃない。魔術も使えない。読み書きすらできない。
そんな私が出来ることなんて、手を動かして研究することくらいだもの。
実験結果を書き記すのは問題だけど、日本語でメモしておいて後からトニーさんたちと情報共有するのでもいいし。正式書類を書くのではないから、何とでもなる。
「そう。ミワちゃんがそう言うのなら仕方ないわね。それじゃあ、このままオイルの話には関わってもらえる、ということで。
情報検討の仕事の他にも、この話、そのまま担当をお願いするわね?」
……あれ?
「良かったわぁ。軍の方が忙しくなったから、って断られなくて!」
唖然とした私にサッシュさんが気の毒そうな視線を寄越し、トニーさんが私の肩にぽんと手を乗せた。




