76.ビールとラムコーク
会談を行った国境会議場から、メーヴ城へと戻ってきた。
両軍が何かと話し合うにはあの場所が一番なんだけど、まずは聖女がユタル神殿へ向かうことが最重要、となって、少人数がメーヴ城へ逗留することとなったんだ。
こちらからも人質を出した方がいいんじゃないの? と思ったけれど、なんと、シヴァがそれを受け入れなかった。
「この女、総司令官殿が討たれるなどと嘯いていただろう。何故そのような」
「今回は我々がユタルへ訪問するが、次は彼方がフェイファーへ訪れることとなる。要は信頼関係の問題だ」
邪神を何とかするなら、両国に亘って活動しなければならない。
クルストもフェイファーも邪神へ対抗したいのは同じなんだから、双方共に手を出すな、と。
納得したのかしていないのか、とにかくシヴァと紫音、ハーミッドと、更に何人かの高官さん、護衛さんたちがメーヴに来ることになった。
使節団という形なんだけど、当の紫音は完全に観光気分。
まだ和平は秘密になっているから(さっさと公表した方が兵の皆さんは安心すると思うのだけれど、何やら色々あるらしい)、フェイファー側は軍服ではいられない。使節団のはずなのに、皆してメーヴにいる兵士さんや冒険者さんみたいなラフな姿に変装。
だけど、シヴァやハーミッドは服に着られている感がある。お忍び慣れしていないんだと見た。早く慣れてね。
城下町や城の造りを「面白ーい」と言いながら見て回る紫音。続くシヴァとハーミッド。基本的にこの三人は一緒の行動を取るらしい。
シヴァに懸念を示したフェイファーの人じゃないけどさ、本丸の中を相手方のトップに見せちゃって良いのかな? ま、レオナルド様がいいって言ってるんだから、いいんだろう。たぶん、レオナルド様の目がOKサインを出してるんだと思う。
******
夜に食堂兼酒場で一緒に飲むことになった。
「ビールだビール! 美和ちゃん、かんぱ~い!」
上機嫌でジョッキを掲げて乾杯する紫音。
彼女の酒豪っぷりを知らなかったのか、あるいはあまりにも晴れ晴れしている様子に申し訳なく思ったのか、シヴァとハーミッドが複雑な表情をしている。
「紫音、あっちではビール飲んでなかったの?」
「そうなのー。ビールなんてこっち来てから初めてなの! 美和ちゃんもおつまみ作ってくれるし、ここに来てホント良かったぁ」
シェフの好意に甘えてキッチンを借りて、和風のおつまみを作ったんだ。だし巻き卵と揚げ出し豆腐、イカと里芋の煮っ転がし。お礼代わりに、多めに作ってキッチンに提供しておいた。今日の裏メニューとして出すらしい。
「やったー、和食も久々だー」
紫音に何か言おうとするハーミッドだけど、シヴァが興味深そうにおつまみをつついているのに気付いて、そちらに文句の矛先を向けたらしい。
ごちゃごちゃ言い合っている二人を見て、気付いたことがある。
「ハーミッド、ここではシヴァの付き人じゃなくて、幼馴染みの友人として接しているんだね」
「そうだね。その方が警戒されにくいから、ってあたしが提案したんだけど。思った以上にスムーズに慣れたね」
だし巻き卵を箸で切り分けながら、紫音も二人を見る。
「あたしは、こういう二人を見る方が好きなんだけどさ。普段は無理だって。めんどくさいよね、貴族とか政治とか」
「でも紫音、政治に口を挟めないって言ってたけど、結構凄いことしてたんだね」
軍を寝返らせるって、だいぶ凄いと思う。というかメチャクチャ難易度高いよね。
「その辺は、シヴァの協力があったから」
「シヴァ、ゲームとはだいぶ変わってるように見える」
箸を止めて、「んー、それは多分……」と上目遣いで考える紫音。
「あたしと付き合いだして、考え方が変わったんじゃないかな?」
「え、あの皇室の意識を変えたの? 更に凄い」
「全体ではないと思う。主にシヴァと、その周辺。だって、婚約者とあまりにも思想がかけ離れてたら、何かと大変そうじゃない?」
ん?
「婚約者?」
「うん、あたしとシヴァ、婚約してるの」
思わず箸を取り落とした。
驚愕と呼吸を整えるために、手元のラムコークを一気に飲み干す。
身を乗り出して小声で、
「付き合うって、そういう意味の付き合う?」
「うん。順調だよ」
ニコニコ笑顔の紫音と、未だに料理を食べる食べないの言い合いで箸を付けられないシヴァを交互に見てしまう。そういえば、シヴァのピアスは紫音の物だった。
何と言えばいいか悩んで、結局出てきた言葉が、
「いつから付き合ってるの」
という、割とどうでも良い、だけど地味に気になる話題だった。
「きっかけはねぇ、あたしがこっちに来てからすぐにプロポーズされたことかな」
もう一度シヴァを見てしまう。何やってるの知将。
「じゃあ、付き合いだしてそこまで長くないんだよね?」
当然だよね、ここに来てからなんだもの。自分で言っておきながらセルフつっこみを入れる。
「よく結婚を決意したね。……それに、私たち、異世界人なのに」
私もどうしても気になること。開き直って、ここで生きていくと決めても、どうしてもどこかで引っかかる点。
「色々あったけど、私はシヴァと一緒に年を取りたいと思ったし、支えていきたいと思ったから」
「もし現代に戻る手段が見つかったとしても、戻らないつもり?」
「うん。ずっと一緒にいたい、って思える人と出会えたから。色々捨ててシヴァに付いていくよ」
笑顔の裏に、確かな決意が見える。
だけど私には、どうしても聞かなくてはいけないことがある。どうしても謝らなければならないことがある。
「ごめん。ごめんね。紫音は私が巻き込んだんだよ」
紫音はこのゲームを知らない。私は知っている。私が紫音を巻き込んでトリップした。
「謝っても謝りきれない、それなのにここで生き方を決めている紫音を見たら、もうどうしたらいいのか分からない。ねえ、私はどうしたら紫音に償える?」
私の言葉を、紫音は黙って聞いていてくれる。
「自分勝手な私は、元の世界を捨てる決意をして、紫音すら捨てる決意をして、ここにいるけれど。紫音はそれに付き合う義理なんてない。
原因である私は、紫音を元の世界に帰さなきゃならないんじゃないか、って思う。でも、紫音はここでシヴァといることを選んでいて。
聖女であっても全てが終わったら帰る手段を見つけて元の世界に戻せるんじゃないか、って希望は捨てられない。だけど紫音を好きな人から勝手に引き離すのはおかしいとも思う。
どうしたら紫音のためになるのか、もう分からない」
私が言葉を切ったら、紫音の手が伸びてくる。頬を打たれるのかと思って覚悟したけれど。
両頬を掴んでむにーーーっと引っ張られた。私の頬は硬いから、引っ張られると結構痛い。
「このおバカ。
あたしがここに来た当初にそれを言われたら泣いてたと思うけど。もうね、帰る手段は見つからないって散々言われて、あたしは心を決めたんだよ」
帰る手段は、ない?
「あひらえたの?」
「諦めたって言われればそうなんだけど。シヴァと付き合うようになって、帰らなくてもいいやって段々思うようになって。今は帰らないって決めた」
「でぇゃあ、おひ帰ぅひゅらんがいつかっから?」
「見つかっても、それでも帰らない」
話しにくいとボディランゲージで示しているのに、紫音の手が離れない。
「かどくあ?」
「家族よりもシヴァを選んだ。それだけの話」
もう会えないのに。失う物は私よりも多いのに。それでも紫音は決めたのか。
「それじゃあね、美和ちゃんがいつまでも気に病むなら、こう言ってあげる!
『あたしを巻き込んで、大事な人に出会わせてくれて、ありがとう』って」
頬の痛さのせいではなく、涙が零れた。
いつの間にか言い合いを止めてこちらを見ていたシヴァが、紫音の隣に座り直して彼女の髪を撫でる。
「巻き込もうが、巻き込まれようが、ここに来ちゃったのは事実なんだから。大事なのはここから。
一緒に、大きな敵に立ち向かうんだよね? 絶対勝つよ? それが美和ちゃんの償い。
あとは、今のこのお仕置きで手を打とう」
紫音は、元の世界と同じように、強い。そして優しい。私が無条件に甘えられる相手。
……ね、どうしたって涙が止まらないよ。どうしようね。




