67.決め手
「好きって、どういう気持ちなんです?」
私の質問に、トニーさんは少しの間固まった。
後頭部をポリポリ掻いた後、
「抽象的な問いだな……オレ、哲学とか苦手なんだけど。えーと、定義が知りたいってわけじゃないっすよね?」
と唸る。
「定義。それなら、何かを気に入って心がそこにある状態、とか、そういう」
「うん、それを聞きたいんじゃないってことか。じゃ、謎かけ?」
「いや、ホントにストレートに、好きってどんな感じなのかなって。経験談とか、そういう感じですかね」
具体例を知りたいのですよ。
「いや、そりゃオレも人と付き合った経験はありますけども。何て言ったもんか……まさか、ミワさん、人を好きになったことがないの? ライクじゃなくてラブの方で」
「それが分からないんですよ。
一緒にいるとドキドキしてつい気になっちゃう、ってのが好きって気持ち、だった、と、思うんだけど。
それはラブだと思ってたけれど、本当にそうなのか、他の感情に紛れてるのか」
片思いを繰り返して、抑え込んで。
そうしてたら、何だか……男の人と身近に接するだけでドキドキしちゃうんじゃないかとか、少しでも優しくしてもらったら好きって気持ちになっちゃうんじゃないかとか。
こちらを気にしてくれていると感じるのはただ自意識過剰なだけ、こちらを向いてほしいというのはただ達成感がほしいだけ。
そんな風になってない? 好きって気持ち、これでいいの?
不安でしょうがなくなったんだ。
というようなことをポツポツ話してみる。
「ミワさん、ごちゃごちゃ考えすぎだな。別にいいじゃないすか、それで。
他人はどうか知らないけど、オレはそんな感じだし。だって少なからず心が動いてるんでしょ?」
ドキドキしたら好きでいいの? そんな単純なのでいいの?
「え、でも。だってそんなの、カッコいい人に近付いたら、それだけでドキドキしちゃうじゃないですか。違いは何?」
「感覚的に……って、それじゃ分からないか。そうだな、どう説明しよう……。
ひとつ。素敵な人が近くにいてドキドキすると思ってるせいで引き起こされてる、混乱。気のせい。
ふたつ、本当に好き」
「結局違いが分からないんだけど!?」
だから困ってるんだってば!
「だーかーらー、考えすぎなの。とりあえず全部ひっくるめて好きだと仮定すればいいんだって。違ったら『あれ? 何か違う』って思えるから。違うと思えなかったら好きだってことにすればいいの」
だって、そんなの、ドキドキなんて、ロイにもマークにも感じてる。違いが分からない。違うと思えない。
じゃあ、私の好きって、どこにあるの?
「だから、その『何か違う』が分からないの。ひっくるめて仮定して、でもドキドキするとか一緒にいたいとか、該当する人が複数いるんだもの……」
「んー……」
トニーさんはもう一度後頭部をポリポリしてから、
「今は、全部ひっくるめて仮定している『好き』の中で、その本物を探してる、って感じかな。
じゃあさ、家族や友人、ライクの方の話で。友人の中でも一番の親友とか。職場の中でも一番つるむヤツとか。たくさんあるライクの中でも、特別な位置にいる人、いないっすか?」
紫音。私の特別、大親友。
「その人、たくさんの理由があって一番になったんだろうけど。その中から一つ、物差しを借りてくると良いかも。
ドキドキを取っ払って考えて、その物差しに当てはめてみたら?
例えばさ。彼氏とか、あるいは彼女とか、その人とこれから付き合うのに、一番大事にしたいこととか」
いつまでも比べ続けても埒があかない。何かの基準を作って、それで比べる。
大事にしたいこと。それは何?
親を亡くしてから……いや、もっと前、高校生の頃から。人を頼ることは、少なからずしてきた。
紫音にはもっと人を頼れって言われていたけれど、それでも、結構頼っていたと自分では思う。
だけど。
もう大きくなったんだから、自分の足で立たなきゃ。
成人したんだから、自立すべき。
就職したんだから、責任は全て自分自身。
親がいなくなって一人なんだから、もう倒れる訳にはいかない。
甘えるな。甘えるな。甘えるな。
そう。だから、人に甘えることって、数える程しかなかった。
いや、もちろん、好意に甘えるとか、そういうのは普通にあるよ?
そうじゃなくて、自分から寄っ掛かっていくとか、そういう感じの。柔らかいベッドに全身でダイブするような。
分かりやすいところなら、紫音には結構甘えてた。
親友の他に、そんな人がいたらいいと思う?
……うん、思う。
スレた大人になった今ですら、紫音の他にも心の内を見せられる、大切な人に出会えることを夢見ていたから。
じゃあ、そんな人はどこかにいる?
甘えてもいいと、心から安心できると、そう思える人。
マークは……支え合って、頼りにして、頼りにしてほしくて、そうして一緒に立つイメージ。そんな関係性もいいと思う。今の私の立ち方に似てるから分かりやすい。
マークは、私が心細い時に、色んな方法で気持ちを奮い立たせてくれる。
私も、マークを信頼している。それは、ゲームの情報があったからだけど、それから後も、彼を信じていたから色々動いてきたんだ。
でもそれは甘えとはちょっと違う気がする。
ロイは?
私は彼の力になりたいと思う。でも、ロイの方は私を頼ることなんてあんまりなさそう。いつでも笑って受け止めて、「大丈夫だ」って言ってくれそう。今までだって受け止めてくれた。それに最初からずっと甘えてきたし。
ん?
甘えてたじゃん! めっちゃ無意識に甘えてたじゃん!!
「何かに思い至った顔してるね」
あ、トニーさんの存在、忘れてた。
「ちょい待ち! ちょっと、後ちょっとで掴めそうだから!!」
ひとまず黙ってもらって。思考の続き。
マークは、やっぱり甘える気持ちよりも、力になりたい気持ちの方が強い。
それに比べてロイには甘えてる。現在進行形で甘えてる。
文字が書けないからって仕事押し付けるだけじゃなくて、のんびり休憩までしてるよ!
でも待って待って。私はロイを頼れるアニキとして認識してたはずじゃ?
ほら、ゲームでは皆の兄貴ポジションだったし。
ああ、でも、ここに来た時。私、「頼れる兄貴たちと同年代になったんだなぁ」って感じたよね。時間が経った私は彼等をもうアニキと呼べるような歳じゃない、って。話が合うのは主人公組よりも兄貴組だ、って。
それなのに、何でまだアニキだと思ってる? ロイとの間に何があったっけ?
この城に来た時、拘束された時。縛りは緩く、乾パンと水を食べさせてくれた。ゲーム通りに優しい、って思ったんだった。あの時はお互い、兄貴と妹分みたいな感じ。
最初にロイにドキドキしたのは、花園でのハグ。そうだよね、ただのハグだよね、って自分を落ち着かせてた。
飲み会。マークに難癖つけられたよ、って、いきなり愚痴らせてもらった。それなのに何も文句は言われず。
次は、城下町に出掛けた時。デートじゃないよって自分に言い聞かせてから連れて行ってもらって。私の世界の話を聞いてもらって、私の買い物に付き合ってもらって、美味しいお店に連れて行ってもらって、お洒落な服まで買ってもらって。勘違いしちゃうからやめてよ、って。
……そっか。
アニキだと、思い込もうとしてたのか。
一生懸命言い聞かせていた。ここでいつものことを繰り返したら、私はまたショックを受けるから。
だから、言い聞かせていたって時点で、私はもう。
「だーーーっ!」
自覚して急に恥ずかしくなった。ゴロゴロ転がりたい。いや、ここで転がったら水塗れの草塗れになるからしないけど。
「うん、力になれたようで良かった」
そういえばトニーさんもいたんだった。やっぱり転げ回らなくて良かった。




