34.心に染み込んで消えないように 【マーク視点】
ミワが退室した後、様子を窺ってから、俺も身を起こす。
(リラックスできる香りのはずなんだがな……)
今日はさすがに眠くならない。正確には、この興奮状態を何とかしなければ眠れない。
目を閉じて目頭を揉みながら衝動をやり過ごし、ようやく一息つく。
まったく、思春期のガキでもあるまいし。自分でも少々情けない。だが、元はといえばミワが悪い。
ベッドサイドで光量を絞ったままだった明かりを消して、窓際の椅子に座る。
このまましばらく夜空を眺めていれば、香りの効果も出てくるだろう。
ふと、視界の端に何かが動いた。
夜の中庭は人気がないとはいえ、全く尋ね人がないわけでもない。
普段なら捨て置いただろう。
――だがしかし。今日は何か胸騒ぎがした。
つい、と立って、中庭を見下ろす。
「……っ!」
そこにいたのは。
(何故、君とロイがまた共にいる……!?)
柄にもなく、俺は何も考えないまま走って部屋を後にした。
******
中庭に着くと、ロイの姿は消えていたが、ミワはいた。
(一体俺は、二人を前にして何を言おうとしたんだ)
彼女の姿を目にした途端、頭の一部が冷静さを取り戻す。
少しだけ上がった息を、一つ深い呼吸をして無理やり整え、彼女の傍へゆっくり歩み寄る。
俺の姿を認めるとビクリと肩を震わせた。
「寝落ちてくれたと思ったんだけど、あんまり効いてなかった?」
少し困った顔で俺を見上げるミワは、恋人との逢瀬を楽しんだ後とは思えない顔をしていた。
一瞬考えを巡らせたが、普段よりも頭の回転が鈍い。すぐに良い案が浮かばない。
「ミワが、ロイと一緒にここに来たのを見た」
自室の窓を指す。
振り仰いだ彼女は「あぁ、だから最初の日も」と呟き、
「何を話していたか、声も聞こえるの? 高層になれば、下の声って届きやすいっていうよね」
と、頬を掻いて目を逸らす。
その姿にまた頭がカッとなる。俺はこんなにも血の気の多い人間だったか? 感情で突っ走る人間だったか?
ギリ、と握り込んだ手が軋む。落ち着け。声を荒げても怖がらせるだけだ。
「いや。何も聞こえなかった。だが、気になって来てしまった。前は、君に監視をつけていたから報告を聞くだけで良かったが、今はもう何もしていないからな」
違う、こんな言い方では誤解されるだけだ。
「……やっぱり、まだ疑ってた? 大丈夫、ロイに何かしようなんて思っていないよ」
悲しげに笑う様を受けて、眉間に力が入るのを自覚した。
違う、そうではないんだ。
「違う。違うんだ。
……正直に言おう。君とロイとの会話が気になったのは事実だ。だが、それは君を疑っているからじゃない」
どれだけ徹底的に調べても何もなかった。それはすなわち、その間ずっと彼女を見続けていたということ。
彼女の遠慮がなくなった、俺に対して気安くなったと感じるほどに、いつの間にか心の中に居場所があった。
ロイと一緒にいる彼女を見て思考が止まったのは、おそらく嫉妬。
幼い頃、ロイが守ろうとする孤児院の子らを羨ましいと思い、頼られるロイが羨ましいと思った、それ以来の嫉妬心。
あの時と違うのは、暖かな人間関係を嫉み欲する幼心ではなく、ミワを独占したいやきもちであること。
「俺は、思っていた以上に君が好きなようだ……ロイに嫉妬する程に。
君とロイが仲が良いのを承知の上で、それでも俺を見てほしいと思ってしまった。君の愛情が俺に向けば良いと願ってしまった。
君が元の世界に戻りたいと思っているのを承知の上で、それでもなお、俺の横にずっといてほしいと思ってしまった」
彼女の顔が、悲しい笑顔から、僅かに口を開けた驚愕の顔へと塗り替えられる。
「君たちは、君とロイは、恋人同士なのか?」
少なくとも俺が監視していた頃は、二人は恋人同士ではなかった。その後に何か進展があったかもしれない。
それでも、もし俺にもチャンスがあるのなら。指をくわえて見ているだけなど、できるはずもない。
俺の問いかけに、僅かに、だがしっかりと、首を横に振るのを見て、心から安堵する。
「あ、あの……その、あ、う……えっと……あー……」
何か言いたげだが、あ、う、という意味をなさない音しか出てこないようだ。彼女は男に――恋愛沙汰に免疫がなさすぎる。
即座に断りの文句が出てこなかっただけでも、上々なのだろう。
(我ながら、どうしようもないな)
目を見開いて固まったミワですら、愛おしいと思ってしまうのだ。
その目に映るのが俺だけだという今この時が、嬉しいと思ってしまうのだ。
こちらを見てほしい。彼女が俺のことを考える時間が、僅かでも増えてほしい。
それでも、彼女を大切に思うが故に、俺の元にいてほしいと願う反面、ここに留まることを強要できない。
「君の意思は尊重したい。だが、帰ってもらいたくない。俺は自分勝手な男だ。
俺の唯一絶対の仕事はこの戦争を終わらせることだ。それだけは安心してくれ。私情に駆られて責務を放り出すことだけはしない。
だから……君の知る絵巻物の終局に成った暁には、君の未来に対する選択肢を増やすこと、検討してほしい」
冷静になりさえすれば、彼女を囲い込む策は考え出せる。そして彼女もそれは分かっているだろう。だが、それをする気はないと匂わせる。
貴族の義務である結婚をのらりくらりと交わしながらここまで来たのが、拗らせる要因だったのかもしれない。
独り身のままミワに出会えたことが幸運なのか、不幸なのか。
彼女の目が揺れる。
口は開いたり閉じたりするものの、やはり言葉は出てこない。
これ以上ここにいても彼女にプレッシャーを与えてしまうだけだろう。
「焦らなくてもいい。返事は、絵巻物が終わる頃までに聞かせてくれ。それまでは黙って待つから」
できるだけ恐怖を与えないよう、柔らかく微笑みかけてから、自室へと足を向ける。
戦が終わるまで、俺とのことを考え続けてくれ。いつもミワの頭の片隅に、俺の存在を置いてくれ。
ずっと俺を気にしていれば、いつか俺に心奪われるようになるかもしれないだろう? 俺と同じように。
これくらい、策でも何でもない。ただの駆け引きだよ。




