33.息ができないくらいの
私がマッサージしている間は寝落ちなかったみたいだけど、「このまま寝かせてくれ」というマークの言葉に、そっと部屋を辞した。
これで少しはしっかり睡眠が取れるといいんだけどな。
――と思いながら、夜の廊下を歩いていたのがさっき。
ムッとした顔をしたロイと鉢合わせたと思った途端、
「飲むぞ」
の一言で、だいぶ人の少なくなった食堂兼酒場で向かい合うことになった。
「お、おかえり、無事で良かった。ところで、ね、どうしたの、ロイ」
今日のロイは何だか荒れている雰囲気。
えーっと、内乱紛い一悶着イベントが終わってからは、しばらく何もなかったはず。ラルドのレベル上げに勤しみながら何回か寝て、そしたら国からの援軍が到着するんだもの。
何回か寝る、というのは、ある程度の時間経過を指し示すはずで。
現実的に考えたら、貴族の騒動が収まったことでようやく首都から兵が派遣できるようになり、その援軍がラヴィソフィまで到着するための時間が必要、ってことだよね。
だからロイも、帰城してからはそんなに厳しい動きはしていないはずなんだけどなぁ。ラルドのレベル上げにでも付き合っていたのか。
「ミワ、お前さ」
片肘をついて手のひらに顎を乗せたロイは、眉を顰めて私を睨む。
「夜になってからマークの私室に行っただろ」
「ん? うん、マッサージしに。何回か昼の休憩時間にもやってあげたんだけど、夜に解してそのまま寝てもらった方が回復も早いだろうし、ぐっすり眠れそうだから」
「あのな。お前も小娘じゃないんだから分かるだろ? 男の部屋にのこのこと入るんじゃない。ましてや夜中だぞ。
相手がマークだろうと誰だろうと、そのままベッドに引っ張り込まれるかもしれないだろ。何かあっても、お前じゃ逃げてこられないだろうが」
あ。
そうだった、この何回かですっかり慣れてしまって考えもつかなかったけれど、礼儀云々の前の話だ、これ。
そういや、最近はマッサージする時に侍女さんを見ていなかった……これはそういう風に見られていたってことか。あーーーーー、やらかしてしまった。
そして、ロイの怒りももっともですね。
これは、今日自ら寝室に案内してもらったことは隠しておいた方がいいな……。
「う……はい。ごめんなさい」
反省しました。これからはせめてマークの執務室だけでマッサージします。
仕方なさそうに眉の力を抜き、腕組みをしてふんぞり返ったロイ。
少し怒りは収まってくれたかな。
そうやって安心したのに。
「私はいつも頼りにしちゃってるのに。心配ばっかりかけてごめん。でも、本当に、マークとは何もなかったから。
はぁ、ロイが心配しなくてもすむように、私もお兄ちゃん離れしないとなぁ」
私の言葉を聞いた途端、ロイは赤っぽい髪と同じくらい顔を真っ赤にして、拳をテーブルに叩きつけた。
******
酒場に来たばかりだったのに、グラスを空にしないまま席を立ち、叩きつけるようにお金を払ったロイに、再度引き摺られるように歩かされる。
「ちょっ……ロイ、どうしたの? 怖いんだけど」
話しかけても答えてくれないどころか、顔を向けてももらえない。
たぶん、戦場でロイに会ったらこういう恐ろしさなんだろう。総毛立つ。これが殺気というやつか。
(え、何か地雷を踏んだ?)
分からないけれど、うっかり適当に謝っても「何に謝ってるんだ」って更に怒られそう。私だったら怒る。
ぐいぐいと引っ張られて連れてこられたのは、中庭の秘密の花園。
ようやく手を離してもらえたと思ったら、再度両腕を捕まれて、ロイと向かい合うように固定された。
「俺は、お前とここで会った時に、惚れたんだ」
(……へ?)
青天の霹靂。今は月夜だけど。違う、そういうことじゃない。
――今、なんつった?
目を丸くして固まっている私に、はぁっと大きな息をついて。それでも手は離さず、視線は私の顔。
「全身から『帰りたい』とでもいうような寂しさを滲ませて。胸に染みる消えそうな歌声で。それなのに俺が姿を見せた途端、健気に笑って。
あの時、俺はお前を守ると決めた。単なる仕事で戦場に向かうんじゃない。力を持たないお前を、ミワを絶対に死なせないために、俺は全力で戦うと決めた」
ちょっと待て。
あの時の私の様子、そんな風に見られていたの?
ちょっと待って。
あの時のハグは、単なるハグじゃなかったってこと?
分からない。
だって私は、自分が惚れることはあっても、人に惚れられたことなんてなかったんだから。勘違いばかりだったんだから。
分からない。分からない。
ストーリーになかったこんな変化、この先どんな影響があるのか。私はどう動けばいいの?
私の混乱をよそに、ロイの独白は続く。
「もっと早く、この気持ちを伝えれば良かった。柄にもない、この年で恥ずかしい、お前に嫌われるのは嫌だ、そんな言葉で誤魔化して、ここまできたから。お前が男から迫られると困惑すると知って、余計に何もできない、そう自分に言い聞かせてきたから。
だからミワを、他の男の所へみすみす行かせることになった。それが俺は悔しい。いつの間にか部屋に入り、愛称で呼び、そこまで仲が進展している今になって、めちゃくちゃ後悔しているし、あいつに嫉妬している」
ロイが、マークに嫉妬しているの?
どういうこと? 何が起きているの?
喉元に心臓があるように、ひくひくドキドキしている。息が苦しい。
耳どころか顔中に熱が集まっているのが感じられる。前よりも明るい月夜だから、今日はこんな顔を見られているかな、と変に気になった。
何かを言おうと口を開くけれど、言葉にならない。
(トムとは違うの? これは現実のことなの? ありがとうってお礼を言うの? 私はロイが好きなの? お兄ちゃんとしてじゃなく、異性として好きなの? 元の世界に戻るのに、誰かを好きになってしまってもいいの? ロイはどうなるの?)
ロイは全てのストーリーが終わるまでは死なない。そしてブルフィアが完結した後にどうなったかまでは分からない。
でも、こんな感情を持ってしまっていたら、無茶をしてしまったら。
ロイが死んでしまう未来が、来てしまうかもしれない。
私は戦争が終わるまでは生き残るつもりだし、ブルフィアで描かれた時間が終われば元の世界に戻る方法を探す。
でも、こんな事が起きてしまったから。ストーリーが狂うかもしれない。
私が無事に生き残る算段が、狂うかもしれない。
こんな時まで。仲が良いだけだと自分に言い聞かせてきた異性から、初めて好意をもらえた時まで。
何度も忘れようとしたゲームの世界がのし掛かってきて、混乱が収まらない。
黙ったままで口をパクパクしている私を、どう思ったのか。
「もしミワがマークに惚れているなら、俺の方により惚れさせる。誰に対しても気持ちがないなら、俺だけを見てもらう。まだ諦めるつもりはない。
……初めて、傭兵をやめても良いと、俺だけの家族を持ちたいと、思ったんだ」
そう言って、踵を返して秘密の花園を後にするロイ。
私は、動けなかった。




