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城崎は今日も小さなお弁当を食べている。
その動作は、美しく、見ていて飽きない。
「どうしたんですか?先輩が黙ってるなんて珍しいじゃないですか、一人でもしゃべってることあるのに」
人を壊れたおもちゃみたいに言うのはやめてほしかった。
「あぁ、そうだ、マシュマロ食べた?」
「いただきました、まだ半分くらい残ってますけど」
「そっか、あれって焼くとおいしいよね、なんかもう別の食べ物みたいだけど、初めて焼きマシュマロやったときの感動は忘れないな、あとコーヒーに入れてもおいしいみたいだよ、やったことないから知らないけど」
竹串に刺したマシュマロをトースターで表面に焼き色が付くまで焼いて、下に敷いたアルミホイルから、素早く剥がすと、冷めないうちに口の中に放り込む。
噛まなくても口の中でとろける感覚にドはまりしたのを覚えている。
僕が回想に浸っていると、城崎が見つめてくる。
窓から差し込んでくる光の加減だろうか、彼女の瞳は薄く輝いているように見える。
「日野さんの件で何か進展はありました?」
「ああ、日高先輩が作ってくれたおもちゃのおかげで何とかね」
「おもちゃですか?」
「日高先輩に日野さんのことを話したら、言質をとるのが一番だからって言って自作の盗聴器を作ってくれたんだ」
「まさか、先輩が犯罪に手を染めるなんて、見損ないました」
「城崎は僕を何度見損なうんだよ」
城崎の中の僕の評価の暴落が停まらない。
「冗談です、もともと先輩のことを低く評価しているので、見損なうこともないですよ」
目を少し細めて、歯を少しだけ見せて笑った。
品のある笑顔だ。
しかし、本当に笑顔のタイミングがおかしいと思う。
城崎の中での僕の評価はすでにストップ安だった。
そこまでの愚行を犯しているつもりはないのに何という仕打ちだろう。
無意識のうちに彼女を失望させているんだったら、僕はどうすることもできない。
「なにか、撮れたんですか」
「撮れたは、撮れたんだけどね、城崎は不快に思うかもしれないから聞かないほうがいいと思うよ」
「そんなこと言われたら、余計に聞きたくなるじゃないですか、大丈夫ですよ、再生しましょう」
しぶしぶ、アプリを起動して、昨日録音した会話を再生した。
城崎は表情を変えることなく、録音された会話を聞き終えた。
城崎の録音された音声に対する感情は嫌悪とか蔑みといったマイナスな感情だった。
「大方こんなことだろうと思ってましたけど、改めて実際に聞かされると不快ですね」
「まあ、まさか、この人達も聞かれているとは思ってないわけだから、ついつい言ってしまったていう感じかもしれないけどね」
「先輩はこれ聞いた時どう思いました?」
「彼らが言っていることは共感できなかった、理解できなかったって感じかな、できれば、関わり合いにはなりたくない」
何かを独占したいと思う気持ちはわからなくはなかった。
そういう感情を持つこと自体はおかしなことじゃない、ただ、攻略という言葉は、相手を対等な人間として見ているのであれば、出てくるはずの無い言葉のはずだ。
日野は、お前が主人公のゲームの攻略キャラじゃない、それを理解してなおああいう発言ができるのか、理解できていないのかわからないけど、僕は彼らに恐怖を感じた。
「先輩の感覚は正しいと思いますよ、なんで友達がいないんでしょうね?」
城崎は僕のことを褒めているようでけなしている。僕には、友達がちゃんといる。
「僕には幼馴染かつ友達がちゃんといるんだ、なんで城崎の中でいないことになっているのかわからないけれど。まあ、ともかく日野に頼まれたらこの音声を使ってその言い寄ってくる先輩に釘刺しといたら何とかなると思うから僕に任せて」
「そうでしたね、先輩には、彼氏持ちの可愛い幼馴染がいるんでしたね。あんまり無茶なこと考えない方がいいですよ」
彼氏持ちという部分がやけに強調されていた気がするのはただの被害妄想だと思いたい。
「あくまで最終手段として、だからね、何事もなく終わってくれるのが一番だよ」
こんなのは秘密兵器なわけであって、秘密のまま終わってくれるのが一番いい、日野が自分自身の問題として解決してあとくされなく終わるのが最もいいと思いながら昼休みは終わっていった。
今日も放課後は盗聴の続きを行うべく、図書館に向かった。
日高先輩は昨日と同じ席に座って本を読んでいる。
僕は無言で隣の席に座って、先輩に要求された官能小説を先輩の前に置く、日高先輩は読んでいた官能小説を一度閉じると、僕が差し出した官能小説をパラパラとめくり、内容を確認すると「確かに」と言って、茶封筒を差し出してきた。
「盗聴の方は上手く行っているようだね」
「おかげさまで、一日目にして、相手に決定的なダメージを与えるような言質が取れましたよ」
「それはよかった。ちなみに、日野君に付きまとっている男は犬村大海という二年生だ。彼は、サッカー部では二年生ながら、スタメンで活躍していることをアイデンティティーにしている。目立つことと女遊びが好きで、男は少しくらい悪いほうが格好いいと思っているタイプの人間だ。必要だと思ったから彼についての詳細な個人情報もその茶封筒の中に入れておいた」
「能登君は見ていて面白いから、好きなようにやるといい」そう言って、日高先輩は笑った。
「ありがとうございます」と言うと、「これは、この本を買ってきたことの対価だからね、過剰に感謝する必要はない」と涼しい顔で言った。
日高先輩の心はいつも無邪気な少年のような喜悦であふれている。
日野から話を聞いてからの平日の僕は、サッカー部の部室での会話の盗聴に明け暮れた。
しかし、一日目以降は目立った収穫もなく、気が付くと日野と約束した日になっていた。
相変わらず、城崎とは昼ご飯を一緒に食べていたから部屋には来ていたけれど、放課後の時間帯に同好会の部屋に来るのは久しぶりだった。
大見得を切った手前、日野が来るにしても来ないにしても、ここで待つ必要があった。
城崎も日高先輩もいる状況は懐かしさと安心感があった。
先輩が小説を読み、僕がコーヒーを淹れて、城崎が課題をする。
トイレに行こうとした僕が引き戸を開けると、そこには日野がいた。
目を丸くして驚いているのが分かる。
扉の前でずっと入ろうかどうか迷っていたのだろうか。
「びっくりしたよね、まあ、入って入って」
僕は、躊躇していたであろう日野に有無を言わせずに中に招きいれた。
日高先輩は音を立てずに自分の座っている席を立って、日野に座るよう促した。
少しの戸惑いを見てとれたが、日野は浅く椅子に腰かけた。
城崎は広げた課題を途中で止めることなく、手を動かし続けている。
「来てくれてありがとう、気持ちはまとまったかな?」
少しの沈黙の後、日野は顔を挙げて努めて明るい表情を作った。
「はい、決めました。私先輩と付き合おうと思います。付き合ってみて好きになるっていうこともあるかもしれないし、それに犬村先輩、顔は恰好いいし、女子からもそれなりに人気だから、一回付き合ってみてもいいかなと思ったんで」
日野は明るく振舞おうとしているが、その試みが逆に痛々しかった。
「適当な理由を付けて、逃げるのね。あなた自分は好きでもない人と付き合ったりしないって言ってたわよね、あれは何だったの?」
城崎は顔を上げることなく、言い切り、言い終えると顔を挙げて、日野の方を見た。
日野の表情は見る見るうちに暗くなる。
「仕方がなかったの、先輩のことを拒絶したら、何されるかわからないし、私の居場所はあそこにしかないの、それにあなたたちに迷惑をかけるわけにはいかない」
彼女がもし、僕らに迷惑を掛けることを引け目に感じているのであればそれを払拭できるかもしれない言葉を僕は知っている気がした。
「日本では、他人に迷惑をかけちゃいけませんって教わるけど、インドではあなたも人に迷惑をかけてるんだから、他人の迷惑も許してあげなさいって教えるらしいんだ。だから、日野は僕らに迷惑をかけてもいいんだよ。僕は別に迷惑をかけられているとは感じていないけどね」
迷惑どうのってやつは前なにかの本で読んだ受け売りだ。
そして、日野は吉岡先生に連れてこられた仕事の依頼人なわけであって依頼を遂行するための行為を迷惑とは言わない。
でも、日野が僕らに迷惑をかけていると思っているのなら、その気持ちが少しでも軽くなればいいと思った。
「改めて聞くけど、日野はどうしたいの?」
「……助けてください」
日野は肩を少し震わせながら、絞り出したような声でそう言った。
「それじゃあ、日野にもやってほしいことがあるんだ」
これからやることの引き金を引くのは日野じゃないといけない。
「わかりました。私は正直に犬村先輩のことを拒絶したらいいんですね」
「そうだね、はっきり、気が無いことを伝えないと、いつまでも照れ隠しだと思い込んで付きまとわれることになると思うからね。それと、日野が犬村って人を振っても、部に残れるのは、後腐れなく、さわやかな失恋として向こうが思ってくれた場合に限ると思うけど、そうなる可能性はありそうかな?」
「皆無だろうな、ああいうタイプは自分のプライドを傷つけられるのを最も嫌う、陰湿な嫌がらせをしてくるだろう、城崎とご飯に行きたくて土下座ができる能登君とは対極を行く人間だ」
日高先輩は、犬村の何を知っているのだろうか。
いや、もしかしたら、本人も自覚していないようなことまで知っているのかもしれない。
「日高先輩には聞いてないですって、あと余計なことを言わないでください、それはあくまで模擬の場合で実際にしたわけじゃないんですから」
「先輩の言う通りだと思います。きれいに終わる可能性は期待できないと思いますよ」
日野は若干引きつった笑顔でそう言った。
ダメだ、僕が女の子とご飯に行きたいがために土下座をする男だと思って完全に引いてしまっている。
「そうか、仮に僕が出ていくようなことになるときっと部活にはいられなくなると思うけど、その覚悟はできているかな?」
僕は日野の居場所を壊しに行くことをやるつもりだ。やりたくてやるのではなくてやらなければいけないからやるのだ。
「覚悟はできています」
日野は静かにそう言った。
そういった日野を何も言わずに城崎は見ていた。