31
雪山に動物の毛でできた簡素なアンダーウェアを着ただけで向かうなんて誰かが停めてやるべきだったのではないだろうか。
しかも履いているのは下だけ、上半身は筋骨隆々の体を惜しげもなく見せつけ人間の何倍もの大きさの体に凶悪そうな牙を付けたモンスターの前でゆったりと歩いている。
手には、ハンターになりたての時に貰える短剣を握ったまま、歩いているだけなのにモンスターの一撃で命を刈り取らんとする気迫の籠められた攻撃が全く当たる様子が無い。
それとは反対に上半身裸の男の一振りごとにモンスターの急所をとらえている。
どんな粗雑な武器であっても使用者の腕によっては、名工が渾身を込めて打った名のある剣よりも輝くということをその背中で語っていた。
血走った目を光らせこちらを獲物としか見ていなかったモンスターは見る見るうちにその生命の輝きを弱らせていき、沈み込むようにその場に倒れた。
クエスト達成、30秒後に村へ帰りますという文字がポップした。
「ってか、なんで、防具何もつけてないんですか、一応高難易度クエストにしたつもりなんですけどね、縛りプレイでもやっているんですか、あと、ゲームの中でまで自分の性癖を出そうとするのはやめてください」
「クエストを受注したときのギルドの看板娘の塩対応が実によかった。ところで、縛りプレイとは何とも甘美な響きだね、能登くんもそう思わないか?」
「……先輩が何を想像しているのか考えたくなかったのに考えてしまって気分が悪いです」
家を掃除しているとインターホンが鳴り、訪問販売かと警戒しながらドアを開けるとそこに立っていたのは日高先輩だった。
用事で我が家の近くを通ったからついでにちょっと寄ってみたとのことだった。
昼前に終わる用事が何かとか、そもそもなんで家の場所を知っているのか、とか疑問に思うことはあったけれど、せっかく来てもらったところ、追い返すわけにもいかなかったので、5分だけ待ってもらって、大至急、そこら中に散らばっている叔母さんの衣服や下着や小物をまとめて叔母さんの部屋に放り込んでドアを閉めた。
他にも、朝食を食べ終わった後の皿を流しに置きっぱなしになっていたり、なぜか片方だけの靴下が落ちていたりしたけれど、夏の暑さの中外に待たせっぱなしになるのは申し訳なかったので、生活感であふれている家に先輩を招待した。
夏休みに訪れた日高先輩の別荘に比べるとずいぶんと狭い玄関に綺麗に靴をそろえると日高先輩は「お邪魔します」と言って我が家に上がった。
築年数がかなり経っていて、エントランスが無い横長の二階建てのマンションとなっている我が家の立地は契約数を稼ぎたい訪問販売業者の温床となってはいるものの、家賃のわりに2LDKという広々とした室内が唯一の自慢できる点だった。
玄関は狭いけれど。
居間に先輩を通すと、朝作ったばかりであまり色の出ていないパックの麦茶を出す。
日高先輩はだしぬけに「能登くんの好きなゲームをしよう」と言ってカバンの中から、さまざまなハードを取り出した。
その中で僕が唯一持っていたハードを使って一昔前に大流行したモンハンを一緒にすることになった。
もちろん僕が買うことが出来たのはブームが去ってからのことだった。
他のみんなが別のゲームの話題で盛り上がっているときに僕はみんなが熱狂していた時と同じくらいの熱量をかけて、ゲームにのめりこんだ。
当時はかなりやりこんだ記憶があったけれど、最近はずいぶんとご無沙汰だったということもあって、うまく戦うことが出来なかった。
それに比べて、日高先輩は鬼神のごときプレイングは見ていて飽きが来なかった。
ことあるごとにゲーム内の用語を聞いてきた日高先輩はもしかしなくても、モンハンをやったことは無いようだった。
なんだかんだゲームをしていると昼過ぎくらいの時間になったので、昼ごはんを食べることにした。
夏と言えば定番の冷やし中華を二人前作って、いつもは叔母さんと食べているテーブルの上に二つの皿を並べる。
客人用の箸は用意していなかったので、割りばしを使ってもらうことにした。
「家事は全部能登くんがしているのか?」
ほとんど出来合いの冷やし中華を口に運びながら日高先輩はそう言った。
「そうですね、大体は僕がやってます。叔母さんの部屋の掃除は叔母さんにやってもらってますけど」
「そうか、叔母さんはいい甥っ子に恵まれたんだね」
「それは違いますよ、僕はいい叔母さんに恵まれたんです」
わざわざ僕の部屋を作るために二人暮らしにしては大きな部屋を借りてくれたことも、自分でやった方が早い家事も僕に任せてくれていることもすべては叔母さんのやさしさだ。
「そうか、叔母さんに渡すプレゼントは何にするかもう決まったのかい?」
一狩り終えた後でゲーム機を机の上に置いた日高先輩はそう言った。
お金を掛けなくても、手間を掛けなくても、自分なりに叔母さんのことを思って選んだものだったらいいのではないか、と図書館で言ってくれたのは日高先輩だった。
考えた末に僕がたどりついた答えとしては……
「叔母さんにいつもより少しいい食材を使った料理を作ろうと思います」
デパートの化粧品や高いお酒、コース料理を食べることが出来る少しいいお店に連れて行ってあげること、温泉旅行など、いろいろ考えた結果一番僕らしいものというのが、いつも作っている手料理を少しだけ豪華にして振舞うことだった。
いつもはお高くて入ることもできないようなお肉屋さんにお肉を買いに行って、大量仕入れでいつも安く品質の良いスーパーで野菜を買うのではなく、少し割高でも、地元の食材を使っている八百屋さんで野菜を買う、そうしていつもと同じように夜ご飯を作って、日ごろの感謝を叔母さんに伝える、それが僕にできること、僕だけにできることのように思えた。
「手料理とは能登くんらしいな、うまく行くことを願っているよ」
日高先輩はそう言ってほほ笑んだ。
人を魅了するような笑みだ。
日高先輩の性癖を知らずに多くの女の子がこの笑顔の虜になり、離れていく。
昼ごはんを食べて、朝よりは少し濃い色になった麦茶を飲み終わると日高先輩は帰っていった。
「残り半月の夏休みを楽しんで」そう告げて日高先輩は扉を閉めた。




