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海の家の短期バイトをやったことで、少しはこの夏の暑さに対応できるようになったかと思っていたけれど、そんな甘いことは無く、少しづつ本来の自分の耐久力に戻っていきアルバイトを終えて一週間がたった今となっては、海の家に行く前とほとんど変わらないと感じてしまうほど、家の中にいても暑さを感じてしまっていた。
未だに寝るとき以外は扇風機で粘っている我が家においては昼間の燦燦と照り付ける太陽によって蒸された部屋はアルバイトで担当した焼き場と同じくらい暑いのではないだろうか。
いや、むしろ、風通しが悪い分、我が家の方が不快まであった。
僕は暑さにたまらず、カバンに適当に宿題を詰めて家から飛び出し、共用スペースに停めてある自転車にまたがった。
朝に弱い、叔母さんを起こすことから始まり、洗濯を済ませると適当にご飯を食べて、夏休みの宿題をする。
三日に一回、食品や日用品の買い出しに行って、叔母さんが仕事を終えて帰ってくる時間に合わせてご飯を作る、というパターン化された日常を送ることを不可能にするほどの連日の暑さから逃れるべく向う先は、自転車で15分ほどのところにある市立図書館だ。
風を切りながら自転車を漕いでいるときはそれほどの暑さを感じることは無いが、信号待ちで内にこもった熱と外から照り付ける直射日光で汗が噴き出てくる。
青白い空の遠くの方にはもこもこと膨れた入道雲が縦に伸びている。
信号が青に変わると車の中で音楽でも聴いているのだろうか、リズムをとりながら、信号待ちをしていた運転手を後目に僕はペダルを踏む足に力を籠める。
道々にあった運動公園にもこの暑さではさすがに誰もいないだろうと思っていたけれど、小学生くらいの男の子たちが楽しそうな声を挙げながら走り回っていた。
若いってすごい。
駐輪所に自転車を停めると足早に館内に入った。
冷房が効きすぎていて肌寒かったなんてことはなく、むしろ、なんかぬるくね?と感じてしまうほどの室温だった。
貸出カウンターの目に留まりやすいところに節電にご協力をという張り紙が貼られている。
なるほど、それならば仕方がない……なんてことはない。
実際に中で働いている司書さん達は汗をタオルで拭いながら作業しているではないか。
それでも、我が家よりはましかと自分を納得させて、空いている席に座る。
お昼前だから人がまばらなのか、行き過ぎた節電対策のせいか、それとも暑すぎてみんな家から出てこないから人が少ないのかわからなかったけれど、ちらほら座って新聞を読んでいたり、本を読んでいたり、勉強をしている人がいるくらいだ。
「問2、間違っているぞ、それは尊敬語じゃなくて丁寧語だ」
背後から聞いたことのある声がして振り返ってみるとそこには日高先輩が立っていた。
目が合うと、日高先輩はクールな笑みを浮かべて僕の隣の席に座った。
「ま、まあ、謙譲語じゃないことは分かってたんですけどね、その先の二択を間違えたって感じですかね」
そう言って、僕は丁寧語と書きなおす。
答え丸写しを防止するために課題として出されたテキストの答えは夏休みが開けてから配布されることになっているので、これまでの回答が間違っていたとしてもそれを正す手段がない。
「勘に頼ってなんとなくで問題を解いているからそういうことが起こるんだ。仕組みが分かったらそんなことで二択になんてならないのだよ」
「真実はいつも一つってことですか?先輩は探偵に向いているかもしれませんね」
「何故そうなるのか、という問題に対して矛盾なく筋道立てて考えることは大切なことだ、能登くんにわかるかな?」
「言いたいことは分かりました。とりあえず勘とか憶測で問題を解いている僕はバカだということが言いたいんですね」
「まあそれはさておき、バイト代はもう何かに使ったかい?」
日高先輩は僕がバカだということを否定しなった。
しかも、あからさまに話題を変えようをしているし。
言っておくがこれは少し夏休みに入ってから勉強を怠ったせいで少し内容を忘れてしまっているからに過ぎないわけであって、復習すれば問題ないわけであって、決して僕は自分がバカであるということを認めたりはしない。
否定してくれることを期待して口に出しただけだ。
「いえ、まだ何にも使ってません」
「そうか、能登君は倹約家だな、どこかに遊びに行ったりしないのかい?」
「自分で言うのもなんですけど、夏休みに遊びに行くような友達はいないんで、それに僕にとっては大金過ぎて、どう使っていいかわからずにそのまま引き出しの中にしまってありますよ」
「それは失礼した。能登くんは、クラスに気軽に他愛のない話が出来る人がいない、いわゆる、ボッチというやつだったね」
悪びれる様子もなく日高先輩は言い切った。
「そこまでで大丈夫です、気にしてるんで、これで慰められでもしたらより惨めな気持ちになるんでその辺で勘弁してください」
「私は悪いことではないと思うけどね、そこまで言うのだったらやめておこう」
「助かります、一つ考えているのは、プレゼントですね、女の人って何をもらえると嬉しいんですかね?」
日高先輩は目を閉じて静かに考えこんでいるようだった。
「能登くんの叔母さんは自分で稼いだお金を自分のために使うことを望んでいるじゃなのかい?」
女の人と言っただけなのに叔母さんへのプレゼントだということに気が付いたのはなぜだろうか。
日高先輩には僕の家族構成を教えてはいないのだが、見透かされている気がして少し怖くなる。
「まあ、そんなに身構えることは無いよ、別に能登くんの家族構成を知ることなんて難しい事じゃないから、前も言ったと思うけど、私は君に興味があるからね、少し調べさせてもらたんだ」
「盗聴器なんかを簡単に作ってしまえるんだから、別に驚きはしないですけどなんかあまりいい気はしないですね、なんか自分を暴かれているみたいで、まあ、日高先輩の考えていることは分からないので気にしないようにします」
「そうしてくれると助かるよ、能登くんは自分の思うままに動いてくれたらそれでいいんだ、それと、能登くんの問いに対する答えだけれど、お金を掛けなくても、手間を掛けなくても、叔母さんがしてもらって嬉しいことをしてあげるのがいいんじゃないかな?WEBサイトに転がっているような誰に対しても辺りさわりのないプレゼントより自分で考えたものを渡した方がずっと相手に気持ちが伝わりそうだ」
「そうですね、日高先輩にしてはまともなアドバイスをありがとうございます」
「お力添え出来て何よりだよ」
日高先輩は、「じゃあ、もうじき雨が降ってくるから、私はこれで」と言って図書館を後にした。
図書館の大きな窓からは僕が自転車を漕いでいた時と変わらず、真っ白な太陽の光が、雨を降らせるような予感もさせないほど、降り注いでいる。
外の暑さを忘れて、夏休み前に学習した範囲の一問一問に悪戦苦闘しながら、ノートとテキストに向き合っていると、空調設備の音だと思っていた音がどんどん大きくなっていき、意識していなくても音が聞こえくるようになる。
エアコンがフル稼働しているときの唸り声のようなそれは、空調設備が頑張っている音ではなく、雨が建物を叩いている音だった。
先ほどまで、青空が広がっていた窓の外は、重たそうな灰色の雲に覆われ落ちてきた大粒の雨が赤茶色のタイルに勢いよく弾んでいる。
やばい、何がやばいかって、雨が降ることなんてないだろうと洗濯物を干したままでここに来てしまったことだ。
急いでカバンに宿題をしまって、図書館に着いた時よりも足早に図書館を後にする。
傘を差しながら帰ろうと、カバンに入っている折り畳み傘を取り出そうとしながら、玄関を通ると、傘を持たずにじっと空を見ている小学校低学年くらいの男の子が目に入った。
傘を忘れたのだろうか、ぼーっと空を見ながら、佇んでいる。
「傘持ってないんだったら、僕のを貸してあげようか?」
男の子に向かって優しい口調を心がけて話しかける。
僕は困っている人を自分のできる範囲で手助けすることを自分のルールとしている。
ゆっくり、僕の方を見た男の子は僕の顔を見ながら言った。
「あんた誰、別に傘貸してほしいなんて言ってないけど」
少年は純朴そうな顔をしかめている。
少年、いやこのガキはものすごく失礼なのではないだろうか。
「なんだと!この傘は、ワゴンセールで買った僕のお気に入りなんだぞ、何が不満なんだ」
「しかも、安物か」
「良いから、使っとけって、ここで借りた本持って帰るんだろ?本汚しちゃだめだから大人しく傘も借りとけ」
「押し付けんなよ、そうやってアンタもボクに見返りを求めるの?安もんの傘なんていらないよ」
「なんで、見るからに小学生なお前に見返りを求めることになるんだよ、ああ、お願いだから、傘を貰ってくれ、結構雨脚が強いから、この中傘なしで帰ったら風邪ひくだろ、な、頼むよ」
「……仕方ないな、そこまで言うんだったら、借りてやってもいいよ……次はいつこの図書館に来る?」
「なんで?」
「なんで?じゃなくて、じゃあ、傘いつ返したらいいんだよ」
「そういうことか、それだったら、明日また来るから、その時に返してもらってもいいか?」
「明日ね、約束だよ、絶対明日来てね」
「ああ約束だ。それじゃあ、また明日」
男の子にしては可愛らしい借りた本を入れるためのカバンを下げた少年は手を少しだけ挙げて僕の言葉に返事をする。
僕は自転車にまたがり、帰り道を急いだ。




