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「良いですか、いっせーので開けるんですからね」
「いっせーの、の、ので開けるんですからね」としきりに日野は説明をしている。
部室の長机の上には半分に折りたたまれた四人分の個表が置かれている。
教室でもらい立てほやほやの個表をその場で見ることなく、部室に持ってきてみんなで一緒に見ようといったのは日野だった。
「じゃあ、行きますよ、いっせーの」
日野の掛け声に合わせて自分の個表を広げて机の上に並べる。
部室内が静まり返る。
何も言わずに個表の偏差値が高い順に並び替えたのは日高先輩だった。
僕の個表はそれが当然であるかのように一番下に鎮座していた。
「いやぁー、ハンデありとはいえ、いい勝負でしたね、能登先輩」
勝ち誇った満面の笑みを浮かべているのは日野だ。
日野は日高先輩、城崎に次いで3番目だった。
僕との差は5も無かった。
もちろんハンデありでだけど。
「でも、ホラ見てよ、主要三教科だったら僕が勝ってるよ」
英語と数学で何とか持ちこたえている主要三教科だったら、城崎にだって勝っているはず……なんてことはなかった。
ハンデがあっても城崎には勝っていなかった。
「確かにそうかもしれないですけど、対決の条件は全教科ですからね、というか、先輩、文学同好会なのに現国の点数ひどいですね」
日野はニヤつきながら僕の方を見る。
仕方がなかったとしか言えない。
僕には三島由紀夫の世界観なんて理解できない。
文学同好会と言っても僕が面白いと思えるのはライトノベルだけなのだから。
「僕は主人公の心情を答えなさいとかっていう問題が苦手なんだよ、そんなことを知っているのは作者だけじゃないか、それを勝手に類推して答えを決めつけるようなことなんてできなくない?」
「詭弁ですね。現国のテストなんて授業中に場面ごとの主人公の心情を決めつけていってそれを覚えているかどうかを問われているに過ぎないんですよ、そこに作者の本当の意思なんて関係ない、授業を聞いているかどうかをテストで確かめているだけです」
城崎は呆れたように言い、ため息をつく。
そんなことにどんな意味があるのだろうか、湧いてくる疑問を自分の中に押し込める、そんなこと城崎に聞くことじゃない。
「じゃあ、ダメじゃないか僕は現国の授業中の意識のほとんどを教科書に落書きをすることに捧げているんだぞ」
僕の現国はほとんど美術の時間と言っても過言ではない。
「ダメなのは能登先輩ですよ。お勉強頑張りましょうね」
子供をあやすような、優しい口調。
勉強に丁寧にも「お」が付いていて最上級にバカにされている気分だ。
城崎がもっと僕に甘かったら勉強を頑張れるかもしれない。僕は褒められて伸びるタイプだ。もっとヨイショしてほしい。
「次だ、次のテストで僕は必ず今回の敵をとる、そして、城崎によく頑張りましたねって笑ってもらうんだ」
「褒めてもらいたいんですね、じゃあ私が褒めてあげましょう、先輩よく頑張りましたね、補習なしですよ」
日野は僕という存在を優しく包みこむような優しい笑顔でそう言ってくれる。
でも、違う、そうじゃないんだ。
「日野は優しいよね、でも普段から僕に優しい日野にじゃなくて、僕に厳しい城崎から褒められることに意味があるんだ」
僕を否定する言葉に躊躇がない城崎からの混じりない賞賛の言葉をもらうことに意味があると思っている。
「せいぜい頑張ってくださいね」
城崎は僕の方を見ることなく、少し面倒くさそうにそう言った。
「じゃあ、お待ちかねの時間ですよ、まずは一位だった日高先輩からお願いします」
日野の元気のいい声が部室内に響く。
僕は最下位だから別に待ちわびていない。
「君たちには、私の知り合いがやっている海の家の手伝いをしてほしい、夏休みの間の一週間ほどになるのだが、引き受けてはもらえないだろうか」
僕らの地域からは少し離れた場所になるから、日高先輩の家族の別荘に一週間住み込みで働くことになるらしい、お手伝いという名目だが、れっきとした労働のなるのでお金をもらえるとのことだった。
自由に使えるお金なんて無いに等しい僕にとってはかなり嬉しい。
渡りに船とはこのことだろうか。
「楽しそうじゃないですか、私、行きたいです」
日野は目を輝かせて全身で乗り気であることを表現している。
「別に私もかまいませんよ、断る理由もないので」
対決で一位の人から人に命令できるというルールがあるからか城崎も特に異論はないようだった。
「僕も大歓迎ですよ、いいじゃないですか海の家、頑張って働きますよ」
そういうと日高先輩は、安心したように微笑んで、いつから働くことになるかはまた連絡するとのことだった。
ちなみに全教科満点という偉業を成し遂げていた日高先輩の偏差値は90を超えという人間離れした点数だった。
特にそのことを鼻にかけるわけでもなく日高先輩いつもと変わらない様子だ。
日高先輩の番が終わって次は城崎の番だった。
「私からの命令、じゃなくてお願いは陽菜と能登先輩でここに行ってきてもらうことよ」
城崎がそう言って取り出したのは、浦安にある夢の国の1dayパスだった。
「こ、こんなのもらえないよ」
日野は驚きで目を見開いて、声が震えている。
「私は、陽菜と行きたかったのだけれど、これ男女じゃないと使えないらしいのよ、私にはここに二人きりで行けるような親しい男の人なんていないから、持て余していたのだけれど、使わずにおいておくのは勿体ないと思って、あなたたちで行ってきてくれないかしら」
城崎は日野のことしか見ていない。
ここにいますよ自称親しい男の人が、という目線を送っていると城崎は僕を一瞥してフッと笑った。
「ありがとう、サキ、この埋め合わせは絶対にするからね」
よほど夢の国に行けることが嬉しかったのか、日野は城崎の手を握って真剣な表情でそう言った。
城崎もまんざらでもなさそうな顔をしている。
「能登先輩、陽菜に変なことしないでくださいね」
僕が一体何をしたというのだろうか、睨むような目つきで僕に釘を刺す城崎。
大丈夫だ。
言われなくても日野からの好感度を下げるようなつもりはない。
日野の優しさを知ってしまった今、彼女からさえも嫌われるようなことがあっては僕の心は壊れてしまう。
「任せてくれ、僕は日野に変なことをしない」
復唱する。
僕は僕の保身のために変なことをしない。
後輩に慕われるために。