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完結に向けて頑張っていきたいと思います。
一日の最後に政治経済の授業を持ってくるように授業予定を組んだ先生たちはどうかしていると思う。
一日数学や英語、物理に科学と足りない頭に未知の言語を詰め込んだ後のほとんど聞いているだけの政治経済の授業は睡魔との熾烈な争いになって、授業どころではない。
通常時でも睡魔に対する勝率は5割ほどだというのに、僕の体は一か月遅く来た五月病に蝕まれ、連敗に連敗を重ねている。
今にも雨が降り出しそうな、重たい雲が覆っている空ではなく、青空が広がっていてくれたら気持ちも晴れやかになって授業にも集中できただろうか。
すでに教室の半分以上の生徒がその戦いに敗れ、船を漕いでいる。
人が眠そうにしているのを見るとかえって目が覚めるなんてことなんてなく、15分前から授業終了まで空白の時間が出来ていた。
みんなが椅子を引く音で目覚めると、少し遅れて起立し挨拶をする。
「ありがとうございました」と言い、心の中では「すみませんでした」と言う。
政経の先生は僕らの授業態度に呆れと少しばかりの不満を感じているようだ。が、それを表情に出すことなく、教室を後にする。
僕は、他人の特定のものごとに対する主観的な価値づけ、つまり、感情を認識することが出来る。その人の感情が自分に流れてくるといった方が正しいかもしれない。
ともかく、僕は、この力を悪用することなく、かといって善用することもなく、ただ、受け流して生きている。ノートには何とか話を聞こうとして、メモした先生の言葉が書かれているが、最後の方はほつれた糸みたいになっていて何を書こうとしたのかわからない。
こうなったのはすべて授業の組み方のせいで、昨日夜遅くまでゲームをしていたからではないだろう。
帰りのHRを終えると、僕は学校指定のカバンに引き出しに入っているすべての教科書を詰め、ほとんど土嚢と化したカバンを背負って文学同好会と書かれたプラカードが下がる空き教室の引き戸を開ける。
この学校でどれくらいの生徒が文学同好会のことを知っているのだろうか。
運動部、文化部両方に力を入れていることが売りのこの学校にはありとあらゆる部活動があり、各々の部員が好き勝手に活動をしている。
活動の実態があるのか怪しいような部活や同好会もあり、文学同好会のようにサークルのように緩い同好会から、野球部のように学校全体の規律になるように礼儀を重んじ、練習に勤しむような厳しい部活まで幅広く活動が行われている。
そんな中で、僕が文学同好会を選んだのには、深い理由があるわけではなく、ただ少しだけ本が好きだったというだけのことだった。
「遅かったじゃないか、女子生徒でもナンパしていたのか?」
同好会の部屋を開けると、日高先輩は向かい合うように並べられた長机に沿うように並べられたパイプ椅子に座って本を読んでいた。
先輩の目線は小説の固定されたままだ。
スタイルが良く、甘いマスクの日高先輩は、性癖を隠していれば、さぞ、女の子に人気があっただろう。
しかし、彼は、常に官能小説を持ち歩き、それを人目をはばからず読み、恍惚の表情を浮かべる重度の変態だ。
性癖以外は完璧で、完璧ゆえに、一つの欠点が大きく足を引っ張っていた。
前に一度「死にたいと思ったことはありませんか?」と聞くと、「今、この瞬間を最高に楽しんでいるよ」と言っていた。
先輩の顔に惹かれて寄ってきたであろう女の子が官能小説の美しさについて語っている先輩を見て顔色を変えて去っていった後だった。
官能小説に女性の美を追求しているらしい日高先輩は完全に童貞をこじらせていた。
「学校でなんかしませんよ。失敗したときのリスクが大きすぎるでしょ」
僕はHRを終えて、すぐに来たつもりだった。僕が遅かったのでなく、先輩が来るのが早すぎるだけだ。
「学校じゃ無かったら、できるとでも言いたげだな、
本当はナンパなんてできない軟弱者のくせに」
いや、むしろ、ナンパをすること自体が軟弱なことじゃないか。
「僕にだって、ナンパぐらいできますよ」
僕は、部屋の隅の土嚢を置くと、戸棚から、陶器のマグカップを取り出してインスタントのコーヒーを淹れる。自分は少し薄めに、先輩は濃いめが好きだから粉末の量を調整する。
「じゃあ、仮に城崎君をナンパするとするなら君だったら、どうする?模擬演習といこうじゃないか」
先輩の前にコーヒーを置き、向かい合うようにある自分の席にもコーヒーを置くと部屋の中がコーヒーの匂いに包まれる。
インスタントではあるけれど、淹れたてのこの匂いは落ち着くから好きだ。
「城崎なら簡単ですよ」
僕は自信満々でそう告げる。
本音と建前を使い分けない実直な彼女であれば直球勝負、僕が土下座をして「一緒にご飯に行ってください」と頼み込むだけで僕の自尊心と共に即落ちだろう。
逆にどんな口八丁、手八丁を使って城崎を気分良くさせても、ナンパしてくる男と遊ぶことはない。ここには少なからず、城崎がナンパなどにホイホイと付いて行く女の子であってほしくないという僕の願望が含まれている。
ともかく、誠意(土下座)を持って頼み込むほかに彼女へのナンパが成功することなどない。
僕が、先輩に彼女の性格を説明しながら、土下座の実演をしていると、引き戸が勢いよく開いた。
「外まで聞こえてましたよ、先輩たちの気持ち悪い会話」
入ってきたのは、氷のように冷たい表情をした城崎だった。
僕と先輩は土下座をする際の美しい角度と「お願いします」という言葉を頭を下げてから言うべきなのか、下げながらなのか、言ってから頭を下げるべきなのか、どれが一番誠意が伝わるかという話をしているところだった。
僕は、床にこすれて少し白くなったズボンの膝のあたりを手で少し払った。
「城崎遅かったじゃないか、部活の時間はもう始まってるんだぞ」
僕は、毅然とした態度で城崎と対面する。活動開始時間を過ぎていた。
「無かったことにするんですね。まあ、いいですけど、私、この同好会いつ辞めてもいいと思っているので」
「まて、城崎」
「なんですか?能登先輩」
来て早々、帰ろうとする城崎を呼び止め、流れるような美しい動作で跪き、深々と頭を下げてから「すみませんでした」と言った。
「あまり簡単に土下座しないほうがいいですよ、謝罪の価値が下がりますから」
城崎はそういうと、僕の隣の席に座ってカバンから取り出した学校の課題を始めた。どうやら彼女は同好会を辞めるのをやめてくれたみたいだ。
城崎の言葉には嘘が無い。彼女は優しい嘘も優しくない嘘もつかない。
僕は、僕個人に対しての他人が好意を持っているか敵意を持っているか、無関心なのかが僕にながれてくることはなかった。
僕が認識できるのは、僕と直接的に関係ないことに対してだけだ。しかし、ここで呼び止めず、純然な文学少女たる城崎が去り、残ったのが、変人としけった男の二人となると実質的にこの同好会は終わりだった。
文学同好会の皮をかぶった別の何かだった。
人知れず危機を救った僕に対して「謝ってから、頭を下げるバージョンも見てみたいな」と日高先輩は暢気なことを言っていた。
僕たち三人のみで構成されている文学同好会は、書評や何か創作をすることもなくただ、放課後の時間をダラダラとすごすだけのほとんど実態のない同好会だ。
活動と言えば、年に一回の文化祭の時に、一人ずつ、エッセイでも書評でも何でもいいから言葉にしてまとめ、文集を出すことぐらい。
それ以外の時期は、本を読んだり、宿題をしたり、とりあえず好きなようにやっている。
ただ、部屋を貸す代わりに、顧問の教師の雑用を手伝うことが暗黙の了解になっていた。
今日は、自分のやらなければいけない仕事と回された仕事に追われ、僕たちに愚痴を言いに来る先生が現れなかった。
そういう時は、完全下校の時間まで、好きなことをして過ごす。
先輩は、僕の来る前からずっとそうしていたように官能小説を嬉々とした表情で読み漁り、城崎は課題を終えると小説の続きを読んでいた。
僕は、城崎にもコーヒーを淹れた。
城崎は、苦すぎるのも薄いのも苦手らしく、角砂糖を1つ入れるとちょうどいいということをいろいろ試した結果知った。
城崎は大抵の場合、思うことにははっきり言うが、やってもらったことに対して文句を言うことないので、僕の力を使って、城崎のちょうどいいくらいの苦さを知った。
「ありがとうございます」と僕にお礼をしてくれる城崎は、今は表面上もうそんなに怒ってないみたいだ。僕は、感情をありのままに表現することを恐れない先輩と城崎を尊敬している。
「城崎は、授業中眠たいときどうしてる?」
彼女はまず、授業中に眠たくなることがあるのだろうか。
城崎は、小説に栞を挟み、コーヒーを飲んでいる。
城崎は何かを飲んだりするときはそれだけに集中して他のことをしながらということはなかった。
「意地でも寝ません。他人に寝ている顔見られたくないので」
平気な顔で言ってのけた。当たり前ですよ、と顔が言っている。
「城崎は隙が無いもんね、逆に考えて、普段きりっとしている城崎が授業中にウトウトしていたらそのギャップで城崎の惚れる男子がいるかもしれないよ」
「適当なことを言わないでください、大概の人が告白しただの、振られただので仲間内で騒ぎたいだけですから、そういうのに巻き込まれたくないんです」
彼女は「迷惑なんです」と言った。周りで騒がれたくないから、こんな廃部寸前の同好会に参加したのかもしれない。
彼女は何の脈絡もなく、文学同好会の門をたたいた。
「そうなんだ」
彼女は周りに対して呆れているようだった。
彼女がこれまでにあったことを思い出すとその感情が僕に流れてくる。
呆れと嫌悪感が主だった。彼女は人間が嫌いになっていたりはしないだろうか。
「友達いるの?」
ちやほやされる人なりの苦労、城崎は男子にちやほやされるあまり、女子から敬遠されていたりしないだろうか。気になってしまった。
僕は、同好会の時に城崎の顔しか知らない。
「馬鹿にしないでください。先輩と違って私には、ちゃんと友達がいます」
先輩とは違ってという部分に少し引っ掛かったけれど、彼女は強がりではなく、本当に友達と思える人がいるみたいだ。
肝心なのは、どれだけ相性がいいかではなく、自分が友達と思っているかどうかだと思っているから、彼女が言い切ってくれてよかった。
ちなみに、僕にもちゃんと友達はいる。
「城崎の言い方には少し語弊があるね、それではまるで僕に友達がいないみたいじゃないか」
「えっ、能登先輩って友達いたんですか。平日は基本的にこの部屋にいるし、移動教室で先輩たちの教室を通ることありますけど、先輩はいっつも一人ですよね?」
なぜ、そんなデリケートな問題に対して踏み込んだ発言ができるのだろうか。
もしかしなくても、彼女は僕のことをバカにしている気がした。
意外そうな目で僕を見るのはやめてもらいたい。
「それ以上は、やめてくれ、何も聞きたくない」
確かに、僕には、クラスで話をするような人はいない。
楽しそうに、マンガの新刊の話や面白いスマホゲームの話をしているのを聞きながら、僕は一人、小説を読むふりを続けている。
確かにクラスという枠組みの中で僕は孤独だけれど、枠をこの学校と広げると僕には友達と言える人が何人かいる。
クラスにはいないというだけの話だ。
「確かに、クラスには友達と呼べる人はいないけど、僕には、誰もがうらやむような可愛い友達である幼馴染がいるんだ」
僕にはおそらく全国の高校生男子が喉から手が出るほど欲しいと叫ぶ、幼馴染がいる。
しかも、美人の。
そんな彼女は数少ない僕の友達の一人だ。
「自分のことじゃないのに、そんなに誇らしげに話されても、しかも、その可愛い幼馴染さんには彼氏いるんですよね?」
城崎はなぜそんなことを知っているのだろう。
そう、可愛い彼女を当然のことながら、放っておくほどこの世界は甘くない。
可愛い彼女には、格好いい彼氏がいるのが必然、そして僕の幼馴染も例外ではなく、彼氏がいる。
彼らは城崎の言ったようにお遊びで付き合っているわけではなく、高校生なりに真摯にお互いのことを思いあっているので、邪魔することはできなかった。
別に彼女のことが好きだったわけでもないはずなのに、彼女から「付き合うことになったの」と言われたときはちゃんと笑っておめでとうを言えていたかどうか覚えていない。
それからの一週間は、意味もなく海を見に、自転車を転がしたり、寺社仏閣巡りをしてみたりしたことを思い出した。しかし、そこで、彼女との縁が切れたわけではなく、今も彼女は僕の友達だ。
「彼氏がいようが、僕は彼女の友達だ」
「幼馴染さんに彼氏ができたときショックでしたか?」
「友達に好きな人が出来て、その人と付き合うことになったことにショックを受けるやつなんていないでしょ」
僕が格好良すぎるセリフを笑顔で言うと、城崎は口角をあげて笑いそうになっているのを抑えている。
「格好つけすぎですよ。日高先輩から聞きました、理由なく休むことなんてなかった先輩が一時期、何も言わずに一週間部室に来なかったって」
「……」
僕は半目で日高先輩の方を見る。
日高先輩は本で口元を隠し、目を細めて笑っている。
「さっきのセリフ言ってた時の先輩の顔、格好良かったですよ」
城崎は全くそうは思っていないのだろう吹き出しそうになっているのを必死でこらえていた。
僕は、現在と過去の傷をいじられた挙句、格好をつけようとして失敗することになった。泣きそうになるのを必至でこらえた。