魔剣の勇者と混沌の魔王
「ステラ、予想以上だ。もう君の不運には付き合いきれない。ここで解散しよう。」
ドン引きした表情でパーティーリーダーが告げると先ほどまでの同行者は神妙な顔でこくこくと頷き、疾風のごとく荷物をまとめ人混みに消えて言った。
「また駄目だった…」
ある意味予想していた状況にそれでも呆然だ。赤い髪をかき乱し、ハハッと乾いた笑いを浮かべながら、こんな目にあうのはもう何度目か、と遠い目をした。
これでもステラは勇者である。ただし頭に“ハズレの”がつく方の。
世界が不幸にあふれたとき聖剣は現れ、勇者を選ぶ。選ばれた勇者は、聖剣を持ち魔王を倒す。そんなおとぎ話はとても有名で、ステラも子供の頃に何度も読み聞かせてもらった。そして実際に200年ほどごとに勇者の出現が確認されている、らしい。
そして、これは有名ではないが、勇者は同じ代に2人存在すると言われている、らしい。
らしいというのは、ステラは文献など到底読める身分ではなく、今は腰に下げている剣を引っこ抜いた後にお偉いさんに聞いたからだ。
ステラは勇者だが、その手にあるのは、聖剣ではない。持ち主の魔力を吸い、切れ味を高める魔剣である。
彼女がこの魔剣に出会ったのはまだ13歳の頃、盗賊として身につけた罠解除や探索を生かし、パーティーで活動していた時のことだった。
当時のパーティーは13歳〜15歳の4人の少年少女で構成されたおり、15歳の片手剣を持った少年がパーティーリーダーを務めていた。
冒険したい盛りでちょっと危ない橋も渡ったりした。それが、黄昏の洞窟探索である。ここはちょっとした観光名所で、モンスターはほとんど出てこないが、なぜか危険地区に認定されており、奥に決して抜けない剣が刺さっていると言われていた。
「度胸試しと行こうぜ。噂の剣がどんなものか気にならねぇ?」
「ステラ、一応、探知頼む」
4人は昼でも薄暗い洞窟を進む。
先頭に剣士の少年、続いて盗賊のステラ、その後ろに魔術師の少年と治癒術師の少女が続いた。
ステラは妙に胸騒ぎがしていた。探知にはなにも引っかかっていないし順調だ。しかし、奥から誰かに呼ばれているような、そんな気がして薄ら寒くなった。
でも、引き返そうとは言えなかった。なんだよ怖がり。そう笑われたら、仲間外れにされたらどうしよう。それにステラが抜ければ探知が切れるため、全員引き返すハメになる。迷惑はかけられない。その一心で彼らに着いて行った。
果たして空間の終わりは唐突に訪れた。急にひらけた場所に出たのだ。いつでも黄昏色に照らされた洞窟、その光源の元は禍々しいほどに美しい一振りの剣だった。
リーダーの少年が台座に鎮座する剣を抜こうとする。
「重っ。何だよこれ、本当に動かねえぞ。」
「嘘じゃねぇって。ほら、ステラも抜いてみろよ。」
うながされて彼女は恐る恐る柄に手をかける。彼を満足させるためだけの行動だった。それが、
スコッ__
軽い音と共にあっさりと台座から持ち上がる。
「嘘だろっ!?」
仲間たちが目を丸くする中、ステラの前に古めかしい魔術の光の文字が展開された。
「ヨウコソ、勇者ヨ。王城ニ通達スル」
浮き上がったパネルのようなものには、たしかにそう書かれていて、血の気の失せた4人が慌てて洞窟を出ると、王宮からの使いという魔術師に、ステラは捕獲されたのだ。
魔剣の勇者__かの魔術師が言うにはおとぎ話にのらない勇者がいるという話だった。
「君は剣に選ばれた。修羅の道を歩むだろう。だからこちらでそれなりの訓練を積んでもらう。これは君のためだ。生き残りたいだろう?」
やけに真摯で憐れむような目をした魔術師のその言葉の意味を、ステラはすぐに身をもって知ることになる。
もともと盗賊だったステラは短剣しか使ったことがなかったが、魔剣は不思議と身体になじみ、風のように動くことができた。これなら大丈夫だろう。お許しが出たステラはすぐに王宮を立った。
出発してその日のうちに都市を抜け、乗合馬車を拾って、次の街のギルドを目指すことにした。
計画は順調。夜、ステラは癖で探知を展開していた。するとあるはずのない気配が1、2…5人ほど。
「おっちゃん、盗賊だ。馬を守って。戦える人は武器を備えて!」
ステラの声に野営の準備をしていたその場は一気に緊張が走った。乗合馬車にのっていたのは女子供が多い。自分がしっかりしないと。
「おっちゃんはここにいて。」
ステラは唯一戦えそうな、御者台にさきほどまでいた男に告げると踊り出す。
勝負は一瞬だった。
彼女の一閃によって向かって来た2人の利き腕がスッパリ切られる。武器を取り落とした仲間を見て、劣勢を悟ったのか後のものは逃げて行った。
「危なかったね。」
「怪我はないかい?」
「よくまあ小さいのに勇敢に。」
その場に居合わせた人々はステラをねぎらってくれた。
問題はそのようなことが次の街に着くまでに3度もあったことである。
初めは小さな違和感だった。妙に賊に遭遇するな。ぐらいの。でも次の街のギルドでパーティーに参加するとそれが気のせいではないことが浮き彫りになった。
普段温厚な獣がいるところになぜか危険指定のモンスターが現れる。野営をすれば、必ず盗賊やモンスターに狙われる。
ステラの“不運”は瞬く間に有名になってしまった。“ハズレの勇者“、”異端の魔剣持ち“噂はどんどん広がり、もう誰もパーティーを組んでもらえない。彼女は仕方なく、街から街へと流れて行った。
あれから5年がたった。ステラは18歳になっていた。
__もうこれで大きな街はほとんど巡ってしまった。もういっそ国境を越えるしかないのかもしれない。
国境沿いには魔の森と言われる森が広がっている。そこには魔物が暮らし、人の侵入を拒んでいると聞く。迷い込んだら出られないとも。
ソロで活動する__それを考えたことは何度もある。でも、まだ魔剣を手にしていなかったころの、仲間を気遣い気遣われる。そんな関係が忘れられなくて、ひとりでいると人恋しくなってしまうのだ。
でも、もう駄目かもしれない。はじめは親切に接してくれる人も、ステラの“不運”を知ると、手のひらを返して離れていく。何度も繰り返された光景が目に焼き付いて離れない。彼女の心は壊れてしまいそうだった。
「しばらくは魔剣と二人旅か。」
「よろしく頼むよ。次こそはいい出会いがありますように。」
ステラは頬を叩いて気合いを入れると森に向かって歩き出した。
「どこ? ここ。」
森に向かってから魔剣がおかしくなった。ステラにぐいぐいとまるで“進め”と言うように方角を指し示すのだ。彼女はしばらく考えたが魔剣の好きにさせることにした。
あっちに曲がり、そしてこっちに曲がる。峠を越え森は深く、深くなる。そして、目の前にはどどんと大きな城が建っていた。
呆然と立ちすくむステラの前で大きな扉が両サイドに開く。
「入ってこいってこと?」
罠かもしれない。でも腰の剣はそちらを指し示しているし、諦めの境地に達した彼女は足をゆっくり進めて行った。
内装は思ったよりこじんまりしていた。それなりの歴史をかんじさせるものの、なかは小綺麗で何よりゴテゴテしていないところが好感が持てる。
長い廊下を進んでいくと階段がある。この先はおそらく謁見の間だ。
思わず足が止まる。しかし容赦ない魔剣はステラをせっつき、目の前の扉が開かれた。
「ようこそ、魔剣の勇者よ。」
そこはやはり謁見の間で、一段高い場所にある椅子に優雅に足を組んだ男が座っていた。
「もしかして……魔王?」
思わず乾いた笑いが漏れる。この時ほど魔剣を叩き折ってやろうと思ったことはない。何が悲しくてこんな若い身空で死ななきゃいけないんだ。それもひとりぼっちで!
いかにも。と頷く彼は夜空のような長い髪に真紅の瞳。まさしく夜を体現している。
「殺さないでください。」
ステラは土下座した。何から逃げる時よりも素早かった自信がある。
赤い髪が地につくのも構わず、同色の瞳を潤ませて上目遣いにちろっと様子をみる。
彼は沈黙している。
あれ?これ、駄目な方だった?どうすりゃよかったの?ぐるぐる考えていると、
「ククッ、ハハハハッ……」
遅れて爆笑された。
「フッ、ハハッ、久しぶりに笑った。」
「私はノワール。初めから殺すつもりなどなかった。ちょっと人が来るのがめずらしくてからかっただけだ。」
「ちょっと、私の勇気を返しなさいよっ! 死ぬかと思ったんだから。」
「悪かった。魔剣に導かれて来たんだろう? 私に、いや魔王に聞きたいことがあるんじゃないか?」
なんと言うか、この魔王ものすごく魔王らしくない。ステラは思った。威厳はあるのだが、邪悪な感じが欠けらもしないのだ。
「まさか、魔王って2人いるの?」
「どうしてそう思った?」
核心をついたと思ったその問いは、面白そうな視線で返される。
「だっておかしいわ。魔王は破滅の衝動しか持ってなくて、大勢の魔物を従えてて、人間を襲うはずだもの。仮にも勇者である私と戦わないなんて変。勇者が2人いるんだものきっと魔王も2人いるんだわ。」
どうだ! とステラは言い切った。
「本当に面白いなステラは! ずっと会ってみたいと思っていた。」
「いかにも。魔王は2人いる。私は混沌の魔王。神の残した残骸の混ざり物であり、かの有名な破滅の魔王とは別の存在だ。そしてその魔剣の生みの親でもある。」
「魔剣を、生み出した? なんのために? それに私を知っていたの?」
ステラは困惑していた。頭はフル回転だ。
「さよう。混沌の魔王とは、世界の調停と観測のための存在だ。魔剣は世界の均衡を守る、調停のために私がこの手で作り上げた。」
「聖剣の勇者と破滅の魔王はこの世界の均衡を保つために存在している。だが、それだけでは世界の均衡は保たれない。その残ったわずかな歪みを正すために私は剣を生み出した。」
そんな壮大な理由が?__それがなんで人間の勇者の持ち物と伝えられているんだろう。もしかして
「それって私の“不運”と何か関係があるの?」
「さよう。その魔剣はそばにある不幸を吸い取る。わかりやすく言えば、お前が賊に襲われたとする。」
「それは本来お前の近くの別の誰かに降りかかるべき災厄を肩代わりしたことになる。」
それって
「私、人の役に立ってたってこと?」
「さよう。」
魔王は慈しむような顔をしていった。
「よくがんばったな。ステラ。私はお前がその剣に選ばれてからずっと見守っていた。」
いつのまにかステラは泣いていた。
「そっか。私、疫病神じゃなかったんだ。誰かの、役に、立ててたんだ。」
魔王は立ち上がってステラのほうにゆったりと歩き、その手で涙を拭ってくれる。
「聖剣の勇者と破滅の魔王は、互いに憎み、殺し合うことで、この世界の負の感情を浄化する役目を負っている。」
「だが、魔剣の勇者と混沌の魔王は、相手に委ね、許し、許されることで世界を陰ながら支えるのだ。」
彼は跪いて言った。
「ステラ。私は何も言わず、お前に剣を委ね、不幸な目に合わせた。」
「私を__許してくれるだろうか。」
これはとても難しい質問だった。
「私、ずっと一人だったわ。ずっと期待して、裏切られて、人を信じられなくなって。だから__」
「だから許せない。」
言うと彼は困ったような哀しそうな表情で下を向く。
「でもね。__あなたは優しい。真実を話してくれたし、なにより私をきっと裏切らないわ。」
だから、
「ねえ。私しばらくここにいてもいいかしら?」
「それで許すわ。」
あっけらかんとして言い放つと。
彼は爆笑した。
「だからステラは良いのだ!」
「そうと決まれば私もそれなりに動かせてもらうとしよう。」
「私はこれでも欲しいものは必ず手に入れる主義なのだよ。」
にんまりと笑った彼の言葉の意味はわからなかったが、
「望むところよ。私も私の人生を楽しんでやるんだから!」
と返した。
魔王、ノワールの居城は不思議で満ちていた。彼の他に魔物はおらず、ほとんどの身の回りの世話を魔導人形が行なっている。
ある時勇気を出して聞いてみた。
「ねえ、ノワールはずっと一人でいて寂しくないの?」
「私は神にも等しいこと生きている。生き物には終わりがあるだろう?生き物を入れた方がよっぽど寂しいさ。」
思ったより重い答えが返って来てステラは後悔した。
「そんな顔をする必要はない。今はステラがいて寂しくなる暇などない。」
でも__私はいずれここを去る。去らなくてもいずれは死ぬ。
顔がどんどん暗くなる。
彼は近づいて来て、ステラの赤い髪をなでた。そのまま髪を一筋口元に持っていき口付ける。
「そんなに気にするのなら。私の妻となれば良い。私には伴侶を自分と同じだけ生かす力を神より与えられている。」
悠久とは長いものだからな。と静かに続けた彼から目をそらす。
「冗談で言って良いことと悪いことがあるわ。」
「覚えていないのか? 私は欲しいものは必ず手に入れると言ったのを。これでも口説いている。」
「私はずっとステラを見ていた。魔剣の災厄に襲われてもなお歪まないその姿は、いじらしくて美しい。焦がれるとはこういうものではないのかな?」
ステラの顔が朱に染まる。
「……わからないわ。でも、ありがとう。うれしいわ。」
ノワールの城に留まって2つ季節が過ぎた。今は冬で外は雪が降り積もっている。
「ノワール。何? 大事な話って。」
彼女が彼の私室に入ると、彼は難しい顔をして星読版を睨んでいた。
彼の私室は変わっている。人間の使う天球儀があったり、魔導書があったり、学者風の部屋だ。そのほとんどが彼にとって趣味で集めたもので実用でないというのが面白い。
最近、ステラはノワールのそういうちょっと変なところが可愛くて仕方なかった。
「ああ、ステラ、散らかっていてすまない。」
彼はまるでその言葉の続きの、なんでもないことのように言った。
「破滅の魔王が現れた。じきに聖剣の勇者も現れるだろう。」
ステラの喉がヒュッと音を立てた。
ああ__この幸せな時間が終わってしまう。とっさに言葉を返せなかった。
「行く、つもりか?」
「それが、あなたと私の正しい関係なのではなくて?」
ステラは彼の顔を見ることができなかった。ぐっとお腹に力を入れて、そうでないと泣き出してしまいそうだった。
聖剣の勇者の手伝いをする。それがステラの、魔剣の勇者の運命なのだ。
彼と過ごした日々は暖かすぎた。自分が出て行く側なのに気づいたら、見捨てないで、一緒にいて、と懇願してしまいそうだった。
「ステラ。その顔は良くない。」
ノワールはいつの間にか近くにいて、ステラの顎を掴んでぐっと上を向かす。
「口を、そう噛みしめては駄目だ。傷になる。」
「私たちの関係に基づいた話をしようじゃないか。」
彼の深紅の双眸はすぐそばにあった。
「私とお前はお互いに許し、許される関係だ。」
「私がもし、このまま黙って離れて行くのは許さないと言ったら__お前はどうする?」
「言っている意味がわからないわ。だってあなたは世界の均衡を守らなくちゃいけなくて……」
彼はじりじりと迫ってくる。ステラはどんどん後退し、とうとう壁にぶつかった。
「ステラ。残念なことに時間は有限だ。」
それだけ言って彼は唇を重ねた。
幾度も繰り返し唇を塞がれ、合間に彼はささやく。
「素直になれ。お前は私に言っていないことがあるだろう。」
「っ……」
彼の双眸は熱く溶けていた。頭がくらくらして、言うはずのなかった言葉が口からこぼれだす。
「寂しいのは嫌っ。ずっとノワールと一緒にいたいのっ」
ちゃんと、お別れしようと思ったのに__酷い。
とうとう泣き出してしまったステラを抱きしめてノワールは笑う。
「私の勝ちだ。お前の目は口よりも素直だからな。だから賭けに出てみた。」
「そう泣くな。旅に出るのならば私もついていくさ。」
獣避けくらいにはなるぞ?と言うノワールに驚きが止まらない。
「いいの?」
「何がだ? 観測くらいどこででもできる。それよりも冬の間に儀式を済ませるぞ。」
「儀式ってまさか」
「お前を妻にする。意味はわかるだろう?」
思わず想像してしまい真っ赤になって彼の腕の中で小さくなる。
「お手柔らかにお願いします」
「任せろ」
やけに自信たっぷりに言う彼は信用なんて出来なくて、でもなんか可愛いからもういっか、と絆されるあたり完全に恋に落ちている。
「ありがとう、ノワール。もう寂しくなることはないのね」
私も、あなたも。と続けると彼は綺麗に微笑んで言った。
「ずっと一緒だ。」