interest
舞が顔をあげられないでいたそのとき、扉の向こうでは、広澤が静かに深い息を吐いていた。
そのひとつの息が、広澤の身体の熱さを放ち、同時に、その熱を広澤に意識させた。
ゆっくりと数度瞬きをし、広澤は教室へ向かって歩き始めた。
このまま戻らなければ、誰が何を彼女に言うかわからないが、まだ授業を受ける気分にもなれない。そんな気持ちがせめぎ合い、広澤の歩みは遅くなった。
先程舞と歩いてきた階段に着いたとき、踊り場の大きな窓から注ぐ日の光の強さに、広澤は思わず目を細めた。
今度は軽くふっと息を吐き、1年前のことを思い返した。
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彼らの高校は、6月に文化祭が執り行われる。その為、一年生は入学してすぐにクラスの出し物を決めなくてはならないのだが、入学したばかりで、これはなかなか至難の技。どのクラスも苦戦してしまう。
公立ではあるが、全国トップレベルの進学校であるこの高校は、地元の子達が多いわけではなく、同じ中学出身同士の生徒というのも少なかった。
初対面の人間同士ゆえ、出し物を決めるホームルームが盛り上がらないこともざらだった。
広澤の1年のクラスはまさにそうで、話し合いが遅々として進まなかった。それでもなんとか絞りだし、決定したときには、ほかのクラスはすべて帰宅していた。文化祭だけではなく、クラスとしてのまとまりにも不安を覚えるスタートだった。
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多くのひとが新生活を始める4月は、街中が少しせわしない。そんな中広澤は、先程までの教室の閉塞感を振り払うように、ひとりのんびりと駅までの道を歩いていた。
ひとりだし、今日はいつもと違う道を通ってみようと、誰かに言うのは少しくすぐったい冒険心を出し、遠回りになるその道を選んだ。
そこで見つけた。彼女を。
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空振りだったな、と思った矢先のことだった。
子供たちのはしゃぐ声の合間に聞こえてきた声が、広澤の耳を捕らえたのは。
明らかにひとり年齢の違うその声は、本当に、思いっきり遊んでいた。
いったい何をそんなに、と興味を覚え、声の主を探す。
声の主は、公園にいた。
みつけたときには、
「ちょっと、ごめんね、私、休憩するねっ…」
息も絶え絶えだったが。
子供たちは3人ほどで、幼稚園生ぐらい。あの子たちと鬼ごっこでもしていたのだろうか。
子供たちは離脱する彼女に目もくれず、既にブランコや思い思いの遊具で遊び始めていた。
広澤は再び声の主へ視線を移した。
ーあれ、うちの学校の制服?
あまり特徴のない制服で、女子生徒の制服はあまり気にしていなかったが、おそらく同じ学校の生徒だろう。
彼女は、ペットボトルの飲み物をごくごくと飲み干し、そして、にこにこと子供たちを眺めていた。
その穏やかな笑顔は、幸せそうで楽しそうで、世の中に嫌なことなんてひとつもないんじゃないかと思わせてくれるような、そんな笑顔だった。
広澤は目を奪われつつも、
ー高校生であの雰囲気はすごいな。
と、どこか冷静な目でみていた。
すると、彼女が「あっ!」っと声をあげ、鞄から何かを取り出した。
ーあれは、カメラ・・・??
彼女は、カメラを持ち子供たちのもとに駆け寄った。
・・・別人だった。
カメラをすっと構えたときの彼女の顔は先ほどまでの微笑みをたたえたそれとはまるで違った。
鋭ささえ感じさせるその表情から、目が離せなかった。
子供たちのうちのひとりが彼女がシャッターをきっていることに気が付いた。
「あーーっ!写真撮ってるー!」
「えー!?」
「きゃー」「やだー」
と、次々に声があがった。
既に先程までの表情はなく、慌てたように彼女は言った。
「勝手に撮ってごめんね!あの、みんながすっごく楽しそうだったから、撮りたくなっちゃって…」
「どうかしたの?」
子供たちの母親であろう女性ふたりが、彼女に声をかけた。
彼女は、同じ説明を繰り返していたようだった。
ただ、端々に『文化祭』『写真』という単語が聞こえてきた。
女性たちが首を横にふる。
ー勝手に写真撮られたら、親は怒るよな。
でも・・・もう少し見たかったかな。
広澤が視線を外したときだった。
「お願いします!」
と声が聞こえた。
思わず視線を戻す。
それは周りも同じだったようで、公園にいるひとの視線が彼女にぱっと集まった。
そんなことをものともせず、彼女は続けた。
「あの、撮らせてください!悪用は絶対にしません。失礼なのは、わかっています。ごめんなさい。
でも、本当にみんながすごくキラキラしていて、素敵で…」
「でもね、」
「ぼく写真好きー!」
ひとりの男の子の声が割って入った。
「写真みたぁーい!!」
母親達は顔を見合わせた。
彼女はおずおずとカメラを差し出し、子供たちも母親もそれを覗きこんだ。
わぁっと感嘆の声があがる。
子供たちがきゃっきゃと声をあげ、母親たちは柔らかく微笑んでいた。