approach
今度こそ、舞は走った。
教室の扉を閉めた後、鼓動は次第に早くなった。全身が心臓になったかのようにドクドクとした音が身体中に響き、身体を駆け抜けるその衝動に、とても歩いてはいられなかった。
舞が去った後の教室では、彼女の足音を聞いた広澤がふっと笑みをこぼしていた。
幼馴染みである桃は、彼のその顔を物珍しそうにしげしげと眺めた。
「なに?」
「悠があんな風に言うの珍しいね。」
「なにが?」
「ううん。」
「なんだよ」
「なんでもなーい。さ、帰ろっか」
☆☆
部室のある別館まで舞は走った。
このまま部室に駆け込むのを躊躇う程度には、頭も働くようになった。
けれど、
ー広澤くん、ああ言ったってことは、私がなんで謝ったのか気付いてたんだよね。やっぱり私邪魔しちゃったのかなぁ。しちゃったんだよねきっと。
もう一回ちゃんと謝った方がいいかな。
え、でもなんて謝るの?「キスの邪魔してごめんなさい」?
・・・その謝り方、合ってるかな?
多少働くようになったせいで、ぐるぐると考えを巡らせ始める。
ーそんなに赤かったのかな、私。
しようとしてた方じゃなくて、見ちゃった方が赤くなるっておかしいのかな⁉
ふたりとも平然としてたし、たいしたことじゃない、とか?
いやいや、キスはたいしたことだよね⁉
気付けば足が止まっていた。
「おい、なにやってんの。」
「へ!?あ、遼ちゃん」
「急に立ち止まって動かなくなるから、何があったのかと思った。舞、俺を追い越していったのも気が付いてなかったでしょ」
「すみません」
遼ちゃんは中学からの友人。いつもちゃんと話を聞いてくれる、いい相談相手。
「で?どした?」
「わかんない」
「はぁ?」
でも今回は、今回はなぜか少し隠したくなった。
「いいの、もう。
遼ちゃんもいまから部室行くの?」
「うん、舞も?」
「うん」
「題材、決まったか?」
「まだ」
「大丈夫か?」
「がんばる」
☆☆
ーどうしようかなぁ文化祭の展示。
そろそろほんとに決めないと。
ーそういえば、広澤くんと初めて喋ったけど・・・名前、ちゃんと知っててくれたの嬉しかった。
お風呂の中で、のんびりと1日の出来事を反芻するのが舞の日課。
そして、見てしまったシーンを思い出して、ぼんっと顔が赤くなった。
ー広澤くん、すごく綺麗な横顔だったなー。一瞬だったのに、頭から全然離れない。
あ!
と舞の声がお風呂場に響く。
ー広澤くんに被写体になってもらいたい!あの横顔を撮ってみたい!!明日お願いしよっ!
気まずさをすっかり忘れ、興奮ぎみにお風呂から上がった舞は、撮りたいと思う被写体を見つけた喜びに、なかなか寝付けなかった。
☆☆
「嫌。」
翌朝、広澤にあっさりと断られた。
でも、ここはそう簡単には引き下がれない。普段はあまり押しが強くない舞も粘った。
「お願いします!」
「嫌だってば」
「私も嫌なの。どうしても・・・お願いします!」
思いっきり頭を下げた。
「ちょっやめてよ、」
「あれー?珍しい組み合わせだね。」
「歩」
「歩くん」
隣のクラスの坂本歩の声がふたりのやり取りをとめた。
「おはよう。朝からどうしたの?こんな廊下で。ふたりとも目立ってるよ。」
「あ・・・ごめんなさい広澤くん。」
広澤を見ると、首を小さく横にふられる。
「で、舞ちゃんどうしたの?」
「えっと、広澤くんにお願いを・・・」
「え、なになにー?」
「歩には関係ないよ」
「えー気になるー」
「あの、被写体になって欲しくて、」
「被写体?」
「一条さん、写真部だからでしょ。でも嫌。」
先程詳しい説明をする間もなく断られていたが、舞が写真部であることを広澤が知っていることに驚いて、舞は思わず目を見開いた。
すると、隣にいた歩も舞と同じように目を見開いていた。
だが、すぐににこっと笑い、
「いいじゃん、なってあげなよ被写体」と言った。
歩の援護に乗っかり、「お願いします!」と舞はもう一度頭を下げた。
「はぁ…嫌。」
「ね、舞ちゃん、なんで突然悠を被写体に?ふたりが話してるところ初めてみたんだけど。」
「えっ・・・」
「理由次第ではさ、悠も考えてくれるかもしれないよ?」
「・・・」
ここにきて、舞は唐突に昨日のことを思い出した。夢中になり、謝ろうとしていたことすら忘れていた自分を恥じ入り、顔が熱くなるのを感じた。
「一条さん?」
様子が変わり、黙りこんでしまった舞に広澤が声をかける。
すると舞は顔をあげ、真っ直ぐに広澤を見つめながら、
「ごめんなさい。横顔が・・・横顔がすごく綺麗だと思ったから。」
と言った。