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旅人物語─帝の治める大陸  作者: 痲時
第1章 すれ違う旅人
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第4話:旅人の過程


ベルクスに偉そうなことを云ったものの、ヤオン=ヤードの本拠地など俺にはわからない。周辺は既に町の人たちが捜してくれたから、慣れない俺がこれ以上行ったところで意味はないだろう。これからどうすれば良いのか、この広い大陸でたった一人を見つけるにはどうしたら良いか俺にはわからない。慌てて戻って来たものの俺は結局、何もすることができない。気付けば小瓶を握りしめている自分に、悪態をつきたくもなる。


「ビルさん、ひとまず宿に来ませんか?」

 そんな俺にルリエールは相変わらずの笑顔を振りまいて来る。ベルクスと陰気な広場で行った陰気な会話が終わるのをわざわざ待っていてくれたらしい。

「捜すのに以前お住まいのお家だと町から遠いし不便でしょう?」

 こいつはどうしていっつも、こうやって人の気遣いを優先できるんだろう。よくよく考えてみれば、ルリエールも俺が帰ることを知らなかったうちの一人だ。近いうちに帰ることはネイシャと一緒で知っていたが、いつどうやって帰るのかはまるで話していなかった。ジョーがそろそろ出航するというのに合わせたのは、さっさと帰って戻って来るつもりで居たからだ。だからルリエールだって同じはずなのに、今は俺に相変わらずの笑顔を見せてくれる。戦に勝手に行った時、怪我をした時なんかは怒られ泣かれあれこれ大変だったものだが、今回は実にあっさりと俺を迎え入れてくれる。


「……ありがとう」

 咄嗟に出て来た自然な言葉に、ルリエールは笑みをさらに深くした。




 ダルシーだと見逃してしまうかもしれないと、最近は毎日歩いてカーヴレイクまでやって来ているらしい。のんびり歩くと実に時間はかかったものの、俺が帰ってからの話をルリエールが楽しそうにするので、俺はおもしろいリアクションなどできないままただただルリエールのたわいもない話を聞いていた。そんなこんなであっという間に着いた宿は相変わらずだ。まぁ当たり前か。数箇月で変わるわけもない。

「よろしければ、以前のお部屋をどうぞ。幾らでもお使いください」

「悪い」

「いえ、ビルさんがまた来てくださって、嬉しいですから」

 疲れも見せず愛想の良い笑顔を振りまくルリエールを見ていたら、吹っ飛ばして来た疲れが出たのか、長椅子に腰を下ろすと自然身体から力が抜けた。体力を使い過ぎたかもしれない、なんとなく力が入りにくく、呼吸が少し苦しい。こんなのはしょっちゅうあることだから別に気にしていないものの、動くのが非常にだるくなる。


 どうしたものかと思っていると、いったいいつの間に宿へ来ていたのか、レイヴンがふいに入り込んで来て長椅子の肘かけに止まった。

「おまえ休んでなくて大丈夫なのかよ」

 ただ乗っていただけの俺でも疲れたのだ。アリカラーナから西への距離を羽ばたき続けたら、流石のレイヴンでも疲れが出ておかしくない。「異例」の獣だと云っても、すべてが万能なわけではないのだ。一応は心配になって訊いたもののいつもの愛想のない声は帰って来なかった。逆に、

『繋がった……』

 帰って来たのが聞き飽きている女の声だったことに、俺はもう少し早く気付くべきだった。まずいと思った時には遅く、レイヴンの蒼い瞳がすぅっと薄くなり灰色になる。

『毎日毎日エレンに頼んで、やっと通じたわ!』

「……そりゃあ、良かったこと」

 あ、居ないことにすれば良かったのに、何俺律儀に答えてんだよ。ああでも向こうからは見えてるんだっけと今さら思い出した時には既に遅く、しっかりと通信のつながってしまったらしいルーシアは威圧した声を出し始める。

『私怒っておりますの。これでも公演が近くて忙しい身の上だと、わかってのことですよね?』

「忙しかったのか、そいつは知らなかった」

『誰の所為だと思っております?』

「……説教なら、帰ってから聞く」

『まぁ、お帰りになられる気があるのですね?』

「ルーシア」

 調子に乗り過ぎだと思ったところで名前を呼べば、ルーシアも怒りすぎているとわかったらしい。少しの間の後、小さなため息が聞こえた。きっと自分を落ち着かせようとはしてくれているのだろう。

『すみません、でも怖い声出したって、私が怒っていることには変わりありませんからね。あんなにも簡単に行ってしまったら、ウェイアレイさんだけではなく、私だって怒りたくもなります』

「──それは、悪い」

 流石の俺もあんな出て行き方をするつもりはなかった。思えば親父に何も云わず勝手に出て来たのは初めてかもしれない。もちろん連れて来てくれたのがレイヴンだからすべて伝わっているはずだが、なんとなく後ろめたいものを感じる。これはそう、去年妹が生まれるという話が出た時、ルーシアを一人で家に置いて来た時と同じ感覚。親父の命令に縛られているのは何も俺だけではない、ルーシアもだ。勝手に死ぬことを許されず、そのため命に関わるような大事には、当主命令というもので行動を規制されてしまう。一見自由だが、現状は不自由だ。


 ルーシアは俺と違って健康そのものだから、あいつはそこまで縛られていない。だがそれでも、親父は俺とあいつを家に縛る。俺たちを生かすために俺たちの意思を無視する。普段はどうでも良いほど放置するというのに、俺たちを危険から回避させるためには何所までも悪魔になる。

 そんな親父と一緒に居ることが、たまに息苦しくなる。そう云う時こそ、同じ状況下に置かれている相手が居ると、なんとなく救われる気持ちになる。


 俺はルーシアが居たところで救われはしないが、ルーシアは俺が居た方が楽になれる。俺の方が親父の言葉に縛られているから、同じ苦しみを味わっているやつが居ると少しは気が楽だ。生まれたばかりの妹も、そのうちあんな風にがんじがらめになるのかと思うと罪悪感が生まれる。




 俺が汐らしく謝ってやるとルーシアはいいえと小さく呟くだけだ。こいつは本当に素直ではなくなった。昔の何も考えていない頃の方が、どれだけ生き易かっただろう。仲の良い従妹と同じく自由奔放で目が離せないほとおてんばだったのに、気付けば第一に気品や礼儀を求めるようになってそれはもうすっかり板についた。理由はレーイの所為だとわかっているが、自分で自分を殺すことを徹底したルーシアを見てレーイは喜ぶのだろうか。すべてはレーイのためではなく、ルーシアは自分のためにしているのだと云っていたから、それで気が晴れているのなら良い。俺から見ればどっちもさして変わりないルーシアだから、はけ口だけでも見つけることができたのなら良いと思う。だが以前なら容赦なく素直に訴えたというのに、それを遠慮しているのがたまにもどかしい。

『お兄様がなんの許しもなく勝手に出て行かれてからの現状をお知らせしておくと、ヴァカリー家の方は縁談を諦めてくださいました』

 しかしルーシアは迷いなど一つもないかのように、淡々と言葉を続ける。毒があるのはやや残った愛嬌だと思っておこう。

『我が家の長男は約束をすっぽかす、どうしようもない愚息だと云うことで、説得はセレナさんがしてくださいました』

 否定できずに黙っていれば、さらに信じられないことを報告される。

「──はぁ? なんでセレナが?」

 セレナがなんで俺の弁護なんかしてんだよ、有り得ない。


──あんたの顔なんて二度と見たくないわ!

 餓鬼の頃から犬猿の仲である従妹とは散々喧嘩はしていたものの、あの卒業式から本当に顔を合わせない。今回のは売り言葉に買い言葉ではないからだ。俺もその通りだと思ったから、あいつに会わないようにしている。あいつに顔を晒すことは、やはりできない。俺は故郷に顔を晒して歩くことを許されないはずだから。


『実際はどんな悪評で虚仮降ろしてくださったのかは知りませんけれど、セラネーと懇意にしているからか納得して戴けました』

「あ、そう……」

 セレナだったらやりそうだな。ヴァカリー家に縁ある御家方々には、俺が噂通りの縁談すらまともにできないどうしようもない男だと、早速話されていることだろう。別に良いけど。その通りどうしようもない男だし。

『帰ったらセレナさんに御礼をしてくださいね』

「絶対に嫌です」

 あいつは俺の顔なんて見たくはないはずだ。というかそう云われて、実際もう5年会ってもいない。結婚式にも顔を出せと云われたが結局欠席して、後輩のベストーダは後日おめでとうとだけ伝えた。それも領地ではないところで、だ。縁談を断ってくれたからと云って領地へ顔を出したら、どんな厭味辛みを云われるかわかったものではない。そうしたら「困った時のビル様」と「最愛の妻」という間に立たされたベストーダもかわいそうである。

『また勝手に決めつけていらっしゃるみたいだけど、そうやってすぐ決めつけるから、セレナさんはお兄様に強く当たるのよ。あ、そういえばベストーダさんがものすごく嘆き悲しんでいて、書簡が山積みです』

 セレナと俺の仲の悪さは、今に始まったことじゃない。翻弄に餓鬼の頃からだ。顔を合わせる度に喧嘩を売られるから、きっと相当俺が気に喰わないのだろう。 というかベストーダは俺に書簡など書く前に仕事をしろ。

「セレナもベスのことも今はどうでも良いだろ」

『どうでも良いって、酷い云い草。セレナさんは自ら説得役を買ってくださったのに』

 なんの罠だよ。俺はあいつに頭下げたくない。と云うより、顔を合わせるわけにはいかない意地のようなものがある。国に帰ったところで顔を合わせたくない連中ばかりでどうするんだ。もう二度と帰らない方が良い気がして来た。せめて死ぬ時は、この顔を燃やそうと思っている。誰だかわからない風体で居ればきっと見つからないで済む。まぁきっと親父は見抜いてしまうだろう。それだけが腹の立つことだ。

『まぁセレナさんの件はともかく、もっと大きい問題がセイシャンオール家なのです。お兄様のご帰宅をぜひお待ち申し上げております、と』

 あ、流石にそれはまずい。

「なんで天下のセイシャンオールが俺との縁談なんか許したわけ?」

『天下のって、なんでへりくだっているんですか。──だってリエラ様の御要望だもの、趣味が悪いことに』

 まあその通りだと思うけど趣味悪いわざわざ付け足すな。遠い遠い親戚であることすら知らなかった。リエラがセイシャンオール家の人間なら俺との付き合いなんて許さないと思ったのだが娘には甘いのか。いや、あの家は心の広い寛大な当主だ、リエラの要望をおそらくずっと黙認しているのだろう。あいつは嫁に行かないことを、俺だけがわかっていればそれで満足なのに。


 最初は若干引くぐらいにリエラは俺の信望者だった。敵が多くて毎日うざがられていたと云うのに、ベストーダのように、こういう風に俺に懐いて来るのがたまに居る。不思議なことだ。リエラの縁談相手の中にたまたま俺が紛れ込んでいたのが5年前、あいつはなぜか縁談候補者の一人である俺にわざわざ会いに来た。俺はその時初めてリエラ・セイシャンオールという存在を知ったのだが、向こうは向こうで知っていたらしい。その後俺が国外へ居なくなって流れたものの、またこうして正式に申し込んで来るとは、本当に根が深い。

『リエラ様って、とってもかわいらしい御方よね?』

「小さくてお嬢らしいお嬢……あ、ミーみたいな奴。そもそもミーの友だち」

『もったいないわ、こんな無愛想にあのような優しい御方をあげてしまうなんて……』

「かわいそうで仕方ないからやめた方が良いだろ」

『でもリエラ様自身の意向ですから……ミレイネットさんもどうしてお兄様なんかを親友と云ってくださるのか不思議だわ。お嬢様は趣味があまりよろしくないのかしら?』

 おまえもそのお嬢様だろうと云いたかったものの、そう云われてみればミーやらリエラやら、のんびりおっとりしたやつがどうして俺なんかの近くに居て落ち着けるのかは七不思議だ。

『お帰りをお待ちしておりますと云われたからには、帰って来てもらわないとなりませんからね。緊急とは云え危ない行動は控えてください。今回のことを含めて、すべてズークラクトさんにお伝え致しましたからね』

 いやだから、どうしてそう余計なことするかな。ただでさえ帰った時に散々怒られたのに、また今度はどんな風に怒られるか想像がつかない。それでも俺を死なせないのが、ズークラクトだけど。


『なるべく広いお部屋で窓を開けて、お薬は必ず飲むように、食事はきちんと3度摂ってください』

「おまえに云われなくてもわかってるよ」

 生まれた時からそれが俺の基本生活だ、今さら厳重に云われるようなことでもない。ただ健康なだけにそれこそ想像がつかないのか、ルーシアは俺の体調にだいぶシビアだ。俺が一度死にかけた時ルーシアは12歳と多感な時期で、要らないトラウマを植え付けてしまったからかもしれない。

『あまり考え過ぎないように。身体に良くありませんし、似合いませんから。帰ったら面倒事がたくさん待っているんだから逃げないでね』

 本当に一言多いやつだ。

『では、またご連絡します。今度連絡する時は、もっと元気な声をお願いしますね』

 俺が元気に話しているのって、想像するだけで気持ち悪いんですけど。


「ルーシア、ウェイは?」

『お帰りになられましたよ、それはもう天変地異の前触れかのように、お静かに』

「あ、そう……」

 少しほっとする。あいつの場合、どういう行動に出るかわからないから怖い。静かに帰ったということは、俺が居なくなったことに対してそれだけ打撃を受けているということだ。あいつは俺と何かあるといつもそうだ。泣きわめけば良いのに妙に冷静になる。それでも俺は、あいつが隠れて泣いているのを知っている。あいつは絶対に人前では泣かないという美学を持っている。俺ですら一度しかあいつが泣いているのを見たことがない。そして俺は非常に不名誉なことに、あいつを泣かせる側に入ってしまっているのだ。泣いてないと良いと思うほどには、まだ情が残っている。

 俺の安心をどうとったかわからないが、ルーシアは呆れたように溜め息を吐いた。

『お兄様の愛情表現ってわかり難いんですけれど、ウェイアレイ様にお伝えしましょうか。お兄様がそれは泣きそうになるぐらい心配しておりましたよ、と』

「やめろ、調子に乗るから」

 そう云いながらも、実際どんな状態で居るのか知りたがっている辺りまだ情がある。あいつは俺にとって、珍しく一緒に居ても苦痛ではなくなんとなく考えていることがわかって、そして俺とレーイの気持ちをよくわかってくれたから、どうしたって捨てられない。俺ではあいつを幸せにしてやることなどできないと、わかりきっているのに。



『お兄様。──無理、なさらないでくださいね』

「……はいはい」

『当主命令を破ったら、私も容赦ありませんからね』

 非常に恐ろしい一言を残して、通信はぷつんっと途切れる。レイヴンの瞳がだんだんと黒になっていく。通信が終わった後、レイヴンはしばらく動けない。それがせめてもの救いだ。通信に集中してすっかり忘れていたが、何せ今目の前には驚いたままのルリエールが居る。



 俺が小さく溜め息を吐いたことではっとしたのか、ルリエールは遠慮気味の視線を向けて来る。

「今の、は……」

「妹からの通信。レイヴンは俺の監視役でもあるから、基本的にあっちと連絡が取れるようになってる」

「……ビルさん。ビルさんはその、貴族、なんですか?」

「……まぁ、そんなもん」

 実質少し違うけど、そのうち格下げされるだろうからまあ同じだろう。

「……ビル、さん。縁談、と仰っておりましたけど」

「あー王太子が誰も嫁を決めなかったから、腐るほど婚期を逃した奴が居るんだ。それが全部流れて来ただけ」

 王太子に嫁ぐつもりだった奴らが、俺たち王族のところへ流れ込んでいるのは知っていた。面倒なことこの上ないが、こんな俺でも誘いが来るほどアリカラーナに近い血を欲されているのだ。アリカラーナに近ければ良いなんて、俺にはとても思えない。

「だからその格好なんですね」

「え、ああ……」

 ルリエールが上から下まで俺を見る。頼むから派手過ぎるのはやめてくれと頼んだ結果、最低限で抑えられてはいても、こんな港町では目立って仕方がないベッチンのコート。若干隠れてはいるが、中は非常に残念なことにシルクのシャツやらタイ、無駄に刺繍のあるベストだ。正装だと煩いベルベットやら無駄にフリルがついたシャツなので、俺はほとんど着た覚えもない。俺がこんな恰好で以前の西国に来ていたら、たぶん金の塊にしか見えなかったのではないだろうか。

「服、買いに行って来る。準正装なんて動き難いだけだ。破いたらまた買い直すの面倒」

「面倒……って。あ、あの、私もお手伝いします」

「助かる。いまいちサイズとかよくわからねぇんだ」

 窮屈だと思ったら、さっさと着替えたくなって俺は椅子から立ち上がる。少しだるいような気もするが、そのうちには治るだろう。

「ビルさんはその……、国を出て来てしまって、良かったのですか?」

「どうにかしてくれたらしい。もう帰りたくねぇな、頭下げるのが面倒くさい」

 そして顔も合わせたくない。セレナに借りを作ったと云う話は、俺にかなり打撃を与えている。あいつには会いたくない。なんとなく意地のようなものだけど、一生会わずに終わりたい。幸いなことに領地は離れているから正式な行事以外で顔を合わせることはない。

「俺が国に帰るなんて、許されるはずないのに」

 俺がセレナの前に姿を現したら、あいつは俺を絶対に許さないだろう。あんたの顔なんて見たくないと云われた俺は、姿を見せないことであいつの存在を忘れていたと云うのに、なんでそんな余計なことをするんだろう。


「ビルさん」

「何?」

「その……、ビルさんは、貴族、なのですか」

 戸惑ったように俺に訊いて来るルリエールの様子が、さっきからおかしいのは気が付いていた。それも当然だとは思うが、説明するのもややこしい。

「そんなもんだって云わなかったか」

 俺は東の方がから来た貴族。それだけで良いはずだ。


 俺がそういう気持ちを込めて云うと、ルリエールは何か決心したかのように強い目で俺を見て来る。ああ、これはまずいやつだ。俺が戦争に参加すると云った時、俺が怪我をした時、どれもこいつの地雷を踏んだ時の表情だ。

「──私、ビルさんのこと、ちゃんと知りたいです」

「……え?」

 だからそんなことを云われた時は、正直に驚いてしまった。驚いたというかまったく想像しないことを云われて、きちんと頭に意味が届かなかったように思う。

「訊かない方が良いと思っていました。ビルさんはいつか自分の国に帰る御方で、ここはビルさんに取って、仮初の場所だと。だけどビルさんは、またここに来てくださいました。私たちの、この国に」

 国に居る間ずっとここのことばかり考えていたなんて云ったら、ルリエールはどんな顔をするのだろう。

「私たちはビルさんのこと、少しでも知りたいと思っているんですよ。話したくないのならそう仰ってくれれば良いのに、ビルさんは中途半端に教えてくれるから」

 だから余計に気になりますというルリエールに、俺はすぐ言葉を返せない。


 話したくないわけじゃない。ただ、俺は。

 俺は死に場所を捜していたのだ。

 ここはルリの云う通り、すぐ通り過ぎるだけの場所だった。だって俺は死ぬために西大陸へ行きたいと思っていたから。漠然と死にたいと思っていただけで、自害するほど欲求はない。ただもし死ねたら運が良かったなぐらいのつもりだった。そうしたら戦乱はもう終わっていて、西国は落ち着いている真っ最中だった。だから俺は、俺を刻むためにここに来たわけじゃあないのに。実際に戦火を切り抜けて来た奴らを前に、死ねると思ってこの大陸に来たなどと、流石に無神経の俺でも云えなかった。




「……つまんねぇ、大した話はねぇよ」

「それはビルさんが決めて良いことじゃあないんです。私は少しでもビルさんのこと、知りたいと思っているんです。 だからもしお話してくれる気があるのなら私は……どんなにつまらなくても最後まで聞きます」

 あー、忘れてた。こいつ、こういう奴だったっけ。

 ──そうやってすぐ決めつけるから、セレナさんはお兄様に強く当たるのよ。

 さっきルーシアに云われたことを思い出す。だからってセレナの気持ちがわかるわけじゃないけど、俺のこれがいけないって云うのか。俺と云う存在に価値がないと、決めつけることが。



 でも俺は。

 俺はだって、偽物だ。

 偽物のくせに、なんで生きているのかわかんねぇのに。


「ルリさ、俺なんか放っておけば? あんまり関わらない方が良い、俺は関わらないことを勧める」

「勧められて人付き合いなんてしません」

 わかってはいたが、相当な頑固だ。

 ──頑固で悪かったわね、私はね、ビル、それでもビルには、普通の人生を送って欲しいのよ。

 ああ、わかった。ルリエールって誰かに似ていると思ったら。

「ビルさんはどんなに好きな人でも、その人に嫌いじゃないけど一緒に居ない方が良いって云われたら、それだけで断念してしまうんですか? それだけで、その人との付き合いを絶つんですか?」

 なんだ、それ。だってそんなの、絶つしかねぇだろ。本人が嫌がってるんだから。俺を見る目を思い出す。俺を見て怯えた侍女、曇った顔のリューク、鋭く睨みつけたセレナ。憐れむ目で見て来た国王とか。なんでおまえなんだ、と見て来た貴族連中とか。


「もちろんどうしてもわかりあえない人は居るのでそういう場合はどうしようもないかもしれませんが、私たちはみんな、ビルさんが好きだから、ビルさんのこと、ちゃんと知りたいと思うんです」

 最後に微笑んで、俺を見ていたレーイのこととか。

 ──大丈夫よ、ビル。

 何がだよ。

 ──世界中の誰か貴方を嫌っても、私だけはビルを好きで居てあげられるから。たとえビルが私のこと恨んで嫌いになっても、私はビルを好きで居続けてあげられる。

 真っ直ぐなまでの正義を見るのが眩しいのは、俺がそれをできないからだ。口にすることも行動することもできない。行動することができなかったレーイの代わりに、俺は動くべきだったのに。

 ──莫迦ね、気にしていないわ。

「趣味が悪いな……大した話、ないけど」

「大した話ですよ、一人の人が、ここまで生きて来た過程なんですから」

 笑った顔はもちろん別人だ。だけど性格が、何所までも真っ直ぐな性格は、レーイに似ている。あいつも相当な頑固だった。俺がいつも面倒だからって折れてやったっけ。

「大した話、ないんだよ。本当に」

「ビルさんはそう思っているかもしれませんけど、私がそう思うかどうかは聞いてみないとわかりません。ビルさんが国に帰りたくない理由も、ビルさんが鏡が苦手な理由も、私は知りませんから」

 伏せかけていた顔を思わず上げれば、ルリエールが申し訳なさそうな顔をして俺を見る。

「すみません、ジョーさんから聞いたんです。最初は渋っていましたけど、ビルさんだけがあまりの怪我だったので、ネイシャを連れ戻す時何があったか、ちゃんと教えてくださいました」

 渋るジョーの様子が目に浮かぶ。それでもこれだけ頑固だったら、俺みたいに折れるだろう。


 鏡が苦手。それだけで済んだら良いのだが、生憎と俺が苦手なのは単に鏡ではない。あの時俺が破壊したかったのは、鏡に映っているそのもの。俺という偽物。


「ビルさん」

 そっと呼びかけられて、焦点がルリエールに戻って来る。そう、目の前に居るのはルリエールだ。


 ──偽物。

 そう云われるのは、母国でだけ。ここでは誰も俺が偽物だということを知らないから。

「話すのは構わない。でもダグみたいに想像力膨らます必要なくて、俺は本当にただ自分の国に居るのがなんとなく面倒くさくて、それで出て来ただけだから」

「はい」

 それだけ念頭に置いてもらって、俺は小さく呼吸をする。

「一つ、訂正しておくことがある」

 なんでこんな、すらすら話せているのだろうか。俺のことなんて、話すつもりなかった。将軍が知っているのならそれだけで良いと思っていた。

「俺は東の方から来た貴族っていうの、正確に云えば俺の母国はアリカラーナで、俺はそこの王族だ」

「アリカラーナの、……王族……?!」

 信用ならないのは結構だけど、やっぱり驚かれるか。外界のアリカラーナ信仰も、そろそろやめてもらいたい。俺たちの国は、そんなにすごいものではない。国の意思が盤石なだけであって、それが崩れたら壊れるだろう。

「俺の親父が王の一番下の弟になる。国の一番上である伯父とそんなに話す機会もない。そのうち従兄が王になれば、俺は晴れて王族から外れてただのぼんくら貴族になれる。だからそんな気にすることでもない」

「いえでも……想像よりスケールが大き過ぎて、動揺してしまいました。すみません」

 謝られても困る。ちなみに現在はその王になるべき王太子が行方不明で、国は絶賛混乱中なのだが、そういう面倒くさいことは省いておこう。


 俺が黙っていたのはこの世界では無駄にあるアリカラーナ信仰の所為である。アリカラーナからやって来たとなれば、それは神の国への招待状を手に入れたも同然で、その身柄を勝手に拘束する集団がどの大陸にも居るのだとか。別にそれがなければ隠す必要もなかった。だが結局、隠したところで長居をしすぎたからか、例の連中に見つかりここには多大な迷惑をかけた。

 将軍は俺という存在を認めてから、すぐに調べて素性を知っていたという。だがそれを町の人たちには云わなかったのだ。戦争を切り抜けて来たここの人たちが、突如来た貴族をおかしく思わないわけがない。それでも彼らは俺に優しくしてくれた。それは将軍たちが何も云わない、むしろ協力的だったからだ。そこにある信頼関係に俺は守られて俺はここを、居心地が良いと思えた。




「生まれつき身体が弱かったから、ほとんど寝台で寝ていた。近くの従兄がいろいろ世話焼いてくれて、外に出てどうにか振り回すぐらいの剣術はできるようになった。本当に恵まれた生活をして来たと思う……俺だけは」

 偽物の俺だけが剣という生き残る術を持ってしまった。だから俺は、偽物なのに生き残ってしまった。思えば自分のことをこうして誰かに言葉にして伝えるなんて初めてかもしれない。俺は淡々と語ることができるのか。5年も経ったらしい今でも、まだ自信がない。


 地面を見て歩くのが癖になったのは、何も地図を書くためだけではない。誰かにこの顔を見られることを恐れているから、自然猫背になっていっただけだ。俺はいつ、堂々と顔を晒して国を歩けるのだろうか。


・・・・・


 目が覚めると、底は深い闇の中だった。

 ──……い。

 声が、聞こえる。

 ──天帝に、付いて行きなさい、我が魂の神子よ。

 また、同じ声だ。


 今日の宣託はと神官に問われ、私は言葉を濁した。本日はありませんでした。最初のうちはそれで誤魔化せたものの、次第に云い訳が苦しくなって仕舞いには正直に打ち明けた。天帝に従いなさいと聞こえるのですと、神官と陛下に伝えた。



「どうやら女神は、疲れているようです、陛下。ここまでご足労戴いたのに、申し訳ございません」

 私は神官の言葉に愕然とし、驚いた表情のまま彼らを見つめるしかなかった。

「どうしたのです、女神。まさか本気でそのような戯言を申しているわけではありませんよね」

「でも……」

「そのような戯言が聞こえるのなら」

 私の言葉をかき消すように、陛下がこちらを見ずに吐き捨てる。

「ロウリーンリンクも末だな、女神失格だ」

 女神、失格。

 その言葉に、私の心はどしりと重たくなる。


 云われなくても感じていた自分の無力。それを突き付けられた気がして、云いたいことが言葉にならない。遠く離れたこの場所から、壊れていく町を見ることしかできない己の未熟さが歯がゆくて。


 ──いや、だから、出るかって訊いてるんだけど。出られるか、じゃない。出たいか、出たくないのか、そのどっちかだ。


 ぶっきらぼうな声が私を満たしてくれたことを思い出すのは、まだ随分と先のことだった。



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