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旅人物語─帝の治める大陸  作者: 痲時
第1章 すれ違う旅人
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第3話:少女の選択


 晴れ渡った、実に天候の良い日だったと云う。孤児院を訪れたネイシャはティーガたちの相手をしてくれたものの、その笑顔は今一つ晴れず、ベルクス・ラッシュは気がかりだったという。だから帰りに声をかけたのは、当然と云えた。

「元気がないね」

「そんなことないよ、元気だもの」

「無理はしなくて良いよ。──まさかいきなり居なくなってしまうとはね、それは驚くよ」

「そんなこと……」

 気にしていない、気にしていないとネイシャはずっと呟いたそうだ。


 若干ふさぎ込んでいたネイシャを孤児院に連れて来たのは、ルリエールだった。ベルクスの誘いもあって、ネイシャは重い腰を上げてくれたのだ。帰る途中もまだふさぎ込んではいたが、最後にはルリエールに笑って手を振った。


 それが、ネイシャを見た最後だと云う。


・・・・・


 かっ飛ばすから寝ていろとレイヴンにされるがまま意識を手放した。本当は眠くなどなかったのだが、相当なスピードを出すレイヴンに、俺が起きていて安全な補償は何所にもない。景色の速さで変に気分が悪くなる可能性のほうが高い。これは大陸を往復する度にわかっていたことだったが、ノーマルなスピードだったら問題がなかった。しかし流石に母国から西大陸まで一直線に飛ぶというのは初めてだったため、現地に着いてからなるべくすぐ動けるよう、おとなしく云うことを聞いた。ただ巨大な鳥に乗っているだけかと思えば、乗っている人間も不思議と守られるのだから召喚術も便利なものである。親父の専門であるその仕組みを、俺は詳しく知らないまま恩恵に預かっている。

 レイヴンに起こされて到着した西大陸は、夕日に染まっていた。どれだけの日が流れたかはわからないが、レイヴンの疲れ具合から2、3日だろう。北大陸へ行くのと同じぐらいだ。世界の中心アリカラーナというぐらいだから、もしかして距離的には変わらないのかもしれない。




  慌てても仕方ない、そうは思いつつ急いで向かったカーヴレイクの広場には日暮れ前だと云うのに大勢の人が集まっていた。そこにベルクス・ラッシュが来たものの、その顔色は芳しくなく静かに首を横に振ると、人々はさらにうなだれた。それだけの動作で、彼が今まで何をしていたのか、この人たちがなぜ集められたのかがわかった。

「……見つからないのか」

 俺が口を開くと、今までまるで気が付いていなかったらしく、人々は俺を見て目を丸くする。

「ビル!?」

「お、おまえ、いつ帰って来たんだよ?! 船が入って来たか?!」

 驚く住人に俺はそんなことより、と言葉を濁すしかない。レイヴンで国から一直線で来たのだ。流石に怪しまれるから俺たちが借りた少し人里から離れたあの家に降り立った。レイヴンは長距離に疲れ切ってしまって動けなかったため、彼を家に置いてその足ですぐさまカーヴレイクに向かい、直面したのがこの集団だった。

「ビルさん……」

 ベルクスは俺を苦々しい顔で見る。当然と云えば当然だろう。レイヴンから聞いた話を総合すると、俺が勝手に帰ったことでネイシャは元気をなくし居なくなったのだ。元凶とも云える俺が唐突に現れたら、誰だって良い顔はしないだろう。


「ビル兄!」

 俺の突然の登場に、ティーガは慌てて走り寄って来た。ほんの少し離れただけなのに、なぜかぐっと成長したように見えるのは気のせいだろうか。

「やっぱり、ビル兄は帰って来た!」

「なんのことだ?」

「ネイシャがね、ビル兄は帰ったんだって。自分とは違って居場所があるから、置いて帰ったんだって云ってた。俺違うって云ったんだけど、ネイシャ、納得してくれなくて」

 懸命に話す姿はただひたすらで、俺は逆に罪悪感を深くする。やはりあいつが居なくなったのは、俺の所為なのだと。だが俺は何度考えても、他に思いつかなかった。帰るから待ってろと云える立場ではない。俺はこの大陸の人間ではないのに、自由になったあいつを縛り付ける言葉なんて云えるわけがない。


 ──当主命令で、父親命令だ。良いね、ビル。

 俺は縛られて窮屈で居るのを知っている。でももしすぐ帰ると約束したら、また違ったのだろうか。


「毎日あちこち捜してるんだけど、何所にも居ないんだ」

「……そっか」

「ネイシャ、帰って来るよね?」

「当たり前だろ」

 あいつの居場所は、俺がなくした。だからあいつが決めることだ。あいつはここでの生活を望んでいたはずだから、きっと戻って来るはずだ。




「みなさん、やっぱりこちらには──」

 聞きなれた声に振り向くと、そこに居たのはルリエールだった。俺を見て言葉を切り、もともとでかい目をさらに見開いて、信じられないものでも見たかのように俺を見る。

「ビル、さん?」

「見つからないか」

「……はい、何所にも。ビルさん、その、いつこちらに?」

「ついさっきだ」

 まだ動揺が収まっていないのか、ルリエールは小さく深呼吸する。ルリエールには帰ると説明していたものの、いつ帰るかなどは云っていなかった。ある時シーバルトと一緒に大陸を出た俺が、こうしていきなり戻って来ることを予想していなかったのだろう。


「ネイシャの捜索は軍も手伝ってくれています。ひとまず今日は、これで解散しましょう」

 三々五々探しに行って、最後に戻って来たのがどうやらルリエールだったようだ。ルリエールの号令を皮切りに人々は散り始めるが、俺を見てなぜかみんな難しい顔を消して笑顔を見せる。

「よく帰って来たね、ビル」

「また今度、ゆっくり話そうぜ!」

 そうしてそれぞれの家へと帰っていく人々を見て、俺は不可思議な気持ちになる。ネイシャをここに住まわせたのも、行方不明にしたのも俺なのに、みんな変わらず俺を扱ってくれる。


 ──すまない、ビル。すまない……。

 手を弾かれた、母国とは違う。あの時とは違う。




「ビルさん」

 ルリエールが走り寄って来て何か云うのかと思えば、声を飛ばして来たのは未だその場に残っていたベルクスだった。

「お話があります」


・・・・・


 有無を云わせない口調だったというのもあるが、真顔のベルクスに素直に付いて行ったのは、責任を感じていたからかもしれない。よくわからないがとにかく、なんでも良いから生きている証拠が欲しくて、誰かと接していたかったのかもしれない。弱々しいこと、この上ない。

 ──また不安なの。

 いや、たぶん、これの所為か。

 ──一人が、不安なのね。

 俺は一人が楽だから。

 ──嘘おっしゃい。ビルはいつだって、私が居ないと駄目だったくせに。

 だんだんやかましくなって来るその声を、避けたい。

 ──ビルは私のこと、大好きなはずよ。だから一人では駄目なのよ。

 だんだんと、虚しくなって来る。

 帰るついでに身体検査を受けさせられたものの、身体に異常はなかった。ただあちこちに傷を付けていて、それに対してまだにこにこと厭味を羅列されただけだ。昔から世話になった主治医が老齢で他界してから、従兄のズークラクトとが主治医になったことは気易いように感じるが、身内だからこそ口喧しく日頃の健康を気遣うよう云われて逆に辟易してしまう。従兄に厭味を云われ、妹には留まるよう足止めされ、周囲は結婚を促す。帰ったところで良いことなど何もなく、しかもあいつも居なくなってしまうとは。

 あいつの意思だ。

 そう思ったものの、云えばレイヴンに迫力満点に突つかれるに違いない。





 いきなり罵られるかと思いきや、ベルクスは淡々と現状を語ってくれた。

「まるで駄目ですね。軍も戦が終わったばかりで、それほど人が割けるわけでもありません。町の人でどうにか探すしか方法はなくて、でもやっぱりそうすると距離に限度があって、また一般民が入るには危ない地域もありますから、比較的安全なところしか確認できていないのが現状です」

「ジョーたちは?」

「まだ帰って来ていません」

 北大陸で別れたままだったが、まぁあいつらも天帝に縛られているわけではない。港を貸してもらっている恩義には報いているが、本来のあいつらの職業は義賊だ。あちこちの海に出て正義のまねごとをしていないと気が済まないだろう。



「ネイシャの足で、そんな遠くまで行けるはずがありません。加えて天帝領になってから通行も規制しています。天帝が地区に勅使を出してはたらきかけても、見つかりません」

 結果と彼は淡々と、報告書のように語る。

「ヤオン=ヤードに捕まった可能性が、高いと見ています」

 その可能性はあるとわかってはいた。むしろ高いことも理解してはいたはずだ。だが実際こうして他人から聞かされると、その覚悟まではできていなかったらしい。足の力が若干抜けた。

 ──私はもう、神官の云う女神ではありません。

 あいつを連れ出したのは確かに俺だが、あの時決めたのはあいつだ。そのあいつが戻ることをやめた場所に、後ずさるような場所に戻してしまったのは、俺だ。



「ビルさん、ネイシャが帰って来たら、孤児院で預かろうと思っています」

「それは……」

 云いかけて、俺が止める権利はないのだと気付く。しかも、今の俺は。ネイシャがただ出て行っただけであったら、莫迦な俺は自分の所為だと思わなかっただろう。俺が黙って出て行ってからずっとふさぎ込み、最終的にレイヴンの目を盗んで居なくなったとなると、流石に俺の所為ではないと云い切れない。俺の配慮とやらが、足りなかった所為だ。


「院長が養子にしても良いとまで云ってくださっています。ネイシャの戸籍はクレアバール帝国にありますから、別段問題はないでしょう」

「ん」

「ビルさんも、その方が良いのではないですか」

「え?」

 とんとんとネイシャの今後を語りだすベルクスに、情けないとは思っても一文字しか声を発せない。

「西に行きたいと仰っていたでしょう。ネイシャが居ては危険です」


 ──私の生まれたところは、酷い戦地だったのですよ。わかりますか、戦場。

 平和な国の平和な時代に生まれた俺に、戦と云う言葉に馴染みはなかった。俺の母国でも国内で争っていた時代はある。その痕跡は王都にも残っておりその紛争は結局休戦と云う形であってまだ続いているが、既に過去の遺物と化している。2番目の叔父が20歳とかそれぐらいの時だから、俺が知るはずもない時代にそれは確かにあった。


 俺の命はいつもほのかに照らされているぐらいで、いつなくなるかわかったものではなかったが、それは俺の身体の問題であり、なんの前触れもなくなくなる命があることを俺は知らない。だからそんな土地に赴いてみたいと思って足を延ばした俺は、とても不謹慎でしかない。



 戦地に漠然と思ってはいたものの、正直なところ行けたら良いぐらいにしか思ってはいなかった。だがそういった言葉がどれも云い訳にしか感じられず、だんまりを決め込むしかない。

「ネイシャはこちらで守りたい、そう思います」

 ベルクスが最終的に云いたいのは、そう云うことだろうとは思っていた。ネイシャを一番かわいがっていたのは、何あろうこいつだ。もともと孤児だったベルクスが、戦地を死に物狂いで生き抜き、戦の「い」の字も知らないような俺にこうして対等に話していること自体奇跡だ。




「話はそれだけか?」

「え、ええ」

 頷き以外に云った言葉がそれだけとは、やはり恰好はつかないままだ。別に良いけどそんなもの。俺はただ、あいつを見つけなければならない。責任とかそう云うのもあるけど、云うなれば焦りみたいなものが突き動かしている。


 早く見つけろ、と。

「ビルさん、貴方は……、ネイシャをどう思っているのですか」

「あ?」

 思わぬ玉が転がって来た。

「邪魔だと、そう思っていたのですか」

「──だったら一緒に居ねぇよ」

「ならどうして、何も云わずに発ったりしたのです」

 何度目になるかわからない問いに、俺もまた何度目になるかわからない自問を繰り返す。素直に説明すれば良かったのに、なんとなく云えなかった。帰るともし云っていたら、あいつはどういう態度を取っていただろう。帰るから待っていろと云えば、あいつは待ってくれていたのだろうか。だが俺にそんな権利はない。俺はあいつの保護者でも家族でもなんでもない。ただあの場所が嫌だと云うあいつを、あの場所から出してやっただけ。それだけのことなのに──。

 ──済まない、ビル。すまない……。

 ひとつの可能性に思い至って、思わず舌打ちが出る。俺を実の弟のように扱ってくれた従兄のリュークを見かけて俺は挨拶のつもりで一応手を上げたが、彼は俺を見るなり視線を逸らし、次には背中を見せた。その背中は、明確な拒絶だった。

 ──あんたの顔なんか、二度と見たくないわ!

 従妹のセレナに云われた最後の言葉。餓鬼の頃から会えば喧嘩はいくらだってしたが、あれだけ盛大な喧嘩は初めてのことだった。たぶんその言葉を、俺が正直に受け取ってしまったから。


 俺は拒絶されている。世界を失った俺は、ここで生きている意味などない。偽物の俺に、この世界は色を与えてくれない。

 また拒絶されたくなかった。

 その可能性に行き着くと無性に腹が立つ。もちろん自分にだ。




「あいつは、自由だろ」

 自然と出て来た言葉は、それだ。

「俺と違って、今のあいつは自由だ。何所にでも行ける。俺が縛り付ける理由はない」

「ビルさんは、自由でないと」

「俺は逃げたくても、母国から逃げられない」

 諦めたように云ってから俺は気付く。自由を何よりも欲しているのは自分で俺はあいつが得た自由を羨ましく思い手放させたくないのだと。自分勝手な理由だ。

「俺が国に居続けるなんて誰も許しちゃくれないのに、俺はあの国に居なければならない」

「え?」

 あの国に居ることが許されないのに、あの国で生き続けなければならない。この顔をさらして国を歩くことが罪であるのに、生き抜けと命じる当主に逆らうことができない。俺が当主に、親父に逆らうことができないのは、あの人の完璧な人生を狂わてしまったことへの謝罪だ。俺が居るからこそ、あの人の人生は完璧なものではなくなった。 誰もが羨むような地位を確立しておきながら、あの人はいつだって、俺たちのことで傷ついている。だから俺は、寿命が来るまで生き抜けという命令に従うしかない。正直に云えば、俺は両親の前にこそ、この面を下げて会いたくないと云うのに、あの人はそれを許さない。だから仕方なく、俺はあちこちの国を放浪しながら、たまに生きている証明のため国へと帰る。それが俺の、現状だ。



 そんな矛盾した俺という存在にとって、ネイシャはその呪縛から解き放たれた人だった。俺には望めない、束縛からの自由を獲得した。

 ──考えるまで、リュースと一緒に居たい。

 理由はよくわからないが、あいつは俺に懐いていた。一歩間違えたら、依存につながってしまいそうなぐらいだったから、俺は外に行かせた。ルリエールの宿や商店に行かせて働くことで、あいつは金をもらって人と関わることを覚えたはずだ。俺のことなんて、簡単に忘れられると思っていた。俺がいきなり居なくなったところで平気なぐらい、あいつはここに自然と馴染んでいた。あいつが居なくて、あれだけの人が探してくれるように。


 予告もなく居なくなったからと云って、ネイシャがここまで動揺するとは思っていなかった。

「あいつの思考回路なんてわかんねぇけど、また莫迦なこと考えて自分から出て行ったんだ」

「ビルさん、幾らなんでも……」

「連れ戻して来る」

 ぼんやりとしていたベルクスに、俺は再度云う。

「連れ戻したら、あいつの好きな通りにさせてやるから、だから」

 俺ができるのって、なんなのかわからないけど。

「少し時間をくれ」


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