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旅人物語─帝の治める大陸  作者: 痲時
第1章 すれ違う旅人
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第2話 帰る場所


 先生のお願いもきいたし、レイヴンとの約束通り検査も受けた。仕方がないから本邸にも顔を出した。義理は済んだから出て行っても良いと思うが、「もう少し居てねー」という親父の命令のもとまだ屋敷に居る。いつだって云い方は適当で出て行ったって問題はなさそうだが、後々面倒だから大人しくしておくに限る。

 穏便に帰るためにルーシアが学院に行っている間に出てしまおうと思ったが、大変な時に一人で嫌な思いをさせたという罪悪感もある。加えてなぜか、あちこちから面会したいと云う話まで出て来ている。波風立たせず消えるように外に出られたら良いのだが、なかなかうまくいかないものだ。


 俺の屋敷は窓が多く作られているから、冬場は結構寒くなる。この国の生活には特殊能力を持つ術師というのが必須なのだが、王族は王の血筋に連なる人間だから、王族である限りそのどれにもなれない。つまり王族は、術師に頼ることになる。我が家は親父が召喚術の研究をしていたから、召喚師と仲良くやっている。召喚師と法術師というのは元来仲が良くないから、うちは法術師との関係性が薄いため、灯りやら温水やらは召喚でまかなっている。だがこの寒い部屋を一瞬にして温める術を持っているのは、どちらかと云うと法術師だ。羨ましい。

 それなりに寒い上にやけに広すぎる自分の屋敷というのは、正直あまり居心地が良くない。だから俺は、いつも部屋にこもってぼけっとしていることが多い。最近は寝室で意味もなく寝ている。後輩やら先生やらウィリアムズやら、呼んでいる連中は居るものの、それを無視して部屋にこもっている。外に出たところで「ごく潰しが帰って来た」と云われるだけだから、極力出ないに限る。


 唐突にノックすることもせず扉を乱暴に開けて、

「ビル様ー」

 と呼んでくる侍従に怒ることもしない。いつものことだし、云ったところで直らないことを知っている。俺には生まれた時からレイヴンが居た。だからハヴァーズは、俺が勝手に連れて来た侍従だ。家も食べるものもないと云うので、勝手に連れて来てしまった。育ちの所為なのか長年やっていても侍従らしくならないのだが、俺としてはちょうど良い。

「ウェイアレイ様がいらっしゃっておりますよ」

 ハヴァーズは一切の悪気もなく、にこにこと俺に伝えて来る。ああもう、別に良いんだけど。ただ寝っころがってぼけっとしていただけだから、開けられて困るとかそういうのまったくないけど。

「何しに来たわけ?」

「何って、そりゃあビル様に会いに来ただけでしょう?」

 訊くほうがおかしいとでも云うように、ハヴァーズは不思議そうに問い返して来る。仮にもウェイアレイを気に入っているくせに、どうしてこういうところはあっけらかんとしているのだろう。


 まぁ別に良いんだけど。俺は半分寝ぼけながらも、寝台から起き上がって話を聞いてやる。

「今日の予定なんかあんの?」

「いくつかの貴族から会談のお誘いが来ておりますよ」

「いや、それは全部断ろう」

「流石に縁談目的のセイシャンオール家とヴァカリー家は断れませんでした」

「げ、ヴァカリーって同じ学科に居た気がする」

「学科どころか、どちらも血縁ですよ」

 心底呆れたようにハヴァーズは云うが、俺は知らない。学年より学科で統一された学生時代は、中等部、高等部の柵を越えて知り合う機会が多かった。だからそれなりに知っている人は知っているが、何せ学院に興味などなかった俺は、知人と云う知人もそれなりに少ない。

「あー……そうだっけ?」

「いい加減ご自分の親戚関係ぐらい覚えてくださいよ」

 そんなもん、居過ぎて覚えてられない。従兄姉弟妹だけでもややこしいと思うのに、その従兄妹同士が結婚したり、遠い親戚同士が結婚したりすると、さらにややこしくなって覚えられない。親父には14人だか15人だか兄姉が居るのだ。不幸中の幸いというのも変だが、親父の下には妹が一人居るだけだから、他が全員年上だっていうことだけはわかる。

「ちなみにセイシャンオール家のお嬢様は、ビル様と一時期親睦がありましたが」

「親睦?」

「すっごく仲良く話していたわよ!」

「……何所から入って来たんだ、おまえは」

 どさくさに紛れて堂々と寝室に姿を現した腐れ縁の顔に、俺はうんざりした顔をする。そんな顔をしたところで、大人しく云うことを訊いてくれる奴ではないのはわかっているが、どうしてもこいつを見ると溜め息が出てしまうのは俺だけではないだろう。


 ウェイアレイ・ルシール・クレイシア、名だけ聞けば良家のお嬢だと云うことはわかるらしいが、残念なことに態度は無駄にでかくておしとやかなイメージとはかけ離れている。王族長男のくせにこんなである俺が云えた義理ではないが、とにかく口煩いことに辟易している。腐れ縁、切っても切れぬ仲と諦めてはいるものの、こうして頻繁に来られると心が折れそうになる。

 見た目だけはきっちりと貴族のお嬢様らしく、それなりに金がかかっている。おとなしめの準正装は、派手に着飾れば金がかかっていると云うわけではないとわかっている証拠だ。癖っけの髪をしっかりと巻いて来たのか、肩口までの茶髪は綺麗にまとまっている。良家らしく白い肌、働くことを知らない綺麗な手、大きな金目はしっかり俺を捉えている。

「ちゃんとイリシャン卿にもご挨拶して、今度は侍従へ正式にお目通りをお願いしたのだけど、お話通るのがかなり時間かかってたみたいだからねー、その間にお邪魔させてもらったわ」

「ほらぁ、ビル様。ビル様の所為で僕が怒られてるじゃあないですか」

「いや、だから俺まだ許可してないし」

「あんたの許可なんて待っていたら日が暮れちゃうわよ」

「……せめて向こうで待ってろ」

 だったら許可を求めるな。堂々と椅子に座りそうなウェイを、俺は追い返す。仮にも寝室に勝手に来て良いものではない。そしてそれを止めない侍従もどうかと思うんだけど、ウェイにさりげなく怒られたことに落ち込んでいる。なんともまぁ緊張感のない。俺はウェイとハヴァーズをまとめて隣に追い出すと、小さく溜め息を吐いてそっと窓から外を見る。




 あの西国を出てから約2月。時間だけはあるのでつい余計なことを考えてしまう。ルリエールは無事地図を刷れたのかとか、ダグの料理食いてぇとか、ちびっこたちは慣れたかとか、将軍やジョーは戻って来たかとか。自然と持ち歩いてしまっている小瓶をそっと取り出す。無駄な薬の入った小瓶は、ちゃらちゃらと弱い音を響かせて光る。

 あいつは普通に暮らせているか、とか。


 他にも考えることは多々あるが、結構どうでも良いことだったりする。向こうに居る間、こっちのことなどまるで考えもしなかったと云うのに、今は事あるごとにいろいろ思い出す。しかし待たせている隣の部屋では、「ビル、まーだー?」とか緊張感のない声が響いている。仕方なく出て行くと、なぜかウェイと一緒になってお茶会を開いているハヴァーズの姿がある。もうなんか、いろいろと頭痛い。ウェイだから別に良いけど。いつも茶の用意なんて時間かかりまくるくせに、ウェイが居る時だけ早いのは本能なのか。俺が注意する気も起きず大人しく空いている席に座ると、さすがのハヴァーズも立ち上がって俺の分の飲み物を用意しに行く。

「それでなんか用事?」

「別にあんたに特別用事なんてないわよ。ロードリアを見に来たの、だってかわいいんだもの」

「じゃあさっさと嫁いで子どもでも育てろ」

「嫁ぎ先があちこち何所か行っちゃうから無理なんじゃない」

「それはさぞ大変ですね」

「ええ、厭味が通じないからまったく大変です」

 にっこりと笑顔で返されて、俺は何度目かわからない溜め息を吐く。

「あんたがはいって云えば、とんとんってすぐ済む話なのに」

「結婚したら離縁するのが面倒だろ」

 何番目か忘れたが、何所かの伯父に例を見ているので余計にそう思う。あの人たちは一生ああなのだろうなと思うと、面倒くさいを通り越す。しかしそんな俺に、ウェイは呆れたように返して来る。

「あのね、普通結婚前に別れることを考える?」

「いや考えるだろ。俺たち何回別れてると思ってんだよ」

「7回」

 ……あれ、そんな多かったっけ? 初めてウェイアレイと付き合いだしたのが11の時だったと云うのは覚えている。卒業の時ウェイに付き合ってくれと云われて、俺は流されるようにただ頷いただけなのだが、何事もなく1年続いた。そして12歳になり縁談の話が出て来るとウェイは俺を相手に乗り気だったが、肝心の俺はまるでその気がないことにウェイが怒り別れた。それが最初で、それから付き合ったり別れたりと、訳のわからない付き合いは続いた。まさか7回も別れていたとは、もう数えることすらしていなかった。


 俺の呆けた顔からすべてを読み取ったのだろう。腐れ縁というだけあって、流石に俺の扱いは一流だ。

「あんたのことだから覚えてないとは思ってた。だからそれは許す。許すから8度目の正直で結婚しようよ」

「楽そうだけど、却下」

「えー、良い案だと思ったのに!」

「きっと結婚したところで、おまえ、また俺に堪えられないと思うよ」

 正直帰ってから縁談縁談で断るのも出席するのも面倒で、少し傾いている自分が居るのは認める。ウェイアレイと居るのはとても楽で、できることなら結婚せず平穏に過ごしたい俺には良い環境だと思うが、それはもうできない。ウェイアレイのことは嫌いじゃない。俺が一生一緒に居られる貴重な人材だ。だがそれは俺から進んでしたい生活ではない。結婚しようと云われたらするだろうぐらいのもので、自分から進んで結婚したいとは思わない。だからきっと、ウェイアレイは幸せになれない。

 周囲の認識は違うだろう。もう冷めてしまった俺に、ウェイアレイが付きまとっていると思われている。だが実はそれほど単純でもない。ウェイアレイはきっと、俺とずっと一緒に居たら壊れてしまう。俺はウェイアレイが求めるほどに、ウェイアレイを好きになることができない。俺には俺なりにウェイに愛着があるので、できることなら幸せになって欲しい。まぁ結局のところ、俺のわがままにしか過ぎないのだが、伝えるのはなかなか難しい。



 それなりに真面目に云えば、ウェイアレイもわかってはいるらしく、小さく頷く。

「ビルはいつだって、付き合ってくれてるんだもんね。でも一生独身で居るなんて無理に決まってるじゃない」

「無理でもないだろ。レイシャン伯父なんて一人で生きてるし」

「エリングトゥラス卿は結婚しているわ、あの堅牢な城塞がお嫁さんよ。あの方は特殊」

「でもほら、なんか知らないけどもう一人継ぐべき相手が出て来てくれたし」

「生まれて来たばかりの赤ん坊にまでなすり付けるの、あんたは」

 おふくろが35歳(まだそんな年だったのか)になって生んだ我が家最後の子ども(だと思いたい)は女だった。既にルーシアがこの家を継ぐことはなんとなく決まっているのだが、あいつも現状を考えると結婚するまで時間がかかりそうだから、有力な候補がもう一人出て来てくれたことに感謝している。

 そう、感謝だ。

 不思議なことに、母親が妊娠したのだと聞かされた時よりは、穏やかな心境で居られた。女の子だと云われて見せられても、嫌な気持ちにはならなかった。そのちっぽけな存在は、あまりにも俺が失ったものとは違う。そんなこと、わかっていたはずなのにでも。



「リエラのところ、行くの?」

「リエラ?」

 俺にしては忘れ難い名前を出されて、いきなりなんの話かと思う。しかしウェイは違う方に取ったのか、空かさず身体を乗り出すようにして名前を吐き出す。

「リエラ・バージス・セイシャンオール、忘れたとは云わせないわよ。あんたのお爺様の弟さんの息子さんのお嬢様で、すごくすごーくしつこかった女よ」

 リエラって親父の方の血縁なのかと初めて知る。ってことは、あいつも前は王族だったのか。ウェイアレイはさも当然のように知っているが、知っているべき俺は知らなかった。

「だからなんでリエラが出て来る……」

「あんたの縁談相手でしょう?」

「は?」

「セイシャンオールから来ているって、聞いてなかったわけ?」

 聞いてはいた。さっきもそんな話をしていたところだったが、まさかリエラだとは思っていなかった。俺のところに来る縁談相手のほとんどは、高等部の年下ばかりだ。 ほとんど見てもいないが、それぐらい想像が付く。だからセイシャンオールと云っても、まさか同年のリエラだとは考えもしなかった。


 ──え? だってビル様……。まだお帰りになられたばかりですものね。なんでもありません。


 学院で会った時の、ラファーナの言葉を思い出す。リエラが嫁に行ってないのかと訊いたら、思わせぶりなことを云っていた。もしかしてそういう意味だったのかと、縁談相手すら何も見ていない俺は今さら気付く。

「え、それ、まさか本人が希望してるわけ?」

「知らないけどそうなんじゃないの。良家で引く手数多なのに、20歳前の行き遅れだもの」

 それはおまえも俺も同じだろ、と云う突っ込みは飲み込む。きっとそれから俺とこいつの結婚話へと話が進んでしまいそうだ。

「……そういうことか」

「何が?」

「……別に」

 リエラはお嬢様らしいお嬢様だが、割と芯の立っている奴だった。だから俺なんかに頑固に執着しているのだろうが、早く嫁に行った方が正しいと思う。

 ──ビル様はお優しいから、許してくださらないでしょう? それが私の、わがままです。

 本当に嫁に行かなかったんだ、莫迦だなぁと思う。俺がそれで罪悪感を覚えれば満足するのだろうか。嫌な女でしょうと笑うあいつを、俺はやっぱり好きになってやれなかった。たぶんそれは、リエラが一番わかっていたのかもしれない。貴族だから覚悟はしているが、やっぱり少しは足掻きたいと云っていたリエラは、未だ足掻いている。

「なんか怪しいわね、あんた。まさかリエラに気でも……」

「ありません」

 俺は結局、他人に興味などなかったのだと思い知らされた。俺の生きる世界は俺の中にだけあって、他人と口を聞いて意思を疎通させることなど、到底できなかった。


 唯一好意を持てたのはウェイアレイだけだが、俺はそれさえも持続できず、満足させられない。

「俺が今も付き合って持つのはおまえぐらいだろ」

「え──」

 ああでも、一人居たか。付き合うとかそう云うのではなく、俺の性格に堪えてと云うより、なぜだか煩いぐらいに付いて来た奴。

 今頃、何しているものか。

 やはりむくれているのか。

 手に持つ小瓶がからりと鳴って、ついまた考えてしまう。

「あ、あのさ、ビル、それって本当にそう思う?」

「何が?」

 意識が西へと飛んでいた俺は、ウェイアレイの言葉に現実へと引き戻されたものの、さっきまで自分が何を話していたかも覚えていない。

「だから、私と付き合っても、ビルは堪えられるんでしょう?」

 堪えられると云うのも変な話だが、正直婚約の話が出て来た時も、ウェイアレイと結婚するんだろうなとぼんやり考えていた。無論、それを口に出したことはない。と云うのもたいていウェイアレイが別れようと云い、そしてなぜか、ウェイアレイがやっぱりもう一度付き合おうと泣きついて来る形が多い。たいてい別れた原因が俺の所為らしいので、それを改めない限りまた繰り返されるのがオチだろう。

「おまえが堪えられればな」

 一生一所に住むのがよく知らないやつより、ウェイのほうが良いというだけのこと。そこらの貴族と俺の考えは同じだ。でもウェイは違う。だからたぶん、俺はこいつを一生傷つける。このままではまずいと初めて俺から別れようと云ったのが本当に最後の最後だ。

「そういうこと云うから駄目なんだと思うよ、私」

「俺もそう思う。──もう云わないから、大人しく帰れ」

 俺はそこでようやく居心地の良かった椅子から立ち上がる。そういえば結局俺の飲み物は来なかった。



「何所行くの?」

「準備。二家も来るんなら、たぶん本邸だろうから」

 俺の屋敷は寒すぎるので人を呼ぶのには向いていないし、縁談とやらは親も関係してくるから 隣にある本邸に出向かなくてはいけない。出席したくはないが、今のうち本邸で待機していたほうが楽だ。と、珍しく進んで面倒事を片付けようとする俺に、ウェイアレイも付いて来る。

「あたしも行って良い?」

「縁談に入り込むなんて、何考えてるんだ、おまえ」

「違うわよ。本邸に入って良いか訊いているの、ロードリアに会いに」

「好きにすれば。ああ、でもたぶんルーシアが世話していると思うけど」

「敵前逃亡はしないわよ、あたし」

 なんでかは知らないが、ルーシアとウェイは餓鬼の頃からずっと仲が悪い。険悪と云うわけではないのだが、会うと罵り合いを始めるぐらいの仲だ。別に気にしたことはないが、たぶん性格が似ているのだろう。





 着替えるからとウェイアレイを追い出すと、お茶の用意をしていたはずのハヴァーズが大量の衣類を持って戻って来た。どうやら用意途中で俺の準備があると気付いたらしく、適当な正装を用意している。もう俺の飲み物の存在は忘れてるだろう。

「適当に着替えるから良いよ」

「ビル様、タイの締め方も知らないでしょう。どうせ目も当てられない状態で着るに決まってます!」

 飲み物の準備に何石なんこくかけているかわからないやつに云われたくない。

「えー、タイまで締めないといけないわけ?」

 そもそもこの屋敷には鏡もないから、俺が着たところで俺には確認の術はない。まぁ鏡を見たところで、俺が正しく着られたかどうかはきっとわからないだろう。俺が頼むから地味にしてくれと云って、どうにか色合いをシックにしたベッチンのコート。幸いなことにフリルはついていないシャツやパンツだけが救いだったが、目の痛くなるような刺繍の入ったベストは見るからに重たそうだ。

「当たり前です、苦しくても少しぐらい我慢してさっさと抜いでください」

「はいはい」

「──ってなんで本当にこんな傷だらけなんですか!」

 散々主治医にいたぶられた結果、俺の擦過傷は無駄に梱包されてしまった。おかげであちこち貼りものが多く、出血はないもののあんまり気分の良いものではない。

「あー……転んだ、とか」

「つまらない冗談は成人で終わらせてください」

 ぴしゃりと反論して何か肌着はー……と探し出す。面倒くさい。おそらくズークラクトから怪我があることは聞いていたのだろうが、想定外だったのだろう。こういうときだけ珍しく手際が良いハヴァーズは、あっと云う間に俺を着替えさせる。


 着替えて廊下に出ると、本気で本邸まで付いて来る気らしいウェイアレイが声を上げた。

「び、ビルが、正装してる……!」

「なんだよ、そのリアクションは」

「やっぱりちゃんと着こなすと見栄えは良いのよねぇ」

 それって西でも云われた気がする。俺の扱いって結局、何所に行っても変わらないのだろうか。西に行く前に北に渡るのだが、以前世話になったところに正装を見せたら同じことを云われるかもしれない。

「けなすのか褒めるのかどっちかにしろ」

「うん、ビルってやっぱり恰好良いわ」

 だからって素直に褒められても、反応に困るんだけど。

「だからしゃべらないで、もったいない」

 やっぱりけなされているのだろうか。




 馬車を出しますよと云うハヴァーズに断って俺は歩く。歩いてたった5こくも経たない。何せ隣だ。弱い俺らがいつ倒れてもすぐ駆けつけられるよう、生まれた時、本邸の隣に建設されたのが俺の屋敷。おかげで健康体のルーシアなどは、少し遠くに元から領地に建っていた屋敷を使っている。いろいろ嫌味は云われたものの、ルーシアなりの冗談だと思ってやり過ごしている。

 俺たちが辿り着くとそのルーシアが、生まれたばかりの妹ロードリアを抱えながら本邸から出て来た。

「あーら、今日もまたいらっしゃったのね。毎日毎日お時間が余っているようで、羨ましい限りですわ。学院卒業後、そうやって無為な時間を過ごすのも一つの手ですわね」

「そうねぇ、結構な自由の身を楽しんでいるわ。そういうルーシアは大変そうね、まだ自分も小さい子どもなのに赤ん坊のお世話まで、感心してしまうわ」

「だって私、今年で14歳ですもの。ウェイアレイ様のように大等部まで進みますからどうなるかわかりませんけれど、次期当主として、赤ん坊のお世話ぐらいできないといけないと思って」

 ルーシア、今なだめすかしたのに火に油を注ぐな。始まってしまったわけのわからない嫌味の報酬に、俺は小さく溜め息を吐く。だがどちらも俺に対して容赦なく叱って来るのは同じだ。


「ああ、そうだわ、お兄様。先日のお誕生日のお祝いの荷物なんですけど」

 俺が帰って来たのは、ちょうど1月の下旬だった。領地に入って何かしているうちに、そのお誕生日とやらはいつの間にか迎えられていた。俺が生まれたのは2月3日、気が付けばもう19になっていたが、誕生日なんて存在を忘れていた俺には、いきなり祝われたことが非常に迷惑だったことを覚えている。仮にも王が不在で従兄が行方不明の不安定なこの状態に、長男の誕生日を祝い、出産の祝いをなんの躊躇いもなくしているのは、王族では我が家だけではないだろうか。

「ロードリアの生誕祝いも入ってしまっているようなんですよね。誰からかわからない品物が多くて。ハヴァーズ、ちゃんと分け終わっていました?」

「さぁ、何も聞いてねぇけど」

 というより、誕生祝いの荷物ってなんだ。また要らないプレゼントが山ほど届いたのだろうか。俺にとって誕生日なんてものは嬉しくもなんともないんだが、祝わないと親父が切れるからおとなしく従っている。誕生日なんて嫌な響きだと俺は思う。


 またハヴァーズはとぶつぶつ云うルーシアに口を開きかけたその時、

「ビル!」

 空からレイヴンが降って来た。


 俺が出て来る時にあいつを、ネイシャを見る代理として西へと置いて来た。こんな姿をしていても、一応は人間だから俺よりも役立つだろうと思って置いて来たのだ。

「レイヴン、おまえなんで戻って来てんだよ」

「それどころ、じゃ、ねぇんだよ……」

 急いで飛んで来たらしいレイヴンは、息を整えると必死な形相をして叫ぶ。うん、たぶん必死。

「だから、それだよ! ネイシャが居なくなっちまった!」

「は……?」

 居なくなった?

「話聞いて回ったけど何所にも居ないし、宿にも来てないし、ちょっと出かけた隙にさ。ほとんどない荷物も持って行ったみたいで……」

「自分から、出て行ったのか」

「そうっぽいんだけど。今みんなで捜してくれてる」

 自分で、という言葉に引っかかる。


 ──考えるまで、リュースと一緒に居たい。

 自分で出て行ったあいつは、決めたのだろうか。どうすれば良いかわからないままだったあいつの生き方を、あいつだけで決めたのだろうか。


「──出て行ったんだろう」

「おまえが無言で帰ったからだろ、だから俺は散々話して行けって行ったのに……」

「え?」

「あのなぁ、一応は許したんだからちゃんと云うのが筋だと思うぞ」

 帰る時に乗ったのは北に向かうというジョーの船だ。天帝にだけ挨拶をし淋しくならないうちに港を出るというので、便乗して北大陸まで乗せてもらった。北大陸に渡ってからは親父に書簡を出して迎えを出してもらったが、それなりに手間のかかる作業をして帰ったのは、レイヴンという帰る手段を置いて行ったのは、少し首都に戻る将軍の代わりにあいつを守るためでもあったが、また戻って来る意味合いも込めていた。


 面と向かって云わなかったのはなんでだと云われたら、答えるに答え難い。理由は特にないからだ。


 着替えたのに案の定ポケットに潜めていた小瓶を、思わず取り出す。からりと虚しい音が鳴る。

「……レイヴン、俺乗っけて一気に飛べるか」

「おう、充電中だからちょっと待ってろ」

「悪い」

 幾ら召喚獣とは云え、西から一気にここまでなんて、相当な力を使っただろう。その上また西へ行けなど結構無理なことだ。へたり込んでいるレイヴンに無理を云っているのはわかっていたが、今すぐにでも走り出したい気分だった。


 あの男は、ヤオン=ヤードはネイシャを諦めていない、ずっとあいつの様子を見ていたはずだ。俺と暮らしていることも、カーヴレイクで働き出したことも、孤児院に顔を出していたことも、ほとんどが把握されているだろう。あの嫌な能力があれば、それぐらいは容易いはずだ。

 ジョーたちは旅路から帰って来ただろうか、将軍たちは首都から帰って来ただろうか。あの場所を守れる力がないとわかったら、あいつはすぐに踏み込んで来るはずだ。あいつがレイヴンを何所まで把握していたかはわからないが、俺が隠していた生まれをすぐに見つけて来たやつだ。ネイシャが一人で出て行った隙に攫うことなど簡単にできる。


「あの、莫迦……」

 リヴァーシン神国は事実上壊滅、天帝がやって来て改めて国民と和平を交わし、天帝はリヴァーシン元国王らに追及をするため、将軍を連れて一時首都へと帰る、というのが俺が出て行く前に聞いた情報だ。もうないリヴァーシンという国だが、あの変な神官にはまだ存在するらしい。あいつをあそこに帰さないために、俺たちは居たはずだ。




「ビル、どうしたの。あら、レイヴン、いつの間に?」

 争うのを止めたウェイアレイとルーシアの声が遠くで聞こえた。ただ、思う。手に握られているのは、小さな小瓶。俺の姿が映らないぐらいの装飾が入っている、小さな紫の小瓶。あの少女はまだ、人と云うものをよくわかっていないと云うのに。あの戦争ばかりの国でただ一人、足を踏み出してしまった。何所にも行く場所などないのに、彼女は他に居場所などないのに。

 行く場所が、ない、か。


「……レイヴン、あいつ、どうして出て行ったか、わかるか」

「だから、おまえが勝手に帰ったからだろー。ちゃんと知らせとけよ。ま、おまえが出て行ってからずっとなんか考えてはいたけどな。きっとまた面倒くさいこと考えてたんだろー、ネイシャはあれこれ考え過ぎるきらいがある。おまえはそれに対して配慮の方向がずれ過ぎ。俺が居ないと駄目だな、おまえら」

「だけどおまえ置いて行ったし、すぐ帰る予定だった」

「あのな、俺だけ置いて急におまえが居なくなったら誰だって驚くだろ」

 まぁ、そうだろうけど。

 正直なところ、何を云えば良いのかわからなかった。


 レイヴンを置いて行くということは、2月には帰ると約束した手前、早いところ出て行かなければならなかった。時間をかけて帰るため、俺は12月末にあの家を出た。仮に住もうと云った家を、ネイシャが寝ている間に勝手に出て来た。何も云わず隠れてシーバルトの船に乗ったから、ジョーたち以外、俺がシーバルトと出たことを知らない。帰ることはルリエールなどにも話していたものの、明確な日どりは誰にも云わなかった。


 また帰って来るからなんて不確定な言葉で、あいつを縛り付けたくなかった。必ず帰って来るようにと言明されている、俺のように──。あいつには自由で居て欲しかった。ただそれだけだったのに、それをうまく言葉にすることができない。言葉でしか伝えられないなんて、本当に不自由なものだ。

「おまえは結局、ここが帰る場所だ。それがわかったんだろ」

「誰もそんなこと云ってない」

「でも結局、ここはおまえの居場所だ。ネイシャの居場所は、おまえがなくした」

 あんな場所が、ネイシャの居場所だった。それに手を出したのは、自分だ。それに対して、俺は何も云えない。ごめんなどと謝ることすらできない。俺はあそこが壊れた方が良いと、あの時確実に思ったのだ。

「だから連れ出したおまえが責任もって最後まで面倒見ろよ」

「……説教から始めるか」

 軽口を叩いたものの、あんまり気持ちは浮上しない。

「お兄様? 本当にどうなさったんです? 顔色が悪いですけれど、まさかまた……」

「悪い、ルーシア。今日の面談も何も、全部取り消しだ」

「え?」

「落ち着いたら連絡するけど、しばらく連絡できない」

「ビル、ちょ、どうしたの?!」

「ちょっと子守りがある」

 云ったものの、それは自分のために物事を軽く見ようとしただけであって、だから目の前に居る二人には伝わっていない。ぽかんとして俺たちを見る二人に、説明している時間すら惜しかった。


「ビル、もう行けるぜ!」

「とにかくカーヴレイクに最速で戻る、無理すんなよレイヴン」

「わかった、距離は掴んだからきっと行けるぜ」

 呆然としたままの二人を残して、俺とレイヴンは大空を飛翔する。目指すは西、自分の「帰るところ」が変化しつつあることに気付いた。


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