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旅人物語─帝の治める大陸  作者: 痲時
第2章 たった一つの冴えないやり方
12/20

第12話:助けを求めるということ


 23、24、25、26……。

 孤児院から外れて西へ行くごとに、さらに目印らしいものも何もなくなって、一面が死んだ砂の大地に変わる。ここで迷ったら絶対に助からないだろうと思うと、流石の俺も慎重に太陽の位置と歩数を確認した。そのおかげか、干からびてひび割れた大地を抜け、無駄に砂の多い斜面を登って見えたのは、例の教会と礼拝堂だった。遠目にはわからないが確かに寂れた景色である。倒壊の恐れのため、一時は逗留していた天帝の配下もここには居ない。寂れた廃墟だ。




 これ以上近づくのは危険だということぐらい俺にもわかる。足元の砂山から教会側の土は柔らかく、下手に動き回ったら倒壊寸前の教会まで振動を与えてしまう。俺の目の前で倒壊されたら流石に困る。ちょうどこの小高い砂山を拠点に、また計測をしていく。ここに来るまで5600と26歩。北は……礼拝堂と真逆。この時点でわかることをとりあえず書いていく。俺にできることはこれぐらいだ。これがなんの役に立つのかわからないが……。


 数えながら西に進んで行けば、辿ってきた砂山が唐突に崩れて終わっている。覗き込めばおそらく本来なら街道へと繋がる道だったのだろう跡が残っているが、枯れた植物が地面を覆い、とても人が歩けるような場所ではない。この砂山はだいぶ多くの砂を積み上げたらしく、ここから元街道へ降りるのは怪我必須の高さになっている。事実上の行き止まりだ。

 その砂山の終点で、視線だけで礼拝堂から教会へと辿って行く。なんとか慰霊塔らしきものが見えるものの、周囲を見回しても道らしきものは見えない。元街道があるのが若干気になるものの、もともとどん詰まりに作られた慰霊塔なのだと思うしかない。教会の様子を窺うと同時に天帝の部下が慰霊塔も確認しているはずだが、その時にこれと云った異常はなかったらしい。



 その砂だらけの景色を見ながら、そういえば、と思い出す。城にはちゃんと地下道を作って、もしもの避難所を作っていた。俺は砂山を降りたところの地面を見る。なんの変哲もない乾いた地面だが、教会の方へと進めば少しこの砂山と同じ成分だろう柔らかい地面が続いている。


 正式の地図を見る。リヴァーシンの城からここまでの道のりはそう遠くない。城はもう少し南下したところだ。それを地図上に見れば──。




「おやおや、こんなところでお勉強とは、お偉方もお閑なようですね?」

 人気などまるでなかったのに、唐突に背後から飛んで来た声は忘れもしない。

「……ヤオン=ヤード」

「ようこそいらっしゃいました。来てくださるとは光栄ですよ」

 そう、にこにこと俺の後ろに佇むのは、あの神官ヤオン=ヤードだった。

「ネ……女神は無事か」

 ──罠だった。その可能性もゼロではない、そうはわかってはいても、どうしても確認したくなってしまった自分の迂闊さに呆れる。


 地図に残る箇所はあと2つ。そのどちらも空振りだったら、そう思うと居てもたってもいられなかった。のんびりとした時間が流れていても、その間にあいつの考えがどんどん前みたいに戻ってしまったら、また出会った頃みたいに、笑い方がわからなくなっていたら。そう思うと怖くなった。怖い、なんて感情がまだ俺に残っていることに驚きながら。


 そうか、俺は怖いんだ。ネイシャが「ネイシャ」でなくなることが、とてつもなく怖い。


 にこにこと微笑んでいた神官の顔が、つまらなさそうに歪む。


「当たり前でしょう。危険なところを無事に私が保護させて戴きました」

「危険なところ?」

「貴方、女神を引き受けておきながら一人で放置したそうですね?」

 神官は容赦なく冷ややかに俺の弱みをいとも簡単に刺す。だがこれぐらいの中傷など気にしている場合ではない。ネイシャは一人で旅立ち、危険な目に遭っていたところを助けられたのだろうか。正直なところ、それはそれで神官には感謝したい。ネイシャを危険な目に遭わせる可能性を高くしたのは、間違いなく俺だ。



「女神はご自分の意思で貴方のもとを離れたのですよ」

 ネイシャが自分の意思で離れた。そんなことはレイヴンに伝えられた時から、わかっていたことだった。もしかしたら、自分で最善と思って出て行ったのかもしれない。あいつに選択肢を与えたのは俺だから。──でも。


 ──考えて答えが出るまで、リュースと一緒に居たい。

 そう云っていたネイシャは、幻ではない。



「貴方はここへ、教会を見に来て発作を起こす。それだけの筋書きで充分ですね」

 神官が手を動かした時に、すでに勝負は決まっていた。流石の俺も西大陸で丸腰というわけにもいかず、いつでも剣を持ってはいたものの、実際使うとなると話は別だ。もともとそんな剣術はうまくない。速度には勝てない。

 あっという間に砂山から転がり落ちて、俺は硬い地面の上に倒れる。さっき登ったから覚えているはずだ、何里あったんだっけ……。そんなことを考えている時点で莫迦なのかもしれない。小さな咳が漏れたのを最後に、俺の意識は緩やかに途切れた。


・・・・・


「ねぇ、ビル。そのアンクレット直そうか?」

 俺の足にぴったりと収まっているアンクレットは、もう何年つけているのだかわからない。誕生日にレーイがくれた、俺が唯一自分でつけている装飾品。もう当たり前に染み付いてしまっているからか、直すということにぴんと来なかった。

「だってビル、背が大きくなっちゃったからそれきっと痛いはずよ。血流も悪くなるかもしれないから、少し緩めた方が良いんじゃない?」

「おまえのは?」

「私は大丈夫よ、ほら。だってビル、自分の足に合わせて作ったでしょう?」

 くつくつと笑いながらレーイは上機嫌に自分の足を出す。正しく病人らしく真っ白いその肌に、少し不似合いなミスリルのアンクレットは、ちゃらんと小さな音を鳴らして主張する。デザインは至ってシンプルに、紋章をあしらっただけ。


「おまえが直すの?」

「あら失礼ね、私が作ったんだから私が直せます」

 怒った顔をしつつもちっとも怒った様子のないレーイは、そう云って立ち上がると俺の足元からアンクレットを外そうとする。

「おまえはベッドから出るな、おとなしくしてろ」

「少しぐらい大丈夫よ、そういうビルもそろそろ休んだほうが良いわ」

「俺は平気」

「無駄なことはやめてよね」

 さっきから少し苦しくなっていたことを、レーイはやっぱりわかっていた。ということはおまえだって苦しいんじゃないかと思うものの、レーイはやけに上機嫌で俺のアンクレットを持ち出すと、机の中をあさって作業し始める。寝たきりのレーイが体調の良い時は退屈しないように、この部屋にはレーイがなんでもできるよう揃えられている。もちろんそれは、レーイが望んだことではない。病弱な俺の屋敷も、それは同じだった。

「すぐ終わらせるから。その間ベッド貸してあげる、寝てて良いよ」

「嫌だ。それ俺が怒られんだろ、面倒くさい」

「大丈夫よ。どうせ何したって、レイヴンが見てるもの」

 いつだって見守られていることに飽き飽きしている俺と、既に諦めてしまっているレーイ。


「最近のビルは嘘吐きなところが嫌」

「嘘なんて吐いてねぇだろ」

「じゃあ苦しいって素直に云えば良いのに」

「おまえほど苦しくない」

「私今はとても気分が良いのよ」

 こちらをまったく振り返りもせず、レーイは机の上でアンクレットをいじっている。 俺はもう負けた気がして、おとなしくベッドに横になる。レーイは最近、このベッドから出ていない。俺は三日寝込んでしばらくは元気だけど、また三日寝込む。そんな面倒くさい体調を繰り返していて、たぶんまた今日から寝込むんだろうなと予想していた。今のうちにここでレーイとゆっくり過ごすには、ここで寝ているしかない。さっきは反論したものの、怒られたら怒られたで良いかと思い始めた。レーイとずっと会えなくなるよりは、ずっと良い。

 レーイの体調が良いことのほうが少ないから、俺が寝込んでいる時に元気だったりして、たまに会えない日が続くこともある。会えなくても問題ない。でもやっぱり一緒に居ると落ち着く。だからやっぱり同じ部屋に居たいのに、それを許してはもらえない。またレーイに移したでしょう、またビルに移したでしょうとお互いが怒られるのは目に見えていた。




「──学院。やめて、良いのか」

「だって、自分で選んだんだもの。後悔なんて、してないわ」

 ただ、と手が止まる。

「ビルが何所か行っちゃいそうで、それは怖い」

「意味わかんねぇ」

「だって最近嘘吐くんだもん」

「嘘じゃねぇよ」

「ビル」

「俺だって調子悪いの、おまえと一緒じゃなくなって来て怖いよ」

「……うん、そうだよね。ごめん」

 謝ることではないのに、レーイは酷く申し訳なさそうに云う。

「初めてだね、違って来たの」

「……そうだな」

 もしかしたらこの時から、だんだんとわかっていたのかもしれない。レーイも俺も、ずっと一緒に居ることが難しくなっていることに。ただそれをお互い言葉にするのが怖くて黙っていた。心に浮かんでも蓋を閉じた。


 俺たちが離れ離れになることなんてないのだ。



「できた、っと」

 今までのやり取りなどなかったかのように、満面の笑みで俺の横にやって来る。

「ほら、良いじゃない」

 今度は足にゆとりができた。ついでに表にあしらった紋章とは逆の裏側、肌につく方にそれは書いてあった。

 ──ビルとレーイはずっと一緒。

 まるで小等部の作文かとでも云うような短い一言。

「餓鬼かよ」

「子どもだもん。良いのにね、ずっと子どもで……ずっと一緒で」

「……そうだな」

 それは多分俺もレーイも、出て来る違いに感じていた不安を、どうにか収めたい一心だったのかもしれない。


・・・・・


 ──嘘吐き。

 レーイにそう云われるようになったのは、学院に行くようになってからだ。俺とレーイの体調に差が出て来ると、どうしたってそうしたくなる。俺も好きで嘘を吐いていたわけではなく、レーイよりはというつもりで答えていた。


 だが今、その言葉がやけに突き刺さる。

 ──嘘吐き。

 レーイの顔がちらちらと消えて、そこに出て来るのは黒目黒髪の子ども。

 ──考えるまで、リュースと一緒に居たいって云ったのに。自分から出て行ったネイシャ。自分からそこへ帰った(、、、)と云うネイシャ。

「そんなわけ、ない」

 ──助けて。

 あの悲痛な叫びを、俺は誰よりも知っている。縛りたくないなんて、ただの云い訳だ。俺がただ怖かったから、臆病だったから。また誰かに拒絶されるのが怖くて、だから中途半端な約束すらできず、俺はあいつに直接何も云わずに帰った。


 ──すまない、ビル。すまない……。

 ──あんたの顔なんて二度と見たくないわ!


 ああそう、俺、辛かったのか。ルリの言葉をぼんやりと思い出す。

 俺が間違えて生き残ってしまったから、そんなことはしょうがないと思っていた。本人がそう思っているのだから、周りはなおさらだろう。だから黙っていたけど、心の底では突然変わってしまった環境を恐れた。親父が莫迦みたいに家族至上主義になったのも、みんなが俺を避け始めたのも、いつも握ってやる手がないことも──。

 ──レーイ……。

 つい癖で声に出さずに呼んでも、何も返って来ないことも。すべてが俺を不安にして、でも俺自身はそんなことに気が付かなかった。



 ネイシャは俺の手を取ってくれた。こんなわけのわからない、俺の手を。ネイシャには俺みたいに縛られて欲しくない。それは本心だ。でも何所かで怖かった。ネイシャがあっさりと何所かに行ってしまうことを、恐れていたのは俺だ。




「くっそ……」

 口の中に砂の味がして、ようやく何所に居るか思い出した。地図を確認しに来て、本当にヤオン=ヤードが居たということ。彼に突き落とされたということ。突き落とされただけで済んだのは奇跡かもしれない。役に立たない身体を、これほど呪ったことはない。視界がまだぼやけている。寿命なんてどうでも良い、今までの投げやりではなく本気でそう思う。この先の寿命なんてどうでも良いから、この身体が動いて欲しい。ばくばくとやけに早い心音を久々に感じながら、立てない自分に苛立つ。

「ネイシャ……」

 呼吸がうまくできない。こういう時こそ冷静にしないといけないのに、空回りして空気がうまく吸えない。ああ薬……と思ったところで、砂に埋もれるようにして転がっている小瓶がぼんやりと見えた。転がって落としたのかとぼやける目でどうにかそれを掴んだ時、ようやくそれが紅色だということに気付いた。


 ──だってリュースとおそろい。

 空にかざして毎日飽きずに見ていたネイシャの小瓶。




 間違いない、ネイシャは居る。すぐそこに。なのにこの身体はどうして動かないのか。

「──大丈夫かい」

 いきなり振って来た声に、動く力などないはずなのに反射的に顔が上がった。振って来た声にも、俺を見下ろす何所か幼さの残る顔立ちにも覚えはない。荒くなっていた呼吸が、だんだんと落ち着いて来る。

「君がビル、かな」

 俺の限界をわかっているのかいないのか、男は平然と尋ねて来る。仰ぎ見る顔は朦朧としているからかぼんやりとしかわからないものの、敵意はまったく感じない。

「ビルスケッタ、と云ったかな。いや、なかなか難しい発音だからね」

 少し潰れた感じがあったものの、それは母国の発音に近かった。少なくともあいつが舌足らずに云う名前とはまるで違う正確に近い音で、俺はわかり易く反応してしまう。

「あ、大当たり?」

「──ああ、そう。それ……俺」

「そっか。良かった、見つかって」

「え?」

「君を捜していたんだよ。うん、思った通りの色だ」

「……あんた、は?」

「ああ、ごめん。僕はセイルーン・クレイヴァ」

 そっか、と頷きそうになって、しかしそこでその名前の聞き覚えがあることを思い出す。

「──もしかして、天帝?」

「そうそう、一応天帝とやらだ。──それで君を探していたんだよ、ビルスケッタ」

 にこにこと天帝は云う。この西大陸を、戦争ばかりの国を、一つにまとめることができると臣下に断言させる天帝は、 意外にもまだまだ幼さの残る学生のような外見だった。流石に年上だろうが、俺よりも背丈は低いのかもしれない。


「昨年はうちの部下が世話になったみたいで、と云う御礼もしたいんだけど、今はそれどころじゃあないよね。怪我は大したことなさそうだけど……」

 だんだんと息苦しくなって、半分朦朧としているのに、まだここで倒れたらいけないとそう思う。この人が噂の天帝。あの天帝ならネイシャを、あいつを助けてくれるだろうか──。

「──頼みが……あって、ネイシャを……あいつを……助ける、の、手伝って……くれませんか」

 自然なほど言葉が出ていた。そうか、最初からこうやって助けを求めれば良かったのか。何も考えず敵の中に入り込んで撃沈して、もう少しで忘れるところだった。




 天帝は最初こそ少し驚いた顔をしたものの、それからゆっくりと頷いた。

「もちろんだ、ビルスケッタ。天帝の名に賭けて、全力を尽くさせてもらおう」

 こんなにも簡単に、人に頼って良いのだと。

 天帝と憧れる人々の想像からは導かれる外見とは違うのに、どうしてだろう、まだ若い少年のようだった彼が力強く発言した瞬間、俺はもう大丈夫なのだと確信できた。


 そこで俺の意識は簡単に途切れた。


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