第1話:旅人の生まれた国
岩だらけの悪路を上りながら、私はそっと溜め息を吐く。
「はぁ……」
町からひたすら歩き出したは良いものの、初めて見る景色は何所に行ってもなんだか味気なかった。以前は何もかもが楽しく見えたのに、なんでこんなにつまらないんだろう。もちろんつまらないからと云って、踵を返すわけにもいかない。思わず溜め息が連続して出てしまう辺り気が緩んでいたのか、持って来た紅色の小瓶がからからんっと落ちていく。不思議なそれは割れることなく後ろへ転がったので、私はつい振り返って、
「リュース、ごめん、それ……!」
慌てて口を開いたものの、そこには誰も居ない。唇を噛み締める。
そうだ、自分一人で出て来たのだ。
小瓶をすぐ追いかけることもせずに、そのことを実感してしまう。どうして今、咄嗟に呼んでしまったのかと云えば、一緒に歩いた人など他に居ないからだ。一人で出歩いたこともない私がついそう云ってしまうのは仕方のないこと。
「そうそう、もうリュースなんて人、知らないし」
云いながら落ちて岩に引っかかった小瓶を拾うためにしゃがみ込む。
──ならおまえは迷子札でも入れておけ。
冗談混じりに云われた言葉を思い出し、ついその小瓶を見つめてしまう。施された蔦状のデザインで中身は見辛いのが不幸中の幸いかもしれない。何も入っていないそれに何かを入れたいと私が云った時、リュースは確かに答えてくれた。
──今度持って来てやるよ、ちょうど良さそうなやつ。
いったいリュースが何を持って来てくれるのかとうきうきしたものの、この小瓶は空のままだ。
元々一時期の付き合いだった。私が勝手に付いて来ただけで、ずっと一緒に居るなんて云う確約はなかった。それは何度も云われていたことだからわかっていた。でも……。
──国に帰ったんだよ。
そう云うレイヴンは申し訳なさそうにしていたが、あの日からずっと考えてしまった。リュースにとって、私とは何か。 帰る場所があるリュースに、私の存在は邪魔なお荷物でしかない。
思い出すと暗い気持ちになる。かぶりを振って紅色の小瓶を拾うと、足取りをどうにか軽くして道を進んだ。悪路でも小さな私は軽々飛び越えられる。
「あ、町が見えて来た」
瓦礫と砂山の間から見えたのは、比較的大きな町のようだ。自分で働いて貯めた路銀は余っているから、そこで買い物したり腹ごしらえしたりして、気分を紛らわせるしかない。そう、一人旅なのだから。
行く当てのない、永遠の旅だから。慣れなければならない。これはきっと、ロウリーンリンクを離れた私への罰なのだ。そう思って気分を切り返し歩き出した私は、考え事がどうしても多くて付けられていることに気付いていなかった。だからあっけなく後ろを取られて、その場に昏倒した。
・・・・・
ネイシャがそんな無謀なことをしているちょうどその頃、そこより遠く離れた東の地に俺は居た。実に平凡で平和で、西の国のことなど忘れそうになるぐらいつまらない日常を送っていた。
「そう! これだこれだよ、ビル!」
「……ああそうですか」
俺は絶賛する先生にちょっと引きながらも、ひとまず終わったと小さく溜め息を吐く。
つい先日19歳になった俺は、たとえ大等部に進学していたとしても当に大等部を卒業していて、学院にはなんの関係もない。なのにこうして大等部に連れて来られて、長々監禁されるとは思いもしなかった。
俺の前で嬉々として地図を広げている男、メルティン・ヴァルカルフは一応俺の先生だった人。12年間の長過ぎる学院生活で、唯一先生と云える人になってくれた。中等部から枝分かれする専門分野で、一つに集中できない俺はあぶれた。あちこちの学部を転々としてようやく落ち着いたのが、当時は高等部で地理科を担当していた先生だった。俺が居ついたのはたった一年だけだったが、俺の書く地図の正確さを認めてくれて、先生が大等部の教授になるから同時に進学することを勧めてもくれた(というかほぼ強制で上がらせようとしていた)。俺が進学を拒んだために、卒業後何かと呼び出される頻度が多くなっている。
俺が帰って来たという情報を親父が垂れ流しているのだから、隠すこともできず俺はただ呼ばれるがまま、逆らえないままに先生のもとへとやって来る。学院なんてあまり良い思い出もないのだが、先生には俺もなぜか頭が上がらない。
「いやー助かったよ。ベストーダからいろいろ云われててさー」
「ベスが?」
俺と犬猿の仲である俺の従妹セレナと結婚したベストーダは、俺の後輩で気持ち悪いぐらい俺の信者である。つい2月ほど前に卒業して、王宮の製図士になる道を選んだらしいが、何せまだ2月目である。製図士になるのは結構面倒くさい道のりを進まなければならない。最初は測量士補として4年経験を積み、測量士試験に合格しまた数年経験を積むと、ようやく製図士補になれる。それからまた試験があるらしいが、詳しい話は忘れてしまった。ひとまず面倒くさい行程を踏まないといけない。
「シュタイン宰法がいろいろと物入りらしくてね。まぁでも結局のところ王宮に入れる人は限られているから、私は入れないしさ。今の王宮はそれこそ面倒くさい」
王が崩御し継ぐはずだった王太子が行方不明になってから、初めての玉座空位に国は慌ててしまい、法術師のトップである宰法が王宮を閉じることを決定した。なんでも王の不在を偲ぶとか云っているが、結局のところ目的はよくわからない。とにかく俺が気軽に通っていた王宮ではなくなり、官吏でも主要部には限られた人しか入れず、新米ではありつつも王宮勤めになったベストーダも少しやり難いらしい。
「……ウォレンは見つからないみたいだな」
「そうらしいね。宰法殿が懸命に捜しているみたいだよ」
王太子が行方不明などと軽く云ってはいるが、一応は俺の従兄である。人当りは良いし正しく王太子と云った風だが、何所となく投げやりなところは俺に似ている。まぁそんなことを云ったら従兄姉弟妹全員から殴られそうだから云ったことはないのだが、あの時俺を唯一避けなかった、この国で結構貴重な俺の従兄は、4年前の彼の誕生日即位の儀式の日に突如姿を消した。
それからこの国は少しおかしい。王の不在だけではなく、その他もろもろが隠されている気がしてならない。王宮に住んでいる従弟妹にも会えないというのは、なかなか不自然な気がする。まぁするだけで、実際会いに行こうとしないのが俺だが。
「ま、王宮の雑事なんて私には関係ないんだけどね」
あっけらかんと仮にも王族の前でそう云ってしまうのは、先生の良いところなのか悪いところなのか。
「それで満足したなら、俺は帰りますよ」
俺が渡したのは王宮よりもっと北にある海岸沿いの領地の地図である。グレアル・シュタインという法術師のトップである宰法から、ベストーダに測量するよう指示が来たものの、彼は別件で手が離せず、その港から帰って来た俺が見事引っかかってしまったのである。
「ああああ、ビル! もう帰るのか!? 仕事はまだまだたくさんあるぞ!」
「……俺の仕事じゃあないんで」
俺も一応はそれで生計が成り立っているから、要請があれば測量もするし製図も書くが、帰国した途端、窓口で渡されるのが測量道具というのは流石におかしい。ついでにここに来ている依頼は、すべて先生個人宛てのもので、高等部しか卒業しておらず、なんの資格も有していない俺が簡単に扱って良いものではない。最高学府に傷がつく。
「これから中等部に行って講義があるのになぁ、ついでにちょっと見てやってよ。中等部ならやっただろう?」
「人を雑用に使わないでくださいよ」
「そんなことを云われても、弟子の他の使い方を知らない」
弟子と云うより単なる雑用係のような気がする。相も変わらず俺の周りにはマイペースが集まる。両親と云い先生と云い、こんな俺を放置してくれる人はなかなか居ない。変人の集まりだ。
と、滅多にないノックの後、一人生徒が入って来る。
「ヴァルカルフ教授、失礼します。……あれ、ビル従兄?」
「良いところに来た、クロウズ! 今日からビルは俺の助手に!」
「ならないですからね」
ひとまず釘を刺しておかないと、真面目な従弟は真面目に親戚へ報告してしまいそうだ。久しぶりに見る従弟は譜面と辞書を片手に、俺と先生を見て小さく笑う。
「おかえり、ビル従兄。帰って来たんだ」
「うん、おまえはまた資料集めか?」
「ああ、ある場所を題材に作曲を頼まれてるんだけど、俺は行ったことがないからさ。地図で見て確認して今度行く時の準備をしようと思って」
一応は地理科だから資料には事欠かない。俺には音楽の知識なんてまったくないのだが、クラヴィコードを演奏するクロウズはここ最近また注目されているらしい。兄も活躍しているようだし、ここの兄弟は基本真面目だ。
「ビル従兄が帰って来てるなんて、知らなかった」
「ま、知らせてないからね」
ひっそりと港から帰って来るはずだった俺は、そのままひっそりと領地に帰って誰にも挨拶はしない。……はずだったのだが、なぜか港町の管理人に渡されたのが測量道具だったのだから、俺はそこで帰宅を断念したくなった。文句を云いながらもそのまま数日測量して、大人しく学院へ行きこうして数日かけて地図を仕上げたのだ。俺にしては目覚しいほどの労働である。
せっかくまた静かに出ようと思っていたのに、今日のうち国中に知れ渡ってしまうだろう。先生の機嫌が良いことで、学院生徒から外にまで漏れるはずだ。まったく面倒くさい。
「まぁ見つかったのがおまえで良かったよ、マリノとかに捕まると厄介」
「そんなこと云うなよ。ビル従兄の話、みんな楽しみにしてるんだからさ」
そう云って研究室の奥へと去って行くクロウズに、悪気などまるでない。ただ純粋に俺の話を聞きたがっている。だがそれでも俺は、従兄姉弟妹に優しくしてやれない。久しぶりに会うはずなのに、クロウズはこういう時にさっぱりしていて、俺としてはまだ助かったほうだった。
「はぁ、助手が……」
「そっちですか」
帰りますよと前置いて、俺はようやく大等部を後にした。
後ろでいろいろと聞こえたものの無視して出た大等部の外は、さらに大勢の人が居た。時刻は15歴。大等部の時間割りなど知らないが、多過ぎる人数に小さく溜め息を吐く。さっさと帰ろうと歩き出した俺に、要らないほど視線が突き刺さる。顔だけは無駄に有名になってしまったから、こういう人の多いところを歩くのはものすごく苦痛だ。
「あ、イリシャン第一子卿よ」
「お帰りになられていたなんて知らなかった」
知らせた覚えもないのだが、やはり平穏なのは今日までだったか。短い平穏だった。
「ウォレン様が行方不明だというのに、よく異国なんかに居られるなぁ」
「ちょっと無神経っていうか、ほら、レーイ様の時もすごく淡泊だったし。流石ごく潰しってだけあるかもね」
「なんか冷たいわよね。よく帰って来られるわ」
老若男女問わず、俺の印象は悪い。まぁ血筋だけで縁談を求めて来るやつらも居るが、こうして無関係に俺を中傷する人間はこの学院に何万人と居る。
「ビル様は、そんな人じゃあないわ」
だからいきなり弁明するような声が聞こえて、俺は逆に驚く。俺をかばうようなやつは、従兄姉弟妹かウェイアレイぐらしか居ない。そのウェイアレイも卒業してこんなところに居るはずはない。思わず振り返れば、そこには予想外の人が居た。人形みたいに小さい身体からありったけの声を振り絞るように、その莫迦は云い返す。
「ビル様はとっても優しいわ。私、たくさん親切にしてもらったもの」
「またその話? ラファーナは好きよねぇ」
「本当よ、ビル様は優しすぎるぐらいだわ。だから悪く云わないで」
「そんなこと云われてもね」
「だいたい影でこそこそ云うなんて卑怯よ、云うなら堂々と……!」
「……何やってんだよ、ラファーナ」
非常に面倒くさいことになっていたので、思わず間に入ってしまう。俺がこうして首を突っ込んで来るとは思いもしなかったのか、俺をかばっていた本人が驚きに目を見張らせる。そういえば以前もこういうことがあったかもしれない。俺は云われっぱなしなのをいつも放って置いたのだが、必ずこうして誰かが俺をかばおうとする。なんでだろう。
「ビ、ビル様!」
「そんなどうでも良いこと主張してんじゃねぇよ」
「どうでも良くありません!」
「俺にとっちゃどうでも良いんだよ。実際その通りなんだから」
そう云ってごちゃごちゃと文句を云ってた女子共を見ると、居心地悪そうに目を逸らす。俺よりも年下の当然知らない顔だが、きっと貴族ばかりなんだろう。自国の王立学院は王族貴族がメインではあるものの、優秀な人材は出身を問わず募集している。まぁ貴族ばっかりの学院になんて、俺だったら行きたくないけど。
「どうでも良い俺のことで、おまえの評判落とすなよ」
俺をかばった所為で変な噂でも立ったら、親が泣く。俺のことなんて好きに云わせておけば良い。だいたいがその通りだし、別にこそこそ云う奴らに何を云われようと本気で気にならない。誰に何を云われても、本当に気にならないのだ。だがそれは、寛容ではない。むしろ逆だ。相手が眼中に入っていないだけで、つまり相手の言葉なんて俺の心に影響を与える価値もない。要するに、相手の存在を認めていないのである。
「あ、待ってください!」
俺としては今ので充分終わったから歩いているというのに、歩く人形は付いて来てしまった。無視して帰ろうかと思ったものの周囲の目もある。俺をかばったラファーナが俺から無視されていたのでは、後々こいつにどんな噂が立てられるかわかったもんじゃない。まったくこういうことを気にしなければならないなんて、本当に面倒くさい。
立ち止まった俺に、ラファーナは折り目正しく頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした、ありがとうございました」
姉と違って随分やんちゃなところがあるものの、こういうところでは流石貴族、綺麗な作法をする。
「別に頭を下げられるようなことはしてねぇだろ。俺と話している方が後々面倒くさいぞ」
「あはは、ビル様は変わりませんね。やっぱりお優しいです」
何がどうなって優しいのか、俺にはさっぱりわからないのだが、満足そうに笑われるとそれ以上何も云えない。
「先ほど噂でお帰りになったと聞いて安心しました。また出て行かれてしまうのですか?」
「うん、閑だからすぐにでも出て行くつもり」
やることなんてほとんどない。今日のような先生からの頼まれごとだの、とある領主から閑潰しに付き合えだの、縁談だの、つまり大した用事は一切ない。
いろいろと思い出しながら素直に答えると、ラファーナは申し訳なさそうな顔をする。
「あの……やっぱり姉には会ってくださいませんか?」
「あいつ、まだ嫁に行ってなかったのか」
そういう約束というか、一方的な主張をされた覚えはあるものの、まさか本当にあんないかにもなお嬢がまた嫁いでいないとは、俺の罪悪感は少し増す。それが狙いだとわかってはいても、それはどうしようもない。そんな約束を知っているのかいないのか、ラファーナは首を傾げ、
「え? だってビル様……」
と、そこまで云ってかぶりを振る。
「まだお帰りになられたばかりですものね。なんでもありません」
「……なんだよ」
まさか何かあるのではと勘ぐったものの、どうやら口を割る気はないらしい。俺も別にそこまで気にはしていないから、面倒くさくなって追及もしない。
「──あいつは本当に、頑固だな」
「ええ、筋金入りのお嬢様ですもの。ビル様もご存知でしょう、お嬢様って頑固が最大の武器ですの」
そう云って静かに笑うラファーナに、少しばかり姉の面影を感じた。
・・・・・
「いったいどれだけやんちゃしたら、こんな傷がつくんだろうね?」
えーと、一応は剣を持って戦場に行ったんだけど……、と一応申し訳なさも手伝って説明しようとはしたが、冒頭で殴られそうだからやめておく。俺の傷を見た主治医は非常に不機嫌そうで、定期健診の前に身体を全部改められた。莫迦みたいに鏡を叩き割ってできた傷とか、莫迦みたいに剣を振り回してできた傷とか ひとまずあまり褒められたものではない擦過傷が多くできていて、北大陸から帰って来た時と同様、主治医ズークラクト・リンメル・シャンラントゥラスの機嫌は悪くなる。
従兄(親父の少し上の兄貴の二男)のズークラクトは俺の主治医で、領地も隣、邸宅も俺の領地側にあるため、頻繁に出入りできるようになっている。普段は仏面をしている内科医だが、切れると非常に恐ろしいことを俺は知っている。反面教師なのかズーの下の弟ギャラクスはどうしようもない問題児で、あいつと一緒にはして欲しくないのだが、ズーが切れた時の恐怖を知っているのは、俺とギャラクスだけだ。
ルリエールによって看病されすっかり治っているはずの傷口はしかし、完全に消えてはいなかった。大したことはないものの、明らかに最近できた傷だとわかるものに、ズーは容赦なく一つひとつ消毒していく。
「ま、だいたいの事情は、レグルスアンド叔父上から聞いてるけどね」
「……なんで親父が知ってるんだよ」
「叔父上の情報源なんて、一つしかないでしょ」
今は置いて来ているレイヴンしか当然ない。あいつは俺の行動を逐一親父に報告している。俺がやめろと云ったところで、あいつの衷心は変わらない。あいつが仕えているのは俺ではなく、俺の親父。それはあいつが子どもの頃から変わらない忠誠だ。
「まったく、本当に、莫迦だよ、ね!」
「あ、痛ぇって!」
「そんな生傷我慢してたんだから、これぐらいどうってことないでしょ」
誰だこいつが優しいとか云いだしたのは。うちの親父と付き合うようになってから、さらに性格ひん曲がったんじゃないのかと疑う。
本当に治療しているのかしていないのかわからない痛みを耐えたところで、髪をふわふわさせながらミレイネットがひょいと診療室に顔を出した。
「あ、ビル! 良かった、まだ帰ってなかったわね。間に合って良かった、ケーキを作ったのよ」
そう云って甘い匂いをさせたかごを片手にぶら下げている。まさか俺が来てから慌てて作ったのだろうか。甘いものは好きではないと再三云っているのに、俺がここを訪れるとかなりの確率で糖分たっぷりの菓子が出て来るのは、もしかしてズーからの嫌がらせなのだろうか。
「俺はおまえの子どもか」
「子どもみたいなことばっかりしてるんだから、お茶ぐらい付き合ってくれたって良いじゃない。ズー、もう平気?」
「うん、行っておいで」
ズークラクトは少し苦笑しながらも、俺を解放しろとせがむ妻に許可を出す。本当は嫌なのだろうが、まぁ最近は口煩く妬かれることもなくなったから、俺も平穏でいられる。
ミレイネットは俺と同い年の従妹で(親父の何番目かわかんないけど兄貴の娘)、去年ズークラクトと結婚したばかり。既に異国へ行っていて結婚式を欠席したことが気に喰わなかったらしく、ミーはかなり不機嫌だった。まぁ今日ここに来る際にズークラクトより先にあいつへ顔を出して祝ってやったら、早々に機嫌を直してくれた辺り単純である。
「ほらビル、おいで」
「……はいはい」
莫迦な夫と一緒で、俺もこいつにはなぜか逆らえない。温厚なミレイネットは学院時代から俺のことを親友と公言していたが、ほとんどの貴族は信じてくれなかったようだ。それもそうだろう。だが予想に反して俺とミレイネットはたぶんお互い自分勝手だからか、一緒に居て気詰まりなことはない。四姉妹の2番目でのんびりと暮らして来たミレイネットは、優しいと評判のズークラクトと恋愛結婚をし、次期当主の妻になったとは云え、順風満帆の世間知らずなお嬢様らしくゆったりと時が流れている。
「外は良いお天気ね、あ、異国の空もこんなに綺麗なのかしら?」
「……空は何所でも変わらないだろ」
屋敷から外に出てまずは空を見るミレイネットをかまわず、俺は真っ先に庭先の椅子に腰かける。景色なんて見るよりも先に休むのが第一だ。体力がないから長々立っているのも好きではない。だいたい帰って来てから先生の仕事を手伝ってその足で検査も受けている、俺の狭い容量ではオーバーワークだ。
「相変わらずで良かったわ、ビル」
くすくすと笑いながら、俺の正面に腰を掛けると、侍女がそそくさと準備を始める。
「おまえも相変わらず平和そうだな」
「だって平和だもの。──ああでも、最近ちびたちに会えないのは残念ね。元気かしら?」
そう云って見遣るのは王宮の方角。まだ学院に在籍する俺たちの従弟妹が居る場所だが、滅多なことでは入れなくなってしまっているため、彼らの姿も長らく見ていないのだと云う。
「たまに便りが来るけれど、本当にたまにだもの。心配になるわ」
「そんな軟な奴らじゃねぇだろ」
王宮に居るらしい従弟妹の顔を思い出して見るものの、どれもふてぶてしい顔しか思い出せないような奴ばかりだ。何かあるのだとしても、命まで危険にはならない。
「そうね、病弱な癖して余所の国を放浪している従兄よりはましね」
「おまえら夫婦は厭味しか云えないのか」
「あら、厭味に聞こえた? って、ビル。また変な怪我してズーを困らせたんじゃないでしょうね?」
駄目よと逆に随分理不尽に叱られた。ズークラクトは俺とミレイネットの仲が良いことがあまり気に喰わなかったらしく結婚前はだいぶもめたのだが、俺がミレイネットに付き合ってやって聞いた話はほとんどが惚気だ。この莫迦な夫婦に付き合ってやっている俺は、意外にも辛抱強いのかもしれない。
ミレイネットはそんな俺の苦労さえ知らず、目の前でにこにこと笑っている。
「貴方はたまに帰って来て、私に元気な顔を見せてくれたらそれで良いわ」
「おまえは俺の母親か」
「弟が居たらこんな感じだと思うの。ギャラクスってこんな感じだもの」
「頼むからあの莫迦と一緒にするな」
15歳にして年中女のことしか考えていない従弟と一緒にされては困る。まぁあちこちで出かけているところとか、いい加減なところとか、似た面があるというのは認めるが、あれと一緒にされるのはごめんだ。あそこまで堕ちていない。
「──今度はみんなで、いつ会えるかしらね」
そう云って王宮を見つめる目に憂いを感じる。当たり前だろう。新年は挨拶が当たり前で、うじゃうじゃ居る従兄姉弟妹が一斉に会すものだ。定例会などもあるが、基本俺とかいい加減な奴はたいていさぼるから全員が会えるわけでもない。そういった意味で新年は重要な意味が込められているはずだが、今年も王宮は開かれなかった。
「そのうち開くだろ」
「そうね」
微笑むミレイネットの顔は冴えないが、その穏やかさが消えることはない。
俺が居なくても変化のないこの国は、相変わらず平和だった。こんなにも平和なのに、王は居ない。王宮は開かれない。結構な事態になっている。それでも俺たち王族は、こうしてのんきに茶会が開ける。実にわけのわからない国だった。