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再・誕生日

 耳元で風が流れる音が聞こえる。しかも、ひゅうひゅうとかそんな可愛いものではない。轟々という言葉がふさわしい音圧だ。同時にとてつもない浮遊感を感じる。体中に風が当たり、あっちへこっちへ流されているような気がする。目が風圧を受けてまともに開かない、暗闇の中だが、今の状況を一言で表すことができる……。俺は落ちてる、絶対に。


 「のわああぁぁぁああアァァ!!」


無意識に、背すじを這い上る恐怖から俺はあらん限りの力で情けない叫び声をあげた。

 

 なんだ?なんで?

最後の記憶はオフィスに倒れたところで、死の間際のくせに何かぐだぐだと考えていたような気がする……いや絶対そうだ。嫌にはっきりと意識が遠のくのを感じたんだ。そこから何故に空の旅?

 

 待てよ……もしかして、これは夢か。同僚が呼んだかもしれない救急車が奇跡的に間に合い、俺は今ベッドの上で夢を見ている。ありえない話ではない。いやむしろ、それが真実だろう。そうでなくては、地上二階のオフィスではどうあがいてもこの浮遊感はありえない。


 またぐだぐだと考えている間に少し高度は落ちたのだろうか、風が少し収まった気がする。そうこれは夢だ。夢なら飛んだりすることなんてよくあることじゃないか。俺は心を落ち着かせ、意を決して目を開く。顔に吹き付ける風にひるみ、最初は薄く、そして徐々に大きく開いていった。すると目の前に広がったのは――


「――おぉ!!」


現代社会では、そう巡り合えないほど自然の多い大地だった。今は早朝か。淡い陽光が山を照らし、木々が陰影を作り出している。影の向きに逆らい視線を向ければ、山々の向こうから今ようやく太陽が顔を出しているところだった。元は昏かった空が太陽に近づくにつれて明るい色になり、そのグラデーションの中にいくつもの星が燦然と輝いていた。星の海、そんな言葉が浮かぶ。状況も忘れ、仰向けになってひたすら空を眺めた。まるで夢のような光景。


 ひらり。視界の端を白いものが横切る。慌てて目で追えば、そこには一枚の白い羽根が舞っていた。何故こんなところに……疑問が湧き上がると同時に、無意識に手を伸ばしていた。もう少し。もう少し。風に流れているはずなのに、その羽根は逃げる様子がない。そしてついに、掴んだ。その瞬間――手に痛みが走った。思わず羽根を離す。見れば羽根の“芯”の先は尖っている。


 “向こうの世界”に向けていた意識が、ぷつりと切れるのが自分でも分った。まるで視界が開けたような錯覚。これは現実だ。手に痛みの感触が残っている。途端、何の遮りもなく空に身をさらしていることが怖くなった。ひたすらに輝く星が、惜しみなくこちらを照らす陽の光が、容赦なく自分の状況を意識させる。


 なんだ?なんで?

歯を食いしばり、見苦しくばたばたと手を動かす。もう死んだはずだろう。多分過労死だぞ。それなのにこの仕打ちは何だ?今度は地面にたたきつけられて死ねってか。ふざけんじゃねぇぞ!!

 恐怖、怒り、悲しみ、後悔、絶望。どこにあったのかと思うほど、ありとあらゆる負の感情が湧き上がる。誰を怨めばいい。誰を憎めばいい。


 滲む視界に、またひらりと目の前を羽根が横切る。風の流れを無視するように、まるで意思を持つかのように、右へ左へと舞い踊る。感情をぶつけるように手を突き出し、捕まえようとする。しかしさっきとは違い、簡単にかわされる。もう一度殴りつけるように手を突きだし、またかわされる。だが白い羽根は依然として視界内に止まり続けている……馬鹿にしてるのか?まさか羽根に煽られる日が来るとは思わなかった。

 自棄になって何度も羽根を追い回すと、どうやらこの羽根は、どこかに目的地があるらしいと考えた。どんな強風に吹かれても、俺の手をかわしても、真っ直ぐに一方向へと舞い降りているのだ。


 そこではたと自分の状況を思い出す。やばくないか。つい先ほどまでは山々を悠々と見下ろしていたのに、今では同じ目線になっている。気付いた時にはもう遅く、地面はもうそこまで迫っていた。ぶわりと汗が噴き出す。俺は馬鹿か。どうして一時でも忘れることができたんだ、こんなやばい状況を。どうすればいい、これは現実だぞ!!

 慌てふためく俺をよそに、羽根はその速度を落としているような気がする。追いかけるように下を向いていたのに、今では見送るように仰向けになっていた。ふわりふわりと、まるで誘うように徐々に距離が離れていく。俺は咄嗟に、藁を掴むような気持ちで、羽根に手を伸ばした。すると、今までおちょくるようにしていた羽根が、今度は素直に手の中に納まった。そして羽根を捕まえた瞬間、なんと体がまるで羽根に引かれるように、落下速度が下がったのだ。


「やった!!」


思わず声が出る。さらに、俺の体にある変化が起こった。羽根を掴む手が、妙に温かく感じたのだ。まるで陽だまりにそこだけがじんわりと浸っているような感覚。そしてそれは、段々と体中に広がっていく。ふと、先ほどまであった黒い感情が薄れていることに気が付いた。

 羽根にぶら下がるという、自分でも訳の分からない方法で助かった俺は、羽根の進行方向へようやく意識を向ける余裕ができた。そこには一軒の二階建ての屋敷がある。その周囲にも様々な家があるが、その中でもとりわけ大きく、庭が広かった。明らかに金持ちの家だ。


 羽根はそのまま屋敷に近づく。俺も屋根に降り立つ気持ちで足を伸ばす。長い旅だった気がする。恐らく凄まじい速度だったため、実時間では大したことはないだろうが、それでもこれまでの人生に比べれば、あまりにも密度の濃い時間だった。そして、ついに俺は大地に降り立つのだろう。ゆっくりと高度を下げ、伸ばした俺の足は屋根を――すり抜けた。それはもう見事に。

 

 「……んぇ?」


まるでそこには何もないと言わんばかりに、俺の体はどんどんと屋根に吸い込まれていく。思わず羽根を見つめてしまったが、当然彼は何の弁明をすることもなかった。抗う暇もなく、俺はその屋敷にお邪魔することとなった。

 

 二階をそのまま通り抜け、一階にたどり着くと、そこにはたくさんの人がいた。白衣を着た、おそらく医者の男性。物語で見たようなメイドさんが数人。そしてベッドに寝かされた女性と、その手を握る男性。妙に服装が古めかしくて、その二人はまるで物語の中の登場人物のように見えた。色々な人が不安げにある一点を見つめていた。その視線の先にいるのは、おばあさんに抱かれた赤ちゃん。


 ……あれ、泣いてないな。というか、身動き一つしてないぞ。おばあさんやお医者さんが懸命に赤ちゃんへと働きかけているが、一向に嫌な気配は消えない。な、何だこれ……どうしたらいいんだ。というか何故俺はこんな状況に直面させられているんだ。頭の中でぐだぐだと言葉が駆け巡るが、俺の視線は赤ちゃんから一向に離せない。


 そこで思い出したのは、空で羽根を掴んだ時に感じたあの温かさと安心感だ。もしかしたら……。俺は羽根を赤ちゃんの胸にそっと置いてみた。すると羽根はそのままその子の体の中へすっと消えていったのだ。これだ。



 その瞬間、俺の意識は急速に遠のいていった。最後に聞こえたのは、妙に近い場所で聞こえる赤ちゃんの元気な泣き声だった。

 

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