前編『ただひとつの愛に殉ずるということ』
※アンチ「逆行転生/タイムリープ」です!
毎度ジャンル選択に迷う……。
あ、固有名詞がないのは仕様です。
■■は言った。
そなたの時を戻してやろう。
やり直しの人生を与えよう、と。
『彼女』は微笑んだ。
そして――断りの返答を寄越した。
なぜ、どうしてと■■は惑った。
いわれのない大罪を着せられ、愛した男の凶刃に斃れたというのに。
とある王国に起こった醜聞の顛末である――。
王族の弑逆を目論んだ令嬢がいた。
証拠も証言もそろっていた。
引き回しの上、磔刑と沙汰された。長く苦しむ処刑である。
しかし執行はされなかった。
裁きが言い渡された当の場で、彼女の許婚であった王子が乱心し、直接に手を下したからだ。
『彼女』の目から光が失われる瞬間。
かすかな意識の残滓をよすがに、■■は世界の埒外から、直接に魂へと接触した。
その清らかさといったら驚くほどだった。
恨み、憎しみ、口惜しさ――といった負の澱で濁っていない。
たぐい稀なる高潔な魂。
■■からみれば寸暇の命数。全うすれば、より増したであろう輝き。
それが今、丸ごと消え去ろうとしている。
大変な損失である、と感じられたのだ。
痛ましい惨劇で終えるのではなく、幸福な未来が約束されてしかるべきだと。
だからこそ取り引きを持ちかけた。
こうして死に瀕し、肉体と魂との結びつきが緩む刹那にしか、介入する機はないのだ。
肉体活動が完全に停止するまでの、わずかな意識の明滅のなか。
瞬く間を、極限にまで引き延ばし、相対する。
高次の存在である■■だからこそできた業だった。
ただし、この現世――低次の物質世界に"はみ出す”ことだけは避けねばならない。
永劫の時を生ける■■にも死がもたらされてしまうから。
そうして慎重に潜んだ意識のなかから再び説いてやった。
言い聞かせるように。
時を戻してやろう。
今の記憶はそのままに。
我と契約を結べ。魂の全権を委ねよ。
さらば、その蓄えられた熱量を一気に放出させ、時を遡らせることが能う。
この世に生まれ出た瞬間に戻せるのだ。
そなたの聡明さをもってすれば、二度は謀られぬであろう。
奸計を退け、愛も成就できよう。
上手く立ち回り、幸福になってみせよ、と。
しかし『彼女』は固辞した。
――だって、そうでしょう?
異なる生涯をたどるなら、それはもう『私』じゃない。
交わした会話も、居合わせた出来事も、共に培った思い出も、互いに育んだ情愛も。
まるきり別の道を歩むのなら、それはもう私の『彼』じゃない。
愛したのは、ただひとりだけ。
苦しめて死なすならいっそ己の手でと泣きながら私を斬り捨てた。
今も慟哭しつづけている、この人だけなのだから――。
たとえ与えられた別の運命で幸せになれたとしても。
――『私を殺した彼』を幸せにすることは永劫に叶わないのでしょう?
■■は諦めた。
契約は成りそうになかった。
なぜ、どうしてと自問する。
物質世界を足下に俯瞰する■■には、いずれ尽きる寿命がない。それを強制する肉の器がない。
だから分からないのか。
だからこそ焦がれるのか。
この一瞬の輝きに。
じきに『彼女』の魂は冥海に飛び去るだろう。
世界の外で波打つ揺り籠へと還るだろう。
星霜の波に揺られて、ほどけて。
烏兎の波で寄せられ、凝る。
そうしてまた現世に孵るのだ。
まったく別の魂となって、新たな肉の器に宿る。
人と世界に定められた、それは絶対の理。
高次の存在たる■■にすら干渉の能わざる領域。
――なんと、惜しいことだ。
世界の縁に戻って■■は嘆く。
それを傍らに飛来した□□が嘲った。やり取りをすっかり見ていたのだ。
そら、器から魂が抜け出たぞ。
この隙に別の魂を入れるがいい。
『彼女』の記憶を複製して刷り込んだ上で、時を戻すのだ。
確かにな、この世界に属する魂で施行すれば、理に叛く。
であれば、異なる世界から喚べば済むことであろう?
他愛なく契約を結ぶたぐいを見つくろえ。
常人の魂なら、嬰児に遡った時点で由緒を忘れる。自身の記憶と思い込む。
それで易易と望みが適うものを、愚かなやつめ、と。
■■も、実はその誘惑に駆られないではなかった。
しかし望むのは『彼女』自身の結末だ。
まがい物でない、模倣品でもない。
輝ける魂を持った『彼女』が選び取る、唯一の顛末だ。
嗚呼――そうか、そうだったのか。
すでに己は、"それ”を見届けていたではないか。
■■は双翼を広げ、彼方へと去った。
□□は未だ縁にとどまり、世界を見下ろしている。
その視線の先では、魂のない空ろな肉体が今まさに終焉を迎えようとしていた。